はてなキーワード: 発症とは
タイトルのままなのだけど、一人でいると突然過去生きてきた中での嫌な思い出がよみがえってきてしまい、
そのたびにひとりで
「ごめんなさいごめんなさい」とか「あー死ねばいいのに」とか「大丈夫大丈夫」とか「ダメだダメだ」とか独り言で大きな声が出てしまう。
風呂に入っているときが一番顕著なのだけど、一人でいるときに一日数回発症する。
こういうときは声を出してしまうと変な目で見られるので、なるべく声が出そうになったら咳払いでごまかしている。
こういう症状だとチック症や汚言症が一番疑われるのだけど、
嫌な思い出に起因することが症状に当てはまらず、なんか納得できる他の病も見当たらないので、医者に行く気にもならない。
ずっと昔からこの症状があったと思っていたのだけど、よく考えたら10年ほど前であればこんな症状はなかった。社会人になってからだ。
いい加減治したいので書いてみた。
【追記】
みなさんありがとうございます。コメントも全部読みました。
提示していただいた対策は前向きに行っていきたいと思います。心療内科等も含めて。
私も過去にミソる、という概念を見たことがあって、それでみんな苦労しているんだな、と思っていました。
でも最近このような症状を訴える人はあまり表面に出ていないみたいだし、
友人や同僚にそれとなく聞いてみたところ、そんなのないよっていう返事しかなく、なんか自分がおかしいのかと思ったからでした。
それで増田に書いてみようと思った次第です。みんなあるんだな、と思って少し安心しました。
私がちょっと特殊なのは、それ思い出してから一通り悶えた後、その思い出した嫌な記憶を思い出そうとしても思い出せなくなることでしょうか。
何かそれだけ特異なのかな、と感じました。
家族生きてるの?
さっき自分の人生語らせてって言ったけど2行で終わってしまった。
少し考えたけど本当にこれ以上何もしてない。
3年間、三食食べてテレビDVDBD見て新聞雑誌漫画小説読んでネット見てみたいな生活の繰り返しだから
本当に何も書けない
改めて今涙がでてきました。
ああっ女神さまっシリーズやキノの旅は本当に好きで何度も見返した。
セリフも覚えてるくらい
昨日自分の人生が24年経っていたことに気づいてゾッとしたと同時に、
何のために生きているんだろうって涙が止まらなかった。
他の人は山ほど人生経験してるだろう中、人生の感想文が2行しか書けない。
何のために生きているんだろう
でも普通の人間なら、誰々とどこそこに言ったとかの思い出とかがいくつかあるんじゃないのかな?
普通の人がどうなのかよく分からないけど、多分そうなんだと思う。
だけどそれが俺には全く無い。
ただ3年もテレビを見て、録画してた番組を見て、小説や漫画や雑誌を読んで、ネットをやって、最近はSIMなし中古スマホでソシャゲをしてってだけ。
高校時代から大学時代までいとこの家(一戸建てで都内)に住んでいて、高校は公立名門校、大学は公立大学だった。
でも大学卒業の年に障碍を患った。だけど成績が良かったものだから中退するのはプライドがゆるさなかった。
親にはまだ生きていてもらわないと。
俺が年金もらうより先に親が死んじゃったらどうしよう。
普通のニートでも大抵は、職安にいってやりなおそうとした。でも挫折した。
だけど、俺は本当にそういうのすらない。
働こうとも思わず飯食って息してたら25になってた。
最近は障害手帳を取った後の就職活動で住宅問題のNPOにいってる。
自宅も住民の多様化が顕著になってきていて、子供にとっては辛そうなのと
うちは子供部屋だし、仮に俺が低学歴で長年のいじめられっこならば引きこもりになっていたかも。
暇でブラウザ検索を長いこと続けていて、あるネットのスレッドから。
ある大学の調査によると、高学歴のニートが低学歴者を上回っているそうだ。
そして完全にニートと認められている20代の30%は大卒以上だそう。
読みながら涙がでた。大学院卒のニートを抱えた親子の心情や葛藤が書かれた記事だったが、自分の生き写しのようだった。
彼らにはまだ40代になる前ならやり直せるといいたい。働き盛りだろう。
例えば今日はセガのゲームを遊ぶ日にしようと決めたら、ずっとセガ系を丸一日遊んだり。
そしてその次はバンナム系のゲームを遊んでおくんだ。この繰り返し。
