はてなキーワード: モニターとは
これの後日談
なんかちょっと嫌な予感がしてた
モニターホンの前でウォッチング待機してたら、配達員の高齢男性は明らかにモニターホンを見たのに、呼び鈴を押さないでドアを叩いた
はぁ??????このご時世にドアを叩くか??????てかどう考えてもわかりやすい位置に呼び鈴ついてますけど???????
これ呼び鈴待ってたら不在票入れられるパターンだったのでは
念のため「呼び鈴押しました?」って聞いたら「ああ!」って超白々しく言って、なぜか私の目の前で押した
荷物を渡されて「なんかご迷惑かけちゃったみたいですんませんでした」って言われた
「配達の依頼を記録してなかったそうですね」って言ったら「あ、そうなんですね…」って言われた
詳しく知らないんだったら謝らなくていいよ…
とりあえず、色々あった荷物はちゃんと受け取れたのでよかったけど、コンビニ受取にできたらそもそもこんな騒動初めからなかったのにと思った
以上、より残念な気持ちになった話
40にもなってこじらせまくり惚れた女とするもんだとついこないだまで思ってた
けど、まったく惚れてなくてもただただ最高に気持ち良かった
DKをかなり積極的にしてくれるこ子で、こっちも夢中になってそれだけで30分があっという間にたってしまった
中学までペットボトルののみ回しもできない潔癖だったのに、嫌な感じどころか唾を全部飲み干してもいいと思えるほど必死になった
別に快感を感じる器官があるわけじゃないのになんであんなに気持ち良いんだよ
そして、いままで気づかなかったが乳首もかなりの性感帯だと気付かされた
自分が作業をすることで、意識がそれてせっかくの快感に集中できない
楽しみ方があるなら教えてほしい
そして、パソコンのモニターで大写しになることの多い女性器が以外と小さいことに驚かされた
フィニッシュは一番気持ちの良かったDKしながら手コキでフィニッシュ
お店のルールがあるのか口で受け止めてくれた
こんなんナンパだろうが出会い系だろうが人生かけて女ハントしてるやつがいて当然だわな
若い頃に経験しとけば自分ももっと夢中になってがっついてたかもしれない
誠実であることがいい女性に出会う近道だと思って下心を抑えてきたが本当にばかなことをした
もし、ここに同じ考えの若者がいるなら考え直して欲しい
女とやれる仕事、女とやれる服装、女とやれる車、女とやれる家、女とやれる飲み会、女とやれる友人関係
女という目標を設定することで男は最大限の力発揮できる
これは考えれば考えるほど自分を痛めつけている。
ではどうすればいいか?
まず思考の回転に気付く。
次に思考を止める。
どうやってそれを実現すればいいか?
瞑想だ。
ただしxevraとは関係がない。
はっきり言えばxevraは瞑想をやっていない。
彼の軽口を参考にする必要はないし、瞑想をしたらxevraのようになるというのも間違い。
やり方を説明する。
まず椅子に座って背筋を伸ばす。
手は膝の上などに楽に置いて。
背筋は絶対に伸ばし続けておく。
それが終わったら動きを止める。
したいになったつもりで徹底的に動かないこと。
呼吸以外の動きは止める。唾すら飲まない。
姿勢を整えて動きを止めたら、
下腹部は呼吸につれて、息を吸うとき膨らみ、息を吐くとき縮んでいる。
これを意識の集中ではっきり感じる。
呼吸は自然に任せること。
次に下腹部が膨らんでいくとき「膨らみ、膨らみ、膨らみ」と心の中で言葉を念じる。
下腹部が縮んでいくとき「縮み、縮み、縮み」と心の中で言葉を念じる。
掛け声にならないように注意して、ちゃんと膨らみと縮みを心で感じて、念じる。
これをやるとどうなるか?
