はてなキーワード: 依存症とは
話せれば誰でも良いって訳じゃないし、話題も何でも良いって訳じゃ無い
でも辛い辛くても死ねない
頭では分かってるのに辛い
人に迷惑もかけてない、仕事もちゃんとしてる、家事もちゃんとしてるなのに毎日こんなに辛くて辛いのを解消したいだけなのに方法が分からない
辛くて楽しい事何も無いし期待も出来ないのに昔楽しかった事がもう一度来ないかなって生きる事に依存して何も無い事に辛くなってる
こんなんいっぱい居ると思う
自分から動けって言うけど動こうが動くまいが誰も見てないから意味が無い
人の心というのは主観なので誰もが羨む環境でらあっても死にたいぐらい辛いというのはあり得る
ドラマでヒロインが大声で発狂するシーンを見て「ああ大声出せるなんて幸せだな、うるさいって殴られて声を出す事すら許されない方がよっぽど悲壮なのに」って思った
誰かに虐待されている訳じゃないのに私が私を虐待する思考が止まらない
何故人の足を引っ張るのか分かるよ自分が幸せになる事を想像できない人が多いからだ
鬱メンタルを痛み止め感覚で治す薬が出ない限り他人の不幸を願うし自分の幸せを認識する事もできない
ああ辛い
きっとお前の方が辛いんだろうな
35歳女。夫のちんぽに精子が無かった。
不妊治療(TESE)で子を授かりそれなりに幸せな日々を送っているが、性生活に満足できていない。
昔からAVや18禁同人誌の中出し描写が好きだった。愛しているといっても過言ではない。射精間際にありがちな「中はダメぇ!」、これは妊娠可能性が少しでもあるからこそ燃えるセリフである。妊娠を目指したセックスであれば「中に出して!」これも素晴らしい。自分より強いオスという生き物に屈服させられている感覚、孕むために愛する男に種付けされる幸福。
夫ちんぽのスペックを知らずに夫と結婚してしまった私は、どちらも手に入れることができなかった。もちろん夫は悪くない、むしろ同情する。精子があれば、妻が中出し狂でなければ、どこからどう見ても平和で幸せな家庭を手に入れられるはずだった。しかし妻は中出し狂だった。夫ちんぽを認めることができず、屈服感被征服感を求めて他の男に手を出した。
やはり子作り実績のあるちんぽは良い。本物のオスに抱かれているという感覚。だが、抱かれるたびにどこか虚しさが募る。夫のちんぽが本物であれば他人に抱かれたいと思わなかっただろうか?性欲が衰えるまで、こうして一生他のちんぽに抱かれるのだろうか?
罪悪感はないと言ったら嘘になる。自分でもこの性癖をどうすればいいのか分からない。何より話し合いで解決できない問題である、夫に伝えたところで夫を悲しませるだけだ。なぜ自分がこんな性癖になってしまったのかも分からない。もしかしたら男尊女卑的な考え方をする父親に知らぬうちに影響されていたのかもしれない。
先日セックス依存を描いた漫画を読んだが、自分もある種の依存症なのだろうと思う。カウンセリングを受けた方が良いだろうか。しかし「どうしても本物のちんぽを得たい」という欲望は誰にも理解してもらえない気がして悩ましい。夫のことはちんぽ以外は好きだ。
ただ、大きな違いとして、次のように分かれています。
・心療内科は、こころの病が原因で症状が「身体」に現れる病気を治療する。
・精神科は、こころの病が原因で症状も「こころ」に現れる病気を治療する。
もう少し、詳しく説明していきましょう。
〇心療内科
心療内科では、心理的な要因から身体に症状が現れる「心身症」が主な対象となります。
心身症とは、心理ストレスの影響により、身体に機能的障害を患う症状を指します。
例えば、職場や学校など、特定の場所・状況になると頭痛や吐き気、下痢に襲われるなどは、心身症に当てはまる可能性があります。
内科などを受診し、特に異常は見当たらないにもかかわらず、身体の不調が治らない場合は、一度、心療内科を受診してみた方がいいかもしれません。
主な症状
