はてなキーワード: 定期テストとは
当方(弟)20代半ば、兄は30近い。首都圏住み故に、双方実家暮らし社会人。
私が兄を形容するにあたって、何よりもまず「畏怖」のようなものが挙げられる。
幼少期の兄はガタイがいい(というか太り気味)であり、私は痩せ型であったため、年齢差も相まって力関係の差があった。何かしらあると怒られたりつねられたりし、長期休暇などで家にいるとおっかなくてしょうがなく、仕事に出ている母親に電話で助けを求めた記憶が残っている。
兄は中学からは塾に通うようになった。進学校を目指すようなハイレベルな塾で、競争が激しいのか課題が多いのか兄の機嫌は更に悪くなった。当時の私は、塾に行くと性格が悪くなるのではと兄を見て思った。
兄は中学から高校にかけての反抗期も激しかった。親と盛大に喧嘩をしており、私はいつか兄が家族を手に掛けるのではないかと不安になった。高校の定期テストや受験あたりでは輪をかけて機嫌が悪くなった。中学生だった私は、中学時代の兄を見たために塾には入らず、テスト前でも呑気にゲームをやるような生活をしていた。一方で成績は中学時代の兄よりも良好であったため、いけ好かなかったと思う。
兄は大学生になった。活動が盛んな運動部に入り、土日は家をあけることが多くなった。接触が減ったが、部活の影響で体格が良くなったため、揉めた際の迫力が増した。一方で私は兄と同じ高校に入った。文理選択では、兄と異なる系統を選んだ。単純な興味の面が半分、兄との比較がしにくくなる面が半分であった。
私は兄と異なる大学に進学した。兄のいる部屋と別の部屋で友人とスカイプ通話をしていたら、うるさいとすごい剣幕で怒られた。今度やったらパソコンをへし折るとのこと。私は兄がいないときのみスカイプを使うようにした。
兄は就職し、婚約者が出来た。兄の婚約者と私達家族で食事する機会があった。普段のぶっきらぼうな態度は何処にというような気さくな言動をする兄の姿があった。あれが家の外での兄なのだろう。私はなんだか胃が痛くなり、手元にあった酒を呷った。
そして兄は海外へ赴任した。兄との相部屋は、人が一人常時いないのもあり随分と静かになった。社会人になっていた私は、労働に追われながらも兄のいない生活に慣れていった。
他方で、兄の優しかったことや、兄の尊敬できるところももちろんある。
幼い頃に、揺れる車の中で即席の話をよく聞かせてくれたこと。私の高校受験のときに、応援の意図でシャープペンシルを贈ってくれたこと。自分のセンター試験のおやつのついでとはいえ、私にアルフォートを買ってくれたこと。私の大学受験や就活に助言してくれたこと。
兄は大学時代、部活動の一方で学業も怠らず、皆が羨む企業に就職した。努力を嫌った私には出来ないことであった。
そんな兄が半年前に帰ってきた。帰国の予定日が近づくのと一にして、疲弊した感覚が襲ってきたことは記憶に新しい。
冒頭に書いたが、私は兄を畏れている面がある。知人に、「何かに怯えている感じに自信がなさげ」と評されることがあるが、多分その影響であろう。親には、自分の気質の理由を他人に見出すなと言われる。遅きに失している感はあるが、私も恐怖を抜きにして兄や自分自身に向き合うべきなのだろう。
兄はこの度家を出る。海外赴任ではない、夫婦としての新生活だ。私にとっての兄のいる生活は、完全に終わりを告げる。余程のことがない限り、寝食を共にすることはないだろう。これが最後だと考えると、兄にしたこと、されたことを思い出し、得も言われぬ寂しさが湧いてくる。我ながら調子がいいものだ。
みんな気づいたか。こいつの文章は非常にこなれている。ただ単に国語が得意という話ではなく、反省文が無駄に洗礼されてる。
こういう奴の反省文は胸にスッと入ってくるが、気を付けたほうがいい。
こいつは同じような反省を定期テストの度に繰り返している。何度も反省を繰り返し、反省文しか成長してない。
そもそもこれが本当の彼の気持ちなら、既に大学に受かってる筈だ。
でも受かってない。多分受験に落ちた時にちょっと落ち込んで、反省文書いてスッキリして遊びだすパターンだ。
どうせそこらへんの大学いって、院試か就職に失敗して同じ事を言う筈だ。
今日は1月12日。令和二年成人式が開かれる日だ。成人式って、なにも成人の日に開催されるわけじゃないんだな。まさに今年度に成人を迎えた人間なのに、そんなことすら知らなかった。お察しの通り、成人式には出ていない。
理由はいくつかある。昔の知り合いに会うのが面倒くさい、当時付き合ってた仲の良い友人には別にいつだって会える、そもそも式に着ていくスーツを持っていない、高校を卒業してからはニートをやっているのでなんとなく気恥ずかしい、など。
