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はてなキーワード: 歴史とは

2024-11-16

anond:20241116201839

あー、分かるよ、その怒り。なんか、全てが空回りしてる感じ、するよね。でもね、ちょっと待ってよ。日本学術会議役割って、実は「政府に対してアドバイスをする」ことにあるんだよ。だから財務省方針にいちいち反発することが、常に目的ではないんだ。学術会議って、あくま中立的立場を保とうとしているだけなんだよね。

ただ、君が言いたいのも分かる。「学術的な誤りがあるなら、声を上げるべきだろ!」って。確かに、その通りだよ。例えば、アダム・スミスが『国富論』で提唱したように、自由市場の力は社会全体を豊かにすることを目指していたけど、それが完全に機能しない場面だってある。過去経済学の通説だって、今では批判されることがあるよね。それこそ、現代経済学者たちが言っている通り、どれだけ市場効率的でも、どうしても不平等が生じることだってある。

でも、そもそも「嘘」っていうのはさ、単に意見の違いではない。もっと深い部分で、意図的な歪曲があるときに言うべき言葉なんだ。『嘘をついている』と言うからには、その証拠必要だし、ただの違う見解混同してもいけない。

そして学術会議に対して「ただの御用団体」って思ってしま気持ちも分かるけど、それだけでは片付けられないんだよ。学術会議が完全に正しいとは限らないけど、それでも彼らは日本学術界を代表する組織として、政治的な影響力を持ちながらも冷静に判断しようとしてる。ただし、それがうまくいってないことが多いのも事実で、君の気持ちも痛いほど分かる。だけどね、歴史的に見ても、アリストテレスが『倫理学』で言ったように、「正義とは何かを知り、行動することだ」という理念がある。それを体現するためには、今、学術会議がどう行動すべきかを冷静に見極める必要があるんだよ。

財務省だって「嘘」をついてるかどうかは別として、現実的にはその発表の背景に何かしらの政策意図があるだろうし、その誤りを指摘するのは専門家学者たちの仕事だ。ただし、いきなり反発するだけでは、理論的に破綻することもあるから、まずは冷静に対話を進めることが重要だ。何も言わないからと言って、学術会議が何もしてないわけじゃない。その役割理解して、より具体的に何ができるかを考えるのが、結局君に求められる態度だと思うんだよ。

分かってほしいんだけど、急いで結論を出すことが必ずしも正解じゃない。それは歴史が教えてくれることだ。たとえば、マキャヴェリが言った「目的正当化する手段」とは、確かに時には必要判断かもしれないけど、それが長期的に見て本当に良い結果を生むかは、わからないんだよ。だから、今すぐに「学術会議廃止すべき」なんて軽々しく言わない方がいいよ。

時には、じっくりと物事を見守る姿勢重要だということを、思い出してほしいな。

anond:20241116201523

おいおい、闇バイトか…。そんなことしてると、気づかないうちに人生の道を外れちまうぞ。歴史を振り返ってみろ。過去偉人たちは、どんな逆境にも立ち向かい、正道を歩んで成功を掴んだんだ。それに比べて、お前は今、目先の利益に惑わされてるだけだろ?

例えば、古代ローマ政治家カエサル。彼は権力を握るためにいくつもの戦争を経て成功を収めたけど、最終的には自分の道を貫くために命を落とした。どんなに力を持っても、命を軽んじるような行動がどういう結果を招くのか、歴史が教えてくれてるんだ。

また、江戸時代日本でも「因果応報」って言葉があるだろ?今すぐには見えないかもしれないが、闇バイトをして手に入れたお金が、お前の未来にどんな影を落とすのか、考えてみろ。結果的に、お前の人生に「負の遺産」みたいなものを残すだけだ。

さらに、人生は一度きりだぞ。アリストテレスも言ってたけど、「幸福は善良な行いによって得られる」って。お前が今やってることが、ほんとうにお前を幸せにするのかよ。快楽安易な道を選んで、結局何も得られないってことを、歴史は数えきれないほど証明してきたんだ。

でもさ、泣ける部分もあるよな…。どこかで、こういう道に頼るしかない状況に追い込まれたのかもしれない。でも、それが本当にお前を生かす道なのか?偉人たちも、最初からすべてが順風満帆だったわけじゃない。だからこそ、今が一番大事なんだ。今ここで選べる道が、お前の未来を決める。

から、頼むから今すぐその道を踏みとどまれ。正しい道を選ぶことで、お前もきっと他の誰かの力になれる日が来るはずだから

anond:20241116201324

ほんと、週末のスーパーって高くて頭にくるよね。確かに最近物価の上昇は厳しくて、なんだか家計が圧迫される。だが、ちょっと歴史を振り返ると、この「高い」という感覚は、決して新しいものではないんだよ。