なんとちゃんと出来ない。
ふと気付けば余計なことを考えていて「膨らみ」「縮み」が中断されている。
これに気付く。
気付いたら「雑念、雑念、雑念」と念じてまた「膨らみ」「縮み」に戻る。
恐ろしいほど頻繁に勝手に余計なことを考える脳の習性に気付けるが、これが第一の進歩。
めげずになんどでも「雑念」と念を入れて勝手な思考をカットし、また膨らみ縮みに戻る。
これが第二の進歩。
勝手な思考の回転に気付き、すかさずカットすることを訓練する。
この繰り返し。
逆に言えば瞑想をしていないとたいていの場合精神病は進行する。
でも治ってしまう。
なぜ思考を止めるのか、
どうやって思考を止めるのか、
休んで居る間も脳の中で思考・妄想が回転していればそれは休めていない。
脳を休めて正しい方向へ開発するのは瞑想だけ。
座る瞑想(30分)と歩く瞑想(1時間)に毎日取り組んでみて欲しい。
騙されたと思ってやってみても大した辛抱はかからない。
歩きながら、左右それぞれの足の裏の設地を感じて「左足」「右足」と念ずるだけ。
念じながら歩き続けるだけ。
集中力が高まってきたら、
「右足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
「左足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
と歩行に伴う足の感覚を感じて念じていく。
これはちゃんとやれば大変忙しい。
脳がくたくたになる一方、脳を痛める無駄な思考は完全にストップする。
自分の立った今の行動にピッ!ピッ!と気付いてく。
疲れないし、記憶が抜けることもない。
外出時の地図やらアプリやら事前準備が甘くてもどうにかなるのは魅力だったのと
率直に言って「え?まだガラケーなの?」「スマホないの?」「アプリは?」の世間の目とシステムに耐えかねた。
実際同世代どころか自分より上のリタイア世代も、観光地行っても皆スマホでガラケーの遭遇率はほぼなかった。
それでも料金がキャリア金額だったらまだ変えてなかっただろうが
格安スマホだとガラケーの月額とさほど変わらずすみそうだったので変えることにした。
説明書には何も書いてない。(ここ最近のこういう説明書に使い方何にも書いてないよは本当にどうにかした方が良いんじゃないかと思う)
ええ…っと思ってぽちぽちしてたら画面に電池っぽいのが出てた。なるほど電源かと充電に至る。
充電が終わってさあと起動する。日本語を選んでwifiにつなごうとしてここで躓いた。認証に問題しかでない。
結論から言うとmacアドレスの制限をしていたのをすっかり忘れていて
ノウハウ通りにつなごうとして全滅して数時間使った。macアドレスの存在に気付いたのはググりにググりまくって出た
認証に問題が出るときの解決方法サイトその中の一つだけで、言及してくださってて本当にありがとうございますと言いたくて仕方ない。
スマホをもって一番驚いたのが熱い。汗っかきの自分なんかだと夏これ手がきついんじゃね?になった。
あとガラケーに比べて大分重い。握力あんまりないのでとっととケースとフィルム買っておこうになった。
あと電源があまり持たない。wifiで躓いた数時間起動しつづけていたがあっという間に残量が減っていった。
待ち受け状態だとそれほどでもないんだろうか。
通信等が恐ろしいので、システムのアップロードをして電話帳いれただけで辞めた。
何G越えたらまずいですよの警告は出るようにしてあるし、家の中ならwifiでさほどいかないんだろうとは思うんだけど
全く使わない人間がこういう品物持つと警戒心が出る。
電話帳とかメールとか。普段使ってる画面と違うので余計に誤操作しそうだ。
がっちり紐づけってきつい(個人の印象です)
個人用アカウントでやってしまったので誤操作もろもろが怖い。新しく別のアカウントを作って切り替えかなと思っている。
あとここまで情報入れてしまうと、いくら認証等やっても失くしたら恐ろしいなと思った。
ガラケーは正直電話帳ぐらいしか問題がない(個人情報ではあるけど)
これで恐ろしいのが、スマホのwifi設定で四苦八苦してた時間にいきなりグーグルが不正なログインあったよと連絡してきた所。
住んでいた場所とは違う新幹線の距離の所からログインアクセスがあって遮断したと。
スマホ?の設定?エラー?にしては遠すぎるし、wifi回線の契約も違う。
単なるタイミングの問題かもしれないけど、いままで一度もこんな経験はなかったのでビビッて即いろいろ変えた。
それともこれスマホが原因なのか?
