はてなキーワード: マダムとは
世の中、力仕事や汚れ仕事(犯罪じゃなくて下水関係とか)も色々ある訳じゃん
筋力や体力は道具や機械で補えるかもしれないけど、積極的に自分からそういう仕事に就く人って男女問わず少数派でしょ
女性だけで回すとなると、単純にそういう仕事に就く人が半分以下になる訳だから、絶対に人手不足で回らなくなる
これをどう解消していくつもりなんだろう?
カースト的なものを作って、低層の女性労働者を強制的に力仕事や汚れ仕事をあてがう?
この場合は、力仕事や汚れ仕事に回された人達の不満をどうやって解消するか? という課題が発生する
MM2のマダムマッスルじゃあるいまいし、よそから男を奴隷としてとっ捕まえてきて力仕事、汚れ仕事をやらせる訳にもいかない
将来的にロボットがそういうのやってくれるようになるかもしれないけど、今はまあ無理だよね
小6 なりたい職業
【男の子】
研究者 並
ゲームクリエイター 並
教員 並
エンジニア 並
建築家 並
公務員 並
【女の子】
教員 並
保育士 低い
看護師 並
パティシエ・パン屋 低い
薬剤師 並
なんでだろうなあ
男の子のなりたいものって「そんなのなれるわけ無いでしょ(難しいから)」
だけど
女の子のなりたいものって「そんなのなれるわけ無いでしょ(低賃金過ぎて)」
っていうイメージ
__
女性が好みそうな職種が安くなりがち現象って、割りと無視できないと思うんだけどな
__
なんか伸びたからもうちょいちゃんと見てみる
参考資料
http://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kodomoseikatu_data/2009/hon4_2_04.html
保育士、薬剤師、栄養士、カウンセラー、飼育員、理容師、デザイナー、ファッション、漫画家・イラストレーター、パティシエ、ペットショップ
差分はここらへんかな
うーん
確かに、女性が多い現場→自ずと非正規が多くなる→低賃金化 みたいなことはあるのかもなあ
でもそれ以前に、飲食・理容師・デザイン・保育・アパレルなど、業界構造的に低賃金化しやすい職業を好んでる気が
これらに何か共通点があるのか?
https://togetter.com/li/1182893
異世界を描くにあたって現実世界と違う文化や小道具を出してそれを表現するのは効果的だ。だから『JKハル』においては書き出しでコンドームが草だということにハルが草を生やしている。
あたしがこっちの世界に来てまず一番ウケたのが避妊具が草ってことで、「やべ、草生える」って爆笑したら、「生えませんよ」とマダムは真顔で言った。
「スキネ草も知らないの? もうかれこれ30年も前に錬成されてこの辺じゃどこの薬草屋にも売ってるけど。ずいぶん田舎から出てきたのねえ」
スマホどころかネットも電話も、そもそも電気もねぇ車も走ってねぇの世界の人によりにもよって田舎呼ばわりなんて、東京のみんなマジごめん。都市辱だよね。
避妊具が草という異世界の文化が示され、ハルが「草生える」という日本のスラングで応じる。するとマダムに田舎者扱いされてしまう。異世界より文明の進んだ東京から来たというのに! この異世界と現実世界の文化が二度にわたって対比される冒頭は、普通に読めば相当ウィットに富んでいると思うが、しかし山本はここを無視してシャワーがあるというだけで異世界的想像力に欠けていると文句を言う。難癖もいいところであろう。
問題は書き手の側が、「異世界は現実世界と変わらない世界でなくてはならない」という不思議な信念に捕らわれてるってことなんだよな。そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに。
「そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに」と言いつつ、他作家をそんなマイルールで縛ろうとし、不自由を強いてくるのは何なんだろうか? 自分が勝手に自分の作品にそれを課していればいいだけであって、それをもって「想像力貧困な小説」だと他作家の作品を批判するのは筋が悪すぎる。
山本は「わざわざ異世界に行く必要ないんじゃね?」と言うが、『JKハル』が異世界に行くのはもちろん理由がある。
ひとつは、「過酷な男尊女卑の世界で東京JKが娼婦となってサバイブする」というシチュエーションのためだ。これを現実世界でやろうとすれば両親の存在や児童養護施設といった社会的セーフティネットを何らかの形で消化しないといけないし、ハルは18歳未満なのでソープで働けないという問題もクリアしないといけない。自らウリをやるか非合法施設で働くとかそういう話になるが、そんなことを話の俎上にあげれば『JKハル』の主題からどんどん離れていってしまう。『JKハル』が描こうとしている話をやるためには誰もハルを助けてくれない異世界に放り出されるのが手っ取り早くかつ妥当なのだ。
理由はもうひとつある。それは『JKハル』が異世界転生モノへの批判と愛を内面化したメタ小説だという点だ(と書くと、「異世界転生モノを馬鹿にしているのか」とか「異世界転生モノをメタったなろう小説はいくらでもある」とか怒り出すやつがいるが、別にそういう話はしていない。『JKハル』もまたメタ異世界転生の要素をもった作品で、その消化の仕方が独特だというだけである)。これは読めばわかるし、既に指摘した感想なり論考がネットにあるため詳しくは解説しない。
せっかく異世界なんだから、魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックスとか、いくらでも突拍子もない想像力あふれるセックスが描けるだろうに、何でこんなつまんない当たり前のセックスばっかりなの?
