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---折り返し---
か?
今日の皐月賞を制した横山武史騎手が天皇賞春を勝てば、祖父・富雄 (メジロムサシ)、父・典弘 (サクラローレル、イングランディーレ、ゴールドシップ) に次ぐ父子3代制覇だな。
おぉ、富雄の勝利は第63回、典弘は第113回、そして今年は163回...。25年周期、あるぞ (天皇賞は春秋通算でカウント)。
他にも、騎乗予定のウインマリリンが勝てば、父スクリーンヒーローにとっては、モーリス、ゴールドアクターに次ぐ3頭目のGI馬、グラスワンダーからの父子3代GI制覇、馬主の、故・岡田総帥の3男率いるウインレーシングクラブにとってもウインクリューガー、ウインブライトに次ぐ3頭目のGI馬、などなど。
競馬って、馬そのもの、その馬を擬人化したキャラクター、騎手、牧場、血統などのドラマ、そしてAIなどの理系的な楽しみなど、とても多面的な遊びだけど、ほかに、こういう「サイン馬券」という、こじつけによる言葉、数字遊びもあるんだよ。
年間7000頭以上生産される競走馬のうち、天寿を全うする事が出来る馬は1%、競走馬以外の形で第二のキャリアを過ごせる馬が10%くらいと言われている。
Q、残りの馬はどうなるのか?
A、「肥育」=つまりは食肉になる
馬はたしかに可愛いが、牛だって豚だって知能もあれば感情もある可愛い動物だ。だから、可愛い馬を肉にして食うなんてとんでもない、などと寝言を言うつもりはない。
馬主=飼い主には、動物愛護法に則って命を責任をもって養う義務があるのだ!最後まで飼えないのなら飼うな!などと犬猫と同じような理屈(それはそれで正論だが)を言う気もない。
馬を飼育するための費用は膨大で、牧場などに預託する場合は、1頭につき年間100万円近くを要するし、広大な土地も必要であり個人で飼育する事は多くの場合難しいだろう。
しかし、引退する競争馬と他の食肉になる動物たちの違いは、競走馬には自分自身で人間なんかよりも大金を稼いで来たし、これからも馬として働いて稼げる可能性をもっているということだ。
馬たちの持つ経済力や可能性を活かして、馬たちの福祉に利用する道が拡大できないのか?ということを考える方がいい。
年間7000頭もの競走馬は、全国に800ほどある生産牧場で誕生する。
牧場が生産した競走馬の余生を過ごさせることが出来ればいいかもしれないが、生産牧場も非常に厳しい。2000年初頭には1600くらいあった牧場が、この20年余りでおよそ半分にまで減少している。
競走馬は、飼育している牝馬に数千万~数十万円もする種付け料を支払って交配する事で生まれる。セリに出すまでの2年間に、生産から競走馬としての基礎を調教されるが、
仮に1頭に生産者1人が付きっ切りで面倒を見た場合、人件費2年分が乗る形になる。
セリ市は、毎年高値が出たと報道されるセレクトセールとセレクションセールがあり、それぞれ平均売却値が異なるがセレクションセールでの売り上げ平均額1400万程度となることも多い。
飼育に必要な費用や設備投資資金、2年と言う歳月を考えれば、1400万円は高いとは言えないだろう。生産者が全ての引退馬のことを考える余裕はないはずだ。
大きなファームともなると、有力馬を生産し、著名なレースを勝ち1億円以上の賞金額を稼いだ功労馬を繋養していることはある。
種牡馬や繁殖牝馬を引退し、馬主と牧場に多額の利益をもたらすと同時に自らの老後の資金をも稼いだ馬たちだけが、
清潔に保たれた専用の馬房と広大な放牧地を与えられ、時折訪れる往年の競走馬時代を知るファンたちに敬愛の眼差しで愛されながら余命を全うさせてもらえる。
競馬ファンから気にかけられる成績を残せなかった馬たちの中にも、馬主が年間100万円以上にもなる預託料を支払って、養老牧場で過ごさせてもらえる馬主に恵まれた幸運な馬もいる。
預託料の相場としては年間60万円~120万円くらいといったところのようだ。個人で馬を飼育しようとすると、牧草をロット単位でしか売ってくれず割高になるというが、月々8万円くらいらしい。
牧場でまとめて購入する場合は安くなるとしても、日々のケアにかかる時間と手間を考えたら1頭当たりの月々の手間賃は高くはない。