ソシャゲを覚えてからはソシャゲの方が楽しくてゲームをする時間がかなり減った。
父親は地方公務員だった。母親は郵貯のキャリア職員である。妹は今の大学に二流公立高校からAOで進学している。
家は自家用車無くても困らない場所に住んでいるから免許すらない。
妹はバイトしなくても問題ないとこ通っているからバイトしていない。
でも今、親が再雇用になって経済面もやや厳しそうで、最近は中学生向け予備校で講師バイトすることがほとんど。
そんなとき、俺がブラックな職場で働いてたら経済的に支えてあげられるのにと最近よく思う。
失ったものなんてない
フェレットにかまれた警察官、16年以上経過し「蜂窩織炎」で死亡
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191113-00053020-otonans-life
2002年6月26日、「近くの公園にフェレットがいる」との通報を受けて出動し、
休職と復職を繰り返しましたが、今年1月に大分県内の病院で亡くなりました。
41歳でした。
増田さん「感染症の一つで、皮膚に生じた傷から細菌が増殖することで発症します。原因となる細菌は、黄色ブドウ球菌と連鎖球菌が代表的で、表皮(皮膚の表面)の下の層である皮下組織を中心に問題が生じます。人間の場合、顔や脚に発生しやすく、とりわけ肌の露出が多くなる夏場に多発する傾向にあります。肌が赤くなったり、腫れたり、痛みや熱い感じが急速に拡大したりして、発熱や頭痛、悪寒、関節痛、全身のだるさなどを伴うことがあります。
治療は、原因となっている細菌を特定し、その細菌に効果を示す抗生物質を使います。合わせて生じている症状があれば、それも同時にケアをしていきます。ただ、病変が広い範囲で、さらに時間が経過している場合は改善しにくいことがあり、重症化することもあります。致死率は、一般的にそれほど高くありませんが、持病がある人、特に免疫関連の病気がある人は注意が必要です」
続き
前回の登楼から一ヶ月以上経っても平気な辺り、自分とってセックスは必ずしも必要な行為では無いのだなと思い知った頃。
当初、高級店を一通り回ってみるという志の低い目標があったこともあり、今回もまた別の店の候補。写真の雰囲気も、名前でぐぐった評判も良いので気になっていた。予約困難と紹介にわざわざ書かれてる点もポイント高い(事実かはさておき)。新規は当日予約のみなので出勤日と土曜日が重なったときに掛けてみたが電話にすら出て貰えない。6コール以上続くと不安になって自分から切ってしまうので、せめて出ては欲しいと思う。
有休を取り平日に挑むことで無事予約できたが、電話口でマット不可であることとタトゥーがあることを伝えられる。マットはともかくタトゥーは本物を見たことがないので良いとも悪いともわからないのが正直なところ。背中に立派な龍が踊ってても廬山昇龍覇とか言わないようにしよう、ぐらいの感想だ。
店に入るとすぐホテルのフロントのような受付があり、支払いを済ませようとすると名刺を渡された。ソープで初めて貰った名刺がまさか店員の、それもマネージャ職からとは。屋号とは別に真っ当そうな会社名がご親切にも書かれている。まさかソープで名刺交換なんてイベントがあるとは思わず名刺持ってきてません。持ってても渡したくないが。
待合室に案内されてドリンクを選んでお手拭きと茶菓子を貰う。この辺は大体共通らしい。すると今度は待合室に案内した店員からも名刺を受け取ってしまった。担当は営業らしい。まさかソープで二度も、それも嬢以外から名刺を貰うとは。これが高級店なのか…?事前アンケートを今更何の意味があるんだろうと思いつつ記入し説明を受けてると女性の好みとか嬢に望むことを聞かれたので割と素直に、過去何度かソープに行ったものの必ずしももう一度会いたいと思う程では無かったこと、好みを敢えてあげるなら不慣れなのでリードしてくれる人がよい、といったことを伝えた。
何度経験しても慣れることの無い、待たされる緊張感を味わっていると漸く呼ばれてエレベータでご対面。ぱっと見、特にイメージから外れる事も無く安心したがボディタッチの多さに驚いた。挨拶したら早々に手を握られ、エレベータを降りれば腕ごと抱きつくように歩き、ほぼ童貞には刺激が強すぎる。ソープってこんな感じだったっけ?
