はてなキーワード: ミーハーとは
いわゆるミーハーってやつ(今言うのか?)
まだある?
追記(諸説あり)
サッカー・・・Association Football 由来
電車・・・自走式の「電動機付き客車(電動客車)」、および事業用車を含む「電動機付き貨車(電動貨車など)」
ニート・・・Not in Education, Employment or Training
ニコン・・・日本光學工業( NIPPON KOGAKU K.K.)由来
プリパラ・・・プロミス・リズム・パラダイス・ライブ 諸説あり
ペット(ボトル)・・・polyethylene terephthalate
ラジオ・・・ラジオテレグラフィー(radiotelegraphy)
レーザー・・・(LASER = Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation = 輻射の誘導放出による光増幅)
AIDSエイズ・・・後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome)
AM・・・ante meridiem
BBC・・・British Broadcasting Corporation
℃・・・Celsius
JASRAC・・・Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers
LED・・・Light Emitting Diode(発光ダイオード)
MBA・・・Master of Business Administration
NAMCO・・・中村製作所(NAKAMURA Amusement machine Manufacturing Co.,Ltd)語源
NEC・・・Nippon Electric Company,Limited
NHK・・・Nihon Housou Kyoukai
NTT・・・Nippon Telegraph and Telephone Corporation
OK・・・oll korrect(all correct)
PM・・・post meridiem
PR・・・パブリック・リレーションズ (Public Relations)
PTA・・・Parent-Teacher Association
Suica・・・Super Urban Intelligent Card」&「スイスイ行けるICカード」 由来
SMAP・・・Sports Music Assemble People 由来
TBS・・・Tokyo Broadcasting System Television, Inc
TDK・・・東京電気化学工業(Tokyo Denki Kagaku)
UK・・・United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
USB・・・ユニバーサル・シリアル・バスUniversal Serial Bus
Yahoo!・・・Yet Another Hierarchical Officious Oracle
YKK・・・吉田工業株式会社(Yoshida Kogyo Kabushikigaisha)語源
バンコク・・・クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカム・プラシット
ピカソ・・・パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
後で追記する
中でも、ギターの彼のことがとても好きだった。きっかけは初めて行ったライブの物販だったと思う。当時は若かったし、恋愛経験も少なかったからかな。ミーハー心に写真を撮ってもらった時に、あまりの距離感の近さに動転して、ライブのかっこよさと相まって完全に目がハートになってた。目があった気がしてたのもあった。
それから、私はライブに足繁く通い詰めるようになった。私自身も表舞台に出る活動をしていたので、バンドのファンを公言しつつ、そちらも密かに続けていた。
遠征はしないものの、近場のライブはほぼ全て行き、物販で大好きな彼と話す。最初はぎこちなかった会話も、いつしか私のプライベートの話だったり、彼の趣味の話になっていった。この時からもう完全に恋してたんだと思う。でも彼女の存在を風の噂に聞いていたので、このままずっとガチ恋が続くんだろうな、となんとなく考えていた。住む世界が違うし、単純にそれだけで楽しかった。
