はてなキーワード: 収束とは
「コロナが収束したら絶対面白いことあるんですよ。なかなか苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」
男性の期待に応えろ
KKOの夢をかなえる人になってよ
今日グッディに、橋下徹さんと北村弁護士が出ており、緊急事態宣言の延長に政府が基準の数値を出さなかったことについて話しをしていた。
PM2:20
北村さん「はやく収束したいという政治側の意図が実現できないので、だから出せなかったように見えるんですけどね」
橋本さん「んんっ?」・・略・・「逆じゃないですか?」
見てて、そうだよね逆だよねと思った。
北村さん「早く収束したい政治側と、長く設定して収束を先延ばししたい専門家・・」
見ていて、北村さんは何意味不明なことをいってるんだ? と いらっ と思った。
橋本さん「経済の再開を早くしたい政治側と、経済の再開が遅れてしまう専門家・・」
橋本さん「僕の意味合いが逆になっちゃったんだけど、 そういうことです。」
と、自分の解釈がうまく伝わらなかったのが悪かった風な発言で、相手を全く否定せずに自分の主張を伝えていた。
普通、まずは、相手がおかしなことを言っていたら、 すぐに否定せずに、全部聞いてあげた後で、正してあげるという話しはよく聞くが、
橋本さんは、 相手を全く否定せずに、 でも自分の主張を的確に説明するということを、瞬時におこなっていた。 聞いてて、説明や交渉のうまさに 鳥肌が立った。
結局、どちらが良かったんだろうな。
個人的な意見としては「外出禁止」の方が良かったのかもしれないと思ってる。
けど、今回の件で自粛のストレスにも耐えられない事は分かった。
だったら、外出禁止の方が遥かに短時間に収束させられたかもしれない。
緊急事態宣言ももしかしたら予定通り明日には終わっていたかもしれない。
あと、給付金。
困った状況が続けば給付金や企業、自治体独自の救済措置の負担も大きくなる。
今更支えられないなんて言えないだろうし。
行き過ぎた「弱者への援助を断るのは悪」って言う雰囲気にならなきゃいいんだけど。
とは言え、都内に人間ではない自分がどれだけ妄想しても生産的な答えは出てこない。
そもそも在宅ワークだから外に出る機会もほとんど無かったから今回の件でそこまで生活スタイルは変わっていない。
コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブや匿名掲示板等でぶっ叩かれている。
Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードでトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。
今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。
個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間の問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。
でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまうものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。
実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会や自分の生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。
先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。
もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会の人間のほとんどは衝動的で非論理的な判断をし、「失敗」するものだからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアルな100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりといったたぐいの「失敗」だ。
でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政や社会システムは存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政が運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。
また、「失敗」がある種意図的なものであったり、他の人の人権を侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。
「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。
こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素を大気に排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球の生態系がまだ大量絶滅を経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。
はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて、本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたがいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。
ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。
考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政の役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?
その「目的」は、はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。
私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政の対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。
この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離は行政の仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体、感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも「日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?
こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。
この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活の補償・保障なく自粛を「要請」されるという構造の欺瞞に気づくことができない。
愚かな我々を、救済にしろ罰則にしろ本来受け止めるかべきバッファが機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人の問題に還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。
それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。
私は持つことができない。
社会の中から「オロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者を為政者として選出し、その愚か者に扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまたリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。
ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。
それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。
当方住宅地に住んでるが、近所3件がバーベキューしてんの!悠長に「これ食べてくださいー」とか言ってお裾分けもしてんのよ!ウチの子も羨ましそうに見ちゃうじゃん!(ゲームマンガ三昧でそれなりに満足そうだけど…)
社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。
この記録を残すのはまず、歴史の教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分が日記などをつけていなかったせいで当時の自分と自分を取り巻く状況についての主観的な情報を確認する手段が、曖昧な記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。
コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、
緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安が絶望に変わった人も少なく無いと思う。
自分が就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。
接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分の部署はだいたい週一出社くらいになっている。
当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。
業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。
嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。
社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通のオフィスでの仕事は苦痛そのものだから。
うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には
絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本の会社のほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。
街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベルの僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史的感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。
この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分の給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたから社会がパニックに陥ってもそれと連動して自分も不安や恐怖を感じたりしない。ある意味、社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。
自分は就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。
じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。
不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。
他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。
どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。
こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。
大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって
症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。
でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。
匂いを完全に吸収して外に出さないパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。
こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合な現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしまう可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分も思春期に発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。
自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。
でも大企業のホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社は意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。
就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。
やる気「なかったわけでない」 安倍首相、PCR検査数の少なさに―緊急事態宣言:時事ドットコム
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2020050400477&g=pol
さてさて、原稿用紙1枚にも満たない短い記事で、いかにも安倍総理は言い訳に終始したような印象を与えかねない記事であるが、いったいこの記事にある発言はどういう文脈で言われたのか?
https://www.sankei.com/politics/news/200504/plt2005040051-n1.html
--日本では、PCR検査を本気で増やそうとしてこなかったのか。なぜ民間を使うという選択肢が出てこないのか
「先ほど、すでにこれは、先ほどお答えしたことが全てなんですが、これはもちろん本気で、やる気がなかったわけでは全くありません。私は何回もとにかく能力を上げていく。実際能力は上がってきているわけであります。
他社の記者の質問が正確に反映されていない可能性はあるものの、
という質問が
になるのはおかしいのでは?