受け入れれば長期に渡って、安定した売り上げが期待できるとは言え放牧地や厩舎を用意するなら、仔馬の生産に使った方が利益になるし、養老牧場は生産者の善意や馬への愛情で成立してるようなものだろう。
同様に馬への愛情や善意のみで成立しているものにNPO団体や、馬と関係があった人、担当厩務員や調教師など、が立ち上げた「○○の会」の様なグループも存在する。
共通するのは一口数千円/月の会費や寄付金によって年間100万円にもなる預託料を得て養老牧場で繋養してもらうという方式だ。
具体名はださないけど、某地方競馬場で連敗記録で有名になった馬も現在はかつてのファンの善意で老後を過ごしていたりする。
NPO団体の会計をみると、100万円のうち会費と寄付で40万円、助成金で60万円ほどを得てギリギリで回していたりするので、こうした事業も難しいのだろう。
競走馬というのは、非常に気性が激しくて速く走る為の訓練を受けているアスリートで、これをすぐさま乗馬にするということは難しいらしい。また全ての馬が乗馬にむいている訳でもないとも。
かつては数億円を稼ぎ、種牡馬としても活躍した馬が、最後に乗馬として売られる事も珍しい話ではない。非常に幸運な馬になると、警視庁騎馬隊の乗馬に転身することもある。
乗馬になる馬は、乗馬クラブなどに1頭あたり200万くらいで競り落とされて、そこで訓練を受けたりするようだ。
岡山には引退馬の乗馬訓練を行って、それをオークションで販売しているような乗馬クラブもあったりするそうだ。
誘導馬として、あるいは観客をもてなすマスコットとして、競馬場で働いている馬もいる。これは本当にまれなケース。
ただ、東京競馬場には、誘導馬や乗馬を含めて40頭程度が生活している。JRAも、引退馬の事はかなりきにかけているのだというのが分かる。
馬事学園や、全国の農業高校、競馬学校などで、教育目的で学生が実習に使う馬もいる。それも決して数としては多くない。
ざっとこんなところか。
7000頭も毎年生産されるのに、馬として最後まで人と共に生きる事が出来る馬は少ない。多くは馬肉になるという現実を知って競馬への接し方や見方は変わってしまうだろうか?
馬はとても可愛いし、賢い動物だ。俺は馬が好きだし、競馬も好きだけど、だからと言って馬肉を食べる事を否定しない。
今後、1頭でも多くの馬が最後まで生きていける為に、人間はどうすればいいのだろうということを考えてしまう。競馬なんてなければ・・・本当は一番なのかもしれない。
だが、農耕馬だって、財布にされるために殺される現実もある。きっと人間の都合で殺される馬がゼロになる事はないんだろう。でも、1頭でも少なくなればいい。俺はそう願ってる。
馬券の販売価格に初めから引退馬の繋養費用に使う金を10%でも20%でも乗せてもらってもいいくらいだし、競馬ファンとしてはそれくらいはしたいって気持ちもある。
そのお金で、海外にでも繋養できる土地を持って、最後まで命を全うさせられる頭数だけを毎年生産するように生産を絞る。それくらいはしてもいいと思うよ。
https://www.youtube.com/watch?v=r2WQDU8DWpo
https://www.youtube.com/watch?v=HVUKxeKg4WQ
https://www.youtube.com/post/Ugy0cAotnX2VihLwTEB4AaABCQ
・最初から最後までほんとに何がしたいのか何考えてるのか分からないだけだったわ
・最後の最後まで何が気に入らなくて噛みついたのかが一切解らないのが一番怖い
・ムカつく訳でもなくただただ怖い
・喧嘩一方的に売って都合悪くなったから動画消しました。謝罪文出したけど批判多いから消しました。改めて謝罪文出しました。普通にやってることやばいだろ
・ジャンゴ「謝罪?謝罪ってなんすか」 関係者一同「だめだこりゃ笑」
・炎上してしまった際に最悪の選択肢を選び続けたらこうなりましたみたいな状況になってて草
・謝罪までが遅すぎましたね。コミュニティで自分が悪いに50%近く出されていた段階で即謝罪するべきでした
・私は忘れてないですよあなたが消した動画のタイトルには『3/31まで公開』と書いてあったことを
3/31まで反省も謝罪もする気が無かったって事じゃないですか
動画削除予定を立てて保険をかけておきながら、あまりにも批判が多いから早めに削除しましたってか
それにしても謝罪するの遅すぎませんかね?
