はてなキーワード: ティーンエイジとは
人にオススメされたセレステ、とりあえずエピローグまで終わった。
エンドロールを見ているときの満足感がすごかった。やっぱこういうティーンエイジャーが悩みを超えていく物語は洋ゲーによくみる(※自分がプレイした中では)ストーリーでかなり好きだ。セレステの主人公マデリンはうつやパニック障害といった心因性の症状に苦しんでいて、自分を映し出す鏡であるセレステ山でこの悩みに立ち向かっていくことになる。
ゲームシステム自体はジャンプとステップを利用してステージをクリアしていくアクションゲーム。かなり死ぬけどすぐ手前から復活できて全くイライラは感じなかった。アクション自体は終盤まで対して変化しないけど、チャプターごとに独特のギミックが存在するので最後まで飽きもこなかったなあ。ステージの攻略には2段階あると思っていて、1段階目が解法をつくること。ここでジャンプして壁掴んでからステップを斜め上に入力・・・みたいな方針が立てば、後はそれを達成できるまで何度もプレイする。この考え方はAtCoder(競技プログラミング)みたいだな、とか感じたり。適切に解法を立てて攻略できたときに正解(AC)として認められる感じが。区切りの間隔が短いから途中まではできるのにどうしても最後のここで失敗する・・・みたいなことも無く、サクサクと集中してプレイできた。
ステージは一本道ではなく、高難度の寄り道があってクリアすると♡をもらえる。ただこの♡、集めてもあんまり意味がないみたいだからステージをしらみつぶしに探すのが嫌で積極的には集めなかった。そしたらチャプター8(エピローグの後の章)!!!!♡が無いとプレイできないっぽくね???特別集める必要はないんとちゃうんかい!!!!!!それだけ思いました。
ストーリーはざっくり言うとセレステ山の山頂を目指していくというもの。山登りは頂上っていうゴールが明確にあるからゲームのストーリーの柱として相性がいいなと思った。というのもストーリーだけで見ると「A Short Hike 」によく似ていたから。どちらも山頂に行くことで悩みを克服するんだけど、その悩みというのがA Short Hikeなら母親の手術、Celesteならパニック障害。どちらもなんかリアルで嫌な不安感でそれが山頂での景色を見たときの達成感を演出するためにものすごく効いてると思った。
エンドロールは山頂に到達した後のその後がずっと後ろに流れていて雰囲気がとてもよかった。ちょっと置いて行かれそうになった”もう一人の自分”が慌ててマデリンに走って追いつくところとかは、近付く別れを惜しんでるのかなとか考えてしまって悲しかった。エンドロールにこういったその後を描くのは「洞窟物語」と似ているな。自分が攻略したステージを背景に各NPCが思い思いに過ごしている様子はNPCとしてではなくその世界の住人として生きているようでなんか嬉しい。
チャプター8以降はやるか分からないけど、アクションとストーリーどちらもかなり好きなゲームだった。
Epic Games Storeの無料配布でプレイ
「この持ち方が正しいのは箸が食べ物を掴む食器としての役割があるからだ。その持ち方で支障ないって言ってるが、それじゃあゴマや小豆をつまめないだろ」
「そのあたりは掬い上げるような取ればいいんすよ」
「そんなことするんだったらスプーンでいいって話になる。刺し箸で食べる奴もいるが、それもフォークの方がいい。逆さ箸や合わせ箸とかだって衛生的に問題があるからだ。マナーとかそういうのを抜きにしても分かるだろ」
正しく持てている側だからポジショニングトークをしたいわけじゃない。
箸に限らず正しいのには理由があるが、個人的に無視していいこともあるだろう。
けれども“無視していい前提”で語ってくるなら、それはさすがに違うと言っておかなければならない。
でなければ、まるで正しい側が間違っていると認識されかねない。
「確かに、カジマのその持ち方は箸の機能をロクに使えていないね。数ある食器の中から箸を使う以上、ロクに機能を活かせていないのは合理的じゃない」
「それにマスダは作法を抜きにしてもと言ったが、実際は作法も大事だぞ。もし親戚が亡くなったとして遺骨を壷に入れる時、そのクセだらけの持ち方で本当に支障がないと思っているのか」
「えー、味方がいない。タイナイとウサクもそこまで言えるほど上等な持ち方じゃないっしょ!」
「まあ、それは確かに」
「む、よほどのことがない限り、他人にとやかくいわれる筋合いはないぞ」
