「被疑者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 被疑者とは

2018-10-02

「○○しろ」より「○○しなさい」の方が丁寧なのに

「○○しなさい」というと「賢い私が愚かな君を教え導いてやろう」という上から目線意図が含まれる。

「○○しろ」は別にからでも横からでも下からでも使われるので、発言者立場は確定されない。

経営者従業員待遇改善しろ」(下から

「お前ら筋トレしろ捗るぞ」(横から

被疑者を確保しろ」(上から

なので、上から目線意見したいときは、「○○しなさい」を使ってみなさい。

2018-08-25

私刑について

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-08-20

とある人物強姦疑惑によって地獄が出現している件

ツイッター経由で15歳の女性強姦!?

http://eraitencho.blogspot.com/2018/08/15.html

まだ疑惑だそうなのでここでは被疑者側には触れません。上の記事を読めば良いし、今後いくらでも情報が入るでしょうしね。

ここでは現在進行形で起こっている被害者の周囲にいる人たちの行動を見てみますよ。

え○いてんちょう

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031112454913191936

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031131358167351297

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031132005793067008

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031134405761224705

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031205307211382786

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031186545493954560

ttps://camp-fire.jp/projects/67893/activities/60602

ttps://twitter.com/eraitencho/status/1031535773525266434

ttps://camp-fire.jp/projects/67893/activities/60669

借○玉

ttps://twitter.com/syakkin_dama/status/1031134505124343808

御○広マオ

ttps://note.mu/mao_fishman/n/n5c8fd6d4f4c0

弟子」を自称するほど親交の深かった人物強姦疑惑をかけられたら、取るべき行動は

疑惑事実無根であり、大木英持は無罪だと信じる」

被疑者心中するか

疑惑が本当なら大変申し訳ないと思う。被害者の方々にお詫びしたい」

謝罪するか、どちらかになります

な○しま

被疑者周辺で本件にコメントしない人間うさんくさいとして拡散していると発言

ttps://twitter.com/naishima/status/1031157819158843393

mu_e○aten*

私刑保証されていると発言

ttps://twitter.com/EratenMu/status/1031221187580293120

被疑者ツイートいいねした者を洗えと発言

ttps://twitter.com/EratenMu/status/1031227399516508160

いやあ元凶事件も相まって地獄ですねえ

感想はこれだけです。

2018-07-28

死刑と遺族の感情って別問題じゃないのって話

ここ最近Twitterでやたらと死刑議論が湧き上がってるけど、

死刑反対派でよく見る意見に、いつもモヤモヤするところがある。

死刑で、被害者/遺族の気持ちは報われるんですか?」ってところだ。

やっぱりTwitterみたいな場だと、「俺なら喜ぶ」「そりゃスッキリするだろ」

みたいなレスが見受けられるけど、本質はそこじゃなくないか、と。

人でなしの極論に走れば、遺族感情はこの際議論の的ではないはずだ。

遺族の中にだって被疑者死刑を喜ばない/許してあげたい聖人だっているかもしれないし、

死ぬより酷い目に遭ってくれと呪う人だっているはずだ。

「遺族感情」によってその都度判決を変えるわけにはいかないし、

じゃあ遺族が死ねといったら殺すのか?という話になってしまうよね。

問題は、「非常に重大な犯罪を犯した」人間が、何を持って対価を支払うべきか、という点でしかない。

その支払いの手段に、己の命があって然るべきか否かというのが、死刑論争の中核のはずだ。

(もちろん、死刑終身刑に伴う経費の問題などもあるけど、やっぱりメインはそこだと思う)

例えば、無銭飲食をした人間が店主に対して払うべき「罪への対価」は、

飲食費だとか、それに見合う分の労働だとして、

人を殺した人間がその人に対して払うべき対価は、本来であればその人を

かつていた場所に戻す事だろう。

それが出来ないから、じゃあ何を払う?っていう話だと、忘れないで欲しいな。

2018-07-27

小室さん頑張れ応援してるぞ

先日、学習院大学から中退を発表したロイヤルビッチ二号(19)。

この暴挙を嗜めるべくロイヤルキンタマこと巨人小笠原(40)が勃ち上がった。

リリーフカー佳子のもとに現れた畜生は「散々我儘に振舞った挙句FAとか中村紀みたい」「学習院学習淫して来たんだろ?」と丁寧に挨拶

さらに御面喰らいになられる佳子に「AV入試だ」と宣言するとレイプ開始。

しかしそこは流石のビッチ、嫌がる素振りも見せずに股をお開きになられると「アンアンICU~」と喘がれるなど淫乱ぶりを見せつけられた。

この惨状に「(これが皇族じゃ)いかんでしょ」と珍しく危機感を露わにした畜生

きっちりと種をつけたのち佳子スケートリンクに叩きつけて殺害したが、銀盤で何かを思い出し死亡ののち逮捕

被疑者死亡により不敬罪書類送検されたのち死刑となり、あの世から連れ戻されたのち再びあの世に送られた。

この件について大正義巨人原監督は「過去は金でも隠せない」と経験談に基づきコメント

なお明日試合には間に合う模様。

2018-07-06

死刑廃止派の一法曹としての意見

松本智津夫オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行された。

 私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行タイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。

