はてなキーワード: 夏休みとは
小学生の頃の思い出です。夏休み中、私の家にやってきてずっと過ごす、親戚のお姉さんがいました。痩せ型で強い目を持つかっこいいお姉さんでした。中学生だと言うのに、家の裏でこっそりタバコをふかしていて「おじさんおばさんには言っちゃだめだよ」と私にもタバコを咥えさせて共犯にしたり、一緒にお風呂に入って「女の子なんだからちゃんと髪を綺麗にしなきゃだめだよ」とコンディショナーの使い方なんかを教えてくれました。優しいお姉ちゃんだったんです。あんなにドキドキすることは未だに無いくらい大好きでした。
そんなお姉ちゃんは父子家庭で、大変だろうからと夏休みの間はうちで預かっていたんですね。彼女のお母さんが早くに病死して、親戚一同結構心配してたようなんですがみんなでなんとなくの援助しながらをつづけてたんです。
そして本当に急なことでした。彼女のお父さんが事故で亡くなってしまいました。彼女は高校卒業したあと近所の農協で事務仕事を始めたというタイミングだったそうです。葬式のときわんわん号泣している彼女は今でも忘れられません。喪主もつとめられる状態ではなかったのですがなんとか周りも手伝って葬式は一通り終わったんです。
妊娠していたそうです。
夏休み、どうして私の家でずっと過ごしていたのか当時はわからなかったんですが、
彼女の父親が娘を抱いているという話を親戚の集まりでおっぱじめた事があって、真偽はともかくちょっと距離取らせようと夏休みホームステイが計画され、彼女のお父さんと親戚での話し合いが有り、そんなわけ無いでしょうで解決って事になってたみたいなんですよね。
そうじゃなかったんですね。親戚一同もう口を閉ざしています。
なんで女性に救ってもらわないといけないかをわかっていない女性が主にブコメに散見されるので……じっくりと解説します。
先に言っておくと私の解釈とそこから導かれる結論は男性社会の尻拭いを女性にしてもらうという話になるので、女性は「ふざけんな」という権利があります!
ただしその言葉を使うならみっともなく『命乞い』もしてください……そうしないと大変危険です。
今から私と一緒に弱者男性の一生のうち幼稚園あたりから成人になるまで俯瞰視点で見てみるとわかると思います。
あっ! あそこの幼稚園にいるのは将来KKO(キモくて金のないおっさん)になる未来が決まっているタカシ(仮)くんです!
幼稚園の頃は女の子と男の子に筋力差はさほどありませんが、タカシ(仮)くんは早生まれです。
身体の発達が遅れているため筋力は4月生まれの女の子より劣ります。
タカシ(仮)くんは容姿がキモいせいで生理的不快感があるのか(不快感を自覚していない子もいます)殴る蹴るのいじめから幼稚園の温厚な子たちに一切庇ってもらえません。
やんちゃな男の子の集団にタカシ(仮)くんは囲まれてしまいました。
おーっと! やんちゃな男の子の腹パン! タカシ(仮)くんはお腹を抱えてうずくまります。頭を上から思いっきり踏みつけられます。顔面を蹴られます。
幸いにも骨を折るなどの深刻な怪我にはなりませんでしたが……タカシ(仮)くんのココロには傷が残りました。
少し時計を進めてみましょう。
小学校低学年のタカシ(仮)くんは掃除の時間に雑巾がけを女子から押し付けられているようです。
タカシ(仮)くんはまだ女子の中にも善性を持った人間がいると信じています。
雑巾がけを代わりにやれば借りを返してくれる女子もいるかもしれないと思っています。
実際はただのパシリです。やんちゃな男子にいじめられていても先生にチクってくれる女子はいません。そもそも自分の容姿のせいで女子は庇ってくれないという真理にまだ彼は到達していません。
もし先生にチクってタカシ(仮)くんと恋愛関係にあると周囲に流布されたらチクった女子はいい迷惑です。先生がいじめられている事実を握りつぶす可能性は大です。
そんなわけでいじめによるストレスはかかり続けます。ココロという器にヒビが少しずつ入り始めます。
小学校中学年にタカシ(仮)くんはなりました。タカシ(仮)くんもいい加減誰も助けてくれないのでキレることを覚えはじめます。
キレて椅子を逆さまに持ち上げますが、いじめっ子を椅子で殴ることができません。力が足りないせいです。タカシ(仮)くんは早生まれなので力に差があるいじめっ子に椅子の脚を掴まれてそのまま膠着状態に。授業のチャイムが鳴って先生がやって来ると女子はタカシ(仮)くんが椅子を持ち上げて振り回そうとしたとチクります。現行犯なので揺るがぬ事実。タカシ(仮)くんは先生にこっぴどく叱られました。ちなみに女子は授業を妨害されるのが嫌だっただけでタカシ(仮)くんに別段悪意があったわけではありません。ただ迷惑だっただけです。しかしタカシ(仮)くんは一部の女子を憎悪するようになりました。しかしまだ気になるあの子やとくに関わっていない女子は憎んでいません。
