「うんざり」を含む日記 RSS

はてなキーワード: うんざりとは

2022-02-23

30~40代媚びはもううんざりなんだよ

思い出に浸っても何も救われないし希望も無い、何より明日が無い

もっと他に伝えたい言葉がたくさんあるんだよ

社畜から金を絞るだけのコンテンツなんてクソくらえだ

2022-02-22

anond:20220221175245

うちもそんな感じだわ…

だのに実母にはほんとにお前みたいなとかお前なんかにとかダメなやつだよお前はといわれてた。

楽だったならそんな台詞出ないはずというかいや…(うんざり)

2022-02-20

anond:20220219172257

正直、イレギュラー存在勉強させられるってしんどいよな。差別はいけないのだけど、教育させられるというのはうんざりだわ。非ヘテロセクシャリティに寛容であるからノータッチ問題ないというのじゃだめなんかね?将来的にゲイへのヘイトが爆発する遠因になると思う。

2022-02-19

■【再】 さよなら日本インターネット。私達にウェブ異文化過ぎた。


インターネット空っぽ洞窟出版されたころ、ダイヤルアップ接続ウェブ空間に来た。

感動した、未来を見た。希望を感じた。

きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。

それから早四半世紀。

はてなは残念」と創業者に切って捨てられ随分立つ。

2ちゃんリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、

高尚な理想があったはずの日本語版Wikiインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。

どんなサービスサイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、

かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。

スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。

この間テレビを見ていたら、

その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、

国内にいたら暗殺逮捕危険があるんだろうなと感じた。 

無責任匿名暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、

当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。

どこを見ても暴言人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ

広告ポルノスキャンダルであふれかえるウェブ空間

国営放送有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか

真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格否定される。

ひどい時はプライベートを平気で攻撃してくるクズだらけ

炎上毎日のように起こり、どこかで誰かが人生破壊されてるこのウェブ空間

もうたくさんだ。

もううんざりだ。

商売ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいか日本人相手ネットビジネスするのはもうやめよう。

そう感じて数年前からウェブは極力英語ドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。

ここどこよ?

ってくらいの異次元空間

かにトロールと呼ばれるキチガイ粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。

「長文はバカ」と言い放つ底辺イカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。

ある時南米人にきいたことがある。この差はなんだと。

日系移民である彼の言葉的を得ていた。

日本人倫理意識他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」

神と自分関係倫理が成立する欧米集団の中での位置関係倫理が成立する日本人とでは

一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。

実際彼の親世代日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。

 