有罪であるという確証が持てない時に、多くの裁判官はどういう行動を取るのだろうか

 司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思いますしか現実裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者植松正は「無期懲役誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官人間ですから世論はまちがいなく気にしています世間を騒がせた大きな犯罪である場合裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしま可能性は0ではないということです。死刑という刑罰存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑選択してしまう例が存在するということです。

死刑制度問題は究極的には被疑者被告人人権問題に帰する

 死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者被告人人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しか100人死刑囚の中には、1人の無辜人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実犯罪者”の被害者の応報感情社会要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。

 では自分痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなた痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的裁判官検察官親和性の高い人たちですし、基本的検察提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなた有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。

 裁判人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪証明できた場合名誉回復され、損害賠償請求できる場合もある。しか死刑場合においては、それは究極の人権制約なのです。

団藤重光は以下のように論じています

例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しか人格的、その意味主体的利益であろうとも、人間自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益帰属する主体存在のものです。もちろんこのことと、前述の人間尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益帰属主体のもの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります

 痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人人権を守りましょう、被疑者実名報道はやめましょう、無意味身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますいかがでしょうか。

 本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人に対する、究極の人権侵害である死刑廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しか死刑廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。

被害者(周辺を含む)の応報感情を軽く考えるべきではない

 痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構ます。ですから冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。

 しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分冤罪当事者になることな想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情自然ものであると思いますしかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。

自分は無実なのだと内心で叫びながら絞首台に向かう人の存在を許容できるか

 私は貝になりたい、の主人公床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います

 私はその価値判断において、死刑廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断尊重したいと考えていますしかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたあなたの大切な人が、冤罪死刑になってしまうことを許容できますか、と。

2018-07-01

anond:20180701143759

それ妄想から

起訴になった事案だぞ

事件化する要件揃わなかったんだよ

なんで第三者レイプと断定できるのか

ましてや薬盛ったとか

被疑者人権侵害のものだろ

anond:20180701140322

妄想は辞めようよ

事件は不起訴

疑わしきは被疑者利益にだろ

山口ゲスなのは間違いないがそれ以上のことは妄想

裁判で明らかになった以上の事実を知ってるなら証拠だせよ

なんで元TBS山口氏のレイプ疑惑推定無罪にならないの?

はてなの最強のダブスタはこれ

起訴だよ?

防犯カメラメールのやり取りもあってそれでも犯罪が成立する要件揃わなかったんだよ

なんでレイプだと言えるの?

疑わしきは被疑者利益になんだろ

法治国家に住んでるんだから法に従えよ

お前らが普段政府権力に対して言ってることだろ

なんで自分達は自分の言ってること守らないんだよ

同じリベラルとして頭クラクラするのはこういうダブスタ

結局のところポリコレ棒振り回して誰かを殴りたい暴漢と一緒なんだよ

2018-06-26

anond:20180626103231

誠実でもなんでもないので、どちらが正しいかなんて話はしてない。

 

殺人目的である人生だという考え

じゃあ殺人完了した時点でやることないか死ねよ。

なんで服役して私が殺しましたとか社会に知らせる必要があるわけ?

社会に気を遣うのなら、最初から殺人すんなって話じゃん。

みんな怒りを持ってても我慢して生活してるんだぞ。

そんなやつらからしたら何を誠実ぶってんだ殺すぞって反応なわけで無駄税金使わず自分で始末してくれって感想だろ。

あと証拠がそろってる被疑者が死んだ場合はたいして捜査せずに普通に打ち切られるだけだが。

裁判したりするほうが無駄に金使うからとっとと死んでくれた方がエコだし、

無駄人生を生きるよりもさっさと死んだ方がいいでしょ、最初殺人人生目的であるって考えはどこにいったんだと。

誠実をいうなら最初自分希望最後まで初志貫徹しろと。

低能先生なんて足つっただけで目的達成あきらめるレベルだぞ。

 

・なんだかんだいって生にしがみつきたい

じゃあ最初から殺人すんなと…。何度言わせるの?