小学校高学年になりました。女子は背が高くなり一部の男子も背が伸び始めます。
タカシ(仮)くんは背の順で並ぶと5年生の最初のうちは背が高くもなく低くもない感じで真ん中あたりでしたが、いつの間にか6年生になると最前列になってしまいました。
いじめによるストレスで身長が伸びなくなっていたのです。タカシ(仮)くんは身長を伸ばすために牛乳をがぶ飲みしました。
1日に1.5リットルくらい飲むペースです。スイミングスクールに週1で通っているだけでは太ってしまいました。早生まれでたまに勉強についていけないところがあり「バカ」と呼ばれていたのにプラスして「デブ」とも呼ばれるようになりました。
親からは中学生になれば背が伸びると言われていてそれをアテにしていました。伸びなくなっている最大の原因を取り除かないと身長を伸ばすことが不可能だったにもかかわらずです。
タカシ(仮)くんは中学生になりました。学区指定の公立の中学校に進学しました。
いじめは相変わらず継続中です。日常的にいじめを受けているので慣れてきてしまいました。
慣れてきているのは身長にはよくないのをタカシ(仮)くんは知りませんでした。もう彼は疲れていたのです。嵐が過ぎ去るのを待つように殴られても蹴られても抓られても髪を引っ張られても怒りを押し殺して机に突っ伏して堪えました。
教室でのいじめがなくなりました。いじめっ子はいじめに飽きたのでしょうか。つかの間の自由を手に入れたタカシ(仮)くんはごく普通のスクールライフを満喫しました。
友達はいないけど学校と家を往復するだけの普通の日常です。少し寂しい感じですが……。
朝の通学路で背が高いイケメンが声を掛けてきました。クラスの男子の中でも顔面偏差値が高くモテそうな……いや確実にモテる男子です。今までまるで縁がない人種でしたがタカシ(仮)くんはこのイケメンと友人になりました。罠だったことに気づいたのは1年後です。
イケメンの友人とはほぼ学校だけの付き合いでした。ですが……タカシ(仮)くんには救いでした。まともな友人関係というやつを今まで持ったことがなかったからです。
夏休みには花火をしながらイケメンとイケメンの友達と恋バナをしたりしました。あの子が好きだ! とうっかり喋ってしまうのです。
しかし夏休みが終わったある日に学校でいじめっ子の取り巻きがこんな話をしているのを聞いてしまいます。
イケメンが小学校から片思いだったあの子とキスをしていたという話を聞いてしまうのです。
イケメンはいつも通り友達面してやってきます。タカシ(仮)くんは話しかけてきたイケメンに「うるせぇ! 話しかけてくんな!」と怒鳴り付けてしまいます。イケメンはそれ以来話しかけてこなくなりました。
返答する間もなく電話は切れました。
タカシ(仮)くんは騙されていたのです。暴力型のいじめが止んだのはコミュニケーション型のいじめのプロフェッショナルにいじめの担当が移行したからだったのです。
その証拠に暴力型のいじめが翌日から始まりました。久しぶりの暴力に身体は敏感に反応します。痛かったのですが……タカシ(仮)くんは笑ってしまいました。いじめっ子が「ついに狂ったか」と言いましたが、タカシ(仮)くんはイケメンに裏切られた方がよほどキツく物理的な痛みは大したことがなかったのです。
イケメンに怒鳴り散らしたことで女子たちのタカシ(仮)くんへの目は厳しいものになっていました。いじめっ子の取り巻きに上靴を取られて女子トイレに投げ入れられます。
女子トイレには入れないので女子に取りに行ってもらいたいのですが、女子は協力してくれません。
上靴なしで授業を受ける羽目になりました。
タカシ(仮)くんは結局中学生の時に身長が1cm程度しか伸びませんでした。親からの遺伝だから身長は仕方ないと思っていましたが、後に6歳下の弟が身長が175cm程度になるので遺伝のみが原因ではないと気づきます。
高校に進学したくなくて親と揉めたのですが無理矢理進学させられました。
入試テストは大していい点数ではなかったはずですが、最悪なことに定員割れでした。
タカシ(仮)くんは精神的に不安定になっていました。中学の頃の体験が恐怖となって高校デビューに失敗しました。
