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はてなキーワード: 解像度とは

2024-03-29

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

2024-03-28

anond:20240327125848

九州編集者になれなかった

 

問題なのは九州じゃない。環境のせいではなく自分能力

選択肢がなかった?自分がお勉強をさぼって都内大学に行けなかっただけ。

地域格差がある?20年前の2,000年代前半なら学習塾も増えていた。地方都市というレベルではあるが自分が住んでいた広島にも90年代ですらそれなりに塾はあった。

小5の時に夏季講習で通った塾の講師からは成績を見た後私立中受験していいんじゃないかとも言われたし教師から勉強について褒められ進学の話はあったが、増田はどうなんだ?

実のところ上澄みから見たら大したことがないレベル自分ですら教師からは光るものがあったら教師は進学を勧めてくる。

今は過疎地仕事をしているが、40年以上前中学校卒業も当たり前な地域性ながら優秀な子は都会の学校へ出させようと教師が親に頭を下げに来るなんてことはざらにあったそうだ。

昔の自分が周りを認めさせるくらい能力を磨けていれば説き伏せることはできるがそれをしなかったのは増田自身だ。

 

あと編集者という仕事についての解像度も足りていない。同人誌発行は大変な作業だが仕事としての出版業務からしたらお遊戯みたいなもの

たまたま求人覗いて募集面接あるから受けてみよで通るような業界ではない。

新卒ですら市内では1番頭がいいレベルの元神童がしのぎを削って入る枠で、中途採用にしたってそういう神童の中の勝者が応募するような枠。

そんな枠にお散歩気分で仕事に対する解像度が低い志望者が来たら困るだろうし、地方出身で血をにじむ努力をしたかと思われる採用担当からしたら増田言動侮辱しか見えないだろう。

増田立場からしたらレスバしなくてよかったよ。絶対完膚なきまでに叩き潰されていた。

 

九州編集者になれなかったんじゃない。

過去増田増田編集者にさせてくれなかったんだよ。

デジタル動画の画質劣化問題

twitterとかで出回ってる動画

前見たことあるなぁてやつの画質が著しく劣化してて

デジタルなのに何で?と思ったら

解像度の違うスマホの録画機能で録ったり

それをトリミングしたりでどんどん劣化してるのね。

デジタルなのかアナログなのかよくわかんない時代になったなぁ。

2024-03-27

anond:20240327112020

不明な事に関する合理的説明を試みることを陰謀論に嵌るって表現するって、いくら何でも物事への解像度が低すぎないか

から知識でも現実体験でもいいけどネット以外での経験を積んだ方がええで。

そもそも私がした説明はどういう状況ならそれが発生するかを書いただけで陰謀でも何でもないし。

2024-03-26

anond:20240326223248

「とは言ったって、特に最近の大型タイトルクソゲーとかないじゃん」って言いかけたけど、ドラゴンズドグマ2の最適化のクソさのあまりに返金申請したばっかりだったことわ。4070で1280x720の解像度ゲームにならない程カックカクって相当あれやぞ。

anond:20240326204124

日本貧困層への解像度が低すぎる。外国は知らないけど、日本貧困層は腹の足しにならないスープなんて作らないよ。奴らが食べるのは腹にたまる炭水化物と安い豚肉だけ。

女性へのレイプミラーリングゲイを持ち出す奴って男の解像度低すぎるんだよな

「女なんてチンコ突っ込んじゃえばヒイヒイいって悦ぶんだよ」って言ってるバカオスと同レベルしかない。

普通にだってわけわからん女に性行為強要されるのクッソ怖いから。

ゲイを持ち出すのって結局「男なんてマンコに突っ込めさえすれば満足するんだろ」って言ってるのと変わらんし

から女性から男性レイプするのはミラーリングにならない」と思ってるし、

なんなら男性側が不合意を主張しても「楽しんだんだからいいじゃん」とか言い出す。

レイプ魔の言い草だろ、それ。

2024-03-25

なんでこんな浅い解像度なんだろう…

元のポストdisられてるのはイオンじゃなくて(この人の想像上の)田舎とそこに住む人達でしょ

相変わらず自称リベラルって田舎は平気でヘイトするよね

この人障害者差別LGBT差別には敏感なのに、

なんで「狂ったようにキレ散らかす」なんて言葉罵倒していいと思ってるんだろう?

