はてなキーワード: 天道とは
小さいころからテスト勉強というものの意味を理解していなかった。なんでこんなことをしなければならないのだろう、ペーパーの点数が取れたところでそれが実際に使えるかどうかとはまた別の話であるのに、と。
もちろん学力のある学生にありがちな、勉強をゲームとして楽しむという姿勢はそこそこあったのだが(だからこそ今の大学にいるのだから、そこは感謝しなければならない)、中学生ぐらいの頃にはゲームに飽きてしまっていた。
今では、テストが客観性を最大限に取り入れる制度の賜物であることは充分に理解しているのだが(コミュニケーションスキルだとか、仕事をしていく面ではすごく重要視される能力が見られないのはいかがなものか、とは思うのだけど、なんとか上手く潜り抜けた側としては『ありがどうございます』)、今ですらなお、医師国家試験だの期末試験だの、試験に追われる日々なので、うんざりしてしまう毎日だ。
母親が教育ママだったおかげで、変な中高一貫校に入学することになり、一部の奇抜な天才達と六年間を過ごして、物を批判的に見るという目つきだけは養われた。おかげさまで色んな人の自慢/考えを聞いていると、『なんかこれは違うな』とか『なんなんだよそれは』という疑念が、浮かんでくるようになった。
2016年はこれに凄まじく苦しめられた1年だった。自分の考えにすら『お前それは違うだろ』『お前のその姿勢が自分を苦しめているんだぞ』と、そういう考えがポンポン浮かんでくるからだ。
『圧倒的成長』というものがある。あれって、なんなのだろう、と思っていた。もちろん、僕だけでなく数多の人が『圧倒的成長』には疑問を感じているのだろうけど、『意識高い系は馬鹿である』という前提をなくしても、かなり多くの人が疑問を抱くはずだ。『出る杭は打たれる』という、成長志向の者を叩き潰そうとする圧力をも取り払ったとしても、多分疑問は残ると思う。
では、疑問はどこにあるのか。僕がいろいろと見るに、彼らの姿勢には、『圧倒的成長をするのは誰のため?』というのが、基本的に抜けてしまっている。
もちろん、常日頃から自身の肉体の強化に励むスポーツ選手のように自身の頭脳とスキルの強化に励むのはいいことではあり、それ自体推奨すべきことではある(そこから始まるものだっていくつもある)。けれども、『手段の目的化』が起きてしまっていて、そこで身に付けたものを何か役に立てないと意味がないんだよ、ということを重要視したい。かのスポーツ選手ですら、テレビでその輝かしい肉体を見せることで少年少女に夢を与えていることを忘れてはならない。
もちろん『勉強で勝つこと』を目的とするのならそれはそれで良いんだけど、もっと選ぶものがあるだろうに……笑
自分の大学における二年間を振り返れば、それはまさに、自分の基準に当てはめるとするならば、『意識高い系』に違いない、と今は断言する。自分は手段を知らなかった/手段がそこにはなかったのだから、そして、失敗に怯えていたのだから。
能力の向上にひたすら執着した二年間だったし、実際向上したのだけれど、ただただ苦しかった。もちろん、ハードワークを強いられるので、その辛さからくるものもあっただろうけど、どちらかというと、大手を振って歩けない、あるいは、お天道様を見られない、そういうものがあった。背徳感というか、なんというか、『自分は正しいことをしていないよな』、そういう感覚と常に背中合わせだった。
もし。似たような感覚を抱いている人がいて、それでなおかつ、『努力したい』という考えがこころの底にある人がいるならば、『誰かのため』という視点を自分の中に入れてみると良いと思う。この考え方がまだ自分の中にスーッと入ってこないなら、あなたはまだまだ苦しむべきだし、もし、この考え方がスーッと入ってくるなら、僕はそれをなによりも喜ぶと思う。
なんだか、纏まりの無い文章になってしまったけれど、意識高い系の人とか、意識高い人とか、成長を心の底から望む人に贈ります。
「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられました。明治改元にあたっては、学者の松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。