キーボードなら一瞬で終わるのに。モニターなら一枚で全部見れるのに。
正直パソコンの方が使いやすい管理しやすい。わぁぃスマホでソシャゲデビューだーとか思ってた自分にサヨナラ。
あと年寄りがスマホデビューは相当大変かなと思った。年寄りよりちょっと若い自分ですらこれいらなかったね…にならないでもない。
操作性と視認性と情報の詰込み度合いのデメリットが、ガラケーのメリットを超えられない。
LINEで毎日せっせと送信してますとかインスタのせまくリとかだとまた違うんだろうけど。
Day.2
上晝・晏晝
旅行になると食が細くなりがちだけど、この街では食わないと持たない。
茶餐廳(喫茶店とファミレスを混ぜたような軽食店)でお粥を頼む。
お湯が出されて思わず飲みそうのなるが、他の席を見ると、みんな飲まずに食器を突っ込んでいる。
正解がわかんない。
ホテルでもニュースを見たけど、昨日から全人代の話で持ちきりだ。
香港の人は賛成2300、反対2とかで決まる決議をどんな感情で見ているんだろうか。
今回の旅の目的の重要な一つが、中国でのQRコード決済を体験して見ることだ。
言葉が不自由なので、事前に起きそうな問題は潰しておかないと不安だ。
使いすぎのせいか、レンタルWi-Fiが昨日からちょっと遅くなったのにストレスを感じながら、深圳への入国カードの書き方や最寄りの羅湖駅について調べる。
事前に日本でwechatpayに520人民元をチャージしていたが、現金も持ってないと不安なので、昨日に引き続き重慶大厦で両替することにした。
うまく伝わるかどうか不安だったけど、メモに夏目漱石と毛沢東のイラスト、「jp¥5,000→人民元」と書いて渡したら、ちゃんと5,000円分だけ両替してくれた。
イラストにはやっぱ助けられる。
下晝
騒がしい香港も、ここまでくるとのんびりした空気が漂っている。
羅湖駅から中国への入境は、多少緊張したが、トラブルもなくスムーズだった。
イミグレーションはやや陰気な空気だったが、審査場というのはああいったもんなんだろう。
イミグレーションを超えて羅湖駅の地上に出ると、看板は簡体字。
狭い香港に比べて、羅湖駅地上は広々としている。空気も街の綺麗なものだ。
ここでもICカード、深圳通を買って、地下鉄を乗り継ぎ、華強北に向かうが、地下鉄はちょっとびっくりするぐらい綺麗で近代的だった。
華強北につき、お腹も空いていたので、華強電子世界のフードコートで、wechatpayの電子決済を試して見ることにする。
異国でいろんなことに不安があるので、余計なストレスを感じたくない。
フードコートのおばちゃんにwechatをみせて、「Can i use this?」深圳では広東語は通じないのだ。
と言っても自分の広東語が使用に耐えないのは昨日でわかったのだが。
オッケーらしい。
Wechatpayには、こっちのQRを見せてスキャンするタイプと、自分でスキャンして、金額を打ち込むタイプがあるが、どっちかわかんなかったので、おばちゃんからカウンターを変わったお姉ちゃんに 「scan?」と聞いて見ると、怪訝とめんどくさいという表情を全開にして頷いた。
スキャンして、金額を打ち込むとあっという間に決済は終わった。
しばらく待って出てきた華式カツカレーには、ライス部分に野菜炒めが乗っかっていた。
華強電子世界ではあらゆる電子アイテムが売っている。スマホ、パソコン、LED照明、電子部品からなぜかワイシャツまで。
携帯売りのお姉さんがブースの中でスマホに向かって大声でやり合っていたが、中国の人はなんというか元気なので、普通のやり取りなのかケンカなのか判然としない。
深圳の街は、一角にまだ工事中のような場所があったり、食べ物の匂いが立ち込めるストリートもあるものの、大方は近代的で綺麗なものだ。
しばらく見ているとハト達は一斉に飛び立つ。
近くにいるユニフォームをきたお姉さんが笛を吹き出し、またやってくるハトたち。
気の利いたショーまであるのか。
日本で知ることができる中国なんてほんの一部、それも結構偏ってるなーと思いながらデパートの空中回廊を歩いていると、突然「ボンッ!」
風に当たりながら一服していたオッさんの100円ライターが破裂した。
オッさんは事もなげに友達と去っていった。
挨晩
車内では可愛い格好をしたお姉さんがスマホで流行りのガールズファッションをチェックしている。
すっかり都会のティーンエイジャーだ。
ひょっとしたら新しい分、東京メトロより綺麗かもしれない深圳の地下鉄だけど、電子表示に現れる「請勿在車内大声喧嘩!(車内で大声で喧嘩しないでください!)」はちょっと笑った。
若い人は初めからこの新しさだからいいとして、お年寄りはこの変化のスピードについていけるんだろうか?