結局、これだから無期懲役囚たちはなりきり聖人プレイに夢中になってんだろ。

低能先生例外なく「健康大事ですね」とかインタビューで答えて1日30分の運動を頑張るから夢みんなって。

足つらないような肉体を手に入れても外に出れずに、今度は自力で歩けない体になるまで過ごすんだから

2018-06-16

Coinhiveで有名になった神奈川県警警察所内で取り調べ中の市民銃殺したことがある

Coinhiveの使用を、法的根拠なく勝手有罪とみなして有名になった神奈川県警

勝手有罪化して取り調べるとはどういうことだ、と吹き上がっている人がいるが、それどころか、神奈川県警勝手に取り調べ中の市民銃殺したことがある。それも、つい20年前に。

警察官が激昂して、取調べ中の市民警察署内で銃殺警官の目の前で拳銃に弾込めて自殺なんてできるはずがないのに、「取り調べ中に自殺した」で最高裁までゴネて押し通した。

神奈川県警に逆らうと文字通り警察官に殺されるよ。地元民には有名な話。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/戸部警察署被疑者死亡事件

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/174197/168028/12878181

1960年代とかならまだしも、インターネット携帯電話も普及し始めた1997年事件からね…

2018-06-15

anond:20180615210103

マウントも何も、そうでしょ?

「現行の~法のこの部分に抵触する行為なので逮捕します」じゃないの?

実際の逮捕の際にはそういう説明をもちろん被疑者にしてるんだと思うし

他の逮捕者出たときはその辺普通に情報出てくるじゃん。

今回の件でその辺明確に情報出てるところがもしあったら教えてほしい。

2018-06-12

相手は誰でもよかった」

今回ののぞみの件に限らず、通り魔事件被疑者逮捕された後の取り調べで「相手は誰でもよかった」と供述している、と警察発表されることがよくある。

そしてそういう報道を受けて、「誰でもよくないじゃん、襲う相手を見極めて都合のいい相手を選んでることは明らかじゃん、『無差別』なんかじゃないじゃん」みたいな批判をしている人もよく見かける。

まあその批判は一面ではその通りっちゃその通りではあるんだけど、無意識に「被疑者が問わず語りでそう言った」ってことを前提にしちゃってない?と思うわけ。

通り魔本人が、聞かれてもいないのに自分から警察に「とにかく人を刺してやろうと思っていた、誰でもよかったんです」なんてしゃべって、警官フムフム言いながらカタカタ文字起こしして、なんてことはない。あるわけがない。

そういう「供述」は、警官が取り調べで「なぜこの被害者を襲ったのか」を尋ね、被疑者が答えた内容をまとめた(作文した)結果にすぎない。

「なぜこの被害者を襲ったのか」という質問は、「犯行動機」を確認するための質問にすぎないし、「誰でもよかった」というのは、「怨恨などにより特定人を狙った犯行ではなく、通り魔的、場当たり的な犯行だった」ということの言い換えにすぎない。実務的な意味としては。

実際の問答は、こんな流れだったかもしれない。警官「なぜこの女性を襲ったんだ」被疑者「…、別に」警「別に理由はない、ということか?」被「…まあ、そうかも」警「この女性とは面識はあったのか?」被「いや知らない人」警「たまたま近くにいたから、ということか?」被「ええまあ。はい

そういう問答じゃなく、「なぜこの被害者を襲った」という質問に対して、被疑者が流暢に「誰でもよかったんです」と答えたかもしれないけれども、それはどちらでもいい。要点は、「相手は誰でもよかったなら、なんでガタイのいい兄ちゃんとかを狙わないんだよw 誰でもよくねえじゃんw」みたいな揚げ足取りには何の意味もない、ということ。

2018-05-31

久しぶりに郵便ポストを開けたら巡回連絡カードというのがきていた.

件のカード封筒に入っていて,その封筒には

  • カード他人へ見せることはない
  • 連絡をくれれば回収しに行く
  • 最寄りの警察署などでも受け付けている

というようなことが書かれていた.初めて見たので少し驚いたけれど,警察署へ持ってこいというのだから警察を騙った第三者によるものではなさそうだ.

しか2018年しては全体的に素朴というか,利用目的第三者への提供の有無のような,集めた個人情報がどう取り扱われるかについての説明があまりにあっさりしている.

ということで少し調べて見た.

巡回連絡カードとは

封筒に貼られていたメモによると

など,非常の場合の連絡に役立てるものです

ということであった.封筒に入っていた記入票にも同じようなことが書かれており,それ以上の情報はないという感じ.