日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。

ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。

俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。

圧倒的大多数の人は、ウェブ憂さ晴らし快楽暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった

マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベル馬鹿だった。

日本語ウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。

匿名リンチ文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。

でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし

書き込んだのも貴方選択だ。他人のせいじゃない。

俺は反対した、拒否した、抵抗はした。

からその時貴様らに死ねと言おう。

「彼らが最初共産主義者攻撃したとき」の感覚だ。

そう遠くない将来、ウェブ悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。

結局21世紀の共産主義だったんだろうな。

この間ウェブアーカイブグーグルも含めて。日本語圏での自分関係する情報は全部消し終えた。

さよなら日本インターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう

俺の日記反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。

賛成して書き込まないヤツ、英語勉強しろ英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。

真面目に語り会える人は英語圏にはいる。彼らは得意な文化を持つ日本人尊敬の念を持って待ってる。

さようなら、私が好きだった日本インターネット

サイゼデート話題にはうんざりだったけど

身長人権ゲーマーであっさりかき消されて草

つーかうぬら飽きるの早すぎでしょ

2022-02-17

anond:20220217155049

プロゲーマーという職業柄、キモオタ勘違いされてアプローチされるのにうんざりしてたんだろ

ハイスぺ彼氏つかまえて専業主婦になってタワマンに住んでブランド三昧って世界線もあったかもしれないのに

自分ASDADHDの気がある人間なんだけど、ちょっと長めに語らせてほしい。

一度敬体で書こうと思ったけど、面倒くささが勝ったのでこの語り方で。


先日、「お隣さんに届いた荷物を渡す」件で色々あった。


実家暮らしで、田舎なので家には庭がある。

とはいえお隣さんと共用みたいなもんで、一歩外に出ればお互いの玄関先は覗ける程度。


最近はよく、うちの頼む届け物と一緒に、そのお隣さんの荷物もまとめて頼んで、後で渡している。

普段は親がやり取りしてるんだけど、仕事で不在なのでその日の荷物を渡すことを頼まれた。


普段こういう荷物ときには、親が電話なりインターホンなりで合図を入れて、

向こうが受け取りとか、代金の支払いをすることになっていた。


でも今回は互いに合図をする必要がないように、

親が「玄関先に置いておかせますので~」と前もって電話してくれていた(し、それを自分も聞いていた)。

夕方ごろに何度か様子を覗いてもらえれば置いてあるかと……」とも。


親の指示はこうだった。

メモも一緒に渡しておくから、これに書いてある向こうの荷物玄関に置いておいて。

冷凍冷蔵品は特に気を付けて、発泡スチロールに入れておいてね。」


で、自分はうちの玄関先に、冷やすものと常温のもの別にまとめて置いておいた。

発泡スチロールの中にはドライアイスを入れておいたし、そもそも外気温は低い地域だ。

向こうに渡すためのメモ書きも、風で飛ばないようにと、濡れも冷えもしていない保冷剤で重しをしておいた。


しばらくして陽が沈んだ頃。

メモ書きは風で飛んではいないようだけど、荷物はそのままだった。

お隣さんも忙しいのかと思って、外気温も下がっているし特に気に留めず放っておいた。

朝になると荷物はなくなっていた。


親が仕事から帰ってきて、ここでこっぴどく叱られた。

普段は合図をしているけどそれをしなくていいように、と電話を掛けたのに!


何で"うちの"玄関の前に置いておくの!!」


聞いてしばらくして、ああなるほどと思った。

同時に、それを言われていないんだからからない……とも戸惑った。


こういう事態は一度や二度ではない。

まれごとをするたびに2回に1回はこういうすれ違いでやらかしている。


まり親は「お隣さんの荷物なのだから、お隣さんの玄関先に置いてきなさい」

というニュアンス自分に頼んでいったらしい。


ただ、自分の中にその考え方はまるでなかった。

お隣さんの家にお邪魔したことはないし、まして敷地にすらほとんど足を踏み入れていない。


玄関先に置いておけば、お隣さんが様子を見て持って行ってくれる」

これが自分インプットの全てだったし、

お隣さんに電話をしなくていいように、という気遣いに甘えて電話での確認もしなかった。


「もうしばらく口も利きたくない」と言われた。

何度もやらかしてそのたびに失望されているので当然と言えば当然の仕打ちなのだが、

こういう事態になるたびに「その当たり前をどこで察すればいいんだ」とモヤモヤする。


暗黙のルールが分からない」とか、「指示が正しくこなせない」とかの特徴からして

ASDなどの発達障害の気がある、というか結構強いと自覚している。

親はこうした自分障害について学んで理解してくれている(と、恐らく親本人も思っている)人なのに

いざその特性を発揮してしまうと、こうして関係が崩れるほどに怒られる。


今回は特に、お隣さんという第三者が巻き込まれ迷惑を被ったので、

叱られるのは理解できるというか納得できるし、反省も大いにしている。


ただ、任務を「分かってる」側の人間が「分かってないし、理解にも難がある」人に仕事を依頼して

その後でやらかしに気づいてこっぴどく叱られる、というこの図式は

自分自身もそうだし、多分親もうんざりだろうと思う。


ネット対策を探しても

「指示する人が気を付けよう」

「指示の受け手も何度も確認して気を付けよう」

くらいのもので、有効打はあんまりなさそうだ。


つくづくこんな適当世界の回し方で上手くやってきた人類という生物

不思議しょうがなくなる。

一般人か健常者か非障碍者か、呼び方はどうあれ「普通の人」は

勝手に期待して勝手に怒って、結論は「"お互いに"気を付けましょう」にしかならないのだろうか。


気を付けられればそれはもう障害じゃないと思う。

どうすればいいんだ。

2022-02-15

anond:20220214212529

ニュースsmartnews使ってる

広告が多くてうんざり、それに橋下のニュースの優先度が高いので他アプリに乗り換えたい

何かないか

2022-02-13

だってデザインしたい。(同人ゲーム制作の話)

よく、共同開発をする。


友人や気の合う同僚と組んで、チーム制作


ずっと、一緒に何かを熱心に作ることに憧れてきた。

特に自分ゲームでそれに憧れている。

今も憧れてるし、これからそれを得てもずっとあこがれ続けると思う。


でもそんな共同開発をする時に、いつももやって、ドロンしたくなることがままある。

…というか、終わる時はいつもこれ。


自分自由ゲームを作りたかたかちょっとしたプログラム勉強していた。

それは自由にモノを作るための道具の一つとして。

何より一番の願いは、絵に全神経を集中させることだ。それは10年変わらない。


でもゲームにはプログラムや、企画や、マネタイズ計画が要る。

からそれを先に考えておく。

そのあと絵やクリエイティブに集中するために。


でも共同制作をすると、

そのいわゆる土台作りを全部自分がやって、

共同制作者がおいしい所を全部持ってってしまう。


じゃあエンジニアと組めばいい。

是非もない。その通りだ。

でもエンジニア創作意欲にあふれている人に今まで出会えてない。

「何か作ろう!」と誘っても、

うーん…そうだねぇ、と帰ってくる。

気の乗らないやつ。


まぁ。考えてる懸念自分と同じだろう。

でも絵を作る能力が高くない人は、

組んだ方がよさそうだと思うが、いかなのだろうね。

まぁそこまでは心は読めない。






そんなこんなで、

共同制作をするたびに、エンジニア成分をすべて請け負うデザイナーという立ち位置になり、

10もの長い間、デザインに集中して制作した記憶がない。



どうしたら、この夢は叶うんでしょう?

