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はてなキーワード: 和室とは

2023-12-01

微分積分とは、帰納演繹に置き換えることができるのかもしれない。

まりデータから法則を出す営みと、法則からデータを出す営みである

グラフ上にプロットされたデータをいちいち t=1の時x=2, t=2の時x=4 …などと列挙していてはキリがないので、

それらを一つの式 x=2t と表現しているに過ぎない。

この式はデータだったのだ。

ようやく「微分せよ」という表現が何を言わんとしているのか分かった気がする。

これは「データから法則を導け」ということだったのだ。

最初からそう言ってくれればよかった。

そうすれば、勉学で躓くこともなく、周囲の学生たちに劣等感を抱くこともなく、

自分はここにいるべきでない存在と思い詰めることもなく、

自分が将来なりたい目標を考えたうえで進路を選択できたかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

勉学で挫折し、不登校に陥り、モラトリアム延長で名前を書ければ入れる専門学校に進み、

その専門学校すら不登校に陥り、主体性喪失したなし崩しの人生を転がるに任せ、

今もなお実家和室の子供部屋で無職の身の上を恥じながら増田を書いている。

微分積分は、ひとりの青年人生挫折させ、暗い谷底に突き落とす力を持っているのだ。

2023-11-26

「うん、この和室は落ち着きますね。広々としていて、気持ちいい。」

和室温泉もいいよねー。疲れた体が癒されるよ」

「頭の中を整理しながら、次の行動を考える時間が取れますからね」

「考えごとをすることで、自分目標に向かって進む力を養うこともできるからね。」

「そうですね。今は自分の弱いところを見つめなおして、それに向き合っていく必要があると思います。この静けさは、そんな時間に適しています。」

「他の人もああ見えて尊敬してるんだよ。休息とリフレッシュ時間を大切にすることも、自己の成長に繋がるってこと。」

「まあ、たまには休息も重要ですね。体と心のバランスが取れていなければ、意思を持たない者には勝てない。」

和室に泊まりたい

和室の広々とした空間で、心地よい照明が灯り、落ち着いた雰囲気に包まれる。畳の上に座り、脚を伸ばしてゆったりとくつろぎながら、い草の匂いを嗅ぐ。そして自分の心の中を静かに整理する。

何も考えず、ただただ自分自身に集中する。身体の疲れを感じながらも、それを頑張った自分へのご褒美として感じることができる。

そして、温泉に入る喜びを感じる。温泉のお湯が心地よく体に染み渡り疲れた筋肉がほぐれる感覚時間を忘れ、ゆっくり温泉に浸かりながら、心身の疲れを癒していく。

から上がれば、料理が用意されている。美味しい食事を堪能しながら、心も満たされる。満足感を感じながら、ふと眠りにつく。

日常ストレス疲労とは無縁の安らかな眠りだ。

心が安らぎ、心身の疲れが癒される。毎日の忙しさやストレスから解放され、新たなエネルギーを充電することができる和室に泊まりたい。

秋の旅館を思い出す

長旅の疲れを癒すために和室で脚を伸ばして

何を考えるでもなく、次は温泉に入る事が決まっているあの感覚。窓の向こうに見えた温泉郷に立ち上る湯気。

ただ流れ作業で体の汚れを落とせば、料理が用意されていて、満腹になれば厚い布団で眠るだけの、あの感覚

何も考えなくて済むあの空間へ行きたい。

秋と冬の中間はそうやって過ごすことが恋しくなる。

2023-11-21

anond:20231121195235

今のガキってアフガキとか片親パンとか和室とか言ってるんだろ?

お前がガキの頃と変わんねーよ

2023-11-20

一般的増田

40代男性

フリーター

年収100~200万円

実家団地アパート和室住まい

ビール

・頭髪後退済み

歯石、黄ばみ済み

NewsPicksやQuoraの書き込みを参考に専門職なりきりチャット

・「学生さん」「視野が狭い」「業界では常識」と言って年相応の尊厳を保つ

子供の頃は良い子で頭が良かったという希少な成功体験から低学歴」を叩く

特定非営利活動法人日本弱者男性センター応援

2023-11-09

"猫の日常" (Neko no Nichijou)

猫は日本幸せ生活しています彼女は私の家族の一員であり、毎日生活に楽しさと活気をもたらしています彼女は快適なベッドで寝ており、美味しい日本キャットフードで満腹になります。また、彼女日本の庭で遊んだり、魚の形をしたおもちゃ遊んだりすることを楽しんでいます。猫は日本の文化や習慣にも触れ、和室でくつろいでいます彼女私たち生活癒しと楽しみをもたらしており、日本風景や季節の変化を一緒に楽しむことができる、忠実な仲間として私たちの一部です。.bkdi9v.c3s