そうして、1年以上経った時だっただろうか。偶然大きいイベントで対バンになった時、彼が私のステージを見に来てくれた。それから、流れで食事に行った。お金は全額彼が出してくれた。不思議な気分だった。しかし、舞い上がっていたのもつかの間、私はファン仲間から彼が既婚だという事実を知らされた。
正直、ショックだった。彼女がいるのは知っていたが、ガチ恋だったせいでやりきれない思いの方が大きかった。聞いてみると私以外のファンには割とオープンにそのことを伝えていたようで、遊ばれていたのかなと落ち込んだ。
しかし、色々あって、彼とはまた2人で会う約束をしてしまった。もう散々泣いたし、今更どうにかできることでもないので、割り切って友達として接しようと思っているのだが、一番仲の良いファンの友人には「悪い噂もあるし、やめなよ」と言われる。でも、凄く優しくていい人なのだ。それにプライベートで会う彼には、ライブハウスで感じていたようなあの高揚感はない。もちろん大好きには変わらないが、どちらかというと知識欲で会っている気がする。私が彼女いるのを知っていることは彼もわかってるはずなので、お互い承知の上の健全な関係だと思うのだが。そんな感じでも、やっぱり会ってはいけないのだろうか。友達には否定されるし、知り合いには不倫じゃない!?となじられるし、なんだかよくわからなくなってきてしまった。
とかさ
藤田社長の「自分とNISAに投資しろ!」(自分に投資とかただの自己啓発じゃん。)
とかさ
そんなんブクマしてどーすんのよ。
前はもっとなんかさぁ。
アレだったよね。あれ。
最近自由な時間が多いんだけど、何もできない。ホント昼間っから勢いで文書いちゃうくらいには暇なの。自分は才能ある人間だと思ってたから、自由な時間があればきっとスゴイ事をするんじゃないかと思ってたけど何もできない。ミーハーで本物になれない。本物になれないってのは自分の結構大きなコンプレックスだと気づいたわ。これまでいかにペラく生きてきたか自覚する毎日だよ。やることなんて自分でみつけろバカヤロウって言ってくれる人すらいないよ。何もしないという拷問があるらしいけど、じゃあ今の状態はなんだって聞かれたら別につらくないし何なんだろうね。
いつのまにこんなに劣等感が生まれるようになったのかね。自分に誇りを持って生きるのは大事よ。暇だとなんか新しい自分にならないと、とか思っちゃうんだよね。これまでの人生白紙にしてモテ男に転生したいけど、これまでの黒歴史はどうしようもなくお前だよ残念だったな。だから、これまでやってきた事にある程度誇りをもって生きていくしかない。新しいこと初めてもいいんだけど、新しい自分になんかはなれないの、分かろうね?急に勉強できるようになったり女にもてたり、小説の才能を発揮したり、作った音楽が100万再生とか、無理だから。いきなりそんな高いところに目標を定めてもダメよ。もっとショボい人間だって自覚して、ショボい所から始めないと。いきなり女にモテるのは無理だけど、女と飲み会で合わない話を合わせてこの人微妙だなーって思われるくらいなら今の君でもできるでしょ。短編小説のクソつまらない奴なら書くことはできるでしょ。いきなり作曲なんか無理だけど、小学生のリコーダーの課題みたいな曲だったらお前でもギリギリ作れるでしょ。ネットに鋭い風刺を書いて世間の注目を集めることはできないけど、日記くらいなら書けるでしょ。いや、日記は何度も挫折してるからダメか。今日と明日だけ日記書くことならギリいけるでしょ。
だから、そういう所から始めろって言ってんだよ。何で最初から全部上手くいって、皆に認めてもらえるみたいな妄想するかな。妄想得意すぎでしょ。それ、リアルじゃないから。ぜんっぜんあり得ないことだよ?お前にそんな才能はないの。色々試したらもしかしたらちょっと向いていることはあるかもしれないけど、それすら最初から一流なんて無理だから。諦めな。そこは諦めて、プライドというか妄想捨ててやってみるしかないんだよ。いいか、お前はショボい人間だよ。中学高校でも特に素晴らしい実績を収めたもの、ないでしょ?大学入ってからは言わずもがな、いったい何をして生きてきたか自分でも思い出せないような生活でしょ?お前の周りにいるあらゆる人間、薄っぺらい音楽語ってるバンドのチャラ男、コミュニケーション苦手で大学でも誰とも話さずPCいじってる奴、人と合わせる事しかできないコバンザメ、そういうのと比べてもお前は同じようなもんか、それよりも酷いから!自覚してないかもしれないけど、お前、何もすごくないから!残念でしたーどんまーい。