どれも言ってしまえば、すべて俺の社会不適合性に由来するものだ。
「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、俺の周りにも社会不適合者みたいなやつばかり集まってくる。成人式が近づくにつれて、自然とその話題になったときだって、みんな「面倒だしどうすっかなー」なんて積極的ではなかった。
内心ではそれを聞いて安心していた。成人式なんて別に行かなくたっていいよな、と。
さて、前述したように本日は成人式。蓋を開けてみれば、案外俺の友人たちも式に参加していたようだ。というか、本当に出ていないのは俺くらいのもんだった。
普段と同じように昼間に目が覚めて、何とは無しにスマホを開いてみると、そこにはLINEの通知がいくつか来ていた。
「お前成人式来ないの?」
俺はそのメッセージで今日が成人式だと知ったよ。と、思ったことをそのままに返信した。寝耳に水とはこのことだ。
朝飯(昼飯と言った方が適切か)を食いながら、俺は考える。そういえば、あいつらと過ごした中学生の頃も、似たようなことを感じた覚えがある。
定期テストだ。
定期テストといえば「やべー、俺全然勉強してねーよ」でお馴染みだが、俺もクラスメイトと同じように、紋切り型のそのセリフをテストが近づくたびに口にしていた。俺はバカだからみんなも勉強なんてしていないのかと思い込んでしまったが、マジに勉強していないのは俺だけだった。
だけど、思えばみんなが裏で勉強してることなんて、本当は俺だって気がついていた。気がついているくせに、「みんなも勉強してないから大丈夫だろう」なんて、浅薄な安心に浸っていたくて、それに気付かないフリをしていた。
中学を卒業してから五年も経つのに、ガキっぽいところは変わっちゃくれないんだな。その歳月で俺が得たものと言えば、そういった自分のダメさを素直に受け入れる諦観だけだ。子どもと大人のしょうもない部分だけを継ぎ接いだのが20歳の俺だが、もはやそんなことすらも「どうでもいい」と受け流せる。
そう、思っていた。
揺らいだのは、飯を食った後に再びLINEを開いたせいで、もっと正確に言えばそこに送られてきた一枚の写真のせいだ。
仲の良かったグループが集まって撮った写真。そこに、当時好きだった女の子が写っていた。
固まった。振袖を着たその子を見て。そして、(遅れて気が付いた)同じく振袖やスーツを着た友人たちを見て。
みんな俺とは違って、これまでの五年間、時間の流れにきちんとしがみついて生きてきたんだな。我に帰るとそんなことを悟っていた。
どうして成人式に行かなかったのだろう。俺は時間の流れについていけなくて、途中でドロップアウトしてしまったけれど、もしかしたら再びその軌道に戻るための、最後のチャンスが今日だったのではないか。
なにより、この機会を逃したら、もうこの先の人生で彼女に会うことは二度とないのではないか。別に今まで引きずって生きてきたわけではないけれど、中学を卒業して別々の道に進んだあと、俺は誰かを好きになることすらなかった。だから、なんとなく、一度でいいから会って他愛もない話をしたかった。
一人だけ本当にノー勉でテストを受ける羽目になったり、成人式に行かなかったり。
転職して1ヶ月
適応障害?みたいな激しい気分の落ち込みと
中2のときは同じ部活の同期や後輩とすれ違いが起きて半年以上一言も喋らなかった
誰にも相談せずに表面上は普通に過ごしてたけど、毎日自殺するか相手を殺すかどっちかっていう心理だった
その後関係は回復し、高校には進学したが、高1のとき学校の勉強がまったくわからず、定期テスト前日に家の風邪薬全部飲んだけど死ねなかった
https://anond.hatelabo.jp/20170830220835
未来のことを考えるとメンタルが病むことがわかって、このときくらいから将来の夢とか長期的なビジョンとか考えられなくなった
たまたま好きな科目があったから勉強して文系の大学に進学できた
大学ではゼミも入れず単位だけとって卒業して、特に勉強した気がしなかった
100社以上の就活
https://anond.hatelabo.jp/20150829234225
http://anond.hatelabo.jp/20160119225411
https://anond.hatelabo.jp/20190703101028
辞めた
そして今回の転職後の鬱
