はてなキーワード: アルバムとは
夏休みで初の金沢一人旅。昼間から日本酒真琴の飲み放題(超おすすめ、2,000円で地元の美味い日本酒が文字通り飲み放題) でいい感じになってちょっと寄ってみるか、蓄音器とか知らないけど自称音楽にはうるさいし、てなわけで割引250円で入ってみる。
順路は3Fからというので上がってみるとLP試聴コーナー。さあ本題です。LPって何があるのかな、クラシックと落語って図書館かよ、お、洋楽ポップスとかあるじゃん、、、そこからここが天国であることに気づくまでものの10秒。
日本でCDが発売されたのが確か1988年。ここのLPライブラリにはその前のLPしか聴く手段がなかった時代、80年代前半の作品がピンポイントで充実しまくり。あの小坊中坊時代の音楽聴くのにはレコードに針を落とす手続きが必要だった頃の再現。
と言うわけで聴いたレコード一覧。
The Styx / Kilroy Was Here (遊&愛のヘビーユーザーだったのに初めて2,800円払ったアルバム)
Men at Work / Cargo (Overkillのイントロで涙)
Journey / Frontiers
Billy Joel / An Innocent Man
Paul McCartney / Pipes of Peace (個人的にポールと言えばこれ)
Kenny Loggins / Vox Humana (!!!!!!)
Hall and Oates / Rock ‘N’ Soul Part 1
Queen / The Works
事故だった。
特別親しい訳ではないし、最後に会ったのはみんなで集まる成人式の時の同窓会くらい。
毎日会ったり定期的に連絡してた訳じゃないからなんとなくここにいて働いててみたいなことを成人式で知ってたまに中学の同級生って何してるっけ?って時に思い出すくらい。
全然実感わかなくて、棺の中の顔を見て寝てるだけだって思った。
授業中に大胆に寝てた寝顔と同じだった。
なんの実感もなく日常生活に戻ってしまった訳だけど、葬儀に行ったら自分は泣いちゃうんだろうなと思ってたけど泣かなかった。
もちろん悲しかったけど胸を張って仲がいいって言える関係じゃなかったから、ここで泣いたら偽善なのかなとか思って泣かなかった。
また実家に帰ってアルバムとか日記とか見たら色々思い出すんだろうけど。
告別式で手紙を書く?みたいな紙が用意されてたんだけど書けなかったからとりあえずここに書いておく。
中学の時はやんちゃでいじられキャラで、でも意外にも字がきれいで。
字だけはきれいだよねーって言ったの覚えてる。
お菓子が禁止されてた中学で大胆にもお菓子を食べていじられキャラだったからかいつも見つかって怒られてたね、自分の好きな部活のことはすごい饒舌に話してたね。
いつかみんなで遊んでた夜にいきなり家にきてすごいびっくりしたけどらしいなぁって思って笑ったなぁ。
私が関わってたのは実質三年だけだけれど1クラスメイトとしてこれからはたくさん思い出すことになると思うなぁ。
お疲れ様って言葉をかけるにはまだまだ早いから言わないけどいつかめっちゃ若い君と年老いたみんなで同窓会しようね!
だいぶ待たせちゃうけど待っててね!
