はてなキーワード: 自尊心とは
俺は男だが、(と書くと増田では女判定されるらしいけど、この投稿タイトルで女判定するやつは流石にいないと思う)
男はやっぱり年下の奥さんをもらった方が絶対に良いという話をする。
俺は32歳のとき25歳の妻と結婚した。7歳差だからそこまで驚くような年の差婚ではないが、それでも周りから「奥さん若いね!」とちょくちょく言われるくらいには離れている。
妻が下の年の差婚のメリット、巷で良く言われるのが妊娠の可能性だと思う。確かに俺も2人の子宝に恵まれたが、子どもは若ければ確実にできるというものではない。授かり物というくらいだし。それだけを目的に若い嫁を貰ったって、男の精子が老化してりゃ当然妊娠も難しいだろうし。
そういうのではなくて、ここで俺が言いたいメリットは自分の自尊心のことだ。
ワザと主語デカで言うが男は馬鹿だから、他所の男が若い嫁や彼女を連れてればそれだけで見る目が変わる。もっと馬鹿なやつは口に出して「若い奥さん捕まえてすげえな!」と称賛してくれる。口に出さないまでも評価がワンランク上がること請け合いだ。
若いか美人な嫁というのはそれだけ男にとってでかい存在なんだよな。友達が年上で見てくれも大したことない嫁を連れてたってこの称賛は湧いてこない。
承認欲求を馬鹿にしてるやつ、いつか自分の中の欲求に焼かれるぞ。自分で自分を誉めるなんて限界があるからな。社会性動物の人間は他者の承認が無きゃやってけないんだよ。
他のことで称賛を得られるやつは良いんだよ。でもほとんどの人はそんなん無えだろ。勤め先の社名でチヤホヤされるのなんて20台までだぞ。
若い嫁、彼女ってのはこの承認欲求をほどよく刺激して満たしてくれるんだよな。
俺は周りの先輩への発言や態度が尊大過ぎて配属1週間かからずに「大嫌いな新卒のあれ」として会社中で有名になった(よくわからんけど自分が会社で一番のキレ者なんだろうなと思ってた。支社に電話かけて相手が出て名乗るなりよく怒鳴ったりしてた)。
これで優秀だったら若かりし頃の英雄譚にもなろうが、ガチで無能だったから恥ずかしい。
結果、1年目が満了した時点で左遷されてそこから15年経った現在に至るまで一度も浮上できていない。
年収はようやく500万に到達。
さすがに年の功で仕事は覚えているので若い後輩や同僚から憎まれたりはしていないが、思いっきりバカにされているのは伝わる。
ぶっちゃけそこに怒りは感じない。本当に自尊心を破壊されて丸くなったと思う。
一人がとにかく寂しくて無理で、休日を一人自宅で過ごすというのが考えられないという外向きタイプだったので、28歳あたりで婚活を始めてさっさと結婚。
人見知り全くしない性格と明るくハキハキした態度が功を奏した。
自分の人生には立身出世ルートが存在しないので家庭にエネルギーを全振りするのは自然な帰結だろう。
早速子供を2人作り、子育てに命をかけている。SNSは子供の写真と育児ネタと家事ネタの投稿で100%だ。
世帯年収は700~800万で今後大幅に上がることはないので都会で子二人育てるには正直心もとない。
だが、持ち家を諦め実家で親と二世帯で暮らしているのでかなりゆとりがある。父親の遺産もあるので家計の危機は訪れそうもない。
仕事も干されているので同じくらいの年齢の社員と比べて残業が異様に少なく本当に家庭に100%目を向けられる。
まあ親のレガシーのおかげでまるでエリートかのような充実した家族生活をできているわけだけど、俺みたいな奴は結構多いと思う。
でも俺は子にそういうものは残せん。
当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
実際は、報酬系動かないって認知とか自我とかそういう精神的な作用ほぼ全て阻害されるようなもんだぞ
反省、分析、思索、後悔、計画、自責、記憶、こういう心的機能が起こらなくなる
当然、納得も満足も経験されなくなる(それを体験する心が希薄になるから)
そうなると人生スパンで達成する目標とかに基づいて行動出来なくなるし
損得勘定も出来なくなる 世界ランクとかマウンティングやレスバに興味がなくなる
