はてなキーワード: カウンセラーとは
私は誰の意志で生きているんだろう
私の意志はどこにあるんだろう
精力的に動けたり、
きっと病院に行ったら躁鬱扱いされて、薬漬けだろうな。数十年前と同じように。
カウンセラーは、話を聞くけど、最終的には自分たちのやっている療法の「型」に私をはめ込もうとするだけだ。
結局、誰にも、何にも、できることはない。私もだ。自分をどうすることもできない。もはや何を信じて良いかわからない。
刺ぬ勇気も無い。
私の親は愛情深く私を育てすぎた。
とてもできない。
明日の朝になったら、ギリギリで跳ね起きて仕事に行くだろう。内面空っぽのまま、その日の仕事をこなすだろう。
何も積み重ねることなく、
何も為すことなく、
ただ両極端を行ったり来たり。
カウンセラーによる。 1 分 120 ~ 250 円が多いみたい。
自分はいろいろ聞いたから 30 分くらい話したが、 10 分単位くらいで話を終わらせやすくしてくれたように思う。
7 千円弱が初回のいろいろな減額で 4 千円弱になった。
登録から 1 週間は、各カウンセラーの初回 10 分は無料とのこと。
しょっちゅう利用するには厳しいが、本当に何をどうしていいか分からなくなっていて、相談できるところを探すどころか希望するサービスが存在するのかも分からなかったので、それを思えば助かった。
相談できるところを紹介してもらったので今後はそちらに問い合わせてみる。でも大抵は複合的な問題なので、ごちゃごちゃなまま話して整理したくなったらまた聞いてもらうつもり。
オンラインでも予約制だったりして、睡眠が不安定な自分には利用できないでいた。
どうしても困ってまた検索したら、広告に excite お悩み相談室が出てきた。
今すぐに受け付けてくれるカウンセラーがたくさんいて、料金も分かりやすい。
始まる前の調査票で具体的なアドバイスを希望したからか、寄り添う言葉は程々に、受けられそうな行政サービスや民間の支援を紹介してくださった。
今みたら、こんな時間でも受け付けてくれている人が複数いて驚いた。今すぐ相談できる人がいるというだけで心強い。
「カウンセリング 今すぐ」などで検索しても 5 ページ繰っても出てこない。これ広告が出ていなければ見つけられなかったな…。
そのうち療育出来なかった世代は甘えてる無能な世代扱いされるんだ
都会の学校でいじめにあって不登校になったから調べる機会が出来ただけだ
発達障害なりの努力の前に精神疾患がどこかに通う度に積み重なっていく
こんな精神疾患山積みになるなら何処にも出なければよかった
発達障害に気づかず外に出そうとする親を誰か止めてくれ
発達障害なんて何かすればするほどトラウマとフラッシュバックで生き地獄になるだけだ
自分が何かして欲しいと期待されてるなんてどうして思い上がれるの?
だけどもし期待していいなら二度と発達障害や精神病の話を口にするな
医者やカウンセラーが優しいなんて使ったことないから言えるんだよ
病院に掛かる必要もない人が病人にマウント取ろうとしてるのって悲惨だよ
もし読んでる人が他にいるとしたらそもそも関わりたいと思ってるって決めつけないで欲しい
それが馬鹿にするみたいなやりとりになるくらいなら一人にさせて欲しい
最初から発達障害ってわかってるから的外れな期待をされることもない
だけどこういう奴らがいつも他の発達障害や精神病を見下してくる
俺は発達障害なりに頑張っているのにお前らは甘えて何の努力もしてないって言っている
お前らは性格や人格や認知が歪んでいるって温室育ちの癖に笑ってくる
ふざけないでほしい、私の努力とお前の努力がどれだけ違うかわかっているのか
お前らは最初から出来ることと出来ないことがわかってて無駄な努力がいらない
私たちは普通級でいじめのターゲットになって明日いじめられないことをお祈りしてるのに
親に言っても学校行けって脅されて何の助けにもならない
いじめられないように好きなことを合わせて合わせて、だけど足りない部分でどうやっても嫌われる
おまけに療育のない私も親も発達障害に気づくことなく親の心ない発言が散々降りかかる
死ねって言ってきた相手に我慢しろって、同級生の子供相手の発言の方が私の心より大事なのだ
それを自己責任だって?親から家に追い出されたのも自己責任だって言うのかよ
家から追い出すようなコントロールしてくる親を持った子供に自発性も糞もない
私に何が出来たって言うんだよ、自立する歳には精神疾患の集合マンションみたいになってた私がどうしたらよかったんだよ