なんでいつも同じパターンに陥るんでしょう?

たぶんズバッと増田の皆さんなら切ってくれるんでしょう。

もう、このループを切って、デザイン上の幸せをそろそろ得たい。



ちなみにゲーム…いやソシャゲ会社は3つくらい経験していて、

どこもパチンコみたいなマネタイズ

似たような企画

その場しのぎの運営陣、素材調達

歯車になるほど、なぜゲーム作りをしたい!と熱を帯びていたか忘れていく。

そんなことにうんざりしていた。



なので、今は

作りたいゲームを作るならアマチュアしかないんだろうという、

個人的結論には至っている。



もうほんといっそズバッと切ってくれ~~~!!

でも無慈悲言葉だけだと泣いちゃうから

何か救いを一つください…。



なんで自分ばっかいつもエンジニアなの、

デザイン作らせてよ…。

2022-02-11

anond:20220211233433

なんか変なおばちゃんをトプコメでよく見るようになってうんざり

別に嫌いでもないしコメントに反対でもないけど、ブロックしようか検討中

2022-02-09

レッド・デッド・リデンプション2はなぜクソゲーだったのか

レッド・デッド・リデンプション2(以下RDR2)をいまさらプレイしたので感想を述べる。プレイした機種はPS5である

最初に断っておくと、私がプレイしたのは本当に序盤までだ。雪山を降りてキャンプを設営し、最初の町であるヴァレンタインに行って、あとはその周囲を探索してみた、という程度。そこでもうどうにもやる気がなくなってしまってゲームアンインストールしてしまった。この記事を書いているのは、もちろんただの愚痴という面もあるが、RDR2のファンの皆さんにゲームを再開するよう説得してもらいたいからでもある。私としても、こんな序盤で脱落したくはなかった。ぜひとも私の考え違いを指摘してもらいたい。

まずプロローグである雪山の章を終えて私が思ったのは「こんな強盗団なんかさっさと抜けたい」ということだった。こちらは主人公がこの強盗団のなかでどう育ってきたのか知らないし、強盗団の親玉過去にどんなカリスマを発揮してきたのか知らないし、それがなぜ雪山に追い込まれたのかも知らないし、他のメンバーたちの人間性も知らないのでまったく愛着を持てない。どうも主人公は冷静沈着で頼りがいのあるナイスガイのようだが、それがなぜあん陰湿犯罪者集団所属しているのかわからなかった。まったく彼には相応しい場所でないような気がした。しかし、この壮大な西部劇シミュレーターにおいて、強盗団を自由に抜けることはもちろんできないのだ。

ロールプレイングゲームには二種類あると思う。「自由キャラクター作成した上でそれを演じる」タイプと、「既に作成されたキャラクター押し付けられて演じる」タイプだ。RDR2は強烈にキャラクター押し付けてくる。いやキャラクターだけじゃない。プレイヤーには「主人公にどういう人生を送らせるか」という選択肢が与えられない。製作者が用意したストーリーをなぞらされるだけだ。これは「ロールプレイング」ですらない。

同じ感覚を『ウィッチャー3』にも覚えたことがある。あのゲームが言う「自由度」とは、製作者が用意した2つか3つほどのレールのうち、どれを走るかを選ばされるというだけのものだ。いちどクエストに入ってしまえば、どこをどう移動して何を調べるかまですべて決まっている。プレイヤーはそれをなぞるだけだ。「ああ、これはロールプレイングゲームではなくアドベンチャーゲームなんだな」と感じたものだ。

話をRDR2に戻すと、進行の不親切さにもうんざりした。ストーリー押し付けてくるのにもかかわらず、プロローグを終えても、主人公やその周囲の人間がこれまでどういう人生を送ってきて、いまどういう状況に置かれており、これから何を目指していくのかよくわからない。それはつまりストーリーテリングに失敗しているということだ。よくわからないままイベントが起きてよくわからないままイベントが終わる。強盗団にいたか分からん仲間に言われて、なぜ起きたかさえ知らない喧嘩をして、いろいろ終わったらなぜか指名手配されている。「思うままに探索する」というより「わけがからないまま彷徨っている」というほうが近い。

RDR2を絶賛する感想を見てみると、「操作は不便だがそれがリアルなんだ」というようなことがよく書かれている。しかし私はRDR2をリアルだとは感じない。なぜなら現実人間アイテムの前で「これを拾うのってどのボタンを押せばいいんだっけ?」などとは悩まないかである。狩った鹿の肉をどうすればいいかからなくてキャンプをウロウロしたりしないかである。RDR2の操作の複雑さ不便さを「リアル」だと言うのは、ただ重苦しく残酷なだけのストーリーを「リアル」だと評するようなものだ。『Hand Simulator』というゲームでは、手の動きを細かく操作できるようになっているが、本物の手のようにはまったく動かせない。RDR2の「リアル」はそれと同じである

