はてなキーワード: 酷似とは
ある日マシュマロに「いろんなところからネタを集めてパクって小説や本にするなんて人間失格」みたいなメッセージがきた。どうやら私の書いた話が他の人の書いた話に酷似している、と言いたいらしい。同様のマシュマロ(おそらく同一人物)が前にも届いていたが、仕事が忙しく確認できていなかった。強い口調で「弁護士に相談したら黒だと言われた。震えて待ってろ」とも最後のマシュマロに書かれていた。
そもそも私の書いた話はキャラのセリフインスパイア、転生パロ、コスプレR18などこう言ってはなんだがよくあるテーマではないか?二次創作なんてテーマ被りがちだろうにこんなに偉そうに「匿名ツール」で「誰のこの作品に似ている」なんて詳細も出さずにメッセージを送るなんてどんな神経してんだ。本当に似てると思ったなら詳細は言えるだろうに。はじめて毒マシュマロをもらって凹んだけど、事実無根だしで今むかついてきた。盗作なんてしねえよ、自分の書きたいもの書いてるだけなんだから
はなれていくホロライブ7
さらに言えば前項のような現実の醜さで片付けられるものだけでなく
Vtuberやその事務所が法的・道義的に問題のあることをおこし、ネット上で炎上することが増えてきている。
例1:ホロライブの桃鈴ねねが他者のイラストをトレースした絵をグッズとして販売していた https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2203/03/news163.html 例2:ホロライブの潤羽るしあが企業の情報を故意に漏洩し契約解除 https://trendview.info/news/uruharusia2022why/ 例3:にじさんじのローレン・イロアスがAVを違法DLしていた https://www.menuguildsystem.com/nijisanji-laureniroas-av/ 例4:にじさんじの販売予定だったグッズが他企業のデザインと酷似していた https://trendview.info/news/nizisanji2022maisondefleur/
以上の4件は2022年の3カ月のうちに2社で起きた事をピックアップしたものであり、
全体で言えば更に多くの炎上が起きている。
企業規模やリスナー総数が多くなり注目度が上がっているにもかかわらず、
起業したての頃の意識が変わってないようなコンプライアンス意識の低さが見え隠れする。
ホロライブやにじさんじは、サービス開始から4年で売り上げ数十億、従業員数100人を超える大企業となる急成長を遂げた。
その急成長に企業のコンプライアンス教育の整備が間に合っていないのかもしれない。
これから更に成長していくにしたがって、そう言った問題はきっと解消されていくだろう。
しかし即座に解決できる問題ではなく、また注目度の高さから、しばらく炎上が当たり前のようになる可能性も高い。
炎上するほどに界隈が批判され、Vtuberを楽しんでいたはずのリスナーも疲弊していくことになる。
特にディスコードやtwitterなどの同好のコミュニティですら批判が見られるようになっていき、
そうのうちに界隈以外の人間や、詳しく知らない新参を敵視していき排他的な雰囲気が生まれていく。
次第次第とリスナー間の心も離れていき、
熱狂的な一部の信者と冷めて離れていく元ファンの二極化が進んでいくことが懸念される。
ホロライブやにじさんじと言った大手Vtuber事務所はチャンネル登録者数や売り上げを衰えることなく伸ばしている。
なぜなのか。
それは恐らくは、質が良く膨大な動画コンテンツを既に充分に作り上げることが出来たからだろう。
炎上をしても、それに興味を持った人々が動画を見始めてリスナーとなっていく。
そして例え今いる一部のリスナーが応援しなくなっても、企業案件をすることで知名度を増やし、
広告を出すことで離れていく人数よりも多くの新規リスナーを獲得し続け、企業の利益が上がるようになって来ている。
もっと言えば、今ホロライブやにじさんじが獲得しているのは「リスナー」ではないのかもしれない。
企業の案件に登場し、配信される歌を聴き、グッズを見かけて好きになった「ファン」は「生配信」を見ていないかもしれない。
今後、案件やグッズ展開が進んでいくにつれて、それは加速していくことになるだろう。