もう限界でした。タカシ(仮)くんは次第に不登校になりました。
母親はタカシ(仮)くんが精神的に不安定になっているのに気がついていましたが、父親は学校になんとしてでも行かせろ中卒じゃ仕事がないと怒鳴り、母親を追い詰めました。
タカシ(仮)くんは強引に高校に行かされましたが、2週間に1回くらいの登校なので授業を受けても意味がないしわからないです。
ある日高校に行くと花の入った花瓶が机の上に置いてありました。葬式ごっこです。
その日以来高校に行くことはありませんでした。
しかし父親は頑固で精神的に不安定なのを理解せず、学校の代わりになるような塾に通わせました。
しかし合格した後から精神の状態がさらに悪化し始め、ついに他人の話していることすら把握できなくなり、好きなアニメを5分も見ていられないようになり(多動)、18時間くらいぶっ続けで寝るようになります。
もし現役で大学に行っていたら卒業していた歳になってようやく精神が安定し始めました。
精神的に非常に疲れやすく長時間労働できない為、時短勤務です。
年収は100万以下です。100万以上稼ぐと障害者年金が支給されなくなってしまうからですが、障害者年金をプラスしても年収は200万以下です。
よしんば年収があっても身長や顔面偏差値の低さから女性はタカシ(仮)くんを相手にしないでしょう。
しかし身長が伸びなくなったのは親からの遺伝が原因かと言われたら弟という反例があります。
顔面は整形でもすればいいかもしれないですが……手元にお金はない。
身長の高さと年収が比例するデータがあるそうですが、ある意味当然と言えます。ストレスがない環境にいた方が勉学は捗るし身長も伸びやすい。
タカシ(仮)くんは今まさに淘汰圧によって淘汰されている最中だと言えるでしょう。
しかしながら遺伝子は親から受け継がれるだけでなく、人生を歩んでいくうちに後天的に変化するものでもあります。
優良な遺伝子のみを求める女性の意識に多少の罪悪感を感じてほしい。
ですが、それを憎むことも自由です。
『命乞い』してくださいね。
近くに学校がいくつかある駅前商店街で、客は若い女の子を中心にたくさん来る。行列こそできないが、客足が途切れることはない。
「夜なのに暑いな」
俺は独りごちてシャツの袖をまくった。もう長袖も限界の季節だ。
俺の両腕にはヤクザだった頃に入れた紋紋がびっしり入っている。その頃ももうそんな時代でもないのに、言われるがままに入れてしまった。
後悔はしていないが、未だに面倒がつきまとう。
今は長袖を着て隠しているから、こんなにイカツイおっさんがタピオカミルクティーを売っていても、怖いもの知らずの女子高生や子供達にはクマの着ぐるみの様な扱いをしてもらえるが、さすがにこれはマズいかもしれない。
そんな事を考えながら、人通りの途切れた夜の街でクマとタピオカミルクティーが描かれたブラックボードを店内に片付けていると、後ろで足音が止まった。
「あ、あの!」
振り返ると女子高生が縮こまって立っていた。
「違うんです! 私をこのお店で働かせて欲しいんです!」
そう言って、長袖シャツの手を腹の位置で祈る様に組み合わせるのを見て思い出した。
「クビになっちゃったんです。お父さんがお金貸せって怒鳴り込んできて……みんな怖がっちゃって……でも、クマの店長さんなら」
客の女子高生にくまのプーさんみたいに呼ばれてる事を俺はこの時初めて知った。
「親父さんはカタギなのか?」
コクリと頷く。
「じゃあ俺なら親父さんにビビったりしねえわな」
彼女が頭を下げた。
「俺は、雇い主兼用心棒ってワケか。ウチの店は小せえカウンターの路面店だからあんまり涼しくねえけど大丈夫か?」
彼女が袖口を押さえた。足も真っ黒なタイツだとその時ようやく気づいた。
「私、寒がりなので大丈夫です」
「私、フルで入れます!高3だし、受験しないから学校は別に行かなくても…」
「でもそうすると」
「時給はとりあえず1300で良いか?」
「え? そんなに?」
お嬢は毎日閉店までよく働いた。学校が休みの日は開店から晩まで。
「お嬢、たまには休んでも良いんだぜ? 別に店だって毎日開ける必要はねえんだ。この店が年中無休なのは、俺がタバコ代と晩酌の酒代位しか金と時間の使い道がねえからなんだしよ」
「お酒飲むんですか?」
「毎日オールドグランダッドを一杯だけな。俺の流儀でね。多くても少なくてもいけねえ」
「あ、そういう飲み方もあるんですね」
お嬢は棒銭を持ったまま珍しいものでも見る様な顔で俺を見ていた。
親父さんはお嬢が入って1カ月後にやって来た。