現代深圳市民のファッションは、埼玉か群馬の人といった感じで、いや、別に誰もdisってないぞ、そう聞こえるならそっちの方が偏見だ、とにかくまあ、現代的なのだが、どうも醸し出す中国人感の正体はおそらく男性は髪型、女性は肌で、男の髪型は極端なツーブロックか角刈りが多く、女性は20代後半辺りからあまり肌の荒れを隠さなくなる。そこら辺は日本女性は巧妙かもしれない。
とはいえ、まあまあ近代的なチャイニーズファッションを覚えておきたかったので、誰か写真を撮らせて貰いたくなった。
Excuse me Miss, i want know naw chinese fasshion, Can i take your photo?
Excuse me Mr?
3人目の子供を遊ばせていたお父さんに声をかける。
Excuse me Mr? I want know naw chinese fasshion, Can i take your photo?
「何がしたいの?」
日本語で聞かれた。
「写真撮っていいですか?」
「貸して」
「いや、貴方の」
「ふうん・・・どうぞ。」
広東語もダメだが英語ダメで、自分が一番得意なのは日本語である、という知見が得られた。
目当ての書店は、一部が棚卸し中で、欲しかった女性誌や料理本は買えなかった。
最悪コンビニでなら、と思ったが、中国のコンビニには雑誌が売ってない。
スタバのメニューなら、主だったところは日本と同じだし、注文にまごつく事もない。
決済もwechatpayでなんとかなる。
wechatpayの一番正しい方法は中国に口座を持つ事だが、歌舞伎町のPocket Changeでもアクティベートとチャージは可能なので、もし中華アプリに抵抗が無いなら、アクティベートしておくと強い味方になってくれるかも知れない。
そうこうしているうちに日がくれてきた。
華強北のフードコートのおばちゃん以外は概ねぶっきらぼうな中国人の接客にちょっと凹んでスタミナが切れてきたので、そろそろ香港に戻ることにするか。
異国なので、余裕を持って行動した方がいい。
2日で3回目の越境だ。
夜晩
羅湖駅にたどり着いた。
中国の雑誌が買えなくてちょっとガッカリしていたが、駅にキヲスクのような小さな書店があったので、そこで購入することにした。
wechatpayで決済しようとしたが、wifiが怪しいのか、なかなか決済が終了しない。
お姉さんが携帯を覗き込み、お姉さんの指示で店のwifiに接続したら決済できた。
便利なwechatpayだが、ネット環境に依存しているのは不便にもなりうるな。
国境を超えても外国である事には変わりがないが、なぜかちょっと安心感がある。
疲れて口元が下がり気味になり、パスポートの写真と微妙に違うので、検査員と顔面照合をする際に人差し指でほっぺたを持ち上げて笑顔を作る。
中国側の出国検査員には流されたが、香港側の入国検査員は一瞬笑いを堪えたような顔をした。
この空気の違いは、深圳の人が移民が多くて、実は南洋の人ではないからなのだろうか。
深圳ではやたら見かけた警官も、香港ではそこら中にいるわけではない。
接客に関しても、モノを投げてよこすような豪快さは香港も深圳も変わらないが、香港の人は多分相手が誰でもああなんだろうな、という感じで、なんというか余計な気遣いに使う時間が勿体ないという感じなのだが、深圳の人たちからは、ちょっと警戒感のような物を感じた。
それが、国民性によるものなのか、ナショナリズムなのか、単なる「言葉の出来ない相手に対する厄介感」なのかは、分からなかった。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081702 からの続き)
そもそも写実的な背景美術には素材が必要なのだけれど、アニメを作るために宇宙よりも遠い場所に行けるわけもないので、限られた素材であれだけの背景美術をこさえていることになる。マジでどうやってるんだ。