向上心・自尊心・射幸心・グリッド・レジリエンスなどのいわゆる非認知能力も全てオミット
社会性も無くなり他人と形成可能な関係がほぼ0になるか幼稚で非建設的で相互被害的でそういう悪い関係性しか実現できなくなる
自分を許したり許さなかったり、他人の落ち度を探したり自分の落ち度を探したり、こういう批判的な思考も起こらなくなる
自立心と自尊心のない女まじ無理だわ
「検索避けしてください!」
「R18を投稿するなら鍵かけてください!」
女オタク界隈には実に様々な内輪のルールが敷かれており、それを逸脱した人間は仲間内で晒し上げられ叩かれることになっている。
その内輪ルールは決して明文化されたものではない。公式の声明や各投稿サイトの規約にも書かれてはいない。
女オタク個々人の中でなんとなく醸成されたマナー、その最大公約数的な「空気」によって非常に曖昧に定められたものである。
男性オタクから見ると奇っ怪としか言いようのない女オタク界隈の内輪ルール。
この奇習は一体どのようなものなのか。どういう理屈でなぜ作られたのか。
・「検索避け」
・「カップリングの明記」
要は、「そのコンテンツを見て不快になる人に配慮しよう」という大義名分のもと様々なルールが敷かれているわけだ。
これだけ聞くと「良いルールじゃん」などと思うかもしれないがそうではない。
彼女らのルールは各サイトの規約等の上位として界隈内で君臨している。
Twitter上で成人向けコンテンツを投稿する際、投稿主は鍵垢でなければならないという内輪ルールだ。
男オタク諸兄は信じられないと思うが、女性向け界隈は「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎ルールに支配されている。
これは本当である。
絵に心得のある男オタクは、試しにディズニーツイステッドワンダーランドのエロ絵を描いてTwitterに投稿してみると良い。
「主人公(女)✕適当なキャラ」のエロ絵をそのキャラ名のハッシュタグを添えて投稿すると、すぐにお局腐女子オタクの襲撃を受けることができるだろう。
言うまでもなく、Twitterの規約上「エロ絵を投稿するときは鍵垢にしなくてはならない」などというルールはない。
しかし女オタク界隈ではそんな規約は無効とされ、「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎の因習が一般常識として語られる。
このとき、イラストのタグに「刀剣乱舞」と入れた場合、晒されて叩かれるおそれがある。
「なんで刀剣乱舞の二次創作で刀剣乱舞ってタグを入れちゃいけないの?」と。
だが、女オタク界隈には公式タグ、原作タグを使用してはならないという因習があるのだ。
刀剣乱舞の例では、BLに関しては「刀剣乱腐」、夢女子向けのものでは「刀剣乱夢」といったタグが使われる。
そもそも検索避けせずに原作名を書き入れることすら忌避されているのが現状だ。
Twitterにおいて刀剣乱舞のBL語りなり夢語りなりをしたい場合、「と/う/ら/ぶ」等といった形で表記しなければならない。
先に上げたディズニーツイステッドワンダーランドでは「twst」といった隠語が使われる。(淫夢語録かな?)
「原作者の目に触れないようにするため」
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
以下、男性オタク諸兄が思うであろう疑問、反論を代わりに書いておく。
「原作者の目に触れないようにするため」
・そもそも原作者だって自身の作品を検索したとき二次創作が表示されるのは織り込み済みなのでは?
・自分の作品のBLなりエロなりが見たくないならセンシティブ除外等の設定をして検索するのでは?
・自分の作品でエロ二次創作を作られたくないというなら二次創作の規約で禁止すればいいだけの話なのでは?
・それでもまだエロ絵が投稿されるなら通報すればいいだけの話なのでは?
・いずれにせよ原作者が二次創作についてどう思ってるかもわからないんだから勝手に作者の気持ちを忖度して意味わからんルールを敷くのは意味不明では?
・そもそもBLやエロが苦手ならそれらをマイナス検索すればいいだけの話では?