部屋はいつか見たような、入り口で風呂側とベッド側の二手に分かれているタイプ。新規客に対する定番ネタであろう「こういう店にはよく来るのか」的質問が出たのでまだ数回、むしろつい3ヶ月前まで童貞でしたと言うと「そうなの?初めがソープ?可哀想…」と見事な直球を頂いた。妙な気を遣われるのも困るのでむしろ好感度高い。やや凛々しい印象のパネル写真と違い、穏やか・嫋やかな印象なので聞いてみると割と以前の写真らしい。写真は美女、本物は美人、という感じがする。タトゥーについては嬢の方も物凄く気にしていたようだが、背面側で脱がなければ気付かないであろうぐらいのもの。よく考えなくても常時目に入るものではないし、見えてもさして気にもならないものだった。
話す間にも一枚一枚脱がされていき気が付いたら自分は裸に。前はここまで辿り着くのに30分は要したというのに10分も経っていない。手際が良いなんてものではなく、雰囲気があまりに自然で意識する間もないと言うべきか。
この後は適当にフェラの後ベッドに移動なのかな、と適当に予想してると膝の上に乗られていきなりのキス。それもただのキスではなく、舌の感触を感じられるいつかぶりのディープキスで感動してしまった。
このキス、ちょっと長めかな?と思ったのは多分1分経過したぐらい。
口の中に溜まった唾液って、ディープキスしながらだとどうやって飲めばいいんだっけ?と考えたのが多分3分経過したぐらい。
それを2回繰り返したので確実に5分は越えた後にようやく、唇が離れた。こんなに長い時間キスしたのなんて間違いなく人生初で、一息つきながら話したらすぐさま再度のキス。
やや落ち着いてみると、ただ舌を絡ませるだけではなく吸う、舐める、啄むといった複合技術であることが分かった。恐る恐る自分も舌を伸ばし口内を探ってみると、歯並びの良さが舌先だけでもよく分かる。しかもそんな探り舌をきちんと掬い取って吸い付くとかどんな高等技術だろう。
キスしている間は自然とお互い背中に手を回し抱き締める形となる。最初こそ背中を撫でたり胸に手を回そうとしたり余計な気を回していたが10分近くもキスしているとただお互い抱き締めるだけが一番落ち着くことに気付く。そして嬢の背中に回した掌から体温を感じたとき、自分はこんな温もりを今まで知らなかったことにショックを受けた。ここまで何度か身体を重ねたことはあっても、自分は相手の体温を感じる余裕すら持っていなかった事実が哀しかった。
十分すぎるキスの後はそのまま今度はフェラへ。今までのどこかふわふわとした曖昧なものとは違い、しっかりと口や舌先の感触があった。しかし感触があったからといってそれが快感かどうかは別問題なのが難しい。やはりまた長めで5分以上はあったと思う。
ベッドに移動し、今度は手だけでなく脚も絡めて文字通り全身で抱き締め合う形での長い長いキス。そしてまた長い長いフェラを挟んで騎乗位での挿入。久し振りだからかそういうものなのか、一際熱い感触がする。締め付ける感じではなく、中で刺激を得るような感じか。
そのまま動くのかと思いきや嬢が前に倒れてきてやはりまた舌を絡めたキスをしながらの動きになり、角度的に少々不安はあったものの無事射精。
よかった、無事できた、と安心していちゃいちゃと抱き合ってるところで間髪入れず2回目のお誘いが来る。間に入浴挟むとか、インターバルってもっと開けるものなのではと思うものの、自信は無いが断る理由も無いのでまた長い長いキスとフェラで復活を試みるも全てを出し尽くしたのか立ち上がらず。正確にはフェラでは立っても入れる段になると萎れるという。なのでやはりまた抱き合ってキスしてごろごろいちゃいちゃに。触りあってる内に手首を掴まれて指を中に入れてしまったけど、感触があるような無いような不思議な感覚だった。自分には無い器官だけに難しいとしか言いようがない。
流石にここまで何度も何度も長くキスしていると、自分に合わせてくれていることぐらい察するので、嬢の方は果たして大丈夫なんだろうか、高級店とはいえここまでして貰って良いのだろうか、といったニュアンスのことを息継ぎのタイミングで聞いてみると、キスは心が籠もってしまうから誰とでもはしない、と。同じ台詞をきっと他の客全員に言ってるであろうことぐらい理解しているし、真に受けられるほど傲慢でも無いが、こういう言葉がさらっと出てくるのは素直に凄いと思う。
