2018-07-28

死刑と遺族の感情って別問題じゃないのって話

ここ最近Twitterでやたらと死刑議論が湧き上がってるけど、

死刑反対派でよく見る意見に、いつもモヤモヤするところがある。

死刑で、被害者/遺族の気持ちは報われるんですか?」ってところだ。

やっぱりTwitterみたいな場だと、「俺なら喜ぶ」「そりゃスッキリするだろ」

みたいなレスが見受けられるけど、本質はそこじゃなくないか、と。

人でなしの極論に走れば、遺族感情はこの際議論の的ではないはずだ。

遺族の中にだって被疑者死刑を喜ばない/許してあげたい聖人だっているかもしれないし、

死ぬより酷い目に遭ってくれと呪う人だっているはずだ。

「遺族感情」によってその都度判決を変えるわけにはいかないし、

じゃあ遺族が死ねといったら殺すのか?という話になってしまうよね。

問題は、「非常に重大な犯罪を犯した」人間が、何を持って対価を支払うべきか、という点でしかない。

その支払いの手段に、己の命があって然るべきか否かというのが、死刑論争の中核のはずだ。

(もちろん、死刑終身刑に伴う経費の問題などもあるけど、やっぱりメインはそこだと思う)

例えば、無銭飲食をした人間が店主に対して払うべき「罪への対価」は、

飲食費だとか、それに見合う分の労働だとして、

人を殺した人間がその人に対して払うべき対価は、本来であればその人を

かつていた場所に戻す事だろう。

それが出来ないから、じゃあ何を払う?っていう話だと、忘れないで欲しいな。

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