はてなキーワード: 反省とは
知恵は、非常に多くのことを包含しているため定義するのが難しい資質の 1 つである。
心理学者は、知恵には知識、経験、深い理解の統合、そして人生の不確実性に対する寛容さが含まれるという点で同意する傾向がある。
賢明な人は一般的に、人生の問題は解決できるという楽観主義を共有し、難しい決断に直面してもある程度の平静さを感じる。
知恵には知性が必要かもしれないが、それだけでは十分ではない。
全体像を把握する能力、バランス感覚、知的謙虚さ、そしてかなりの内省も知恵の発達に貢献する。
知恵は経験を通じてのみ獲得できるが、経験自体が自動的に知恵を与えるわけではない。
知恵を測定およびモデル化しようとする理論が数多く登場している。
心理学者のポール・バルテスらが開発した有力な理論では、知恵を「複雑で不確実な事柄について優れた洞察、判断、助言を可能にする、生活の基本的な実用性に関する専門知識」と定義している。
これには、豊富な手続き知識、豊富な事実知識、さまざまな生活環境の理解、価値観と優先順位の相対性に対する認識、不確実性を認識して管理する能力という 5 つの主要な要素が含まれる。
これらの基準は、仮想シナリオを提示し、参加者がそのような状況で何を考え、何をするかを評価することで測定される。
社会学者のモニカ・アーデルトは、個人は反省、思いやり、真実の追求を含む性格特性として知恵を発達させると考えている。
心理学者のロバート・スターンバーグは、知恵とは自分と他人の間のバランスであり、行動が共通の利益に向けられることだと理解している。
知恵には、知識や経験などの認知的要素、状況や自分自身を分析する能力である反省的要素、そして慈悲や思いやりを意味する向社会的要素が含まれる。
知恵は、視点の転換、心の広さ、知的謙虚さなどの能力にも関連している。
賢明な人は過去の観察や意見をより微妙な思考スタイルに取り入れ、白か黒かの選択肢ではなく複数の視点を考慮する。
新しい考え方にオープンであること、つまり現状に挑戦することは、知恵の特徴であり、知恵を培うのに役立つ。
賢明な人は一般的に公益のために行動するが、同時に自分自身のニーズも満たされるようにし、競合する要求や目標の間で調和を図る。
また、賢明な人は他人の行動を単に判断するのではなく、他人の動機を理解しようとする。
他人への理解と尊敬を育むことに加えて、知恵は充実した目的意識をもたらす。
仕事上の重大な決断を下したり、辛い人間関係の葛藤を解決したりするなどの経験を積むことで、より多くの知識が得られる。
また、教育の場で批判的に考え、視野を広げることを学ぶことで、スキルを磨くこともできる。
決断を下す際、偏見を持たず、客観的な視点を持ち、知的謙虚さを持つことは、すべて適切な結論に到達するのに役立つ。
これらの特徴により、全体像が生まれ、特定の状況の要求と、さまざまな状況に対処する方法に関する知識との適合性を判断するのに役立つ文脈的要因が明らかになる。
川口ゆりさんの問題 まず大前提に、ハラスメント防止研修講師だった事 研修講師先が建設業な事 汗かいてナンボの業界で講師してたのにも関わらず、あの発言 擁護できないです 反省して、1日中汗かく様な仕事してください
「美しい」という概念は、日常的な意味と芸術哲学における意味で異なる側面があります。主な違いを以下に示します。
### 1. **日常的な「美しい」**
- **感覚的な快楽**: 日常的に「美しい」という言葉を使う際、人々は主に視覚的、聴覚的な快楽に基づいていることが多いです。たとえば、美しい風景、花、音楽などが挙げられます。これは、個人の感覚や好みに依存しやすく、比較的主観的です。
- **直感的な反応**: 美しさは、しばしば瞬間的な直感や感情的な反応として経験されます。特に美的評価を深く考えたり分析したりすることなく、「美しい」と感じることが多いです。
- **普遍的基準の不在**: 日常的な美の概念には、普遍的な基準がなく、何が美しいかは人それぞれです。
- **哲学的探究**: 芸術哲学で「美しい」とされるものは、単に感覚的な快楽にとどまらず、より深い哲学的探究の対象となります。美しさの本質、普遍性、そしてその社会的・文化的な意義について考察されます。
