はてなキーワード: うまみとは
どうかと感じるポイントをまとめた。
ワールドトリガーは胸のカップ数(バストサイズ)表記をやめてほしい。
最初ここ読んで期待した。
ようやくこの手のこと「自分の感情」として整理してきちんと言える人が出てきたのかなと。
けどすぐにずっこけさせてくれる。
倫理観!
自分の感情と「自明で万民が従うべき正義」みたいな妄想を区別しておくことが出来ない。
なら最初から「自明の倫理に沿って葦原大介を糾弾する!」って書き出しをすればいいのに、たぶん表現規制派のお気持ち規制への批判見て表面的に学習して対応したんだろう元増田は。
「自分の気持ち」→「これは議論の余地なき倫理」といういつもの規制派スライドをキメてしまう。
でもせっかくだし読んでいく。
本筋と関係ない、バストサイズ表記などで弾かれてしまって欲しくない。
(弾いてるのはお前だろ? という指摘を頂くかもしれないが、『倫理観的に良くない』という評価がどれほどマイナスになるかは皆さんご存知かと思う)
それでいいのかなー?」
だってさ。
カスが。
自分のお気持ちと同方向の「価値観の変化」というものがあり(それ貴方の妄想ですよね)
その変化に追従しないことは許されないのであり
葦原は変化に追従せずに自分の『性癖』で描いてるからダメなんだってさw
このカスが。
一番卑怯で腐ったやり方を選んじゃうんだよね。
いっつもそうなんだこの人達。
この「世間がそうなっている!」「未来はそうなっていく!」的な言い方すれば
自分の責任は回避できるし表現規制の誹りも回避できるはずだという
そういう甘い考えで何度も何度も見え透いた同じトライを繰り返してる。
どうしてもこの責任逃れしながら表現規制するという誘惑から逃れられねーみたいなんだよな。
そのお前が主張している「価値観の変化」や「今の価値観」の方が優位で従うべきだって言う根拠は何なの?
しかもさあ
仮にそういう「価値観の変化」「今の価値観」が閣議決定された実在の法令であってもそんなもんクソだと思うけど
実際のところはそんなもんないっつうか、お前が自分のお気持ちを正当化権威化するためにそう言い張ってるだけだよな?
アホが。
で、改めて、
作者の葦原のシュミより優先されるんだよ?
「葦原のシュミでは?」とか言い出すなら全てがとっくに葦原のシュミじゃねーか。
未成年が戦って緊張し喜び悩み恐怖し挫折や成長するところを描きたい。
未成年の肉体が躍動したり傷ついたりするところを描きたい。
どこまでも葦原が選ぶ葦原のシュミじゃねーか。
好き好んで葦原のシュミを何十巻と読んできたくせに
一か所気に入らないところがあったら
「これ葦原のシュミで描かれてない?」って言いだすのなに?
ってのは本当に、ワートリを何だと思ってる発言なんだろうか?
たとえば北朝鮮の刊行物に載ってる漫画ならそういう指弾はありだ。
「これ作者の趣味で描いてないか?」「党の価値観に従え!」ってな。
独裁者か幼稚園児にしか持てないはずのマインドをいい歳こいて開陳しないでほしいんだよな。
頭プーチンフレンズならさっさと義勇兵に行ってクリミアをウクライナの魔の手から救って来いよ。
当然表現規制派十八番「差別を助長する!」も実績解除してくれてる。
「繋がりかねない」って何?
・漫画の表現からどういう機序でジェンダー差別やルッキズムに繋がると主張するかの論立て
ぐらい揃えてから規制根拠にしてくれっていつもいつも言われてるよな?
じゃおめーの好きなもん並べてみせろよ。
そんなガバでいいなら1個につき1秒で捻りだしてやるよ。
お前がお前の好きな物を楽しめてるのは
お前みたいなモノ考えるの苦手なバカに規制権力渡さないよう先人が抵抗してきたおかげだぞ。
というかさあ
お前は本当にお前が楽しんでるものにルッキズムがないと信じてるのか?