時間一杯キスした後に洗体と入浴、上がって話したところで丁度良い時間に。
エレベータで別れたあと上がり部屋へ案内され。待合室で話した店員が近付いてきて事後アンケートと感想ヒアリングらしい。こちらの反応だけでなく、求められている反応が何かも瞬時に理解し対応してしまという観察眼と勘の良さから、素人目にも相当なプロだというのはよくわかる。お世辞一つ言うにしても、身体の部位を指して具体的に感想を述べたりと接客の所作の一つ一つが上手いと感じる。また終わった後でも雰囲気を壊さず、ひたすらいちゃいちゃに付き合ってくれるとか最高すぎる。全く非の打ち所が無い。
言葉としては確かに聞いたことがある。しかし自分からしてみれば、ソープで恋人プレイというのは全く意味の分からない趣向だった。嬢と恋人は別でしょ、常識的に考えて。なので恋人プレイという言葉を聞いたとき、なぜそこでその言葉が出てくるのか全く分からなかったし違和感しかなかった。もしかして、キスしたり抱き合ったりいちゃいちゃするのが恋人プレイなのだろうか?通常のお仕事プレイの範疇ではないものだったのか?
そもそも自分には恋人なんて居たことがない。自分が知らないだけで世間一般でいう「恋人プレイ」はああいうものなのだろうか。つまり店員の言葉に違和感を覚えたのは「恋人がいたことがないから恋人プレイを知らない」だけだったのか。最後の最後にまさかそんな哀しい事実に気付いてしまうなんて。
キスって素晴らしいと思う反面、自分なんかにキスさせてしまって死ぬほど申し訳ない気持ちが湧いてくる。
申し訳ないのは本心だけど叶うことならまたしたいとも思ってしまう。恐らく事前アンケートや話した内容がきちんと嬢に伝わっていたのだと思うが、初回でこれほどサービス濃厚だと他の店、他の嬢にする意味が見当たらないまである。あと腕枕で腕が痺れるなんてフィクションだと思ってました。
別に月1回と決めているわけではないが、あまり間を開けずに行くのもどうなのかという謎の葛藤があって月が変わるのを待ってから予約を入れた。当然、前回と同じ嬢で、念には念を入れて有休を取り平日を選んだ。幾ばくかの緊張と同時に浮かれていたと思う。
約一ヶ月ぶりだったが一応覚えては貰えていたらしい。当然細かいところは曖昧なのか以前と同じような話をしてしまうことがあったがそこはご愛敬、無理もない。前回同様、話してる内にいつの間にやら脱がせてもらい、前回と同じかそれ以上に長い長いキス。相変わらず吸い付きが凄い。ベッドへ移動しフェラとこれまた前回と同じ流れで騎乗位でいざ挿入したところで異変が起きた。確かに立っていたのに、少し動けば容易に抜けてしまう程度に萎れている。
もう一度フェラで立たせて貰ってもやはり勃起を維持できない。ああ、やっぱりまた中折れか。最初は立っていたくせになんて身勝手なんだろう。やがてさらに悪いことに、フェラでも立たなくなってしまった。クンニもしてみたがやはり挿入できるほどの勃起には至れない。明らかに嬢が焦ってるのがわかってしまい、自分も焦るがこうなるとどれだけ焦っても勃起しないものはしない。
7月の時にできなかったのは平日の仕事帰りで疲れていたからだと自分を納得させていたが、いよいよ気付いてしまった。あれ以来、セックスができたのは初見の嬢とだけ。つまり自分はどうやら同じ嬢とは2回以上セックスができないらしい。初見とだけできるって本当に意味が分からないし、一度したら興味が薄れるということでむしろクズっぽい気がする。
以前は自分自身の戸惑いもあり虚無の時間を過ごしてしまったが、今回の嬢はやはり経験値の高いプロなのだと思う。また抱き締め合って本当に長い長い長いキスのお陰で救われた。前回同様、話す時間とセックスしようとしていた時間以外は全てキスしていたと思う。
時間が来たところで洗体と入浴。今回はイソジン入りのコップを渡されてうがい付き。前は無かったけど、時間的にもこのあと何かをする訳では無いので単にエチケット的な意味なのだろう。衛生管理は大切。
上がり部屋は毎回案内してくれるらしく、ドリンクを注文して一休憩。事後アンケートはどうやら初回で入った嬢の場合に書くものらしい。
