はてなキーワード: 矍鑠とは
四十年勤め上げた會社を退職し、
何やら張り合いの無い日々を送る内、
大學生の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」
當初は「こんな電腦掲示板、何たる幼稚加減」と
罫線と記号とを組み合わせて描出した
食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」
と獨りごちることも屡々。
すつかり虜となつた今では、孫の部屋から
その餘りに理不盡な經緯に憤慨し、
と熱辯を振るって呆れられる始末。
他方、商賣女の如き面相をした女學生ブログ主と
貪婪に肉欲を貪っていると覺しき
何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と言われているようで愉快極まりない。
コテハンに出會える日を樂しみにしつつ、今日もデスプレヱに向かう。
弐ゲツト
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
母が脳腫瘍に倒れた。父は警備のアルバイトを辞めて、母の看病というか、介護に尽くすつもりらしい。がん保険にも入っておらず、両親とも大した貯蓄もない。
彼らを眺めていて気になるのは、この世代の備えるチカラの無さだ。車椅子のことすら想像していない階段だらけの家、ローンははおろか、車検代、消耗品代、ひいては燃料代さえ払えるか疑問なハイオク車。
自分の家庭だけかと思っていたが、両親が怪しくなってから注意するようになってみると、何処の家庭にもある。これらは高度経済成長期からバブル景気の頃に社会人を経験した世代の負の遺産だ。
とうぜん彼らが健康を損ねれば、それを支えるのはその子ども達だ。
彼らは、自分が未来永劫健康で、最期の瞬間まで矍鑠(かくしゃく)と生活できるものと信じている。
だから、車のローンを子供が肩代わりするだとか、通院の毎に子供が仕事を休んで階段の上り下りを補助するだとか言った将来をまったく想像していない。
彼らのような世代を生んだのは、高度経済成長、そして退職前に味わったバブル経済の雰囲気にほかならない。
当時は高卒ですら入社して一年目から賃金が支給され、驚くことに賞与まで支給される者もいたらしい。
その後も常に右肩上がりの経済を経験、かれらの両親は常に健康で、ある日突然に亡くなり、退職金だけで住宅ローンの相当量の返済が終わっていたのだ。
あなた方のような世代、つまり借金まみれで大学院を修了して、ようやく職に就き、そこから耐えること2年目頃にやっと賃金の支給が始まり、博士号がなければ賞与はなし、博士号があれば今度は職がなし、退職金など夢のまた夢の人々からすれば、団塊世代は正に黄金世代であった。
当然、このような時代を過ごした団塊世代に、将来に備えるという習慣などない。更に運の悪いことに、彼らの過ごした時代は女性の社会進出もどきが進み、企業が女性をどう扱っていいかわからないまま雇入れ、もてあそんだ時期に当たる。
企業は若い女性にどのように働かせてよいか解らず、簡素な仕事を割り当てて男性に比肩する賃金を払い続けた。しかし、女性は重責を負う立場まで昇進することなく家庭に入る。
すると彼女らは、世間の男性も自分たちと同じように、お茶くみや領収書の検算、社内郵便係をして一日過ごしていると勘違いし始める。このなまじ中途半端に働いていた団塊世代の女性は、たちが悪い。
家庭に入った元・社会人もどきの女性たちは、自分が世間並みの苦労をしてきたと勘違いしたまま、家計を握る。暴君の誕生だ。
彼女らは、夫が健康に稼ぎ続け、夫は大した苦労もなく稼いでると思い込み、65歳を超えても同じ待遇で再就職すると信じ込んで、夫の僅かな稼ぎを使い込む。