じゃあそんな奴に生きる価値はないのか?そんなこと言ったら怒られちゃうよな。つまらない奴はつまらないなりに何かするしかないんだよ。。これまで自分がしてきたこともちょっと取り入れながら、何かするしかないの。で、お前今いくつよ。そんなつまらないことをあと数十年やってくわけ。そうしたらそのうち、長い目で見たらそれがちょっとは面白いことになってるかもしれないじゃん。それをわずかに期待しながら、でもつまんねーよなーって思いながら、何かやるしかないの。お前が何かしたら、うわっショボい事やってんなーって多分言われると思うわ。でもだいたいそれ言ってんのお前と同じような奴だよ。世の中の人間はほとんどつまらないって事実にまだ気づいてない、つまらない上に愚かな人間だよ。
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
・ 大して技術力無い(技術力の意味を履き違えてる)のに意識だけは高い。勉強会がやたら好き。
・ 技術力とは最新のフレームワークをたくさん知ってたり先んじてプロジェクトに導入することだと思ってる
・ 自分個人の興味対象やテーマを持っておらず、みんなが話題にしてるトピックにすぐに飛びつくミーハー体質
・ とにかく新しいツールを導入したがる。費用対効果無視して自分が使いたいという理由だけで導入しようとする
・ 機械学習系の記事にやたらいいね付けてたりするけどただ記事を流し見してるだけで数学や統計を勉強したりデータ分析コンペとかに本気で取り組むことはしない
個人的な印象です。
今日知り合いの家に行った。部屋に通されてすぐに俺は本棚をつぶさに見た。悪癖と言う人もいるが他人を知るには本棚を見るのが一番だと俺は思っているのだ。
予想どおりというか、大体は文庫本である。ミーハーな彼らしくベストセラー的なのがほとんどを占める。まあそれは好きにすればいい。
問題は漫画の列だ。全巻揃っているのが大半なのだが、新装版と旧版が交ざっていたり、出版社違いだったり、版型が違ったり、ひどいのは途中から文庫版が並んでいたり。これはいけない。まったく美しくない。揃えるつもりならデザインを合わせる、せめて大きさくらいは合わせるのが当たり前だと思っていたものだから、この光景は衝撃的であった。
細かいところまで指摘しあえるほどの仲ではないから苦言はしなかったけれども、なぜこんな事態になっているのかは気になるから話のついでに触れてみた。そしたら彼曰く「読めればいいじゃん」「中身に没入するんだから見た目とかどうでもいい」。
いやーダメでしょ。紙質も大きさも本の重さも異なっていたら気持ち悪い読書体験になってしまう。言わなかったけどさ。
揃えるんなら多少はお金をかけて版を揃えてほしいと強く思った次第。
彼のニュースはほとんど何も追ってなかったんだけど今たまたま目に入ったブログで知った。20年前くらいまでファンだった。当時小学生だった。なんかすごい勢いで色々思い出しまくってノスタルジーがすごいのでとりあえず書き散らかすことにした
「学校へ行こう」が全盛期で屋上から告白するやつとかが流行っていた(あれに出演した人は黒歴史になってるだろう)。深夜番組でV6の素とかマッハブイロクとかお笑いV6病棟とかを親に隠れてVHSに録画して超早起きして証拠隠してこっそり見たりしてたのを今すごく思い出した。多分そのVHSの山がまだ押入れのどこかに眠っているだろう。はめっちんぐ准一とかクソやばかった。あとイノッチと岡田のゆずのパクリユニット・・・「かぼす」?忘れた。
岡田くんと結婚したいと思って芸能プロダクションの就職などを考えていた、マネージャーになるには?結婚できる確率は?年齢差ありまくるけど大丈夫かな?10年以内ならいけるか?とか今考えれば相当痛い。でも小学生なんてそんなもんである。本気すぎて誰にも言ってなかった。そういえばレッチリが好きになったのは彼が雑誌やラジオで押してたからだし(Californication; "scar tissue" が一番好きだと言ってラジオで流してたのを今だに覚えている)、ハリポタ1巻を読み始めたのも彼が読んだと言ってたからだった(まだ日本で爆売れする前だったので本屋に行っても置いてなくて取り寄せてもらったのを覚えている)そのおかげで超ハリポタハマって続刊の日本語訳が待ちきれず原本に手を伸ばし英語がめっちゃ上達した。ありがとう岡田くん。
そして「オヤジぃ。」まで見たところで親にさりげなく岡田准一好きすぎるのがバレて(今思えば日記でも読まれたのかなあ)ものすごく恥ずかしくてそれ以降追いかけるのをやめてしまった。木更津キャッツアイが始まって姉と母が見だしたらもうクソ恥ずかしすぎてテレビの前から逃げてしまった。あとは木更津キャッツアイのあとかなり性格が垢抜けた気がした;それ以前は時々鬱々としたところがあってそれが好きだったんだが笑、そのあとはもっと前に出るのをあまり厭わなくなったように見えた。でもその後彼の活躍は追いかけていない(自分も海外に来たし日本のテレビをそもそも見ていない)