足元があやしい男が店の前を行ったり来たりしていた。ひどく老けて見えた。
そのアル中の男が再度通り過ぎた所で、俺はゴミ袋を持って店の前に出た。
戻って来ようとした親父さんと目が合ったが、おどおどと引き返して行ってしまった。
用心棒らしい事は何1つしていないが、役目は果たせた様だった。
夏休みになり、お嬢が太鼓判を押すので、タピオカ入りフラペチーノとやらも売り出したら、店には行列が出来た。
なかなかに儲かったが、ブレンダーにかける手間が掛かるので、目が回る程に忙しかった。
冬になって、2人でホッとした。正直もう二度とやりたくない。
それから半年経った3月1日、店のシャッターがガンガンと叩かれた。
「この貼り紙何ですか?」
シャッターに貼り付けておいた紙を目の前に突き付けられた。
「見た通りだよ。店はもう閉めたんだ。元々このビルの建て替えまでの1年の契約でね」
「私、卒業しても働くって言ったのに!」
「店は別の所でやる」
お嬢の顔が若干ほころんだように見えたが、続けて隣県の駅名を言うと、それは消え失せた。
立地の条件や雰囲気はここと似た様なものだが、電車で1時間半の所だ。近くはない。
「じゃあ、もう……」
「鉛筆ビルの店舗の上の2、3階のアパートと丸ごと借りれたんだ。俺と副店長の寮にしようと思ってな」
「そう……ですか」
「どう思う、副店長?」
「え⁉︎ 私?」
「他に居るか?」
「良いんですか⁉︎ あ、でも……お父さんが」
「親父さんにはコレで手を切らせるさ」
「お嬢が受け取らなかったボーナスだよ。フラペチーノで稼いだ金なんだからあんたのもんだろ」
話はつけられるだろう。そういうのが得意な知り合いの力を借りても良い。あの手の男は力関係に敏感だ。
「引っ越したらすぐ出来るよ」
「……勘弁してよ」
こうして蒸し暑くなってくると、もう10年も昔になる工学部の大学生だったころの思い出がよみがえる。大学生とは、今振り返ってみると自由で開放的で人生が最も輝いていた時期だと思う。都会に出て親の管理から離れて下宿して、適当に大学に行って、夜は自由に過ごす。もう二度とこんな素晴らしい時間はこないのだろう。今でも時々、目を閉じて楽しかったころの雰囲気を思い出す。
大学では高校のように閉鎖された人間関係に圧迫感を感じることもなく、講義で毎日のように会っているのに名前も知らずそれでいてテストの前にはノートのコピーをせがむような緩い関係が良かった。毎回講義に出るかどうか悩んでいたが、ただ習慣というだけで面白いわけでもない講義に出ていた。だから、休講になると喜び勇んで駅に行って焼き魚定食を食べた。御飯がお替り自由だったので、卵かけご飯、みそ汁の猫まんま、沢庵、焼き魚と山盛りで4杯は食べた。こうしておくと夕飯を食べずに過ごせるという打算からだった。腹いっぱいに御飯を詰め込んで、街をぶらぶらするのが最高の幸せだった。帰り道にレンタルDVDを借りるのも楽しみだった。当時はまだギリギリレンタル文化が残っていた。
講義が終わったら夜までサークル部屋で談笑した。授業のこと、社会のこと、世界のこと、あらゆることに開かれている気がした。大学生の私にとって、そんなおしゃべりが未来に対する漠然とした不安に抗う唯一の逃げ道だった。
大学時代はむやみやたらに動き回っているのに、これといってなしとげられない自分に怒りと嫌悪感でいっぱいだった。そのくせやりたいことだけは増えていき、楽しいだけの生活ではなく一人になると悩むばかりの生きざまだった。まあ、たくさん悩んだから今の悩み慣れした自分があるのだという風に、今は開き直っている。
夏休みは実家に帰ってきたら、という両親の誘いも断り、アパートに引きこもってニコニコ動画をずっと見ていて結膜炎になったり、エアコンを我慢しすぎて熱中症になったりした。授業もなく、知り合いには誰にも会わずに買い物以外はひたすらPCで動画を見ていたか、申し訳程度にPCを作ったり壊したりしていた。毎日見ず知らずの通行人とすれ違うのだが、誰とも会話をしないとだんだん思考が、焦げてくる。ニコニコ動画のお気に入りのMAD動画を半日ずっと見ていたりした、あの頃はどうかしていたと思う。余談だが、素材を切り貼りしたMAD動画文化が昨今衰退したのは悲しい。私が知らないだけで、どこかに彼らの生き残りが活動していたりするのだろうか。