・ゴルシちゃんでもドロップキックで済ますのにこのジャン○ちゃんって子、YouTubeに一個人を晒すんだよ…
・もうダメだわアンタ、2度も消したな。
批判すら受け止めれない人間は反省も何も出来ない、さっきのは消さなくても問題ない範囲だった筈だぞ。
もう2度とウマ娘に、この界隈に触れないでくれ。
絵師を抜けばアンタだけだぞ、こんなことで炎上させてウマ娘を汚したのは。
・何もかも勘違いしてるのが痛々しい。競馬の映像もウマ娘のコンテンツもあなたのものでは無い。何を勘違いしたのか。○分でわかるとかは実に上手く組み合わせた動画だったが、その発想はすばらしいか、あくまで実際のレースもアニメの映像も全部借り物。
・批判動画もアンケートも、なんなら一つ前の謝罪文も見たが、何を言いたいのか、終始わからなかった。美学がどうこうと言っていたが、わざわざ動画まで作って噛みつく必要があったのか?あと、自分のチャンネルアイコンに使ってるツインターボに、「俺のペット」と、一々つける必要はあったのか?マジでそう思ってるなら、競馬もウマ娘も語る資格無いよ。冗談でも笑えないし、本気だったら、それこそ終わってるぞ。どう思うのも個人の自由だが、消したとはいえ、動画で出したんだ。牧場や、競馬関係者の許しがあって成り立ってる「ウマ娘」のジャンルを、人の批判の「ついでに」貶したんだぞ。
事の顛末
Nottin氏がウマ娘とモンハンライズを1つの枠でプレイ(枠の題名はウマ娘とモンハンライズを含む)
ジャンゴが「ウマ娘とモンハンライズは別ジャンルのゲーム」と言いNottinを名指しで非難(恐らくウマ娘とモンハンライズの名が並ぶアーカイブの題名を見て、ウマ娘がついでのように扱われるのをウマ娘ファンであるジャンゴが嫌がったか)
nottin氏が「長時間放送で複数のゲームプレイはよくある」と反論(これには証拠がある。例えば長時間放送で有名な加藤純一は、1つの枠で複数のゲームをプレイする)
ジャンゴが謝罪(謝罪の投稿を削除しあげ直すなどの行為が憶測を呼んでいるものの、謝罪文の内容に開き直りや言い訳などはなくちゃんとした謝罪文である)
ニコニコ動画にはジャンゴ氏怒りの動画がまだ残っているので、https://www.nicovideo.jp/watch/sm38496770 ジャンゴ氏の誠意を疑う人が絶えない(ジャンゴ氏が実は反省していないのか、明らかな炎上で動揺し判断力が低下し、迅速な行動が取れていないだけなのかは不明)ジャンゴ氏の怒りは、nottin氏が複数のゲームを題名にしたことに向いていると推測できるけど、正直怒るほどの事ではないと俺は思う。ましてや名指しで非難するのは、ヤバみがある。
どーーーーーーーーーでもいい。
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘おかの草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱ほてり頬ほほにはつめたい涙がながれていました。
ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴つづってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢ゆめであるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊ことにけむったようになってその右には蠍座さそりざの赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。
ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松まつの林の中を通ってそれからほの白い牧場の柵さくをまわってさっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。そこには誰かがいま帰ったらしくさっきなかった一つの車が何かの樽たるを二つ乗っけて置いてありました。
「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。
「何のご用ですか。」
「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って一本の牛乳瓶ぎゅうにゅうびんをもって来てジョバンニに渡わたしながらまた云いました。
「ほんとうに、済みませんでした。今日はひるすぎうっかりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいましてね……」その人はわらいました。
「ええ、どうも済みませんでした。」
「いいえ。」
ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵を出ました。
そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。
ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談はなしているのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。
ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。そしていきなり近くの人たちへ
「何かあったんですか。」と叫ぶようにききました。
「こどもが水へ落ちたんですよ。」一人が云いますとその人たちは一斉いっせいにジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査じゅんさも出ていました。
ジョバンニは橋の袂たもとから飛ぶように下の広い河原へおりました。
その河原の水際みずぎわに沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜からすうりのあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。
河原のいちばん下流の方へ州すのようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。
「どうして、いつ。」
「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押おしてやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」
「みんな探してるんだろう。」
「ああすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附みつからないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」
ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖とがったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。