例えば、
本当にルッキズム的な要素を「細心の注意」払って取り除くなら
なぜ事細かに身長が設定され公開されてる?わかりきってるよな?
「このキャラは背が高くて格好いい」
「このキャラとこのキャラが話すとこれくらいの目線差が出て萌え」
なんてこと作者も読者も楽しんでるからだろ?
身長データで萌えるなんてまさに「ルッキズムに繋がりかねない」んじゃねーか?
コナンの犯人みたいに描こうぜ。それか隊服を男女ともブルカにする。
なあ。
お前が気軽に言うルッキズムの正味本当に考えてる?って話なんだよ。
自分は容姿の好みを楽しむけど自分の気に入らない好みは取り締まりたいっつー恣意的バカの妄言だろ?
お前が好みのキャラの細かい設定読みたいのと同じ次元でバストサイズ読みたい奴もどっかにいる。そこに上下も貴賤もねーだろが。
なるほど、実際にいわゆる『腐女子』である私は、男女ともにキャラクターを性的な目で見ることもある。
かっけーw
「ルッキズムに細心の注意を払った表現です。各々心の中で想像で頑張ってください」
おめーそれでもワートリ買うのか?
買わねーくせによ。
人に要求する時だけ高い水準の努力と「細心の注意」を求めるけど自分の欲望や快楽にはノータッチ、それどころかちょっとでも嫌なことあればピーピーいう。
自省や自発言の反転チェックみたいなことって表現規制派の精神活動には存在しないわけ?
そこに『推奨してる』と因縁付けるなら
作者はあらゆるキャラに対し読者が欲情することを『推奨してる』と思うよ。
お前は違うの?
お前の推しキャラへの感情に性的なものが無いと言える?言えねーだろ?
作者の提供する絵、エピソード、設定、描写、すべてがキャラに欲望を持つことを『推奨』していてそこには性的感情も含まれてるよな?
お前の論理ならワートリに細かいクレーム付ける迂遠な方法よりもっと簡単で根本的な解決方法がある。
全ての漫画において。
キャラ萌えと実在社会の未成年への性犯罪みたいなものと区別つけられないお前みたいな人は、未成年が出る漫画を一切楽しむべきではない。
未成年が出る漫画の一切はお前の言う「未成年を性的に見ることを推奨する漫画」そのものだ。
お前がお前の論理を本当に信じてるなら
お前の目から見て殆どの漫画が汚らわしい罪に満ちた汚物のはずなんだ。
原理主義イスラム教とか統一教会とかに既に入ってるならお前の話わかるよ。
でもそうじゃないだろ?色々楽しんでるんだろ?
つまりお前の論理は口先だけ、因縁付けの為に後から捻りだした浅い屁理屈であって、「細心の注意」なんかどこにもねーんだよ。
ただただ自分の気に入らない物を抹殺できないかって無い知恵絞って理屈をこねたというだけ。
(もっと人の役に立つことに脳使えよ)
未成年を問題にする時お前の論理だと「葦原は14歳が戦争に行くことを推奨している」とかも言えるはずなのにそこにも反応しない。
屁理屈なりに自分でチェックして「上手く行くかな?」ぐらい考えることもしねーのかお前は。
結局「我々の進歩についてきていない反動である!」というバカ進歩派のテンプレが始まる。
ジェンダー観とは何か、何故正しいか、何故従わせることが許されるか、
論理一切なし。
自分と同じ意見だけを「ファン」とし自分と違う意見自分の意見に反対する意見は無視し「ファン」に勘定せず客観的データはない。
ならなんで最初だけ、自分の頭と責任で発言する人間の振りをした?