- **形式と内容の関係**: 哲学的には、美はしばしば作品の形式と内容、つまりその構造や秩序、調和に基づいて論じられます。例えば、ある芸術作品の美しさは、その要素がどのように組み合わさり、全体としてどのような意味や感情を生み出すかに依存します。
- **普遍的価値の探求**: 芸術哲学では、美が単なる主観的な感覚にとどまらず、ある程度の普遍性や客観性を持ち得るかどうかが重要な議論の対象です。例えば、イマヌエル・カントは、美を感覚的な快楽のみに基づかない普遍的な判断であると考えました。
- **美の批評と評価**: 芸術哲学においては、美は批評的に評価されるべきものでもあります。これは、美的経験が単なる個人的な感覚ではなく、理性的な評価や批評を通じて共有され、理解されるべきであるという考え方に基づいています。
### 3. **重要な違い**
- **深さと反省**: 日常的な美しさは、即座に感じられる感覚的な反応に基づくのに対し、芸術哲学的な美しさは、深い反省や分析を通じて理解されることが多いです。後者は、感覚を超えた理性的な理解や社会的、文化的背景の中での美の位置づけを重視します。
- **対象の範囲**: 日常的な美は一般に自然や人々が美しいと感じるものに限定されますが、芸術哲学では、美の対象は必ずしも「心地よい」ものに限定されず、異様なものや不快なものにも美的価値が見出されることがあります。
これらの違いを通じて、芸術哲学の「美しい」という概念は、単なる感覚的快楽を超えて、深い哲学的探求と普遍的な価値観の探求を含むものとなっています。
170cm以下は「私は」キライ、なら燃えなかった
個人の好みの宣言に留めておけばいいものの、
選好の自由の範囲を越えた、男大半の人権に言及したのがポリコレ違反だった。
…
オレの昔の日記より。
思い出して慌てて検索したが、やっぱり適当なことを言っちゃってた。
オレは間違っていました。
当時この日記を読んで、なるほど、と納得してしまった方がいたら、撤回して謝罪します。
すでに速報が流れてるから、ご存知の人も多いと思うけど
“男性の体臭が苦手すぎる”物議フリーアナ「異性の名誉毀損」事務所との契約解消「大変反省しております」(スポニチ) | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240811/spp/sp0/006/281000c
プライベートな場での個人的な好みの宣言でさえ——愚かにも当時オレが「選好の自由」などと表現していた範囲でさえ——まったくセーフでは無かった。
「選好の自由」は自宅の庭じゃなかった。
申し訳ない。
これ東京の男が臭かったのが悪いだろ
@funifuniyuri
札幌と東京でそれぞれアナウンスのお仕事が決まり嬉しいな。イベント企画の仕事では逆に登壇候補者を決めたり、運営側に回ることもあれば表に立つこともあって、毎日ほんとに暇なしで飽きることないくらい仕事が楽しい。東京にいると新しい出会いが沢山あってそれもまた刺激になる。
↓
@funifuniyuri
この度は私の不用意な発言で不快にさせ、傷つけてしまった方が多くいたこと、大変反省しております。言葉を扱う仕事をしている者として未熟でした。
以後、言葉で誰かを傷つけてしまうことがないように精進してまいります。
本当に申し訳ございませんでした。
『ズッコケ山賊修業中』の別れの部分と、『うわさのズッコケ株式会社』の商売の仕組みの説明だけ妙に覚えている
地味に街の地図の部分が好きだった
徒歩と自転車で行ける生活範囲から始まるリアリティが小学生には自分にも起こりえるかも感があったからだと思う
90年代後期はホラーブームがあり、児童書でも恐怖をあおるものが多かった中、
ホラーの怪物たる吸血鬼と友達になる展開に面食らった覚えがある
そのため、味付けや内容の異なる『花子さん」を小学生時代は過剰摂取していたと思う
子供向けホラー作品の中で、子供自身が怪奇現象と戦うのが目新しかった気がする
ぬ~べ~とか霊能力者の大人でなくても、呪符や巻物や数珠みたいなアイテムを使って小学生が怪奇現象に立ち向かえるんだ!と夢中になって読んだ
大学のときに、腐女子の先輩に「地獄堂霊界通信と言えばミッタンだろうが!」と言われ、子供に振り回される元ヤン警官に目をつけるとはこの人早熟だったんだろうなと思ったのを覚えている
■リング