みんなもじっと河を見ていました。誰たれも一言も物を云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。
下流の方は川はば一ぱい銀河が巨おおきく写ってまるで水のないそのままのそらのように見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。
けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、
「ぼくずいぶん泳いだぞ。」と云いながらカムパネルラが出て来るか或あるいはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて誰かの来るのを待っているかというような気がして仕方ないらしいのでした。けれども俄にわかにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。
ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶あいさつに来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが
「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」と叮ていねいに云いました。
「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅かたく時計を握にぎったまままたききました。
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日おととい大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅おくれたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
そう云いながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。
ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。
五、天気輪てんきりんの柱
牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星おおぐまぼしの下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。
ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜からすうりのあかりのようだとも思いました。
そのまっ黒な、松や楢ならの林を越こえると、俄にわかにがらんと空がひらけて、天あまの川がわがしらしらと南から北へ亘わたっているのが見え、また頂いただきの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢ゆめの中からでも薫かおりだしたというように咲き、鳥が一疋ぴき、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
町の灯は、暗やみの中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫さけび声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗あせでぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果りんごを剥むいたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴ことの星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬またたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈きのこのように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍ほたるのように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃こい鋼青こうせいのそらの野原にたちました。いま新らしく灼やいたばかりの青い鋼はがねの板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石させて、そら中に沈しずめたという工合ぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫とれないふりをして、かくして置いた金剛石こんごうせきを、誰たれかがいきなりひっくりかえして、ばら撒まいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦こすってしまいました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座すわっていたのです。車室の中は、青い天蚕絨びろうどを張った腰掛こしかけが、まるでがら明きで、向うの鼠ねずみいろのワニスを塗った壁かべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。
すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩かたのあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。
それはカムパネルラだったのです。
ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが
「みんなはねずいぶん走ったけれども遅おくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。
ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、
「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎むかいにきたんだ。」
カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いきおいよく云いました。
「ああしまった。ぼく、水筒すいとうを忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤ばんの上に、一一の停車場や三角標さんかくひょう、泉水や森が、青や橙だいだいや緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
ジョバンニが云いました。