FacebookやTwitterといったSNSが普及し始めて、卒業したらなかなか会うこともないであろう人とも簡単に繋がれる世の中になった。
関係が希薄になるといったデメリットもあるがなによりまたお互いの存在を認識しあえるというメリットはかつてにないものだと感じている。
そんなある日
ふとFacebookを見ていると、
A美は幼稚園から小学校まで同じところへ通い、家も近所だったため仲が良かった。
A美の家は小さなアパートに母親と弟の三人で住んでいた。母親が水曜日と金曜日は仕事で家にいなかったのでその日はその子から家に招かれまだ小さい弟の面倒を見ながら遊ぶ日になっていた。
一年生の頃は家でご飯を食べたりゲームをしたり、その下の弟と三人でA美が好きなままごとをしたりしていた。
2年になると、弟は保育園に行ったので2人で近くの山に木で建てた小屋を秘密基地としてそこで日が沈むまで2人きりでいろんな話をした。
昨日見たテレビの話やA美が好きなアイドルの話、大人になってからの話
サバサバした性格だったのでよくある大人になったら結婚してねっていうようなタイプではなかったものの、少なくとも僕としては2人で過ごす時間が幸せだった。
小学校3年生になった春、A美は突然母親の再婚でシンガポールに行くことになった。
A美「いつかまたここに帰ってくるよ。帰ってきて大きくなったらあの部屋で一緒に住もうね」
僕「うん。なにかあったら、なにもなくても手紙でも電話でも必ず連絡くれよ」
旅立ちの日、あまりに悲しくなってどうしていいかわからなくなった僕は父親に頼み込んで地元から成田空港まで送ってもらった。
何時発なのか聞いてなかったため、向こうより早く着いてしまったけど、
A美に昨日徹夜して書いた手紙を手渡しそこでお互い無言で握手をして別れた。
そんな過去のことを思い出して今彼女がどうしているのか気になった。
個人ページを開いた瞬間
愕然とした。
(下記英文)
2016/08/02
A美の弟です。
25歳で亡くなりました。
急にいてもたってもいられず東京から地元へ車を飛ばし、実家にあるアルバムに記載されていたシンガポールの彼女の自宅の電話番号に電話をした
弟が電話口に出て、事情を話すと弟は近々用事で日本に来るということだったので翌月都内で会うことになった。
弟は向こうも僕を覚えていてくれて
僕は何も声に出すことができなかった。
そして弟は
「実は来年、姉は日本に帰る予定だったんだ。日取りが決まったら真っ先にあなたに連絡したいと実家の電話番号が書いてあった冊子をよく探してたんだ。前にもらった手紙にあなたもずっと待ってるって書いてくれてたからそれが姉は嬉しかったみたいでずっと大切に持っていたよ。だから向こうに帰ったらあなたにあって、まだ約束を覚えてくれてたらあのアパートで一緒に暮らしたいと言ってたよ。」
胸が苦しくなった。
僕も約束を忘れてたわけではない、むしろいつもどこかに引っかかっていた。
シンガポールに旅立ってから僕は様々な人とお付き合いをした。今まで付き合った人たちは皆彼女にどこか似ていた。
今の彼女も5年の交際期間になりもうすぐ結婚しようとも思っていた。
A美は忘れてなかった。むしろその約束を守れなかったのは僕だった。
彼女がもうこの世にいないという悲しみと
僕は目の前の弟とその傍であの時と同じあどけない笑顔の彼女の写真にひたすら謝ることしかできなかった。
墓は地元に納められた為、命日の日は墓参りに訪れ、彼女が好きだった白い花を備えてそこでゆっくり墓石に話しかけている
昔秘密基地で語り合った話をしたように。
正直いうとここ数年のアルバムはほとんど流し聴き程度でまともに聴き込んでなかったです。
高校時代から10年近く聴き続けてきた思い入れもあり足を運んだ、という次第なのでそんな人間の感想としてみてください。
後半は懐かしのナンバーを今の編成でという内容。
色々と思うことがあるので箇条書きで。
・誕生というアルバムについてはアークティック・モンキーズのAM的なじっとり感があると思うけど、一般的にはどんな評価なでしょうか、ラストなのがもったいない良いアルバムです
・誕生からの曲は今のえっちゃん(えっちゃんとかいってキモくてすみません)のバンドが終わりに向かう放心状態感?とか哲学感?が現れてて、達観した感じにゾッとしました、素晴らしかったです