結局のところ、RDR2がつまらないのはその「不自由さ」にあるのだ。ストーリーの面でも、操作の面でも、プレイヤーがしたいようにさせてくれない。あるいは「プレイヤーがしたいこと」を「製作者がさせたいこと」と一致するように誘導するのが下手くそだと言ったほうがいいかもしれない。その不自由さを我慢しながら何十時間プレイし続ければ、そのうち慣れてきて「プレイヤーがしたいこと」と「製作者がさせたいこと」が一致するようになり、そうなって初めてこのゲームの真の面白さを味わえるのかもしれない。私はそこまで我慢できなかったのだが。

もしもーし←これやめろ

クソみたいな質問されて答えに窮するときとか

長話しにうんざりして返事しなくなってきたとき

「もしもーし」とか「あれー聴こえてますかー?」とか言うのやめろ

そういうとこやぞ

2022-02-07

南極料理人を見た

年末年始に録画していた地上波放送をやっとみた。

ごらんのように私はあまり映画に入れ込んでいない。詳しくない。ほとんど地上波しか見ない。なのでカットシーンがあってもあまり気にしない(シャドウゲームは流石にダメだった)。

そんな私も見る前はちょっとわくわくしていた。面白いらしい映画だとふんわり耳に入ってきていたし、料理映画がいくつか好きだったからだ。

フードトラックシェフも好きだしレストランシェフも好きだし、まあレミーのおいしいレストランも嫌いじゃない。同じく南極観測所料理人シーンがある大統領料理人も面白かった。というかああい雰囲気を期待していた。

閉じたシチュエーションドラマというなら王様のレストランも好きなのさ。本気だぜ。

ところが、だ。

今私は悪態をつきたいががためにこうして筆を取っている。珍しいことだ。つまらない映画なら録画から消して終わりが常なのに、この映画は私の貶したい心をくすぐってきた。だから以後は批評でもなく単純な文句を書くのである

なお原作があるらしいことは知っていた。しかドキュメンタリーではなくしっかりとフィクション映画として味付けしていることを期待していたので、原作がこうだったから。は考えない。

協調も衝突もしない空虚でよく嫌えるかのようにかかれる登場人物

観測所に居る人物は計8人。男だけというのはヒロイン(恋愛要素)が好みではない私には好印象だった。

しかしいきなり全員の紹介をナレーションで済ますのにはガッカリきた。これだけで長い共同生活の中でキャラクターを深掘っていくという期待はもてなくなった。裏切られることも期待したのだが…。

彼らはほぼ所属役割も異なるメンバーであり、その中の一人、調理担当西村がこの映画主人公だ。

そんな彼らが南極で何をするか。

…何をしてたんだろうな?

こいつら、まあそろえば喋るし一緒に騒いだりもするのだが「一緒に何かしている」シーンか「一緒に居るがすごい無関心」なシーンばかりが記憶に残っているのだ。

「一緒に何かしているシーン」、野球豆まきのの場面はそこだけを切り取られているから、誰と誰が仲がいいとか、趣味が合うとか関係性が見える会話がかなり少ない。ほぼ全員好き好んで南極に来たわけではないのでゼロフラット関係から嫌い・好きに振れていくはずがそういう機微が無い。

じゃあ既に仲がいいのかと言われれば会話の節々で間があったりかみ合わなかったり意を汲まれなかったりととにかく思いやりが無い。

特に主人公なのでピックアップされる西村君には

暖かい料理の前で朝礼を行う(冷める)

面会を拒否するが置かれた飯だけは直ぐに取る

頼んだ調理法に文句をつける

盗み食いによる欠品を何とかするように夜に起こして懇願する(盗み食いが発覚してもまず食べ物の不味さを告げる)

などなど、見ていていじめしか思えない気分が悪い展開が続く。これ、後々のための伏線などではないからね。

会話が空回る空虚時間はわざと大量に作られていて誤用共感性羞恥が襲ってくる。監督の頭がおかしい。

じゃあ逆に仲が悪いのかというと大して衝突や大きな騒動も描かれない。無関心か?後半、長期の閉鎖環境ストレスから数名が暴走するが、錯乱範疇人間関係が主要因ではない(要因ではあるが)。

そしてその騒動とばっちりを受けるのは当然無実で何も悪くない西村である脚本によるいじめか。

閉鎖環境であるにも関わらずキャラクターに魅力がない。キャラ同士の相互作用が生まれない。絡んだと思ったらかみ合わなさを見せ付けられる。

中盤からはなんでこんな中年男性を見させられているんだろうと至極うんざりしていた…。

それぞれの職域のスペシャリスト性が出ていればまだ性格に難アリの低関心職人集団と見ることもできそうだがそれらのエピソードも取ってつけた薄っぺらものだ。

(あと早く帰国したいとか来たくなかったとかもまあ分かるのだがそこはサバイバル刑務所内のドラマと比べれば格段に自由なので分かるは分かるが刺さらないんですよね)