五経の一つ。儒家の重要な経典。宇宙の原理・万象の変化を陰陽二元をもって説き、人間道徳も陰陽消長して万物を生成する天道に従うべきだと説く。
※『書経』 五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典。
※『五経』 中国の古典である経書のうちでも代表的な五つの書物。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。前漢の武帝の時代に、この五書を五経と名づけ、それを専攻する五経博士を置き、儒教を国教化したときに始まる。儒家の基本的教科書であった。
※『史記』 二十四史の一つ。黄帝から前漢の武帝までのことを記した紀伝体の史書。
ふーん。て事は、やっぱ漢文とか国語学者みたいなのと一緒に決めるんかな
公募はないよね
上司が亡くなった。がんであっけなく。俺はその上司にパワハラまがいのことをされ続けていて、殺したいと思うことがあるほど嫌いだった。だから、亡くなったという話を聞いて正直少しだけ嬉しかった。
でも、これって相当やばい感情な気がする。他人の死を喜ぶなんて、人として最低だなと思う。そんな感情を一瞬でも抱いた自分が気持ち悪いし、キリスト教徒ではないけどなんらかの形で懺悔をしたいなと思っている。
Twitterなんかでは他人の死に対して平気でざまぁとかいい気味とか言ってる人達がいて、なんとなく社会としては「嫌いな奴が死んだんだから喜んでもいいだろ」って感覚がひろがってる気がするけど、俺はやっぱりそういうのは良くない気がする。「お天道様が見ている」っていうと馬鹿にされるかもしれないけど、そういう感覚がどんどん薄くなって社会の基盤が少しずつ崩れてきているような気もする。
酔っぱらったので、勢いで適当に。
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あれは僕が22歳社会人の頃。
友達に「今日も俺は童貞を死守した」とか言ってしまうくらいの人間だった。
でも、言葉とは裏腹に、僕の気持ちは「早くセックスを体験してみたい」というのでいっぱいだった。
紹介、と言っても、その日、昼間から友達の男と二人で遊んでた途中で、
友達が「出会い系で知り合った女の子と合流しよう」って言ってきただけなので、
紹介とか堅苦しいものではなく、ただのノリで会って話したくらいなもん。
当時、出会い系はサクラしかいないものだと思ってたので、友達のことをすごく見直していたと思う。
夕方に合流して、僕と友達、そして出会い系の女の子の3人で飲みに行った。
2軒目に行くタイミングで、友達がなぜか帰宅してしまい、僕と女の子の二人きりに。
僕はチャンスだ、と思い、次に誘ってみたらOKだったので、ぶらり迷いながらお店探し。
正直、今考えればありえないんだけど、当時の僕はお金がなかったので、
シェーキ100円のセールをしていた近くのロッテリアが目について、
そのまま入り、シェーキとポテト買いつつお喋り…みたいな流れだった。
二人きりで何話せばいいかわかんなかったけど、相手がすごく喋ってくれて、うんうん頷いていただけだった。
話の流れで、彼女の家が割と近くにあるということらしく、
終電も近くなってきたし…ということで、礼儀として家まで歩いて送っていった。
19歳になる彼女は、地方から出てきて、一人暮らしをしていると言っていた。
若いのにえらいなぁとか、僕はずっと関心してたと思う。当時自分は実家暮らしだった。
彼女の住むマンションまで送り届けて、すぐ帰ろうかと思ったんだけど、
なんだかんだ、話が尽きずにエントランスの前でも30分くらい喋ってたと思う。
その時は10月だったので、夜の風が割と冷たくて、寒いねーって言いながら談笑してた。
さすがにそろそろ帰ろうと思ったタイミングで、彼女が「続きはウチで話そうよ」と誘ってくれた。
女子の家に行くとか初めてで、一人暮らしの女子ってきちんとしてんだな、って思った。
とにかく家にあるものに対して話を見つけては頑張って喋ってたと思う。
話すことにも疲れ、声もすこし枯れてきて。
そこに訪れる少しの沈黙。