例の車椅子インフルエンサーだってイオンシネマで映画を見てるのにね

嫌なら見るな」なんて、少なくとも自分は一度も言った覚えがないんだが

一体何と戦っているんだろう

grdgs

grdgs イオンサイゼリヤdisられたら狂ったようにキレ散らかすネット民は多いからな。自分が好きなものを嫌いと言われると幼児のように喚く連中。彼らよく「嫌なら見るな」と言うが、まず自分実践しろよと

https://b.hatena.ne.jp/entry/4751121710097474560/comment/grdgs

anond:20240325165459

現代人は、可能受身で使い分けているんですが。

解像度の低い古い日本語しか使えない人は、早くアップデートしてください。

2024-03-24

AI絵師への不快感

絵描きです。DALL·E 2 やMidjourneyが出た頃から画像生成AIを知って使ってみた。仕事上のこともあり何に使えるか、どう使うかは模索してる。今のAI検索結果がまとまって出てくるという認識

最近スマホアプリの普及もあってAI画像生成するTwitterアカウントが急に増えた。二次創作の界隈にも出てきた。

設定とか全然知らないままポン出しの絵アップロードする。このキャラのほくろはそこじゃない…とかザラ。この種族とあの種族の特徴混ざってるとか、種族身体的特徴として公式設定になってるやつも全部無視。まあもともと手や足や、細部変でも出す人は多いけど。

公式画像をi2i平気でする。公式画像切り貼りも多い。アイコンとして配ったりもする。やめろ。

絵に対しての解像度が低いから、違和感が解らない。絵描きごっこはしたいけど、大半が勉強しない。

レタッチしてみましたっていうのも見たけどそこだけ浮いてる絵なのがわからない。にじみ水彩プロンプトの絵にアイビスGペンは浮く…技法への理解もない。

AI使ってて加筆上手い人も時々はいる。細部へのこだわりがもともとかなりある人や、見る力が高い人はAIで伸びることもあると思う。絵が好きな人だと思う。

AIでも、何枚も画像出力してアップロードしてるから苦労してると主張するアカウントをみた。ツールによっては手だけ直せる機能もまああるしControlnet使ったりリタッチしたらいいのに…知らないしできないんだろうな。

ガチャたくさん回してるのが苦労?

絵を描いてると多数のラフボツ資料に当たるのも著作権について調べるのも、そんなの普通のことだったので、ガチャ大量に回すだけで辛い人には笑ってしまった。じゃあそれだけすごい絵を出力してるのかな?と思ったら公式のi2iもかなり多くて失笑した…。

2024-03-23

anond:20240322205107

女は人権が随分と自分たちのためのモノだったせいで、人権への解像度が目茶苦茶低い昭和レベルのまま時の止まった頭のおかし化石になってるよね現状

PCモニタ解像度低くてつらい

今んとこ標準のHD画質モニタしか買えてない

iPad10.9インチで2,360 x 1,640ピクセル。264 PPIもあるのに

PCモニタは13インチで1920 x 1080。169 PPIしかない

 