ワールドトリガーの『良さ』は綿密に錬られた世界観や読者の発想のさらに上を行く展開、
「だから四肢欠損描写をなくすべき」ということにはならんし余計なお世話だ。
少なくとも私は、「ワールドトリガーはキャラクターを性的に見ることにも重きを置く漫画である」というメッセージを受け取れない。
「ワールドトリガーはキャラを性的に見ることが主題の漫画」になるのか。
「単行本の片隅に記載されてるのすら我慢ならなくて抹殺したいんです!」って。
何が「主題」だこのアホタレが。
うへっ。
あのさあ!
腐女子界の外に持ち出してくんのやめよう?
お前みたいに越境干渉していいなら俺はむしろその胸糞わりい腐女子ワールドに攻め込んでクソみたいなお気持ちリンチ慣習滅ぼしてーわ。
なんでお前みたいなカスの支離滅裂で非論理的なお気持ちクレームが通って
漫画やら書いてる側がそれに屈して頭下げる?ほんと創作側腐女子には同情する。
お前が絶対視してるその不潔なルール、少しも自明でも普遍的でもねーからな?
本当にバカもいい加減にしてくれよ。
けどお前等のその腐れ腐女子学級会ルールで作品やファンや作者を支配しようとするな。
そもそも女性向けや腐女子感性からは出てこない少し外れたものが欲しくて少年漫画を見るんじゃないのか?
そこに腐女子感性のクレーム入れてどんどん自分達に同化させたら結局当初目当の差異のうまみもなくならね?
全てを腐女子の感性とルールに塗り潰すのって腐女子の幸せになるか?
「時間が無かったのでラクガキです;;」って言いながら絵を出す奴か?
お前は自作絵アップしてんじゃなくて葦原大介とワートリにここまでアヤ付ける文を公開している。
せめて「私の全力でチェックし全能力を込めました!」が礼儀じゃね?
そもそもここまで見てきたお前のカスな責任回避とアウトソースと0エビデンス因縁付けの、
どのあたりに「勇気」なんか示されてたんだ?
まさか「自分の文がボコボコに反論される可能性の恐怖に耐えましゅうぅ」なんてことを勇気とか言っちゃってんの?
好きだと言うワールドトリガーやその作者のことすら本当のところお前の世界の中に他者として実在しない。
けど自分しかいない世界に生きてるので他者に通用するプロトコルや論理なぞ操れず、
「なんやこいつアホなんか」と読む人を呆れさせる。
この繰り返し。
ずーっとずーっとそういうことやってるよな。
エロ同人作家はヌくとエロが書けなくなるからヌかずに自分のおかずにするエロ同人をかきあげるときいた
その話でいくと「結婚含めた人生そのもの」にあこがれを抱く作家は結婚という人生のうまみをあじわわずに「結婚てのはさぞうまいんだろうな」という気持ちだけを練り上げて書けばいい、わけなんだけど
それでずっとやっていけるかというと老境はたいてい全員「若い人生さぞうまいだろうな」という気持ちになれてるのでおじいさんおばあさんが若者をうらやむがなにもしないというつまらん増田のごとき金取れない匿名日記にしかならないんよね
やっぱりどっかで人間的成長はしたほうがいいとおもうし親になるってのは一つの成長だとおもう
大江健三郎とか今からみると障害児の親としては全く完璧じゃない(昭和の男親らしいよ)んだけどそれでもネタにしてたわけだしね
もちろん火星行ロケットの指揮とか消防・救急で夜中でもたたき起こされていて、まともな家庭生活は送れていないが宇宙科学だの救命医学だのについてめちゃくちゃ成長を積んでいる人も世の中にはいる
でも親になるってことは人間という生物を飼育するのに最低限どういった環境が必要かを直接毎日要求されることなんでやっぱりかなり根本的な人生を生き抜くための「やさしさ資格」を取得した感じになるし、今までの自分がいかにやさしくなかったかとか、自分と半分同じ遺伝子を毎日観察するのだから自分自身が外から見てどういう個性だったかもわかる
(もちろん親にならずに介護資格や看護師資格、医師資格をとってやさしさレベルをあげてる人もいるから100%ではないけどね)
フィリップマーロウじゃないけど強くなければ生きて行けないし優しくなければいきていく価値がない
なので親になって最低限の強さ・やさしさ資格を取得しておけばそうそう無駄にはならんとおもう
※一度親となってから離婚した人が若い異性にもてやすいといわれるのも、ファザコン・マザコンといわれるやさしさ好きなアダルトチルドレンにモテてるのである。
こんにちは、こんばんは!