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"猫の日常" (Neko no Nichijou)

猫は日本幸せ生活しています彼女は私の家族の一員であり、毎日生活に楽しさと活気をもたらしています彼女は快適なベッドで寝ており、美味しい日本キャットフードで満腹になります。また、彼女日本の庭で遊んだり、魚の形をしたおもちゃ遊んだりすることを楽しんでいます。猫は日本の文化や習慣にも触れ、和室でくつろいでいます彼女私たち生活癒しと楽しみをもたらしており、日本風景や季節の変化を一緒に楽しむことができる、忠実な仲間として私たちの一部です。.bkdi9v.c3s

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2023-10-14

anond:20231014191331

場所の広さも席の位置関係和室で床に座って食ったのか洋室椅子に座って食ったのかも、

状況について元増田より遥かに少ない情報しかもたないのに

「義父母の皿ではなく娘の皿から取ったのは対象を見下しているから!」って、その……思い込みと決めつけが……すごいですね……

2023-10-05

ネット民ワードセンス高すぎて尊敬

ネット民作成ハイセンスワードは見るたびに感動する

ここ数年で浸透したのは「片親パン」「和室界隈」「マン二毛作」辺りか。本当すごいよ、どうやったら思いつくんだ。天才すぎる

最近見かけたのは“おぢが若者強者男性クソリプ飛ばすムーブ”のことを表す「弱男dism」。腹抱えて笑った。“official”が付かないところがまた良い

この手のネット民発のワードもっと知りたいな。みんなもなんか知ってたら教えて!!

2023-09-20

anond:20230920053548

夫の部屋が客間の和室とあったのに途中で窓のない部屋ってなってるから訳分からなくなった

窓のない部屋って居室として認められないから納戸とかになってるはずで普通和室ではない

anond:20230920051654

設定に無理があり過ぎる。

夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共荷物あるとそこは却下されて

他の部屋も母に取られて、私も私で色々荷物多くて収納ある部屋じゃないと無理だったので

結局夫に与えられたのは一番小さい部屋。しかも客間兼も予定だっただから和室

ここから読み取れるのは4部屋(内一つは収納ナシ客間)だということ。つまりらくだが4LDKの平屋ということである

買った時点では子供を持つ気があったようだが、子供の部屋はどうするつもりだったのか?