個人情報保護法の適用範囲

このところ個人情報を求められる場合,必ず個人情報取り扱い同意書というものがセット出てて来るようになってきた.聞くところによると個人情報保護法というのが背景にあるらしい.

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/question02.html

総務省のページを見ると,

 保護法は、内閣に置かれる機関会計検査院を含む国のすべての行政機関対象としています(第2条第1項)。

 同じく行政主体であっても、地方公共団体については、保護法の対象機関ではありません。地域特性に応じ、別途それぞれの条例によって、個人情報の取扱いに関する規律が定められることになっています

 また、同じく国の機関であっても、立法府である国会司法府である裁判所については、三権分立観点からそれぞれ実態に即して自律的必要措置を講じることが求められるので、保護法の対象機関には入っていません。

とある.今回は渋谷警察署からの依頼であったので,東京都公安委員会管理してるってことであってるのかな,地方公共団体だと思うので,保護法の対象機関では無いっぽいです.

警察巡回連絡カードに関する質問主意書

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a189150.htm

過去衆議院でやりとりがあったみたいで,そのような情報が出てきた.きっかけは2015年に起きた警察官による犯罪で,巡回連絡カード悪用されたことのようだった.

ここでは3点質問されていて,

一点目と二点目の質問については,「各都道府県個人情報保護条例等に従って行われているもの承知している」というのが回答で,三点目については「一般論としては,刑罰法規に該当するか否かは,個別の事案ごとに判断されるべき」ということだった.

なんだかふんわりしているけれど,回答してるのが内閣総理大臣なんだよね.で,警察庁なら内閣府の国家公安委員会になるけど,巡回連絡カード警察署がやってるやつだし,そりゃふんわりするのかなという気持ちになる.

都道府県個人情報保護条例など

じゃあ言われている「各都道府県個人情報保護条例」ってのがどうなってるのかなって話なんですが,

http://www.johokokai.metro.tokyo.jp/kojinjoho/gaiyo/toriatukai.html

東京都場合はここにありました.用語定義実施機関に「警視総監とあるので間違いなさそう.

このページをざっと見た限り,「犯罪の予防、鎮圧又は捜査被疑者逮捕交通取締りその他の公共安全と秩序の維持に係る事務」であっても「個人情報を取り扱う事務目的を明確にし、目的達成に必要範囲内で、適法かつ公正な手段により個人情報収集します。」ということなので(第4条),今回受け取った巡回連絡カードはふんわりとした利用目的と,明確じゃ無い利用範囲ということで,グレーなのでは...? という気持ちになるのですが,専門家じゃ無いのでイマイチ自信はありません.

他の例はどうか

http://www.metro.tokyo.jp/privatepolicy/index.html

上で参照した東京都サイトプライバシーポリシーサイト全体に関してのものとして普通な気がする.まあ妥当なのでは...? 普通こういう感じだよね...

2018-05-20

ニュースって、被害者運動会動画とか学芸会動画とか流すけど

あれをTV局に渡す人って何考えてんだろうなって思う。

謝礼貰うんだろうけど、そんなに金に困ってんのかなって思う。

TVの人ってそんな画像流してバカなんじゃないかと思う。

加害者運動会とか学芸会を流せよって思う。

被疑者の段階ならまだしも、加害者って優遇されてるよなって思う。

ニュース見てるとそんなことばっかり思う。

思ったところで何にもできないけど

そんなことに巻き込まれたのって本当に可哀想だと思う。

ただ思うことだけしかできないけど

そう思う。

2018-05-17

anond:20180516084954

「(アニメオタク×犯罪」みたいなニュース流れるたびに思い出すようにしていることは

オタク非オタ
犯罪
善良

というマトリクスです。

今回の被疑者は①だったのかもしれませんが、

世の中のオタクには③ほうが圧倒的に多いわけです。

さらに、こういう「オタク×犯罪」みたいな偏った見方は②を無視しています

今年に入ってから話題になったような犯罪者の属性プロットしてみれば、

オタク属性のない(オタクとは報道されていない)犯罪者のほうが圧倒的に多いはずです。

2018-05-16

anond:20180516212749

万一情報が洩れて、被疑者死亡で送検の可能性もあるので、それはリスクが残りますね。

2018-04-26

anond:20180424195320

そういった恣意性を疑うのは非常に妥当だと思います

事実、私はSNS上にこういう主張を載せたのは人生で初めてです。

ここって初投稿だと他の方に分かるようになってるのかな?