数少ない女性陣についても貴重な遠距離通話でとにかくギクシャクした会話が続き、ついに一人は好きな人ができたと捨てられる。

西村君の家族の妻と娘は大根役者とはとても言えない明らかに演技指導として不快演出がなされている。単身赴任の打ち明けや任地をあざ笑うシーンなど、ここにも思いやりがなく自己中心的キャラクターだ。

娘に対して元気が無い母親料理を作ってあげたらと提案したシーンにはなぜこんなものを作ったのかとかなり泣きそうになった。ハートフルな部分を見せるのかと期待を持たせ一瞬で叩ききる名シーンだと思う氏ね

エンディング帰国した西村一家のシーンだが、まったくもって意図がわからなかった。なぜ私をこんなにラストラストまで不快にさせるのだ?混乱するほどわけがからない。わかるのはラストセリフぐらいだよ。


あと、先述した騒動とばっちりを受ける無辜西村君。そのショックで引きこもってしまます料理人が居ないかしかたなく残りのメンバーで作るしかないのだが…

って書くとドラマが生まれそうじゃん?揉めあって失敗するのか、西村君が手助けしてハッピーエンドなのか、西村君にはどう謝罪するのか…。罪悪感をどう表現するのだぁ。

いからね。そんなの。

今までの描写を見るにコイツら、腹が減って料理人が居ないか自分でただ作ってるだけだからね。悪気も無いよ。当然謝罪も。調理現場見てあまり反応もない西村君含めてなんだよこいつら。西村君が風邪で寝込んでしまたから代わりに料理してますでも成立するからね。これ。風邪引かないんだけどさ。南極からさ。

そんなわけで完成品のマズい(映画冒頭に妻が作ったのと同じ)から揚げを食って西村君が感極まるシーンも理解できなかったよ。

好意的に頑張って考えれば妻を思い出してホームシックな涙なのかなー。それとも自分の代わりに頑張って作ってくれた仲間への感情なのかなー。とは思うんだけどさ。

妻へも仲間へも視聴者の私の感情は冷え切っているから「被害を被ったうえに勝手調理場を荒らされ謝罪もなくクソ不味い料理を食べさせられてそれが雑に扱ってくる妻を思い出させられて心が折れた」と受け取ったね。素直に。

もしこれが地上波放送によるカット弊害であったとしたら編集人拍手を送りたい。もし映画全体を見れば大いなる勘違いだったとしたら、まあ、その、すまん。

これは料理(人)映画ではない

よい料理(と食べる)描写とは何かはわからない。孤独のグルメなどは独特に良いと思えるが、詳細な言語化・対比は難しい。

だがそれでも、観測所最初食事シーン。私はそこでかなり拒否反応がでた。

きたない。

ガツガツしたややオーバーな食べ方やすする音。それらは私には美味しそうに食べる場面には写らなかった。

しかしそれは我慢できるのである。なぜなら舞台1997年。人は中年男性。汚らしさはそういうものと受け入れられるまだ。

ロクにうまいとも言わない無反応な男たちもそうそう居るよね。と受け入れられた。

ただ、続くエビフライのシーンで心は折れた。

伊勢海老をどう調理するかでなぜかエビフライ激推しされ、もったいないという西村君は自分を殺し創意工夫も施し伊勢海老エビフライにしたて上げた。

先述したが、その自分たちが押し通したエビフライという調理法を現物を前にして違ったとぼやくほかのメンバー。ままま!それもすごく効果的に私にストレスを与えられている!と解消への前置きに受け取れたのだが…

いただきますのあと、(西村君を除く)全員が同時に皿に乗せられていた伊勢海老の頭をテーブル上に退けた。

はぁ?

はぁ?なにそれ?は?面白いと思ってやってんの?監督?他の自由に食べるシーンと比べて明らかにタイミングを合わせた演出としてのギャグシーンだよな?は?何も面白くないんですけど?

調理法に折れた西村君にさらに完成品に文句を言って追い討ちをかけた上でのギャグ?まじかよこれがうれしい観客がいるのかよ。

この登場人物たちには、否この監督には料理にも料理人にもリスペクトがない。この映画は「南極料理人」ではあるが、料理にも料理人にもスポットが当たってなどいない。

これは私が悪いのか?ちょうど今話題になっている「大怪獣のあとしまつ」。絶対見ないだろうが、これも私も「怪獣のあとしまつ」がテーマだと思っていたので感想を読むにもし映画を見ていたら同様の怒りを覚えていたこ必死だ。

これを予告や監督から予期できるのだから批判的外れ(not for you)だとする向きもある。南極料理人というタイトルだけで見始めた私にも同様のことが適用されるのだろうか。

だとしてもこの怒りは収まらぬわ。せめてこんな映画の何を事前に期待して見ろというのか。原作未読者がよぉ!

盛り付けられた料理は美味そうだが作る経緯も食べるキャラも気にくわねぇぇぇ!