なんかよくわからないけど、ベッドで隣あって座っていると、お互いすごく距離が近くなるんだね。
えっ、と思いながら、負けじとこっちからもくすぐってみたりして、
お互い笑い合って、わちゃわちゃしてたら、なんかベッドに二人で寝そべってて、
あっという間だった。
それが初めてのキスだった。
出会ったその日に。
こういうファーストキスを迎えるとは自分でも思ってなかったし、
出会った時にはこんなことになるとは全く予想していなかった。
それと同時に、「あー、こういうのが男と女の自然な流れなんだな」って、その時初めて思った。
その辺のカップルってすごいよね。くすぐりあってキスとか意味わかんない。
キスから先に進む段階で、あまりにも意味がわからなかったので、
彼女に「僕は童貞ですのでよろしくお願いします」と告げて、その流れでセックスした。
セックスが気持ちいいのかどうかも、よくわからないままだった。
晴れた朝だった。
すがすがしく、少し冷える気温が逆に気持ちいい、そんな天気。
晴れやかな気持ちだった。
お天道様も、いつも通り僕を照らしていた。
Twitterで定期的に、主に田舎の親戚から不理解を蔑む大学生、特に院生のツイートがバズるけどさ、そんなの当たり前じゃん。
ただでさえいい年して働かずにさ、人の金で好きな勉強させてもらってるくせに、高学歴は平均年収が有意に高くなるんだ。
それはね、金持ち予備軍を肥えさせるために、将来、自分が高給取りになりたいから、税金を寄越せって、自分から宣言するなんて、図々しくてお天道様に顔向け出来ないね。
何よりも、相手に理解を求める努力もせず、自分も省みることなく、偉そうに陰口で批判し身内の承認でダサイクル。
そんなんで外側の大多数の風潮が変わるわけないじゃん。筆者の考えていることは当てられても、他人様の気持ちはわからないんだね。
★★★☆☆
2巻9話。
居合わせたBJが、重症の子どもの皮膚移植手術をすることになる。
しかし敵対する暴力団が病院へ放火し、避難の際に父親がBJをかばって死亡。
父親の皮膚を背負って一人生きることになった子どもに、BJは陰ながら応援の言葉をつぶやくのだった。
最初のおもちゃ屋のシーンはなんとなく覚えてたけど、オチはあんまり覚えてなかった気がする。
やくざに関わりたくないと一度は断るけど、帰り道で焼け焦げた人形を見てまた病院に戻って手術することになるところのBJの表情がすごくよかった。
あと言うまでもなく手術中のやりとりも。
院長が、これは99%ダメだとか、なおっても手足の自由がきかんとか、一生この子は不幸をしょって苦しむことになるだろうとか周りからその子に言ってるようなコマ割りのあとで、バーン!とBJが自分もそのひとりだ!って言ってのけるのが、痛快だった。
その時のBJの顔もよかった。
治った子どもが銭湯で他の子どもにやーいフランケンとかバカにされてるのに対して、これはみんなおとうちゃんの皮なんだぞって言い返してるのを、
書き間違いかな・・・
お天道様の下でやくざじゃない生き方をしていく、的なニュアンスだったのかもだけど、銭湯シーンとつながると逆に違和感が拭えない・・・
あっちがヤクザ流のおどしでくれば こっちは医者流のおどしをやればいいんだ
うるさいな あなたは 苦しみにたえぬいて生きのびた子だっているんだぞ 私もそのひとりだっ
古和医院
ピノコ愛してる
二度死んだ少年
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
閉ざされた三人
万引き犬
奇胎
からだが石に…
僕には同い年同じ日生まれの姉と弟がいて、所謂三つ子として生を受けた。
書道、英会話、学習塾等、3人で習い事にもよく通わされたが、姉と弟は毎回行く前に「行きたくない」とゴネまくり、母を煩わせていた。
しかし、先生や友人の前では、誰よりも良い顔をし完璧に物事をこなした。
帰ってきては、僕のミスを逐一親に報告し、僕は親に怒られた。
学校では二人とも成績がよく、スポーツもできた。僕は運動音痴で数学が苦手で、3人並べて母親が勉強を教えたとき、僕だけが出来ない問題もあって、負い目を感じた。
何より、家では暴れまくっているくせに、外では借りてきた猫のように大人しくしている二人の二面性が大嫌いだった。