・後半パートが始まる前のスライドショーは辛かった。2005年~2018年までのチャットモンチーを振り返る内容。くみこんがいなくなる時のえっちゃん目が死んでた。闇堕ち。
・後半パートで全身白い服に着替えた2人が柔らかい光につつまれてる様は、正直お葬式的な雰囲気がありました…でもこれ絶対葬式じゃん!とは言えないギリギリのラインの演出で…これを考えた残酷な大人すごいな。
・どなるでんわどしゃぶり、さよならgoodbye、LastLoveLetter等疾走感あるかっこいいめの曲が立て続けに演奏されてました
・えっちゃんがついに涙を見せたのが真夜中遊園地の「どこに向かって行くのだろう何が真実なんだろう幸せが両手広げて抱きしめてくれるというのに」の部分だったのが辛かった、他にも泣き所あったと思うけどここなんだなっていう。
・東京ハチミツオーケストラ「そんなに甘くはないよって早く誰か教えてよ」とかサラバ青春「ほんとにこのまま終わりなのかってことさ」とか「大人になればお酒もグイグイ飲めちゃうけれどもう空は飛べなくなっちゃうの?」とかかつての自分達の言葉が今のバンドに跳ね返ってきてる姿は何か深い業みたいなものを感じてめちゃくちゃ泣いてしまいましたね。
・ラストはサラバ青春。あ、最後ギターひかないんだって思っちゃった。個人的にはひいて欲しかった…
途中にバンドサウンドの曲を立て続けにやったあたりから感じたんですが、かっこよくて楽曲で評価されるチャットモンチー、いわゆる世間的なギャルバンからの卒業みたいなものをバンドは目指してたと思うんですよね。懐かしい曲で盛り上がるより今を最高点としていたいような感じに見えたし。
でも可愛い声とキャラクターを持つえっちゃんが、かっこいいものに向かってひた向きに進む姿がまた更に可愛くて、健気で応援したくなる要素を持っていて、
(ヒットの為の何かしらの方針とかもあったと思いますが)結果はアイドル然となってしまったりバンドサウンドでかっこよく見せたりスタンスがよくわからなくなって、かつての若いファンは大人になるにつれて離れていってしまったような気がしました。
売れるって難しい。いや結果的に上手くいったからチャットモンチーは一時的にめちゃくちゃ売れたんですけれども…
あとは、あっこちゃんがすごく頑張って引っ張ってくれてた事も印象的でした。実は一番色々細かく考えて立ち振舞ってくれたのはあっこちゃんなんじゃないかな。すみません、内情はよく知らないですが。
結果的に終わりを迎えたけど、13年間バンドが継続してしかもラストライブを武道館で開催出来る事っていうのはそう簡単に成し遂げられる事じゃないので、それを人生の誇りとして胸をはって生きて欲しいなって思いました。ライビュでしたがめちゃくちゃ泣きました。ありがとうございました。
以上です。
チャットモンチーが「完結」する一方で、マスドレが今日7月4日、8年ぶりにオリジナルアルバムを発売した。タイトルは「No New World」
マスドレことMASS OF THE FERMENTING DREGSは知る人ぞ知るガールズバンドだ。厳密に言えば元ガールズバンドだが。
もともと3人の女性で構成されていたこのバンドは、11年前にEMIミュージックジャパン主催のオーディションにて高評価を受けデビューアルバム発売の機会を得たことで注目された。ナンバーガールを見出した加茂啓太郎が関わったこのオーディションは、特典としてこれまたナンバーガールのプロデュースで知られたデイヴフリッドマンと共にレコーディングが出来るというもので、ロキノン系ファンの関心を引くものだったのだ。
今はどうだか知らないが概してロキノン系ファンというものは、流行りものが嫌いだが権威主義的である。Mステ常連のバンドはリア充に食わせて、自分は雑誌経由で知ったビクターのSpeedStarやEMIのGreatHuntingが激推ししているバンドで洒落込んだつもりでいる。
当時はサカナクションや相対性理論がニューカマーとして取り上げられていて、マスドレ含めそんなバンドたちの曲を僕は下校途中にMP3プレーヤーでリピート再生していたものだ。