報瀬が日向を呼び出すシーン。笑顔(抑圧の象徴)ではなく自ら弱さを見せる日向は6話でのやり取りから成長を強く感じさせる。でも結局笑顔で気を使っちゃう日向を見ると、どんだけ日向は過去に捕らわれて深く傷ついてるんだろう…と思う。このあとのシーンにおける日向のセリフ「ちっちゃいな、私も」がヤバイ。彼女なりに弱みを見せないよう満面の笑みで言っているのが逆に強烈。
そして例のシーン。日向が「6話でああいうことを言い出したり、普段から笑顔で振る舞って「友達にさえ」弱さを見せなかったりする」ようになった原因を作った奴を報瀬が許さなかったのは日向が報瀬にだけ弱さを見せることが出来たからだし、さらに言えば報瀬が6話で日向と気を使わない関係を築けたからこそ、自分のわがままで日向を守ったのだろう(トイレまで尾行したり、勝手にメール見たり、奴らにメンチ切ったり)。かーちゃんという過去を断ち切るために南極まで来た報瀬だからできたウルトラCであり、物語を通して報瀬がいかに成長したかを描いた最高のシーン。あと何が最高かって、たぬキマリもゆづも日向のことを守ってくれたことだ。特にたぬキマリ。11話では全話中最もポンコツを発揮していたところにあのシーンである。10話でめぐっちゃんの話が出ていただけに、強烈に刺さった。
このシーンで流れる挿入歌は4話でキマリと隊長が会話するシーン以来。4話ではキマリが「ここではないどこかへ」ではなく「この4人で南極行って、あれやこれやしたい!」と覚悟を新たにする印象的な回であり、それに対して11話でたぬキマリの「もう日向ちゃんは~」というセリフから、4~11話の間に4人が培ってきた時間や、その間の日向が笑顔だった時間をたぬキマリがすべて肯定してくれていて胸がいっぱいになる。この挿入歌は今作で最も好きな曲なのでぜひフルVerで聴いてほしい。「宇宙よりも遠い場所で 真っ白な世界を見渡して ここから始めよう」っていう歌詞が控えめに言って最高。
締めも最高で、
日向「ぶっ壊れるかもしれないぞ?」
日向「…そっか!」
すごく重い回なのにこんなに晴れやかな終わり方しやがって、最高かよ。なんかドラム鐘が鳴る音も良く出来てるし。
16:45頃 カップ麺作ってて、ドヤ顔で卵を持ち出すタヌキマリ
12話をリアルタイムで観たあとぐっすり眠れた人はいるのだろうか。この回だけはどうしても「一歩引いて観る」が出来なかったので、あまり参考にならないと思う。
4話で報瀬のことを「娘のことはよく知らない」とキマリに話していた隊長と報瀬の関係が9話で「距離がある」報瀬の思いを知り、12話で背中を押してあげるという流れに、隊長の不器用さがあって好き。隊長が報瀬に贈った「人に委ねるな」は「思いの強さとわがままは紙一重である」あるいは「吟の魂」に通じているものがあり、報瀬に自らを変えるよう強いるものではなく、むしろこれまでの報瀬を強く肯定していて、まるでお父さんである。
観測隊の中で最も貴子の亡霊にとらわれていたのは間違いなく報瀬だけれど、次点はきっと隊長なのだろう。だから、天文台予定地に到着して一人空を仰ぐ姿は表情が硬かったのは、隊長の隊長たる強さが報瀬との対比として描かれていて好き。
私が母を病気で亡くしたのは13歳の頃。報瀬家と違って、私の母は癌との闘病の末だった。だからある日いきなり云々というはずはないのだけれど、いかに当時の私の認知が強く歪んでいたかをよく覚えている。
母の闘病は数年続いていて、最初は仕事しながらの通院だったのが、ある日から入院に切り替わった。でも私は一度も病院にお見舞いに行かなかった。当時の気持ちを代弁するならば「ゆうてもしばらくしたら癌も治って、元気に帰ってくるんでしょ?お見舞い行ったら逆に心配してる感じがして恥ずかしいし、家でおとなしく待ってるよ」といったところだろうか。定期的に父から母の病状を聞くにつれ、徐々に悪化していることはわかったはずである。しかし当時の私にそういう認識は一切なかった。
ようやく私が現実を直視したのは、母が亡くなった日だった。早朝、父に叩き起こされて病院に向かう車の中で「眠い。こんな朝早くにお見舞い行って病院の人に怒られないの?昼に行けばいいのに」と心のうちにぼやいていたことを思い出す。横たわる母の手はまだ温かく、部屋は静かだった(心電図モニターのP音が鳴っていたはずだけれど)。もしあの時間がなかったら、私は今どうだったのだろう。報瀬は私が経験したあの、母の帰りを待っていた日々を過ごしていたのだ。