やっぱりか、というのと何故なんだ、しかない。
EDということは認めたくないがどう考えてもEDな気がするし、使う人は割とカジュアルに使うらしいので試してみることにした。
ED薬は口に入れるものだけに怪しい通販や個人輸入系はちょっと怖い。何とかクリニックと称する病院の方がまだマシだろうと判断して、ぐぐって出てきたクリニックからGoogleクチコミが比較的信頼できそうな所に行くことにした。初めての場合は無料相談の後に処方して貰えるらしい(無料「相談」だから診断ではなく、初診料も掛からないというロジックだと思われる)。アンケート書かせて「心因性の可能性もありますが、一度試してみるのもいいですね」と言うだけなのだからこりゃ相談だわと自分も思う。
自分には何がどのぐらいの量で効くのか、結局試してみないとわからないこともあり、まずはバイアグラの後発であるシルデナフィル錠50mgを1錠、シアリス錠と同一成分のザルティア錠5mgを4錠。ザルティア錠は1回2錠カウントとしたら、計3回分になる。これで3,000円程もするのだからいいお値段だと思う。
当然のように院内処方で、次回以降は相談や診断無しで処方して貰えるらしい。こう言っちゃ悪いが怪しさという点では輸入業者とそれほどの差は無い。何せ素人には相手が本物の医師であるかどうかなんて分かりようがないのだから。
電動歯ブラシを買って、念入りに歯を磨く程度には緊張と期待が入り交じっていた。
予定の1時間半前にシルデナフィル錠50mgを1錠服用、30分程で顔に火照りと僅かな頭痛を感じ始め、何かしらの効果を実感する。添付されている案内冊子(http://www.yoshindo.jp/db/search/detail/?prod_id=678)に、「死に至る」「勃起機能を永続的に失う」といった小心者にはインパクトの強い文字が並んでいたためかなり緊張していたと思う。NSNNの店しか行ったことの無い自分がまず気にすべきは性病の方だろうに。
対面して直ぐさま身体を寄せて体温を伝えてくる所作、本当に見事だと思う。前回のように雑談しながら脱がせてくれるが、ここにきてようやく嬢から名前を呼ばれ、野良客から認知客へのバージョンアップというものを実感した。長い長いキスの中で順調に勃起し、今日こそはという自信もどことなく湧いてくる。
そんな自信が、前回のようにベッドへ移動しキスの後にフェラして貰ったところで違和感へと変じた。以前のようにやや強めに吸い付き舌を這わせられているのに不思議と感覚がない。逆に感覚が鋭敏になりすぎて、麻痺したのかも知れないような妙な感覚だった。妙な感覚があまりに続きすぎて、痛みのようにも感じ始めたところで止めて貰う。時計の針を見ると10分近くもフェラしていてくれたらしい。長めだとは思っていたけどこれはかなり長めなのでは。
満を持して騎乗位で入れて貰うも、フェラの時に感じてた感覚の無さをより強く感じた。確かにきちんと勃起しているし、挿入しても折れることはない。ずっとキスをしながら動いたり動かしたりと繰り返しているのに何故、射精に至るような快感がないのか。
セックス中にも関わらず無心の境地に至ると色々余計な事を考えてしまうようで、懸命にあげてくれる嬌声よりも会話での声を聞きたいと思ってしまう。決して演技臭いとかの悪い意味ではなく、ただ言葉を交わしたいのだと思う。だけどセックス中に、一体どんな言葉をかければ良いのかなんて自分が知るはずもなく。
嬢にばかり動かせて汗をかかせ、そのくせ射精もできないという罪悪感から起き上がりバックで挑んでみるが一度か二度のあってないような経験では早々に動き疲れてしまう。それならばと初めての正常位にしてみるも予想していた通り動き方が全く分からずまたもや早々に疲れてしまう。自分の頭の中での動きと実際の動きが全く合わない感じ、泳げない人の感覚もこんなものなんだろうか。
これで少しなりとも感じるものがあればまだしも、やはり快感はないので射精には至れない。副作用と思われる頭痛の感覚はあるが、性器の感覚だけはまるでそこが切り離されたかのようにない。本当に今勃起しているのは自分の性器なんだろうか?
