ここ最近Twitterでやたらと死刑議論が湧き上がってるけど、
死刑反対派でよく見る意見に、いつもモヤモヤするところがある。
「死刑で、被害者/遺族の気持ちは報われるんですか?」ってところだ。
やっぱりTwitterみたいな場だと、「俺なら喜ぶ」「そりゃスッキリするだろ」
みたいなレスが見受けられるけど、本質はそこじゃなくないか、と。
人でなしの極論に走れば、遺族感情はこの際議論の的ではないはずだ。
遺族の中にだって、被疑者の死刑を喜ばない/許してあげたい聖人だっているかもしれないし、
「遺族感情」によってその都度判決を変えるわけにはいかないし、
じゃあ遺族が死ねといったら殺すのか?という話になってしまうよね。
問題は、「非常に重大な犯罪を犯した」人間が、何を持って対価を支払うべきか、という点でしかない。
その支払いの手段に、己の命があって然るべきか否かというのが、死刑論争の中核のはずだ。
(もちろん、死刑や終身刑に伴う経費の問題などもあるけど、やっぱりメインはそこだと思う)
例えば、無銭飲食をした人間が店主に対して払うべき「罪への対価」は、
人を殺した人間がその人に対して払うべき対価は、本来であればその人を
かつていた場所に戻す事だろう。
それが出来ないから、じゃあ何を払う?っていう話だと、忘れないで欲しいな。