上司が亡くなった。がんであっけなく。俺はその上司にパワハラまがいのことをされ続けていて、殺したいと思うことがあるほど嫌いだった。だから、亡くなったという話を聞いて正直少しだけ嬉しかった。
でも、これって相当やばい感情な気がする。他人の死を喜ぶなんて、人として最低だなと思う。そんな感情を一瞬でも抱いた自分が気持ち悪いし、キリスト教徒ではないけどなんらかの形で懺悔をしたいなと思っている。
Twitterなんかでは他人の死に対して平気でざまぁとかいい気味とか言ってる人達がいて、なんとなく社会としては「嫌いな奴が死んだんだから喜んでもいいだろ」って感覚がひろがってる気がするけど、俺はやっぱりそういうのは良くない気がする。「お天道様が見ている」っていうと馬鹿にされるかもしれないけど、そういう感覚がどんどん薄くなって社会の基盤が少しずつ崩れてきているような気もする。
人を悲しませるようなことをしないためには、逆に「死ぬことで喜ばれる」ような生き方をしたほうがええんでない?
あなたのその善良な心が、やつらのねらい目なんだよ。 自分が死んだ時、誰かに喜ばれたりしないような生き方をしたい。 こんなのお前が奴隷になればイインダヨ。 奴隷が死んで喜...