はてなキーワード: 飲み会とは
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
https://anond.hatelabo.jp/20230907113408
想像以上にほんとに多くの人に反応もらってびびってます。見てくれた人ありがとう。
まず、この書き込みはいらいらしたときに書きなぐった幼稚な文章です。嫌な気分になったひと、本当にごめん
みんな興味ないと思うけど多かった意見に返信するね。
・SNSはブロックじゃなくてミュートして距離を置け、縁を切れなど、関係性のフェードアウトを推奨する意見
→本当にそれがベストだよね、ミュートとかの拒絶行為をすることに罪悪感があったんだけど結構肯定派多くて目からうろこだった。
・他人と比べるな、取るに足るを知れ、
→こうやって生きていきたいです。比較しない、揺るがない自信、欲しい。ブコメにこの嫉妬は増田が興味のあるジャンルと友達の興味あるジャンルが似てるから起きてるって書いてて、その通りだと思った。
私がチケット落選したライブにコネで関係者席座って、私が欲しいブランドのバッグもってライブに行くのが、私のやりたいこと全部かなえてる感じが、いらいらした。かわいくて性格も良くて、すべてが自分の上位互換。
・お前十分恵まれてるよ
→ごめん、これだけはありえない。やりたい仕事ができてるに関してはその子もだし(親の会社で自分の店持ってやりたいことしてる)、キモ男とも結婚してません(嫌がったら断ってもらえる)
言ってないだけでいろいろあるっていう意見も理解するけど、言わなくても見えてる部分で大負けしてるんで。
・仲良しグループの他の人に言ってみたら
→これ、大学在学中に一人の子に言ったことあるんだけど、うらやましいこともあるけど、お嬢なのにあんなにおもろいの才能じゃんって言われた。一刀両断。
他にもあったかな、あっちコメント追えないのでもしなにか書いてくれたら追記していくね。
以下追記
・死にそうだけど死んだのか
・上位互換は違うだろ
→じゃあなんて言えばいいのか…
・アドバイスいる?
→ください!!!
○マホカンタ : 自分に向けられた「キモイ」等の罵声をそのまま相手に返す
○サイレス: 空気を読めないとんちんかんな発言で周囲を絶句させる
○マヌーサ: 自分自身に幻影を見せ、現実に対する命中率を下げる
○グラビデ: 重苦しい雰囲気や嫌われオーラで周囲の人間を疲れさせ、体力を削り取る
○ラスピル: 周囲の人間を精神的に疲れさせ、精神力を削り取る
○トラマナ: クリスマス等にカップルだらけの街を一人で歩いてもダメージを受けない
○スカラ: 周囲の「キモイ」等の罵声や嫌がらせに対する忍耐力アップ
○死のルーレット: 練炭自殺する仲間を周囲の人間の中から無作為に選ぶ
○レムオル: 周りから注目されません。空気のようにいないと認識されます。
○ルーラ: 仕事が嫌になるとバックレ、自宅にひきこもる 唯一の安息の地である家にまっすぐ帰る
○メガザル: 合コンに行くことで周りの男の評価を相対的に上げます
○バシルーラ: バイト先などで人がどんどんやめていきます。もしくは、自分を転勤で地方に飛ばします。
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
・興味を持てている
・ミスの少なさ優先/ホームランの数優先のバランスが合っている
現場でエースだった人が年取って営業に回ったら水が合わないとか、現場に居た頃は微妙だったのに品証に回ってからはなんか開花した人とか色々いる。
そもそも空気が合わない場所にいるとそれだけでストレス受けるから、単純に体力で負けるんだよね。
独学出来る人が最強ですみたいな話がネットだとよくバズるけど、アレって会社入ってすぐの性能だけの話だよね。
会社入って数年もすると、先輩や組織から仕事をちゃんと教わってきたかの方が大事になってくる。
自分の会社のやり方に従っているかどうかも大事だし、そもそもなんでこの仕事がこうなっているのかについて歴史的な背景とかも知っといた方がいい。
結局そういうのってその会社や業界で長くやっていた人に少しずつ教わっていくしかなくて、そういうの業務を通して教えてもらえるかどうかで少しずつ性能に差がついていく。
「飲み会の場所で自慢話として聞かされるのが大事」みたいな古臭い風潮もあるけど、「稼業中にわざわざ時間を割いてでも聞かせて置くべき話」としてやってもらってないとあんま意味ないのかなと思う。
酒入ってると単に個人の自慢話に終わりがちで、それを知っていることが仕事上でどう大事なのかあんま見えてこん内容になりがちだからね。
自分の出力した資料がどこに流れていき、自分のところにやってくるものはどこから来ているのか、そういうのを把握しきれてないまま働き続けるのは良くないって話ね。
個人的に教わりに行ってるかよりも、周りが教えてくれてるかだからマジで運でしかないと思う。
マジでコレ。
酒・煙草・ギャンブルに深入りしてる人、運動全くしてない人、ヤバイレベルでデブってるのに放置してる人、メンヘラムーブでキャラ作りするのが癖になってる人、こういった所での減点はジワジワと効いてくるね。
若いうちはともかく、長くやってるとセルフネグレクトをどこまで防げてきたかで性能差ついてくる。
肉体そのものの基礎性能がガクっと下がってくる年齢になると、そこで身体能力が最低ラインを下回ってるかどうかで次々足切りが始まっていく感じ。
参考:https://hondkindd.online/news/2023/08/31/189.html
会社のエースが辞めてしまった事に対して「なぜ最近の若手中堅が退職してしまうのか」を考える会議で管理職達が出した結論が「そういうとこやぞ」だった.