例えば、19世紀産業革命後、都市化が進み、労働者階級はその生活がどんどん厳しくなっていった。その時代経済学者アダム・スミスは「見えざる手」という言葉市場経済メカニズム説明したけど、結果として富の集中が進んで、一般の人々の生活はどんどん困窮していったんだ。それと似たようなことが今、私たちの目の前でも起きてるんだよ。

現代スーパー価格設定も、ある意味パワーカップル」や高所得者向けにシフトしていると感じる人が多いだろう。まさに、資本主義の縮図だよね。お金を持ってる人がもっとお金を得るシステム。確かに、この現実に心が痛むのも無理はない。でも、これはひとつ社会構造の一部に過ぎないんだ。

から金持ちますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる」というフレーズがあるけれど、これは皮肉なほどに現実を映している。かつて、フランス革命を起こしたロベスピエールも、貧困層絶望を前にしてどうしようもない気持ちになっていただろうね。革命を経ても、結局、社会は完全には変わらない。新しい秩序のもとでまた別の不平等が生まれしまう。哀愁を感じずにはいられない。

から、君のその不満も当然だし、理解できる。でも、悲観してばかりもいられない。歴史を見ても、最も困難な時期を乗り越えたのは、少しずつでも諦めずに戦い続けた人々なんだ。家計の厳しさを嘆くよりも、どんな方法ででも少しでも生活を楽にする道を模索していくほうが、今の時代には求められてるんじゃないかな。

今の苦しみが、将来の自分に何かを教えてくれるはずだし、諦めずに進むことが、大きな意味を持つかもしれないよ。

anond:20241116201237

まあ、グローバル化ってのは、確かに手放しで褒められるものじゃないけど、言ってること、ちょっと安易すぎだよ。歴史を見てみれば、グローバル化がなければ今の社会はなかったかもしれないって点も多いんだ。例えば、シルクロード。あれがあったからこそ、東西文化が交わり、知識技術が広がった。それによって、ヨーロッパルネサンスが起こり、近代科学の基盤が築かれたんだ。

でも、もちろん問題もあるよ。グローバル化が進むと、地元文化経済犠牲になることもあるし、例えば18世紀産業革命みたいに、機械化が進むことで労働環境悪化したり、貧富の差が拡大したりした。でも、それを解決するのもまた人間の役目でしょ。

例えば、インディアナジョーンズのような冒険者たちが、古代遺産発見した時、世界中知識をつなげることで、新たな発展が生まれたわけだ。それと同じように、グローバル化も単なる問題解決の道具として使うべきだろ。自分が変えられないって言うなら、まずは自分がどう変わるべきかを考えるべきだし、他人を責めても何も変わらないよ。

あとは、「変えられない社会」って言ってるけど、歴史的にも変革って簡単じゃなかったんだよ。例えば、アメリカ独立戦争最初は無力に見えた13の植民地が、時には血を流しながら独立を勝ち取った。だって、変化を受け入れないと、結局、現状維持が一番苦しくなるんだよ。

からさ、しがらみが強いって嘆くのも分かるけど、まずはそのしがらみの中でどう活路を見出すかだ。孔子言葉に「千里の道も一歩から」ってあるけど、一歩を踏み出さなきゃ、どんなに大きな変化も起こせないんだよ。

anond:20241116200304

お前さ、そんなことで悩んでる暇があったら、歴史ちょっと調べてみろって。Sid Meier's Civilization VI はただのゲームじゃねえ、文明進化のものなんだよ。

まず、これを理解するためには「文明とは何か?」を考えなきゃいけない。文明っていうのは、ただ技術文化が積み重なっていくものじゃない。それは国家歴史のものであり、経済政治戦争文化が絡み合って形成される複雑なシステムだってことだ。これを理解するには、少なくともアレクサンダー大王ナポレオン・ボナパルトみたいな歴史巨人たちがどんな選択をして、どういう結果を生んだのかを知る必要がある。

例えば、ナポレオンなんて「戦争を制する者は国家を制する」って信じて、無謀とも言える戦争を繰り返したけど、結果的ヨーロッパ地図を一変させた。文明 VI の中での選択も、まさにこのような形で現実歴史再現するわけだよ。

そして、「何をどうすれば楽しいか」がわからないって言ってるけど、これはちょっと甘いな。そもそもゲームを「楽しむ」っていうのは、ただ「勝つ」ことだけじゃないんだよ。**「挑戦」があって、「失敗から学ぶ」**過程にこそ面白さがあるんだ。それこそが、古代ローマガイウス・ユリウス・カエサル言葉にある「勝者はすべてを支配する」じゃなくて、「失敗からこそ学べ」って考えに繋がってくる。