その後いつか雑誌かなんかで立ち読みした時に、彼はジャニーズ・アイドル業についてすごく悩んでて、いつかやめて教師になろうかと考えていたが、木更津キャッツアイをやって俳優業の面白さに気づいて、そこから本格的に仕事頑張ろうと思ったみたいなことを読んだ。私が好きだったのはやはり憂鬱な岡田准一だったんだなと、なんか腑に落ちるというか。ていうか10代後半だもんな。それにしてはすごい立派であった。私は今30にして完全に道に迷っている。人生は難しい。
その後大河ドラマの主演とかもしたようだし、俳優業を追い求めているのだろうし!宮崎あおいという素晴らし(そう)な人と結婚すると聞いて!!ああ!!説明できないが心から嬉しい。勝手に。ちなみに彼女の大河ドラマは見た。年齢もそう変わらんのに立派すぎると思う。人前に立つこと批判に晒されることは恐ろしいことではある。それが職業とはいえ。今は誰もがネットをやる時代で俳優やアイドル業はますます難しくなって来ているだろう。ここ数年でいろんな映画を見て俳優インタビューを読み漁ってるけど James McAvoy や Tom Hiddleston や Michael Fassbender や Sebastian Stan やJennifer Lawrence や Martin Freeman や Benedict Cumberbatch (ミーハーがバレる)読む人全員がそのインタビューで fame との付き合い方とその難しさについて述べている。まあ英語圏の俳優ともなればファンは全世界に広がるだろうからまた規模も違うのだろうが
という全く別の話になったが、話を戻せば:彼も色々言われたり言われなかったりするのだろうが、まあ、でもそれには慣れっこなのかもしれないが!一体自分が何を言ってるのかわからなくなって来たが、まあとにかく、おめでとうございました!!!
俺は『秒速5センチメートル』を新海誠の最高傑作だと信じて疑わずにいる人間だということを、予め言っておく。
『君の名は。』、去年の夏に公開されるまで、久々の新海誠の新作映画ということで心底楽しみにしていた。
公開前に発売した『小説版 君の名は。』は発売日に買ってその日のうちに読んでいたし、神木隆之介も好きだったから、これはもう間違いない、
『秒速5センチメートル』以来の大物が来る、と期待を胸に公開を待っていた。
でも、その時から、心の片隅で、ほんの少しだけど嫌な予感はしていて、それは公開後に的中した。
俺は新海誠の、あの陰鬱で薄暗くて救いようのない世界観が好きなんだ。
ドロっとした恋愛観で語られる男主人公の背中が好きで、やっぱり俺は『秒速5センチメートル』が大好きなんだと思う。
そうして、公開直後に胸をときめかせて見に行った『君の名は。』にはかなりのショックを受けた。
これまでのような人を選ぶ作風ではなく、エンタメに富んだ、大衆的で王道の展開に、ベタベタなラブコメディをぶち込んできた。
開始30分ぐらいでそれがはっきりとわかると、目を背けたくて、我慢できなくて外に出たくてどうしようもなかった。
でも、これはしっかりと目に焼き付けて、この事実を自分に刻み込まなければならないと、拷問に近いような感覚で最後まで見届けたのを覚えてる。
これまでと一貫しているのは、背景美術の美しさだけであった。
背景美術は確かに、素晴らしかった。前作の『言の葉の庭』以上だったと思うし、とどまることを知らないようだった。
この酷い映画を見終わった、劇場からの帰り道、俺は少しずつ「新海誠は死んだ」ということを理解し始めた。
過去作を全否定した『君の名は。』、しかし俺とは反対に世間の評価は大絶賛だった。
世間はこの酷い映画を"新海誠の代表作"と称し、過去作には目もくれずにエンタメの監督としてもてはやした。
違う、そうじゃないだろ。
『君の名は。』を見て、それを新海誠だと思っている彼らのほとんどは、馬鹿である。阿呆である。
『君の名は。』を気に入ったミーハーな彼らは、同監督の『秒速5センチメートル』を見て、失望するのである。
鬱だ、暗い、つまらないと吐き捨てる。全くもって、ありえない。
『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』を経て、『秒速5センチメートル』は完成した。