その段階では「Vtuberファン=リスナー」ではなくなって、リスナーはファンの中の一部でしかなる。、
「配信まで見に行く一部の熱狂的なファン」という立ち位置になるかもしれない。
「切り抜き(長時間の生配信の一部を切り取って数分の動画にしたもの)」を見るだけというファンも多くなっている。
Vtuberは配信者ではなくなり、更にリスナーから離れていく。
しかし、恐らくは、その結果として更にVtuberは売れていき、巨大化していくだろう。
それは「会いに行けるアイドル」として売れていったAKB48が、
次第と巨大化してテレビ出演などが増えて、一人当たりの公演が少なくなっていっても、
例え遠くで眺める存在になっても、
むしろ人気となって売れていったようにだ。
一般層においては多大な時間をつぎ込んで追いかけるコンテンツは避けられる。
より多くのファンを獲得したいなら、「表層をちょっと撫でただけでも楽しめる」ことが求められていく。
Vtuberたちは一緒に時間を過ごして共に楽しんでいた存在から、
羨望して眺めあげ、そして崇拝していく存在へと移り変わっていく。
それはオタクたちがどれほど泣き叫んで縋りつこうとも、
いや離れていくことしかできないのだ。
なぜならば、そこまで有名になったタレントのファンと言うものは、
ファン個人個人の力や発言は弱くても、その数はあまりにも多くなり、
それが一斉に少し近づくだけでも、そして発言するだけでも、大きな力となりタレントを傷つけかねない。
Vtuberやタレントのような「たった一人の存在」と、巨大な規模となったファンは一緒はいれないのだ。
お互いが傷つけあわない「適切な距離へと離れて行かなくてはいけない」。
それはTVタレントであろうとVtuberであろうと同じことだろう。
今までが「近すぎた」だけだ。
新しい芸術の発展をしていくのではなく、
最終的に既存のタレントたちと同じ売り方に収斂していくことだろう。
悠仁親王が中学2年生だかの時に書いた作文の一部が、ガイドブックの文章に酷似しているとして、ニュースになってる(た)。
ふつうに考えて、こんなの参考文献・引用元を明記するよう指導すれば済む話である。なぜ今更ニュースになったのか意味が分からない。
そもそも、資料の引用なんて大学生や大学院生ですらきちんとできない人が多いのに、中学生に完璧にやれというのは無理がある(というか、このニュースに噛み付いてる底辺のほとんどにはできないだろ……)。
むしろ、中学生が既存の文章を参考にして原稿用紙19ページの理路整然とした文章を書いたというのは、褒められこそすれど、批判されるべき点などない気がする(勘違いするなかれ。「他人の文章を参考にしたとはいえ……」と言っているのではない。きちんとした文献を引用することは、オリジナルの駄文を書くよりも価値が高いのである)。
何よりも、大の大人がよってたかって中学生の作文の粗を見つけてはしゃいでるというのが情けない……。
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というか本質はこれなんだろうな、と思う。
ニコニコ動画で顔だしして細々とやっていたゲーム実況者が、大手企業のアイドル Vtuber に転身してスパチャで億を稼ぐ。Before・After でやってることは一切変わってないのに❗️❗️ もうニコニコでライブ放送する事もない。Vtuber としてやった方が人が集まるから。
これって実在の転売だよな。プラモを自店の店舗販売での数は絞って、より儲かるマーケットプレイスで高額転売するのとやり方が酷似している。
数年前、Vtuber が凄まじい金額をスパチャで稼いでるのが表沙汰になったとき、匿名空間は怒りの罵詈雑言で満ちあふれた。メーカー希望小売価格がゼロ円だったのに、同じ商品を別の場所で億で売っていたら、そりゃ当然ヘイトは買うわ。
昨年だが、ジョビン選手(男性)が、舎弟のような奴(ゲーム配信者、非プロ)に荒らし行為を強要させ、
それが原因でチーム脱退処分になっている。
個人的にはイジメの構造に酷似していて死ぬほど胸糞悪かったが、
それでも今回のたぬかなの件よりは軽い不祥事なのかなと思っている
(というかたぬかなの件が酷すぎる)ので、サンプル数としては少ないけど
別に男女差は無いんじゃないの?