何が食べたいかに雑に肉と言われて作るローストビーフにも!

自分が夜な夜な勝手に食ったせいで切れたラーメン懇願して作らせた手作りラーメンにも!

作る!過程に!食う!姿に!私の!心を!入れられ!ないんだよ!

どんなに美味そうに食おうが!お前の目の前の料理人が毎日頑張って作ってくれている料理を尻目にお前が勝手に作って切らしたラーメンの尻拭いを!料理人を差し置いて勝手に作って食っていたモンの尻拭いを!その料理人にさせてんだからな!

料理映画なんて視聴者は実際に料理を食えるわけねぇんだよ!

私は!情報を!食ってるんだ!

こんな!クソ胸糞悪い!情報を!食えるかっ!!!!!!!!!!!!


あとですね、付け加えるとですね。閉鎖環境での食事ってめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。実体験はないですけども。

毎日何が出るかウキウキ。代わり映えしない毎日の唯一の楽しみ。刑務所の中の描写とかでもみる話です。

一年以上の長丁場で、料理のそういったありがたみが(受け入れらないラーメンのくだり以外)ぜんぜん感じられないのがなんかもう見事に物語料理関係してなさすぎてなんのドラマティックさもなかったですはい

料理西村キモい

ふぅ。ここまで大体ひたすらないがしろにされる料理人の西村君の姿にヘイトをためてきたわけだが…。

中盤を過ぎたこから西村君もキャラが掴めなくなって気持ち悪くなってくる。

まずコイツ、怒らない。

家族に無碍に扱われても大事ものを失っても料理が冷めそうでも仮病で面会拒否されてさらっとメシだけ掻っ攫われてもラーメン盗み食いされてもバター丸かじりされても夜中に起こされても怒らない。大事ものは寝込んだけどさ。

会話がかみ合わなくて空虚時間流れる半分は彼のリアクションが無いせいでもある。

そんなこんなで彼のキャラクターが掴めない。

さらいしておくと、彼は海上保安庁所属で同僚のアクシデントで急遽望まぬ南極行きを無理やり承諾させられた人物だ。

南極では料理は丁寧に仕事をこなし、あまり我を出さずニコニコ仕事文句も言わない。

はて、彼のスタンスはなんだろうか。

料理人といってもいろいろあるだろう。

たくさん食べてもらいたい人。お残しは許しまへん人。自己満足できる料理を作りたい人。美味しい料理を美味しく食べて欲しい人。調理場に入ってほしくない人。材料にこだわりたい人。解説したい人。食事コントロールしたい人。美味しいといわれたい人。

まだまだあるだろうがいろいろな属性を少しずつ持ってたりするものだ。

劇中の彼はどうか。料理は冷めて欲しくないし伊勢海老刺身にしたい。うん。まぁ、それぐらい、かな。(後半につれながら見なのでかなり怪しいのだが)

あとおにぎりに当たりを入れるちゃめっけも見出せるかな。なんか普通の人の感性内じゃないですか。

料理人としての面がそんなに料理にも会話にも出ない。ま、まともな会話のキャッチボールができる人物も居ないのですが。

不本意な任地で作り甲斐の無さそうな人たちに料理を振舞っている彼の内心が見えてこないのだ。

では本国に居るとき南極に居るときの対比を見てみようとすれば…彼は南極以外で料理をするシーンがないのだ…。

あるのはただ妻のから揚げに文句をつけるシーンだけ。家族ゆえの気軽さを差っぴいても職業料理人の夫が妻に食事を作らせて事前にアドバイスもせずに文句をいうというのはあまり性格が良いとは言えない。

そして南極食卓では黙ってニコニコ。彼がわからない。わかります

普段料理人の彼がわからないので南極の彼の心境が、あるいはあの打たれ強さ我慢強さがすとんと腹に落ちない。

私の怒りとシンクロしてくれない西村君。料理が好きなのか誇りを持っているのかもわからない西村君。あんな妻や娘が好きな理由がわからない西村君(嘘。家族から好きなんでしょうね)。

そんな理解不能な彼も他の登場人物同様好きじゃないです。わけわからなくてキモい

総じて監督が嫌い か?

いいところが見つからないキャラクターを作った監督

わざとぎこちない時間をたくさん描写してくれた監督

それと、わざと無言で間や動きで伝えようとする描写が好きそうな監督

なんか、あなたが好きそうなもののことごとくが私は嫌いでした。

奇跡的に感性が真反対だったということでしょうか。

まあ、この作品は賞をとってますし聞こえも良い。次作のキツツキと雨も同様。

なんかい作品なんでしょうね。わからんけど。

あとあれですね、半年以上一緒に暮らしているのに朝のおはように返事をしない奴に執拗に返事を要求する奴とか、子供二人居る家庭の妻のから揚げに文句をつける夫とか、いまさらかよって描写も鼻につきました。