これこそ山本弘の「想像力が貧困」で、かつ『JKハル』が描こうとしているものをまったく理解できていないことを自ら告白する一文であろう。
『JKハル』を読めば誰もが当たり前に理解することだろうが、あの作品は別に「魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックス」を描こうとしていない。そんなことを言い出してしまうのは戦国時代にタイムスリップする話は常に現代兵器を持っていくべきなどと言うぐらいおかしな話であって、別にそういう話があってもいいが、全ての作品がそうあるべきと言ってしまうのはただの暴論だ。
『JKハル』におけるセックスは、暴力的で抑圧的で一方的なコミュニケーションの象徴である。男尊女卑の行き過ぎたあの世界で、多くの男性客はハルを含む娼婦に暴力的なセックスをする。実際に暴力を振るわれることもあるし、もっと屈辱で悲惨なことさえ起こる。しかしハルやあの世界の女性たちは挫けず前向きに生きていこうとする。あの作品にセックスが描かれるのはそういう意図から発したものであって、かつその構図を純化して描くための異世界でもあるのだ。
また、ここで言明しておきたいが、男は常に悪者とかそういう話ではない。
『JKハル』が批判的なのは、他者を理解しようとせず一方的なコミュニケーションを取ってしまう者であってそこに男女の区切りはない。
物語の序盤では話を聞こうとしないシスターにハルがめんどくさそうな態度を取るし、何よりハル自身が、もうひとりの主人公とも言える千葉に対して無理解であり、そのことを別の女性キャラクターに指摘されるくだりがある。『JKハル』が主人公や女性をひたすら称揚し、男性であるというだけで批判する話でないことは、念のためここに付記しておく。
いつ異世界転生小説は現実逃避小説であると決まったのか。またそうであったとして、異世界を舞台に現実と戦う小説を書いてはならない理由はなにか。
「SF」の古典に未知なる想像力を描いた作品があることは疑いようのない事実だが、それをもって「SF」は常に未知なる想像力を描くべきというのは暴論だろう。
また、未知なる想像力を描いた「SF」や現実世界とは違う異世界描写をした「ファンタジー」が素晴らしいというなら作品で訴えてこそ作家ではないのか。それを広く世に示す作品が書けず、あまつさえ他人の作品の狙いや意図を理解せずに古典的名著を棍棒にしてただ殴りかかるのであれば、山本には小説家としての矜持と能力がないと言わざるをえないし、作家としての筆を、今すぐにでも折ったらいいのではなかろうか。
それにしても、一方的なコミュニケーションに批判的な視座を持つ『JKハル』に対し、作品を理解しようとせずマイルールを押しつける山本弘は、作中2話に出てくるモブおっさんそっくりで、非常に皮肉が利いている。
飲食店でバイト始めた時にお客さんの服がお洒落だったから「素敵ですね」とかって褒めたら後で店長に、褒めた場合でも失礼に当たることがあるからやめるようにと言われた。「なんでお前なんかに評価されなきゃならんねん」てことなんだと思う。多分年齢的な問題もある。例えば旅館の女将(50代)が30代の女性客に「素敵なお召し物ですね」なんて言うのはアリかもしれないけど、ハタチそこそこの仲居さんが40代のマダムに「おしゃれですね!」とか言ってしまうのは大抵ナシなわけ。増田は結構若いんじゃない?