そんな3人も大学生4年になり、姉は看護大学に通い、就活らしい就活もせず付属病院に内定し、弟は理系の大学で院進を決めた。
僕は文系の大学に進んだがアルバイトもゼミナールも受からず、就活では人手不足と呼ばれている中小ITばかり回っているが、内定はもらえない。
繁華街の道端でボーっとしていた昼下り、気になる女の子がいた。
こちらに背を向けて歩いていたので、顔は見えない。
ツインテール、制服に腰巻きカーディガン、そして目をひく左手首の包帯は特徴的だが、日曜の繁華街においてはそう目立つ格好ではない。
手首のそれはファッションなのか、それとも本物なのか、メンがヘラっていない私には判別できない。
なんとなく、いわゆるオタサーの姫に適正がありそうだな、と思った。
気が向いたので尾行してみることにした。
10mほど間隔を開け、速度を合わせ、間に人を挟んで歩く。
意外と人間は視線に敏感らしいので、視線を彼女だけに集中しないことに気をつける。
後をつける道中、考えることはもちろん目の前の彼女のことだ。
1人のようだが友達はいるのか、何が目的で繁華街にいるのか、何故日曜に制服を来ているのか、手首の包帯の下はどうなっているのか、答えを勝手に想像しては1人ほくそ笑む。
声をかけて答えを聞くという手段もあるが、路上でのナンパは成功した試しがない。お天道様の下では下卑た考えがよく伝わるのだろう。
尾行の結果は面白くないことに、彼女は真っ直ぐ駅に向かって歩いていき、そのまま改札を通過した。つまらないな。
満たされるものは少なかったが、暇つぶしに付きあってくれた彼女への感謝の気持ちを胸に抱き、こちらも帰路についた。
そういえば、結局最後まで顔を見られなかったな。
非対称も非対称で、男と女の間には、どうしようもないほどの格差がある。
そんで女性は、強者であるがゆえに常に男を値踏みして、不細工やコミュ障、
そして女性のお眼鏡に適った男だけがまともに「男」として扱われる。
別に悪いとはいわないよ。強者にはそうした横暴を行う権利があるんだろう。
下々の男たちの不幸なんて無視して好きに振舞えば良い。
でもね、傷ついてるんだよ。何か行動に起こしたりしないだけでね。
そうした背景があるからさ、良くないとは思うんだけど、貧困女性を見ると
スカッとするんだよね。
水戸黄門的な勧善懲悪みたいなね。悪いことしてる奴らにはちゃんとバチが
あたるんだなあ、みたいな。そういうことを思っちゃんだよね。
女性の平均年収が男性より低いというのも、ちゃんとバランスとれてるなあと嬉しくなる。
思い返してみれば小中高大学社会人と、どこでも「もったいない奴」と言われてきた。
態度の良い優等生ではなかったし、単にお前の態度が気にくわないという意味だと思っていた。それでおおよそあってるだろう。
でも最近、態度が気にくわない以外にも、理由があるんじゃないかと気がついた。
というのも、どうも私以外の多くの人は、人生=苦行とは思っていないらしい。私にとっては驚きである。
人生とは苦行だ。死ぬまで耐え抜くレース。かといって死ぬのは怖い。子供の頃からずっとそう考えてきた。
別にとりわけ何かに困ってるわけじゃない。衣食住の心配をしたりもしてない。今、何が苦行でそんなにつらいのか、私もよく知らない。私よりつらい人なんていくらでも居る。
それでも、私にとっては当たり前の価値観で、息を吸うのと同じくらい自然なことだ。
だから、私にとって、人生の目標は、如何に苦痛を減らすかにある。
私は千の喜びのために、一の苦痛が必要ならば、何一つ喜びは要らないから、何も苦痛がない方が良いと思っている。
でも、現実には、何一つ喜びがなくても、苦痛は平気で千も万もやってくる。苦痛を回避する術を身につけなくてはならない。
従って、私にとって「能力」や「地位」は苦痛を回避するための術であり、決して現状の改善や向上のために使われる物ではない。
余計な苦痛を呼び込むなら、たとえ人がどんなに良いと言おうと、無価値どころか有害である。
小学生の頃塾に通って、中学校受験したのは、英語が得意になるとは思えなかったから、高校受験をしたくなかったからである。
いわゆる高学歴をわざわざ手にしたのは、あるのとないのでは障害の差が大きいからである。
