はてなキーワード: 待ち行列とは
パイプラインって言うんですけど、そのパイプラインの段数をある程度までは増やしたほうがスループット上がるんですよね。それと同じです。
例えばコンビニでは:
会計待ち行列スペース → カウンター(店員がバーコード読み・客が支払い機で支払う・店員が袋詰め)
っていう2スペースしかないんですけど、
スペースが空くまで待ってる人は先へ進めないわけです。
会計待ち行列スペース → カウンターで店員がバーコード読み → 客が支払い機へ移動して支払う → 客が袋詰めスペースへ移動して袋詰め
客がカウンターから支払機へ移動した時点で、待ち行列の次の人間がカウンターへ進めるわけです。
場所を取って作業段階を細分化することで、後ろで待ってる人がどんどん先の作業へ進めるわけです。
所要時間を
バーコード読み10秒
支払い10秒
袋詰め10秒
と仮定すると、
待ってる人が2人いる場合、
まず、raccoonhat氏の指摘で、以下のブコメに誤りがあったので謝罪します。
家族と暮らす22歳で保健所は入院不要と判断、結局入院4日目にSpO2が94を切る程度。親の圧力により救急車を来させ6時間占有し入院…。命の待ち行列に割り込んだ訳で、人殺しの顔をしろって言葉こういうとき使うのかな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707316277930908002/comment/Gakkuri-Kanabun_09
「家族と暮らす」という部分が誤りです。冒頭の記述を見落とした上にその後の文で親が近くにいる絵が浮かんでいました。
それ以外の部分については、やはり不公平な入院経緯ではないかと今でも疑問に思っています。
話は変わりますが、多分自分のブコメへの反論と思われる以下の意見が、問題意識が伝わっていない感じがして気になったので、意見を述べさせていただきます。
これ叩かれる要素なくない?自分がこの人の親なら当然同じことする。家族の命が危険にさらされてるのに何もしないで死んだら絶対後悔する。正義感振りかざす前に、今一度自分ごととして考えてみてほしい。
喉の痛みが増して水が飲めないくらい痛くなる。明日まで待てる余裕がないくらいきつくてまた119番。
しかし保健所に「入院の必要なし」と判断されて一回救急車帰る。
この文章の「ブチギレ」という部分は文系大学生氏にだけ見せた姿で、
実際には医療機関へ入院の必要性を訴える際は声を荒げることもなく主張したのかもしれません。
声の大きい者が覆した不公平な事例であると解釈したので、その仮定で話を進めます。
ではもし、皆が家族の為に「ブチギレ」で交渉するようになったらどうなるでしょうか?
次に声の大きな家族のいる患者、~中略~、最後に身寄りのない患者という形で、
弱い立場の患者が最後に押しやられてしまうのではないかと危惧します。
また、「ブチギレ」が横行することでコミュニケーションコストが跳ね上がり、
結果的に弱者を踏みつてしまうような「ブチギレ」は全く賛同できません。
家族のいない弱者にも公平に医療を受けられるようにするべきという正義が大事です。
多分こういう尊い気持ちが他者を踏み潰す構図は歴史の中で数限りなくあって
差別の問題とかいろいろなところに顔を出して、これからも数限りなくあるであろうから
人間という種の不完全さに起因する誤りであって、悪意として断罪することは行き過ぎだろうけど
ポリティカルコレクトネスではそういうバッファがなくて公職追放が当然な世の中で
それはどうなんだろうと思うのだけど、どうしたらいいのか分からないのですが、
発信すれば誰かがいい考えを出してくれるかもしれない思い書かせていただきました。
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
緩和策は多々考えられるので、ここでは極論に近い対策を挙げています。他にもこれが危ないとかもっと良い対策があればぜひご紹介くださいね。
普段会わない偉い人や同じ職場でもあまり会話しない人と話す機会もあるでしょうから飛沫喰らうこともあるでしょうし、飛沫が降下した食品を口にしてしまうかもしれません。