マスドレはデビュー前にドラマーが脱退したためサポートメンバーを迎えて活動していたものの勢いは衰えることなく、くるりのトリビュートアルバムに参加したり2ndアルバムを発表したりしていよいよ2010年にメジャーデビューが決まった。同時にサポートメンバーであった吉野功が正式にバンドに加入し、いよいよこれからと思った矢先、同年12月にギターの石本知恵美が脱退した。
ディストーションとディレイできらきらした轟音を体から絞り出すようにかき鳴らしていたそのギタリストは持病の治療のために離脱してしまった。「ひきずるビート」という曲にて歌われる
足を止めずにどこへ行くのか
ここがどこかも分からないまま
加速していくだけのビートに
いま、消えそうだよ
という一節が疾走感のあるバンドの雰囲気と相まって悲痛な叫びのように聞こえた。
オリジナルメンバーがVo/Baの宮本菜津子だけになったマスドレはぱたりと話題にあがらなくなった。追い討ちをかけるように一年後に吉野功もバンドから離れた。事実上の解散である。
バンドの持ち味である、こだまする様に響くギターとベースの音、牧歌的にもシャウトしているようにも聞こえるボーカル、破滅的な歌詞。それら全てがこのバンドが燃え尽きてしまうことを暗示していたかのように聞こえて、長い間僕はマスドレを聴くことを避けるようになってしまった。
チャットと同じようにマスドレもメンバーの離脱で空いた穴に悩まされたバンドだ。
チャットモンチーは2011年の高橋久美子の脱退でそれまでの様な活動ができなくなりさまざまなスタイルに紆余曲折した。マスドレは宮本菜津子が砕け散ったピースを少しずつ再構築していた。2組のバンドにとって時代は2011年で一旦終わっていて、それから2018年までの7年間は次の時代のための模索期間だった。
僕が好きだったのは3人のチャットモンチーであり、石本知恵美のいるマスドレだった。でももう全て変わってしまった。
マスドレの「終わりのはじまり」という曲にはこんな一節がある。
歩いて行けば
ここから続いていく道は
君の思い描く色に染まっていくよ
繰り返しているんだ
君もぼくも同じ今日のもと
バンドの解散はメンバー同士の別れではあるが、各メンバーのこれまでの功績と今後の活動は同一線上にあって決して分断されない。別れや出会いで区切られているように見えるだけ。「No New World」"新世界ではない"というようにマスドレはメンバーが変わっても、かつてと地続きで繋がっている。
僕はチャットモンチーのメンバーがすっぱり別れていくのを見届けるため「誕生」をちゃんと聴き直したい。
そして戻ってきたマスドレを迎えるためにはやく「No New World」を聴きたい。
前に、テレ東の「家、ついて行ってイイですか?」って番組で20代で鼻にガンができた子が言ってたことをふと思い出したんです。
その子は看護師で渋谷のハロウィン騒ぎの中でテレビに声かけられてて、見た目は普通にパリピで。
でも鼻にガンがみつかって、顔に残るような治療もしなきゃいけないみたいな話してて。
でその子が「病気が見つかってから他人のSNS見てたらすごくモヤモヤするのを感じて、あ、もしかしたら今まで自分がしてた投稿を見てこういう気持ちになってた人いたのかなって思ってSNSやめて部屋に写真飾ってる」的なこと言ってたの思い出したんです。
私の場合、主にやってたのはインスタなんですけど、よく考えたらなんでインスタやってんだろうとか思っちゃって。
正直、幸せな投稿ばっかだし、私も幸せ(そう)な投稿ばっかしてるし。
幸せな投稿見て幸せになるかっていったらならないんですよね、正直。
でこれに気づくと、あ、私嫌なやつだなとか思っちゃって。てかめんどくさ、って思っちゃって。
勢いでアカウント消して2週間経ちました。
今はその女の子みたいに部屋に写真飾ったり、アルバムに入れたりしてます。
これが良かったのかは分かんないけど少なくともインスタやるメリットは私には無かったと思うし今後やる予定もありません。さよならインスタ。
今すぐTelegramに移行しろ
以下にLINE, Telegramそれぞれの良い点と悪い点を列挙する。
以下にTelegramが優れたコミュニケーションツールであるかご理解いただけると思う。
皆が一斉にTelegramに移行すれば全員が幸せになれる。
みんなで幸せになろ……?