・倦怠感、疲労感・動悸や胸の圧迫感・手足のしびれや震え・めまいや耳鳴り・喘息・腹痛や下痢など
主な病名
・心身症・消化器心身症・うつ病・睡眠障害・過換気症候群・拒食症など
〇精神科
不安や落ち込みなどの症状から幻覚や妄想といった症状まで、こころで起こってしまう病気を治療します。
「周りがみんな自分の悪口を言っている」「近所の人から監視されている」などの思い込みも、よくある症状のひとつです。
また、アルコールや薬物などの依存症も精神科の担当分野となります。
主な症状
主な病名
・依存症・うつ病・解離性障害・強迫性障害・睡眠障害・摂食障害・双極性障害(躁うつ病)・適応障害・統合失調症・認知症・パーソナリティー障害・発達障害・パニック障害・PTSDなど
そういえば、睡眠サイクル障害症候群の時に、紹介されて通院していたのは精神神経科(=精神科)だった。
二年以上通ったけど治ることは無くて、通院と薬止めたらいつの間にか治った。
暫くは、眠れなくても周囲と同じ生活時間に合わせるように無理して起きてたり、
夜はただ横になってるだけで辛かったな。
正義の暴走恐ろしい恐ろしいって言ってるバカは、せいぜいネットの炎上しか想定してないだろ。
正義で性犯罪を犯す奴はいないよな?みんな快楽で犯すよな?快楽で、コンクリ事件やN番部屋みたいな残虐な性犯罪も起きてるよな?依存症にまでなるよな?
旭川いじめ事件も正義が動機なんかではどう見てもないよな?快楽で一人の人間をいたぶってるよな?
ゲーム依存症も、不倫も、麻薬も、子供より男を選んでネグレクトする母親も、みんな正義感なんかじゃない、快楽でやってんだよ。
大して上手くもない対人ゲームに時間費やしちゃうのマジでやめたい
負けず嫌いだから勝てないしプラスの感情になれないのにやり続けちゃう 絶対勉強とか創作活動やってた方が主観的にも客観的にも価値あるって頭では分かってるのに
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
はてブをはじめSNSにネットニュース、YouTubeまであらゆるコンテンツや情報に時間と精神を蝕まれている。
見逃したくない気持ち(FOMO)や好奇心、または心の隙間がそうさせるのだろうけど、
あらゆる企業と個人が可処分時間とアテンションを取りに行く死にものぐるいの競争をしているので、
抗えないといえば抗えないのだろうけど、それにしても見事に振り回されていていて情けない。
取捨選択、節度ある付き合い方ができればいいのだけれど、なかなかうまくいかず、強迫観念と不安にかられている。
ここ10年くらい、自分はアル中のけがあるなと思って生きてきた。
ずっと前に読んだアル中に関する本に
"アルコール依存者となったら、きっぱり断酒するより他に治療法はない。"
と書いてあったので、酒好きの私は依存症になりたくないと強く思っている。
それにもかかわらず、ほぼ毎日、飲みすぎなくらい飲んでいたので
実質的にはすでにアルコール依存者となっているのではないかという恐れもあった。
それでも自分をアルコール依存者と認めないのは、同じく昔どこかで見たアルコール依存者のチェックリストの
に該当しなかったからだ。
依存症になっているかもという不安感が強くなってくると酒を飲んでも旨くないので、「自分の意志だけで1週間の禁酒ができるか」を年に2回ほど確認する。
このセルフチェック禁酒に失敗したことがないので、まだ大丈夫だと思っていたのだが1年ほど前から謎の腹痛がある。
腹痛と言っても症状は軽く、何かを見たり聞いたりしているときには全く気にならない。静かにして、おなかに意識を集中させるとちょっと痛いのが解る程度。
5つの病院で見てもらったけれど特に異常は見つからずストレスではないかという結論になったが、心当たりと言えば飲酒だけ。(何故か酒量については指摘されなかった)
体に害がでているのに酒がやめられないならそれはもう依存症、と思い禁酒してみた。