とにかく、あの頃はクリエイティブなことをしたいという衝動にいつも駆られていたが、ただ悶々とした時間を過ごしただけで何かを作るということはついぞなかった。なんの役に立たないが、アニメの絵柄を見ただけで「これてってあのアニメとキャラデザのスタッフ一緒じゃね?」て当てられるようになっただけだ。あと、拾った画像で「これってあの絵師じゃね?」という特技もあったけれど、今は画像検索が発展したのでお役御免となってしまった。
春の風が終わり、緩やかな殺人としか思えないほど湿度が高くなってくるときらきらとした輝きを放つ過去が思い出される。記憶が美化されるとはこういうことなんだなと納得している。しかし、どうにもあの頃の自分こそ本物の自分であり、毎日働く今の自分というのは偽物であるという感じがずっとまとわりついている。
大学受験に失敗した。予備校に通うお金もなく、宅浪する覚悟もなくて、後期で受かった地方国立大に通って2年目。眠れないのは隣人の騒音のせいじゃない。
第1志望の学科には合格できなかったけれど、最初のうちは長く続いた受験勉強から解放されたということもあり、自分なりに楽しもうと思っていた。でもダメだった。
周りと自分のやりたいことが全く違うのが苦痛だった。遊んでばかりいる人がやたらと目について、「本来自分はここにいるような人間じゃなかった」なんて考えるようになってしまった。
そんな態度が周りに伝わったのか、元々のコミュニケーション能力の低さが原因なのかはわからないけれど、友達もあまりできずに今は1人で講義に出ることがほとんどだし、サークルもやめた。バイトの同期は違う学科でほとんど会えない。土日は家から一歩も出ないことのほうが多い。今まで一度もできなかった彼氏は、今もできないままだ。
なんとなくフォローを返した大学の知り合いのインスタグラムのストーリーには、毎週のように飲み会の様子があがる。
予備校に通っていた高校のときの同級生は、志望の大学に合格して楽しそうに毎日を過ごしているみたいだ。
親のことは大事だけれど、奨学金を借りずに大学に行けている人のこと、留学できている人、予備校に通える余裕があった人を見ると、羨ましくてたまらなくなる。
具体的に何が辛い、というのははっきりと言えないけれど、ぬるま湯につかったような毎日に、ぼんやり死にたいなあと思っている。やりたいことがないわけではない。好きなもの、楽しみなことがないわけでもない。だけれど、それすら面倒に思えてくるほど毎日が億劫で仕方がない。
大学に入ってから顔への執着が酷くなった。周りの目線が怖くなった。
講義で当てられると泣きそうになった。
狭い講義室が怖くなった。
「大学生なのに」充実していないことをみんなに悟られるのが心底嫌だ。
夏休みに帰省するけれど、大学に行かない生活が長く続くと、もう行けなくなるのではないかと不安になる。かと言って中退する勇気もないし、今まで大学に払ってきたお金が無駄になるかと思うとこのままなんとなく通って卒業して、なんとなく就職するのだろう。
なんのために生きているのかほんとうにわからなくなってきた。
夫の転勤で仕事辞めて子供産んで10年専業やりようやくパートに出たはいいが、楽過ぎる。
こんなんで金貰っていいの?と思ってしまう。
これまで10年余り、ずっと休みなく家事育児タダ働きして来たのと比べたら
「再就職すると最初はすごく疲れる」とよく言われてるけど、全然まったく疲れない。土日の方が遥かに疲れる。
働けば痩せるんじゃないと言われてたのにお陰でちっとも痩せない。ジムでも行きたい。その元気もある。金も稼いでるなら堂々と行けるし。
夏休みなんて、ずっと子供の面倒見るのと比べたら子供預けて働いた方が明らかに楽としか思えない。
実際預けて働く予定だけど(夏休み中全部仕事休めるわけないもんね)
今まで10年、遥かに苦痛で疲れる家事育児やってタダ働きだったのに、それより楽な仕事をして金が貰えるのだ。
ってな事への違和感が拭えない。
働こうが働くまいが「子供を(幼稚園に)預けられる時間が一定時間ある」事は変わらないけど
もし仮に3歳未満児がいたら、働かない=子供の預け先ゼロでずっと自分で子供の面倒見る事になるわけで、
(実際10年間ずっとそれをやり続けてきたわけだけど)
それより「子供を保育園に預けて働く」方が圧倒的に楽だったよなあ、とつくづく思う。出来るものならだけど。
お気楽パートだろうが何だろうが、保育園入れる為の就労証明だって出るのだから
保育園さえ空いていればそれも出来たはず。
楽なだけじゃなくて金の面も、例え扶養内パート年100万だろうが10年働けば1000万、
いや保育園使うなら扶養内に抑える必要もなく週5フルタイムだろうから100万なわけないし200万くらい行けそうだ、なら2000万?