これが5~6LDKの2階建てとかならまだ話はわかるが、この時点で設定に無理があり過ぎる。

よってお粗末な釣りお疲れ様でした。

夫と離婚した事を今とても後悔している。

夫と暮らし始めて家を買う際、私両親たっての希望二世帯(私達夫婦、私両親)で住む事になった。

自分達が住んでいる家も年数が経ちリフォームするお金もあまりいから、まだ売れるうちに売って一緒に住みたい、お金もこっちでも出せる分は出すからって。

夫は始めは反対してたけど私も話し合ってなんとか承諾。中古の平屋を買って住む事になった。


まず部屋の割り振りで不満が出た。

夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共荷物あるとそこは却下されて

他の部屋も母に取られて、私も私で色々荷物多くて収納ある部屋じゃないと無理だったので

結局夫に与えられたのは一番小さい部屋。しかも客間兼も予定だっただから和室

その時も抗議されたけど、夫は元々綺麗好きで私物もあまり無かったから、両親に荷物を捨てさせる訳にもいかなかった。


家のお金の事でも揉めた。

例えば家の購入代金が3000万ぐらいで、夫が頭金を1000万ぐらい出した。

本来は父も出すハズだったがまとまった貯蓄が無いからと拒否

ローンも二人で半々出すハズが、両親が支払ったのは始めの数ヶ月ぐらい。

色々物入りだと理由をつけて支払わなくなり、夫が抗議すると「金に汚い、意地汚い」と両親からまれ吐き捨てられたと。



両親は父・母共に悪い人では無いハズなんだけど、口は悪い人で、良くも悪くも遠慮無いタイプ

夫に対し稼ぎがどうとか、◯◯(私)に優しくしてんのか?ちゃんしろよ!と、発破なのか嫌味なのか

夫に対してちょっと判断に困る小言を度々言う様になった。

夫は父親を小さい頃に亡くし片親だったのだが、それについても弄るというかネタにする様になり

夫が嫌味に反論しても「片親だからそんな細かい事気にするんだな、本当に育ちが悪い」と言われるとか。


夫は度々私に「傷ついた」「辛い、我慢してるけど限界になりそう」「君からも彼らに抗議して欲しい」と相談というか愚痴を吐いていた。

私が全てを直接見聞きしていた訳でも無いのだけれど、両親の年齢特有の遠慮無さと口の悪さは今に始まった事じゃないし

ある程度慣れてもらわないと困るのでは?と思っていた。元々他人同士なんだし、始めから上手くやれないのは普通だと。

一応私からも両親に注意した事は何度もあるが、その度に分かったよ~とは言うが、改善はされなかった様で、私自身も諦めていた。

また、部屋の割り振りにも都度文句を言われていた。

一番広く収納のある部屋は両親が使い、夫は一番小さい窓のない部屋になった事。

荷物が多過ぎる両親と綺麗好きで私物も少なめな夫では仕方ないと当時は思っていたが、夫は常に不満タラタラだった。

「どうして俺の家なのに、自分だけこんな部屋なんだ」と。あまりにもグチグチ言うから喧嘩になった事もあった。

「この人、こんな小さい所あるんだ…」って当時はガッカリしたり冷めた事もあった。


傷ついた、辛いアピールする夫に冷める気持ちとか、相手するのが面倒だと思った事も一度や二度では無かった。

どうせ夫がいないと我が家生活は成り立つのは難しいのだから離婚などされる訳ないしあり得ないと思っていた。



そんな夫がある日、いきなり出ていった。

慌てて連絡すると「離婚したい。(私両親に)いびられて監視されて子供作る気にもなれない。親の肩ばかり持つお前にも愛想が尽きた」と言われた。

何度も離婚はしたくない、考え直して欲しい、両親にはきちんと注意するから、と言っても、全く信用してくれなかった。

「お前は俺が買った家で肩身の狭い思いをして、嫌味いびりをしてくる両親も止めず、相談してもはいはいって態度で俺の味方になってくれなかった」

のが、信用出来なくなった理由という。

それは誤解で、これからちゃんとするから、親との同居も無くて良いし、一生尽くすから謝罪懇願した。


でも結局ダメで、夫とは離婚になった。たかだか二年の結婚生活はあっという間に終わった。

間に入った女性弁護士からは、ローンの頭金も放棄貯金慰謝料財産分与で貰ったから、随分良い条件で離婚出来ましたね♪

笑顔で言われたが、何の慰めにもならなかった。



家のローンは私が引き継ぎ、生活は一気に苦しくなった。

ただでさえ低年収で、不安定仕事しかしてなかったから、副業としてアルバイトを始めたがそれがいつの間にか本業になった。

アルバイトから契約社員にもなれたが、月の手取り20万も無い。その内大半が、ローンと生活費で消えていく。

私の手元には殆ど残らない。あまりにもきつくて、本業は諦めて、更に副業バイトも始めたが、焼け石に水だった。


生活費は両親のも含まれる。その頃には退職した父と専業だった母の口癖は「俺(私)らは無職から金が無い」。

普段の食費から雑費から外食費用旅行費用、父の競馬新聞や母の行きつけマッサージ代まで、何にしても私がお金を出さねければいけない状態

お金を出さないとすごいうるさいし「サラ金から金借りてきてでも何とかする」などと脅してくる。

母は「この歳でこんな惨めでひもじい思いを…老い先短い人生なのに…」と泣き落としてくる。

呆れるばかりだが、これでも私を育ててくれた両親なので無下にする事も出来ない。


ひたすら生活に追われて婚活もクソも無いのに両親からは「再婚はしないのか?」などと無神経にせっつかれる。

こんな状態でも、それでも何とか交際してくれる人が現れ、とても良い人で、両親にも顔合わせもした。

その際に「前の夫みたいに軟弱なヤツじゃないといいけどな~」「ね~あの人は心が弱すぎたもんね~」などとのたまう両親。

彼氏には離婚した理由をぼかしていたが、固まっていた彼氏には事情を話さざるを得なくなった。

ちゃんと正直に話した結果、「申し訳無いけど、あの両親とは上手くやっていける気がしない」と言われ、結婚の話は無しになり交際も終わった。

婚約破棄慰謝料として200万程貰ったが、両親が「嫌な事は忘れよう!」と、豪華な旅行計画し、一瞬で無くなった。

私も半ば無理やり連れて行かれたが、全く楽しく無かった。両親だけはブランド物なんかも買い漁りホクホクだったけど。



もう30代半ばも過ぎて、結婚はどんどん遠ざかっていく。

給料は増えず、生活費も上がり、ストレスばかりの私を他所に両親は旅行なんか行っちゃってる。

働いてた時の貯金らしい。だったら生活費出してよ、家を建てた時だって前夫との約束反故しないでよ!