「この持ち方は僕らの勝手だ」
「おいおい……」
でも直さずに生涯を終えられるなら、それはそれでいいとも思っていたりする。
たまに指摘された時にブーたれて切り抜けられるなら、そっちの方が遥かに楽なんだ。
だから“そんなの個人の勝手だろ”とか、“他人にとやかく言われる筋合いはない”と便利な言葉で突き放したがる。
「箸の正しい持ち方を教育したり、喚起したりするのは抜本的ではない。正しく持てていない者が現状たくさんいるのだから、システム側が現代の人間に合わせるべきだ」
「……なんだか含みのある言い方だな」
「だって個人レベルの問題を大局的な施政から解決しようってのは、むしろ遠回りだろ」
それに、皆やいのやいの言う割に“最も大きな理由”を隠そうとするのもヤキモキした。
「今さら箸の持ち方を矯正するのは面倒なんだよ」って言いたがらないんだ。
改めて考えてみると、俺たちティーンエイジャーの段階で1万8千回くらい食事をしていることになる。
その内の何割くらい箸を使っていたかまでは分からないが、1日に1回は使っていると見積もって約6千回。
いざ箸の持ち方を矯正するにしても、この6千回を取り戻すのは生半可なことではないだろう。
これの意味するところは、身も蓋もないことをいえば“面倒”という言葉に集約される。
だけど彼らがその言葉を使わないのは、それでは罷り通らないであろうと思える程度の通念はあるからだ。
事故で指を失ったとか、のっぴきならない事情で出来ないとかではない。
ただただ使いこなすのが難しい、今さら矯正が面倒くさいから、そのままでもいい理由にすがるんだ。
実際のところ、母の戦いがシックスティーンにどれほどの打撃を与えたかはハッキリしていない。
だが歴史の一ページを切り取るならば、この時シックスティーンは明らかに勢いを失っていた。
やることなすこと上手くいき、それだけで本が一冊書ける成功のノウハウが、現在では“しくじり”の見本市と評価されている。
前向きに解釈するにしろ、せいぜいリバウンドした人間のダイエットプログラム、メガネをかけないメガネ売りってところだ。
結局は客体、実績ってことなんだろう。
この戦いの有り様は、シックスティーンの栄枯盛衰を象徴していたのかもしれない。
その状況を何よりも痛ましく思っていたのは、シックスティーンでもラボハテでも、ましてや母でもなかった。
「やめろー!」
で、この時に現れた奴が、まークサい言い方をするなら母の“運命の相手”ってやつだ。
つまり俺の父だな。
「なに考えてるの! 危ないじゃない」
「危ないのは君もだろう」
「はあ?」
この頃の父は、なんというか……その……義侠心に溢れた若者というべきか。
根っこの善良な部分は今でも変わらないとは思う。
ただ、それを現実や他者とすり合わせるプロセスを、若気の至りでスキップしちゃうというか。
だからこそ、母が己の身体をいたわらないこと、復讐の不毛さ、企業間のしがらみ等など。
その辺りを全部ひっくるめて、いてもいられなくなったらしい。
「私の身体はほとんど機械だから、多少の衝撃はなんともないの」
「でも、心が傷つくだろう!」
自分の父親だから、あまり悪く言いたくはないんだが……クサいセリフだなあ。
「心が傷つく……」
だが意外にも、その言葉は母の心に響いた。
父がそういうセリフを真顔で言える若者だったように、母も同程度には若者だったらしい。
ただ、今となっては黒歴史らしく、この時のことを嬉しそうに語る母の横で、父はバツが悪そうだった。
あの時の父の絶妙な顔は、「バツが悪い」で画像検索したらトップで表示されるレベルだろう。
波長が合うってやつなんだろうか。
「君は人間でもあり、ある意味では機械ともいえる。個人的な復讐のために、サンドバッグのように機械が作られる。それを壊すのは何ともないのかい?」
「そっか、確かにそうだね。シックスティーンを倒すことばかり考えてて、そんなことを考えたこともなかったな」
父と言葉を重ねる度に、母の心境に緩やかな変化がおきていた。
“自分をヒトに戻してくれた”
この頃の思い出を、母はそう語っていたが、やはり父はどこか居心地が悪そうだった。
で、それを聞いている俺はもっと居心地が悪い。
すまないが、このあたりのやり取りは甘さと酸味に加えて痒みが伴うので省略させてもらう。
語り手として不甲斐ない限りだが、やはりティーンエイジャーの息子にはキツい。
お前よくそんな心構えで他人に原作無視するなって言えたもんだな??