・マイナス検索の利便性の観点から言えば検索避けなんて逆効果にしかならないのでは?
・ネット検索したら不愉快なコンテンツを目にする可能性があるってのは常識では? みんなそれを了承したうえでネットを使ってるのでは?
・Twitterの規約には「不快なコンテンツに触れる可能性があることを了承してね」とあるんだしBLやエロを見て不快になりたくないならTwitterやめればいいだけの話なのでは?
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
・原作名で検索したとき公式以外のコンテンツも表示され得るなんて常識なのでは?
・検索する側もファンアートが出てくる可能性なんてわかっているのでは?
・仮にわかっていない奴がいたのだとしたら単にそいつが情弱のバカってだけの話であり配慮するに値しないのでは?
・そもそも今のGoogleの検索アルゴリズムから言って単語の合間に「/」や「.」を書いて検索避けしても意味ないのでは? 普通に検索にヒットするのでは?
「苦手な人に配慮しよう」というのは創作者側個人が勝手に判断するべきことであって、他人に強要できるルールではない。
女オタク界隈の「検索避け」「原作タグの不使用」「エロ絵の鍵垢化」等のルールは、他人に押し付けられるだけの理屈を伴っていない。
それはなぜなのか__。
「自分の好みでないカップリングの作品にうっかり触れてしまった」
「BLを漁っていたらうっかり自分の苦手な夢女子向けコンテンツに触れてしまった」
そんな状況のことを「地雷を踏む」などと言う。
まともな人間なら地雷を踏んでも見なかったことにして終わりだろう。
例えば「純愛もののエロ漫画を漁っていたらうっかり陵辱ものに触れてしまった」なんていうとき、男オタクの大半は好みでない作品をスルーしてさっさと好みの作品を漁る作業に戻るはずだ。
大半のオタクは多少傷心するだろうが「変わらずに推し続ける」「推し変する」といった選択肢をとって終わりだ。
無論、発狂して醜態をさらす過激派オタクもいるが、こういったキ◯ガイはTwitterにスクショを貼られて周りから馬鹿にされるのがオチだろう。
女オタクの中には「自分の好みの作品以外に触れてしまった」という程度のことで発狂し暴れまわるやつが非常に多い。
男オタク界隈でそんな醜態を晒せば当然Twitterにスクショを貼られて馬鹿にされる流れになるだろうが、女オタク界隈ではそうならない。
むしろ、「気の毒に」「わかる」「辛いよね」などといった同情と共感の声が寄せられるのだ。
そして「地雷持ちにも配慮があって当然」「傷ついている人がいるのだから配慮すべき」等の言説が優勢を占めて因習村ルールに繋がっていく。
そう、女オタク界隈には繊細厄介クレーマーを許容する土壌があるのだ。
「男オタク界隈は羨ましい。あんなふうにもっと伸び伸び創作活動をしたい」
最近、特に若年の女オタクがこんなことをつぶやいているのを目にするようになった。
女オタク界隈の因習を規定しているのは全体の1割の繊細クレーマーだ。(1割でも多すぎるほどだが)
そして2割の女オタクはこの繊細クレーマーを眺めるうちに「創作活動では他人に配慮しなければいけない!」などといった意識を内在化してしまったかわいそうな人たちだ。
そして6割の女オタクは内心繊細クレーマー共をめんどくさいと思いつつ叩かれるのは嫌なので渋々界隈のルールに従っている人だろう。
では残りの1割は?
