2009-04-20

何故、人は死んでしまうのだろう。

縁起でもない話なので、増田で書いてみる。


昨年の八月頃、とあるパーティーでさる老紳士と知己を得た。

僕のような若造からすれば、雲の上におわすような仕事をされてきたお方なのだが、

先日また酒宴の末席を汚す機会に恵まれて、いろいろお話を伺うことができた。

その後、縁あって彼が昔関わった仕事に関わることになったのだが、

何故か、とてつもなく寂しく、そして怖くなった。

というのも、八月のパーティー以降、彼の昔日の仕事仲間が相次いで亡くなったからだ。

矍鑠という言葉が、

これほどまでに当てはまるのかと驚きを禁じ得ないほどの活力を漲らせているものの、

彼も八十近く、いつ亡くなってもおかしくない。

僕が関わることになった仕事は一~二年はかかるプロジェクトだ。

彼が亡くなってしまう前に完成するだろうか。

人が死ぬのが怖いと、初めてリアルに思った。

三十年生きてきたが、幸か不幸か身内の葬式は一度しか経験していない。

十年前、大学に入る直前に祖母が亡くなったきりだ。

思えば、いつ亡くなってもおかしくない年齢の人と知己を得たのは初めてだ。

そしてその人に捧げうる供物を用意できそうなのも。

人達が築いてきた業界に、業績に対して、何かしら恩返しができればと常々考えている。

それがたとえ名前が出るところではないとしても。

しかしいざ表だってできる立場になると、

しかもその大恩人を目の前にすると、奇妙な戦慄に襲われる。

先生一年、二年といわず一日でも長生きしてください。

先生はまだなすべき仕事がたくさんあります。

あなたの仕事を待っている人は、本当にたくさんいるのです。

先に逝った盟友と酒を交わすのは、まだ早いですよ。

何故人は死ななくちゃならないのだろう。

アスファルトに無残に散る桜の花弁を、踏み締めながら思う。

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