数値で出すまでもなくフォントの縁の処理で、ああもうこれ解像度低いなってのがすぐわかるしょぼい解像度

こんなんじゃPC学習する気なんか起きないよ

anond:20240323155832

そもそも面白いというのは前提として「関心がある」からなんだよ

増田そもそもそこでされてる話題に興味がないでしょきっと

そして、そのクラスタ話題全てに興味がないのであれば、まず話されてる内容を理解できてないとか前提知識が足りてない可能性が高いと思う

なので、まずは自分で学びたいと思う話題について調べるところから始めては

趣味のこととかでもなんでもいいのよ、なにかひとつある程度突き詰めれば少なからず頭は良くなる(世の中に対する解像度が上がる)し、他のジャンルにも関心湧いてくるから

anond:20240322213737

まともな表現の自由でびっくりした

そうなんだよ

表現の自由を語るならこのくらいの解像度は欲しいよな

anond:20240323132008

ワイ:今回の件は増田で騒がれたので英語でググったぞ

 

ググったやつ

信者らしき人:低学歴は米州に対する解像度が低すぎ

 ↓

ワイ: CNN報道してるで

Reports: Shohei Ohtani’s interpreter fired after being accused of ‘massive theft

https://edition.cnn.com/2024/03/20/sport/shohei-ohtani-interpreter-fired/index.html

Shohei Ohtani's Interpreter検索するといいと思う

日本メディア減らしたかったら、The issue with Shohei Ohtani’s interpreter

 ↓

信者らしき人:ドジャース大谷ニュースなんだから記事くらいはあるやろ どのくらい参照されてるかだ

 

信者らしき人:大谷翔平を知らないのは世捨て人アピール 弱者男性自慢 ←new

 

こっわ

2024-03-21

東大vs慶應 入ったら良いこと、悪いこと教えてほしい

知り合いの女子の話

ちょっと迷ってるらしい

文系科目は非常に強いので(模試で二桁位取るくらい)私立は余裕だけど

東大目指すなら割と頑張らないといけないとのこと

やりたいことは現状なし、次高2

 

ぼく(旧帝しょぼ太郎理系))のイメージ

 

東大

ネームバリューで当分食っていけそう

・おかたい所にもするっと入れそう

・授業大変そう(友人の東大生は皆入ってからしんどそうだった)

結婚は遠のきそう

はてなー絶対的マウント取れそう

慶應SFC

キラキラしてそう

・周りが金持ちばっかでしんどそう

ベンチャーとかは入りやすそう

・やりたいことが明確じゃないとしんどそう

・授業は楽しそう

学費が高いので奨学金借りてもなおバイト漬けになりそう

彼氏は出来そう

湘南?が遠い

はてなーから無意味に叩かれそう

 

とっても解像度が低いわ

まあ入れるかどうか微妙らしいけどね、ギリC判定だって

東大の次のランク国立大は?」って聞いたら「一橋だけど数学が難しいらしい」って言われた

東大だってむずいやーん

 

てかやっぱどう考えても私大学費が無理だわ

anond:20240321165253

まだそんなこと言ってるやつが居るのか。

[オッパイは尻の代替品という解像度の低い説 - 本しゃぶり](https://honeshabri.hatenablog.com/entry/origin_of_oppai)

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

anond:20240320112953

リベラルって基本的結論ありきで理屈をこねくり回してるだけだから、自らの主張する理屈に対する解像度が異常に低い

から延々とダブスタみたいなことを言い続けることになる

令和日本カースト制度への恨み

2年前に別れた元彼結婚した。

共通の友人に根掘り葉掘り聞いて、結婚式の写真も見せてもらった。新婦の両親は品の良さそうな家族。お互いの実家を行き来してて両家仲良さそうと聞いて大泣きしている。とても悲しい。人は同じもしくは近いカーストの人としか結ばれないのか?