実際は保育代などの諸経費かかるとしても、貯金が今より遥かに増えてたのは確実。
…と考えると、私の10年って何だったんだろう。無駄だったとしか思えない。
勿論現実だと育休復帰組以外が入れる保育園なんか周囲にないし、入れる保育園がない3歳未満児持ちの母親を雇う所もなさそうだし、
と考えると、待機児童なんかなくなる訳ないよな、と思う。
小学校とかで「うんどうかいの思い出」「社会見学でわかったこと」みたいな新聞作るやつなかった?あれに「特に何も思いませんでした」という感想しか持てずに毎回思ってもないこと書いてた人間に、人間性なんかあるわけなかったよな。
日記も特に思うことがなくて三日坊主、夏休みの記録は「特になにもしませんでした」の一行、1日の振り返りは適当に思ってもないこと書く。
自分って人間性うっすいなーって最近気づいた。悪口陰口軽い暴力程度の嫌なことなら自分が黙ってればそのうち解決するわと思って耐えれるけど、その分嬉しいことにも鈍くなった気がする。すぐキレる人はキレるって才能があるんだな〜とか思い始めた。
人間性がちゃんとしてる人はえらい。自我ハチャメチャな自分からしたらすごいことです。
人間心理ってやっぱり難しい。自分の心理を理解できない人間が、他人の心を想像なんてできるわけがなかった。
いろんな心理状態を知ってるつもりでいたけど、それは結果誰かの感情の上部を切り貼りしただけにすぎなかった。
わたしの友達が同性の子を好きになったことがある話を聞いて、自分も同性の子いけるな〜と思ってた時期があることを思い出したけど、質量がまったく違った。なんていうか、ちゃんと人間を思えてるなぁって感じ。
異性の恋人がいたことあったけど、その時も恋愛感情っていうのがどういうものなのか分からなかった。自分を犠牲にしてでも相手を思いやる気持ちが恋愛なら、わたしは一生恋愛なんかできないだろうな。
わたしの感情は結果どこまでも独りよがりで自己完結してるなーって。
まとまんねー。寝るか。
4年生なら難しいかもだけど、夏休みの講習で人足りないあたりを狙って面接受けに行くのはアリかも……??
そうではなく、2年生とか3年生の方なら「1〜2年働ける」って面接で言っておいて講習期間を狙ってバイトに潜り込んで、半年後に留学するとか適当な理由つけて辞めちゃうのも良さそう。
来年に自分が自分であるために、自分が自分を認められるために書いてみようと思った。自己満足?その通りです。これはこうでしょ!みたいなものでもなく曖昧で漠然としているものだけど。
高3生です。受験生です。
社会人か主婦か色々な人がひしめくなか、クソガキが書いてる時点でまともな人間じゃないのは察してください。普通の高校生ならこんなとこ(たぶん)いない、はず…
本題に入ります。
自分は小学生から手のつけられないクソガキでカッとしたら悪口の前に周りに暴力を振るったり、その度に親に迷惑をかけたりしていました。そのせいで、とあること(事情があって詳しくは匿名でも書けません、相手にバレたらヤバいので)が起きてしまい、それは小学生に重大に追及するほどのことではないはずだったのですが、相手の親がモンスターペアレンツで厄介なことになってしまいました。面会かを何かした時、相手の親に暴言吐かれまくってしばらくトラウマでした。
そのこともあり、地元の公立中学だけは死んでも行きたくなかったので、以前から取り組んでいた中学受験に本格的に取り組みました。
結果として、第1志望は落ちましたが、それ以外は受かりました。志望校コース的なとこ一緒に通ってた友達は受かってたけどそこまで苦しくなかった。試験受け終わってこれダメだな、ってなってたから。でも辛かった。同じクラスで自分だけが第1志望に受からず(恐らく)、塾の卒業パーティーは行かなかった。
そして中学入ってからも暴力の癖は直らず、周りに迷惑をかけ続けた。そして、中学3年間を最悪にした一番の原因の先生に出会う。(担任になる)
その先生は典型的な熱血系の先生で、当時本当に辛くて記憶から大半が抹消されてるんだけど、まあとにかく死んでくれと思っていた。