どうせどの職場にいても、みんなに優しくしていただいても鬱になるのだろう
将来の夢とか長期的な展望がないから、今年はそれを何としてでも埋めるために旅行に結構行ったが、もう行きたい場所がなくなってしまった
正社員でとってもらったのに
こんなんじゃどこで働いてもダメだろう
先に言っておくとこれは単なる駄々で、現実逃避で、どうしようもなくありふれた、どこにでもある話だ。
まあ簡単に言うなら勉強したくないし働きたくないというだけの話。
先人の怠け者たちはその切実なる願いにどうにか折り合いをつけた、もしくは何もわからないまま進学か就職かをしたのだろうが。
このままでは後者になるなと身で感じながらも、何か行動を起こす気になれない。
もとより自分が思う「ギリギリ」になってからしか動いてこなかったし、それは既に「ギリギリ」を過ぎていてゲームオーバーだったことも何回もある。徹夜でレポートを書いたし落単はしたしインターンの参加締め切りは過ぎていた。それでも今、現状を直視したくなくて引き延ばしている。いつものこと。今回は本当にまずいというのはわかる。自分の人生そのものに大きく関わる。けれどそれすらもどうにかなる気がしてしまっている。どうにかなった人には生存バイアスがかかっているだけで、実際は自分がどうにかしないとどうにもならないのに。
昔は、自分は多少人より賢いのではないかと思っていた。田舎によくある話で、勉強せずに「テスト」ができただけだった。
そして生まれたのが勉強の仕方がわからないわからないとオウムのように言い続ける、まだ自分が人に対してなんらかの優位性を保持していると思い込んでる単なるバカだった。わかろうとしなかったからテストもできない。他人に劣っているという明確な"数字"が出ていても現実を直視しないで、次は頑張るとのらりくらりと言い続け、ほぼ同じ成績をとり続けてきた。
結局努力しない人間が努力する人間に勝てるわけがなく、それを見る意味で定期テストというシステムは有用だと思う。人の価値は数字だけで決まらないなんて戯言はやめろ。それなりの数字すら出せない、そしてその現状を変える気が無い人間を信用できるか?私にはできない。私は自分を信用できないし、信用しても必ず裏切られることを文字通り身を以て知っている。
まあここで同じように勉強してもとれる数字が全く違うような異次元人間や何もしていないように見えて全部理解してる怪物がいたりするが、自分がそうでないことは火をみるより明らかだった。明らかだったのに努力できなかったのは自分が単なる怠け者だからだ。自分が怠け者だということだってそうだ、働き者と怠け者なら働き者が勝つのだ。散々言われていることで、努力したからといって成果が出るとは限らないが成功者は皆努力しているというやつ。
"頭がいい"人間になりたかったが、心の中で他人をどこか見下している雑魚キャラが一匹生まれただけだ。お話にならない。
ほどほどの努力でほどほどの成果が出せればマシだった。自分はほどほどの努力すらできていない、中途半端のカスだ。学生時代本気で打ち込んだことなんて妄想ぐらいだ気持ち悪い。何もしていない人間が何者かになんてなれるわけない。
結局今もそうだが辛いことから逃げているだけで、そのツケを払う時期が来てしまっただけなのだということは知っている。だが理解していない、したくない、自分はこんなもんじゃない、まだ本気出してないだけと言い訳を繰り返している。本気出してない人間の本気は永久に出ない。大人ならだれでも知っている御伽噺だ。
働くのも勉強するのも自分にとって面倒で辛いからどちらも選ぼうとしないだけ。必ず選ばないといけないし、特に後者は早ければ早い方がいいと散々言われているがそれも知らぬふりをしている。周りの人間は目的目標をもって毎日努力している。ほんとうに偉いと思う。そして自分とは地頭の出来が違うと言い訳をしてしまう。例え本当に地頭の出来が違っていたとしても、彼らが努力していた間私が何もしていなかった言い訳にはならないことは当たり前なのに。
最悪なのが、もし記憶を残したままN年前に戻れたとしても、結局何もせず同じ後悔を抱えながらこうやってパソコンに向かっているということがはっきりしていることだ。後悔しても反省しない。同じ失敗を繰り返す。人間として最悪の部類である。人間なんてどいつもこいつも最悪なのだが、社会活動をするにおいて特に無能な人材だ。