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さしました。
「そうだ。おや、あの河原かわらは月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼めの加減か、ちらちら紫むらさきいろのこまかな波をたてたり、虹にじのようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光りんこうの三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或あるいは三角形、或いは四辺形、あるいは電いなずまや鎖くさりの形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振ふりました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫ふるえたりしました。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光びこうの中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。
線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍おどらせて云いました。
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
何になりたいか考えてる。
才能とか向き不向きとかは一旦置いとく。
私はお医者さんか小説家かいい感じの飲み屋の女将か雇われ牧場主で悩んでいます。
一番は牧場主かな。片隅にチーズ工房とかあるようなの。ヤギとかいるの。
ピザ釜とか設置したい。それで元気なニワトリを飼う。ヒヨちゃんみたいな。
閑散期(牧場にあるのかは知らんが)にベッドカバー織ったり編み物したりしたい。
牧場経営は難しそうだから大地主のお年寄りに雇われて牧場主したい。そんなのありえるのか。
でもなーーちっちゃい飲み屋の女将して常連客をくっつけたりもしたい。
なんかいい感じのつまみ出したい。おでんの大根は縦にしたい。ポテサラにはピンクの胡椒乗せたい。
医者もいい。美容外科とかでまったり高給もいいし、地域医療に密着小児科医もいい。
未婚で医療に人生を捧げて葬式には地域住民がみんな参列する、みたいなのいいよな。
親子3代かかりつけとか素敵。
人々が好感度や人気のによって態度を変えるのはその通りだろう。
ただしこの件に関して冷笑的な、というより嘲笑的で侮蔑的な態度をとる人々に対する「ご説明」がそれで十分とは思わない。
長くなるのでまず結論から述べると、「サイゲームス社(以下、CG社)は『ウマ娘』の二次創作に対して制限をかける正当な権利を持っている」という当たり前の話である。
本質的に重要なのは、民主的に正当な手続きをへて定められた法とそれに基づいて司法が積み重ねた判例であり、それらに裏打ちされた権利を有する者のみが他者の権利を制限しうるという法治主義の精神である。この文章ではその観点から「ウマ娘」の性的描写を含む二次創作の禁止について整理する。
1. 馬主や競走馬生産牧場等、「もとネタ」としての馬の所有者
彼らはこの件に関して(現行法下においては)直接行使しうる権利を持たないと私は認識している。過去に、競馬をテーマとしたゲーム作品について馬主らがゲーム会社を相手取り、損賠賠償と販売や流通の差し止めを求めて訴訟を提起したギャロップレーサー事件(くわえてダービースタリオン事件)の最高裁判決において競走馬の名前に対するパブリシティ権は否定されている。
2. CG社
結論でも述べた通り、彼らは『ウマ娘』に関する各種知財の権利者であり、そのパロディ作品の公表や流通にたいして制限を課す正当な法的権利がある。
一方で、「ウマ娘における性的表現の禁止は馬主らの意向である」との見解もしばしば耳にする。過去の訴訟等の事例に照らせばその可能性は大いにあるのだろう。ただしこれは馬主らが『ウマ娘』に対して何らかの法的な権利を有していることを意味しない。これは先述した「ギャロップレーサー事件」の最高裁判決も以下の通り指摘するところだ。
競走馬の名称等の使用料の支払を内容とする契約が締結された実例があるとしても,それらの契約締結は,紛争をあらかじめ回避して円滑に事業を遂行するためなど,様々な目的で行われることがあり得るのであり,上記のような契約締結の実例があることを理由として,競走馬の所有者が競走馬の名称等が有する経済的価値を独占的に利用することができることを承認する社会的慣習又は慣習法が存在するとまでいうことはできない
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/332/052332_hanrei.pdf
つまりCG社が馬主らと良好な関係を築くことを目的として、自社コンテンツの翻案権や同一性保持権を行使した、と解釈できる。これは何ら不自然な事でも不当な行為でもない。
正当な権利の行使と、こともあろうに弁護士資格を有する人物が何の法的根拠もないのに触法行為であるかのように言い募ってSNS上で扇動し、ポスター引きはがそうとした行為を混同してはならない。現行法に不足や不備があると信じるならば正当な手続きでもってそれを改正することを目指すべきだろう。
おそらく彼らは他者の、というより敵とみなした集団の一貫性の欠如を指摘したかったのだろうと思う。
ウマ娘の権利者はサイゲームス。ウマ娘関連に対してセーフアウトのジャッジ(警告、告訴など)をするのもサイゲームス。
馬主に法的にも商業的にも権利はないが、サイゲが商売を円滑にする為仁義切ったり使用料払ってるかもしれない。
馬主(や関係者)が二次創作者に文句をつける権利はないが、サイゲに対して文句をいう事はあるかもしれない。その結果サイゲのアクションが起きることもないとは言えない。
二次創作は基本的に自由だが、サイゲから「もしもし?」とされる可能性はエログロじゃなくても内容によらずある。またサイゲの財布に手を突っ込むと明確にアウト。
ウマ娘リリースから3週間が経過したが、多分に漏れず自分も50時間程度をウマの育成に溶かしてした。
アプリに熱中していたので全く気が付かなかったが、ツイッターを中心にウマ娘の権利や二次創作の取り扱いについて妄想や空想混じり、或いはハナからトモまで間違ってる言説が大手を振ってばらまかれてるのを見てびっくりしてしまった。
いくつか引用して記録をここに残しておく。
ウマ娘の二次創作云々、エロがだめとかグロがだめとかじゃなくて「馬の権利者はサイゲじゃない」「ゆえにアウトかセーフか判断するのもサイゲじゃない」って話なんだけど、間違いなく大部分の人には伝わってない— モノティー (@monotea_error) March 4, 2021
ツリーにこの後も妄言が続いているが、そもそもウマ娘の話をしてる以上権利者はサイゲームスでしかない。ウマ娘が現実にいる世界に住んでたのかな…?