その結果、私はアルコール依存症ではなく味依存症ということが解った。
酒をコーラとコーヒーに変えただけで全く何も変わらず生活してる。
かつて夕食後はエンドレスで酒をのんでいたけれど、今はダイエットコーラを飲み続けている。
酒はある程度飲むと眠くなったり気分が悪くなったりするけど、コーラはやばい。いくらでも飲める。
ちなみに禁酒して2か月、腹痛は治っていない。
大学生+コロナ禍でのオンライン授業でずっと家にいるので、オナニーの頻度が爆発的に増えた。去年まではまだ常識的な回数だったと思うが、今となっては自分ですらドン引きするほどの回数になっている。日によって回数が変わるので何ともいえないが、おしっこする頻度よりも射精する回数の方が多いと言えば、どれだけ異常であるかおわかりいただけると思う。
こんなに回数が増えてしまった理由は、気分転換をかねてオナニーしてしまうからだと思う。キリが良いところまで課題やったら、一発シコって英語の勉強するべ!みたいな。軽食をつまんだり散歩に行くようなノリでオナニーしてしまうので、その分回数が増えていく。
今の所、オナニーによって生活に支障が出ているわけではない。去年に比べて成績は下がったがそれは別の要因によるものだとハッキリしているし、金や健康に関わることでもない。外出時にオナニーできなくても特に何とも無く、我慢できずにトイレに駆け込んでシコったりなんてことも無いので、性欲が強すぎて全く抑えられない訳ではないと思う。
しかし、この生活を続けていった時に何らかの依存症やら疾患を患ってしまうのではないかと不安になるし、自堕落な生活なので良くないなあとも思うわけです。はて、どうしたらいいんでしょうか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザーメン汚染(ざーめんおせん)とは、海域や海水が人間の活動によって排出されたザーメン(精液)で汚染されることをいう。このようなザーメンには、有毒な元素や化学物質だけでなく、一般家庭から排出されるコンドームやティッシュなどのすべてのおちんちんに触れた可能性のある製品、オナホール(TENGA)など様々な容器[1]、ぶっかけフィギュア、夢精パンツ、フェラチオ後の排便、など多種多様なものがある。
これら全てが汚染源になる可能性があるため、その対策が必要となる。
概要. ザーメンは海産物を腐らせる原因にもなることから、海の汚染の原因の一つとされる。また、海産資源の乱獲により魚の数が減少することで生態系への影響も懸念されている。このように様々な悪影響があるにも関わらず、人間がこの問題を解決するのは容易ではない。なぜならば、例えばザーメンに対するアレルギーを持つ人がいたとしても、それを特定することは困難であるからだ。また、家庭排水として毎日大量のザーメンが海に流出しているにもかかわらず、それらが原因であると認識できる人は皆無に近いだろう。そのため、汚染対策としては「清掃」「規制」といった対処療法的な方法しかできないのが現状である。
しかし、これらの方法で汚染を完全に防ぐことは不可能であるし、仮に清掃を行って汚染を防ぎえたとしても、それは一時的な解決にすぎない。そこで、より根本的な問題として、汚染の元凶となるザーメンそのものを減少させる必要がある。そのために最も簡単な方法は、「セックスそのものを禁止すること」であるが、これは現実的とは言えない。性欲を抑制することは健康上非常に重要なことであるため、これを禁止すれば多くの男性が自殺に追い込まれることが予測されるためだ。また、女性の貞操観念の問題もある。男性器を汚物と見なすような女性では、そもそも性行為自体を拒否する可能性が高く、その結果ザーメンとの接触機会を減らすことも不可能である。