そしてそんな自分が自分は大好きで、まあそれでもいいかと思ってしまっている。多分これが最も重要な部分なのだろう。いくら自分はカスだゴミだといったところでカスでもゴミでもいいかと開き直る。そういうメンタルが求められる場もあるだろうが今はそうじゃないだろう。自問自答しているうちに他人は着実に自分の将来を手繰り寄せている。それが全くもって正しい時間の使い方だ。頑張ってほしい。
自分の未来すらどうでもいいとは言わないが、考えるのが面倒だ。また"面倒"になっている。面倒という感情は私のような人間には本当に効く。自分のやりたいことですら9割程度の確率で面倒になる。もう一生寝ていたいと思う時でさえある。情報を摂取するのが面倒だからだ。人と関わるのも非常に面倒だ。人と関わらないと"頭のいい"人間になれないのはいまさら感じているが、面倒なことをやる気力がない。(なぜなら面倒だから。) 人と話すのが好きなどという人間が心底羨ましいし、好きでなくても話そうと努力する人間は本当に凄い。
言い訳と承知で、努力することは才能だと思う。何に対してもで、将来のためでなくてもいい。趣味でもなんでもいいが、"のめり込む"ではなく"できなかったことができるようがんばる"才能だ。世の中の人間の大半は何かにのめり込んでいるだけでその道の天才になっているような一握りではないので好きでも嫌いでも努力が必要になる。そこで割り切って努力できるのは確実に才能だと思うのだ。自分自身の努力を才能と言われる相手方からすると噴飯この上ない言い分だが。(ゲシュタルトが崩壊しそうだ)
とにかく生命活動を行うのが面倒。死ぬ気はさらさらないが生きるのもなんだか面倒になってきている。これに社会人になって日常が辛い、環境改善の兆しがない、心の支えがない、金銭的な不足、将来への不安等々が重なると自殺したくなるのだろう。気持ちはわからんでもない。なんだかわからんが弟が自殺しているので親が存命の内は死んでも生き残ろうと決めてはいるが、上述の通り自分を信頼できないためある日衝動で死んだりしてるかもしれない。でも死ぬのは痛そうなのでやっぱり死なないかも。何もわからない。
きっと当たり前のように誰だって経験したことのある話なのだろうけど、後輩や周囲に対する感情の落ち着け方がわからなくて困っている。
人によっては嫌味に聞こえそうなので、誰にも相談ができず、同じような境遇の人がいたら聞いてもらいたい。
自分のことを、天才とは言わずとも、それに似たような人間だと思って生きてきた。
中学生の頃は、200人ほどいた学年でそこそこの勉強をすれば20-30位程度は取れたし、一言もやりたいと言った覚えはないのに気が付いたら部活動の主将やら、学年代表やらをやらされていたことがある。
また特待生で行った高校(大抵が滑り止めで受けるような学校だ)では、入試では学年1位、以後の定期テストも100人中10位くらいにはいたし、生徒会なんかもやっていた。友達も多くて、週末には遊びたい人が多すぎて困るとか考えていたくらいだ。
環境に恵まれていたし、自分を天才だと思い込むには最適な18年間だったように思う。
後悔が始まったのは、大学に進学して以降のことだ。
高校卒業後、親の勧めでアメリカの大学に留学することになった。海外に強い興味があったわけではなかったけど、留学とかかっこいいし、英語ペラペラとかかっこいいっていうミーハーが留学の理由だ。
しかしいざ留学して、何年たっても英語が上手くならないこと、そして勉強をしてもしてもついていけない現実に、絶望した。まあそりゃ母国語じゃないんだし、それを選んできたのは自分なんだし、甘えがあったのだろう。卒業単位を取るために寝ても覚めても勉強して、しかしそれじゃ足りなくて、せめてもと藁にもすがる思いで必死に教授に取り入ったりもした。
その頃から、大した努力もせずに簡単に点数を取れるクラスメイトの姿が目につくようになった。必死に教科書を隅から隅まで読んでも授業に追いつけないのに、適当に遊んでるはずのクラスメイトのが圧倒的にテストの点数が良い。見栄を張って良い大学行ったっていうのもこんなことになった原因のひとつだろう。
追いつけない自分が悲しくて、高校生までのリーダーシップみたいなやる気はどんどん失われて。2人しかいない友達と時々遊んで、勉強して、あとはひたすらネットしている4年間だった。
まあ変に頑固だったので、結局ちゃんと卒業したのは偉かったと思うけれど、あのとき感じた絶望感はいつまで経っても消えていない。
大学を卒業して、外資系コンサル企業の日本支部に入社した。そこには、例えば中途採用や日本の大学を卒業している新卒のような英語が得意ではないような人もいた。
しかし社員のほとんどがいわゆる英語がペラペラの人たちで、かつ、頭の回転が速く、自分じゃ見えないような未来を見据えている人たちばかりだった。
