なんだかよくわからない基準でよくわからない名前の賞を授与されていた。
渡す側が一番楽しそうだ。気持ち良さそうなオナニーだ、よかったな楽しくて。
私は誰かに『選ばれる側』に回るのが嫌いだ。ひいては『誰かを選ぶイベント』も大嫌いだ。
理由は当然「いつも自分は選ばれなかったから」だ。つまり私怨だ。
就活では何十社も受けて何十社も落ちた。最も景気が良いと言われていた時期にだ。
実のところ、誰かに「自分を」選ばれるような仕組みでなければ得意だという自負もある。
成果物を作ることには自信がある。卒論はゼミで一番よくできていると言われたし、数千人に一人レベルのコンテストで受賞したこともある。
だから厳密には「人間を審査して選ぶというイベントが嫌い」なのだろう。単に自分が苦手なことを嫌っているだけ。
だが、実際それが嫌いな人は少なくないのではないだろうか。
なぜなら「選ばれる側」は常に少数なのだから。大多数は「自分が選ばれないとわかっていて選ばれない」という結果を突き付けられるだけだからだ。
『就活が好き』だなんて変人は、就活でいくらでも望む内定を取れた上澄み1%未満だけだろう。
成果物系の選考も嫌いな人だっているはずだ。むしろそちらにも共感する。当然、無様に落ちた経験だって何度もあるからだ。
「人が人を選ぶ」という行為は傲慢で、おこがましい。それがシステム上必要だとわかっていてもだ。
それならまだしも、「人が人を裁く」という行為の方が理解できる。罪に対する罰。それは、そうあるべきだ。自分が対象となるとしても、納得できる。
だが……「人に選ばれる(選ばれない)」という行為は、罪も犯していないのに罰を受けるような気分になる。
なぜ選ばれなければならない? ふざけるな。
まぁ、それが嫌なら「選ばれない」立場になるために起業でもしろという回答にはなるのだろう。それは正論だし、自分でもそう思いはする。
ただ、今ここで書きたいのは正論でもなければ対策でもない。『選ばれる側』という状況がとにかく嫌いだと叫びたいだけだ。
その点において、数値式のテストは好きだ。
機械的な基準が明瞭で、それに従えば絶対に受かるか落ちるかに二分される。正当で迷いがなく、疑う余地もないし、何をすれば結果がどうなるかもすぐにわかる。
人間などという曖昧なものに意図的に選別をされるぐらいなら、数字によって結果が出る方が遥かにマシだ。
自分より能力が高かろうが、低かろうが、同じくらいだろうが、人間なんてものは曖昧で適当だ。
認識は不完全で、やり方は千差万別で、条件と与える情報次第でいくらでも結果が覆ることをよく知っている。別に、それはいい。人間の長所も短所も、それ自体はいい。
だがそれに選ばれたくはない。審査機構として、人間はあまりに不十分すぎる。
選ばれる側に回るのが嫌いだ。
ただそれだけの話。
2022-10-26
「他人に選ばれる」っていうことは「他人に求められる」ってことと同義やからな。能力に自信はあるのに誰にも求められないことが不満なんでしょ?
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本当に「俺の作ったやつが一番面白いのに、この場のプレイヤーどもは何もわかってねぇ!!!!」と思ってるならそんなセンスのない連中に「選ばれたい」なんて思わないんだよなあ
ボドゲには対戦相手しか居ないんだから、そいつら以外に認めたり認めなかったり出来る存在はいないのだ。 現実世界でもだいたいそうだぞ。 他に審査してる場所があるなんて幸...