それはさておき、反論の本旨に対してコメントしますと

凶悪事件」の場合刑事裁判になりますから、最終的に事件審判を下すのは裁判官になります

言うまでもなく裁判官職業訓練を通じて何が有効証拠証言になりうるか判別する能力を身につける事が要求されます

その判断メディア報道によって容易に左右されるものではないと推測します。あくま一般視聴者比較してでの話ですが。

ですので、今回の件とは違う性質のものだと考えます

ただしその場合も、メディア報道抑制的なものでなければ、公正な裁判を経ずに社会的制裁被疑者に加えてしまうといった問題

以前から度々指摘されていると思います

なので私が言わなくても別にいかなと思ってきました。

anond:20180426113252

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/h22_chikankenkyukai.pdf

被疑者意識調査動機は何か。のところ。

まあ痴漢ゲーム感覚でやってるならストレス解消にはなるだろう。

「興奮する」「ドキドキする」「スリルを味わう」というのはエンターテインメントだし。

ただ「なぜゲームをやってるの?」と訊かれて「ストレス解消」と答える人は少ないわな。

楽しいからストレス解消になるのであって、ストレス解消は主目的ではない。

anond:20180426105517

被疑者呼称報道の(≒警察記者クラブマスコミ情報を流す)タイミングによる

  1. 逮捕前に情報を流す
  2. 逮捕直前か逮捕後に情報を流す
  3. 書類送検後に情報を流す
  4. 起訴後の裁判報道
  5. 情報を流さな

以下個人的見解

NHK EテレRの法則公式ツイッター報道後に手動でツイートを消していたことが話題になった

ツイート手動削除の過程魚拓に残っている

https://archive.is/13dyJ

https://archive.is/AQIRp

https://archive.is/Hil7x

https://archive.is/pjzfJ

NHKのこの慌てる様から見た限り

被害届山口達也への事情聴取の段階では警察マスコミに一切の情報を流していなかった可能性が高い

もし事前にNHK情報を得ていたとすればRの法則公式ツイッター番組ホームページの削除、番組休止と差し替え等の対応もっと落ち着いてできたはずだ

被害届の取り下げ、示談成立を経て不起訴になる見込みになった段階で警察マスコミ情報を流した、その結果が「山口メンバー」呼びでの報道だろう

2018-04-24

財務省事務次官セクハラ疑惑報道に関して、私が問題に思うこと

長めです。

私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、

今回の事柄テレビ報道問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)

端的にいうと報道番組必要な手順をスキップしてないか?と感じます

まず、私達の住む社会セクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。

一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当事実かについて十分な調査検証が行われてない段階で、

誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います

特に報道機関においてではです。

一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会役割や影響力が全く違います

私は法律専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)

検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会サイトから引用します。

 「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、

 「刑事裁判有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。

 (引用ここまで)

法律世界において、一つには刑事裁判の立証責任所在を示す意味もあるそうですが、

もう一つの意味引用文のままで十分理解可能だと思います

今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。

ですから刑事裁判原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。

しかしこの原則意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。

繰り返しになりますが、特に報道機関においてではです。

被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実否認しており、また提出された証拠妥当性、当時の状況等々に関して

十分な確認検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。

更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)

報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。

直接的に「誰某は加害者である被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現被害事実であったという事実認定が前提になった言葉です。

セクハラ発言」という表現もある発言セクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉一般的な意味で使っています。私は法律専門家ではないので)

言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。

「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人いるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます

以前読んで個人的に大変参考になったブログ記事を貼ります

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521

中年男性性的発言に対する嫌悪感から即座にセクハラ認定していないでしょうか。

何が妥当事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。

加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。

もちろん私もこの場合被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要モラルだと思います

しかし、であれば、加害者とされる側についても必要検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?

対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。) 

一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態報道において連日続けば

視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。

必要検証を経ず、報道機関によってです。

それは私は非常に不公正で危険な事だと考えます

念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。

疑われている事柄事実なら、必要謝罪処置が当然行われるべきです。

しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。

また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います

例えば、ある刑事事件において警察犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者自白強要を行い裁判有罪が確定したとします。

この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います

後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律ジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います

そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います

最後に、上で述べたような性質発言をする人ばかりではありませんでした。

慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。

しかし私の視聴した範囲ではそれらは極少数でした。

一人ひとりの発言引用すると、様々な論点が出てきてしまうのでやめました。

論点拡散してしまうと、私が重要だと思ってる論点が見えづらくなるので。

2018-04-22

anond:20180422103032

被疑者事実関係否定したら、言ったもん勝ちではないぞ。

言ったもん勝ちってのはある事実確認されたときに、被疑者がそれをどう考えようが、告発者がそれをハラスメントと捉えて社会同意すれば、ハラスメントだって話。

いくら言ったもん勝ちでも社会同意しない状態では、ハラスメント認定されない。

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