私も男友達に「なんでそんなに上から目線なの?」とか言われたことあって、全然そんなつもりはなかったから驚いたことがあるのでめっちゃ増田に共感する。周りの人は自分より相当謙虚な目線で暮らしてるってことを理解して、他人についての評価的な発言は控えるとマシになると思う。
コン、コンコン
コロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
久しぶりに、「石を蹴りながら家まで帰れるか」という挑戦を、23歳の男が挑戦していた。彼はそこそこ貧乏な地方で、生まれ、東京の院に出て、バイトの帰りだった。
研究ばかりで滅多に着ないスーツに袖を通し、ネクタイが首元を締め付ける。
少し気持ちがこそばゆい。まるでコスプレをしているかのような、そんな恥ずかしさ。
ちょっと格好をつけたくて2年前に買った、15万円の高級ブランドのバッグを振り回す。
価値を振り回す。
なんとなく、高い服を持っていると、少し強くなれた気がして、高い物を良く買った。
けれど、そんなカバンの値段も、もうとっくにどうても良くなってしまっていて。
生活からは、逃げられない。愛用していたリュックがほつれてから、あたらしいリュックを買うのが面倒になって、業務スーパーで買った87円のカップラーメンが、高級ブランドに詰め込まれていた。
夏休み前の終業式の日と同じように。
コンッ
コロコロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
大きく石を蹴り上げる。
ガッ
ザザザーッ!
茂みに、石が迷い込む。
どこだどこだ。と、必死に石を探す。
一瞬頭によぎるが、どうでもいい。
また汚れる。せっかく昨日洗濯したのに。
また、別の石をみつけて、蹴って帰ればいい。
でも、「あの石」じゃなきゃ、だめなんだ。
「あの石」じゃ、なきゃ。だめなんだ。
「ワンッ!」
後ろで犬が吼えた。
振り返ると、やけに足の長い犬。ドーベルマンか何かだろうか。
犬を連れている、品の良さそうな婦人が怪訝な目をして俺を見る。
地方都市の自分の家のまわりでは、当時ダックスフンドが流行っていたこともあり、足の短い犬が多かった。
高級住宅街に住んでいるマダムがつれている犬は大体3匹くらいいる。
高級住宅街に住んでいるマダムのかけているサングラスは大体でかい。
このことから推察するに、ドバイの石油王は足の長さが2mくらいの犬を複数連れ、やたらデカいサングラスをかけてると思われる。
「ワンッワンッ」
足の長い犬が俺を更に威嚇する。
マダムも怪訝な顔で俺を見る。
当然だ。大男が草むらを必死に漁っているのを見れば、マリファナでもやってんじゃないかと思うだろう。
俺は少し恥ずかしくなって、それでも、あの石を探すことはやめられなくて、ガサガサと茂みを漁った。
似たような形の石が何個か落ちてる。見る。違う。見る。違う。
あっ…
「あった。」
声に出す必要のないことを声に出す。
少し赤みがかかった、ゴツゴツとした5cmくらいの石。
蹴っていくにつれて角が丸くなっていったから間違いない。
これが、俺の「あの石」だ。
道路に戻して、もう一度石を蹴りながら帰り道を歩く。
鈍くひかる黒の革靴に、少し傷がついていくのがわかった。
意味がない。
不審者だ。
何の生産性もない。
けど、やめられない。
コンッ
コロコロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
石が転がることで刻む一定のリズムが、何かの鼓動音みたいだな。とか、そんな妄想をする。
あの頃と同じように、あの頃と同じように振舞おうとする自分が、
すっかり大人になってしまって、それでも大人に染まりたくないと思う自分が、
それでもやめられなくて
流れていく時間や、義務や、役割。の、何かに抵抗するかのように、
石を蹴り続ける。
荒々しかった石の角は、少し丸くなっていた。
「ワンッ」
遠くでまた、あの足の長い犬の鳴き声が聞こえた。
高級住宅街に住む犬の足は、長い。
表題の通り、5歳の息子が最近の戦隊モノにすっかり熱を上げております
寝ても覚めてもタマタマキューキュー
買い物に出てもタマタマキューキュー
あのね、お外ではあんまりそのお歌は歌ってほしくないな、と優しく諭しても無駄でした
自分のタマタマと呼称が近いことにも気づいてしまったのでしょう