ツリーには牧場云々とあるが、オーナーブリーダーと生産牧場の区別すらついていない認識で伝わるわけがない。生物としての馬の権利については、ウマ娘とは関係がないので触れないが競馬で一律斤量背負わせるのどうなの…とかそういう方面からはじまる話になるだろう。
本作は、実在する競走馬をモチーフとしたキャラクターが登場しているが、当然のことながら馬主や多くの関係者の協力が絡んでおり、関係者の中にはマルゼンスキーの馬主の娘に当たる橋本聖子東京五輪・パラリンピック組織委員長や、重賞を提供するマスコミ関係者などの、本気で怒らせたら二次創作文化そのものを危機に陥れる事も可能な要人なども含まれている…
この渋百科の項目をスクショし
ウマ娘のエロはダメってさ、馬主さんとかに迷惑かけるからダメってのは分かってたんだけど。
というコメントをつけて投稿したTwも拡散されていたが、この項目はアプリリリース後3人の人間によって追加された妄想であり、この記述をもとに云々すること自体がバカげている。
あえて突っ込むなら今まで表現の自由によって立つと共通の認識がある創作活動において、その根幹の「権力からの自由」を平然と無視して『権力者だから配慮しよう』などと書くこと自体噴飯物でしかない。
「個人で描く分には自由。でもそれを公開するのはナマモノ系と同等以上の注意を必要とした方が無難。できれば内輪で信用できる人間同士でやり取りした方がいいんじゃないかな…」というあたりに落ち着くのではないだろうか。大っぴらに書きたい人には窮屈だろうが。
法律的な権利は馬名に関してはすでに否定されており、またウマ娘は現実の競走馬にモチーフを得て創作された架空のキャラであるからそもそも馬主の法律上の権利は発生しようがない。
しかし、サイゲームスが展開に当たって仁義を切ったり利用料を払ったり、イメージ保持に努めたりする旨の契約を交わしていたりすることは考えられるし、今後の商品展開もある程度お行儀によって違ってくる可能性はある。
また権利的な意味で考えれば、そもそもウマ娘の権利者であるサイゲームスが婉曲に「イメージを損なう表現は配慮しろ」といっている以上、それ相応の対応を行う必要があり、そこに挑戦するようなことを大っぴらにやると、権利者としてのサイゲームスからアクションを誘発することは十分考えられる。
あとウマ娘は実在の人物がやった行為をキャラクター内に取り込んでるけど、それを通り越して現実の人間と絡ませると馬名のパブリシティがどうのとかいう話ではなくなるのは考えればわかるだろう。
とかなんとかグダグダ書いてたら専門家の人が権利関係についてどう考えるべきか?の意見を公表していた。
ほかの専門家に聞けば違う見方も十分できるだろうけど、少なくともなぜ馬主に権利が存在しないのか?そもそもウマ娘の権利はどういう状態なのか?を簡潔にまとめているからリンクを張って終わる。
人間がいなくて馬人間しかいない世界観ならまだわかったんだが、そうじゃなかった
会話等のコミュニケーション能力は人間と変わらない
運動能力は人間とは桁違いで、サラブレッドと同じくらい速く走れるし、パワーもある
まず、1番気になる点として、ウマ息子?ウマ野郎?は存在しないっぽい