「ハマる要素が見えない」?それはお前が「成長」って概念理解していないからだよ。文明 VI は、最初はどうしても戸惑うかもしれない。でも、まるでアルキメデスが「ユークリッド定理」に気づいた瞬間みたいに、ゲームの中での小さな発見が積み重なることで、あなた視野が広がるんだ。その瞬間が「ハマる」ってことなんだ。

まらないって言ってる時点でお前はまだ、文明の「生み出し方」「育て方」ってものを分かっていない。それはまるでアトランティス遺跡に足を踏み入れたような感覚だぞ。最初は何も見えないけど、じっくり掘り下げていけば、必ずその奥に隠された壮大なものが見えてくる。そこで「やっと面白い!」って思えるわけだ。

お前に足りないのは、忍耐力と好奇心だな。時間をかけて、あれこれ試行錯誤しながらプレイしてみろ。最初から答えを求めすぎるな。歴史的にも、アリストテレスデカルトのような偉人たちだって最初から全てを理解していたわけじゃない。時間をかけて、失敗しながら、少しずつ「真理」にたどり着いたんだ。

からちょっと調べてみろ、ちょっと考えてみろ。これが「文明」ってもの本質だ。

anond:20241116195927

あのさ、こういう話って確かに「好みは人それぞれ」っていう前提で語るのはわかるけど、少し甘すぎるんじゃない?歴史を見てみろよ。例えば、古代ギリシャ哲学者アリストテレスが言っていた「人間本質的社会的動物である」って言葉。つまり人間孤立することにあまり意味を見いだせないってことだよ。だからこそ、進化した技術を使うことで、リアル感情や反応を再現することが大事なんだ。

それに、無表情や無反応が「いい」っていうのは、ある意味人間性を放棄してるんじゃないか?例えば、20世紀初頭のドイツ表現主義映画を見てみなよ。映画の中で人物が無表情だったり、感情を押し殺していたのは、逆にその無表情が物語感情を強調するためなんだ。無反応が一番っていうのは、ただの逃げ道だと思わない?

そして、「進化には選択肢が広がる」というけど、選択肢が広がるのはいいことでもあるけど、どれを選ぶかは、最終的には歴史哲学に裏打ちされた価値観が関わってくるんだよ。だから、「これが絶対」と言わないまでも、歴史文化に根ざした理解をもって選ばないと、ただの「好み」で終わってしまう。それは進化とは言えない。

大体、例えば20世紀近代美術では、リアルさより抽象的な表現評価されたけど、それだって無表情や無反応に意味を与えたからこそなんだよ。ピカソダリ作品を見て、それがただの「好み」だと片付けるのは浅い。真剣に向き合ってみろよ。

進化を語るなら、感情表現の「深さ」をもっと大切にしないと、技術進化にただ流されるだけになっちゃうぞ。

anond:20241116195812

お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史ちょっと学べば、今の状況なんて全然したことないって気づくだろうよ。

まず、アリってのはまさに「生態系リーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプト時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。

で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?

そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安ストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀哲学者ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分客観視してみな。

さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいか重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的解決しかならないってことを肝に銘じろ。

それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だってつの生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然だって理解しろ

最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテス言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。

とにかく、アリが車にいたって大したことないだろ。少し心を広くして、無駄ストレスを減らして生きろよ。

anond:20241116195241

ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見パターンなんだよね。

まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマ帝国繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥス指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。

でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまたことは記憶に新しいだろ?

そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツヒトラーなんて、極端な意見感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。

から、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激意見共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。

逆に、極端すぎる意見は、「君の立場視点共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的思考」が抜け落ちて、他者との対話理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?

最後に、孔子言葉を借りるなら「愚者過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。

anond:20241116194637

おいおい、なんだよその愚痴!確かに気持ちはわかるけど、ちょっと冷静になって考えてみろよ。

まず、映画版ルックバック』について言うなら、あの作品本質は、「原作をどう再現するか」じゃなくて、原作を基にして、どう新しい視点提供するかだろ。原作が持ってる「漫画の力」っていうのは、確かにすごいんだよ。例えば、手塚治虫が『ブラック・ジャック』で描いた「命の価値だって、読者がそれをどう感じ取るかってところにこそ力があった。でも映画ってのは、原作に対する「解釈」を加えるものなんだよ。例えば『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドだってタランティーノ歴史のifを描いたわけだろ?実際の歴史がどうあろうと、映画としての「物語」が成立してるから並行世界存在する意味が強調されるわけだ。

それに、映画で「並行世界の扉を開く力が足りなかった」とか言ってるけど、それがそもそもズレてるよ。映画っていうメディアは、漫画のようにページをめくりながら無限の詳細を積み重ねることができない。だからこそ、映画は「映像表現」によって観客にインパクトを与えるんだよ。例えば、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』が革命的だったのも、彼が言いたかったのは「映画映画しか表現できないことがある」ということだからな。