お風呂の中でもすっぱだかで腰を振りながらキューキュータマタタママキューキュー踊っています
そんな姿を見てか、妹すらもわたしもタマタマが欲しいと言い始める始末です
ほしいのがキュータマなのかそれともタマタマなのか恐ろしくてそれ以上は聞けませんでした
夫は私の気持ちもしらずに子どもたちと一緒にタタママキューキュー踊っています
いつかこいつのタタママキューキューいわしてやるから覚えておけよ
せめて人前でタタママキューキュー歌わせることだけでも止められないものでしょうか
○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(一つ)、卵、大根と水菜のサラダ、豚肉とエリンギ炒め(自作)
○間食:サプリメント(マルチビタミン&ミネラル)二粒、ソフトクリーム
○調子
はややー。
●3DS
○ポケとる
ただ、今日は7個取れた、無料サービス範囲内でSを取ってないのは、残り4つなので適度に頑張ろう。
ただ、基本的にボコボコに負け、勝ったのは連敗すると出てくるNPCにだけ。
カプ・コケコが強いねん。
○ガンストリンガー
今日は二人目のボスである売春婦のマダムを倒すところまでプレイ。
操作に飽きてきたなあ、と思うと新しい操作が出てくるので、飽きずに続けられているし、
ワニの人形とセックスする木こりの人形を見てドン引きする実写のお姉さんとか、もう今後このゲーム以外で表現されない描写だよなあ、とか思いながら笑い転げてた。
○朝食:なし
○昼食:味噌カツ定食(ご飯、みそ汁、サラダ、卵焼き、漬物、味噌カツ、コーヒー)
○夕食:ご飯、納豆(一つ)、減塩野菜たっぷりみそ汁(フリーズドライ)、卵
○間食:サプリメント(マルチビタミン&ミネラル)二粒、柿の種
○調子
はややー。
仕事は順調にこなしたので、定時帰り。
来週は忙しくなりそうな感じなので、明日と明後日も早く帰って英気を養おう。
●3DS
○ポケとる
対フェアリーは要因が揃ってきてる上難易度が低かったので、かなり余裕だった。
イベルタル強化でテンション上がり、対人戦に行くも、カプ・コケコがすり抜けあるのすっかり忘れててあっさり負けた。
やる気失せた。
○ガンストリンガー
残るボスは、サムライ、ブードゥー教の巫女、マダムの3人かな、ラスボス的なのもいそう。
レールシューティング(ゲーセンによくある鉄砲のゲームみたいなのね)のノリかな? と思ってたけど、
進めて行くと、プラットフォーマー(マリオみたいなやつ)みたいになったり、近接戦闘モードになったり、横シューティングみたいになったりと、ハチャメチャな感じ。
シナリオも要するに「俺を殺した悪いやつらに復讐だ!」というシリアスなスタートのわりに、コメディというか
メタ的な「人形劇を見ている実写の人」が登場したりして、笑える感じで楽しい。
特に笑えたのが、ボスを倒すときにプレイヤーである僕が操作しているガンマンの人形の攻撃じゃなくて、
僕自身の腕で攻撃するため実写の腕が出てきてボスを叩き潰すところ。
「そんなんありかよ」とニヤニヤしてしまった、このゲーム作った人の笑いのセンスがしっくりくるかんじだ。
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
暑い。
先日、件の「友人」の妻と朝食会をした。
ちなみに私は、朝昼晩のどれよりも朝豪華であることが、一番コストパフォーマンスがいいと思っている。
子ども達を送り出した後の女たちがカフェでお茶を飲んでいたとしても、
くれぐれも有閑マダムなどという偏見の目で見るのはやめて頂きたく、
むしろ、安上がりな地域活性化法を実践しているという風に思って頂きたいのである。
以前として朝は起きないのだそうだ。
そして、ようやく起きてきたと思ったら、
頼んでもいない家事をいそいそとして、
あげく、「間に合わない間に合わない」とイライラと出て行くのだとのことである。
「この朝だけで、「リ」ではじまる三文字が妻の頭をよぎっていることなんて、
想像も及ばないんだろうね」、と言うと、友人の妻は紅茶を啜りながら遠くを見つめた。
(本気だ)
と私は、それを見て震えたけれど、
私が震えたところで、どうなるものでもない。
「今頃、満員電車の中で朝から家事をした自分に酔いしれているんだろうけど、本当笑っちゃうよね。