毎年、成人の日になるとイカれた派手派手袴姿のヤンキー成人がニュースの話題になるけど、ああいう人達を見ると近年リベラル(ポリコレ?)界隈で流行ってるようなボディポジティブモデルを連想するんだよな。
ここでいうボディポジティブは『ありのままの姿の自分を愛する』みたいな理念的な話というより、そこから生まれた『デブのモデル』『ブスなモデル』みたいな人達とその流行りの話。
成人式の派手派手袴とかヤンキーのファッション文化の根底には「世間がダサいと言おうとオレ達はオレ達のカッコいいを貫く」って精神性があるけど、それってボディポジティブの精神性と酷似しているように思う。
一般的評価では醜悪とされるデブやブスという要素を「それでも私達は私達として輝くんだ」と誰に恥じるでもなく押し出すボディポジティブモデルの姿はヤンキーと似て見える。
リベラル界隈とかヤンキー文化を馬鹿にしてそうな人は多いけど、行き着く所まで行き着くと、こういう共通点が生まれてくるのはなんていうか面白いなと思う。
違いがあるとすれば、ヤンキーは『オレらの世界』で自己完結的なのに対して、ボディポジティブはそれを良いモノだろと世間に押し出してくるところかな。
伊藤詩織さんを思わせる女性や、「枕営業大失敗」などの文字が書かれたイラストをTwitterに投稿していた。
伊藤さんは、これらのイラストが、性被害を訴えている伊藤さんと酷似している点などを指摘。
「(イラストの)女性と伊藤さんを同定することは容易に可能」と主張し、イラストが伊藤さんの名誉を傷つけたとして、慰謝料など550万円と投稿の削除、謝罪の掲出を求めてはすみさんを提訴した。
一方、はすみさんは一連のイラストについて、自身のTwitterやYouTubeなどで「風刺画はフィクション」「伊藤さんとは無関係」と主張していた。はすみさんのTwitterアカウントは、現在は見られない状況になっている。
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
父親教室の体験学習でテストが配られた。「30分でそれを解いて下さい」だが看護師が話しかけたり電話を始めたりと邪魔をして、結局誰も解けなかった。苛つく彼らに看護師は言った。「予定をこなしたくても邪魔が入って達成感を味わえない。それが赤ん坊を抱える母親の気持ちです」 #twnovel
そんなのカンタンじゃん ——とやり始めたところに 数分おきに
主催者がジャマをするんだそうです
結局誰も時間内に全問を解くことができずに
父親たちは怒り出した
“こんなにジャマされたら何もできない”
そこで主催者が言ったそうです
——『ミステリと言う勿れ』第3巻episode4-4
ツイッターの小説内の架空の実験を(それが事実だと誤認していたために)引用表記なしにマンガ内で紹介して謝罪する、という騒動があった。謝罪は受け入れられて和解が成立し、騒動は収束した。
これについて、はてブで著作権侵害を指摘するコメントが人気になっていた…
このような要旨のコメントが並んでいたのだ。
だが謝罪文を読む限り当事者同士で著作権侵害を問題にした形跡はない。著作権法では表現は保護されるがアイデアは保護されない。この短いエピソードの文言はマンガでは微妙に変わっていて文章を丸々トレースしているわけではない。これは本当に著作権を侵害しているのか——?