車の移動図書館が小学校高学年ごろに地元ではじまり、今まで図書室になかったライトノベルや大人向け娯楽小説などに触れることとなった
何となく借りたら、精子を媒介として増殖する零体という概念が怖すぎて、2日間くらい寝れなかった
初めて触れたアンチヒーローでかつ、ファンタジー的な世界観のパロディ的な作品
これと魔法陣グルグルやドラゴンクエストの四コマ漫画などで、ファンタジーはパロデイして遊ぶものだと意識づけられすぎた
そのせいで、中学生のときに指輪物語を読んで、みんなこんな濃厚な世界観を知ったうえでパロディしていたんだと自分の無知に若干の反省をした
この作品の生でクールであればクールであるほど格好いいし、弱い能力であればあるほど格好いいと思うようになってしまった
ペパーミントの「大衆に売るためのコツはちょっとだけ不味く作ることだよ」みたいな台詞がいまだに印象に残っている
中学生のときに実家の近くに古本屋ができて、100円で買って読み漁った
怪奇現象や登場人物だけでなく、文章での細部描写自体が怖いことがあると知った
スタンド・バイ・ミーの死体に集まるカブトムシという描写が怖かった
「あれはやす子へのネタ返しである。派手に滑っただけ」という趣旨のブコメを付けて擁護してた奴を結構見た気がするんですが、なにか言う事はないですか?
フワちゃんから直々に「やす子のポストへ誹謗中傷するのならという意味でのポスト」だと明言されたよね?
つまり完全に間違いだったわけだけど、勝手なデマを撒いたお前らは謝罪しないの?
問題点は2つあって、
擁護のための優しい嘘…な訳ねーだろ
小さくてもデマはデマ。それが意図的なら尚更悪質。本気で言ってたんだとしても、結果的に間違いだったんだからデマであることに違いはない
これは一部の人だけだけど、「明らかに滑っただけなのに、こんなに叩いてるブコメがあって戦慄している!」みたいな言い分で、
「滑っただけだと思ってないブコメは頭がおかしい」ばりの批判コメをしている人も居たね
いいことも悪いこともけっきょく己の劣等感へと思考がリンクしてしまう。
自分の運や実力を信じてどこまでもポジティブでいられるならそれはそれで病的といえる。普通の人はそうならないように適度に自らを不安に浸す。上手くいってるのはたまたまでは?自分は本当は不運で無能なのでは?と。つまり逆説的だが不安に浸ることには精神安定作用がある。
その安心作用に依存すると最初からブレーキを踏むのが癖になる。自分はダメだダメだ。でもそのことに気づかずに調子に乗るほど危険な状態ではない。最悪よりはマシな現状だ。…そのように自分をディスカウントして「自分を見失ってるわけではない自分」の最低のラインを死守することで、本当の最悪というものから自分を遠ざけておける気がする。
そういう思考の癖がついている。
しかしそういう思考パターンのメカニズム自体は別に重要ではない。なぜならクセはクセであって本質ではないから。
あらゆるモノに質量があり慣性が働くように行動や思考にも習慣性というものがある。ドカ食いをどうしてもやめられない人も、それはそういうパターンにはまり込んでしまったのであり生まれつきドカ食いを宿命づけられているのではない。
では思考の癖を剥がすにはどうすれば?というと言わずと知れた話で、訓練により別のくせをつけていくことしかない。
セルフディスカウントでないリアリスティックな物の捉え方考え方を。
しかしこれ言うは易いことであって、心を守るための悪い癖を脱ぐのは死の不安を生身で抱きしめることであり生存本能への挑戦です。
過食嘔吐とか自傷とかも反省したらすぐなおるとかありえないように。
だからこそ近道はない。本能をなだめるために、例えばスモールステップを設定し小さな成功体験を積むとかのテクニックを思いつく限り駆使しつつ、結局は自分の覚悟次第ということになるでしょう。根性論「だけ」では何も解決しないが、根性論抜きでもやはり何も解決しない。「自己改革は死ぬ気でやらないと無理」身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ…というのはそういう意味でしょう。
とりあえずの「精神安定のコツは?」みたいな話にいきなりの叱咤激励というのもあれだけどどうせどっかで行き詰まってイヤでも勝負かけるしかなくなるのは予感してるのではないでしょうか?