挙げ句に海外旅行、高額な(自称)無農薬・有機野菜の通販、階段だらけのうさぎ小屋、年をとったら使いこなせない分不相応な高級乗用車……次々と浪費をし続ける。
矍鑠としたおじいさんだなあ
進学で早々に家を出てしまったけど、同居の祖母には色々と世話になったので、過去に何度か医者に「いよいよ危ない」といわれた時には慌てて帰省していたけど毎回持ち直していたので「お前の顔が見たくてだ」なんて笑っていた。
最後は自宅で面倒を見ていた祖父と父に看取られて亡くなったそうだ。
人が死ぬってあっけないんだな。
虫の知らせもなかったし、夢枕に立つなんてこともなかった。
このご時世に大往生というには早いけどそれなりの歳だったはずなのに、社交的な祖母を偲んで集まってくれた同年代の祖母の友人たちはまだまだ矍鑠としていたので、ますます祖母が死んでしまったのが不思議に思う。(祖母より先に死んでる祖母の友人もたくさんいるんだろうけど)
家族の誰よりもいい笑顔で写っていたその写真を、藤色の着物を着たように加工してもらった。当時のデジタルデータが残っていたせいもあるのかわからないが1時間せずに出来上がったのにはびっくりした。
写真からいつもの笑い声が伝わってきそうだ、なんて弔問客からも評判が良かった。
祖父含め家族全員が身内で葬式を主宰するのが初めてで、いろんなどたばたがあって、今こうして帰宅するまで全然悲しむ余裕がなかった。
今になってもう会えないのか…と悲しくなってきた。
とはいえそう頻繁に会える距離でもないし、人の望み通りには生きられないし、都度都度悲しむしかないんだろうな。
母方の祖母からは「赤飯を買って食べろ」「これは嫁の実家のつとめだから」と千円札を握らされたのだけど、ちょっとボケ始めているせいもあってどういう謂れのある行為なのかがはっきりしない…
母親は「精進落としの赤飯は聞いたことあるけどそんな決まりは知らない」らしい。
そういう田舎の話ももっと聞けたら楽しかっただろうけど、もう遅いし、人生には限りがあるし、もっと優先したいことがある。
生きてても死んでもいろんなことがあるんだなー
おばあちゃんは現世では矍鑠とした姿だったけれど、天国では火鉢の前で暖を取りながら「よく来たねえ」と言った。
おばあちゃんは中国から初めてパンダがやってきたときのことを話し始めた。
おばあちゃんのまわりでは最初「中国から龍がやってくる」という噂が流れたという。おばあちゃんは「バカか」と思っていたけれど、おじいちゃんが「うちも中国から龍を譲ってもらおうや」というホラを吹き始めたので、龍を探す冒険物語をふたりで語り合ったという。上野動物園にパンダがやってきたときは、ふたりで大笑いしたという。
おばあちゃんはそう言ったけれど、僕は龍の話が面白かったから、続きを聞きたいと言った。パンダは写真で見ただけで充分だと思った。
上野動物園にパンダが来たと聞いたおじいちゃんとおばあちゃんは、龍が来るなんてとんでもない嘘だった、きっとタヌキにでも化かされたんだろうというオチをつけたという。おばあちゃんは「タヌキなんて食べてしまいましょう。」と言って「緑のたぬき」を出してまた笑ったという。
夢から覚めて天国のおばあちゃんと話したことを話したら、家族みんな大笑いしていたけれど「現実のおじいちゃんとおばあちゃんもこんなに仲が良かったのかな」と尋ねると、おじいちゃんは戦争のときに死んだだろうと指摘され僕は精神病院に行くことになった。
私の家族や親類はみんな優しい。世間にありふれた問題はいくつか抱えているものの、ほんとうにいい人がばかりだ。
けれど、腰を曲げてなお矍鑠と動き回っていた祖母は、認知症が進行したのと足を悪くしたので毎日同じ文句をテープのように繰り返している。毎夜陽気に飲み歩いていた父は、物忘れをするし、弱音も吐くようになった。毎日アホみたいにふざけあっていた母は耳が遠くなり、小さい頃から映画やゲーセンに連れて行ってくれたおばは持病が悪化して手の感覚がなくなってきた。いっしょに登山やキャンプにも行った犬は、便失禁などを起こし、白内障も患っている。