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LINEのいいところ
LINEのクソなところ
Telegramのいいところ
Telegramのクソなところ
こないだ同居人がウイルス性胃腸炎になった。旅行から帰宅した朝に気持ち悪いと言いだして横になったかと思うと、トイレへ爆走し、前夜に食べたタイ風から揚げやモンゴルパンの残骸を吐いた。その一連の動作のすばやさは初期ミスターポポを思わせるほどで、これは大変だと駆け寄り背中をさすったところ、「さわらんでぇ!」と渾身の北陸式ノーサンキューを受けた。気持ちはわかる。吐いてるときに背中をさする人のおせっかい感はピンクフロイドのアルバム「おせっかい」20枚分くらいに相当する。しかたなく水を持って後方待機していると、彼女の全身は嘔吐の瞬間、筋肉が隆起してビキビキになっていく。全力だ。もうめちゃくちゃに全力淑女だった。さっきの韋駄天のごときスピードも考えると、異常な力を発揮している。思えば人間は「なにか」を催してしまったとき、このような通常の範疇をこえた力を出すことがある。そうやってこの緊急事態に立ち向かうのだ。「なにか」は三種に分類され、それぞれ「うんこ」「おしっこ」「ゲロ」である。催し界の三強。というか催し界はそれ以外にいない。この界隈は衛生陶器業界以上の完全なる寡占市場である。かくいう私もこのビッグ3には幾度となく辛酸をなめさせられてきた。特にうんこである。私にとってのうんこは錦織選手にとってのジョコビッチに相当する(だいたい負ける)気まぐれな小悪魔うんこにより私の自尊心は何度もズタズタにされ、何枚ものオキニパンツたちが葬られてきた。つまり私はうんこに辛酸をなめさせられてきた。そう、私はうんこの辛酸をなめてきた(!)あるときは花園神社の境内でむせび泣き、あるときは仲間たちの嘲笑を受けながら学校のトイレにこもり、あるときは家でも寸前で間に合わずカーペット張替えの大惨事をひきおこしてきた。そのときそのときは全力で最悪を回避すべく尽力したが、私は非力だった。彼女のように人の心を捨てミスター・ポポと化してもどうしようもならないことはある。ビッグ3は強大だった。催し界のチャンピオンズリーグを制すには身体能力以外の力が必要だったのだ。私は年2・3回の戦いをコンスタントにこなしながら、ついに王座を奪取するたったひとつの力を知る。それは、「決断力」だ。「決断力」とはなにを「決断」するのか。それは開き直ってクソをすることである。もうただその場でクソをするのである。おしっこならサーモスの水筒へ、ゲロなら弁当箱に突っ込み、うんこもリュックの中にしてしまうのだ。この力をもってして、私はかつてないピンチを乗り越え、それどころかチャンスに変えてきた。ベイブリッジの夜景を眺めていた際の急襲にもなんなく嘔吐を決断し、直後スムーズなキッスをかました。富山のまんだら遊苑では天国ゾーン横の森にてナップザックグソを選択しすれ違う子供たちを欺くどころか、軽薄な交流すらしてみせた! もう何も怖くなかった。2010年くらいのサッカースペイン代表みたいだった。ティキ・タカ状態だった。最近ではもう敗北することはまったくない。私は催し界のCLを制したのだ。喜びのあまり、この話を会社の飲み会でした。今日、私に話しかける同僚はいない。王者はいつだって孤独である。
1996年以前の話。
大通りからちょっと路地に入ったら、舗装されていない砂利道がちょこちょこあって、子供達は泥団子作ったり、水たまりから手で土を掘って水路作ってちっちゃな川を作って遊んだり、晴れた日にはコマをまわしたり、ビー玉転がして遊んだりしていた。
ちょっと大きくなると、学年で数人、テレビゲームを家に持ってる奴が出てきて、そいつんちが放課後の溜まり場になっていた。木こりの与作とか、シンプルなゲーム。そのうち、ポケットゲームが出てきて、ゲームが浸透してくると、ファミコンが現れた〜。
レコードってものがあって、専用スプレーをふかけるとムースのように泡立って、それを専用のクリーナーでレコードの溝に沿って拭いた。あのスプレーの独特の匂いがなんとも言えず良かった。レコードが大きいし、聞けば聞くほど溝がすり減るから、カセットテープにダビングして聞いていた。カセットテープは聞けば聞くほどテープが伸びていくので、ヘビロテで聞いてるアルバムはオリジナルの曲よりちょっとだけスローテンポになっていた。
バスや電車で行儀悪くしてると、そこらのおっちゃんに結構派手に叱られることが多々あった。大人は本当に怖かった。それなりに本気で拳骨で叩かれたりもしていた。ただ、あやまればスカッと結構許してくれた。野球して窓ガラス割っても、ボールで車ちょっと凹ませても。
ただ悪い奴は本当に悪かったし怖かったな。内臓破裂するほど殴ってきたり、部活のシゴキで生徒が死んだり。