こんなことになりたくなかったよ、学校行きたくないって頑張って親に話したよ、だけど頭がおかしいって言われるんだよ
パンの工場に働けるのは馬鹿だからだ、馬鹿でも生きていくことが許されたからだ
だけど普通か普通以上でないと生きる資格も尊厳も最初から与えられていない
お前と私の脳みそを交換してくれよ、こんなフラッシュバックばかり起こる出来底ないの脳みそで何しろって言うんだよ
自律神経とか迷走神経とかいうので身体が先にパニックになるんだよ、不自由で仕方ない
解離で普通のふり出来る奴らも甘えてるって散々罵りやがって、肉体的な虐待がなかっただけで虐待があった事実は同じなのに
健常者も障害者もみんな揃って虐げてくる癖に、何が性格が悪いだ
医者もカウンセラーも専門家を名乗りながら実際やったことは匿名掲示板レベルの暴言を私に向けることだった
もう努力してないことで人を叩くな、努力の末路が病状の悪化で結果なんて出しようがなかった
どこでもがけばよかったって言うんだ、家でも学校でも就労支援施設でも暴言くらうのにどうしたらよかったんだ
あー、それはしんどいな。
自分より身長が低い人とお見合いが成立した際に、カウンセラーさんから「身長差について気にしない方」かどうか聞いてもらい、気にする人なら会う前にお断りしてもらう方法もあると思うのでくじけず頑張って。
(持病とか宗教とかプロフィールに書きづらいことでよく使われるが、そういうケースもありだと思う)
ただ、もしかしたら身長以外の要素でお断りになってる可能性もあり、その場合は効果がないのでお断り理由は全部聞いた方がいいね。
メンタルが弱く、内向的で友達が少なく、結婚もできなかった(したかったけどできなかった)ため、カウンセリングに通ってて、カウンセラーからのアドバイスもあり少しでも友達を作ろうとあるコミュニティに入りました。
そこそこうまくやっていたのですが、ある日人気者の人から陰湿な嫌がらせを受けました。
最初は犯人が誰だかわからず、自分はそんなことしてないし、堂々としていたのですが、調べてみたところ犯人がそのコミュニティで目立って人気のある人でした。
彼女のことはブロックしてたけど、裏アカで私のツイッターやブログを読みに来てたみたいで(内容をその人の友達が垂れ流してた)、気持ち悪くなってそのコミュニティから離れました。
気にしないで堂々としていればいいって思いながら、彼女が人気者で誰とも仲良く、共通の友達も彼女を慕ってる人が多くてやりづらくなり、怒り、悲しみいろんな感情のコントロールができなくなり離れました。
自分がこんなんだから友達ができないんだろうか、結婚できないんだろうか。
ひとりになると自分が悪かったのかなって思うようになってきました。
人間関係がうまく築けないのでひとりで会社を経営してますが、会社員だったらそういうのは我慢するもんって昔言われました。
こういう場合ってどうしたらいいんでしょうか。
婚活増田が最近多いので、成婚退会ワイが役に立ったと思う情報ソースを共有したい。
結婚相談所で活動してみて、世間的な(そして大抵偏った)イメージと実際のところがだいぶ乖離しているのが気になっているので、結婚相談所に興味のある増田はぜひ参考にしてみてほしい。
36歳男性、1都3県のどこか在住
メーカー関連職、年収700万、中肉中背のブサメン(追記:チー牛で画像検索すると一番上にワイそっくりの顔が出てくる。マジふざけんなよ)
1年活動して成婚退会
結婚相談所のやってるサイト、かつバッサリとアドバイスをくれるところが良い。
https://innocent-bridal.com/blog
情報量も多くて良いが、「活動フィードバック」でその週にあった会員の実際の活動事例を匿名で紹介しているのでとても参考になる。
https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/
例のバズったやつ。
最近は成婚事例紹介ばかりなので、Tipsが欲しい人は2020年ぐらいまで遡った方がいい。
https://mobile.twitter.com/toracon_akiba
定期的に炎上してるやつ。だが言ってることは至極真っ当の火の玉ストレート。
ワイはとら婚じゃなかったけどオタク婚活の参考にさせてもらってた。
中には相談所がやってる体裁を取りながら 実質婚活女性叩きみたいになってるチャンネルもあるので注意。心が濁っていくだけで百害あって一利ないので絶対に見ないほうがいい。