あ、書いていて思ったけどから揚げは単身赴任するから妻が料理勉強中だったのかな。見落としていたらすいません。

監督で傾向を判断するというのは監督チャレンジがなく作風が固定されるきらいがありあまり好きではないのですが、まあそんな感じなので今後は避けようかと思います

堺も生瀬も好きなのにこうなるのかぁ。という点は新鮮でした。

ビバ邦画

この個人的エンターテインメント性も低い。コメディ・笑いも低い。ドラマティックさも低い。カタルシスも感動も低い。クライマックスの盛り上がりも低い。だけど評価が高い。そういった映画、いや邦画を私は知っています

そもそも私は地上波オンリーでもさら邦画はかなり見ない方なのでなにも語れないのですが…。

数少ない視聴経験から強く連想できたものは是枝作品でした。

是枝作品は賞を取ったりでなんどか地上波で拝見したのですが、これのどこが面白いんだ?が続き、これのどこが賞を取ったんだ?(だけど心にちょっと残りごくごくたまーに見たくなる)で終わるものでした。

私自エンタメ作品しか愛好していないことは重々承知しておりますが、まあ是枝作品評価されるならこの作品評価されるわな。とは思いました。是枝作品嫌いだし、ならこの作品も嫌いだわな。

それぐらい、上手く言葉にできませんが私が嫌いななにかしらの邦画要素がたっぷり詰まった作品なんだと思います邦画らしい邦画を久々にうかつにも見てしまったと言う点はよくないけどよかったです。

ただ是枝作品ほど心には引っかかりませんでした。大統領料理人もすっきりしない作品でしたが、あれは面白かったです。やはり料理人のこだわりの有無でしょうか?あれは面白かったけどこれはダメでした。あとチョコレートドーナツ(映画)も好きですしお辛い非エンタメ映画全般ダメというわけではないです。これはダメでしたけど。


あーだこーだ書きましたがもう二度と見ない映画にこれほどの時間を捧げさせたのですから、名作と言ってもいいんじゃないでしょうか。しらんけど。

ああそれと帰国シーンだけは結構すっきりして好きでした。

2022-02-06

anond:20220206022647

ブクマについて

https://b.hatena.ne.jp/entry/4715023022544762146/comment/maninthemiddle

maninthemiddle “同じ映画で例えるならば「2001年宇宙の旅」を観てる時とおんなじなのだ。音も場面も数倍賑やかなのに、おんなじぐらい退屈になっちゃった2001年宇宙の旅面白いやん…

https://b.hatena.ne.jp/entry/4715023022544762146/comment/marsrepublic

揚げ足取り申し訳ないけど「2001年と同じ」なら終始興奮しっぱなしの超絶面白い歴史に残る名作、と言うことになってしまうんだが……?

もううんざりだ。2001年宇宙の旅が退屈な作品であることは間違いない。未だに不朽の名作だと持ち上げる回顧老人は回顧老人の自覚を持て。

2001(略)はそもそも冗長作品だ。意味の変わらない長尺シーンが非常に多い。現代基準で再構築したら上映時間は半分以下になるだろう。

それでも当時のファンは2001に熱狂した。それは革新的で鮮烈な映像体験を伴っていたからだ。あの映像を見ているだけで興奮したから、無意味な長尺を楽しめたのだ。

しかフォロワーとなる作品が次々と生まれCG技術進歩し、表現技法さらに洗練され、SF表現もより先鋭化した。

そして時代を経るにつれ、物語作品定型化が作り手と受け手の双方に共有され、作品テンポはどんどん早くなっていった。起承転結のサイクルは加速し、画面内を意味が埋め尽くす作品が当たり前に享受される世の中になったことで、相対的過去作品冗長化したのだ。