って言いたくなったけど、もうあの歳なら何を言っても無駄だと、私自身が諦めている。


とにかく生活が苦しく、そうなると思い出すのは夫との日々だった。

それなりに稼いでて、家事マメで良くやってくれて、我慢強かったあの人。

今は夫の言う事をなんでも聞いて尽くしてあげられる、やり直したい、本当にそう思った。


共通の知人を介して元夫と連絡を取った。元夫は今でも独身らしい。

外で会うと、店に入った途端「金なの?いくら欲しいの?」と言われた。

お金じゃない、やり直したいだけと言うと

「どうせ生活が苦しくて俺と一緒になれば楽出来ると思ってるんでしょ?それ金くれって言うのと一緒だよ」とまで言われた。

さすがに腹が立って「そんな人じゃなかったのに…」と嘆くと「お前ら一家がそうさせたんだろ。結婚して何の得も無かった。

味方が一人もいない家で肩身狭い思いをする為に結婚して家を買ったんじゃないのに。結局あの家もお前らのモンになったし、

俺はお前らに家買わされただけだろ。どうせ俺の事なんて都合の良いATMしか思っていなかったんだろ!」って

最後は元夫も感情的になり、話し合いは決裂した。


元夫は、交際相手はいるが結婚はしない、しても内縁で親同士の付き合いも一切無い関係じゃないと無理だという。

「お前らみたいなのにまた引っかかりたく無いからな」って嫌味を言われて、反論出来ない私はどれだけ悲惨だったのだろう?



お互い原因があるんだろうけど、私だけが不幸になっている気がしてならない。

夫は独身貴族で優雅かもしれないが、女性には男ほどの稼げる職は少なく、社会から差別を受けてますます追い詰められている。

家にももはや両親は味方では無く寄生虫だ。どこまでこの社会は、離婚女性が生きづらい社会なのだろう?

苦しくて泣きたくなる。仕事行きたくない……

2023-09-18

anond:20230918141331

藁につつんであるやつ、藁の香りがほんのりして和む。プラパックだとあの味がでない。

和室に入ったときの畳とか杉檜の匂いに通じる何か。(実際には干しブドウみたいな香り

2023-09-15

anond:20230911114250

実際これらしいんよな。そして自然発生した「謎の間」って和室から洋室に改修した一般の家でも結構見かける。

自分父方の実家も母方も実家も、日本の伝統的な流れを汲む家屋から洋風間取りに改修したのだけれど、そのままだと狭いので窓側の廊下を潰して部屋の一部、物置にしていた。

当時の日本人は「畳以外で寝れるか!」という思考だったので、畳はそのまま。

洋風椅子が普及し始めていたけれど、畳に載せるとへこんで傷がつくので、重い家具廊下の部分にしか置けない。

廊下だった空間構造関係上ドアにした方が安上がりなのでドアになる。部屋に入口と、他の部屋への入り口ができる謎扉ができる。

気持ち悪いので棚を置いて通れないようにする。

昔の廊下は遮熱性能がゴミでほぼ外なので、冬の間は襖を置く。結果的に夏もそのままになる。


高級と呼ばれる旅館は昔は個室では無く、一本の長い廊下に襖を置くだけの簡易宿泊所のような構造だった。

このような旅館現代化の波を受けて西洋風に改修する過渡期に、同じように謎空間ができたのだと思う。

そして一般的な旅館もそれを真似して今の形式が出来上がったのではないだろうか。

2023-09-14

anond:20230914010735

なんか面倒くさいんだよな。それに尽きる

別れろ一択だけど、一応改善方法書いておくと、

 

  • おしゃれな部屋には別れを告げる。色や質感の統一以上のことは諦める

 → 収納を徹底して作る。カラボ収納箱入れるのおすすめ

 → 見せる収納デザイン優先家具NG。整理しやすさ取り出しやすさを最優先

 → 必ず目に入るところに自治体ゴミカレンダーゴミの出し方を貼っておく、もしくはゴミ分別不要物件を選ぶ

 → 見えるところにホウキスティック掃除機(ケチらない方が良い)を置く場所を作る

 → 極力何もない部屋にして、ダンボールとかゴミがあると違和感を感じる部屋にする

 

  • すてきな食器キャッキャとやるのは来世にする

 → ご飯茶碗・スープ皿・大皿・中皿・取り皿・マグカップ・箸・ホーク・スプーンナイフを1セットしか置かない。レンジ食洗機対応の軽量陶器にする

  

 → 布団ではなく、マット無しの折りたたみ可能キャスター付きすのこベッドで寝よう。マットはエアリーマットレスみたいな洗えるのがベター

  マットを床に直にひくと、まともな衛生感覚持った人任せになるので、必ずすのこベッド

 