もっともっとたくさん、お世話になっている人はいて、その人たちがみんないつか死んでしまうと思うと、すごくつらくなって、声を上げて泣いてしまう。
終わりがあるから輝ける、みたいなことを言う人もいるけれど、その輝きの尊さがやっとわかってきたころに終わりが見え始めるのなんて、つらすぎる。楽しい時間を過ごすと、また悲しくなる。私の記憶の中の輝きを保って、どうかそのまま死なないでと思う。
僕のような若造からすれば、雲の上におわすような仕事をされてきたお方なのだが、
先日また酒宴の末席を汚す機会に恵まれて、いろいろお話を伺うことができた。
その後、縁あって彼が昔関わった仕事に関わることになったのだが、
何故か、とてつもなく寂しく、そして怖くなった。
というのも、八月のパーティー以降、彼の昔日の仕事仲間が相次いで亡くなったからだ。
これほどまでに当てはまるのかと驚きを禁じ得ないほどの活力を漲らせているものの、
彼も八十近く、いつ亡くなってもおかしくない。
僕が関わることになった仕事は一~二年はかかるプロジェクトだ。
彼が亡くなってしまう前に完成するだろうか。
人が死ぬのが怖いと、初めてリアルに思った。
三十年生きてきたが、幸か不幸か身内の葬式は一度しか経験していない。
十年前、大学に入る直前に祖母が亡くなったきりだ。
思えば、いつ亡くなってもおかしくない年齢の人と知己を得たのは初めてだ。
そしてその人に捧げうる供物を用意できそうなのも。
先人達が築いてきた業界に、業績に対して、何かしら恩返しができればと常々考えている。
それがたとえ名前が出るところではないとしても。
しかしいざ表だってできる立場になると、
しかもその大恩人を目の前にすると、奇妙な戦慄に襲われる。
あなたの仕事を待っている人は、本当にたくさんいるのです。
先に逝った盟友と酒を交わすのは、まだ早いですよ。
何故人は死ななくちゃならないのだろう。
アスファルトに無残に散る桜の花弁を、踏み締めながら思う。
私はNEETである。人の慈悲にすがりながら生きている。そんなのと関係あるようなないような日記だ。
昨日、土曜日のことだ。よく晴れていた。桜は満開だった。街路の花はどれも鮮やかで、目に染みるようだった。
そんな素晴らしい天気とかには関係なく、体力のめっきり衰えている私はバスの座席に腰掛けて揺られながら病院へ向かっていた。脱NEETの為の精神科だ。
土曜日の昼間とあって、中心地に向かうバスには乗客がだんだん増えてきた。バスの座席がすべて埋まった頃、年配の女性が二人乗り込んできた。
一人は杖をついてよろよろしており、あきらかに席を譲った方がよい。もうひとりは矍鑠としているが、白髪で、席を譲ると憤慨するかもしれないお年頃にも見えた。
とりあえず、杖をついてるほうだ。杖をついてる方に席を譲らなきゃ。そう思うが、冷や汗が出て話しかけられない。後頭部も何だかしびれだした。
こういうことを病気のせいにするのはどうかと思う。人としてどうかと思うが、でも結果として他の人が先に杖の婦人にスッと席を譲った。しかも譲った人も50〜60歳に見える。私は落ち込んだ。
でももう一人の老婦人には誰も席を譲る気配がない。断られるのを覚悟で、話しかけてみた。
「あの、おっ、おいやでなければこの席どぅ・・」
めちゃくちゃ噛んだ上に語尾が消えた。キモイ。我ながらキモすぎる。なんだ「どぅ」って。しかもどんだけへりくだってんだ。ちょっとやり過ぎだ。やっぱり私は落ち込んだ。
「ありがとう」と婦人は座った。私のキモイ所作は全部スルーで。立派。立派過ぎ。もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。