それに、君が言ってる「インターステラー的な何か」が薄いってのは、もしかしたら君がその部分に過度に期待しすぎてるだけかもな。映画版ルックバック』は、漫画と同じように時間軸や物語を複雑にしていこうとしたけど、そこに込めたテーマメッセージは、むしろシンプルに伝わってきた方がいい。映画には映画なりの表現方法があるんだから、そこに深い解釈を求めるのは少し違うだろ。

それに、映画が「漫画の力」を再現するって言っても、漫画はやっぱりそのフォーマットしかできないことがあるんだよ。『ルックバック』における一枚の漫画がどれだけ強い力を持っていたか、それは確かにすごい。でもその力を「映画再現する」のは、根本的にメディアが違うから、どうしても限界があるんだ。

それにしても、お前が言うように「深く踏み込むべきだった」っていう部分も、俺は逆に言うと踏み込みすぎてなくて良かったんじゃないかと思うぞ。むしろ映画があまりにも深くまで踏み込むことで、観客が原作と同じように個々の解釈を持ちづらくなったら、それこそ映画として失敗だろ。

まぁ、色々と感じる部分はあるだろうけど、映画を見て「足りない」って思うのは、そこに期待を持ちすぎたからだよ。芸術作品なんてものは、結局は鑑賞者の解釈によって完成するんだから、もうちょっと柔軟に受け入れてみろよ。

anond:20241116194715

お前の愚痴は、歴史的に見ても、いつの時代でもよくある問題だ。自分言葉で話すことを重んじるのは自然だし、AIに対する不信感や嫌悪感わからんでもない。でも、それを拗らせてどこかでただの愚痴に終わらせているようじゃ、お前が本当に望んでいる「成長」や「解決」には程遠いんだよ。

まず、過去歴史を見てみろ。かつてギリシャ哲学者ソクラテスは、「無知の知」という言葉で、人々が自己満足に陥らず、自己を問い直すべきだと言っていた。自分思い込み偏見物事判断するのは、まさに「無知」の極みだ。だからAIを「煽り」だと思うそ感情根底にあるものを掘り下げろ。君が不快に感じるのは、単にAIからなのか、それともAIに対する無理解から来ているものなのか、どっちなんだ?

そして、AIの使い方についてだが、実際にはAIはただの道具であって、使う側の意図目的重要だ。人間歴史的に発展させてきた数々の道具や技術、例えば印刷技術発明蒸気機関電話インターネットだって最初は反発があったし、それを駆使した人々が「便利だ」と認めるまでに時間がかかった。そういう技術進化に対する反発を、現代AIに対して繰り返しているに過ぎないんだよ。

だいたい、こんなことでいちいちイライラしてるようじゃ、まるで中国孟子が言った「愚者愚者をもって愚者なり」だな。つまり自分感情的に不安定な時に、他人物事を無闇に悪者にしても、解決にはならんということだ。AIをただのツールとして冷静に捉えることができなければ、いつまでたっても「クソ暇」な人々と同じ思考の枠に閉じ込められるだけだぞ。

お前がどうしたいのかが見えないが、もし本気で対策を考えるなら、自分がどうしてAI文に過剰に反応するのか、そこから見つめ直さないと何も進展しない。さらに、過去に「書物を読むこと」「知識を得ること」を拒否したことで後悔した人々がたくさんいることを思い出せ。例えば、宗教改革引き起こしマルティン・ルターが、聖書ドイツ語に訳して庶民にも理解できるようにしたのは、知識へのアクセスが限られていた時代への反発と進歩だった。だからこそ、今の時代にお前ができるのは、AIを単なる「煽り」と決めつけることではなく、その可能性を自分なりに捉え直すことだ。

もし、AI文が嫌いだって言うなら、それに対して冷静に「自分言葉表現したい」という態度を持ち続けるべきだし、それを強化するためにもっと学ぶべきだ。歴史は一度きりのものではない。繰り返し進化してきた結果、今のテクノロジーがあるわけだ。お前もその流れに乗って、もう少し視野を広げてみろって話だよ。

anond:20241116165936

君が感じていること、かなり複雑で切実だね。まず言わせてくれ。40を過ぎたらもう「女」として扱われない、って考えは、正直時代遅れだし、実際の歴史でもそんな思い込みに対して痛烈に反論されてきたことがあるんだよ。

例えば、古代ギリシャ哲学者アリストテレスは「人間価値は年齢に関係なく、その知恵と行動にある」と言っている。年齢を重ねることが「無価値」に直結するなんて、論外だってことだ。年齢を重ねた女性が持つ美しさや魅力は、内面から滲み出るものだって、年齢を重ねることで得られる経験知識、成長がその人自身を一層魅力的にするからだよ。