年功序列で先輩が本当に怖かったし、大人の言うことはきちんと聞かなきゃいけないんだって思っていた中高生の頃、ブルーハーツとかラフィンノーズとかのパンクロックが流行ったり、お笑いではビートたけし→とんねるず→ダウンタウンといった感じで、年功序列とか過去のしきたりとか関係なさそうなのが派手に出てきたり、男はみんな短髪だったのに江口洋介やキムタクがロン毛で人気を博して急に男どもがロン毛にしはじめたり。
バブルの時の、繁華街のタクシーはすごかった。二重三重にタクシーが路駐していた。派手な会社はタクシーチケット使いたい放題で、それ使うために残業してる人もいた。ってか何枚かちぎってもらって勝手に乗り回している社員も結構いた。
年々みんなの生活が派手になっていってたら、もっとも派手そうな証券会社でもっとも有名な会社の一つだった山一證券が倒産して、ああ終わったんだなぁと思ったなぁ。
90年代初期のアイドルグループで、そんな人たちのCDをどこから入手したのかまったく不明なんだけど、今でも全部そらで歌える感じで体に染み付いている。
大人になってCDを買い直して聴いてみると、当時のアイドルという感じのクオリティで、ローラースケートでジャンプしてるジャケット写真がかっこいいアルバムはインストから始まり、よく意味のわからないアダルトな雰囲気の歌詞でナンパな雰囲気を醸し出してる。今聞くと結構音痴なんだけども、初めて聴いたバイアスはあるにせよ、めちゃくちゃ曲がかっこいいと感じる。
気になっているのは楽曲提供者というか作曲家。自分も今では暇を見つけては適当な曲を趣味で書いたりしながら暮らしているから、どんな人が曲を書いているのかがとても気になるようになったんだけど、ファーストアルバムの範囲だと佐藤英敏、井上ヨシマサ、柳瀬通男という作曲に、大木雄司、岩崎文紀というアレンジャーがついていて、楽曲制作の分担はよくわからないけど、関わる作曲家はとにかくこの5人。特に数が多いのは佐藤英敏で、この人の作品はどの曲も好きだ(アルバムの曲全部好きなのだから当然なんだけども)。メロディーがしっかりしているので、歌詞も音の数がきっちりしている。だからいつまでも頭に残っている。PVなんか観たことないけど、曲からは画が観える。音楽的難解さがあまりないので、シンプルにノリながら聴ける。90年代は爆発的に音楽が売れた時期だから比例してヒット曲も多い時期という気がするけども、知られていない曲もちゃんと90年代っぽいかっこよさを持っていて遜色ないんだとわかる。
佐藤英敏はレッドドルフィンズの数年後に残酷な天使のテーゼを作曲していて、他にもアニメ関係・声優関係で楽曲をたくさん提供しているようだ。ニコニコ動画に佐藤英敏のマイナーな曲をあつめましたみたいな動画があったけど、レッドドルフィンズはなく、全部アニソンだった。他のメンバーもググってみると結構な名曲を世に出している人たちで、作曲家っていう仕事がそういうものなのかもしれないけど、アニソン率がだいぶ高い。井上ヨシマサだけは、アイドルへの提供曲が多い。どちらかといえばオタクという雰囲気の大人になった自分を作っている要素として、佐藤英敏のレッドドルフィンズ楽曲は結構大きいのだと思う。アイドル曲なのでアニソンのような特徴はあまりないんだけど、何か根底にあるものが同じなんだろう。その根底とは要するに作曲家なんだなって、今は思っている。井上ヨシマサはAKB周りの曲が多いけどもレオパレスのCMの曲が自分は一番しっくりくる。柳瀬通男はパトレイバー、大木雄司は週間賃貸、岩崎文紀はChoo Choo Trainを書いたけども、ジェイデッカーをやってることを強調したい。意識していなかったし知らなかったけども、全員他の場所でもちゃんと自分が知っている曲を書いていた。
こういう日記を増田に書こうと思ったきっかけは、レッドドルフィンズに関する情報がネット上にほとんどないことに気づいたからだ。文字の情報は少なく、ウィキペディアには最低限の情報が記載されているだけで、あとはアマゾンの商品説明くらい。錚々たる製作陣(特に記載していないけど作詞も)による楽曲は、たとえばYouTubeのようなサイトで、たとえ権利に目をつぶったとしても聴くことができないので、誰かに教えたいと思ったらCDを貸さないといけない。しかしまあそれは面倒な感じである。ただ、アマゾンで300円くらいで中古CDが売られているので、ポチって聴いてもらえたら嬉しいかもしれない。
音楽をディグって聴くとき、軸はいろいろあると思うけど、作曲者で探して聴いていくというのは結構あると思う。佐藤英敏という人に関しては、作曲者名での動画があるくらいなのだから、そういう聴き方をする人が少なくないんだろう。彼の曲は林原めぐみの歌が多いみたいだけど、レッドドルフィンズも聴いてみませんか。音痴といったけども、大丈夫、インストの曲もあるのだから。