忘年会でウイルス貰って帰省して地元に拡散、地元でウイルス貰って新年会で拡散、どちらのシナリオもあり得ます。
深刻な感染状況の地域から他の地域へとウイルスを拡散させることもあるでしょう。
特に長距離・長時間の移動であれば、その道中で感染してしまうこともあるかもしれません。
数十分や数時間と並んで参拝するのは屋外とは言え飛沫喰らうこともあるでしょう。飛沫は前方だけではなく横方向にも拡散します。かと言って他人に無言待ち行列を強要することはできません(今年はマスクをしていないとか大声で長時間喋っているとかで小競り合いが起きるかも知れませんね)。
堂内に大人数を収容して一定時間を要して行われる形式の護摩にもリスクがあると考えられます。大人数が大声で喋るわけではないという意味では、満員電車が本当に安全なのであれば護摩も似たようなものかもしれませんが、たとえ出入り口を解放したとしても換気能力は窓を開けて走行中の電車より劣ると考えられます。
退屈した子供がそこら辺のものをベタベタ触ったその手で、参道の出店の食品を食べて感染することもあるかもしれません。そして家庭内感染からの新年会で他地域へ拡散というシナリオもあるでしょう。
帰省した家族が居なければ普段と大した差は無いかもしれませんが、大皿料理は直箸によるリスクと飛沫が料理に降下するリスクが高まります。
自分や誰かの命を賭けてまで正月に挨拶に来いって強制する神様なんて居ないし、毎年恒例だからとか、正月だからを理由に今それを絶対にしなければならないなんてことは殆ど無くないですか。
これからずっとお先真っ暗という訳ではなく、海外ではワクチン接種が始まっていたり、明るい話題もあるのですから、今しなくてもいいことは数か月くらい先送りしてもいいじゃないですか。
接触を減らすと言っても東京だとこれ以上は物理的に難しかったりしないの?
というか物理的な距離を近づける=集中することで効率を上げてるのが都市ってものなので東京に限らず
ある程度の規模の都市は接触を減らせる限界があるんじゃないかなぁ、と思ってる。
例えばスーパーが3密になる、と言うけど理論上では混まずにさばけるの?という気がする。待ち行列な。
一つの店舗の商圏に何世帯あって、1世帯あたり会計に何分かかって、レジが何台空いてれば営業時間内、例えば10時間でさばけるの?
普段は電車で移動するもっと別の場所(人が「住んで」ないエリアとか)にあるお店も使えるだろうから多少分散するだろうけど
現状徒歩圏内で済ませる方向になってそうなので難しそう。
おそらくこの1日あたりの数を調整するためにイニシャルで、って話なんだろうけど…携帯電話の末尾の番号とかにした方がよくね?
公園もぶっちゃけ「来んな」って方向で、理想はそうなんだろうけど、ホントに家の中だけで1週間過ごすのは特別な訓練と技能が必要
なのはご存じのとおりなわけで。
同じ東京でも都市部と郊外だと確認者数が違ってたりしない?単純な人口比とずれた感じで。
結局心配してるのは自分のことで、東京(をはじめとした都市部がムリゲーなのが原因)で感染者減らないからって台風・大雪報道みたいに
それはともかく、コロナウイルス関連でNewYork Timesのサイトを翻訳して読んでみてるんだけど、未だに検査についてあれこれ記事書いてるわけです。
元々NYTは検査拡大しろと主張していたけど、おひざ元のNY州で感染拡大が止められず、今はトランプ政権の対応の遅さとかCDCの検査キットに問題があったとかそういうあたりを非難する記事や、ドイツは検査たくさんして致死率も低いという持ち上げ記事や、なんやかや検査検査検査の記事なわけですよ。
ドイツはヨーロッパの中では確かにマシなほうですが、100万人当たりの死者で考えるとアメリカ7に対してドイツ5でありたいして変わらないレベルなわけです。
トランプの対応が遅かったのはそうだと思いますし、CDCの検査キットに問題があったのも事実のようですが、そもそも検査精度に依存した対応策しか考えていなかったのが敗因ではないのでしょうか?