調べてたんだけど、この法律事務所のサイトによると、かつて江差追分事件なる事件があったらしい。
その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ
九月、その江差が、年に一度、かつての賑いを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます
小説の冒頭を元に、テレビ番組のナレーションが作られた。この酷似が問題視された。
現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは異なるもので著者に特有の認識ないしアイデアであるとしても、その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはなく、本件ナレーションにおいて、テレビ番組側が著者の認識と同じ認識の上に立って、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつてのにぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくと表現したことにより、本件プロローグと表現それ自体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず、具体的な表現においても両者は異なったものとなっている
したがって、本件ナレーションは、 本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本件プロローグと同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから、本件プロローグを翻案したものとはいえない
改めてツイート小説とマンガを見てみると、30分→1時間以内、体験学習→実験、看護師→主催者、母親の気持ち→母親たちの毎日、と翻案している。共通してるのは「父親の解答を邪魔をした結果、誰も解けなくて、母親の子育てもそんなものだと教える」ってことだ。これは著作権で保護される創作性のある表現なのか、それとも思想(アイデア)なのか。母親の子育て絶えず邪魔されて何もできない生活だ、というのは作者の思想に思える。だとするとそれをテストにして父親に体験させて学ばせるのが表現になるだろうけど、それは、創作性があるかな? 身体に重りをつけて乳房や妊娠の不便を体感させるのは現実世界でよく見られる。しかしこの設定、「現在の江差町が最もにぎわうのは江差追分全国大会のときだ」よりは創作性があると思う。うーむ…🤔 私には自明な著作権侵害だとは思えない… かといって著作権侵害ではないとも言い切れない。はてブの人たちは自信を持っているようだが。
夜だったはずだ。7時半だったか、ともかくその頃にはもう、すっかり暗くなっていた。そこを自転車で行くのだ。所在は、比較的には都会の方だったから、宵闇はネオン光や、車が放つ種々の光が斑に照らしている。そこを、当時中一だった私(以下、私と呼称する)が、幼稚な自転車で通行するのである。むろん、舐められる。
塾まで、至極単純な道のりで、自宅から、三十分もせず到着する。順路も、ちょっと右左、捻じ曲がった局所を踏破すると、後の二十何分を道なりに、ひたすらに直進するのみだ。国道から、十分も満たない近所だからだろうか。交通の便を良く配された、長い道路の両脇には、BOOK〇FF、PCでない方のマック、小さな銀行……大抵の設備が整っている。つまり、人目だって、十二分にあった。
そこは、少し幅狭な通路だった。少なくとも、まだ自転車道を通行することに、一縷の不安を持っていた私にとっては、その通路は少し手狭で、七面倒な場所であったことに違いない。幾つかの難所を脱した私は、もう二分も立たない内に、目的地にたどり着く手はずとなっていた。もう着くのだ。気だるさと同時に、私の顔はほころんでいる。前から、二人組の男が歩いてくる。
水溜まりボ〇ドみたいな二人だった。違いと言えば、デブの方が金髪だったと言う位である。それ以外は、本当に酷似していた。
私は、車道に幅を寄せた。その時、自動車道を大きく乗り越えトラックが接近していたし、ガードレールもあったので、どのみちそうする他ない。当然、私は二人組が、通りやすいよう、右に固まってくれる事を期待していた。
その期待は砕かれる。そうした類の善意どころか、彼らは私へと悪意すら向けてくる始末だ。具体的には、私の通行を阻む様に立ちふさがると、デブは何を考えたか、「こんばんは」と言う。
怖いと感じた。私は一層横に寄せると、少し、身を縮めた。一瞬、彼らは不気味な沈黙を保ったと思うと、私の右をぬるりと通過してゆく。デブは再度、「こんばんは」と言った。先程より大きい。彼の声は、記憶に定かではないけれども、高い声をしていたはずだ。その高い声が張り上げられるのだ。再度、「こんばんは」と言った。ほぼ怒鳴る様だった。男の身も蓋も無い叫び声は、あなたも聞き覚えがあるのではないか。私はそれに強い不安を覚える。恐怖ではない。しかし、どうも、身の安全が脅かされる様な気がしてならなくなるのだ。
その瞬間もそれだった。恐怖はなく、不安だけが総体を循環するのだ。不愉快な感覚だった。横のガリが笑う。何故か笑う。彼らは、人を脅かすことに悦びを見出しているに違いない。双方とも笑うその声は、喜悦と興奮に歪んでいた。