お母さんやおばあさまは言及があるので、ウマ娘からウマ娘が産まれるのは間違いないようではある
また、マックイーンのプロフィールに、両親という記述があることから、親は2人必要なのは確定である
ということは1番あり得るのは、外見は人間の女の子のようではあるが、雌雄同体だと考えるのが妥当か
または、我々現実世界の馬の魂を受け継いで産まれる(=キャラが作成される)という説明があることを思えば、あくまでこれは物語であって、世界観としては虚構ベースを出るつもりがない、というのもひとつの説明としては成立すると思われる
次に、トレセン学園とは何かが気になる
ウマ娘は競走馬になるためには、トレセン学園に入学する必要がある
その学生のみがウマ娘のレースに出場でき、ウマ娘レースは人間も大勢動員できる国民的娯楽と位置付けられている
普通に考えれば、ウマ娘レースは大きなお金が動く経済活動である
我々の世界でトレセン学園に最も近いものとしては、宝塚音楽学校が相当するのではないかと思う
普通の中学や高校ではないが、寮に入れてみっちり管理し、トレーニングし、興行に起用するシステムである
芸能事務所や、サッカーのユースチーム、または競艇や競輪でいう訓練所などもトレセン学園に近いと言えるが、習い事や訓練所というより、もっと学校っぽさがある場所であるため、おそらくトレセン学園は、宝塚音楽学校と同様、学校教育法上の各種学校に相当する教育機関であると思われる
これに関しては言及がないが、実際の馬と同様に、人よりは短いのではないかと考えられる
というのは、国民的人気な娯楽が、人間で言えば中学生から高校生相当のウマ娘によるレースだからである
人と同様な成長をするのであれば、走力のピークは20代前半であるはずで、実際100メートル走の世界記録は23歳、800メートルの世界記録は24歳が出している
おそらくウマ娘の走力のピークは中学生から高校生相当、つまり人の年齢の2/3程度の年齢のウマ娘が人の年に相当するくらいに成長が速い
あくまで、見た目の推移は人間の年齢と同様ならば、という仮定が入ってしまうが、ウマ娘の平均寿命は50歳前後ではないか
となると、12歳程度でトレセン学園に入り、そこから様々なことを学びながらレースに出て、18歳高等部卒業=競走ウマ娘引退ということだろう
マックイーンの家におばあさまがいることを思うと、18歳で卒業したらわりとすぐ種牡馬入りしていることがわかる
祖母18歳で母を産み、母も18歳でマックイーンを産み、マックイーン15歳なら祖母は今51歳だ
ぎりぎり成立している
おそらくレースで強いウマ娘同士が結婚して子供を作り、さらに前述の通り雌雄同体であることを思えば、レースで活躍すること、学園で人気を得ること=子孫を残しやすくすることであるだろう
そう思うとなかなかどろどろした恋愛模様が学園で繰り広げられてそうだな
トウカイテイオーがマックイーンに照れてたのは恋愛感情でおかしくはないのかも
引退後のウマ娘がメジロ家のように豪邸に住み、スタッフとして人間を雇っていることから、ウマ娘にも基本的人権があることが推察される
差別があるならメジロ家スタッフはレースで活躍できないウマ娘であるはずだが、人間を雇っているのである
なんて素晴らしい世界!