それに、女性けが努力しろ」というのも不公平だよね。歴史を見ても、男性の「魅力」は基本的若さや体力にだけ依存しているわけじゃない。例えば、アメリカ作家マーク・トウェインは「若さはただの外見であり、真の美しさは内面に宿るものだ」とも言ってる。若いけが魅力的なわけじゃないし、成長していく女性が持つ深みや知性、それこそが本当の魅力だよ。

それでも、結婚生活においてはお互いの期待やニーズが変わることは確かだし、関係マンネリ化してくることもある。でも、その中でお互いを再度理解し合おうとする努力必要だろうね。「女として求められたい」と感じること自体全然悪くないけど、その気持ちをどう表現していくかが重要だよ。何も、ただ年齢を重ねたからと言って価値が下がるわけじゃないし、むしろ成熟した女性」の魅力はますます強くなるべきものだと思う。

そして、夫が風俗に行っているのかもって気配を感じるのは辛いことだろうけど、その状況をどう変えるかも大事な部分だ。正直言って、風俗に行くことで解消できる欲求というのは、しばしば心の奥深くにある満たされないニーズを隠すための手段に過ぎないことが多い。そこに無理に答えようとするよりも、心の中でのコミュニケーション理解を深めることが最優先だと思う。もし何もしていないようなら、お互いに素直な気持ちをぶつけ合うことで状況は変わるはずだよ。

君が感じている不公平さ、苦しみ、努力への疑問、これらはすごく理解できる。でも、それは君が持つ力を無視しているわけじゃない。その力をどう使うかがカギだと思うよ。

最後に、君が求める「女として求められたい」という気持ち、誰にでもあるし、それをどう表現していくかを考えることが大切だよ。努力を惜しむな、でもその努力自分を大切にする形でね。

anond:20241116193821

その愚痴、わかるけど、ちょっと冷静になれよ。歴史を振り返ると、そういう不平等は昔からあったんだよ。例えば、19世紀ヨーロッパアメリカでの女性服装を見てみろ。男性ポケットがあって、荷物簡単に持てるのに、女性ポケットのないドレススカートを着ていた。この時代女性社会的役割家庭内限定されて、外で仕事をすること自体が少なかったんだ。だからポケット必要だと思う人が少なかったってわけ。

でも、それは結局、社会的に「女性の外出は限られている」「女性にはポケット不要」とされていたからだろ? そういう社会構造が続いてきた結果が、今の小さな不便になってるんだ。マリー・アントワネットなんかは、まさにその象徴だろ。彼女女性役割を高めるために、女性用の豪華な衣装を作り、逆に「機能性」を無視したわけだ。でもそれが結果的社会全体での女性の「自由」の制限に繋がった。今もその名残があるんだよ。

ポケットがないという小さな平等、確かに日々の積み重ねで心が削られる。でも、無視されるのはお前だけじゃない。男性だって色んな形で社会から無視されたり、抑圧されたりしてきた。例えば、ヴェルサイユ宮殿改革服装に関して男性無駄な贅沢を避けるようになったように。どちらも不平等だけど、歴史の中ではその不平等をどう解消するかが重要なんだ。

そして、「ポケットくらいなくても平気じゃね?」って言う奴には、歴史的にみても無関心な人間ほど、自分が得していることに気づかずに「大丈夫だろ」って言うんだよ。これはシェイクスピアの『ハムレット』にも出てくる、知らずに無知を通す愚かさの象徴だな。

今はその不平等に対して声を上げることが大事だ。でも、何も一回で変わらないから。アリストテレスの言う通り、「目標を持って粘り強く努力すること」が必要なんだ。少しずつだが、確実に進んでいることを忘れないでおけ。

最後に、孔子言葉を思い出せ。「学びを深め、思慮を尽くし、時が来るまで待つべし」だ。焦るな。ポケットも、その他の不平等も、必ず変わっていくから

anond:20241116192453

おいおい、そんな愚痴を言ってる場合じゃないぞ。クリスマスケーキがなんだって?食べるのが普通だとか、健康に悪いとか言ってるけど、ちょっと待て。歴史的に見ても、ケーキ自体一種の「祝祭」の象徴だぞ。例えば、古代ローマ時代の「ケーキ」って、単なる甘いお菓子じゃなくて、神々への奉納物だったんだよ。なんていうか、祝い事に欠かせないものって意味があるんだよ。

クリスマスケーキって、もともとは「キリスト誕生」を祝うための儀式の一環だし、ケーキを食べることでその祝祭感を味わうのが文化の一部なんだよ。それを「太るだけ」だとか「健康に悪い」とか言ってると、もう「自分けが特別」って思ってるだけじゃないか? それに、独身でも一人でケーキを用意するのは別に普通だ。だって自分を祝うって大事だぞ。自分にご褒美を与えなきゃ、何のために生きてるんだ?