持ち前のコミュニケーション能力で最初の1年間はわりと成績は良かった。同僚にも恵まれていた。
一年後、後輩が入ってきて、自分の中に焦りが産まれるようになった。自分と同じ日本語という母国語の世界で生きる彼らの英語力は、発想力は、頭のキレは、1年も2年も前に入社している自分の数段も上だった。
自分のような大して頭が良くない、ちょっとコミュニケーション能力が高いだけの空っぽの人間じゃ、そりゃ人事評価なんてあっという間に彼らに抜かされてしまうだろう。未来を見据えることなんて自分にはできないし、人事からの評価は自分自身たしかによく理解できる結果だった。
だけど、だけどだ。
同僚が新卒向けの説明会に駆り出されることになった。今回で行くのは2回目とのことだったが、自分に声がかかったことは一度もない。
昇格をして、昇格者向けの研修が入ることになった。しかしその研修予定名簿の中に自分の名前はなかったし、代わりに後輩の名前が書かれていた。
周囲の才能には憧れているし、同僚に、後輩に勝てたことなんて一度もない。
だけど自分なりのプライドってものがあって、自分が無能なんだって、きっと信じたくはなかった。
中高生の頃のように、自分の実力より低い場所にいたら、もしかしたら今頃周りにちやほやしてもらえていたのかもしれない。
しかし大学生のあたりから、実力より高い場所でもうずっと背伸びをし続けている。
仕事を辞めるために転職活動を始めて、何がやりたいのかわからなくなった。しかし結局条件ばっかり見ていた自分は、転職先ですら背伸びしていることに気が付いてしまう。背伸びしないと生きられないはずなんかないのに、背伸びし続けることをやめられない。それはまあ、もう少し真面目に自分と向き合った転職活動をすれば良いだけの話なので、今回は置いておきたい。
つまり言いたかったのは、自分より優秀な後輩たちと、自分より優秀な同僚と、どんな気持ちで接すればいいのかわからないってことだ。
多分、変に負けず嫌いなところと、変にプライドが高いところが、彼らに負けたのだと理解することを拒んでいるのだと思う。(というか負けを認めれば済む話のようにも思う)
後輩のことを、同僚のことを、すごいな、敵わないな、と思うし、一方自分にもそんな頭があったらなと妬ましく思いもする。
また自分への人事評価を、妥当だ、悪い評価じゃないしって思う自分と、どうして後輩より劣っているのだろう、どうして自分には声がかからないのだろう、と考えている自分もいる。
たぶん全部ひどいわがままで、自分を客観的に見られていないだけなのだろう。
ただ、自分と同じような境遇の人たちは、後輩たちに軽々と抜かされた自分を、後輩や同僚への気持ちを、どうやって処理してるんだろうって、少し気になった。
同じような境遇だった人がいたら、教えてほしい。
定期テストはほぼ満点を連発し、模試も学内で1番なんてことはザラだった。
努力すれば1番になれると思っていたし努力しない奴が堕ちていくだけだと感じていた。
俺より賢い奴らがゴロゴロいた。
がむしゃらに努力して負けることがださいと感じるようになった。
中途半端な努力に留めることで中途半端なポジションに浸り、中途半端だからこんなものだと逃げ道を作った。
全力でやった結果を受け入れることが怖く、保身に走っただけではないのか。
俺は虎にもなれなかった。
自尊心と羞恥心、怠惰ゆえに、全てを捨てて虎になった李徴のほうがまだマシではないのか。
現状に満足できず、かといって現状を変えようとも捨てようともしない俺は虎にすらなれないのである。
高3の一学期中間期末試験といえば、推薦やら指定校やらを狙っている生徒たちにはとても大事なもの。
②上中下のクラスができあがる
ここまではいい。
問題は次。
④定期テストは全レベルの問題から一題ずつ、自分のクラス以外の英文は初見問題として扱う。
中は、中と言いながらも半分は下と同じベベルだから、下クラスだろうと初見の英文はしんどそう。
学んできたことを応用すりゃいい話なんだけど、すべてが応用力を試す問題じゃない。
こんな不公平でいいの?本当に疑問。
特に中学からいれさせてる親とか、クレーム出さないかなーとおもってる。
6年間も預けて、下クラスのやつらなんか学習についてけなくて放置されて、最終的な仕打ちがこれ?ってかんじ。
上位を伸ばすカリキュラムなせいで勉強全体的に放置されてできないままなんだから、せめて推薦で大学行かせれば救いがあると思うけど、推薦すらとらせないクソシステム。
どうかしてると思わない?