 → とりあえず服捨てろ

 → コインランドリーにぶち込むかドラム洗濯機乾燥までする運用にする

 

  • 紙で本を楽しむのは来世か富豪になってからにする

 → とりあえず全部電子化して本捨てろ

 → iPad Pro買う

 

 → 臭いが生まれメカニズム説明する。おしゃれしても意味ないよを理解させる

 → カビ・埃・ダニなどによる健康被害について説明する(ガン・アルツハイマー・皮膚炎・喘息肺炎等)

 

 

やっぱ別れろ一択だな

2023-09-11

anond:20230910223147

建築的には、上の方に書いている人がいるように、広縁だった空間なんだよ

でも雨が吹き込むバルコニーみたいなものから建物平家ではなくなると、落下防止の手摺がつき、それに漏水しないように建具が設置されたの。そして縁側の幅しかない謎の空間になったんだよ。

その上、空間的に勿体ないから、テーブル椅子を置き、コンセントを這わして冷蔵庫を置き、ついでに配管を回して洗面台まで置くところが出てきた

半外部としての空間的な意味は失われたけど、主室が外につながる間のバッファ空間として生き残ったんだ

生活様式が変わり、持家政策によって狭小敷地建蔽率いっぱいに部屋を区切るようなった現在、縁側という空間的な余裕を使いこなすことができなくなった現代人には謎の空間しか認識できないモノが残ったんだよ

もはや和室としての様式は失われて、ただ畳(のようなモノ)が敷いてある部屋を和室と呼んでいるように、床の間とかもTV置きみたいな棚っぽいなにかになっているのと同じように、建築的な意味は失われていって、ただなんともいえない空間けが残っていくんだよ

若い人には古いビル公衆電話コーナーも謎空間でしょ

anond:20230910223147

https://sotetsu-hotels.com/column/414/

・「広縁」の定義は?

日本家屋には、和室の南の方角に面して板敷の間がありました。建築用語で「縁」もしくは「縁側」といい、その幅の広いものが「広縁」です。一般的基準としては、幅(奥行き)3尺(約91センチメートルのものが縁側、4尺(約120センチメートル)以上ものが広縁と呼ばれています


・広縁はなんのためにある?

広縁や縁側は日本家屋独特のもので、もともとは建物への入り口、部屋と部屋を行き来する廊下、つまり通路としての役割を担っていました。身分制度があった時代は、室内には立ち入ることの許されない低い身分の者が控える場として活用されていたともいいます。やがて身分制度のない時代になると出入り口代わりとして、人々が集う場として活用されるようになりました。


もうひとつ、広縁や縁側を設けた背景には「部屋を広く見せられる」という事情もあったといいますさらに、南側からの日射しが直接部屋に入ることを防いで畳や襖を日焼けから守る、断熱効果を得るという役割も持ち合わせていました。

かに昔の旅館とかって、広縁から各部屋に出来り出来たよね

2023-08-20

ちょいクレーマーけがある 前編

スペック

アラフォー

既婚子なし共働き

ネクラ、気弱、怒るの下手

最近気付いたがちょいクレーマーけがあるかもしれない。

俺はもちろん正義を主張しているだけで、何も相手理不尽八つ当たりしている訳ではない。

遡れば、思い当たるのは前職を辞めた時くらいからだろうか?

当時、人材派遣会社人材管理側の営業をやっていた。辞めた理由結婚後住む場所が遠くなら通勤時間が増えた事、業界不安定さなど。

場末営業所だったが部長が目を掛けており、辞める前に一度話がしたいとのことで、ラーメン屋つけ麺を食べながら辞める理由や引継ぎについて話をした。

部長から人手が足りないので、良かったら仕事探しながら1ヶ月でもいいから長くいて、事務作業の補助でもいいから手伝ってほしいと言われ、引継ぎ終えても仕事探しが出来るなら自分に合った仕事をさがせると嬉しく思った。

その後予定より少し押して引継ぎを終え、給与締の関係から有給含め辞めるのは次月かなと思ってた頃、部長が夕礼でこう言った。

「〇〇はおおよそ引継ぎも終えたと聞いている、ご苦労様。今月末までかな?引継ぎ忘れがないよう。次▲▲、人が減ったと聞いているがどうなっている、…」

え?え?え?

ゆっくり仕事を探して出勤は?てか有給消化してないし、有給すら取らせる気ない??結局引継ぎを無事終えさせることが目的で終えたらどうでもいいってこと?

え?は?は?