日本では2月ごろには議論されていた感染検査の感度、特異度、偽陽性、偽陰性などについての議論は全く見られません。むしろ検査をリトマス試験紙のような確定的なものととらえているふしすら伺えます。その結果が「PCR検査して隔離」にこだわって実効的な対策が取られなかった原因ではないでしょうか。
その点、中国人の「熱を計って発熱してたら君アウト」戦略のほうがはるかに合理的だと思います。PCR検査の不確実性に左右されず、コロナウイルスの外側(インフルやただの風邪を含んだ集合)で雑にフィルタリングして、それで感染拡大の抑制には十分効果があるという方法論は費用も少なく検査のため感染疑いの高い人々が待ち行列を作るといった不合理な危険性もありません。
上記とはあんま関係ないけどさ、ドイツやアメリカの報道写真見るとマジで医療機関前で人々が行列作ってるんやで?そこ一番危険な場所や!って教えてあげたい。
マスクもトイレットペーパーも供給予定が見えてたら予約注文受け付けたらええやろ
リングフィットアドベンチャーだって品切れ状態にするから転売ヤーの温床となるわけで昔のゲームソフトみたいに予約注文受け付けたらいいじゃん
別に何月何日まで正確に伝えろとはいっていないんだからおよそ3ヶ月後に発送ですとかやれないの?
ふるさと納税の返礼品だって、楽天市場の個人商店だって全然当たらないものの3ヶ月後に発送とかやってるじゃん
3ヶ月後に発送されなくても少なくとも待ち行列に並んでいることがわかればそれで転売ヤーから購入する人とか減ると思うけど
転売ヤーが根こそぎ持って行こうとするかもしれないけど、それですら店頭で同一人物を確認するより、ネットで氏名や住所、請求先の同一確認したほうが確実だろ
その日終電ギリギリで乗り換えの山手線駅へたどり着き、乗り換えの階段を駆け上がり改札を潜ろうとした所、Suicaのチャージ残高が足りずせき止められた。
急いで券売機に走りチャージする。そこで駅員の「乗りますか?」の掛け声に「乗ります」と返答。
しかしそこで改札を通ろうとするタイミングで「電車行ってしまいました」と。
駅員の言ってることは正しい。彼に非はない。
とはいえそこでイラッとするのは人間として致し方ないことであろう。
もちろん声を荒げたり、何かしら警察のお世話になるような行為はしない。
この時間であればタクシー乗り場の先頭にたどり着くのに、タクシー行列最後尾から数十分〜1時間はかかるであろう。
その先頭のタクシーに乗り込んだ。そして静かに自宅への経路を案内する。
そして1駅の距離でしかないため、タクシーの初乗り料金410円以内で家にたどり着く。
もちろん支払いは電子マネーだ。
その手数料が運転手の稼ぎの中から支払われることはもちろん知っている。
あのタクシーのおっちゃんは1時間並んで得られたのは410円。
もちろん良い気はしないだろう。
でもそれは私の気を晴らすために、イライラが彼に向けられた結果である。
私はそれを悪いとも思っていない。
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。
君は君のスマホがどのように情報をやりとりしているか理解できているか。情報が電波に、光に、導体に、どのように乗るか理解できているか。OSが何をしているか理解できているか。アセンブラから高級言語まで、どのように組み立てていくのか理解できているか。ネットワークがどのように構築され背景にどのような理論があるのか知っているか。待ち行列理論を知っているか。情報理論を知っているか。エントロピーを知っているか。統計的機械学習がどのように動くのか理解できるか。グレブナー基底を用いた数学証明をコンピュータで構築できるか。君が情報に関わる者全てを工事現場の土方だと思うなら視野があまりにも狭い。君が土方なら私は君の何千倍も優秀な土方であり、そしてかつ何よりその前に建築家だ。