彼らは通り過ぎてゆく。距離の壁が初めて私に事態の終息を確信させた。気付けば私は塾内に入っていた。授業はするすると脳に染みわたるようだ。私は、その日から少し、見た目に気を遣うようになった。あの日買った競技用自転車は今は錆びつき、備え付けの駐輪場に放置され、今も風雨に打たれている。
初めまして。私は、てんかん持ちのその辺の女です。専門医ではありませんので、あくまで当事者の個人的な意見として受けとめてください。全然興味深くない、浅い内容だと思いますがお付き合いいただけると幸いです。
多分てんかんと言われると、泡を吹いて全身を痙攣させるアレ、みたいな印象をお持ちの方も多いかと思います。まあ、間違っていませんけど。実際にはもっと発作の種類は多く、ただボーッとしているように見えて、実は発作が起きてましたなんて人もいます。意識を失う人もいれば、失わない人もいます。全身が痙攣する人もいれば、腕だけ、なんて人もいます。心底どうでもいいですが、私は全身を痙攣させて、意識を失うタイプです。泡は吹きません。
覚えていらっしゃる方は少ないかと思いますが、夕方に多くの子供たちが突然倒れた「ポケモンショック」もてんかんの発作の一つと酷似しています。とにかく、発作の種類が豊富です。そして、てんかんを抱える人はめちゃくちゃ多いです。約100人に1人。多くないですか?皆さんのなんらかの知り合いの中にてんかんの方がいらっしゃってもなんの疑問もありません。なのに、知り合いの中にてんかんの方がいるかと問われると、パッと思い浮かばないと思います。そりゃそうです。皆言わないんですもん。だって誤解を招きますから。みんながみんな、全身を痙攣させるわけじゃないんですよ。でも、あのイメージが定着してしまっているから皆言わないんです。払拭するにしきれません。早くてんかんに対する偏見が無くなれ。一人でも多くの人に、てんかんを知ってほしい。
発作が起きているのって、なかなかショッキングで、衝撃的らしいです。伝聞形なのは、私は自分が発作を起こしている時は、意識がないからです。家族が目撃します。現在も治療中で、毎日薬を飲みますが、意識がないため、なんで飲んでいるのか、正直よく分かっていません。
長々と書いてしまいました。全然面白くなかったと思います。興味を持っていただけるようなものではないと思います。もうちょい、いやもっと書きたいので、多くの人に読んでいただきたいので、今回はこの辺で。今度はもうちょい興味を持っていただける内容を書きます。
例えばFFXIVやDQX、PSO2といったネトゲのスレには通称「田村」という荒らしが湧くことが多い
この手のコピペで出てくる「F9」と同一人物とされ、「田村」なる人物や住所が特定されたという情報もあるが、実際のところは不明である
こいつは5chのスレタイはもちろん、本文にその手のワードが出てくるだけで出現し、いつもの叩きコピペを垂れ流すという特徴がある
VPNでも使っているのかIDが毎回異なり、いちいちNGワードを設定する必要があるため、実に面倒な奴だ
他のネトゲ相手に同じことをやってる奴もおり、特に有名なものとして、IntelとAMDの対立煽りコピペを貼る奴がいる
「全員が同一人物」というのはさすがに荒唐無稽だろうし、歌い手と同一人物という説にも疑問は残るが、
判決文読んだ上で書いてるよ。
P.3
⑶ 本件各漫画の特徴
(略)
P.9
漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作物に当たらない(最高裁判所平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一小法廷判決,民集51巻6号2714頁)。
したがって,本件各漫画のキャラクターが原著作物のそれと同一あるいは類似であるからといって,これによって著作権侵害の問題が生じるものではない。
ケースバイケースという点には同意するけど、この裁判でなされた判断が今後の指標になるのは間違いないと思ってる。
この裁判は「二次創作は著作権侵害か否か」を争ったわけではなく、「損害賠償請求の権利が同人作家にあるか否か」を争ったもの。だから判決そのものの影響力と言うよりも、その判決の論拠となる部分にこの二次創作は著作権侵害か否かの議論があってそこで侵害ではないって判断されたことの影響力が大きいってことね。
判決がひっくり返ったとは言ってないし、判決そのものじゃなくてその根拠となった司法判断がそれまでの同人の常識をひっくり返したと言ってるんだけど。
少なくとも元増田からリンクされている山田議員のブログ記事には「ブラックな部分を限定的に判断し、ホワイトな形態を広く明確に示したという点は、大きな意義がある」と書いているし、ねとらぼの記事ははっきり「画期的判決」と書いている。これを常識がひっくり返ったと考えるかどうかは個人差かもね。
外見が酷似してないから著作権侵害には当たらないってちゃんと絵を比較した判決になってるし、元の絵をみてたけど酷似とは言えない。
これ、まるで間違ってるよ。まったく逆。お前が引用した判決文にもちゃーんと書いてある。
ていうか、判決文の前提事実に「主役の顔貌及び体型は,原著作物の主役のそれと酷似している。」って書いてあるんだけど、ちゃんと読んだ?