次の瞬間立ち上がって部長演説を断ち切り、あの日の話はどこ行ったのか俺に有給を取らせる気ないのかとブチ切れた。結局お前らは派遣社員に対しても俺ら営業に対してもそういう態度しか出来ないのだろと。

小ネタだが、

派遣業界では派遣社員が辞めるときには出来るだけ有給消化させないよう仕向ける。もちろん取らせてくれと言われれば取らせる。話が出なければ全く取らせないし、言葉巧みに少なめに誘導したり、出来るだけ別の仕事を用意する。

もちろん有給休暇自体平時で定期的に取らせている。

だが辞める時に纏って取らせると別の仕事を案内する前に自ら仕事を見つけたり、他の派遣会社に引き抜かれないようにするためだ。

支出金額も面もある。派遣企業は来なくなった社員有給消化分まで契約料を払ってはくれない。契約計算に入っていない。つまり自社負担の大赤字なのだ

それなので親身に仕事を紹介する振りをしながら有給消化させないという駆け引きをする訳だ。

俺は部長の話し方にそれを連想した。この業界を生き抜いた人間は熱血派っぽい顔して心では辞める人間時間お金を割く必要はないと考え、親身にならないないんだなと。

激おこの後はどのように夕礼が終わったのか覚えていない。その直後に所長と部長タバコ吸いに出て何か話していたことと、後日、部長本人からそんなつもりはなかった、好きに働いて全て有給消化してほしいと謝罪があったのは覚えている。

2つ目は、前に住んでたアパート

入居時、管理の町の不動産屋には、何か不便があったら言ってと言われた。物件は古くろくに清掃、改修されていなかったので(印象)、言ったら直すが不要な改修はしたくないんだろうと理解した。

その分不便を感じた際はシャワーの水漏れ洗濯室の床、トイレ、水の強さまで、本当に何かあったら連絡していた。

妻には「俺たちクレーマーからまたコイツラかと思われてるで、ハハハ」なんて言ってた。

退去時、

2年ほどしか住んでいないので、3ヶ月分の敷金はほぼ返ってくると信じていた。が次の月、返るも返らないもなかった。一応電話連絡してみた。

まだ請求が揃っていないので揃って計算してから連絡刷るとの返答だった。

ん?請求??

とりあえずそれから毎月連絡した、毎月毎月毎月。

ついに敷金が返らず半年を越えた。

社長は不在とのことだったが、そのまま電話口の受付の女性に「もう敷金返金なく半年越えてますおかしくないですか!」と言ってみた。

社長が帰り次第折り返しますと慌てた様子だった。

時間後、町の不動産屋オバア社長から折返しがあった。

「もう!今月中に振り込みますし、襖は請求書まだですがもういいので送ります。それでいいですか!」と強めに言われてモヤっとした。

こっちは待ってるだけで、何なら行く訳でなく、月一電話しかしてないのに、クレーマー扱いされてない??

てか襖???和室の襖は使わないから外してまとめてて、汚れようが無かったし元々汚かったし、カビの可能性はあったか?も?でも元に戻した時にカビなんてあったかな?

その後、室内クリーニング代、畳代等請求書の原紙と返却分の敷金の内訳が郵送されてきた。襖の請求書はなく振込内訳になかった。急かしたおかげで逆に返金金額から削られずに済んだようだ。

長くなったのでまた描く。

2023-08-15

ロボット掃除機を買いたい

おすすめの機種を教えてください。

またその話かよ、と思われた方、ごめんなさい。

10万の臨時収入があった。これが資金

できたら少しは手元に残したい。

てとこで予算は5万から10万の間。

自宅は持ち家の一戸建て。室内でお犬を飼っている。

1階が水回りとダイニング、一続きの和室和室は畳の上にタイルカーペットを敷き、さらにその上にマルチカバーみたいな布を敷いている。家具ダイニングセット、無印の2人掛けソファ、人を駄目にするソファ、お犬が休憩するためのケージトイレテレビ台、低い本棚