これはつまり、馬主のように特定のウマ娘を人間が所有することはどうやらなさそうだ
スペシャルウィークが人間に育てられたように、人間とウマ娘の同居はあるのだろうけども
ということは、ウマ娘は、レースで勝てば莫大な賞金を得ているはずである
ちょうど野球選手やスポーツ選手のように、スターウマ娘は億の額を稼いでいるはずだ
それにより名門のウマ娘は豪邸に住めるのだろう
が、肝心の種付料を支払う馬主や牧場主がおらず、また、このような社会生活を営んでいる以上、広く種付相手を募り、お金を支払って種付してもらうようなシステムはこの世界にないのではないか
タイガーウッズやイチローが、ゴルフ上手い子、野球上手い子を育てたいなら種付します、500万です、とか言ったらおかしいわけで、それと同様だろう
トレセン学園に入らなかったウマ娘はレースせず、人間と同じ仕事をして、社会生活を営んでいるらしい
この人たちは普通に寿命が短くてパワーが桁違いの人間として社会に溶け込んでいるのだろう
同じ学校に通ったとしても、少なくともウマ娘だけのクラスやウマ娘だけの体育はあって然るべきだろう
一緒に鬼ごっことか無理
まだまだ理解不明なこといっぱいあるなー
マックイーンの扱い次第では史実改変因子発動するかと思ったけど
なによりも「トウカイテイオーが有馬記念に出走するためには特別な理由が必要」というフラグまで。
徹底的にテイオウ虐にこだわるアニメスタッフからしたら、100%史実通り投げてくるわな。
2期は、JCをすっ飛ばすみたいなことはやってるけど史実のレースの結果自体を変えるつもりはあんまりないのかな。
秋初戦の京都大賞典では、2分22秒7という当時のコースレコードで、レガシーワールドに3馬身半差をつけ優勝。この結果、獲得賞金が史上初の10億円突破となった。しかし、天皇賞(秋)4日前の10月27日、ウッドチップコースでの追い切りを終えた直後に歩様に異常が見られ、検査の結果左前脚部繋靱帯炎を発症していることが判明。2日後の29日に池江から現役引退・種牡馬入りが発表され、約1か月後の11月21日、京都競馬場で引退式が行われた
それにしても、同じシンボリルドルフの息子なのにアイルトンシンボリの存在が抹消されてるのほんと悲しい。
当然ながらシンボリルドルフ以外にも、シンデレラグレイでシリウスシンボリすら実名で登場しているので、シンボリ牧場はウマ娘そのものを拒否ってるわけではない。
それでも、アイルトンシンボリはモブ馬と名前だけでも登場することを許されなかった。
引退後1997年よりシンボリ牧場にて種牡馬として供用されるも、産駒数の少なさもあり活躍馬は出せなかった。
2004年に種牡馬登録抹消(理由は転売不明)となった。功労馬繋養展示事業の対象馬になることはなく、同牧場を出されてからの消息は不明である。
女の子にチヤホヤされたくて、セックスしまくりたいと思ってからフェミ仕草を身につけた。
元々、下心しか持ってなくて恋愛工学の一環レベルでしかフェミニズム理解してないけど、そんなので十分。
というか、どっちかというとジェントルメン風を装って、
エアコンの風の当たりを気にしたり、お会計はさくっと払っておいたりみたいな
あと、今の世の中、男同士のちんこ見せ合いホモソーシャルとか嫌われるから、
絶対につるまない。臭くなる。そんな暇あるなら、女友達と会おう。
「増田くんといると、落ち着くんだよねー」という言葉を引出したら勝ち。
「俺もこんなに楽に過ごせる子はじめてかも」とか適当なこと言って、回収。
ま、ここまで聞き出せても回収しない予備軍みたいな子を山ほど作っておくんだけどね。
俺について来いみたいな男よりも、寄り添ってわかってくれる風の男の方が今はニーズが高い。
恋愛工学的な狩猟的なやり方よりも、牧場育成みたいな感じだから時間かかるけど、
まぁその分だけ変な地雷女とか踏み抜かないし、友達付き合いとしてやってける子だけが彼女になるし、
付き合った後も楽なので、回収した後は、なかなか良い感じ。
百合に男が挟まるのは死罪!みたいな雰囲気があるけど、自分は女性だからか、全然オーケー牧場。ラーメンは美味しいし、ゆで卵トッピングしたのも好きみたいな感じだ。何なら3Pでも大歓迎(ただし全員がちゃんと気持ちよくなってないと嫌)
男性のBL好きとも話してたんだけど、彼もやはりBLに女性が挟まっても全然オーケー牧場だそうだ。あと受け攻めとかも特にこだわりがなく、たとえばエヴァのカヲルくん×シンジくんとシンジくん×カヲルくんは同じであり、セックスの挿入役はその都度気分で決めたらいいんじゃね?くらいの緩さで驚かされる。これは女性のみのコミュニティにはなかなかない発想だ。
逆に自分が百合に男入れて3Pありでしょというと猛烈に否定された。なんだか興味深い会話だった。ちなみに彼はBL二次創作同人誌や名作、鬼畜眼鏡を自腹購入してプレイし、声優専門学校にも通っているガチのBLファンである。