一方で、人類史上、戦争・紛争は絶えず行われてきたが、それらの戦争の要因としてザーメンが挙げられることがある。すなわち、国家間における深刻な対立が生じてお互いを殺しあうことで、環境破壊に繋がるザーメンが発生するというわけである。これは、地球規模に考えれば非常に大きな規模の戦争でなくても起こりうる。例えば、小規模な部族間の争いであっても、それは戦争と呼ぶべきものであり、そのような場合は大量のザーメンを発生させることになると考えられる。
したがって、ザーメンによる海洋汚染を防ぐには、世界規模での取り組みが必要になるといえる。そして、それを実現するための方法の一つとして考えられるのが「避妊具の使用」である。これを使用することで、セックスはもちろんのこと、性交を行わなくとも子供をつくることが可能になり、結果的に人口爆発を抑えられるかもしれないと考えられている。
また、ザーメンは「水よりも軽く」、「熱伝導率が低い」性質を持っているため、精子や卵子が付着したティッシュペーパーやコンドームを海中に投げ入れるだけでもある程度は浄化され、生物に与える影響を抑えることができることが知られている。このため、海上に漂流するゴミについても回収が行われつつある。しかしながら、回収できたとしても、それらは既に人間によって汚染されているため、そのまま海へ戻すことはできない。つまり、海中への投棄を防ぐためのルール作りが必要になってくるということである。
さらに、ザーメンの海への流出を抑えるために最も効果的な方法として、現在研究が進められているのが「水中での射精管理法」である。すなわち、射精時にコンドームを装着してもらい、これを海へ捨てることで海洋汚染を未然に防ごうというものである。これにより、人間のおちんちんに直接触れることなくコンドームを装着する技術や、ゴム製のマスクを用いてザーメンを処理する技術を開発できれば、さらなる効果が期待できるとされている。
ザーメンの人体に対する影響. ザーメンには以下のような有害な問題が指摘されている。
・望まない妊娠
・癌リスクの増大 特に、精子を含むザーメンを膣内に出された場合、女性が受ける危険はきわめて高く、レイプ被害において最も注意すべき点である。
また、ザーメンに含まれる亜鉛などが陰部の皮膚を刺激し、炎症を起こすこともある。
・体内に取り込まれた精液は、タンパク質分解酵素により消化吸収される。その際、残留精液中の精子が死滅して卵子に到達しても受精しない なお、精液が体内に取りこまれた場合、ほとんどの人は腹痛などの症状を感じることはないといわれている。
ザーメンの平和的利用.ザーメンはさまざまな用途で用いられるため、その有益性も評価されている。たとえば、ザーメンからDNAを取り出すことによって、遺伝子疾患の治療などに応用することもできる。この治療法が確立されれば、より多くの人々が救われることになるだろう。
また、ザーメンは化粧品の材料ともなる。これは、肌に塗ったあとに汗などにより体外へ放出される際、美容成分となるアミノ酸などを豊富に含むためと考えられる。ただし、ザーメンの安全性については未だ疑問が残る。
このほかにも、精力剤などの薬品の原料としても用いられるほか、精液は石鹸製造時のアルカリ剤としても使われる。
ザーメンから抽出される栄養分としてはビタミンAがあり、レバーなどに多く含まれる栄養素である。このほかにも、血糖値上昇抑制作用がある食物繊維なども含まれており、これらを利用した食品も開発されている。
このザーメンに関する話題は、古くは古代ギリシャの時代にまで遡り、当時から「精液を飲むと寿命が延びる」といわれていた。
しかし、ザーメンそのものに効果があるのではなく、それを摂取することによってもたらされる生命エネルギーが長寿をもたらすのではないかと考えられていたのだ。そのため、古代ギリシアの人々はザーメンを採取するため、男色家同士の同性愛行為が盛んに行われていたという。
また、中世ヨーロッパでは、処女との性交の前に「聖水」と称してザーメンが用いられたこともあった。これは、当時のキリスト教では売春は罪とされていたことに起因するものであり、この習慣は現在も残っている国が多い。