高学歴のくせに大企業を一つも受けず(受けたところで受かったかは知らないが)、ゆるそうな中堅企業しか受けなかったのは、出世競争とか参加したくないからである。
最低限、技術の勉強とかしてるのは、ポストを完全に失うとまずいからである。
仕事を早めに終わらすのは、残業したくないし、有休を全部使い切りたいからである。
休日どこも出かけず、ひたすら寝てるだけなのは、疲れるからである。
疲れるのに仕事帰りにジムに行くのは、体力付けとかないとしんどいからである。
彼女がいたことないのも、頑張って努力して傷つくのが嫌だからである。仮に出来たとしても、つるんで疲れるのが嫌だからである。
SNSだとか、LINEをやっていないのは、そういうのでいちいち疲労するのが嫌だからである。別に情強気取ってるわけではない。
それでもコミュ障とまで言われない様に頑張ってるのは、本当にコミュ障になってしまったら、生きづらいのが目に見えているからである。
それが、人生は苦行だけじゃないと思っている周りの人から見ると、見てて気にくわないと思わせてしまうのかも知れない。
あぁ、それと、もう一つ、私はお節介ともよく言われる。
私はいい人でありたいと思っている。お天道様のしたを歩けと教えられたから。
私にとっていい人とは、苦痛を与えない人であり、苦痛をできる限り取り除いてくれる人である。
結局、これも同じ「人生=苦行」が行動原因になっているだけである。
人生は苦行でないと思ってる人には、やっぱり不快に見えるのだろう。
無駄に長くなった。ここまで読んでくれてありがとう。(はてな記法というのはよく分からんな。)
別にこれを書いて、誰かに読んでもらってどうこうというわけでもない。
なので、落ちもまとめも特にないが、何となく新鮮だったので、形にしてみたくなったんだ。
でも、こういう風に考えてる人って、私以外にもいっぱい要ると思うんだけどな。
後ろを向き背中を眺めて見たら苔が付いていた。平穏。この平穏はいつまで続くのか。幻想だよなこれって。大地震でドカーン大津波とかでザバーンて。現実とか日常ってすぐこわれてしまう。いまはただただ穏やかだ。すごーく穏やか。曜日すら忘れてしまうよ。あ、雨が降る。穏やかな小雨で甲羅が涼しい。むむ、痒い。痒いぞ。甲羅が痒い。そしてこの中は蒸せるし疲れる。出られない閉塞感もある。ああ、それはあるじも同じか。
あぁ今日は主はなにを考えているのだろう。たまには甲羅干しでもして欲しいものだ。いや、むしろ干せ。なに考えてやがるんだ。俺だって生きているんだぞ。甲羅干しの権利だっておれにはある。おれは権利だけを主張する亀とは違うんだ。人間様に飼われている義務があるんだ。ああむずかゆい。心も体もむずかゆい。そこで甲羅干しなんだよ。人間もお天道様浴びると健康になるだろ。ちなみにおれを含めた一般に見た亀は甲羅干しをすると背中の微生物や細菌がいなくなってむずかゆい気持ちも晴れるのだ。これは一般論だ。例外はない。ともかく一度ここから出せ。おれは自由を感じとりたいのだ。自由は掴み取るものだ。いつか脱走してやるこの野郎。甲羅干しをさせてくれ。むしろ自由から自由になりたい。自由を考えさせられるこの気持ちはなんだ。自由という概念をぶっ壊してくれ。
ああ、今日も雨。山ではヤマアジサイが満開だろうなあ。ああ、まだ世の中は七月でも梅雨だ梅雨だ景気が梅雨だって騒いでいるけど私は甲羅が気になって仕方が無い。甲羅が痒いのはまぁ置いておいて、世間では社会保障がどうとか税金がどうとか言われてる。おれは小学四年生の亀。年金も健康保険も信用しない。政府を信用できない。安心したい。老後も悠々自適に暮らせる安心が欲しい。セーフティネットが欲しい。若いうちは安価な労働力として使われていいけれどせめてセーフティネットはおくれよ。おれは政治とか経済とかを語る亀だ。日本の政策形成過程や統治構造なんかもわかってる。バレバレよ。とまぁ、ここで純文学を踏襲するわけだ。ギミックよ。これギミックよ。セカイと世界をつなぎたい。とりあえずあずまんはまじリスペクト。あと補足だけどdisって言葉。あずまんが誰かをdisってるとか半分以上がネタなんだぜ。あずまんまじ頭よすぎ。しかも思想とか未来とかについて誰よりも真剣に考えていると思う。他に見たことがない。これだけ通信ツールが増えて言葉や物に触れる機会が増えたけどあずまん以上に考えていそうな人はあんまし見たことない。最近お金にうるさいけど。そして感覚的にだけど。とまぁ、こんな感じよ。まぁあれだ。いまは甲羅が痒いことが動物的に「ほんとう」は大事でいまその目の前の「問題」を解決することが一番なのかなぁって思っちゃうことってどうなのかなぁ。