今すぐネット回線切って、BD BOXのライブシーン連続再生機能で3Dパート全部見直してから書き込んでくださらない??
なにか? 2Dの方が「正解」だから3Dは「間違い」ってか! 何が「もーちょいアニメの方に寄せて欲しいですね」だ何様のつもりだ??
エルザ フォルテに丸パクリデザイン見せに行ったときの姫石らきの方がお前より慎み深いわ!!
そもそもね、この手の女児向けアニメって、2Dパートだとみーんな不自然なまでにぺったんこなまな板なのが、3Dパートだとティーンエイジャーらしい膨らみがあって、キャラごとにちゃんと大きさが違ったりするんだわ
なので僕は、3Dの方が精密な描写で2Dでは胸が削られていると解釈している。衣装の装飾だって3Dの方が細やかで2Dだと簡略化されてるしね
なのに元増田は削られた方の絵を金科玉条として、それを基準にして盛ってるだのなんだの言ってるわけだ
馬をモデルに鹿の絵を描くタイプの馬鹿か?? オーロラペガサスが馬だと分からないくらいの脳みそしてそうだな!!
あとね
アニメは集団作業なので、チェックを通って出てきた時点でそれは公式です
だいたいこの件みたいに内情が明かされなければこういう判断はできないんだから、視聴者はお出しされたものを受け入れるしかない
そもそも元増田にとっては設定画が唯一無二の正義なのか?? それ以外は劣化コピーなのか??
おつむの硬さがダイヤモンド並みだなお前! 石頭界のダイヤモンドフレンズだわ!!
何でもかんでも設定画の通りにできるんなら原画も動画もいらんわ!
そんなに設定と違うのがお嫌なら、今すぐお手元のBDを全部捨てて、作画資料の設定画を一生眺めていればいかが??
【追記】
何か勘違いしてるレスがあって「急に本題とは違う話したのは申し訳なかったなー」って思うのだけれど
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。
何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドをもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業に就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動に血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場、教育、そしてマンガアニメなどの趣味の世界。それぞれの世界で活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。
でもこの十年、状況は様変わりした。映画やドラマはフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。
そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力や地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業は女性に配慮し、女性を雇っている。日本の大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。
そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズムは帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判は的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さない私たちの習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判をスクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判を攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズムに親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイやラブライブのポスターへの攻撃、宇崎ちゃんのポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽な圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分を反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ。
だから「日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしかに私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業に無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本の資本主義社会は私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのにやぶさかでない。20年前の男性社会は私たちをお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たちが仕事に学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的な後ろ盾になってくれている。
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
なのに、フェミニストが自分たちの共感の埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性を嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴、高収入な男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富なタイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的なお墨付きを与える。収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しかし私たち現役フェミニストは、フェミニズムを忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣な言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?
あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的な権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来のフェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界をアップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心と暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。
もっと良い何かとはどんなものだろう?私たちが攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代の女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。
弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。
「映画というかドラマなんだけど、最近は『不夜城の女』とか観てるのん。ウチにくるお客さん韓流とか観る人が多くて、私も話題作りのためにねん」
水商売といっても色々あるのだが、具体的に何の仕事をしているのか、その人はハッキリとは言わなかった。
ナリからして、たぶんティーンエイジャーの俺には縁のない職種だと思う。
それを客側も知ってか知らずか、随分と勿体つけた言い回しで冷やかしてくる。
「チャージって知ってる?」
「何かを貯めるんですか」
「あらやだ、“タメる”だなんて」
こんな調子に尋ねてきては、こちらが何を言ってきても笑ってくる。
若い女性を「箸が転んでもおかしい年頃」なんていうこともあったらしいが、この客もそんな感じなんだろうか。
いや、どちらかというと“意図的にそう振舞っている”ように見える。
「このテの映画やドラマとか見てると、欲望系のビジネスは反社会的に思えるかもねん。だけどコンプラにはメチャ厳しいのよん。下手な上場企業よりマトモなのん」
「そうなんですか。どうも不勉強で……」
「はあ……」
この人はなんというか、『若い女性』というパッケージに『水商売』という香水をふりかけているようだった。
その人工的な匂いは、俺が未成年ということを差し引いてもキツい。
この人は多分、こちらがそう感じることを分かった上でやってきている気がする。
「ホホホ、ウッフンアッハン」
“ウッフンアッハン”って。
実際に言ってる人間、初めて見たぞ。
13人の客、その6人目は紺色のスーツを着ていた。
正確には“スーツを着ていた”というより、“スーツに着られている”感じだ。
もしかしたらスーツ買いたての就活生か、新入社員とかかもしれない。
「今さらながら『トラック企業に勤めてるんだが、もうコレラ厳戒かもしれない』観たんだ」
「トラック企業とかが話題になってた頃ですね、その映画が出たの」
「あんまり評判が良くないこともあって当時は観なかったんだ。結末にモヤモヤするとかで」
その客は映画について感想を語っていくが、それと同時に自分の仕事に対する価値観も吐露していた。
「一週周って、この映画にはリアリティがあるように感じたんだ」
その様子は達観しているというよりは諦念に近く、どこか物憂げな雰囲気を醸し出していた。
だが、それよりも気になるのは、この客のジェスチャーだ。
「企業をホワイトだとかブラックとかっていうけれど、仕事の在り方ってそんなに白黒はっきりしていないというか、マーブル調だと思うんだよ。そう思わない?」
「つまりケースバイケースとか、人によって感じ方が違うとか、そういうことでしょうか」
「う、う~ん、まあ、そうともいうかな」
こちらの顔をやたらと窺っては、こちらの受け答えによらず歯切れが悪そうに返してくる。
何の意図があってやってるのか、こちらを試すような真似をしてくる。
「映画とか、こういう腰を据えて時間を使う趣味はコスパが悪いかもしれないね~。最近そう思うんだ」
「そうかもしれませんね」
「うん……」
「……」
どうやら、この客は俺に何かを期待しているようだ。
それが何なのかは、ついぞ分からなかったが。
なぜ「教職員だった」ではなく、「教職員を自称する者」と表現したかって?
「へー」
「まあ子供にモノを教える立場としては観ておいて損はないだろうと思って」
「食育の中でも、命を食べることに焦点を当てた作品でね。子供に自分で考える力を与えている」
「はあ」
その過程で紡がれる言葉、振る舞い、価値観、どれをとっても教職員のそれだ。
上手く言えないんだが、俺が知っている教職員という人種は、もっと人間くさい生き物なんだ。
身なりは整えても高潔さとは無縁で、地に足が着いているから靴底は泥まみれ。
教職員といっても色々あるだろうけれど、現場で生きる人間は大なり小なりそういうもんだろう。
だが、その客は違った。
酷く不気味に思えたが、それでも俺は水飲み鳥に徹し続けた。
この客が実際のところ何者であれ自分には関係のないことだし、やることだって変わらない。
実際に教職員をやっている人間も、自分のことを教職員だと言っているだけの人間も、赤の他人である俺にとっては同じなんだから。
13人の客、その2人目は酒造りに関係した仕事をしているらしい。
この客もまた、本当に酒造りに携わっているかは怪しい人物だった。
「うーん観たことあるような、ないような……あらすじを言ってくれたら思い出すかもしれません」
「酔っ払ったサラリーマンが、特殊部隊とかヤクザ相手に大暴れする邦画なんだけど」
「すいません、その説明で思い出せないなら俺の記憶にはないです」
客は映画に出てくる酒が、いつも扱いが悪いことに腹を立てていた。
「映画業界の奴らは、酒を酔っ払って物語を動かすだけのツールだと思っている。酒には職人達の涙と汗が文字通り入っているのに」
客はそう愚痴りながら、酒の色んな種類や製造方法をくどくど説明し始めた。
「こう、素手でわさわさ~ってやるわけよ。衛生面とか気になるかもしれないけど、菌を増やすためにあえてやって「るの」
「はあ……」
「麹の近くには仮眠室があってね。具合を確かめるため、すぐ近くの部屋で寝泊りしているんだよ」
酒が飲めない俺は水飲み鳥になるしかない。
ティーンエイジャーが酒について言える事は限られている。
仮に飲める歳だったとして、この客はビデオ屋のバイトに何を期待しているんだ。
ひょっとして、現在進行形で飲んでいるんじゃないのか。
そう思って鼻をすすってはみたが、その客からアルコールの香りは漂ってこなかった。
むしろ酒を飲んでいてくれた方が納得はできた。
「酒税法も細かく設定されてる割には、みなし制度があったりガバガバすぎる。そのせいでストロング系とかの安い悪酒が出まくって、それを持て囃すアル中が蔓延って一般人を困らせるんだ」
こっちも今まさに困っている状態なんだが、この客には分からないようだった。
精神的が幼いとか、精神が幼くないとか、大人だとか、そういう言葉を使う人って疑問に思ったりはしないのかな?って思う
そもそも人格とは?精神とは?とツッコミたいがそれはひとまず置いておくとして、
“人類は永遠のティーンエイジャー” ってみんな知っている事だよね? 敢えてリアルでは口に出さないだけだと思っているんだけど、
よほど厳格な文化の国で育ったらばともかく、日本に生まれ、ネットの匿名性でみな思う存分、小中高生ムーブしてるやんけ
Vtuber や Vchat や MMO はそれに絵が付いただけじゃん?