さらに、古代ローマにおいては、健康な男性の精液を乾燥させて粉末状にしたものが薬として用いられていた。
このように、ザーメンには古くから医療的な目的として用いられてきた歴史があるが、現在ではそのような用法はほとんど見られない。なぜならば、ザーメンを飲んだところで病気が治るわけではないし、むしろ不衛生であるからだ。とはいえ、ザーメンの持つ効能についての研究は現在でも行われている。
ザーメンは、精巣内で生成された後、尿道を通っておしっこと一緒に排泄されるため、新鮮なものは無味であるが、時間がたつと苦みが出てくる。このようなことから、「熟成されたザーメンはおいしい」という意見も存在するが、これは単なる嗜好の問題にすぎない。
また、ザーメンには独特の香りがあるため、匂いに敏感な人の中には「生臭い」という感想を抱く人もいる。
しかし、実際にはザーメンの悪臭の原因は、射精直後におけるペニスの包皮内の雑菌の繁殖によるものであることがわかっている。したがって、適切に洗浄を行っておけば、それほど臭うものではない。
さらに、ザーメンの成分のうち、90%以上が水分である。残りの10%に含まれている精子には、人間の精子と同じく生殖能力が存在する。つまり、ザーメンを飲んでいれば妊娠する可能性もあり得るわけだ。
ザーメンがどのような経路で女性の子宮に到達するかは不明だが、女性側の体質によっては着床する場合があるかもしれない。その場合、出産の際に何らかの障害が発生する可能性も否定できない。
ザーメンは、その見た目やにおいなどから嫌悪感を示す人もおり、特に初体験の場合などは相手に対して拒絶反応を見せる場合もある。
また、ザーメンにはアレルギーを引き起こす物質が含まれている場合もあり、これを知らずに経口摂取してしまった場合はアナフィラキシーショックを生じる危険性もある。
さらに、ザーメンには「精液病」と呼ばれる一種の奇病を引き起こす原因となりうる要素も含まれている。
精液に微量に存在する亜鉛やセレンなどが、長期に亘って体内へ蓄積されると、人体に影響が出る可能性があると言われている。
ちなみに、この精液中に含まれる亜鉛やセレンなどの含有量によって、精子の質・量・運動性・生存率などに違いが生じることが知られている。
また、亜鉛は皮膚への吸収率が非常に高いため、皮膚からの過剰摂取による害が起こる可能性もある。
アメリカでは2004年以降、毎年約2億ガロン(6千万立方メートル)ものザーメンが海に流出していると推定されている。
また、アメリカだけで年間700万人近くにのぼる男性が、性的関係を持たないままコンドームを装着して自慰を行い、その際に排出したザーメンをティッシュペーパーなどで受け止めているといわれている。
このため、海に流れ出たザーメンの量だけでも相当なものだが、これ以外にもアメリカ国内のあちこちに捨てられたザーメンがゴミとともに海底へと沈んでいくことで、海洋汚染はますます深刻化する恐れがある。
日本でも、一部の海岸では不法投棄されたザーメンが固まり、数メートルに及ぶ長さの漂着物が発見されている。
日本においても、環境保護団体の活動などによってこの問題が取り上げられるようになりつつあるが、まだまだ認識不足な部分も多く、問題解決への道のりは遠いといえるだろう。
なお、こうした問題に対し、国レベルでの対策も進められているが、具体的な成果はあまり上がっていないようだ。
そのため国を跨いだザーメン汚染に関する環境保護の取り組みのため2018年に国連において「持続可能な開発のための次世代型ザーメン国際会議」が開催される予定となっている。
精液の利用方法とその問題点. ザーメンはさまざまな利用価値がある一方、その使用方法が不適切であった場合、健康被害を及ぼすおそれもある。たとえば、精液をそのまま飲むことは、一般的にはあまり勧められない行為である。
まず第一に、飲み込む際に喉に引っかかるような不快感を感じることがある。精液を飲んだ経験がない人がそれを口にすると、たいていそのような感覚を覚えることになる。