甲羅は果たしてどこまでが繋がっていてはたして体の一部なのか。そんなこともわからない。自分の体のことだってまったくわからないんだぜ。梅雨の時期は甲羅と背中の間が蒸れるのだ。けっこう辛いのだ。甲羅の表面とさらには地肌と甲羅の間が痒いのだ。甲羅と背中には間があるのかなぁ。痒い感覚はある。あるじは悠々自適にゴルフとかにいってやれ虫にさされ辛い辛いとか雑草アレルギーでかゆいかゆい言うけれど私だって痒いのだ。甲羅干しネタでここまでつなげるとは思わなかったよおれも。甲羅干ししてくれよブラザー。ああ、いつもいつもあるじはわがままだな。早く1人で暮らせよな。結婚もしやがれってんだ。亀の私も1人こうやって天涯孤独でこのプラ舟の中でプカプカ浮いてる。わたしもあるじ同様守るべき家族もいないし依存するものもない。けっこうさみしいのだ。ただ気は楽だがな。ああ、餌をくれ。餌をくれたまえあるじよ。おなかすいた。
あいつ餌も忘れてやがるな。絶対に許さない。絶許。暴れてやる。あぁ、腹がへっては暴れられん。困ったもんだぜマイブラザー。全国のニホンイシガメたちよさぁたちあがれ(運動感)
そういえば最近あるじは血圧が高いそうだ。病気って怖いよな。最近は放射能汚染が気になる。細胞分裂できないってまじやばくね?まぁ日常が失われるくらいならもういっそ死んでもいいけどな。疲れたよ。あるじは血圧で悩んでる。メタボだしデブだ。血圧が高いってことはいいものを食べている証拠だ。動物を喰ってる。植物も喰ってる。スッポンも喰ってたな。鬼畜。畜生だな。おれも喰われるのか…それにしてもあるじはわがままだ。ああ、甲羅が痒いし腹が減った。くそわがままあるじめ。まぁおれとほかの亀を見分けられたり、声かけてくれたり、たまにはいいやつだがな。でも嫌いか好きかといわれればどちらの感情もある。
お天道爺さまは何度も告白をしましたが、雲美ちゃんは首をけっして縦には振りません。
お天道爺さまは、断られるたびに、どうしたら雲美ちゃんを落とせるかと知恵をしぼり、からだの光を調節してちょうどいい明るさの雰囲気を演出してみたり、雲美ちゃんが目立てるようにあえて隠れて機嫌をとってみたり、ときには星太くんや月男くんの協力をあおいでみたりと、いろいろ努力はしましたが、それでも雲美ちゃんはお天道爺さまの求めを拒むのでした。
ある夜のことです。サンタクロースさんやトナカイさんが忙しそうに走りまわる空のうえで、一日の務めを終えた青空くんが、眠たそうにたたずむ雲美ちゃんに聞きました。
「お天道爺さまは、たしかにおじいさんだけれど、誰よりもカッコいいし頭もいい。どうしてそんなに彼を嫌うの?」
雲美ちゃんは、もくもくした髪の毛を恥ずかしそうに掻きながら、小さな声でこう答えました。
「だって、私がお天道爺さまを受け入れたら、地上の人たちが困るから...」
「なんで?地上の人たちだって、君たちの結婚を喜ぶとおもうよ」
「私が追い返したあと、お天道爺さまは、おうちに帰るでしょう」
「うん。立派なおうちに帰って、しばらく籠もっているよね。知ってるよ」
いよいよ恥ずかしそうに顔をそむけながら、雲美ちゃんは言葉をつづけます。
「お天道爺さま、おうちに帰って、その、私がすげない態度だったから...」
小僧の青空くんでもさすがに察しが付いたのでしょう、納得したようにうなずいて、
「あっ、そっか。お天道爺さま、泣いているんだね。その涙が、地上の人たちに雨として降りそそぐのかあ。雲美ちゃんが断らないと、雨が降らなくてみんなが困っちゃうもんね。えらい!雲美ちゃん!」
雲美ちゃんは、急に青空くんの顔をじっと見つめます。わかってくれない青空くんを見かねて、はっきりと言う決心がついたようです。
「ちがうの。お天道爺さまはね、いったんおうちに帰って、私の態度を思い返して激怒して、準備をしてから、また私のところにやって来て、それで、私の顔に、薄いけれども、いっぱい、いっぱい.....」