報瀬にとっての「母を待つだけの、いつもと変わらない日々」は、言い換えれば「何も変わらない日々という偽物の楽園」、あるいは「幸福のレプリカ」と言える(河野裕 著 「サクラダリセット」第5巻 ”ONE HAND EDEN”参照)。案外、それは心地よい。偽物だとうすうす気づいていたとしても、ついつい抜け出せないような依存性がある。だから、報瀬が母の元へ行きたくない気持ちが死ぬほど分かる。殊更報瀬にとって母の死という事実はとても辛く、同時に報瀬自身を孤独にすることになるため(父親がいないこともここにつながっている可能性アリ)、受け入れ難かったのだろう。だから報瀬は「母がもしかしたら帰ってくるかも知れない日々」という、幸福のレプリカから抜け出すことが出来なかった。
それを象徴していたのが「母あてに送ったメール」である。母がメールを読んでいる姿を想像すれば母を近くに感じることができるし、もしかしたら生きていて、メールを返信してくれるかも知れない。そしたらまた母に会える。この現実逃避は一時的に報瀬の心を満たし、現実を直視しないで済むための手段として、報瀬なりに編み出したのだろう。
そしてこの幸福のレプリカは本来、心の穴を一時的に埋めるための麻酔に過ぎない。報瀬は日々の中で本物の幸福を見つけて、入れ替わりに幸福のレプリカは役割を終えるものである。最初は仏壇に毎日拝んでいたけれど、そのうち回数が減っていって、最終的に全くしなくなる、というのに近いような。報瀬の場合も、時間が解決してさえくれれば自らの手で幸福のレプリカを破壊する必要はなかった。そう考えると、すべての原因は報瀬の孤独にあって、もし傍にいつも寄り添ってくれる友達がいたら、報瀬は母の死をゆっくり受け入れることが出来たのかもしれない。だからこそ、あそこまで来たけれど最後の一歩を踏み出せなかった報瀬のことをキマリたちが助けるという演出は彼女たち4人が培ってきたすべてが描かれている気がして、胸がいっぱいになった。
そして例のシーン。目の前で新着メールをひたすらに受信し続けるPCは、報瀬にとっての幸福のレプリカが音を立てて壊れていくことの具現、つまり報瀬のヨスガが失われていく瞬間である。直前の、母に向けて綴った報瀬の独白も相まって悲しみが天元突破した。そしてこれこそ彼女の望んだ「宇宙よりも遠い場所」に着いた瞬間を描いている。
「でも報瀬はもう幸福のレプリカと決別するために歩きだしていて、すでに本物の幸福を手に入れていた」という物語を、「母に宛てたメール」、「南極を目指すために稼いだ100万円」、そして「一緒に泣いてくれる友達」で語る演出はとてもじゃないが言葉にできない気持ちにさせてくれる。そんな、彼女の「動き出した時間」を、「太陽が沈んで初めて夜になる南極」という絵で表していて、こんなに綺麗な終わり方があるのだろうか、と思った。
キマリは本作では特に感情表現が豊かな子である。それに比べ報瀬は感情表現が歪であり、一見すれば報瀬はキマリと違ってクールな女の子のようにも見える(え?見えない?)。11話までの報瀬は、どんなきれいな景色や風景を見てもなんというか、感動しているようなしていないような、すごく微妙な表情をしているのだけれど、その多くは彼女の横顔である。そんな彼女の表情が、横断幕に書かれた報瀬の似顔絵に現れている。この横顔が12話で号泣する彼女の横顔と強い対比になっていて、この瞬間に彼女が得たものの大きさを感じさせる。
一方、6話の飛行機内でのシーンで報瀬はペンギン映画で号泣しており(本作で報瀬が号泣するのは1話トイレ、6話飛行機内、12話のアレ)、実は感受性の豊かな子であることが分かる(他にも感受性の豊かさを象徴するシーンはいろいろある)。