吐き出し。
コロナ時期から、真実はこれだ系のYouTubeにはまったらしく、トランプを支持したりマスクやワクチンは意味がないなどと言い出したりして苦々しく思っていたが、ネット上でも似た事例を見つけて、ただ悲しいなと思っていた。
友人なら距離をおくなどを考えるが、親なのでそうもいかず、また自分が大事にされていることは分かっていたので、衝突するであろう話題を避けることで乗り換えてきた。里帰りなどで一緒に過ごすのは年に数回だったので問題なかった。
真実系に染まったと思われるのは父だけで、それを日常的に聞かされる母や弟は本当に大変だな、と離れた視点で思っていた。
自分の中で何かが変わったと思ったのは長崎の平和祈念式典のなりゆきを見てから。
その前触れというか土台は、少し前に里帰りしたときに久々に父と言い合いをしたことにある。たまたま流れたニュースへに対して発したやりとりから始まったが、父がイスラエルを擁護していることがわかった。そのときは、今後は徹底的に話題を避けるしかないな、と思うことで収まった。
だが、長崎の式典への各国の対応を知って、家族や知人には言えないが、こんな世界に子供をもうけておらず本当によかったと思ってしまった。
※個人の過剰な感想なので、気を悪くする人もいると思います。そのときはすみませんが読み飛ばしてください。
実際には口が裂けても言えない。
なぜこんなにショックを受けているのか少し自分でも謎だったが、今日酔っ払いの頭でふと気づいた。
父はこちらに何か不安な事があるたびに「いつでも帰ってこい。お前たちの帰る場所はここにある」と言ってくれていた。私はその言葉にとても励まされていた。
ガザの人たちは、イスラエルの入植により帰る場所を奪われた人たちだ。追いやられた場所で必死に生活をするしかなく、なんとかやっていたのに、追いやられた場所で、今は一方的に虐殺行為を受けている。イスラエルにより。
きっかけがハマスのテロだとして、民間人を虐殺することがなぜ正当化されるのか。なぜ、そんな国とそんな国を擁護する人の言葉しか聞き入れないのか。
父は帰る場所があることの大事さを知っているはずなのに、なぜ帰る場所を奪い狭い場所に閉じ込め虐殺を行うことを肯定できるのか。
今回の長崎の件で、アメリカだけならともかく、そのほかの欧米諸国もアメリカ同様にイスラエル支持の立場であることが明確になり、それに絶望した。安い言葉だが。
父は欧米諸国寄りの思想なので各国情勢でいくと主流派にはなるのかもしれないが、長崎の件でそれがまざまざと見えてしまって、自分はそのことをまだ消化しきれていない、ということなのか。
全然関係ないが、ここまで父に会いたくという思いを持つことで、少しだけ宗教戦争に思いを馳せた。信仰の違いは戦争につながることがありえたんだな、と思う。信じるものが違いすぎると家族でも遠くなる。
これも全然関係ないが、自民党と統一協会の関係は、欧米諸国とユダヤ資本の関係に似ている部分があると思う。
アメリカでも、若者の間ではイスラエルやばいよね、という意見が多いらしいので、そこは希望が持てる。
思うだけで自分は何も行動はしていなかったことを反省し、ガザ人道支援の募金をした。
この行動のきっかけになった点は父に感謝できるのだろうか。それにしても、あーー里帰りしたくない。帰るんだろうけど。
まとまらないことに変わりはないが、理屈はおいといて、罪のない子供たちが殺されるのは許容できないと思うし、子供を大事にしてくれる父にそんなことをしている国を擁護してほしくないのです。
他人を虐げて苦しめるのは気持ちいいってのは人間の本能なんだしやるのが普通
匿名であることは、自由に意見を述べる機会を与えてくれるが、同時に無責任な発言が生まれやすい環境でもある。
匿名性がもたらす二面性であり、利用者はこの点を理解しておく必要がある。