北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。
だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。
成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由でからかわれることがあった。
当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。
成績はトップクラスで運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人を不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。
暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。
その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。
自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイトの大学生の先生に過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくまで学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。
学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望の公立高校に入学する。
世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来のぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。
今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生に挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年間世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。
といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。
学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。
友人に東大を受ける奴がいて、そいつが天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テストで理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶしに数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。
受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。
どこに自信があったのかは知らないが、センターは何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。
過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々と勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……
試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネットで合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPCで月姫をプレイしたことを良く覚えている。
勉強法自体は特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。
まぁ、北大程度の人間だから画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大や京大に行った人達に任せておきたい。
【その後】
入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。
冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。
といっても時期は既に秋、適当に一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。
適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいはしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。
ソーシャルゲームに課金し、声優を追いかけ、両親に「あんた結婚は」と追い立てられる普通のヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(
高校1年の定期テストで数学IIBで0点とったことある。物理で15点、化学は30点、英語は35点ぐらいだったか?中高一貫で落ちこぼれてもう無理だと思って勉強全くしなかった。進級が危うくなり少し勉強して留年を免れてそのままズルズルと学校に通い続けて落ちこぼれのまま卒業した。センター試験で日東駒専に受かったので入った。ひたすら劣等感を植え付けられた青春時代だった。だが中学受験経験者にありがちな変なプライドを見直すきっかけにはなったかなとは思った。でも「俺はできる!」って自信満々のまま生られたらどんなに幸せなんだろうかと思ったこともある…。一部の賢い人を除いて打ち砕かれるのが早いか遅いかの違いでしかないのかな。