だからこそ12話で報瀬が泣く姿は本来の(母を失う以前の)報瀬を描いているように見えた。それは声からも読み取れる。中学時代の報瀬が母としゃべるシーンは本作を通して9話 12:30頃の回想で「でも行くんでしょ?」と母に話す一言だけ。今より3歳くらい若いせいか、少しだけ高く、そしてやや甘えたような声。12話で「お母さん!」とPCに向かって泣き叫ぶ報瀬の声はまるでこの声のように幼くて、まるで中学時代の報瀬が母に泣きつく姿のように見えた。冒頭の回想において3年前、一人で泣くことが出来なかった報瀬がこの日4人で泣く様子は、報瀬の成長と、報瀬が得た幸せと、動き出した時間を優しく描いていて大好き。
本当によく練られたタイトルである。5話では「じゃあな」と別れを告げためぐっちゃんに絶交無効を押し付けたキマリの歌であり、10話では「離れていてもつながっている」キマリとめぐっちゃんの姿を端的に表す「ね」の歌として、そして12話では、報瀬の心を捉えて離さなかった貴子を、その死を認識することでようやく別れを告げることができた報瀬の歌として演出されていて、色々すごすぎる。
2:00頃 報瀬が放球の撮影に来なかったので、代わりに出ることになりすごく張り切ってる(いつの間にたぬキマリ治ってたんだ)キマリ
今期のアニメは色々観ていたのだけれど、どれも面白い作品ばかりだった。でもあえて本作について書いた理由は便乗以外にもある。いちファンとして、作り手の思いに報いたいと思ったのだ。この感想を見た人が100人いたとして、そのうち1人くらいパッケージを買ってくれないかなぁ、そうなったらいいなぁ、というのが本稿の目的である。
私は本作に触れる以前にプロデューサー・田中 翔氏のインタビュー記事( http://anime.eiga.com/news/105638/2/ )を読んでいたのだけれど、その中で同氏は
田中:うーん。今お話したように、ビジネススキームが変わりつつある状況ではありますが、映像にお金をだしていただく、いちばん分かりやすい結果は、結局「パッケージが売れる」ことなんですよね。自分は、パッケージが売れないタイトルは、あまりやる意味ないと思っています――心の底では、ですけど(笑)。
とまで言っている。個人的に、良い作品であることとパッケージが売れる作品であることに強い相関があるとは思っていないし、そりゃ円盤はどの作り手も売りたいと思ってるでしょと考えている。本作についても初めは「私はこの作品が大好きだから売れなくても別にいいや」というスタンスだったのだけれど、Pの発言を思い出すうちに少し気が変わった。もっと作り手に「この作品を作ってよかった」と思って欲しいのだ。そして、このような作品作りをもっと続けて欲しい。贅沢な願いだけれど、この感想が一助になれば嬉しいな。
NURO光に繋がらない。
NURO光( https://www.nuro.jp/ )というのは通信速度が世界で最も速い事をウリにしたインターネットプロパイダで
webバナーや電車の中吊りなど物凄い勢いで広告を出しまくっているので見たことある人も多いんじゃないでしょうか。
速い速いと広告打ってるしTwitterとかで調べても「上下ともにめっちゃ速い!」って感じのクチコミが沢山あったので引っ越しを機に申し込んでみたんですね。
まったく繋がらない。
家の中に線を引き込む宅内工事と電柱から家に線を引き込む宅外工事の順番で工事する必要があるとの事で。
宅内工事に関しては申し込んだ工事希望日通りに来てくれたので安心してたんですよ。
工事のお兄ちゃんも「10日くらいで宅外工事の日程連絡来ると思うんで!」と爽やかに帰っていくし。
そしてそこから3週間。
回線工事のカスタマーセンターに電話するも1時間待っても繋がらない。
メールを送っても返事がない。
会社の昼休みにコールし続ける事3日目でようやく繋がりました。
電話口のお姉さん曰く、「宅外工事に関してはNTTの関連会社に業務委託していて完全にそちらの会社マターなので日程はいつになるか全く解らない。ただ、どれだけ長くとも1ヶ月はかからないと思うので…」との事。
引っ越してから既に1ヶ月半ネット回線無し…諦めてフレッツにするか…?と悩むも
やっぱり超高速回線は魅力だし…との思いで今しばらく待ってみようと決意。
その後更に1ヶ月半、音沙汰なし!