今夜のメニューはごちゃまぜそば。油そばと呼ぶお店もあるようです。
ということで、手軽な一品、ごちゃまぜそばをおうちで作ってみましょう。
お湯が沸くまでの間に調味料をどんぶりに入れ満遍なく混ぜておきます。
中華麺を茹でます。お湯が沸騰したら、麺を投入して、ふきこぼれそうになったら、ビックリ水を入れ、再沸騰するまでゆでます。
茹で上がったら、軽く湯きりをしながら、麺をどんぶりに移します。
調味料と麺を良く混ぜて完成です。
茹でもやし(茹で時間20秒)やチャーシューや味玉を添えるとかなり完成度が上がります。
なべもひとつですむ、お手軽な一品。あなたのレパートリーにぜひ加えてみてくださいね。
今宵はここまで。
そんじゃーねー。
最近勝率いいんです。大体800局くらい半荘やって平均2.2位くらい。ラス率は今確認したら17%でした。
大抵東は耐えて南場から捲りトップ。振り返れば直放銃ナシみたいな局多くてなんかあるんかな思いまして。
てなわけで、最近麻雀やってて、「これ本当にあるなあ」思ったことがあったのでちょっとまとめてみました。小手先のテクというよりはもっと根っこの部分に当たる話かと。
「そもそも地運てなんやねん」て話ですが、天運とは逆のもので、育てて培われていく運のことです。ウンチじゃないです。チウンです。
運とついているのでオカルトに捉えられがちですが、要は自分の調子、集中力を最大限に引き出せているか、ということです。
局の最初からアンテナビンビンでピンピンロクとかアガりまくれてるならいいですが毎回そうとは限りません。
下記の4つを意識して局を進めることで、中盤から後半にかけて地運を育てあげ(絶好の状態に自分を持っていき)、勝ちを掴むっちゅうわけです。
1.まずは基本を身につける
2.小さいアガリでも掴みにいく
3.でも無茶な突っ張りしない
1.まずは基本を身につける
具体的には捨て牌読み、牌効率、点数計算などなど。麻雀やる上での知識的な要素をきちんと学んでから麻雀やろうって話です。
なんでもそうなんですが、戦術知らずに戦略練るなんて無理だと思うんです。
例えるなら「武器は誰かが落としたやつ拾えばええやろw」と丸腰で関ヶ原の戦いに参加するようなくらい、リスクあるもんだと思ってます。
そもそも、やり方勉強して試行錯誤、守破離して強くなっていくのが醍醐味であって、これやらずに「あー。なんかよくわからんけど勝った/負けたわあ」とか言ってて何が楽しいの?くらいに思ってます。
さて、本題ですが、基本が身につくことによるうまみは「相手を観察する余裕ができる」ことかと。
悩みながら切ったのか、思い切るような感じで切ったのか、他家のリーチ中に危険牌出してきたかなどなど。
これら相手の動作(それもどんな表情、様子でやったか)きちんと観察できていれば、聴牌時の危険牌がある程度読めるし、立直者以外にも警戒する必要があるのがわかったり、「そろそろこいつ聴牌しそうだから仕掛けて早めにアガッとこ」と打ち方決めたり、、
つまりは卓上の情報と絡めることで他家の手牌状況をより細かく推測できるし、それを基に早めにアガりに向かうのか、どっしり門前で聴牌目指すのか、はてまたオリるのか、ベストな打ち回し方を決めることができるわけです。
よくプロが仕掛けていても当たり牌だけビタ止めしたのが話題になってますが、あれは相手の所作や捨て牌も頭に入れていて、「あの牌は危険。なので引いたら絶対出さない」と予め決めながら打ってるからです。
麻雀において、これ来たら絶対出さないみたいに鉄の意思を持つの、結構大事です。
2. 小さいアガリでも掴みにいく
逆に小さいアガリでもいいので勝ちを重ねると自分の調子を上げることができると考えます。