夜寝る時は犬を連れて2階に上がるので、その間の6時間掃除機くんに任せたい。

留守中は犬が怖がると思うので、掃除機は使わない予定です。

ネックは犬の毛。掃除機本体メンテナンスが大変そう。

2023-08-14

ぼる塾 酒寄さんはすごかったと気付いた話。

ぼる塾の酒寄希望さんを知っているだろうか。

メディアに良く出ているぼる塾は3人だけど、ぼる塾にはもう1人、酒寄さんというメンバーがいる。

酒寄さんには息子さんがいて育児休業中だったけれど、最近では一部の劇場に復帰し、執筆活動をしたり、ぼる塾のYouTubeに出演したりしている。

私は自分出産するまで、「酒寄さん育休中って言うけど、期間長くない?」と思っていた。

私が勤めている会社では、大体1年で復帰する人ばかりだったからだ。中には数ヶ月で復帰する猛者もいた。

からなんとなく私も、子どもを産んだ後は1年で復帰して、まぁ時短にはなるかもしれないけれどあとは元に戻ると思っていた。

いや、無理だ。

まだ育休中の身ながら実感している。

元に戻るなんて無理だ。

私は出産するまである習い事をしていた。

仕事の後に稽古場に行って夜帰る。

習い事先生には「育児が落ち着いたらまた通いたいです」なんて話をしていた。

いや、落ち着くのっていつだ。

子どもは産んで終わりじゃない。

そんなことわかっていた筈なのにわかっていなかった。

保育園に通わせたって、仕事終わりに迎えに行かなきゃいけない。小学生になったって同じことだ。

育休中の今、旦那さんや母に預かってもらっても、歯医者に行くのがやっとだ。

兎に角まとまった自由になる時間を作るのが難しい。

ここで漸く酒寄さんのことにいきつく。

私はぼる塾が好きで、妊娠中も出産後もよくぼる塾のYouTubeや、出演したテレビ番組を観ていた。先日酒寄さんが出版された本のイベントも観た。

酒寄さんはこのいつまでも終わらない育児の合間に、ネタを考えたり、連載を執筆したり、挙げ句に今は舞台にも立っている。

凄すぎる。

YouTubeにも出ているし、中でも田辺さんと酒寄さんのラジオ田辺和室」ではずっと小気味良いトークを繰り広げている。

すごすぎる。

更に更に酒寄さんは、よくぼる塾のメンバーLINEメッセージを交わして、精神的支柱にもなっている。

いや、すごい。

子ども1人抱えていっぱいいっぱいになっている私には途方もない仕事量に思えた。

先日、酒寄さんがSNSにある呟きをしていた。

その前からこの文章を書きたいと思っていたんだけど、今こそ誰かに伝えたくなって実際に書き出してしまった。

ぼる塾の酒寄さんはすごかった。

今も現在進行系ですごかった。

anond:20230813172505

音や光に過敏で悩まされてる人の話かと思ったら、全然違った。笑える話で良かった。

ちょっとしたインディケイターのつもりで付いてるLEDの直進する光って、目に痛いよね。

そこだけ不透明テープ貼っておくと和らぐよ。

完全に不透明ビニールテープ貼ると点灯が全く分からなくなって危険かもしれないので、

絆創膏医療テープおすすめ和室照明風の柔らかい光になる。

音も、どうしても設定で消せなかったり、音量調節出来ないものは、スピーカー出口にテープ貼るといいよ。

音が籠って、気に障る度が大分和らぐ。

この手の物理手段検討してみて。なんだかんだ言って、物理最強。

2023-07-22

ビニールプールを舐めていた

親父が孫に会いたいがために、「土日のどっかで孫を預かるよ。ビニールプールに入れて遊ばせる」と言ったらしい

そして私にとっては甥っ子(1歳半)が日曜日の8時半に水着を持参してやってきた

親父はその日、仕事が入り、家には私と母だけだ

仕方がないので母と協力し、ビニールプールを設置、遊ばせ、撤収を行ったのだが、これがまあ大変だった

ビニールプールは2.5メートルほどの大きいやつで、小さな滑り台がついている

二週ほど前に和室ビニールプールを膨らませて甥っ子を遊ばせ、そのまま置きっぱなしにしていた

「実際に水を入れるならもう少し空気を入れたい」と母が言うので、車用のコンプレッサーコンセント変換器を使うことにした

500円玉大の空気穴は二重構造になっていて、蓋をはずしてもその中にある弁が穴をふさぐのですぐさまは空気が抜けない

コンプレッサーの管で弁を押し開けて、管を中に通してスイッチをオンし、空気を送り込むが、これがまあ上手くいかなかった

なぜかというと押し込んだ空気分より、弁を押し開けた分の隙間から抜ける空気の方が多かったか

ごおおおおおおという機械音と「プールまだなん?」という物言わぬ甥っ子の目線に耐えながら硬いビニール空気穴を二本指でつまみ狭くしつつ、ひたすら空気漏れないことを祈る時間苦痛だった