自分の方はこの後、リーダーがやっているインディーズバンドの音源を聴いてみようと思う。作詞作曲ギターボーカルとやっているらしい。
ジャニーズなのにお顔がアレでネットで一躍有名になったら、それを逆手に取ってキスマイBUSAIKU!?って番組をスタートさせたグループ。
そいつら7人が金曜から日曜まで東京ドームでコンサートやってたんですよ。
7人もいるとメンバーを覚えられないからか、前の3人と後ろの4人で分けて、後ろの4人は中居正広プロデュースで舞祭組(ぶさいく)というユニット活動もしてるんですね。
自チケが当たったら一回コンサート行けばいい程度なのでジャニヲタじゃなくてファンと自称してる。
9月に帝国劇場で玉森主演の舞台に共演することが決まったんですよ。
ドリームボーイズというジャニーズ伝統の舞台が2年ぶりの復活で。
13日(水)に会見があって14日(木)にワイドショーで取り上げられたので、金曜日のコンサートでは当然MC中に告知されると思ってたんですよ。
待てど暮らせど告知をする気配がなく、言い忘れてるのか?と思ったら休憩に入り後輩のジャニーズJr.に場を引き継ごうとして、おい待てよと。
後輩の10月の舞台の告知は彼らにさせていたのにそれはないだろ。
アイドルにはメンバー紹介曲があるじゃないですか、キスマイにもKis-My-Callingという名曲があるけど全員分は紹介してないんですよね。
やっと全員を紹介してくれるんだと喜んでいたら、最悪でした。
Kis-My-Ft2は彼らの名字のイニシャルから付けられたグループ名。
前出のCallingはKi!北山!s!千賀!とイニシャル順に続いていくんですよ。
今回は何と、前3人と後ろ4人で分けてきやがりました。
いやいやそれはないだろ。試聴がスタートした段階でどんよりしました。
何だこれ、こんな曲をこれからずっとメンバー紹介曲として歌い続けるの?
Twitterが少し荒れました。
女性作詞家がいちいちヲタクのツイートを自己弁護のごとくRTしていて引きました☆
しかしコンサートで歌う時には前のメンバーが後列ゴーを舞祭組ゴーと替えてくれたんですよね。
少しは気持ちが楽になる予定でした。
よりによって自分がコンサートに入った回だけ後列ゴーと歌っていてフリーズしました。
他にもメンバーが一人一人アドリブで長い感謝の挨拶をするのですが、同じ単語を繰り返すばかりで国語なら0点だぞ?という感じでした。
他の日は甘い言葉を言ってくれたらしいのに。
つくづく運が悪いなと思います。
土日の公演レポートをTwitterで読んでは違いに泣いてしまいました。
好きになるのは一瞬ですが嫌いになるのも一瞬だなと思います。
楽しみにしていた舞台もどうでもよくなってきました。
生粋のジャニヲタからしたら、くだらない、入る公演増やせば?と思われることと思います。
でも、ライトなファンにしたらショックで、楽しそうにしているフォロワーにはこんなこと言えなくて疲れました。
格差なんてない違うグループに降りたら楽になれるかもしれないけど、他のグループには興味が持てないのです。
もう疲れた。
https://anond.hatelabo.jp/20180611212751
わたしの場合は、会いに行ける系のアイドルやYouTuber的な何かなんだけど、
超越的な場所ではなく届きそうなほどの身近さでコミュニケーションしてくれる、
地に降りたアイドルと接していると、
あなたの場合は、バーチャルアイドルという、みずから虚構性をうたい、またみんなから、その存在を虚構であることを前提に楽しんでいるがゆえに、
その「実際は届かないこと」が可視化されやすい環境にたまたまあった、だから気付いた、ということだ。
バーチャルアイドルでよかった。
もしこれがバーチャルアイドルじゃなかったら、大変だったことだろう。
気づかず、ドス黒い感覚が領域拡大し、もう戻ってこれなくなる。
バーチャルだからね、ははと、相対化できて、諦めることができた。
去勢された人間が成熟しているという意味においては、あなたは、立派で、成熟している。
成熟したのだ。
まず断念、諦めが前提にないと、あたかもそれがここに到来可能であるかのように錯覚し、到来する死の享楽として、世界が没落するから。
断念のうえで、じょじょに対象aとの接し方を身につけなくてはいけない。
わたしの場合は、***がまだファーストアルバムを出す前に握手会行ったりしていた。最初のあなたの状態だ。
アルバムデビューしてメジャー化する過程で、私のドス黒い感覚は領域拡大し、ある一線をこえ、世界没落感覚のエンペラータイムがはじまった。
私は戻ってこれたが、いま、テレビのバラエティに******がいて、吐き気がして、すぐにテレビを消した。
いうまでもなく、******は、VTuber同様、虚構の存在だが、Vtuber同様、虚構だからといって、相対化し、無視できるものではない。
避け続けるしかないよ!