リアルだとネットほどは小中高生ムーブはしないが、ただそれだけよね、身を守るために必要だから“取り繕っているだけ”
リアル・ティーンエイジャーとおっさんおばさんとの違いは正直なにもなくて
何かあったときの責任は経験のある年長者がとるべきってだけだよ
そして、責任が取れるかどうかって、そんなにふわっとしたものじゃないと思ってるんだよね
クレジットやローンなどの商品なんかもまさに信用あってこそよね
そういう認識を持って、精神的が幼いとか、精神が幼くないとか、大人だとかっていう言葉を使っているとは
とても思えないけれど、彼・彼女らがいう “大人”ってなんだろうね
興味はすごくある
それは今思えば、望まぬ妊娠や暴力に晒されんことを祈り、娘を想っての言葉だったのだろうが、いかんせん言葉が足らなさ過ぎる。
モーセの十戒の内容だけを伝えても、伝えられた相手がモーセがどんな人物か、聖書がどんな内容か、ましてや聖書の存在理由などを理解してくれるわけねーだろうが!という感想しかない。
なので、隠れてエロ本を読むエロガキのような感じで夢小説を読み耽っていた。
多分内容は理解していなかったけど「悪いことしてる」感がたまんなかった。
子どもなのでバレて怒られていたが、その場ではションボリして、隙を見てまた読む。また怒られる。
私は「R-18」と書かれていると「まだ18才じゃないからダメだ」と激裏ページに行かないような、正真正銘のエロガキだった。
親とかいう(兄と違い私は父親が違う説があるので、望んでかどうかは微妙だが)望んで子種をばら撒き、私を腹からひり出したという実績を持っているだけの他人の言葉を信頼して拠り所にするのは間違いだったなと、今になって思う。
父親は気分が向いたら暴力振るうわ怒鳴るわ嫌味言うわ、かと思えば私の尻を触るし、親戚もそんな感じだし、兄は胸が大きくなってくると揉んできたし、使用済みナプキン漁るし勃起したちんこ見せてくるし家事してる私にちんこ押しつけてくるし。
母親は祖母と組み、やれ話す言葉がいやらしいだの、着ている服が派手だの、下着の色までチェックされ、時には罵詈雑言を浴びせてくるし。
最悪アベンジャーズか?