自由な表現を楽しむ一方で、自分の言葉が他者に与える影響を考慮することが重要だ。
自分の考えを整理し、筋道を立てて伝えることで、他者に理解されやすくなる。
匿名の日記では、他者からの批判的な意見や、時には非常識なコメントに直面することもある。
これを避けることは難しいが、建設的な意見を見極め、自分の考えを再評価する機会とすることができる。
普段は意識しない感情や考えを言葉にすることで、自分自身をより深く理解することができる。
書くことは、物事を深く考える機会でもある。
表面的な事象にとどまらず、その背後にある理由や意味を探ることが求められる。
はてな匿名日記は、自由に考えを表現し、深く考えるための場である。
私はフワちゃんが好きです。
フワちゃんはおしゃべりがあんまり上手くありませんでした。早口ですぐに脱線するし、そのくせ準備もロクにして来ず、結果「何を話せばいいか分からない」と泣き出してしまう。
いっつも遅刻してて、いっつも誰かから怒られてて、いっつも怒ってる。
でもなぜかとても楽しそうで、自由に自分の人生を生きているように私には見えました。
フワちゃんは大きなゴールデン番組に出てるときの自分を「ぶりっ子してる」と表現していました。
どこかでやらかした話を、周囲の反応も含めて面白おかしく話していました。
ところ構わず大声で話しかけてくる一般人に対して、「わたしは周り見えてない奴ホント無理」と怒っていました。
フワちゃんはすごくメタな人で、頭では全部ちゃんと分かってて、でも、できない人です。
そういうところを勝手に自分に重ねていました。私が必死に必死に隠そうとして、最も恥じている部分を、フワちゃんは表に出してエンターテイメントにしていました。そんなフワちゃんがみんなに受け入れられて楽しそうにしている姿を見て、もしかしたら私だってこういうふうに生きられるんじゃないか、と希望をもらっていました。
あと、かなりずるい考え方ですが、下には下がいることに安心していました。
だから、フワちゃんの失言がきっかけで、フワちゃんの居場所が奪われていくことが少しずつ決まっていったこの1週間、とても悲しかったです。
これも、まるで未来の自分を見ているようでした。どんなに頑張ったってどんなに認められたって、不注意で軽率で衝動的な人間はいつか取り返しのつかないことをしてしまうのでしょう。そして、何年もかけてやっと手に入れたものはあっさりと無くなってしまうのでしょう。あの子も、私も。
そんなことを考えていたらひどく落ち込んできました。でも、フワちゃんには才能があります。明るくて楽しい彼女なら、きっとこれからの人生もなんだかんだ楽しく送っていくんだろうなとそんな気がしています。
私にはフワちゃんほどの才能はありませんし、人見知りで交友関係もかなり狭いです。私はこれからも、しくじらないようにしなくてはなりません。
隠して隠して隠しきれなくて怒られて逆ギレして反省して、結局私もフワちゃんと同じように生きていくでしょう。私はフワちゃんよりはずっと低空飛行ですが。
本編はアニメで見た。
連れ込まれる瞬間を監視していたくせに助けもせず成り行きを見守っていた登場人物がいる。
その登場人物は何が起こるかを察していた。
これから主人公がどのような目に合うのかをしっかりと確実に認識した上で見逃した。
さらに見逃しただけではない。
コトが終わるまで外で待機していた。
加害者が出て行ったことを確認してボロボロの主人公のいる部屋へ行く。
被害に遭ったばかりの主人公はおそらくその登場人物にもヤられると思ったのかパニックを起こす。
すると近づいて抱きしめてTrust meと言ってんの。
何言ってんだと思った。
後日、主人公がまた加害者に絡まれてると前回は傍観者に徹していたその登場人物が現れて「この子に手を出すな」と加害者を脅す。
え?
なんで?
やれるのになんで前はやらなかったの?