物事には優先順位があるっていうことが、全然わかってないんだから。」
そうなのである。
永遠に終わりのない家事を、決められた時間の中で「満足」に進めるには、
「その時間に最もやらなければならないこと」に注力する他にないのだ。
お客を迎える時であれば、そうじが、
次の日でかける予定があれば、洗濯が、
優先順位の一番最初に来て、それが終わらなければ、何をやっても「満足」には至らないのだ。
そして平日の朝の第1位は、言うまでもなく「子ども達の支度」なのだ。
朝食を食べなくても、歯を磨かなくても、忘れ物をしても、学校生活に支障が出る。
学校は、子ども達の最初の社会であって、きちんと送り出すのが親の務めだ、
だからこそ妻は、自分の髪を振り乱して子ども達のお尻を叩いているのだ。
そんな時に、頼まれもしないのに、風呂を磨いている場合ではないのだ、「友人」よ。
それより、一度でもいいから完璧な状態でコーヒーでも啜りながら子ども達を起こして、
明るく朗らかに一日をはじめてはどうなのだ。
「それにね、起きられない理由が、ほんと、噴飯ものなんだよね。」
と「妻」は続けた。
私は、飯ではなくコーヒーを吹き出した。
大の大人が怖い夢を見たので起きられない、という理由がまかり通るならば、
水面下の大人の努力で成り立つ学校生活というものは、即座に崩壊するのだよ。
あんた、人を育てる気あるのか。
そんなわけで、「友人」家の受難は続くようだが、
まだ若者の範疇だけど、そろそろ女の子とも言いがたくなりつつある。
世にはアラフォーでもまだきれいなかわいいお姉さんって感じの人がたくさんいるし、
わたしもまだまだお姉さんで通る見た目だと思う。だってまだ23だし。
でも確実に老いは来る。そして、それに抗って若い見た目を保つ努力はめんどくさい。
おばさんは嫌だ。ババアになりたい。だから、見習いババアを自称しはじめた。
わたしの母親は適度にズボラで適度にサバサバしていて、いいババアみを持っていると思う。強烈な天然パーマもババアみにちょっと寄与している。
ただ、外見にはそれなりに気を使っているし、気遣いもすごくできるし、ババアっていうかマダムって感じ。
最低限の気遣いやマナー、身だしなみも生きていくうえですごく重要だと思うけど、マダムというのもなんだか癪である。
近所のガキどもにババアと呼ばれて慕われて、そのたび「ババアとはなんだババアとは」ってがなるけど怒ってはいなくて、だから子どもたちもババアって呼ぶのをやめないみたいな。
喧嘩している子がいたらかっこよく仲裁してやったり、休みの日には宿題教えてやったりとかして。
その子達の親が「○○さんに向かってババアなんて失礼でしょ!」とか言ってたら「ババアはババアだからそのままでいいんですよ~あ、でも他のババアのことはババアって呼ぶなよ!」とか言いたい。
こないだ同僚と小学校に面した道を歩いていたら、校舎から数人の少年たちがこちらへ手をふってきた。
「おーい!おばさーん!!」
「そこの、道を歩いてるお、ば、さーん!」
「2人組のおばさーん!」
「買い物袋持ってるおばさーーーーん!!おーーーい!!!!」
私は27歳、同僚は25歳の妙齢ということもあり、
思いのほか腹が立ったので、完全無視をきめこんで会社まで帰った。
会社に戻って別の同僚にむかついたわーと話していたら同期の男がやってきて
「別に俺はおじさんって言われてもむかつかないよ?」と嘲笑まじりに言われたんだが、
おじさんとおばさんって語感が全然ちがうように思う。
「かっこいいおじさん」とは言っても
「きれいなおばさん」とは言わない気がする。(きれいな女の人、とかいう)
マダムみたいなやつ。
<追記>
念のため書いておくと、少年たちは校舎の窓から顔を少しだけ除かせながら、明らかにからかう目的で叫んでいました。
勘違いとかじゃなく、ほんとに。
子供たちが見知らぬカップルとかに「ラブラブー!」等言って逃げたりするいたずらありますよね?そういうのと同じテンションというか。
(おばさんと呼びかけると相手が嫌がると分かっていてやっている雰囲気が伝わりました)
「chk925 ずっと大合唱していたのならそれなりの用事があったのではなかろうか。何故無視をしたんだろう。大人気ない。だからこそおばさん呼ばわりされるんじゃないの?」
このブコメ、まさにそれですよね。
"おばさん"って本当良い意味で使われないということが分かる。