「汚いわね、売春婦が着るような色の下着なんて着て」「お前の胸が大きいのはお前がいやらしいからだ」「お前の初潮が早かったのはお前がいやらしいからだ」
他にも色々あるけど、どれも自分の土壌を作れていないし知識も頭に入れてない子どもには、よーく刺さる言葉だった。
他にも近所のクソガキにレイプ未遂され、電車に乗れば痴漢され、小さい頃には誘拐未遂と属性てんこ盛りである。
こんなに意味ありげに羅列しといて何だけど、そんな感じだったからか、ぶっちゃけた所わかんないけど「私は恋愛をすべきではない」という気持ちが強く根付いた。
灰色のパーカーを着て、毛玉がついたバッツバツのレギンスを履く。
靴はかかと踏みまくったスニーカー。
たるみきった体にはいつからか脂肪がつき、鶏むね肉の擬人化になっていた。
それから家に引きこもり、オタクになり、サンホラを聴き、アリプロを聴き、謎にワンピースをディスり(今は大好き)、孤独にもだんだんと慣れ、「私はずっとこのまま親のスネをかじり、恋愛とかできずに生涯を終えるのだろう」と薄らビジョンを描いていた。
とかなんとかしてたら、高校あがってすぐお母さんが死んだ。
持病だった。
良くも悪くも人生の転機だった。
お母さんっ子のティーンエイジャーが早々に母親の死が受け入れられるはずもなく、Twitterでは荒れまくった。怒り狂い、なんにでもキレてツイートする日々が続いた。
こんな事になるのなら母親ともっと一緒にいればよかった。いっぱいお話すればよかった。いっぱいおいしいご飯を食べさせてあげればよかった。
鶏むね肉の擬人化は、自分を責める想いを、誰かを責める形で穴埋めしようとしたのだ。別にそれで自分はすっきり納得しないことを分かった上で。
「多分このままじゃダメなんだけど、時間が解決してくれたらいいな〜」
とか言って、夢小説を読んだ気がする。
内容はよくわからなかった。
彼氏ができたのだ。
私は超舞い上がった。ツイート頻度は減った。
でも今よりイキりまくった。
性器を押し付けられたり、とにかく性的なことを強要されないことが幸せすぎて「生きてていいのかな?」と疑問さえ抱いた時もあった。
これまでも何度か喧嘩もして、「どうしよう」と慌てた。
そんな幸せの解像度が上がる中、pixivで夢小説を読み直してみると、解像度が上がりに上がった。
ぎゃあ!!!!!これが恋か!!!!!!!人を愛する想いか!!!!!!!!
私はただ、愛して欲しかっただけなんだ…ってお母さん死んでから気づいたよ。隣にはもう彼氏しかいないよ。
そんなある日に「そういえば彼氏の言うこと、全部夢小説で聞いたな????????」という考えに行きつき、電流が走ったような気持ちを味わった。
「君の髪、綺麗なんだから手入れしなきゃだよ」
「この料理おいしいよ」
「お前は華奢で小さいな」
「可愛いね」
「その服、似合ってるよ」
「大好きだよ」
「愛してる」
一例でこんな感じである。
ヤバいな!!!!!!!!全部魔法のiらんどで!!!!HPフォレストで!!!!pixivで見たことあっぞ!!!!!!
それを彼氏に初めて共有しようとした時、「…そうだね、俺もリボーンで、ちょっとね」と少し切なそうに笑っていた。
お前もかよ。
本場のアメリカではティーンエイジャーがYoutubeやInstagramなどで陰謀論や白人至上主義にハマってしまうのが
問題になってるらしく、一番やってはいけないのはそれら陰謀論の頭ごなしの否定やハマっている人に恥をかかせることだとのこと。
より頑なになり注意してくる者を妨害者と見なしてシャットアウトしてしまうから。
専門家じゃないのでアレだが、シャットアウトされてないようだし「有益な情報」と自分が考えるものを伝えてくれたりなど
家族に隠さず世界平和のために戦っている状況みたいだから様子見でいいんじゃないの?
精神的が幼いとか、精神が幼くないとか、大人だとか、そういう言葉を使う人って疑問に思ったりはしないのかな?って思う
そもそも人格とは?精神とは?とツッコミたいがそれはひとまず置いておくとして、
“人類は永遠のティーンエイジャー” ってみんな知っている事だよね? 敢えてリアルでは口に出さないだけだと思っているんだけど、
よほど厳格な文化の国で育ったらばともかく、日本に生まれ、ネットの匿名性でみな思う存分、小中高生ムーブしてるやんけ
Vtuber や Vchat や MMO はそれに絵が付いただけじゃん?
リアルだとネットほどは小中高生ムーブはしないが、ただそれだけよね、身を守るために必要だから“取り繕っているだけ”
リアル・ティーンエイジャーとおっさんおばさんとの違いは正直なにもなくて
何かあったときの責任は経験のある年長者がとるべきってだけだよ
そして、責任が取れるかどうかって、そんなにふわっとしたものじゃないと思ってるんだよね
クレジットやローンなどの商品なんかもまさに信用あってこそよね
そういう認識を持って、精神的が幼いとか、精神が幼くないとか、大人だとかっていう言葉を使っているとは
とても思えないけれど、彼・彼女らがいう “大人”ってなんだろうね
興味はすごくある