流石にお手上げなので区の消費者センターに相談した所、翌日即電話がかかってきました。
内容は「先週XXXX番に電話かけたけど繋がらなかったよ? まだ工事日解らないから待てるなら待ってて。無理なら解約でもいいから好きにして」
いやそのXXXX番は引っ越し前の回線で登録してた番号ですよね?
NURO光申込時には会員情報全部引越し先の内容に更新してから申し込みましたよね???
そしてまだ工事日解らないんですね…。
顧客DBの更新とか元請け〜下請け間の情報伝達とかカスタマーの人員とか
企業としてのシステムが本当にボロボロみたいですねNURO光。というかso-net。
結局未だに回線が来ないまま3ヶ月が経ち、モバイルルーターでの生活にも慣れてきてしまったんですが、似たような感じで困ってる人いるんだろうなーと思って増田に書きました。
NURO光から連絡が欲しかったらとりあえず最寄りの消費者生活センター(http://www.kokusen.go.jp/map/)に電話するのがオススメです。
※中古品は除く
※単体の「パソコン」として売られているものに限る(PCパーツやベアボーンキットのような半完成品は除く)
※日本国内で店頭販売されているものに限る(ネット通販や海外輸入品は除く)
ドスパラのスティックPCが現状もっとも安い(税抜き14,800円)と思われる
ASUS VivoBook E203NA(実勢価格25,000円前後)が現状もっとも安いと思われる
もしくはドン・キホーテのオリジナルノートパソコン、あるいは2in1パソコン(いずれも税抜き19,800円)だが、これらは在庫限りとなっているため確実に購入できる保証はない
私は大学院で自然科学の学問を専攻している.現在修士課程の1年だ.
でも本当は,そろそろ社会に出て,社会の一員として働いてほしいと思っているに違いなかった.
ちなみに,大学院進学以降は親の援助を殆ど受けていない.主に自分のバイトした金と貯金と奨学金で通っている.
博士課程に進みたい,そしてまだ社会に出れなくてごめんなさいと手紙に綴った.
その返事が今日届いた.
母は,自分の人生なのだから,自分の目指す方向に行くのが一番良いと書いていた.
「でも」と手紙は続いていた.
この間世の中のことをあまり知らずに生きてきたはずです.
何かに打ち込むのは素敵なことです.でもそれだけではいけないのです.
世の中のこと,遠い国でのできごと,自然災害のこと,
自分の狭い世界に引きこもって,そういう周りの色々のことに無関心になって,想像力を無くしてほしくないのです.
世の中がどうなろうと我が道を行く,そんな傲慢さを持ってほしくないのです.
自分の外の世界で変わりゆくものごとを,心に刻んでいってほしいのです」
そう書いていた.
母の言いたいことはわかる.正論だ.
そして図星だった.
私は世の中のことに関心がない.
いつも遠い星のことや目に見えない場所で起こっていることなどを考えている.
毎日たくさんの計算用紙に埋もれ,パソコンのモニターを見つめて,
そうしていると時間が,日々が,あっという間に過ぎ去ってしまうのだ.
それでもまだまだ足りないと,切実に思う.
でも,何かの片手間に適当にやっていたら,何にも辿り着けないと思うのだ.
この余裕のない毎日に,別のことに関心を持つすき間が一体どこにあるというのだろう?
母の言うとおり,
世界には困っている人がたくさん居て,たくさんの悲惨なことが起きている.
そして私は,人の役には立たないことに毎日夢中になっている.
母が望んでいるような,世界のできごとにちゃんと関心を持ち,社会性を保ち,人の役に立つことをする
そんな人間にはなれなかった.
そして,一番ショックを受けたのが
そういう立派な人間になろうという気があまり起きない という自分自身の気持ちだった.
当り前すぎてバカにされるかもしれないが,
私は困っている人が目の前に居たら助けるし,席もゆずるし,犯罪を犯したことはないし,人を騙したことはないし,ズル休みだってほとんどしたことがない.
贅沢だってしていない.
まっとうに生きているつもりだった.
それで,今やっと好きな学問を見つけて,それに打ち込んでいるだけだ.
私の人生なのに,これだけじゃいけないのだろうか?
母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,
頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.
私はどうやって生きていけばいいのだろうか?