実は最近、女オタク界隈でも「因習めんどくさい!」「明文化されてもないルールを破ったら晒されるとか頭おかしいのでは?」といった真っ当な声が聞かれるようになってきた。
これはおそらく、女オタクの地位が向上したことと無関係ではないだろう。
30代以上のおばさん腐女子は「BLは隠れて楽しむもの!」「夢創作は隠れて楽しむもの!」などといった「オタク趣味は隠れてやるべき論」を聞きながら育ってきた世代だ。
ネットサーフィンをしていれば女の欲望だだ漏れな女性向けエロ漫画の広告が普通に流れてくる世界になったのだ。
自身がオタクであること、腐女子であることを打ち明ける女性芸能人も数多くいる。
女オタク因習村の謎ルールは「オタク趣味は隠れてやるべき論」を背景に育ってきた。
そこに時代的な女オタク特有の要素__つまり、自己肯定感を育てられなかったかわいそうなカースト底辺女が、大人になってから「〇〇ちゃんが買い食いしてました!よくないと思います!」といった、あの頃のカースト上位女の真似事をして自尊心満たしたいという欲望__が悪魔合体して育まれてきたのだ。
だが、今ではオタク趣味は一般化しており、クラスのカースト上位者が腐女子でオタク趣味をやっているなんてことも珍しくない。
そんな抑圧のなくなった世界で生きてきた若い女オタクから、ついにこの奇っ怪な因習を打ち破ろうという意識が現れてきた。
10年後の女オタクは今のオタク事情を見て腹を抱えて笑っているかもしれない。
「え、検索避けとか馬鹿じゃん笑」「原作タグ入れないと検索のとき不便でしょ」
そんな真っ当で当たり前の声が大勢を占めていることだろう。
逆にいうと、この女オタクの因習も滅びゆく定めであるかもしれないのだから、堪能するなら今しかないという考え方もある。
社会性には二種類ある。一つは「筋を通す社会性」で、法律や礼儀を守り、社会のルールに基づいて適切な判断と行動をする能力のこと。もう一つは「妥協的な社会性」で、本当は筋を通したいが地位が低いため妥協するしかない種類の社会性である。
筋を通す社会性は自分の地位や人脈、能力の範囲内で発揮され、責任が重い仕事をしている人ほど求められる。一方、妥協的な社会性は地位が低い人ほど求められ、長期的には損をする行為である。
理想的には可能な限り筋を通す社会性を発揮し、必要に応じて仕方なく妥協的な社会性も発揮するのが健全な状況である。豊かな暮らしを実現するには筋を通す社会性が必要不可欠である。
過干渉ヒスママは筋を通す能力が低いため、子供に妥協的な社会性を求めてしまう。過干渉ヒスママにとって社会性とは「自分のご機嫌を取ってくれること」である。
一部の先生も妥協的な社会性を子供に求める。習っていない方法で問題を解いたら間違いとするなど、質の低い妥協的社会性を教え込もうとする。
このような環境で育つと、「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動すべきか」が分離してしまう。健全に育った人には理解できない、病的な発想になってしまう。
妥協的な社会性を発揮すると短期的には揉め事が減るが、長期的には損をする。筋を通せるなら通した方が良い。しかし、過干渉ヒスママに子供の意思を尊重するような高度な感情はない。
過干渉ヒスママや一部の先生から質の低い妥協的社会性を教え込まれた子供は、「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動すべきか」が分離してしまう病的な発想になってしまう。
筆者自身の経験として、勉強の無駄を省いて成績を上げたが、新しい先生から「手を抜きたいだけではないか」と言われ、反抗すると陰湿に虐められた。親も先生も言葉が通じないため、塾を辞めることができず、妥協的な社会性を発揮した結果、「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という発想になってしまった。
妥協的な社会性を身につけると、短期的には揉め事が減って得をするが、長期的には損をする。筋を通せるなら通した方が良いが、子供には人権がないため難しい。
困難な状況に陥ると、「自分に問題があるから困難な状況に追い込まれている」と考えてしまいがちである。しかし、これは落とし穴である。
「きっと自分がおかしいんだ」と思った時、寄ってくる人間は「だからお前はダメなんだよ」と説教したいだけのクズである。彼らは確実に勝てそうな相手を選び、マウンティングすることで自尊心を満たしている。