現在視点から見ると、2001は「映像陳腐化」「物語冗長化」のダブルパンチを食らった過去作品となっているのだ。

そりゃ退屈だよ。

この無意味でつまらない映像は一体いつまで続くのか?という拷問のような作品だよ。

2001公開当時に衝撃をウケたおじいちゃんにとって、その体験は色褪せない黄金記憶として残っているんだろう。

2001が後世に多大な影響を及ぼした歴史的巨作であったことも間違いない。

だがさらリッチ映像物語を過剰摂取して育った世代が2001を「退屈」とバッサリ切り捨てることも同時に間違っていないんだ。

昔話をしたいなら、自分センスが古いことを自覚して、現実理解した上で発言しないと若者に疎んじられるだけだよ。

2022-02-05

anond:20220204190811

大怪獣とは言うまでもなくかつて経済大国であった日本メタファーであり

この映画日本という没落していく経済大国に生きる若者たち暗喩しているのだ

先人が残した原発、硬直した社会システム政治の腐敗というゴミ処理に

うんざりしながらも力強く立ち向かっていくこれから世代を時に哀しく時にコミカルに描き出しているのだ

そういう感じなんだろ。見てないけどわかる。

SNSやめてブログやろう

両方やってる人も多いとは思うけども

自分も長年Twitterやってきて思いついた時にさっと書き残せる便利さは感じている

ただブログ形式で書くときって内容を推敲したり構成を考えたりするじゃん

書きなぐりのブログもあるけどやっぱりある程度長文になってくるとまとめ方というのを意識するんだよね

そうやって書き上げた文章は長く残ると思うんだ

それは自分自身に対してもそうだし ネット上の読み物としてもそう

今はブログでも反応は可視化されまくってるけど

それでもSNSよりは距離感は遠いと思う

そんくらいでいいと思うんだよ

SNSてのはコミュニケーションツールから反応が大事なんだけど

まりにもそれが優先されてるんで逆に扱いづらいものになってしまってる

あとTwitterで怖いのは書いてるその時は気楽なもんなんだけど

ネット上にログが残るものなんで過去発言とかを上手く使われちゃうケースもよくあるよね

あの時はそうだった的なこともなかなか通用しないので 本来なら基本的パブリックものとして発言には気を配らなきゃいけない

でもSNSだとけっこうすぐ忘れちゃうんだよね

からこその面白さはあると思う ふとした本音がだだ漏れてるとか

ただそれって他人が見て面白いと感じる部分であってそういうのは結局あんまり自分の為にはならない

それこそ「日記にでも書いとけば・・・」になる


ブログでだらだら長文てのもあまり流行らない時代ではあると思います

でも長い目で見ればやっぱなにか発信するにしてもブログのほうがいいんじゃないと思うんだわ

言霊ってあるでしょ あると思うのね

Twitterみたいなとこで気軽に言葉にしてしまうのって俺はけっこう怖いなと感じるようになったよ

増田でこうやって書いてるのもまあ同じといえば同じなのかもしれないんだけど

Twitterはなんていうかあまり日常と地続きなんだよな

いやそれは使い方次第なんだけど そうなりがちじゃん

ライフログなんて言い方もあるけど

単純に記録とかならいいんだけど

人間ってやっぱ「ちょっと良いこと言いたい」とか欲が出てくるじゃない

別になんにも考えてないんだけどそれっぽいことも言いたくなるじゃない

そういうのにSNSはとても向いてるんだよね

でもさ そういう思いってもっとこう 薄く積み重なっていって

澱のようになって初めて形になっていくというか

短絡的に 安易に吐き出してしまって満足しちゃうのってもったいないなって思う

そうやって小さい単位で満足していくことで 自分の中にあるはずのものが固まりきらないまま過ごしてしま

無意識のうちにそうなってるんだよね

SNSでいいのはやっぱり情報に対してのアングル豊富さとかリアルタイム性で

そういう面ではほんと素晴らしいなーと思うよ

ももうほんとケンカとか多いじゃん

なんかうんざりしちゃって いい大人がさ

今ふと思ったけどさ

Twitter上でケンカするから巻き込み巻き込みでクソリプとか飛び火とかしまくって

どんどんわけわかんなくなるじゃん

そういう時のために議論向けの場所提供するようなサービス誰か作ればいいんじゃない

議論が白熱してきたので続きはこちらで」みたいな

Twitterは激しいやりとりが行われるにもUIにわかりにくいし

Twitterでやるからファンネルだとか巻き込みリプとか起こるんだし

そういうのは外野の声として当事者から切り離したとこで可視化するくらいでいいと思うわ

なんか全然関係ない話になっちゃったけどブログ頑張れ~ってことで

anond:20220205120930

その思い上がりがダリィなぁって思ってなかった?

なんか勝手に部下に不信感持って「お前たちは甘ったれてるから成果を出すためにリーダーシップのある俺がやり方を考えたぞ」って言ってくるとダリからますます言われたこと以外やる気失せるし、まともな解決策も話し合えない関係性になってることにうんざりする期間は無かった?

マネージャー」って意識になった人は途端に自分がヒラだった頃の気持ち忘れる

お前本当に「マネージャーリーダーシップ発揮して欲しい」とか「マネージャー自分気持ちを聞いて欲しい」とか思ってたか

素直に言うが、俺はそんなこと全く思ってないぞ。

しろリーダーシップを発揮しなくては」って意識からか大した知識もないくせに現場の行動に口を挟んできたりすることに迷惑してるし、「部下の気持ちを汲まなくては」ってことなのか一対一のミーティング入れられるがその時間中ずっと部下である俺の方がずっとマネージャーの機嫌を伺っててうんざりしている。

マネージャーなんて俺たちのやりたいことを聞いてその上の管理職に話通すことだけしておけよって思ってるし、俺が仕事としてやりたいことさえ叶えてくれてたらそれが信頼になるから定期的なミーティングなんていらねえんだよ。というかマネージャーに「お前の仕事迷惑している」って言えたか?無理だろ。現にこういう話を俺はお前に話さないでここに書いている。

なんでそんなことも忘れて、マネージャーになると途端に女々しくなるのか。理解できない。

2022-02-03

フェミとかアンチフェミとかもうしんどいうんざりだなあ。とはいえ出生率改善しなさそうだしもう詰んでるな。戦争でも始まるんか。

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