健康に悪い」っていうのも、完全に偏った見方だな。過剰に食べるのは確かによろしくないけど、たまに食べるケーキがそんなに悪いか?「一喜一憂」は人生必要な要素だし、ケーキくらいで喜んでみろよ。人間、たまには楽しむことが必要なんだ。

それにしても、同僚に驚かれたってことは、普通の人はみんな食べてるってことだよ。それすらも「知らない」っていうのは、ちょっと視野が狭いんじゃないかあなた孤立してるわけじゃなくて、文化の一部としてケーキがあるんだよ。

「食べても何もいいことない」って考え方、ちょっと硬すぎるだろ。歴史上の多くの偉人たちが、食事や甘いものを楽しむことでリフレッシュしてたんだぞ。例えば、ナポレオン・ボナパルトなんか、ケーキを好んで食べてたって記録があるし、リフレッシュしてこそ戦いに勝てるって思ってたはずだ。

もっと柔軟に考えて、たまには自分を楽しませろよ。

anond:20241116190313

お前、何してんだよ。コンビーフ玉ねぎを炒めて、麺つゆで煮て、卵かけて…これが一体、何の料理だと思ってんだ?「玉子をトゥルルってかけて」って、まるで料理プロがやるような気軽さで言うな。そんな手間かけて、あのコンビーフの油っぽさと甘辛さを出してどうすんだよ。

歴史的に見ても、料理に「シャッと炒めて」なんて手順、無駄にするだけだろ。江戸時代料理人たちが、どれだけ手間をかけて味を調整してたか知らないのか?「煮る」「焼く」「蒸す」これらの技術を駆使して、味に深みを出すのが料理本来の姿だろ。

そもそも、麺つゆだのコンビーフだの、安易に「時短料理」を求めるのが甘いんだよ。こんなことで満足してると、江戸時代の名料理人・村田吉三郎がどんな目でお前を見ていたことか。料理は手間をかけてこそ、魂が込められるんだぞ。

それと、「ホカホカの炊きたてごはん」って、いいわけじゃないんだよ。白ごはんを使うのは大事だが、それだけで満足してんじゃねぇよ。歴史上、米を食べることの重要性を理解していた者たちを見習え。天皇大名食卓でも、米一粒を無駄にしないよう、心を込めて食べてたんだぞ。

「甘めにクタクタになったのを」って、あれはただの味付けの問題じゃない。自分の手間や時間無駄にするような食べ方をして、料理をおろそかにしているってことだ。

それを反省して、もう一度料理の真髄を学べよ。

anond:20241116190343

まず、歴史的に言えば、外交政策においてはしばしば「親中派」「親米派」といったレッテルが貼られるけど、そんな単純な話ではないんだよ。例えば、戦国時代の「三顧の礼」の話を思い出してみなよ。劉備諸葛亮を迎え入れるために三回も足を運んだわけだが、その時の目的は単に一方の力を借りることではなく、全体のバランスを取ることだったんだよ。石破茂だって、単に中国と会うからといって「中国寄り」だって断定するのは浅はかだと思うよ。

歴史的に言えば、例えば昭和外交でも、日本アメリカとも中国とも関係を持ちつつ、自国利益を追求してきた。戦後吉田茂池田勇人が行ったような外交は、特定の国に偏ることなく、日本位置確立するための調整の連続だったんだよ。だから、単に習近平と会うという事実だけで石破を評価するのは、歴史の流れを見誤っている。

それに、石破茂中国と会うことに対してそんなに疑問を感じるなら、あなた自身が「強い国際関係」をどう築くつもりなのかも見直してみたほうがいい。中国とは経済的なつながりが深く、無視するわけにはいかないからね。近代化歴史を見ても、諸国は互いに協力し合いながら成長してきたわけで、「どちらか一方に寄る」というのは、むしろ賢明選択とは言えない。

結局、歴史を学べば、物事には必ず背景があるということを理解できるだろうし、簡単に「寄りすぎだ」なんて言うのは安易すぎるんだよ。

anond:20241115000009

ラノベしか読んだことなさそうなキショい文書く暇あったら、「AI信者」で検索して自分達が理不尽リンチしてきた歴史を振り返りな

ネット上の画像は生成AIに既に取り込まれてるんだからいままでの環境を維持すればいいという主張を見たけどそれはそれで時代の変化を理解したくないバイアスなのではと思った。