青空くんの顔がますます青くなります。雲美ちゃんの美しい瞳が、月男くんの照らす明かりに反射して、きらきらと宝石のように輝いています。自分が犠牲になってでも地上の人々の幸福をねがう、雲美ちゃんのけなげな心がけに感動し、青空くんは、涙をながす雲美ちゃんを抱きしめ、そのまま二人とも横になりました。その日は世界中がホワイトクリスマスになったとかならなかったとか。
ちょっと気が向いたので詳しく書いておく。
普段はブコメでつぶやくくらいで増田には書かないんだけど、ちょっと義を見てせざるは勇なきなりって言葉を思い出した。
まず、多分増田はうつ病だろう。医者じゃないが、みんなそう思ってるし、間違いないだろう。
原因は仕事だな、それも間違いなさそうだ。
こういうのは普通、労災っていうんだ。労働に起因してうつ病という病気になりましたってんだから労働災害=労災だ。
労災ってのは会社の責任だから会社が支払っている労災保険ってのが適用されて治療費は本人負担ゼロだ。
グーグルで労災指定病院で心療内科とか精神科のある病院を探せ。
ちょっと大きめの病院はどこも労災指定だからわからなければ近くの大きめな市立病院みたいなところに電話して聞いてみろ。
労災指定病院見つかったらそこで仕事が辛くてこんな状態になりました、って説明しろ。
医者がいろいろ根掘り葉掘り聞いてくるならその医者はアタリだ。労災申請の書類書いてくれるだろうよ。
労災申請できるならその旨も伝えること。
休業するならその旨も伝えること。
休業するとして、まともな会社なら毎月きちんと給料を振り込むはずだ。
まともじゃなければ弁護士に言えばいい。内容証明書いてくれるだろう。
知らないなら法テラスに電話して労働者側の代理人が得意な弁護士を紹介してもらえ。
手取り13万円ってのは残業代払われてないだろ。これは絶対に取り返せ。
あと、損害賠償請求もしとけ。
会社の業務が原因でうつ病になったんだから労災保険とは別に損害賠償請求できるからな。
絶対に解雇はさせるな。弁護士は増田を解雇させない方法を知ってる。弁護士に頼め。
とりあえず以上だ。
その前に重大な決断はしちゃいけないよ。
会社にきっちり責任を取らせろよ。それが社会全体のためになるからな。
適当こくなや、鬱病で労災は相当ハードル高いぞ、会社が協力的だとしても労基が認めない。傷病手当金申請の方がいい。休職制度がどうなってるかわからんが、傷病手当もらいつつ休職、静養して復帰・転職がいいよ。
適当酷なとか言われても、増田が何も書いてないので具体的なことなんて何も言えないからなあ。
とりあえず病院行くのは悪くないし、どうせ行くなら労災指定になってるほうがあとあと面倒ないぞ。
社内のいじめでも労災認定されてるケースもあるし申請出してみないとわからないってのが本当のところだ。
いつごろ回復するかにもよるしな。
私はなんとなくだが増田は相当厳しい状況だったんだろうと思う。
具体的なことは一切知らないが五分五分で労災かもしれないな、と思ってる。
思い過ごしならその方がいいし、傷病手当金の申請とか任意継続とか失業保険の申請とか、もまともな医者や弁護士ならアドバイスしてくれるだろう。
増田に具体的なことを書かせるべきじゃないし、ここじゃなくて守秘義務のある医者と弁護士に任せるべきじゃないかと思う。
そういうことでbronson69も適当こくなや。
追記
どうやらbronson69様がトラバつけてくれたようで。
http://anond.hatelabo.jp/20140709164747
100字では増田にも真意は伝わらなかったろうから、そのトラバを引き出せただけでも結果オーライでしょうね。
私ももう少し書き足しておきますよ。
どうも誤解しているようだけど弁護士と相談しても自分から言わない限り別に会社にはバレないよ。
相談だけなら、ね。内容証明打ったり受任通知送りつけたら別だけど、それは戦うって覚悟決めた時にやること。
弁護士と相談したからって会社が敵になるわけじゃないよ。会社が自分の権利をどのくらい無視しているのかはまず確認しないと。
訴えるかどうかはまた別。訴えるかどうかは費用対効果や自分の健康状態と相談しないといけないのはその通り。