どれくらい酷かったかというと、中1の終わりに、『今日誰とも話さなかった!』とか思ってたこととかですかね。精神障害者かよ。
中2になると、先生はまともになったが、今度はガイジクラスの一員(ほかの学校は知らないけど、自分の学校は問題児を固める傾向にある)になってしまった。たぶん中1の担任のせい。〇ね。
いい人もいたが、半数ぐらいは相性が悪く、しょっちゅう喧嘩だったりを繰り返してた。このころも同じように記憶にあまりない。そして、原因も忘れ去ってしまったが、半年くらい不登校になった。
ここまで書いてなかったが、自分はゲームが好きで、親に妥協してもらって買ってもらったiPodで遊びまくってた。異常なレベルで。そして不登校近く?から数年ドハマり続けるゲーム(ソシャゲ)に出会ってしまった。
(この書き込みの趣旨とあまり関係ないので、詳しくは控えますが、そのゲームは後々また出てきます。)
いつ行ったかすら覚えてないが、精神科にある程度行った。鬱みたいな症状診断されたっけな。たぶん。
不登校はとりあえず切り抜けて(どうやったかすら覚えてない)、中3になった。
この頃くらいにようやく暴力の癖が抜けて(どうやったか覚えてない)現実にようやく少し溶け込めるようになったが、問題が。
クラスに余計なことをしたり、自分がしないでと言ったことを勝手にやって『お前が悪い』みたいな態度でいたり、ただただ嫌だった。最後は勝手に向こうが呆れて干渉しなくなった。そのくせに某行事では自分のグループを受け持ってきたり、精神が壊れそうだった。
その中、唯一の楽しみが先程話題に出したゲームだ。ハマりにハマっていわゆるトップランカーのレベルまでなった。
そのゲームは続けつつ、高1になった。
ここからクラスにも教員にも、相当マシな人間が多く、気分は楽だったが、ここまでクソッタレな人生だった自分には、友達は誰一人いなかった。みんなしょうがなく関わってるか、興味がないだけだった。現状を打破しようとしても時間が浪費され、その鬱憤をゲームで晴らしていただけだった。
でもその興味がないなりに気遣ってくれて、嬉しかった。
高1の夏休み、ゲームで、人間関係でこじれてしまい、ゲームを辞めてしまった。Twitterなども人間関係も全部なくした。そのとき何故かわからないが、自分は壊れてしまったのだと思う。
夏休みが終わってから、なぜ思ったかはわからないが、リアルに向き合おうと、できることをやった。
全く意味のない授業の板書、人間関係、その他もろもろ、やっていたんだと思う。だが少しだけ前のゲームをやっていたりした。
そして高2になり、覚悟を決めて、そのゲームをまた辞めて、受験に向き合うことにした。(当時偏差値40くらいかな、やばいでしょ)
あとは高2は勉強だらけだから略。人間関係もマシにはなったが中1のころの遺産があった程度。
そして高3になり今に至る。
受験は自分の存在証明みたいなスタンスで、受からなかったらセンター改革の件もあるからヤバいが、なんだかんだ楽しくやれている。
周りは某大学志望だらけなので、そこはやめて成績的に自分が有利な大学にした。
友達もいるが、心の奥底で誰も信用できないし、からっぽな自分がそこにいるだけ。
親は中1から中3あたりは本当に酷かったが、高1で自分でどうにかした。どうしたかは覚えてない。
勉強出来なきゃ本当に人生終わりそうなので、勉強を頑張りたい。だから明日からスマホを、最近話題になったタイムロッキングコンテナを使って自制してみようと思う。
だけど人間性は残ってるから、少しだけ人に認められたかった。自分は自分に、受験に受かってようやくスタートラインとしか評価できない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
これを傘の骨組みに使われている金属が防いでくれるのだ。
電波は脳に強く影響を及ぼすため、差すことに意味があるわけだな。
もちろん、一番いいのは頭にアルミホイルを巻いておくことだが、なんせ蒸れる。
なにより見栄えが悪い。
その点、台風での傘は不恰好じゃないし、不自然じゃないだろう?