RADWIMPSが好きだ。
2年に一度ライブに行く程度だし、曲も全て知ってるとはいえない。
CDも気が向いたときや好きな曲、アルバムくらいしか買わない。
だけどなんだかんだもう、10年以上もずっと聴いているし、自分の中で好きな邦楽ベスト10のうち4つくらいはRADWIMPSの曲がランクインする。
洋次郎の言葉は10代のころの私を形作ってくれたと思うし、今でもそう思っている。
たとえどんな変な曲を出しても、やっぱりRADWIMPSと洋次郎の紡ぎ出す言葉の世界が大好きだから、最終的には曲も好きになる。
最近あんまり音楽そのものを聴かなくなっていたので、情報も集めていなかった。
ツイッターのTL上でRADWIMPSの新曲について触れているRTが回ってきて、どうやらRADWIMPSの新譜のカップリング曲が物議を醸しているらしいということを知った。
2016年に前々前世が映画のタイアップとして大ヒットになって(個人的には映画自体が壮大なRADWIMPSのMVだと思ったが)、それ以前より多くの人がRADWIMPSについて興味を抱き、好きになった。
もちろん冒頭に述べた通り、RADWIMPSは一見(一聴)しただけでは分かりづらい曲も多いし、取っつきにくいやばい曲も存在する(五月の蝿とか笑)
だけどどうやら今回話題になっている曲は、ちょっと今までのソレとは毛色が違うらしい。
正直に言います。
私はこの曲を許せません。嫌いです。
きっと一生好きになることはありません。
リリース当日に洋次郎が発言した、まっすぐに届きますようにっていう発言。
違うんじゃないの?って思って、悲しいやら腹立たしいやら悔しいやらで涙が溢れた。
何回も何回も歌詞を読んで、洋次郎の言葉を咀嚼したけど、どうしても私には理解できない。
今までの洋次郎の言葉を考えてみても、この曲だけは、全然かけらも理解できないしいいとも感じられない。
もちろんこの曲をいい曲だ、好きだと言っている人もいるし、その人たちを否定する気はない。
だけど、この時機で、この言葉で、この曲を書いてほしくなかったしリリースをしてほしくなかった。
ファンの色目もあるかもしれないが、RADWIMPSは今やほとんどの中高生が知っているバンドだし、好きなバンドのひとつだと思う。
その、影響力を、インフルエンサーとしての自覚を、洋次郎はきっと望んでないかもしれないけれども、リリースする前に持ってほしかったし、周りもちゃんと考えてほしかった。
もちろん、愛国心はいけないものではないけれど、盲目な愛国心ほど危険なものはない。
たった半世紀の間に二度もだ。
そのあとはイデオロギー、主義主張をめぐってあわや地球の危機にまで陥った。
そして翻って、今の日本の子どもたちに、盲目的にならないくらいの考える力はあるのか?
過去に日本が行ったことに対して、単なる受験に必要な暗記事項としてではなく、世界を構成してきた歴史として考える力が、果たしてどれくらいあるのか?
大人やメディアやSNSの言ったことを鵜呑みにしない思考力があるのか?
(もちろんこれは大人にも言えることだが、RADWIMPSの影響力や、people who live in Japan の将来のことを考えた場合に子どもとしている)
たかが歌詞ごときで、カップリングの曲ごときでと笑う人もいるだろう。
だけどそれは、過去に学ばない理由にはならない。正当化する理由にもならない。
特に今のご時勢、世界のどこもきな臭くて、戦争する理由を探している人が一定数いる。
謝罪してほしいわけじゃない。
撤回してほしいわけじゃない。
ただ、RADWIMPSにも、洋次郎にも、そして一番はファンにも、その言葉の持つ辞書的なもの以外の意味を、もう一度考えてほしい。
どうも長くなってすみませんでした。