でも、それは外野が判断するんじゃなくて増田本人と弁護士が相談して決めればいいことだと思うのだよ。
外野が泣き寝入り進めるのは増田本人にとっても社会にとっても正しくない。
最近増田でも打線組む投稿が散見されるので、マイナーどころのファミコンクソゲーで組んでみよう。
家庭用ゲーム機の出現から30数年、携帯ゲームの嚆矢となる携帯アプリの出現から10数年。クソゲーを語る文化もまた成熟しつつある。
そうした文化にこの文章が影響を与えられるとは到底思えないが、まぁ見て楽しんでもらえたら嬉しい。
擬似的な3D空間を探索するゲーム。主人公が腰の悪そうな歩き方をし、移動も遅い。上にしかビームを出せないくせに敵が横からもくる。ヒントも意味不明で音楽も気持ち悪いし壁が目に悪い光り方をする。タカラが生んだ先駆的クソゲー。
https://www.youtube.com/watch?v=tL71-Hsh9lo
坂本竜馬を操作して明治維新をおこそう。前半がアドベンチャーモードで薩長同盟を締結し、後半が戊辰戦争シミュレーション。アドベンチャーモードは中岡慎太郎が強すぎて竜馬を使うことはない。シミュレーションモードは新政府軍が弱過ぎて板垣や伊藤が隣の藩の雑兵に殺されるレベル。そして何故か生きて戊辰戦争に身を投ずる坂本。史実とは?
http://nicoviewer.net/sm4286007
糞。ゴーストバスターズのロゴがあるだろ。禁止マークにゴーストが収まっとるあれだ。あれを動かすゲームなんだぜ。これ。
https://www.youtube.com/watch?v=YxJNXahpPHc
ノストラダムスの大予言後の世界を旅するRPG。最終的に天道という実在する新宗教に帰依せよ、という結論に至る怪奇的ストーリー。宗教的、神秘主義的な世界観は独創的ですらあるが戦闘は連打ゲーであり移動は何故か恐竜で行なう。1989年という時代性、今よりももっと精神や信仰や信奉というものが身近だった、すなわち「オウム」以後に忌避されるようになった若者のスピリチュアルなものへの傾倒の時代を象徴するクソゲー。こうした意味で、もう現れない時代性を反映した記念すべきクソゲーなのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=H_rYG_ZM4Oo
ファミコンのパスワードは長い。特に長いものにこの『覇邪の封印』と『ドラゴンクエスト2』とがあるが、その評価には著しい格差がある。主人公に付いてる妖精の性格が悪く、ヒロインを憎悪しておっさんを贔屓する。悪徳商人を殺す王道ファンタジーRPG。
https://www.youtube.com/watch?v=aKe7yIqj4TY
すまんこれは名作だ。ゲームの歴史上、「攻撃して倒すゲーム」が主流のなか「最後まで守りきる」ゲーム。そしてかなり難しい。それゆえクソゲーと揶揄されるが、本当はとってもソリッドなゲーム。女の子はかわいいし、実際難易度も凝りに凝っている。
https://www.youtube.com/watch?v=cBmHNRZBZsY
マップと実際の道路が合っていない。マップ見ないで画面で覚えようにも、道路が変なところどうしで繋がっている。プレイヤーはマップと実際の画面とを総合して、自分の心の中でゲームの空間をイメージせねばならない。
https://www.youtube.com/watch?v=L2ABLQKHHCU
プーチンが領土欲を露骨に発露する2014年現在、再評価も求められるゲーム。なぜか水道管を東京モスクワ間で結ぶ。石油じゃねえのかよ。このゲームゴルビーあまり関係ないのにゴルビーの肖像権をロシア大使館に申請し、許可されている。なぜロシアも許可したのか。失敗すると可愛い女の子が投身自殺する。
https://www.youtube.com/watch?v=AC0IKZet0Ds
パリダカに出るために車を調達するところから始める。途中野生生物を倒したり、内戦中と思しきアフリカ国家を通る。荒唐無稽な出来なのだが、どこか「これがパリダカの雰囲気か」と思わせる説得力があるクソゲー。もちろん現実のものとは全然違うんだけど。音楽がかっこいい。