無意味に勃起だけはまだ続いているので再び騎乗位で入れて貰うが、どうやらあまりに長い間挿入していると膣の中に何かを仕込んでいても乾いてしまうことに気付いた。ここまで来ると流石に申し訳なさが極まってきてもうイッたフリをして終わらせようかという考えが一瞬よぎってしまう。だけどそれは嬢に失礼なだけでなく、自分自身を許せなくなって二度と会えなくなってしまう。さっさと終わらせることも、乾いた状態で無理もさせたくもないなら諦めるしかなく、そっと抜いて抱き合ってキスをするぐらいのことは何とかできた。
自分の中では完全に終戦なもののまだ勃起しているので嬢の方は手コキで続けてくれる。しかしそれでも射精には至らなかった。事後トークというよりは反省会。至れなかったこと、長い時間無理をさせてしまったことを詫びた。しかし逆に「何の役にも立てなくて」と詫びられてしまった。こう言われてしまうと死にたい。悪いのは全部自分の方なのに。
嬢からは、強くし過ぎると痛いという人もいるからもしかしたらそれではないかと。ここで初めて、あの快感でも性感でもない感覚が痛みだということに気付いてしまった。言われてみれば、皮を引っ張られるような感覚でそれは痛みだったのかも知れない。
薬を飲めば確かに勃起はする。精神的に完全に折れても勃起はする。するが、射精できるとは限らない。ちなみに中折れは一度起きたので感覚的に性的刺激を得られ続けていないと駄目らしい。
月1回の逢瀬も4回目ともなると遠距離恋愛か、何処かの童話のような気がしてくる。高い塔の姫に会いに行くあたり、正にラプンツェルなのでは。
今回はザルティア錠5mgを2錠服用。前回で副作用の感覚が分かったこともあり、多少緊張は和らいだと思う。
対面と同時にやはりまた身体を寄せて手を繋いでくれる。4度目ともなるとパターン化したもので、やはり前回同様に雑談しながらこちらの服を脱がして長い長いキスを経てベッドへ。今回も時計の針を追っていると10分近いフェラだった。違いとしては口内の感覚がややあり、心なしか、舌触りが優しい感じがする。
騎乗位での挿入、熱い感覚も中を通る感覚もあるのに性感とは異なる感覚だと思う。互いにあまり激しく動かず、ややゆっくり目で動くことで何となく感じるものはあるのに射精に結びつく感覚には何故か至れない。無意識に排尿を我慢するような感覚に近い。
嬢の背中に汗を感じた辺りで起き上がり正常位に移ってみたが、疲れず腰を動かす感覚がわかってきたというのが唯一の収穫。残り時間的にお開きだろうというところで終戦ムードの反省会となり、感想を伝え合った。今回は一番セックスらしいことをしていた気がするが、なぜ射精に至れないのか。
これで3回の登楼連続で射精できず、通算すると8回中4回になる。一体何をしに行ってるんだろうかと不意に思うことがある。薄々そんな気はしていたが自分には向いていない遊びなのではないか。
以下はただの感想文です。
人の目を見て話せない、そもそも顔を見るのすら苦手、あたりを発症していると異性というだけで怪異のように見えてしまうが、近距離で話す経験は決して無駄ではないと思う。
上手くいきさえすれば、人並みのことが人並みにできるという自信は付く。上手くいきさえすれば。
殆ど逆恨みのようなものだが、世の中にはそれこそ息をするように気軽にセックスができてしまえる人達がいる事実が憎い。
もうちょっとで退職だってのに、ワンマン社長のパワハラでうつを発症。
ついに倒れてしまい、家族から退職を早めさせて欲しいとお願いして貰ったけど「仕事完了するまでは辞めさせない!」「途中で辞めるなら給与や賞与を返せ!」と言われてしまった。
精神科で「うつで療養が必要である」って書いて貰った。来週の月曜日には会社行かなきゃいけないんだけどどうしよう。正直会社に近づくのすら怖いし震えが止まらない。会社行っても社長にまた怒鳴られる未来しか見えない。
どうせなら社長に仕返ししてから死にたいけど犯罪者になったら家族に迷惑がかかるしなあ。
「ボケ老人の中にそうじゃない人を放り込むのがどんなに残酷なことかわかっているの?」