気分を上げることで更に積極的に仕掛けて、次のアガリを掴むことができるわけです。(但し、調子に乗っちゃだめです。どんなに地運が高まっていても1回でもつまらんミスすると1発で崩れます)
手役にこだわったりとかしがちですが、でかいアガリ1発ではなく小さいアガリを重ねるメリットは、「自分があがることで相手のアガリをなくせること」です。
あとちょこちょこ鳴かれたりしてアガられると、相手からしたら結構神経にくるので、冷静な判断を鈍らせることもできたりします(相手の性格次第ですが)。それでヤケになってきたところをきちんとそれなりな点数で刈り取るのはあるあるパターンかなと。
*とはいえ南3局で全然点数ないのに1000点アガリとかはだめです。状況によってある程度は戦略変えることもあります。
3. でも無茶な突っ張りしない
2で書いた通り、たしかに攻撃は最大の防御ですが、無理な攻撃は逆に身を滅ぼします。このゲーム、アガリよりも振らないことの方が大事なので。
そのため、他家のリーチや仕掛け(特にドラポンとか染め手)に対して、間に合わないとわかったら徹底してオリます。この時大事なのが、他の人も意識したオリをすること。通ってる字牌を思考停止で切るのではなく、まずはひとまず安全なのがわかっている真ん中の牌から切る。他家から追いかけが入ってもきちんと逃げきれるオリをします。基本一度オリと決めたらもう攻めません。
*オリてるのに中途半端に攻めに転じたせいで放銃すると一気に調子崩すのでご注意を。
4.ミスをしない
オカルト的な話ではなくて、要はミスすると「調子が狂う」のです。
「つまらないミスで放銃してしまった…」と余計なことを考えるせいで本来の集中力が発揮できない、「またこんなミスしてしまったらどうしよう…」とビビってしまい、本来の自分の戦い方を崩してしまうことになります。
「そもそもなにをもってミスとするか」ですが、厳しめで判断してます。具体的には、
・読み誤った突っ張りによる放銃
・泣き逃し
・打牌選択誤り
・チョンボ
などなど。
てな感じで粗めですが今のところの考えまとめてみました。
ちなみに、たまにどうしようもなかった放銃を食らうこともありますが、この時大事なのは「引きずらないこと」です。ミスして放銃したわけではないので自分に非はないです。焦って取り返そうともしなくていいので、やれることをやるだけです。
鶏むね肉を常食しているが、普段は皮は食べないので、剥がしてジップロックに入れて冷凍していた。
そのジップロックもパンパンになって場所塞ぎになってきたので、鶏油を作ることにした。
鍋に鶏皮を入れてひたすら弱火にかけるだけ。
最初は水分も出てくるが、そのうち水分は飛んで、鶏皮から溶け出した油だけになる。
もう皮から油が出ないかなと思ったところで火を止めて、粗熱を取ったら網じゃくしなどで軽く濾して、油を保存瓶に注ぐ。
まだ温かいうちにスライスニンニクや刻みネギやハーブなどを入れて香り付けするのも良い。
チャーハンなどの炒め物に使ったり、料理にコクや風味を与えるためにひとたらししたりするとうまい。
残った方の皮は、フープロで粉砕して鶏皮そぼろにする。
4/19、16時少し前、Chim↑PomのTwitter(https://twitter.com/chimpomworks/status/1516309905828810753/photo/1)で改名のお知らせが出ていた。
まず、内容をざっとまとめよう。
・Chim↑Pomは”際どい社会人”である“間違ってもただの「健全」なグループだと勘違い”してはいけないグループだと自称している現代アーティスト
・Chim↑Pomは現在森美術館で個展を2月から5月末まで開催中(開催真っ只中!)