考えてみると主人公はとても警戒心が強いから自分を信用させるための手段だったんだろうな。
一回目は被害に遭わせて直後に優しくすることで懐柔。
二回目は目前で助けることで信用させる洗脳。
そんな話なのに被害に遭うのを見逃した件を追及されない。
見逃した本人も反省することも罪悪感を抱くこともなく読み切りは終了。
すっごいもんを昔の少女漫画は描いていたんだな。
主人公はIQ高い天才なので何であのタイミングでその登場人物が入って来れたのか。
次の時は助けたのか。
のちに悟ったよな。
してもらえなかったことを逆恨みする性格ではないし大人に対する期待と信頼を持ってない主人公にとってはやっぱりw程度の出来事だったろう。
こんなにも爽やか風に大人のエゴと計算高さを描かれたことでさらに醜悪さが目立つ話だった。
それにしてもひでーな。
10年ほど弊社にいた、障害者雇用のセクハラ野郎がお亡くなりになった。
死因はご遺族が明かしてくれなかったため不明。
労災ではないらしい。
20代の女性社員ばかりを狙って、業務にかこつけて口説くクソ野郎だった。
正直いなくなってほっとしている。
私が観測できた範囲では、セクハラ野郎の訃報に悲しんでいる様子の同僚はいない。
まったく聞こえなかったらしい。
声は出せるが、「ン、ン」「ヒャワワワ」みたいなしゃべり方しかできなかったから、電子メモパッドを利用した筆記でやり取りしていた。
それが災いした。
メモパッドはボタンひとつでさっと文字が消せるから、セクハラ野郎が女性社員を口説いた証拠が残らなかったのだ。
加えてこのセクハラ野郎、本当に狡猾で、強気なタイプの女性には手を出さなかった。
「自意識過剰なだけかもと思って……」
「大事にしたくなかったので黙っていました」
狙われた女性たちは、そんなことを言う人たちばかりだった。
私の部下も一時期狙われていた。
私が気づくまで、彼女はセクハラ野郎から何度も映画に誘われていたらしい。
怖かっただろう。
もっと早く気づいてあげられたらと、数年経った今でも思い返しては反省している。
部下の被害をしかるべき窓口に通報した際、セクハラ野郎に対する通報が過去に何度もあったことを知った。
だが、身体障害者の雇用は需要>>>>>供給のため、会社としてはセクハラ野郎を手放したくなかったらしい。
健常者だったら、20代女性複数人に対するセクハラ疑惑が上がっただけで出向か退職を勧められるのだが……。
健常者なら許されないハラスメントが、障害者なら許されてしまう。
そんなことがあってもいいのだろうか。
障害者特権という言葉が生まれるわけだと、なんとも複雑な気持ちになった。
あの世に行ってまで、30も40も年下の女性を口説いてまわるような愚行はしないで欲しいと願う。
どうか安らかにおとなしく眠ってくれ。
1. リベラルでない者・リベラル公認マイノリティ以外(例:九州人やアラブ人)に対する差別は正しい批判の一種であり、「逆差別」などと批判するのは論外である。(Yes / No)
2.ルッキズム(外見差別)、エイジズム(年齢差別)、学歴差別、職業差別等は女性に向けてはいけないものだが、男性・リベラルでない者に向けるのはカウンターとして正しい。(Yes / No)
3.リベラルの誤謬や矛盾を指摘する不届きものはすべてネトウヨなので、どのような詭弁、嘘、差別的な人格攻撃を用いても絶対否定し、ときには集団的自衛権を行使して殲滅すべきだ。(Yes / No)
4.欧米のリベラルヴィーガンが言ってることはすべて正しいので、それがたとえ日本の差別史的には部落差別に当たるものでも、精肉業者への侮蔑、攻撃には黙認しなければならない。(Yes / No)
5.科学的根拠より、ツイッターの多数派のエビデンス🍤の方が正しいので、すべてアップデートすべきだ。(Yes / No)
6.正しい「リベラル」がネトウヨと比較されるような行動を取ることはないので、例え一部であれ「リベラル」がネトウヨと同じ欠点を抱えているとする批判、「左のネトウヨ」などの形容はすべて論理矛盾であり、正義を妨害するための詭弁である。(Yes / No)
7.八丈島に行かないと会えない小池さんより、渋谷に行けば会える蓮舫さん。(Yes / No)
8.リベラル側の冷笑はシニカルなユーモアだが、リベラルやリベラル公認マイノリティに対する冷笑は悪質な差別煽動である。(Yes / No)
9.LGBT+のいずれかの要素が含まれている場合は、どんなえげつないプレイや行為であっても全肯定すべきである。無断でトイレや銭湯をハッテン場にしてヤり合っていても、それを批判するのは差別である。(Yes / No)
10.リベラルの思う女性像に合致しない女性は総じて『名誉男性』であり、差別しても問題無い。(Yes / No)
11.リベラル側の意見は全て正しく、嘘であるはずがない為、ファクトチェックの対象とすべきで無い。よって政権に対する批判を「デマ」だとするXのコミュニティノートやリトマスなどのファクトチェックメディアは敵である。(Yes / No)
イジメしたりパワハラしたり馬鹿を騙して稼いだり、今まで被害者を作りまくったけど反省は無いな
やりたくてやったんだし。過去は過去なんだし今はやってないんだから関係ないしな
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まず、この投稿を読んでから下記をの個人的な感想を読んでほしい。
ネタあれば良いのだが、ネタではない場合は子供にとっては非常に良くない家庭環境だと思いこの文章を書こうと思った。
手厳しいことを書くが、投稿者の家庭を傍から見れば、無知故に友人らの影響で息子を蔑称呼びしてしまう30代母親と、息子の蔑称呼びに対して自分が言われたかのように感情的になり妻を窘める事もできず、本質的な問題である妻が息子に対して抱いている危機感を直視せず実家で楽しくして欲しいと言うふわふわとした感想しか持てない投稿者である40代父親
悲しいかな、子供からしてみればどちらも信頼できないし安心もできない両親だ。
正直な話、投稿者は妻子とのコミュニケーションが普段の生活の中で全く取れていない様に見える。
下手すれば、育児に対しても必要最低限の参加しかしてないのでは?