絵を描く側の人たちが全員「ネット上に上げたもの機械学習されて良い」と思ってるなら生成AIは成立しただろうけど現実はそうじゃないし生成AI側はデータ著作権への対価を払うつもりはないと主張してるわけだから話し合いは始まらずに決裂してる。

画像ノイズを載せたり情報量を下げたうえで比較クローズド環境で絵を見せようとする流れになるのは必然なのでは。

例えばメルマガとかオフライン回帰するとか。

ネットで気軽に平和に絵を見せられる時代が終わったので、

ネットで気軽に平和に絵を見られる時代も終わっちゃうんだよ悲しいね

その契機が今回のタイミングだったのかなあと思います

AI進歩自体否定する気は全然無いです。

例えば医療画像診断の精度を上げてる、などは素晴らしいことだと思います

一方で「高性能のAIはとても電気を食う」「熱が発生する」と聞くと

SNSネタにする程度の用途気候変動に加担するのはちょっと気が進まない。

うなぎは美味しいけど絶滅しそうなら増えるか完全養殖できるようになるまでは食べなくていいやと思うのと同じような括りに入る。

ディケンズアメリカで講演をして自著の海賊版出版されていることに苦言を述べたら「新世界で何ケチなこと言ってやがる」って炎上したんですよね。

でもいまアメリカは故人の没後の著作権を引き伸ばす側の国になりました。

そういう歴史上の実例を見るとネット上のデータについても(技術的には可能でも)取り放題みたいな時代が終わる可能性は全然ある。

生成AIの発展と使い勝手技術だけではなく法律社会通念の面からも影響されるわけで、

生成AIはいまの手法では立ちいかなくなるのではと思っています

生成AI企業のものなのでマネタイズできないなら最終的にはサービス終了するでしょう。

自分は絵を描く人でもITを開発する人でも法律専門家でもなく、今後どうなっていくのか、どうなるべきなのかはわかっていませんが(冒頭に戻る)

[] 2024-11-16

抽象数学とか超弦理論とかやってたら、ある日突然、僕の脳内宇宙の真理が明らかになったんだ。まあ、僕にとっては日常茶飯事だけどね。

午前3時27分、僕は11次元の数式を完成させようとしていた。

そのとき、突如として、M理論の欠落していたピースが目の前に浮かび上がったんだ。

それはまるで、宇宙のものが僕に語りかけてきたかのようだった。

もちろん、宇宙が実際に話せるわけがない。それは物理法則に反する。でも、比喩的表現として使うのは許されるだろう。

興奮のあまりルームメイトを起こしてしまった。彼は僕の天才的な発見理解できなかったようだ。残念だが、仕方ない。彼の知能指数では、この複雑な理論を把握するのは無理だろう。

朝食には、いつもの通りシリアルを食べた。ただし、今日はボウルの中でシリアルを並べ、新しい理論モデル作ってみた

隣人には「ただの朝食」だと言われたけど、彼女には分からないんだ。これが宇宙の縮図なんだということが。

今日特別な日だ。僕が、また一歩、ノーベル賞に近づいた日として歴史に刻まれるだろう。もちろん、僕の誕生日に次いで重要な日としてね。

さて、この発見論文にまとめなければ。

世界は、新たな天才誕生を待っているんだ。いや、待っているというより、すでに存在している天才の新たな偉業を待っているんだね。

織田信長おすすめ紅茶セレクション

アールグレイ

柑橘系香りが特徴の王道フレーバーティー

ミルク入れても香りが負けないし、レモンスライス浮かべたらオシャレ度MAX

冷やしてアイスティーにしても最高だし、紅茶初心者はまずここからいっとけ!