・会場準備の設営費の一部に協賛金が必要になっていた(1000万円ほど)
・そんな協賛金のうち、Smappa!Group(接客を伴う水商売(ホストなど)の会社であり、Chim↑Pomと数々の協働もしてきている会社。Chim↑Pomの一人である「エリイ」の夫が会長を務める会社でもある。)の金額のみ森美術館が受理していない
・受理していない理由は「六本木ヒルズという『まちづくり』における『ブランディング』」「森美術館はヒルズという『文化都市』の顔である」と森美術館は言っている
これに対してChim↑Pomは、
・受理しないことは、”アートによる「多様性」と取るか「『多様性』の搾取」と取るかは、議論が必要”である
・受理しないことは、クリエイティブ産業が街から「猥雑」なものを十把一絡げに職業や属性により排除する「旧来のジェントリフィケーション」の典型だとも捉えている
・社会全体、そして、特に多様性をうたう森美術館が”実態としては公共性よりもブランディングを優先し、いざ自身の問題として直面すると排除する、という常套手段がまかり通ることに対しての違和感をここに強く示す”
・そもそも、「スーパーラット(ポケモンのピカチュウを模して渋谷の街で捕まえたネズミを黄色く、頬は赤くしたもの)」の美術館内での展示ができず、美術館内ではなく共同プロジェクトスペース内での展示という落としどころになっていたことも”「表現の自由」に議論の余地ができた”ことだったから、水面下の交渉に限界を感じ、発表した
でもって、森美術館は
・全媒体&広告物の「Chim↑Pom」の名前を「Chim↑Pom from Smappa!Group」に変更して今後は使用する(使用開始の期限はGW明け5/15)
・Smappa!Groupの協賛金受け取りとロゴの掲載の検討
という感じだろうか。
改名、いいじゃないの、したらいい。意志表示、どんどんしたらいい。
でも、いくつかの点で、この声明文に物申したい。
おっと、その前に。まず、増田は当事者でもないし森美術館および森ビルの関係者でもChim↑Pomファンでもない。
そのため、すべてのことは想像でしかなく、中には事実と反することもあるだろう。
それを踏まえて、聞いてもらいたい。
①”多様性””公共””ブランディングを優先””ジェントリフィケーション”
⇒キャッチーで、そうそう、そうなんだよ、反体制のスピリット!と、どこかアナーキーなアーティスト性に酔いしれたいファンが応援したくなる巧みな言葉遣い。うまい、うますぎる。
⇒だけど、待って。多様性って「いつでも全てを無条件ですべてを認める」ということなのだろうか。幼稚園にロリコンの成人が混ざりたいといっても、幼稚園には幼稚園の対象があり断られるように、NHKで企業名を出さないように、R18のゾーニングをすることのように、男湯と女湯を分けることのように、さまざまな無条件ではない場合にも、そこに多様性がないわけではない。多様性とは、で調べると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。」とある。そうだと思う。『群』だと思う。その『群』を否定してはいけないが、その『群』が完全に混ざり合う必要はないのでは。だから、多様性の一つの解釈に「いたずらに何かを排除してはいけない」があるといえるだろう。今回は「排除」しているのかもしれないが「いたずらに」ではない。そもそも、”公共”の要素を持っているからといって、森美術館は『株式会社』だ。”ブランディングを優先”そりゃそうだ。株式会社だ。権威であろうと、体制であろうと、そこには日々の生活と日々の業務があり、誰かにとっての、そして企業にとっての小さな信頼と伝統を積み重ねてきた「商いの形」がある。そんな「商い」の中で、交渉をし、契約を結び、落としどころを見つけながら話していることは、「いたずらに」ではないのではないか。そこには企業としての意思がある。
