今日は1月12日。令和二年成人式が開かれる日だ。成人式って、なにも成人の日に開催されるわけじゃないんだな。まさに今年度に成人を迎えた人間なのに、そんなことすら知らなかった。お察しの通り、成人式には出ていない。
理由はいくつかある。昔の知り合いに会うのが面倒くさい、当時付き合ってた仲の良い友人には別にいつだって会える、そもそも式に着ていくスーツを持っていない、高校を卒業してからはニートをやっているのでなんとなく気恥ずかしい、など。
どれも言ってしまえば、すべて俺の社会不適合性に由来するものだ。
「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、俺の周りにも社会不適合者みたいなやつばかり集まってくる。成人式が近づくにつれて、自然とその話題になったときだって、みんな「面倒だしどうすっかなー」なんて積極的ではなかった。
内心ではそれを聞いて安心していた。成人式なんて別に行かなくたっていいよな、と。
さて、前述したように本日は成人式。蓋を開けてみれば、案外俺の友人たちも式に参加していたようだ。というか、本当に出ていないのは俺くらいのもんだった。
普段と同じように昼間に目が覚めて、何とは無しにスマホを開いてみると、そこにはLINEの通知がいくつか来ていた。
「お前成人式来ないの?」
俺はそのメッセージで今日が成人式だと知ったよ。と、思ったことをそのままに返信した。寝耳に水とはこのことだ。
朝飯(昼飯と言った方が適切か)を食いながら、俺は考える。そういえば、あいつらと過ごした中学生の頃も、似たようなことを感じた覚えがある。
定期テストだ。
定期テストといえば「やべー、俺全然勉強してねーよ」でお馴染みだが、俺もクラスメイトと同じように、紋切り型のそのセリフをテストが近づくたびに口にしていた。俺はバカだからみんなも勉強なんてしていないのかと思い込んでしまったが、マジに勉強していないのは俺だけだった。
だけど、思えばみんなが裏で勉強してることなんて、本当は俺だって気がついていた。気がついているくせに、「みんなも勉強してないから大丈夫だろう」なんて、浅薄な安心に浸っていたくて、それに気付かないフリをしていた。
中学を卒業してから五年も経つのに、ガキっぽいところは変わっちゃくれないんだな。その歳月で俺が得たものと言えば、そういった自分のダメさを素直に受け入れる諦観だけだ。子どもと大人のしょうもない部分だけを継ぎ接いだのが20歳の俺だが、もはやそんなことすらも「どうでもいい」と受け流せる。
そう、思っていた。
揺らいだのは、飯を食った後に再びLINEを開いたせいで、もっと正確に言えばそこに送られてきた一枚の写真のせいだ。
仲の良かったグループが集まって撮った写真。そこに、当時好きだった女の子が写っていた。
固まった。振袖を着たその子を見て。そして、(遅れて気が付いた)同じく振袖やスーツを着た友人たちを見て。
みんな俺とは違って、これまでの五年間、時間の流れにきちんとしがみついて生きてきたんだな。我に帰るとそんなことを悟っていた。
どうして成人式に行かなかったのだろう。俺は時間の流れについていけなくて、途中でドロップアウトしてしまったけれど、もしかしたら再びその軌道に戻るための、最後のチャンスが今日だったのではないか。
なにより、この機会を逃したら、もうこの先の人生で彼女に会うことは二度とないのではないか。別に今まで引きずって生きてきたわけではないけれど、中学を卒業して別々の道に進んだあと、俺は誰かを好きになることすらなかった。だから、なんとなく、一度でいいから会って他愛もない話をしたかった。
一人だけ本当にノー勉でテストを受ける羽目になったり、成人式に行かなかったり。