前の会社のエースが突如独立するからと辞めてしまった事に対して、
なぜ最近の若手中堅が退職してしまうのか考える会議で管理職達が「社員の経営者意識が皆無なので朝礼で経営理念の読み合わせをする」
「悩みを相談できるよう店舗飲み会の予算復活」を決定したと聞いた。
なるほど。
そういう管理職達に、「俺が経営者だったら、お前等全員クビだわ」って、経営者意識持って皮肉ってやって下しえ
経営者意識って、そもそも経営の知識がないとダメなので、そこの教育はするんでしょうか?
あははは。笑ったw。
って近づいてくる怖いお兄さんたちと同じメンタルw
その案の善し悪しを独立したエースに聞いてみたらどうなるか、とかは考えないんだろうなぁ。
せめて若手社員に見せて感想を、、、聞いても本音の返事が返ってくる雰囲気ではなさそうですね。
PDCAサイクルの改善案が、砲丸投げの球並みにあさっての方向にぶっ飛んでるので、自覚させるのが難しそう
従業員に「経営者意識」を強制する前にお前がマネジメント覚えろよ。平成初期のうっすいリーダシップ本とノリと根性で止まってんなや。
従業員に「経営者意識」を強制する前にお前がマネジメント覚えろよ。平成初期のうっすいリーダシップ本とノリと根性で止まってんなや。
ソフトウエア開発をするまえに、
2次会に行かなかった。行く流れだったがもう限界だったし、誰も得をしないと考えたからでもある。
俺は飲み会で端っこでウーロン茶啜ってるだけだった。そんな人間が2次会に参加しても、次は緑茶を飲んでるぐらいの違いしかないだろうし、むしろ俺が行くと迷惑だろう。
俺は耐えられなかった。そんなふうに考えてしまった。自分は発達障害なのだと強い実感を得た。
帰りの電車でこれからの人生のことを考えている。俺は大学のサークルの飲み会に適応できなかった。思えば小中高と適応出来たことがない。大学ならば、と思っていたが、結局適応できそうにない。
この前行った就活関連の講演会で、企業が就活生に求めるものとして、コミュニケーション能力が第一に挙げられていた。俺はきっと企業にも適応できないんだろう。そもそも鬱と発達障害で留年しそうな人間は雇われないか。
ただ苦しい
「そもそもタスクがなんなのか定義できないし、定義してしまうとあっという間にタスクが解決するので労働時間を確保できません」
「無駄な打ち合わせを作って無理矢理出席させることで労働時間を確保できていたのに、リモートになったらみんな繋いでるだけで内職するのでダメです」
「優秀な人ほど仕事が早く終わって余暇ができて、無能な人からの不満が多くてダメです」
「労働時間に対する対価として給与を支払っていますし、組合活動も労働時間がベースなので、労働時間を管理できないリモートはダメです」
「仕事終わりの飲み会で仕事の大事な話をして時間外労働費を削ってたので、それができないリモートはダメです」
「業績評価はぶっちゃけ雰囲気で決めてたので雰囲気が分からないリモートはダメです」
ということを宣言していると思ってる
ジャニーズ事務所の性加害問題がここまでメディアを騒がせているのに、その話題をスルーして、やれ誰が退所しただの、どこのグループがデビューしただの、ニュースをないものとして扱っているジャニオタの友人がかなり怖くなってしまった。
個人的には、ニュースを見て怒ったり拒否反応を示す人の方がまだ理解できる。「こうあってほしいという願望と現実との乖離」にショックを受けていることがわかるからだ。現実との乖離そのものをスルーしている方が怖い。
私が友人を怖いと感じたのは、今回のことだけが原因ではない。彼女はかつてジャニーズ所属ではない俳優を推しており、その男性が未成年と飲み会をしてスキャンダルになっていたときには烈火のごとく怒っていたからだ。
「薬物や不倫はまだいいが、未成年の女の子の将来にに迷惑をかけるようなことはしてはいけない」と言っていたはずだ。
もともとアイドルには興味が薄い方ではあったが、私は二度とジャニーズ事務所を支持しないであろう。それは事務所だけの問題ではなく、ファンの沈黙によるところも大きい。さながらイタリアンマフィアの「オメルタ」のようである。
「全部食べて皿が空になった」という結果=理想状態が重要であり、
もっと言えば大皿料理という集団戦において、最も軍功をあげた(手早くタスクを消化した)ものとして賞賛されるべき、とさえ考えているのではないか。
食べ尽くし系、色々なパターンがある。
大皿になると発動するタイプ、相手の皿から盗むタイプ、家庭でやるタイプ、飲み会でやるタイプ、冷蔵庫を漁るタイプ。
自制のなさに慄くところもあるが、一方で共感(?)できるところもあったりする。
私にも「食べ尽くしたい」と思う心はある。
みんなが大皿から料理をとったあと、結構な量が残る場合がある。
また俗に言う遠慮の塊が残ったりする。
私は「後少しで完了するタスクが放置されてるのが気になってしまう」タイプでもある。
マルチタスクが苦手なのもある。視界や思考から完全に消したいのだ。
そんなことをするので、毎度序盤でだいぶお腹いっぱいになってしまう。
最後らへんはひーこらいいながら食べる。