⇒ジェントリフィケーション、その通り。『都市開発』では『都市』を『開発』するのだから、そりゃあジェントリフィケーションが起きる。でも、それとこれとは別の話ではないか。接客を伴う水商売を悪いものとしているわけでも否定しているわけでもなく、ただ「うちとは合わないよね」といっている話に、たいそうにジェントリフィケーションを持ち出されても、森美術館の言う通り「ブランディング」の内側の話を拡大解釈しすぎではないだろうか。
改めて、会期中、しかも会期残り2週間のためにすべてを修正しろっていうのは担当者のことを考えると辛すぎる
⇒アートと商いは相性が悪いという話は、アートと商いがとっても相性がいいという話と同じくらいよく見受けられる。アートの中で、資本主義は時に否定され、時に資本主義と共に大きく幅を利かせている。
⇒会期残り2週間のために用意しているあらゆる媒体資料・広報資料の名前を『物理的に(印刷など)』修正し、デジタルであっても『修正依頼を(人力で)』ひとつずつかけて、すでに用意していた様々な資料もすべてをやりなおす。だれがその資金を工面するのだろうか。森美術館がするのか?商いを馬鹿にしすぎている。契約という約束事が軽すぎないか?
⇒人気も出てきた、会期も真ん中、なぜいま発表をする?別で準備しているイベントがまとまったからか?なんなんだ?Chim↑PomもChim↑Pomで契約に同意し、うまみがあったり意義があったり面白味があったりいろいろな理由を超えて「森美術館でやりたい」と同意したから、会期が始まっているのに、なぜ、今なのだ?そんなに不快なら仕事を受けなければよかったのかもしれない。始まる前に話し合ったり声明文を出すのも手だったかもしれない。でも、今、すでに始まった中で後から手を翻し、ずっと怒っていたと一方的にきざな言葉で並べ立てるのは、いささか「商いを馬鹿にしすぎている」としか思えない。ひとりひとりのお客さまからお金をいただいて、ひとつひとつの企業さまからお金をいただいて、誰かのお金になるように、経済を回すこと、生活すること、権力だろうと権威だろうと体制だろうと、そこには人がいるし、そこには道理があるのではないだろうか。強者に対してなら何をしてもいいとでも思っているのだろうか?
⇒会場に行った方なら体感できるだろうし、行っていなくても写真を見たらわかるだろうが、今回の展示、かなりアグレッシブな展示方法も展示手法も含まれている。これは予算が…これは消防法…設営の順番大変そう…いろいろな制約を乗り越えられるよう、ひとつひとつアーティストと館の間を取り持ち、掛け合いながら進んだのではないか、と感じさせる会場だ。
⇒1000万円、通常の展示ではないことをたくさんする(=森美術館としては、新しさのあることにしたい&今までのChim↑Pomの活動をそのまま紹介できるようにしたい)という意志もあって、「会社的にはこれ以上の設営費の負担ができないので、その形での展示は出来ないのですが、設営費をいただけたら、なんとか…」という落としどころをもって話した結果だったりはしないのだろうか。
⇒そのうえで、「受理していない」場合は、その「不足額」は誰が払っているのだろうか、「その協賛金を受け取れないのは森美術館側の話だから、その不足分は森美術館で持ちます、だから、すみません」そんなやりとりがあったのではないだろうか。スーパーラットの展示を美術館内で出来ないと判断されても、展示の流れに組み込みたいという思いで共同プロジェクトスペースに設置しているのを思うと、ついついそんなことを想像してしまう。
物事は多面的で、憶測でモノを申している立場で本当に申し訳ないが、
やっぱりこの声明文でChim↑Pomが評価されていることに納得がいかない。
きざな言葉を並べて、弱いふりをすれば、もしくは本当に弱者の立場であるからといって「弱さを盾にすれば、権威のことを後ろから殴ってもいい」そんなわけがないと自分は思う。