偉そうにしているが、冷静に彼らを見てみると大したことがない。筆者にマウントしてきた人物は、大学を留年しているくせに「高学歴の底辺よりFランのトップ」と言ってきたが、これは認知が歪んでいるから出てきた言葉としか思えない。
罠1で妥協的な社会性を植え付けられ、罠2でクズから説教されるため、底辺に陥った人間に必要なのは「周りの意見を無視して自分が正しいことをしてみる勇気」である。
自分に問題があると思うと自分を信じられなくなるが、そのような状況で自分に向けられるアドバイスはクズの妄言なので、自分の考えでなんとかするしかない。
まずは自分で考え、自分の考えの通りに行動することが重要である。その過程で適切な社会性を身につけることができる。そうすれば、バイトが務まる程度にはなり、普通に働ける程度にはなる。
人は自分の経験したこと以外は共感も理解もできないため、底辺に陥った弱者男性の状況を適切に理解してアドバイスすることは難しい。
機能不全家庭に生まれ、複雑性PTSDを抱えると人と関われなくなったり、社会生活が困難になったりする。そのような人が人間関係を築く方法は、人間関係を形成するときの目的に注目することである。
新しい環境に移動すると、初めは「新しい環境の人と仲良くすること」が人間関係の共通の目的になる。次に、「自分の趣味を共有したい」「自分の身に起こった面白い話を共有したい」などに移行する。
しかし、人間関係にブランクがある人は、「健全に生きてきた人が何を考えているか知りたい」「新しい人と仲良くしたい」といった目的で止まってしまう。そのため、最初は仲良く話せても人間関係が続かなかったり、ぎこちなかったりする。
人間関係を形成するときは、相手との共通の目的を持つことが重要である。目的に注目することで、人間関係の改善が期待できる。
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素直に読みづらかったのでClaudeに突っ込んだ。満足。
健常な親はそういう子どもの尊厳や権利を傷つける言動をそもそもしないんです
『みんなカジュアルにするよねー』『そういうこともあるよねー』じゃなくて、
『そもそもしない』んです。貧乏人の周りには貧乏人ばかりなのと同じ類いの話
こども家庭庁の配布しているパンフレットとか自治体の児童支援を一読すると良い
▼たたかれていいこどもなんて、いないんだよ
▼目黒区
ただ、自分の親が底ではないと知って、自分の幸運に感謝することは非常に大切なことではあるよね
ワイの家はフリーダムな両親だったし、家庭が荒れている子たちが知り合い・友達だったので、
ブクマカやブクマカ兼ねている増田を見るまでは、底辺だと思っていたんだが、ぜんぜん底じゃなかったよね。認識が甘過ぎた
5ch見ててあまりに辛いから移住してきたけど、まぁ増田もはてブも酷い
共感性が低いので、本当の意味ではぜんぜん腹落ちはしていないかもしれないが、
自己肯定感をバッキバキに折られることが、情緒不安定な親のご機嫌伺いを常にしないといけないことが、
色気付きやがってとか不細工のくせにと自尊心を傷つけられることが、
どれだけ大変なことで、どれだけ人生の大きなデバフとなるかは、
なんとなく理解したつもり
他人に対して「低脳無能バカ」といった否定的な言葉を使う場合、それは異なる種類の精神医学的問題や心理的な動機を示唆する可能性があります。このような言動は、対人関係における問題、攻撃性、あるいは他者に対する過度の批判性や支配欲を反映していることがあります。
1. **攻撃性や敵意:** 他人を侮辱することは、攻撃性の表れであり、敵意や怒りの管理に問題があることを示しているかもしれません。これは、ストレスやフラストレーションの処理方法として、他人を攻撃することで自己の感情を解放しようとする心理的な機構かもしれません。
2. **対人関係の問題:** 他者を侮辱する行為は、対人関係の構築や維持において問題があることを示唆しています。これは、自己中心的な傾向、共感の欠如、または他人との関係における不安や恐怖から生じることがあります。
3. **自尊心との関連:** 他人を貶めることで自分を優位に立たせようとする心理が働く場合もあります。これは、実際には自尊心が低く、他者を下に見ることで自己評価を守ろうとする防衛機制の一形態であることがあります。