今の恋人とのことで友人らに相談していた時、「そんな共依存同士がうまくいくはずがない」と指摘された。
共依存という言葉を知らなかった自分は聞き流しながら、ただ指摘した相手の意図することも汲みながら、それでも恋人といることを選んだ。結果、数日後この友人とは関係を断った。
書かれている傾向や原因に思い当たることが多すぎる。
そしてこれが「病」と書かれていることにも驚いた。
過去の話をする。
いとこが多かった。一番離れているので十歳上。年上が多かった。
父方のいとことも、母方のいとことも年齢が近く、比べられて育ってきた。
それでも有名私立に通ういとこと比べられ、定期テストの順位で比べられ、進学先でも比べられてきた。
勉強だけじゃない。
家事の手伝いの具合や、思いやり、アルバイトの出来、容姿、とにかく目に付くもの全てで比較されてきた。
家事の手伝いでBに勝れば、Bのアルバイトの内容と比較され蔑まれ。
自分よりも劣っていた下の妹とは、「思いやり」と「かわいさ」とやらで比較されてきた。
お前はかわいげがない、と。
とうとう自分は心を壊し、高校生の頃一度不登校になり、自殺未遂まで犯した。
けれど心療内科に通うことはなく、親はその原因を知ることはなかった。
期待を裏切った進学をした後、それでもまあ根は真面目なのでそこそこ努力をして、進学先からは考えられないような場所に就職した。
この頃には鬱々とした感情はなかった。
相変わらず出来の良い親戚とは比べられたけれど、あまり気にならなくなっていた。
自分でお金を稼ぐようになって、親の庇護下でのみの生活とは変わっていった。
この時すでに一人暮らしを始めていた自分は、毎日毎時間の罵声、長時間勤務、休日に課される課題で疲れてきっていた。
そして、異性で遊ぶことを覚えた。そういうことをしている時は、嫌なことを忘れられたから。
流されるまま付き合って、セックスして、別れて。この繰り返し。思い返せば病んでいたと思う。
そしてある日、一人暮らしの家に転がり込んでいた相手との間に子供ができた。
ただ、自分の家に転がり込んできたような相手だったから、結婚生活なんてうまくいくはずもなく、早々に別れた。
自分のカードの不正利用をして勝手に三桁万借入していたこともわかった。
「ちゃんと生きなくては」
そう思って、転職し、三年間真面目に働いて、異性との関係も一切持たず、子供と向き合って生きてきた。
あの暗雲としていた毎日からは想像もできないくらい、充実した毎日だった。
ある趣味で、同性の友人ができた。
ただ、オンラインの繋がりだからプライベートなことは話さなかった。
昔からの趣味で、プライベートな話をすると会うことになったり、下手すると恋愛関係を持ちかけられたりすると知っていたから。
面倒ごとを近くに持ち込みたくなくて、プライベートな話はしない、という事をペアになる時に条件として出していた。
だから相手もそれを承知で、相手自身のことを話すことも殆どなかった。
けれどある時から、相手の様子がおかしくなっていった。趣味に顔は出すけれど、憔悴している様子。
ふと、自分がブラック企業に搾取されていた時のことを思い出した。
あの時、だれかが正しく手を差し伸べてくれていたのなら、自分はもう少し楽に生きられたのかもしれない。
そう思って、理由を聞いた。自分から「プライベートなことは話さない」というルールを破った。
これが、全ての始まりだった。
結論から言えば相手も共依存体質。そこに回避依存も併発しているような気もあった。
最初に近づいて、突き放され、どうしてと迫り、相手が折れて泣き、話を聞く。
元に戻ったと思ったらまた突き放され、仲直りして。
付き合っている訳でもないのに、毎日毎日連絡して、喧嘩して、仲直りして、を繰り返していた。
そう自覚したころ、相手から告白された。子供のことがあるから、と一旦断った。
けれど、相手が子供のことも真面目に考えてくれていると分かり、受け入れることにした。
付き合い始めてから、二人での連絡では「異常」な会話が増えていった。
けれど、ひとつ話すのなら、カニバリズムに対する理解や欲求が一致するのが初めてで、ただうれしかった。
けれど過去の恋人たちにそんなことを話したり要求してきたことはなかった。それが異常だと分かっていたから。
ところが、今の恋人なら或いは、と考えて話すと、相手から歓迎の言葉が返ってくる。
むしろ、他に自分が考えていた「異常な行動」について、提案を受けたりもした。
居心地がいい。
相手には自分がいればいいと思うし、自分にも相手と子供がいればいいと思う。
「この人のためなら何でもしてあげたい」という欲求が強い。
だから、相手が嫌がるという理由で十数年続けていた趣味を急にやめ、趣味用で使っていたSNSもやめた。
自分たちが異常であることは、自分たち自身が一番よく知っていた。
だから今までこの欲求を外に出したことはなかったし、理解してもらえるから今の相手にぶつけられる。
二人ともちゃんと「普通のひと」に擬態している。擬態できていると思う。
今、三人暮らしに向けての準備をしている。
ネットで調べると共依存同士の恋愛は危険、うまくいかない、なんて書かれている。
子供に悪影響があるとも書かれている。
自分たちが気にしているのは同性同士のパートナー間で子育てをすることで
子供の心に大きすぎるマイナスの影響を与えないか、ということで、共依存同士ということはあまり問題ととらえていない。
唯一の理解者がすぐ横にいてくれる安心感は、今まで生きてきた中で感じたことがなかった。
この人なら認めてくれる。この人なら求めてくれる。この人ならわかってくれる。
さみしさの表現も、その程度も、不安に感じることも、その解消方法も、手にとるようにすべてわかる。
オレンジの片割れって、この人のことを言うのだと、心からそう思ってる。
心の形がぴったりだから、居心地がいい。