思い出しながらまた落ち込んできた。世の中の人はほんとにみんな立派。そして私にはボキャブラリーがない。何回立派って使ってんだマジで。
で、その立派な婦人は、「ほんとにありがとうねえ」と両手いっぱいのキャンディを私の手に押し込んできた。
「いやあのこんな、いや、ありがとうございます」断ろうかどうしようかもごもご言ったあげく結局受け取った。なんか気まずくて、譲った座席のひとつ前に立った。
次のバス停で、二人の子供を連れたお母さんが乗ってきた。どちらも就学前くらいの幼さ。妹の方はちょうど空いたが、お兄ちゃんの方は席が見つからず、なんだかごねていた。
その次のバス停で、私の立つ横の座席の人が降りた。私はその席には座らなかった。
だってもう譲ったりするの面倒すぎたから。耐えきれない耐えきれない。おそと出るだけで怖いのに見知らぬ人と会話とかこれ以上無理。
そしたら、さっきの子供(兄)が座った。よかった。これでもう面倒ごとない。と思ったら、そのお母さんが話しかけてきた。「ありがとうございます」って。
「あ、いや、あの、もともと私の席じゃないです」って答えた。意味が分からん。お母さん律儀すぎだろう。バスの座席は早いもん勝ちだろう。そもそも私譲るみたいなことしてないだろう。私立ってただけ。ぬぼーっと立ってただけ。その子が座れたのは彼の空気読解力が高かったおかげであって、私何にもしてない。「お姉さんにお礼言いなさい」とかそういうのほんと、結構なんで。にも関わらず子供も「ありがとう」って言うの。なんか賢しげな満面の笑みで。引きつった笑顔しか返せなくてごめんね子供。
で、もうなんか、ほうほうのていでバス降りた。なんで病院行く前からキャパオーバーにならねばならんのか。
しかもその状態で病院に行ったら薬が増えた。なんか世の中に適応するどころか悪化してく病状にまた落ち込んだ。
もういっぱいいっぱいだったので、帰りは歩くことにした。なるべく人通りの少ない通りを選んで。そうすると、土曜の昼間の繁華街を歩くことになる。繁華街って書くと賑わってるみたいだけど、ぶっちゃけ風俗街だ。九州最大だ。昼なのに余裕で客引きがいる。暇そうに立ってるケバいおばちゃんは、噂によると、ほんとに天国のお使いらしい。本番天国へのお導きの。噂によると、ってか私が元気だった頃に本人から聞いたんだけど、噂ってことにしとかないと多分怒られる。誰にかは分かんないけど。
で、花壇があったのね、風俗街に。なんか一個だけぽつんとあって、でも華やかに寄せ植えされてたからこりゃ珍しいと思って写メを撮ったら、後ろから話しかけられた。
振り返ったらテンションのたっかい客引きのオッサンがニッコニコしてた。
「あ、いや奇麗だったんd・・・」やっぱり私の語尾はキモく消えた。
「そうですか!僕のポケットマネーでここ植えてるんですよ!イヤー嬉しいなー!」オッサンハイテンション。ハイテンションオッサン。
「ここ、ここだけちょっと寂しくなってるでしょ!」「・・あー、そうかもしれません、ね・・・?」正直オッサンの言ってることよく分からなかった。
「ここにねー、紫陽花を植える予定なんですよ!咲く頃になったら是非また見に来てくださいね」「あ、え、はい、じゃあ・・・」適当に同意してそそくさ逃げようとしたら握手を求められた。人生で初めて、風俗の客引きのオッサンと握手した。きっと二度とない経験だけど、嬉しくなかったし感動もしなかった。握手して今度こそそそくさ逃げた。
一度振り返ったらオッサンこっち見てて、にこやかに小さく手を振ってきた。皇族か。
疲れきって家についてちょっと考えた。こういう類のエピソードが2ちゃんコピペなんかで「和む」って紹介されてるのをよく見るけど、和む受容体がない私のような人間には、ひたすらに疲れる出来事ばかりだったなと。きっとこれらに和めたら、和む記録を蓄積してナゴムレコードになれるのだろう。