また、
となっているが、近辺の文からは「何度も言っている」の意図には取れない。
いわばそういう態勢を作ってもなぜかといえば、これはまずそれを、PCRをやる方が拭わなければいけなかったわけでありますが、それをやる。いわば人的なこの目詰まりもあったわけでありまして、医師会の皆さんにもご協力をいただき、また歯科医師会の皆さんにもご協力をいただくことになったわけであります。そういう意味において、全力をあげていきたいと思ってます。ちょっと補足的にまた(基本的対処方針等諮問委員会)の尾身茂会長にご説明をいただきたいと思います
それにしても、ページが分かれていて正確な数は数えていないが
300文字に満たないスカスカな内容で伝えるとか、それが仕事か?
一時は1日当たり700人近くまで増加した全国の感染者数は、足下では200人程度、3分の1まで減少しました。これは、私たちが収束に向けた道を着実に前進していることを意味します。また、1人の感染者がどれくらいの数の人にうつすかを示す実効再生産数の値も、直近の値も1を下回っています。
という成果や、マスクの意義についての基本的対処方針等諮問委員会の尾身茂氏の回答
従ってまだ症状が出ていないうちに人に感染させるということが、(略)かなりはっきりしてきた。
などをなぜ報道しない?
実際にコロナにかかったやつとかならええよ
それ以外よ 仕事はしゃーないとしてあとは家に引きこもる
やることはそれだけ猿でもできる
なのに毎日のようにテレビでもsnsでも自粛疲れ、心が痛い、病みそう、限界だ
いやいやいやw笑わせんなやと
家にいるだけや!もう一回いうぞ、家にいるだけや!
疲れんやろ!むしろ快適やろがい!外に出ないだけでなんでそんな悲観的になれるんや どんだけ豆腐メンタルなんだよ
普段なにか制限されることなく甘やかされて自由に生きてきたんだろうな 平和ボケもしてるだろうし
いい機会になったな 今のうちにできるだけメンタル鍛えとけよ
更に
老害と高齢者を罵る昨今だが今でこの状態だ 俺らみたいな若者が高齢者になったときはどういう扱い受けてるだろうな 言い過ぎかもだが最悪殺されるかもな
これらはかもしれないじゃない 確定した未来だ
誰も助けてくれない その時にどうするか今のうちに考えとけよ
after緊急事態宣言を考えてみたが、所謂「夜の街」クラスターの原因となったと推測される接待飲食等営業や性風俗関連特殊営業は一時的にほぼ壊滅するんじゃないかと思う。
まずワクチンや治療薬が万民にいきわたらない限り、コロナ以前の経済活動は不可能だ。
仮に緊急事態宣言明けにコロナ以前の経済活動に戻すとなると、無対策の場合の実効再生産率が2を超える以上、再流行し医療の逼迫→再度の緊急事態宣言へと至るのは明白だと思う。
コロナの治療を医療崩壊が起きない程度に諦める(スウェーデン方式)選択であればコロナ以前の経済活動に戻すことも考えられるが、これには死生観の変革も求められ、政治、国民理解のハードルが高い。
諦めずに医療崩壊を防ぐためには2つの選択肢が考えられる。(あるいは併用)
一つ目が所謂諸外国のnew normal、専門家会議が語るところの新しい生活様式を市民が行うことだ。
これは実効再生産率0.5-0.7となる現在の経済活動の水準から若干元に戻し、医療を維持できる実効再生産率0.8-0.9となる程度の経済活動を行う選択と理解している。
この場合、濃厚接触を行う可能性が高い産業には自粛の継続なり接触頻度を低める工夫をしての営業が社会的に求められる可能性が高い。
二つ目が感染者のトレーサビリティを強化したうえで、徹底したクラスター対策を行うことだ。これは韓国、台湾が選択している方式と理解している。
この場合、国民は何らかの形で行動履歴を政府に常時提供し、感染者が判明し次第、過去の行動から接触者を割り出し通知する仕組みを構築する必要がある。
言うまでもなく、このどちらも前述の産業との相性は極めて悪い。
前者の濃厚接触はそもそもこの手の産業が提供している本質的価値そのものであるし、後者のトレーサビリティはこの手の産業の顧客が匿名性を一般的に求める以上、利用を嫌厭する大きな理由になる。
テレビ番組やネットでも「夜の街」産業従事者が緊急事態宣言が明け、元通りになることを心待ちにしている声が流れることがあるが、心の中で「まあ助からんやろうなぁ」と思う。
同じことはインバウンド関連事業者にも思う(海外旅行の復活には日本と旅行者の母国双方の感染が収束している必要があるが、それは年内どころか来年、再来年までかかるケースも多いだろう)。
コロナとともにある世界を指す いま現在のことも指すし、集団免疫を獲得してコロナを日常の一部にした場合のアフターコロナも指す印象
コロナを超えたその先を指す 再生産数70億、致死率200%の世界が君を待つ
コロナとして 気がつくと私はコロナになっていた それでも私は地元に帰りたかった だけど地元の人々は私に銃を向ける
コロナのために我々になにが出来るか?Go Outside週間!三疎を避けよう!
そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞のキャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ「世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。
そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢の友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。
結果、最高。
本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまったことで生まれる葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せな時間はうたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。
それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃ歌うまいの?????? 私と同じ生き物ではない。
すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める。
しかも、現在進行形でこのコロナ騒動で翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。
まず一つ目。
現在私の学校は集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校の映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。
一日中パソコンで映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!
しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史を勉強する日々……。
「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字を勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。
読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)
文字と戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。
「みほとせの部隊が竹千代を保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康が征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城の造成と郷帳、国絵図の作成)」
とか、
「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」
とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。
個人的に、榎本武揚の五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これからの日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これからの日本に役立ててほしい」となんと敵方である新幕府軍の黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルであんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。
黒田清隆、死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。
しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭を戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。
話が脱線した。
でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう。大学受験はどうなるかわかんないし、志望校に受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史を勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。
ならいいや!!
二つ目。
運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭も夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達の引退ライブもたぶんできない。
つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。
でも!!
ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。
そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業の俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。
もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。
私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。
のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか。
主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか、
そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。
受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています。
最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。
どう味わえと。
そりゃ2月からコロナ入って来てるんだから早く動けは当然の批判ですよねぇ
イタリア大流行中国韓国収束フェーズで中韓イランのみ入国規制(なお入国者や帰国者には待機施設も用意せず放置)したのも日本政府
どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案/天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
http://mazmot.hatenablog.com/entry/2020/05/01/163839
子供の安全(ひいては子供をきっかけとしたクラスターの回避)は大切だが、
現在の長期休校状態は、感染のリスクと教育機会の損失のバランスを欠いていると思っている。
収束するかどうかは予測困難なためその是非を問う議論は決着しない。
現在感染は収まっていないのだから、感染がある中での教育を最優先に、一刻も早い登園再開を願う。
感染が収まった場合と感染が再開した場合についてはプランBとして並行すればよい。
自学能力が高い高校生以上は、そもそも登校しない選択もありうる。
"密集を避けるべき感染拡大状況と真っ向から対立する集団化がどうしても要求されるのが小学校なのだ"
という記載を受けて、「感染拡大下の教育」の課題である小学校の感染対策について考えてみた。
自学能力がまだ備わっておらず登校が不可欠かつ
だいたい10歳未満の児童のケアが感染症と共存する教育の肝になるだろうと思う。
校内でウィルスに触れないこと、触れたら落とすこと、これだけだ。
ちなみにウィルスに触れる機会、つまり接触については以下が簡易。
「人との接触」ってどうやって数えればいいの?/コロナ専門家有志の会
https://note.stopcovid19.jp/n/n1d0745601527
"「一人の人が相手と1m以内の距離で2〜3往復の会話をしたら、1接触と数える」"
また濃厚接触となる会話の目安は、マスクなしで15分以上となっている。
互いに距離をあけ、15分以上発話し合わず、何かに触れたら手を洗う。
大人には簡単な配慮だが、小学校低学年では対応は可能だろうか?
いくつか考えてみた
◆密集についての対策
◆会話についての対策
・授業の合間の休憩を10分以内にする
・自律して手洗いを行えない児童に対しては、登校後、下校前に手洗い指示を行う。
(登校後は授業を受けているだけのはずなので、自分の席、自分の筆記用具にしか触れていなければ手洗いを強制しなくてもリスクは高くない。
休み時間ごとに手洗い場に並ばせる手間のほうがデメリットが大きい。自分でこまめに洗える子は各自で。)
・子⇔子感染に関しては会話の機会=休み時間を濃厚接触条件より短時間に区切る
・教師⇔子に関しては教師の側から感染リスクを避ける行動をとる
(日によってメンバーの組み合わせがランダムにならないようにする。誕生月や出席番号で分ける。)
◆その他
・一時的に数分密集するだけなら低リスク(トイレ、玄9)ただしトイレでは手を洗う
・校内での食事は避けたほうがよい(給食の救済難しい。パンと牛乳の持ち帰りなら可能では)
特殊なシステムを導入せずとも、大人側の配慮次第で小学校登校は可能ではないだろうか?
いやいや現場はとか、様々個別の事例生じうるのは承知のうえで、感染対策しつつ登校する方策を否定しないでほしいと思う。
3月北海道では全国に先駆けて緊急事態宣言を出す状況となったが、保育園と学童保育は通常通り運営された。