10分ほど格闘し、ネットでも調べたが有効解決策が見つからず、ようやく自力で見つけた解決方法コンプレッサーの管をもっと奥の方へ突っ込むことだった

空気穴近くで空気を送り込むのではなく、そこから離れた場所で奥の方へ空気を送ることで、ビニール壁に空気が当たりそのまま近くの空気から漏れ出ることを防ぐ

言葉にすれば簡単理屈だが、当時の私は寝起きの頭でプールの方に何か空気漏れを防ぐ理屈存在するのかと考えていたのでなかなか気づけず、イライラしてしまった

コンプレッサーの力でも大きなビニールプールが膨らんだのは10分近くかかった

これを弟の嫁と父は足踏み式のポンプでふくらましたのかと思うと、それは愛でしかないなと思った

ようやく膨らんだビニールプールを庭の芝生部分に設置して、ホースで水を入れる

その間に母は甥っ子に水着を着替えさせていた

事前に会社の人に「水が冷たいとなかなか入りたがらないから午前中に水をはっておいて、午後に遊ぶほうがいいよ」と聞いていた

ただ当日は真夏日であり、入れたばかりの水もそこまで冷たくなく、甥っ子はぎゃあああああああと歓声を上げながら遊んでいた

大人が浸るには小さいプールなので、近くにベンチを置いて、母と一緒に自分たちは座りながら足だけプールに浸し、甥っ子を遊ばせていた

水辺で手をバタバタと動かし、発見享楽のたびに笑顔を見せ、「こえっこえっ(これこれ)」とこちらの顔を観て指さし、興奮を交えながら言葉足らずに感情を共有しようとする様は愛らしくかわいかった

ただ1時間くらい夢中で遊んでいたので、赤子の体力って無限なの?とも思った

昼過ぎくらいに父が帰ってきて、そこから甥っ子の面倒を交代した

後で聞いた話によると、甥っ子は午睡の前に1回、午睡後に1回プール遊んだらしく、本当に赤子の体力は無限なのかもしれん

これで一日が終わっていれば、ちょっと疲れたなくらいだったのだが、大変だったのはビニールプールの片づけだった

夕方になっても父は甥っ子に夢中でいっこうにプールを片付けしようとしないので「プール片づけしようと思うんだけど」と言ったら「おう任せた」と笑っていた

いい加減にしろよと思いつつも、翌日になって水がぬるぬるになったプールを一緒に片付けてと言われる方が嫌だったので、バケツ風呂桶に取っ手がついたやつを用意し、プールを片付けることにした

母に水はどうしたらよいかと聞くと、花や野菜や木にかけてほしいとのことだったので、バケツで水を掬い、水やりに使って、5分の1ほどの水嵩を減らした

残りの水で芝生が水でびしゃびしゃになる分には仕方ないと了解をとってあったので、プールに手を突っ込んで、栓を抜いた

これで片付け終わりだわと思っていたが、全くいっこうに水が抜けない

ホースの水で遊んでもいたので、水かさはたっぷりプールの底は芝生にぴたっとくっついていて、栓は500円玉くらい

水が抜ける隙間がどこにもないのだ

もちろんそんな大量の水が入ったプールを持ち上げる筋力などない

仕方なしに取っ手付きの風呂桶を片手に中腰になり水を掬い、庭のコンクリート分目掛けて、水を撒いた

中腰からアッパーカットの要領でたぶん30回くらいは水を撒いた

人間の皮膚の汚れや表面菌のせいか、はたまた甥っ子がどこかのタイミングで水中で粗相をしていたからかコンクリートに打ち付けられた水は泡を含んでいて周囲へと広がっていく

中腰と水の重さと同じ運動の繰り返しによる体の負担といっこうに減らない水嵩で嫌気がさしていた頃に、父が甥っ子を抱いて窓辺から「ほら、○○(甥っ子の名前)がんばれーっていって」と私を見せていて、父に対し一瞬の怒りを抱いてしまった

しかし、「(がんばれーと思うほど)大変そうに見えるなら、母に預けて、自分が手伝いにこればいいだろ」とは甥っ子の前で叫べない

もう仕方ない、心を無にして、打ち水マシーンになるだけだと工程を繰り返し、コンクリートから広がったた水が家と田んぼの間にある公道アスファルトにしみこんだくらいでようやく水が20センチくらいの深さになった

もう汚れるのは仕方ないとビニールプールを抱きかかえ、栓から残った水がじょろじょろと芝生に落ちるのを眺めた

その後、飛んでいきそうにない場所ビニールプールを設置し、腰と右腕に相当量のダメージを感じつつ、なんとか片づけを終了した

最初空気を抜いて、ビニールプールから水を溢れさせてしま方法も考えられたが、またこプールを使うことを考えると空気入れが面倒でできなかった

その日の教訓は相当量の水は本当に重いということだった

マジで直径1メートルくらいの円状のプールでいい

かいプールは残った水の処理が大変すぎる

遠くの田んぼ用水路から水を送るのに電気式のポンプを使っているのをプール片づけた後でコンビニに行く際に見つけて、これがうちにもあったら楽だったのになと思った

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

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