4. **学習した行動:** 家庭や社会環境で否定的な言動が常態化している場合、それを模倣する形でこのような振る舞いを学習することがあります。この場合、攻撃的言動は、問題解決や対人関係のスキルが不足していることの表れかもしれません。
5. **ナルシシズムやパーソナリティ障害:** 自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害など、いくつかのパーソナリティ障害では、他者に対する批判や攻撃性が顕著に見られます。これらの障害は、自己中心的な行動、共感の欠如、他人への無関心や搾取的な態度を特徴とします。
このような振る舞いが見られる場合、精神保健の専門家に相談することが重要です。専門家は、背景にある原因や動機を理解し、適切な治療や介入を通じて対人関係のスキルを向上させ、攻撃性や敵意の管理方法を提供することができます。
カネを稼ぐだけで自尊心を保てるメンタルあるいは女なら結婚して子供を持てればいいけど
トランス女性の女子スポーツ参加や女子トイレの利用に肯定的な立場を支持する論理はいくつかあります。まず第一に、トランス女性は自認する性別と同じ権利を持つべきであり、その権利の一つが同じ性別の人々と同じ環境で運動や日常生活を送ることです。このような包括的なアプローチは、トランス女性の心理的な幸福感と自己実現に寄与します。さらに、トランス女性が女子スポーツに参加することは、彼女たちにとって重要な健康上の利益をもたらす可能性があります。運動は健康的な生活を支え、自尊心や社会的結びつきを促進するため、トランス女性が適切なスポーツ環境で活動することは、その健康と幸福にとってプラスに働きます。さらに、トランス女性は自分自身を安全かつ快適に感じる場所でトイレを利用できる権利を持っています。性別に関わらず、個々のプライバシーと安全を尊重することは、人権と尊厳の基本的な原則です。トランス女性が女子トイレを利用することを認めることは、彼女たちの人権を守るだけでなく、社会全体の包摂的な価値を示すものです。
これはネタ・煽り抜きそう。ガチャ大当たりだからマジで感謝しような
ワイの家はフリーダムな両親だったし、家庭が荒れている子たちが知り合い・友達だったので、
底辺だと思っていたんだが、ぜんぜん底じゃなかったよね。認識が甘過ぎた
5ch見ててあまりに辛いから移住してきたけど、まぁ増田もはてブも酷い
共感性が低いので、本当の意味ではぜんぜん腹落ちはしていないかもしれないが、
自己肯定感をバッキバキに折られることが、情緒不安定な親のご機嫌伺いを常にしないといけないことが、
色気付きやがってとか不細工のくせにと自尊心を傷つけられることが、
どれだけ大変なことで、どれだけ人生の大きなデバフとなるかは、
なんとなく理解したつもり
使う言葉でのチョイスでdisコミュニケーションが起きているのではなくて、人間性と体調の問題でdisコミュニケーションが起きているので意味ないと思う
なんでもかんでも傷つきました・ムカつきましたってやってるのは、自尊心が極めて低いか、メンタルの調子が悪いからだと思うので、言葉を好みに整えた程度でさほど変わらないと思う
そんなつもりはなかったんだけどってやってるのは、相手を尊重する気がない・気遣う気がないだけなので、表現が柔らかく丁寧になったところで本質は何も変わらない
極論、シンハラ語と日本語を話すモノリリンガル同士でも、誠実に時間をかければ、よほど抽象的か専門的な内容でもなければ話は通じる
単純に、自尊心が低い、メンタルの調子が悪い、相手を尊重する気がない、気遣う気がないから、disコミュニケーションが起きている
おまえ、「ソースどこ?」とほざくやつのことをわかっちゃいない。
やつらはソースをもとめているわけじゃない。ただおまえを挑発し、優越感にひたりたいだけなのだ。データを叩きつけても、やつらは目も通さず、言葉尻を捉えて揚げ足を取り、おまえを煽るだけだ。
なぜなら、やつらにとって大切なのは真実を探究することではなく、おまえを打ち負かし、自尊心を守ることなのだ。
メキシコの砂漠では、虚勢を張る弱き者がはびこっている。やつらは己の非力さを知っているがゆえに、他者を引き摺り下ろすことでしか自信を得られないのだ。
データの山を叩きつけるな。それはやつらの求めているものではない。ただ、強く生きろ。己の言葉に嘘偽りなく、まっすぐ生きるのだ。
それが、やつらに打ち勝つ唯一の方法だ。真の男として、胸を張って生きろ。
おまえにできることは、それだけだ。