子育てについても、課題はあるものの、この人との間なら大丈夫だろうと思える。
三人で暮らせるなんて、どれだけ幸せだろうと、考えるだけで顔が緩む。
こんなに安心していて、行動を制限されることもうれしいと感じているのに、共依存同士で何が悪いのだろう。
だけど家のことは二人でやるし、共依存同士だからと言って、完全な「する/される」の関係になるとは思っていない。
相手の欠点をカバーすることで、相手が自分に依存することに喜びを覚えてる。
一方で相手は「受け入れてくれる人に依存するタイプ」の共依存。
無理な要求をして、それを自分が飲み込むのを見て安心している。
ぴったりはまっている二人だと思う。
それなのに、どうして周囲がこんなに反対するかがわからない。
でも多分周りから見れば自分たちのほうが「酔っている」だとか「今だけだ」とか、そういう風に見えるんだろう。
戸惑いがないわけじゃない。
だけど、手放せない。
高校で数学教師をしている。定期テスト前は自身の存在意義がよく分からなくなる。
多少の変動やばらつきはあるが、トップ層と最下層を向けて授業をするわけにはいかない。
学校経営としてはトップ層の進路が大切だ。彼らが東大に入るかどうかが、
しかし、私自身を含めて多くの高校教員はその教科においては学生時代にクラスのトップ層だっただろう。
常に得意だった人ばかりでは無いだろうが、本気で勉強してみたら勝手に得意になっただけではないのか。
自分の課題なぞは自分で見つけ出すことが出来、その課題の克服の仕方は自身の試行錯誤によるものではなかったか。
その試行錯誤が自ら出来る人だからこそ、得意教科に出来たのではないのか。
自身を振り返ってみても、数学以外ではそんな芸当は出来なかった。
世の中に自分よりも出来ない人だっていくらでもいるだろうが、自身の数学の水準と同程度まで英語や国語は出来なかった。
より優れた指導を受ければ数学と同等に出来るようになったのか?まさか。
トップ層にフォーカスしてばかりはいられないし、そもそも大した指導が必要ではない。
真ん中あたりの子にフォーカスしても、学校の利益となるほどの学力には到達しない。
ちょっとは感謝されたりもするので、その感謝を糧にゆるーくやっていくしか無いのだろうか。
1億総VODにしてトップ層だけは勝手に育ってもらって、それ以外の雑魚は無理やりマーチに送り込んだりせず、高卒で楽しくブルーカラーやって貰って、
今家庭教師で中学生教えてるんだけど、中学数学と高校数学って別物だったんだな~って。
中学生までは算数とか数学とか本当に苦手で、高校入りたての時も自分は数学ができないって思い込んでいたから最初はあんまり成績良くなかったんだ。
けど、煩雑な計算はあまり伴わない整数とか、証明とか、「数学的概念」を見つめる分野に入った途端めちゃくちゃ出来るようになった。
中学生の時までは定期テストで50点とかのザコだったのが、高3の全統模試で偏差値70以上はとれるようになったんだよ!!本人がびっくり。
計算は苦手だったからどうあがいてもだるい計算しなきゃいけない微分積分はよくミスってたんだけど、
式の性質を考えて簡潔な形に変形したり、どういう現象が起きているのかを見つめたり、抽象と具体を行ったり来たりするのが数学なんだな~パズルみたいだな~って気づいて好きになっちゃった。
数学の本質は「計算」じゃなくて、「数を使った思考」なんだ!!と。式の本質を見て、うまーく変形したり見方を変えると計算ミスが減ったり、問題解く工程が減ったりして、奥が深い。
中学数学は距離とか重さとか量とか求めるような問題ばかりで、結局算数の延長線上の、生活に当てはめることが多い科目だったけど、
高校数学は純粋な「数の学問」って感じ。数とそれに関する概念やら定理やらを使って、純粋な"数の”問題を論理的に分解して解くシンプルで抽象的な科目だった。
中学数学は単位やら何やら数字以外で注意しなきゃいけない部分が多くて苦手だったんだろうな~って気づいた。
そんな私は大学生になって精神科で発達検査やら面談やら心理テストやらなんやら受けた結果不注意優勢型ADHDとの診断が下りました。ありがとうございました。
大学の留年が確定した。非常にショッキングなことであり,ここ最近よく眠れていない。自業自得なことであるが,かなりしんどい
興味のない学科に入ったのは事実であるがそれは言い訳である。しかし,前期の授業はそれなりに真面目に取り組んできたつもりだった。
必修の再履修の授業などは一番前で休まず,受けた。先生に質問をし,課題も全て提出していたが,それでも単位を落とした。
期末試験は自信があったのに単位を落としたことを不思議に思い,授業の担当教師にアポをとり,訪ねた。
先生は定期テストの結果を私に見せた。点数はひどいものであった。失点は主に計算ミス,条件の見間違いなどのケアレスミスが多いものであった。
自分では一生懸命に勉強して,試験に出るような問題はテスト勉強で解けるようにした。国立大学に入る程度の学力はあったはずなのに,大学のたかが授業で扱う問題程度の難易度がテストになると全く解けない。必修ではないが進級に必要な専門の科目もポロポロ落としてしまった。これも同じような授業態度で受けていたはずなのに
どうすればいいんだろう
美術に限らず体育とか数学とか英語とか、学生時代成績が2だった私が〜〜みたいな前置きってたまにする人いるけどさ。
俺は公立中高の5段階評価だったけど、2っというのはどんな無能でも真面目に授業に出て課題出して定期テスト受ければ回避できた。
俺の知る限り、授業でないor常に睡眠、課題出さない、テスト勉強一切しないのうちツーアウトでやっと2だよ。2がつくというのは、こういった問題行動が顕著な場合だ。もう美術とか数学とか科目特性は関係ない。それなのに無邪気に「2だった俺が挑戦」みたいな文脈で出てくるから、世の中には純粋に美術なら絵のうまさで2を付ける学校があるんだろうか?おっかねえ……