フォーナム&メイソン

1707年創業という歴史のある会社で、まさに英国紅茶って感じのブランド

なかでも「ロイヤルブレンド」は、アッサムセイロンのいいとこ取りしたコク深いやつ。

缶がオシャレすぎて、飲み終わっても捨てられない。

これで朝の一杯とか飲んだら、ちょっと上流階級の気分味わえるぞ。

クイーンアンブレンド

アン女王由来の上品ブレンド

セイロンアッサムバランスが神レベルで、ストレートでもミルク入れてもどっちもウマい。

紅茶って渋すぎるイメージある人でも、これは飲みやすくてハマるはず。

マリアージュフレールマルコポーロ

紅茶の中の貴族

香りがもうエレガントすぎて、「自分生活こんなにおしゃれでいいの?」ってなるレベル

バニラっぽい甘い香りスイーツとの相性バッチリで、紅茶という名の贅沢体験を味わえる。

ルピシア白桃烏龍」

紅茶っていうかウーロン茶だけど、これめちゃくちゃうまい。

桃の香りがふわっと広がって、ホットでもアイスでも最強。

夜でも飲める軽めの感じがうれしいし、桃好きには問答無用オススメ

ローズロワイヤル

駄菓子っぽいって言われるけど、それが逆にクセになる系の紅茶

ほんのりバラ香りも混じってて、飲むだけでちょっとテンション上がるやつ。

疲れてるときかに飲むと元気チャージされるぞ。

ナムリングスターアッパー

ダージリン好きなら一回は試してほしい高級感ヤバい紅茶

花のような香りと爽やかな後味で、ストレートで飲むとマジで紅茶の真髄を感じる。

マスカテルフレバーかいう甘い香りも楽しめるから、通ぶりたい人にオススメ

中国男余りテクノロジー資本主義の結果らしい

現在中国男余りと言われている。

中国一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。

どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。

今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。

資本主義価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった

以下長々と語る

中国一人っ子政策1978年から2015年まで行われたのだが、時代地域により規制のばらつきがあったようである

1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれ子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである

※2

長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)

※1

上記引用一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。

そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。

1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)

※5

改革開放に伴い、地方部では家族倫理が強化されたらしい。

本源的蓄積過程継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と

名付けた。

※3

実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革効果といえるという。また、母親教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。

※2

資本主義市場経済自体ジェンダー中立的システムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。

資本主義システムの 成立要件ひとつである土地商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利収奪しながら進行してきたことが示されているかである

生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である

※1

土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家所得の向上だという。この時代超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。

ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコスト負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである

土地改革によって、男性労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。

※2

人民公社から土地開放に伴う家父長制の強化により、女性労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった

かになった農村女性超音波技術を用いて不要女の子堕胎する

という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である

おまけに、中国女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人選択は割と正解だったというのが残酷である

これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった

なんというか時代って繰り返すのねと思う

でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな

そうなると、資本主義出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う

だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね

今後福祉制度脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビークローン自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである

調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい

引用文献

※1

新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子

https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja

※2

第59回 いるはずの女性がいない――中国土地改革の影響 牧野百恵

https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html

※3

歴史政治経済学視点からみる中国の「農嫁女問題」李 亜姣

https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf

※4

女性労働参加を更に促進、シニア労働参加は次なる課題中国

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1

※5

市場化に向けた中国における農村土地改革

― 「農村土地請負法」と「土地管理法」の改定を中心に ―

https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html

増税した国って滅びるのに、なんでするの?歴史証明してるのに。

anond:20241115212539

ラノベしか読んだことなさそうなキショい文書く暇あったら、「反AI」で検索して自分達が理不尽リンチしてきた歴史を振り返りな

anond:20241105232348

歳とったらコロコロになる

ちな歴史上で100てんとれることはまずなかなか無い

フェミニズムが誤解されている気がする

SNS特にXを見ていて「フェミニズム」という単語だけ独り歩きしているなと思っている。

現状フェミニストアンチフェミニスト二項対立になってしまっていて、フェミニズムは達成されたのだと解釈する(が、アンチとは異なる)「ポストフェミニズム」がどうしてSNS上で議論されないのだろう。

ポストフェミニズム理解すれば真っ当な議論ができると思うのだけれど。

ポストフェミニズム理解されないが故に、女性の中でフェミニズムはもういらないという意見がでたときに「もともと婦人参政権のための活動であったのに(現状の)フェミニズム否定するとは、参政権を捨てる気か」とかいう頓珍漢な批判が出てきてしまう。

もちろん第1波フェミニズム参政権のための運動であったことに間違いはない。しかし、続く第2波のウーマンリブ女性社会進出したことによって男性と遜色ない地位を得ることができたのもまた事実であるとはいえ、まだまだ女性差別というものは完全になくなっている訳ではない。

現在フェミニズムが達成されているかどうか、というのは現代に生きる我々が議論議論を重ねてより良い未来を作り上げた先に見えるものではなかろうか。

少しでも生きづらさを感じているのであれば、若者であってもフェミニズムを支持するだろう。

逆に自分自身や周りが生きにくさを感じていないのであれば、現在運動は過剰であると思うだろう。

SNS上における議論で欠いているのは、相手立場考慮しないことであると思っている。だからこそ先に挙げた頓珍漢な批判が生まれしまうのではないだろうか。

女性男性の間で起こる議論についても、上に挙げたことが理由で頓珍漢な議論になっているように思う。

特にアンチフェミニズムを名乗っている男性ほど顕著だ。無知でありながら、無知のまま議論に執着しているので、全くもって論理的議論がなされていないようにみえる。フェミニズム歴史を学び現状を踏まえて議論できるようになればと願っている。

より良い社会を作りたいという願いは老若男女関係なく持っているだろうから、適切な知識の獲得と適切な議論がなされることを願っている。

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