(追記:ブコメに挙がった「結婚相談所の指南書」は動画の内容は真っ当だと思うけど、コメ欄の方がミソジニー男性の集会所と化している事が多いので個人的には見ない)
下記のやつは男女ニュートラルな視点からアドバイスをくれるので役に立った。
https://youtube.com/channel/UC2Xn_1DDZJaaEtpPwh-qJtw
https://youtube.com/c/%E6%9D%A5%E5%B3%B6%E7%BE%8E%E5%B9%B8
https://www.youtube.com/channel/UCpn3UpHMQTh0g_Kup0DiXTQ
https://www.youtube.com/channel/UCAO_NuO5nCvrp9avrhYfBqg
だいたい上のやつをくまなく見ておけば相談所婚活の雰囲気は分かるし、活動開始したらこれらに加えてカウンセラーさんという大きな味方がいるので活用したいところ。(増田は何かあると気持ちの整理のためにクソ長文をしたためて送りつけていた)
一方で、Twitterの婚活垢や婚活ブログ(活動者の)は、基本上手く行ってない人が書いてる事が多いので見に行ったり参考にしたりしてはいけない。ひたすら心が荒んでく。
環境の影響で本人が一言伝える気力もないほど衰弱してるから助けを求めてるのに無茶言うなって言うとさ
これじゃあ本当にやったもん勝ちだよ、常に虐待されるのにSOS出す元気はどこから出すんだ
今まで親が外面よくして教師やカウンセラーが子供の言うことを信じなかったからSOS出す元気もなくなったんだ
本当にこの国の義務教育は余計なことをしてくれた、おかげで家はもう滅茶苦茶だ
読んでくれてありがとう。本当にしんどいときはとても読めないような冗長な文章になって申し訳ないけど、そのうち振り返ってもらえれば。
いつも、24時間、頭の中には自分を責める言葉が浮かんでるんです。言葉が浮かぶのを止める方法はなさそうだから、別の言葉に置換できるといいな。
いまだに私もひどければ数分置きに自分を責める言葉が浮かびます。偉そうに書いてはいるけれど、何か問題が起きた時「私が馬鹿だからうまくいかないのだ」という、思考の第一声は必ずあります。しかし、それを真に受けず聞き流すことは少しずつできるようになりました。
浮かんでくる言葉の対処もカウンセラー、主治医等に相談してみてください。
考えの棄却は脳の活動の中ではエネルギー負荷が比較的大きいけれど、種になる脳信号が最初に発火してから行動するまで0.5秒の猶予があるそうです。その猶予期間であれば小さい負荷で止められます。
置換する場合は、ラベリング("後悔"、"消耗"、"恐怖"など簡単な1語のラベルをつけ、良い意味での単純化をしてしまう)と再評価(問題が先に分かってかえってよかったのではないか、などと見方を変える)も試してみてください。これも悪い思考が雪だるま式に膨らむ前にできるようになると楽です。
役に立った本を挙げます。
育休中ボケないように資格の勉強をしたい。何かおすすめないですか。ちなみに仕事は会社員エンジニアだけど正直技術は苦手で楽しくないしあんまり上昇志向がない。
取りたいのは難しすぎないもので転職時コスパがよいor生活に役立つ資格。
・取ろうとしてる
→今650で800点目指す
・検討してる
FP3級
→楽しそうだし生活に役だちそう
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
彼はそれらしきことを言って話しかけた相手の懐に潜り込もうとするキャラクターだと思う。この場合、それらしきことに真正性は必要なく、相手と周辺人物(および読者)が納得してしまう言説であれば事足りる。
……なんだけど、彼の言説が自分の主義主張に上手く合致しちゃったもんだから、これ幸いとツイッターやらなんやらで拡散しちゃう人がいるんだよねぇ。
「娘が父親を嫌うのは本能であり正常」だなんての、自分が父親のこと嫌いだから、その上手い言い訳を得られて嬉々として拡散しちゃうんだろうなぁ。
(もしかすると)世の中には父親のことを嫌いじゃない女性もいるかも、とは思わないんだろうなぁ。
言いたいのは、彼はものすごく優秀やカウンセラーであり、それは目の前の(物語の中にいる)相手の心を抉る、琴線に触れる最適なエピソードを選出(もしかすると捏造)する能力によるものだと思うってことです。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。