今回、学ぶべき教訓は「自然現象には自然に振舞うのが一番」ということだ。
くれぐれも頭に金属を埋め込んだりしないように。
いくつか方法はある。
まずは諦めずに残りの日数通い続けるのだ。
朝のラジオ体操なんてやっているような奴らだ。
多少の情と、菓子の詰め合わせの余りは持ち合わせているはず。
もし余りがないのなら、菓子を手に入れた他の参加者に“分けて”もらえ。
朝のラジオ体操なんて真面目にやるような奴らだ。
菓子だけのために参加するわけもないから、多少貰っても文句は言わないさ。
くれぐれも、変なズルはしない方がいいぞ。
私は拾った体操カードを持って、「娘が風邪なので代理で来た」と言って菓子を貰おうとした。
だが、運の悪いことに、その係の奴が本当の親だったのだ。
だから、どうしても菓子が欲しければ最寄のスーパーなどで購入したまえ。
夏休みを控えている老若男女は是非とも参考にしてくれたまえ。
東京の中流以上の家庭は、小学校から塾に中学受験に中高私立で〜年収1000万でもきつい!みたいなの見るけどさ
そんなに金かけて頑張ってそのゴールって東大合格とかなんだよな…って思ってしまう
俺は地方公立で塾もいかず(高校名で無料の夏期講習や模試は受けた)、高3の夏休みからちょちょっと過去問ベースに勉強してA判定出て現役で受かった
もちろん大学名だけがゴールでなく社会に出て出身高を見られたりそのつながりとかあるのもわかってるけどさ
でもはっきりいって「たかが東大受験」と思ってて、そのためにみんなそんな金かけたり子供の自由時間奪う必要あんの?って思ってしまう
でも世の中の一般的な状況を見るにきっと俺の子供もそこまでしないと、あるいはしても東大には行けなかったりするんだろうな
しがない就活生の戯れ言です
中学は部活も休む事なく、ズル休みしようとしたら部員に責められるようなところだったし、学級委員も生徒会もやって
高校は学級委員とかはしなかったものの、行事の幹部とか部長とかやってた。もちろん皆勤賞もらった。
それが普通だと思ってた、みんな頑張ってるから私も頑張らないとって今思えば周りの見えてないバカなんだけど。
大学は人生の夏休みだって言ってた、先輩は旅行したりして楽しそうだった。自分も適当に遊びながら、たまに羽目外して学生生活エンジョイするかと思ってた
あれだよね、大学に行ったら彼氏ができるっていうのと同じ。そもそも自分から羽目外してやらないとダメって事。
レールの上をずっと歩く人生だったから、いきなり自由になっても困った。周りのみんなは要領がいいから適度に手を抜いて楽しい事をする。私はできなかった。結局約3年間で卒業単位を全て取得し、全単位ほぼ講義を休んだことがない。講義を休んでまでやることなんかなかった。見つけられるほど、視野が広くなかったのかもしれない。サークルとかで楽しもうと思ってたのに結局入ったのは由緒正しき部活である。
その部活も余程のことがない限り休まなかった。休んだときの罪悪感が嫌だった。
就活もくそまじめに出来るだけ説明会に行って、でも嘘つけないから素直に全部話してしまってお祈りカウントがたくさん。
真面目というより要領悪いんだよね。今日だって就職サポートの人に、もっとガツガツいかないとって言われたけど、そんな事できない。自分のために動くことができない。
そんなザ日本人みたいな私だけど、最近の多様化の文化が怖すぎる。
ツイートで、木下優樹菜さんが叩かれてるのを見た。ディズニーに平日に行くのはどうなのか問題。木下優樹菜擁護の人たちがたくさんいて、「皆勤賞なんて制度をやめろ」「真面目に学校行くなんてあほらしい」私に言われてるようで、少し悲しくなった。
小学校の頃のテストは100点がデフォルトだった。学校の教科書は、新学期に受け取って数日で全部読んでしまい、独学ですべて頭に入った。夏休みの宿題はふつう夏休みの1週間くらい前に発表されるが、夏休みに入る前にたいていすべて終わらせていた。
なぜこんな簡単なことを他の人たちはわからないのだろう?と不思議だった。すべてが簡単すぎた。そして、そんなことを学ぶために一日学校に縛り付けられているのが苦痛でしかなかった。
でも、そんな簡単な授業さえ理解できずに、テストで60点・70点しか取れないクラスメートたちがたくさんいたのだった。
IQは100が平均だ。この世の半分の人たちはIQが100に満たない。電車に乗ってもどこに行っても、大雑把に半分くらいの人たちはそんな人たちなのだ。世の中のさまざまな制度や教訓などはそういう人たち向けに作られている。
私は社会にたいして大小さまざまな不満を持っているけど、結局、自分のような人間はどこまで行っても少数派だし、私があれこれ考えたところで、そのやり方はほとんどの人たちには適用できないのだ。