「完食教育」「お残しはゆるしまへんで」「世界に誇るMOTTAINAIの精神」「米一粒は汗一粒」「農家の皆さんに申し訳ないと思わないのか」───。
我々日本人はこのような言葉で幼い頃から食べ尽くすことを美徳と刷り込まれて生きてきた。
しかし食べ過ぎは健康に悪いのだから、残すこともまた理に適ってるはずなのだ。)
あなたも、ご飯を米粒一つ残らず完食したとき、奇妙に爽快な達成感を得ないだろうか。
やってやった。成し遂げた。達成した。そんな気分になったことはないだろうか。
あるいは、中途半端に残された残飯を見て、不快な思いをしたことはないだろうか。
韓国など、むしろ残すのがマナーとされる文化圏では発生し得ないその感覚。
「食べ尽くし系」はこの感覚の極まった場所に存在するのではないだろうか。
食事を多人数でのリラックスしたコミュニケーションの場と捉えているか
ただ食べる時間と捉えるかどうかでも、違いがあると思う。
食事にだけ集中してるし、美味しいものを食べる時は、自然と箸が進んでしまう。
そもそも家族は全員バラバラにご飯を食べる家庭だったから、一人で食べるのがスタンダード。
母親は子供のご飯を作ってラップしてテーブルに置いたら、別の家事をやっていた。
一家揃っての食事は、もっぱら週末の外食の時にだけ行われるものだった。
これらの習慣が影響してるのか?
こんな風になりがちだった。
大皿では終わりが個人で閉じないので、モヤモヤとしたものを抱えて残タスクを見つめる自分がいる。
はよ食べないのかなあ。話してるうちに冷たくなるぞ?次の料理もくるしスペース作らなきゃ…。
「美味しい!これあったかいうちに食べたほうが美味いですよ」とそそのかしてみる。
スルーされた。うーむ。
私は1966年生まれの還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。
こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議な現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。
しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年生まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。
ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球大医学部でボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。
そして1989年に就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業の採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定者接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界のトップティア企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰な学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。
入社後も新人時代は飲み会後タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員がビジネスクラスで出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブルは崩壊します...
こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身の幸運と迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。
と同時に、おそらく今の出生年80万人世代は受験や就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供に感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。
俺が童貞捨てたのは29だったな
24のときに一念発起して色んな集まりに出たりするようになって、女性がいる集まりに行ってイベント終わりに人を集めて駄弁る会とかやるようになって、結局そこでは女性と二人で…みたいなことは一切なかったけど3年後にひょんなきっかけから(それまで参加してた集まりと完全に別の場所で)女性と付き合うことになった
何が言いたいかというと、モテない人間が努力してすぐそこで成果が出ることはないけど、飲み会で男女含めて色んな人を誘うとかやってみると全く関係ないところで役に立つぞって感じ 店選びとか会話の選べ方とか
それにこれもよくありがちだけど、別にモテる必要はないんだよな 最終目標はすれ違う人全員に好意を持ってもらうことじゃ書くて一人の人間に強い好意を持ってもらうことなんだからモテるモテるないとかそういう争いからさっさと降りるのが吉やぞ