春にくも膜下を発症後、手術は成功したものの様子のおかしくなった母はそれ以来施設のお世話になっている。だが自分ではおかしなことをしているという自覚はない。それでこの言葉だ。
そもそも母がいるのは認知症棟ではなく一般棟で、入居者は軽度の認知症か、認知症ではない人達。周りはボケ老人ばかりと決めつけている時点でかなり変だ。
「あなたは私がボケたと決めつけていて、それに当てはめて『ああやっぱりボケてる』と思うために毎週来ているんでしょう」「そんな風に思ってるならもう面会に来ないよ。」「もう来ないで。何かやるたびに『ほら、やっぱりボケてる』みたいに見られるのはもううんざり。鍵と銀行のカードを郵送で送ってくれたら私は一人で家に帰って一人で暮らすから。あそこは私の家だからあなたは出て行ってね」
面会に行くたびに連れ出している徒歩5分の喫茶店にだって15分くらいかかって歩いていくのがやっとなのにどうやって一人で暮らしていくんだ。
「私に帰ってきて欲しくないんでしょ。だからそうやってボケたことにしてこじつけてるのよ」
確かに、無理だと思っていた補聴器の管理も、毎週渡す500円の管理も意外にちゃんとこなしているようだ。心のどこかで、もしかして母はもう大丈夫なのかもしれない、自分が決めつけているだけなのかもしれないと揺らいでいる自分がいる。
だが、自分はおかしくないと必死に主張すればするほど母の言っていることはどんどん支離滅裂になっていって、ああ、やっぱり無理だとなってしまう。
売り言葉に買い言葉、お互いに溜まっていた不満をぶつけ合い、「じゃあもう来ない」と言って別れた。
面会者以外は許可なく出ることのできないドアの向こうで、母はいつまでも「もう来ないでいいからね」と叫んでいた。
それで来週はどうしたらいいんだろう。ボケていることを確認するためだけに面会に来ていると言う母に対して、腹が立つと同時に、本当にそうだと信じているならあまりにも孤独でかわいそうで、今すぐにでもまた会いに行きたいという気持ちになる。きっと今頃母は、執念深く腹を立てると同時に、もし本当にもう会いに来なかったらどうしようと怯えているんだろう。
だいたい正常な判断ができない老人に、面会に行かないという形で罰を与えるなんてことが許されるんだろうか。
・地元の幼馴染に騙された。
→詳細は省くが、金銭系のトラブルではない。大したことではないのかもしれないが、「いっそのこと地元を大事にしよう」と思った矢先の出来事だったためにショックが非常に大きかった。
→詳しくは書けないが、知り合いが大怪我を負った事故の第一発見者となった。
→先述の家族との死別や、事故への遭遇、その後の環境の変化によって不安障害を発症。強烈な不安とそれに伴う動悸によって夜眠れなくなり、ご飯も喉を通らなくなる(12月現在だいぶ回復)。
→独り暮らしのインフルエンザほど辛いものはない。おまけに私には困ったときに心配してくれる友人も、頼れる友人もいない。学校の学務にインフルエンザ罹患報告の電話をかけたら「それは辛いですね。」と言われて、弱りきった私はそれだけで涙が出そうになった。そんな私もだいぶ回復してきて、今は増田をやっている。
令和元年はツラいことばかりだった。
令和2年はハッピーに過ごせるといいな。
それでは皆さん、良いお年を。
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/post-13582.php
そもそも、最も感染力の強いインフルエンザ発症から3~4日目には患者はベッドで苦しんでいるはずだから、マスクを着けて街を歩いてはいないだろう。
電車内に風邪薬の広告貼られまくってるのめちゃめちゃ日本の闇だと思う
薬で抑え付けて出勤しなきゃいけないのなんとかしろ!!!!
そしてたとえ症状を一時抑えれたとしても風邪自体は治ってないんだから職場に来るな感染るだろ家でゆっくり休んでろ!!!!!!!!— ▼ペナミドリムシちゃん(雛鳥) (@penamidochan) 2019年12月8日