第二に、精子は体内に摂取しても基本的には無害とされているが、それでも大量に摂取すればなんらかの影響が現れる可能性はある。
また、精液中には、精子以外の細菌も生息していることがあり、口腔内に入ったものを噛むことによって、歯や顎関節、舌を傷つけることもある。
そして第三に、精液を体外へ放出したあとの男性器は、精液とカウパー腺液との混合物により汚れやすくなっており、そのままの状態で放置しておくことは必ずしも衛生的とはいえない。
さらに、精液を飲んだあとは口臭が気になることもある。これは、ザーメンが分泌される尿道口から放出されるアンモニアが原因だ。
このように精液を飲用することには大きなリスクがあるとされている。
特に、ザーメンを飲むことを推奨しているサイトや掲示板などでは、「ザーメンは健康に良い」というデマが流れており、誤った知識を広めるような行為が行われている。
このような行為は、精液そのものにはほとんど栄養分が含まれていないという事実を隠すためのものでしかなく、そのような行為を行えばかえって身体に悪い影響を及ぼす可能性があるのだ。
また、精液を飲んだだけで妊娠すると考えている人もいるが、実際にはそんなことはない。
20代会社員。女。3次元に推しがいる。CDが出たり、ライブをするようなジャンル、とだけ言っておく。かれこれ4年ぐらい、大学生の時から推している。
推しがいるかいないかであらゆる物事を考え、金も時間も惜しみなく使う。推しがコンテンツとして私たちに提供してくれる部分を余すことなく消費したい。わたしの知らないコンテンツとしての推しがいることが耐えられない。そんな感じ。
認知されたいとかTOになりたいとかはない。まあ、いつもありがとうとか言われたらそれは嬉しいけど、ステージでキラキラしててくれればそれで良かった。
「○○したいから○○しなきゃになったら離れ時」みたいなことを聞くが、私からすればそれは常にイコールだった。買おう買いたい、行こう行きたいではない。全部見たいから買わなきゃ、全部見たいから行かなきゃだった。
どうして世の中のオタクは、好きな人に対してそうも適当でいられるのだろう。金がない? なら作れ! 都合が合わない? 合わせんだろうが! その時その瞬間にしかいない推しを、どうしてそんな簡単に諦めて生きていけるの? そう思っていた。
というか、正直今も思っている。じゃあ全てを掴もうとすることが真摯ですか? と言われても、そうだよなんてとても言えないのに。
どうせ裏では何やってるかわかんないのにとか知らないことだらけなのにみたいなことを言われるが、それは当たり前だ。だから「コンテンツとしての推し」と書いた。
見せられない部分は知らなくて良い。知り合いにもなりたくないし付き合いたくもない。でも、こちらに見せているところは余すことなく見たい。
それが「普通」だった。私の中では。
当然、会社員の給料で生活費を切り分け、残ったお金だけで全部を賄うのはだいぶ厳しい。
いつしか夜の仕事に手を出した。そんな感じの漫画が少し前にバズっているのを見たが、まさにあれだ。推しのためなら頑張れる。頑張れた。あの輝きを得るためなら何だってできた。推しのためなら。推しを見るためなら。
わたしの原動力は全て推しだった。もはや、生きる理由も推しだった。
ある時、「自分の生活もままならないのに、何でこんなに頑張ってんだろう」と思った。
思ったら、最後だった。
ちょうど昼の仕事で人間関係で悩んでいたこともあり、全てが崩れた。
推しに会いに行っても全く心が踊らない。煌めきがない。推しのパフォーマンスのクオリティは何も変わらないのに、わたしがそれを受け取れなくなっていた。その頃には仕事も何もかもやる気がなくなり、1日ベッドに沈んで自分の空っぽの心に泣き伏すこともあった。