せっかくだから、お前が引用した箇所のお前の解釈教えてよ。読みやすいやわらかい文章にして。
ちなみに俺の解釈を、読みやすいやわらかい文章で書いていくね。
「その同人誌は著作権侵害の違法書物だから我々に対する損害賠償請求の権利を同人作者(原告)は持っていない」という主張に対して、
「いやいやこれは著作権侵害してないから違法書物ではなく、同人作者に損害賠償請求権はある」という建付けになっている。
だから、判決の根拠としてなぜこれが著作権侵害でないかという理由が述べられている。
余談だけど、よくある二次創作に二次創作著者の著作権があるかどうかを論点としているわけではないことに注意。あくまでも損害賠償というお金を請求する権利ね。
乙10の1~7(もっとも,
「アニメ版」として掲げられているシーンについて,第何回のどの部分という具体的特定までがされているわけではない。)の内容を検討してみても,原著作物のシーンと本件各漫画のシーンとでは,主人公等の容姿や服装などといった基本的設定に関わる部分以外に共通ないし類似する部分は
ほとんど見られず(なお,乙10の1~7の中で,共通点として説明されているものの中には,表現の類似ではなく,アイディアの類似を述べているのに過ぎないものが少なくないことを付言しておく。),
ここの部分は、
原著作物のトレスだったら著作権(複製権)侵害かもしれないけど、今回の場合トレス元と具体的に特定できる原著作物のシーンはないよね?
原著作物と同じか似ている部分は、主人公の容姿や服装だけだよね。
あとアイデアは似てるかもね(言うまでもなくアイデアは著作権法で保護されない)
ということを言っている。
また,基本的設定に関わる部分については,それが,基本的設定を定めた回のシーンであるのかどうかは明らかではなく,結局,著作権侵害の主張立証としては不十分であるといわざるを得ない。
ここは、
基本的設定(=主人公等の容姿や服装)は、それ自体がメインの回ならともかく、そうじゃないなら著作権侵害とは言えない。
ということ。
ここは俺もちょっとうまく解釈できてない。たぶん、「主人公がこの髪型になった理由」みたいな回がもしあったら、その回に限り髪型に著作物性がある、みたいなことを言ってるのかな。
以上の次第で,一審被告らの著作権侵害の主張は,それ自体失当であるし,現在の証拠関係を前提とする限り,仮に原著作物のシーンが特定されたとしても,著作権侵害が問題となり得るのは,主人公等の容姿や服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるものといわざるを得ない(なお,一審被告らは,本件各漫画で描かれた各シーン(ストーリー
ここは、
とまあ、無断複製販売業者の主張には無理があるよ。
もし、トレス元のシーンが特定されたとしても、複製権侵害にあたるのは(背景とかじゃなくて)トレスされた主人公等の容姿や服装だけだよ。
と言っている。
ここ紛らわしいので要注意なんだけど、同人作家が自由な構図で新規に描いた主人公等の容姿や服装はそもそも問題にしておらず、同人作家が原著作物をトレスしたときの主人公等の容姿や服装が複製権侵害になり得ると言ってる。
しかしこれ断言し過ぎのような気もするな。漫画の擬音の表現ひとつとっても著作物性はあると思うし、AKIRAみたいに人物が描かれていなくても俯瞰の構図や風景が特徴的な漫画もトレスしたら複製権侵害でしょ。普通に考えると。その場合、擬音や構図や世界観の表現が基本的設定に関わる部分とみなすのかな。