この気持ちと経緯をどこに吐き出したらいいかからいから、ここに書かせて欲しい。

彼と私は大学2回生の頃から25歳まで付き合っていた。

私は地方出身で進学で京都に来ており、彼は京都出身の男だった。

付き合いは本当に順調で、私は彼の実家にもよく顔を出していた。注文住宅の一軒家、ペットの犬、何より優しく働きものの彼の両親と妹が大好きだった。

結婚意識し始めた25歳の春。彼が四国の私の実家に来たいと言った。私の実家は貧しいこと、フル奨学金で進学した事は事前に伝えていた。再度「うちの実家本当に貧乏から、驚かないでね」と伝えた。彼は「大丈夫だよ」と笑っていた。

到着した実家は古びたトタン貼りの長屋タイプ貧乏平屋で、申し訳程度に片した物が散乱している部屋にアルコール中毒気味の痩せこけたパチンコ狂の父親プリン頭のだらしなく太ったパチンコ狂の母親祖母分不相応な吠えまくるチワワがいた。生計祖母年金と両親のたまの労働借金と私の仕送りで立てている事は内緒だ。彼はそつなく私とお付き合いしているという挨拶をこなしてくれた。彼の仕事と彼の実家の事をそれとなく聞きお金匂いに目を光らせる両親が憎かった。

それからしばらくは今まで通りのお付き合いが続いたが彼の実家の定期イベントバーベキューに呼ばれる事はなく、なんとなく疎遠になっていき、私の実家に彼が来た3ヶ月後に、彼の浮気自白&強引な別れ話で交際は終わった。

当時も今も浮気の件は嘘で、私の実家ドン引きたから別れたのだと思ってる。逆の立場でもそう思う。彼と私とで貧乏解像度が違うのだ。

関西に来てから、友人達実家に行くことが何度かあった。みんな「貧乏育ちだよ〜」と言っているが全然違う。経済観念が近いから仲良く出来ていたが、向こうはしっかりと躾けられたお嬢さんガチ貧困は私のみ。

友人Aの実家は、確かに郊外だが、木造造りの立派な御屋敷だった。蔵もあるし。

(本人曰く田舎の古くてボロい家)

友人Bの実家は、市内の駅歩15分の分譲ビンテージマンション

(本人曰く、駅から遠く古くて狭い家)

友人Cの実家は、漁港にある一軒家、家族漁業をやっておりイキイキしてて眩しかった

(本人曰く、都会のサラリーマン家庭に生まれたかった)

友人A、B、Cのような出自であったら今頃彼と結婚しもう子供もいただろうな。

彼にも友人にも私の貧困は見えていないのだ。実際見たとしても彼のように何も言わず、私に何も言わせず去っていく。

めちゃくちゃ勉強を頑張って就活を頑張って、仕事も頑張って、稼いだお金奨学金の返済と仕送りに消えていく。

そういや、同じように仕送り愚痴を言ってた友人。当時は同じ悩みを持つ仲間がいて嬉しかった。お互い支え合って仕送りしてたよね。彼女結婚した時に、そのお金がそのまま毎月貯められてた通帳をもらってたなあ(結婚式のスピーチで言ってた。みんな号泣してた)普通にお祝いももらった上で。羨ましい。羨ましすぎて吐きそう。私の苦しみまで、彼女の喜びの養分になっているようだ。

これ以上の恨み辛みとやるせなさはあるが、ダークサイドに落ちそうなのでこの辺で吐き出しやめよう。

2024-03-19

anond:20240305140504

俗説はだいたいあってるが解像度が低くないか

民主党時代戦争はわりあい短め

戦争復興需要メディアや軍需建築価値を高めたい感じ

なお民主親中なのは中国米国映画ボイコットすると支持者のハリウッドがメシの食い上げだからだとか

共和党はどちらかと言えば、情報産業より土地資源を確保して利用したい印象(司教領式)

共和党時代が発端の戦争は、ベトナムとかアフガンとか大統領が数代入れ替わるぐらい長い

2024-03-18

英語における魔法使いの杖の解像度高すぎ問題

ハリポタのwand。

妖精stick

ガンダルフが持っているstaff。

ゲームなどでは、これらと区別してrodやmaceもよく出てくる。

日本語では、全部、「(魔法の)杖」。

オタクとしては訳し分けたいのだが……

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