苦しい、くやしい。推しが嫌いになったとかじゃないのに。でもこう悩んでる間にもコンテンツとしての推しは続いていくから、一寸先も真っ暗の中縋るように次の予定を入れてしまう。諦めたくないから。やっぱり見たいから。
反面、どんなに見ても大事にしても応援しても、推しは決してこのボロボロのわたしを肯定してはくれないのだと悲しくなった。そんなの当たり前なのに変な話だ。それでも疲れきった身体は、なぜかステージ上での煌めき以上の労りや見返りが欲しくなっていた。
愛し返される範囲に限界があるのなら、わたしがこんなに費やす意味はどこにある。自己満足でなければいけない「応援」が、うまくいかなくなった。
そんな日々が数ヶ月続いた。さすがに何もかもを失う前に行動を起こそうと、心療内科に行った。
「やりすぎだね。多分もう、依存症に近いと思う」
最初に医師にそう言われた。正直自分と一番縁遠いと思っていた形に、わたしはとまどった。
依存症というのは、対象(たとえば酒などの物・ギャンブルなどは当たるという行為自体)に触れると発生する、ドーパミンなどの快楽物質が忘れられなくなることを示すのだと言う。いつの間にか対象を通り越し、快楽物質を求めるために対象に寄り掛かってしまう状態になるそうだ。私の場合は、この対象が「推し」ということになる。
こういう人がある時、はたと対象で快楽物質を得られなくなることがある。すると、どでかい喪失感に襲われて軽い鬱症状などが出る。わたしは今、この状態に近いらしい。
「推しを支えるっていうのは、自分が二本足でちゃんと立ってて、初めて背中を押せるものだから。今のあなたは支えるを通り越して寄り掛かって、寄りかかりすぎて、全部倒れちゃってる」
徹頭徹尾その通りで、何も言えずただ泣いた。自分を正当化するための理由に推しを使っていたのは確かだった。それを人は、寄り掛かっていると言うのだと思った。
推しと呼ぶなら、推しというコンテンツに触れ続けなければ。別に一つ失ったぐらいで何でもないはずなのに、そうしたくなかった。できなかった。欠けることが不安になるのは、依存なのだと言う。
脳内の物質を調整する薬を貰ったが、それはそれとして、私は私の中で推しとのあり方を治さないといけないらしい。
「別に変えたところで、今まであなたが頑張りすぎるぐらい頑張って推した事実は消えないし。きっと少し離れても、推しの中であなたは大事なファンの一人で変わらないよ」
医師はわたしにこう言った。脳内の一部のわたしは「ぬるいこと言ってんなや」「そういうことじゃないんだわ」と思ったが、それ以上に救われてしまってめちゃくちゃに泣いた。
わたしはきっと、こんなめちゃくちゃで自分勝手で傍迷惑な理由でも、誰かに「頑張っているね」と言われたかったのだ。
オタクなんて、頑張ってすることじゃないのにね。
とまあ、長ったらしく匿名で自分語りをしてしまってようやく本題なのだが、わたしと同じような思考のオタクって決して少なくないと思う。わたしが長い間麻痺していたように、推しに会うことで快楽物質が得られている間は、多少無理が祟ってもなんてことなくいられるからだ。
酒とか競馬とかホストのために、と言うとみんなあんまりいい顔しないけど、「推しのために」って口に出すと、献身的で綺麗に見えてしまう罠があるような気がする。だからなおのこと麻痺していく。どれも執着しすぎたら異常なのに。
だからわたしみたいになる前に、自分がちゃんと立って歩けてるか、やりすぎではないか立ち返ってほしい。推しててちゃんと楽しいですか。今日も推しが眩しいですか。お金を使うことを使命のように、義務のように感じていないですか。美味い飯食べれてますか。友達とも遊べてますか。ちゃんと寝れていますか。
医師はわたしに「今のあなたを推しが見たら、まずは自分のことを大事にしてって言ってくれると思うよ」と言った。
もう、容易に想像できた。というか、いつも言ってくれてた。応援はできる範囲でいいんですって。そういう優しいところがずっと好きだと思っているのに、どうにもわたしだけはそこにはいないような気がしていた。