普段からコミュニケーションや子育てに積極的に参加していれば、妻が友人らの影響を受ける前に息子の問題に関して真っ先に相談しただろうし、妻が抱く息子の違和感に気が付くこともできただろう。
しかし、投稿者は『関連付けを拒むべきというのが結論』などと宣い自身の息子がどのような精神状態なのかも把握することすら逃げているように見える
結局のところ、例の蔑称を否定するのに固執しすぎていて息子と向き合う姿勢が全くないのだ
蔑称を否定したいだけの投稿者と成績など複数の要素をを加味して息子の状態は果たしてこのままで良いのかと悩む妻
投稿者が妻と話が嚙み合わないと言っているが当たり前の話である。
某蔑称を否定することに固執する前に、投稿者は色々と手遅れになる前に妻子と向き合うのが先決ではないかと思う
投稿者の妻に関しても、投稿者が非常に回りくどく拙い言葉で蔑称だから辞めてほしいと言っているにも関わらず、その言葉が最適だと言って息子に対して使ってしまうのは異常だ
実の娘をパパ活女子と罵倒している様なものだと理解する必要があり、一種の虐待である
某蔑称をネット検索したのならば、発達障害やASDなどの心理学的な問題とぶつかる羽目になる筈だ
けれど、彼女はその事には触れずに某蔑称を使用しているのを見るに、息子が精神障害などの心理的な問題を抱えている可能性を認めたくないようにもみえた
ちなみに某蔑称の男性に育ちやすい環境は、母親の過干渉と父親が育児に参加しない事である
子供にとって同性の親というのは、参考にすべき人生のロードマップのようなものだ
しかし、その機会がないと子供は手探りで生き方を探さなくてはならず、ネットでの間違った知識や偏った思想に影響されやすくなる
なにより、母親は父親にはなれない為、異性の息子に関して間違った教育を施した結果、子供は非常に傷つき自己肯定感などを無くしてしまう悪循環が発生するのだ
そんな母親の過干渉と暴走を止めて息子を守りつつ導いてやるのが父親の役目である。
果たして、投稿者は父親としての役目を果たせているのか、その妻も息子の関して過干渉になりすぎていないか疑問だ
では、どのように子供と向き合うべきかは、医者やカウンセラーに相談するなり、本を読んで勉強するしかないだろう
特に分かりやすい本は、出口保行の書いた『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』や『犯罪心理学者は見た危ない子育て』等の心理学関連の本である
子を思うなら実家で楽しくしている事を願う前にこの本を夫婦で読み、各々が感想を言い合って子に対する向き合い方や反省すべき点を喧嘩腰にならず冷静に話し合うべきである
正直なところ、子供にとって投稿者とその妻は良くない両親ではあるが、唯一無二の両親でもあるのだからしっかりして欲しい
人間誰しも間違った方向に行くこともあるが、軌道修正することも可能なのだから
本当に息子のことを思うなら、某蔑称の否定に躍起になるのではなく、夫婦ともども子が健やかに育つように支えあうべきだろう
これを切っ掛けとして、投稿者には息子の為にも頑張ってほしいと思った
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