最後、
展開に関わる部分)は,原著作物の基本的設定に関わる部分の翻案に当たり,また,同一性保持権を侵害していると主張するかもしれないが,上記基本的設定に関わる部分は,主人公等の容姿や服装などの表現そのものにその本質的特徴があるというべきであって,ストーリー展開に本質的特徴があるということはできないから,本件各漫画に描かれたストーリー展開が,上記基本的設定に関わる部分の翻案に当たると解する余地はないし,主人公等の容姿や服装など基本的設定に関わる部分に変更がない以上,同一性保持権侵害が問題になる余地もない。)。
ここは、前段までに複製権侵害が否定されたので、次に同一性保持権について検討しているところ。
ストーリー展開は本質的特徴とは言えないから、ストーリー改変やオリジナルストーリーで描いても翻案じゃないし同一性保持権侵害にはならないよ。
この同人誌は主人公等の容姿や服装を原著作物から改変してないから同一性保持権侵害じゃないよ。
と言っている。
これはけっこう衝撃的。複製権は一旦置いておいて、同一性保持権の観点では主人公等の容姿や服装を改変してはいけないというのだ。つまり似てなかったら権利侵害、そっくり似せたらOKということ。
だから、
絵が全く似てねーじゃん。
あと、お前が言ってる公式と誤認されるような似せ方(画風や装丁やレイアウトや流通も含めて)はこの裁判では論点にしてないからね。
まとめると、
・複製権侵害になり得るのは、原著作物をトレスしたときの主人公等の容姿や服装部分
・主人公等の容姿や服装を原著作物と同じように描くのは同一性保持権侵害にならない
そういう考えがこれまでの通説だったけど、今回の判決でそれがひっくり返っちゃったってこと。
なにしろ髪型や外見が原著作物と酷似している同人誌の現物を取り上げて、これは著作権侵害ではないって司法判断しちゃったんだから。
少なくとも、今回の「Owl&Cat手コキ特集」と「下着おじリターンズ」の描きっぷりでは、「ハイキュー!!」「TIGER&BUNNY」の著作権を侵害していないっていう判断。
ブコメ分かってない奴が多いな。一番最初のリンク先の山田太郎議員のページ読めよ。
たしかにこの裁判の主題は、二次創作作者とその海賊版販売業者の争いで、これまで立場が弱く海賊版販売され放題だった二次創作者に損害賠償請求権があることを示した。ブコメでこのことを言ってる人が多いんだけど、そこじゃないんだよ、重要なのは。
上の判断に付随して、公式のキャラと名前や設定が同じで顔や出立ちが酷似しているキャラを描いた二次創作は著作権侵害には該当しないと言い切っちゃったんだ。山田議員の解説によると複製権のみならず、翻案権や同一性保持権も侵害には該当しないと。
原著作物の主人公等の名前や場面設定等を流用にすぎない同人誌には、著作権侵害(複製権侵害、翻案権侵害、同一性保持権侵害)が成立しないと知財高裁が判断したということになります。
この、主題じゃない方のおまけみたいな司法判断がめちゃくちゃ重要で、上手く運用しないと同人文化に大きな影響がありそう。
同人活動がしやすくなるというメリットだけじゃなくて、同人の振りをした悪徳業者がやり放題にもなりかねない。
しかも、このおまけの判断、今回の二次創作者vs海賊版販売業者という文脈とは切り離された判断なので、公式vs二次創作者のときに判断を変えられるようなものではないでしょ。