今の恋人とのことで友人らに相談していた時、「そんな共依存同士がうまくいくはずがない」と指摘された。
共依存という言葉を知らなかった自分は聞き流しながら、ただ指摘した相手の意図することも汲みながら、それでも恋人といることを選んだ。結果、数日後この友人とは関係を断った。
書かれている傾向や原因に思い当たることが多すぎる。
そしてこれが「病」と書かれていることにも驚いた。
過去の話をする。
いとこが多かった。一番離れているので十歳上。年上が多かった。
父方のいとことも、母方のいとことも年齢が近く、比べられて育ってきた。
それでも有名私立に通ういとこと比べられ、定期テストの順位で比べられ、進学先でも比べられてきた。
勉強だけじゃない。
家事の手伝いの具合や、思いやり、アルバイトの出来、容姿、とにかく目に付くもの全てで比較されてきた。
家事の手伝いでBに勝れば、Bのアルバイトの内容と比較され蔑まれ。
自分よりも劣っていた下の妹とは、「思いやり」と「かわいさ」とやらで比較されてきた。
お前はかわいげがない、と。
とうとう自分は心を壊し、高校生の頃一度不登校になり、自殺未遂まで犯した。
けれど心療内科に通うことはなく、親はその原因を知ることはなかった。
期待を裏切った進学をした後、それでもまあ根は真面目なのでそこそこ努力をして、進学先からは考えられないような場所に就職した。
この頃には鬱々とした感情はなかった。
相変わらず出来の良い親戚とは比べられたけれど、あまり気にならなくなっていた。
自分でお金を稼ぐようになって、親の庇護下でのみの生活とは変わっていった。
この時すでに一人暮らしを始めていた自分は、毎日毎時間の罵声、長時間勤務、休日に課される課題で疲れてきっていた。
そして、異性で遊ぶことを覚えた。そういうことをしている時は、嫌なことを忘れられたから。
流されるまま付き合って、セックスして、別れて。この繰り返し。思い返せば病んでいたと思う。
そしてある日、一人暮らしの家に転がり込んでいた相手との間に子供ができた。
ただ、自分の家に転がり込んできたような相手だったから、結婚生活なんてうまくいくはずもなく、早々に別れた。
自分のカードの不正利用をして勝手に三桁万借入していたこともわかった。
「ちゃんと生きなくては」
そう思って、転職し、三年間真面目に働いて、異性との関係も一切持たず、子供と向き合って生きてきた。
あの暗雲としていた毎日からは想像もできないくらい、充実した毎日だった。
ある趣味で、同性の友人ができた。
ただ、オンラインの繋がりだからプライベートなことは話さなかった。
昔からの趣味で、プライベートな話をすると会うことになったり、下手すると恋愛関係を持ちかけられたりすると知っていたから。
面倒ごとを近くに持ち込みたくなくて、プライベートな話はしない、という事をペアになる時に条件として出していた。
だから相手もそれを承知で、相手自身のことを話すことも殆どなかった。
けれどある時から、相手の様子がおかしくなっていった。趣味に顔は出すけれど、憔悴している様子。
ふと、自分がブラック企業に搾取されていた時のことを思い出した。
あの時、だれかが正しく手を差し伸べてくれていたのなら、自分はもう少し楽に生きられたのかもしれない。
そう思って、理由を聞いた。自分から「プライベートなことは話さない」というルールを破った。
これが、全ての始まりだった。
結論から言えば相手も共依存体質。そこに回避依存も併発しているような気もあった。
最初に近づいて、突き放され、どうしてと迫り、相手が折れて泣き、話を聞く。
元に戻ったと思ったらまた突き放され、仲直りして。
付き合っている訳でもないのに、毎日毎日連絡して、喧嘩して、仲直りして、を繰り返していた。
そう自覚したころ、相手から告白された。子供のことがあるから、と一旦断った。
けれど、相手が子供のことも真面目に考えてくれていると分かり、受け入れることにした。
付き合い始めてから、二人での連絡では「異常」な会話が増えていった。
けれど、ひとつ話すのなら、カニバリズムに対する理解や欲求が一致するのが初めてで、ただうれしかった。
けれど過去の恋人たちにそんなことを話したり要求してきたことはなかった。それが異常だと分かっていたから。
ところが、今の恋人なら或いは、と考えて話すと、相手から歓迎の言葉が返ってくる。
むしろ、他に自分が考えていた「異常な行動」について、提案を受けたりもした。
居心地がいい。
相手には自分がいればいいと思うし、自分にも相手と子供がいればいいと思う。
「この人のためなら何でもしてあげたい」という欲求が強い。
だから、相手が嫌がるという理由で十数年続けていた趣味を急にやめ、趣味用で使っていたSNSもやめた。
自分たちが異常であることは、自分たち自身が一番よく知っていた。
だから今までこの欲求を外に出したことはなかったし、理解してもらえるから今の相手にぶつけられる。
二人ともちゃんと「普通のひと」に擬態している。擬態できていると思う。
今、三人暮らしに向けての準備をしている。
ネットで調べると共依存同士の恋愛は危険、うまくいかない、なんて書かれている。
子供に悪影響があるとも書かれている。
自分たちが気にしているのは同性同士のパートナー間で子育てをすることで
子供の心に大きすぎるマイナスの影響を与えないか、ということで、共依存同士ということはあまり問題ととらえていない。
唯一の理解者がすぐ横にいてくれる安心感は、今まで生きてきた中で感じたことがなかった。
この人なら認めてくれる。この人なら求めてくれる。この人ならわかってくれる。
さみしさの表現も、その程度も、不安に感じることも、その解消方法も、手にとるようにすべてわかる。
オレンジの片割れって、この人のことを言うのだと、心からそう思ってる。
心の形がぴったりだから、居心地がいい。
子育てについても、課題はあるものの、この人との間なら大丈夫だろうと思える。
三人で暮らせるなんて、どれだけ幸せだろうと、考えるだけで顔が緩む。
こんなに安心していて、行動を制限されることもうれしいと感じているのに、共依存同士で何が悪いのだろう。
だけど家のことは二人でやるし、共依存同士だからと言って、完全な「する/される」の関係になるとは思っていない。
相手の欠点をカバーすることで、相手が自分に依存することに喜びを覚えてる。
一方で相手は「受け入れてくれる人に依存するタイプ」の共依存。
無理な要求をして、それを自分が飲み込むのを見て安心している。
ぴったりはまっている二人だと思う。
それなのに、どうして周囲がこんなに反対するかがわからない。
でも多分周りから見れば自分たちのほうが「酔っている」だとか「今だけだ」とか、そういう風に見えるんだろう。
戸惑いがないわけじゃない。
だけど、手放せない。
そうだね。うんちだね。💩
あっはっはっは 昔の私のこと書いてあるのかと思った 残念ながらそのうち刃物沙汰になってボロボロになって別れますよ 同性同士というのも一緒、子供がいるってのも一緒 共依存は...
お花畑の自覚があるんですけど、どうしたらいいんでしょうね。 分かってるから多分ここに書き込んでる訳だし。
別れるしかないでしょう でもそれができないからずるずる付き合って、何かやばくなってきたどうしようってときにはもう手遅れ 具体的にはあなたがいなくなったら死ぬからって感情が...