はてなキーワード: 混沌とは
小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。
何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。
ある時、俺に天啓が降りてきた
犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。
ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。
母親はきっと呆れ顔だったと思う。
それでも、サイヤ人的理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。
地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみはボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。
手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。
クラスの男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。
生真面目がすぎる委員長的女子の問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。
果たしてヒモはペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である。
長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペットを学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。
しかし、我々は屈しなかった。
物の不足は、心で補えばいい。
ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。
美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。
我々は、互いに自分のペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。
今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。
かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。
しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペットは話題にあがらなくなってきた。
それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。
それから三十余年。
俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモ太の子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。
いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。
以下は、D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)公式ブログ 2021年10月4日付記事の和訳である。これに続く形で発表された。英語版のエラッタおよび注釈記事(https://dnd.wizards.com/dndstudioblog/sage-advice-book-updates)については有志による翻訳(https://blog.nekohaus.net/20211228.html#p01)が発表されているが、その前段として発表された記事となる。
ここ数日一部で物議をかもしている、2021年12月27日発表のD&D日本語版エラッタに関する(おおかたは不毛な)議論をいくらかでも建設的なものにするために資するところがあると考えて和訳した。
原文: https://dnd.wizards.com/articles/sage-advice/creature-evolutions
最新のD&D書籍である『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』では、プレイヤーキャラクターとして使用できる種族が2つと、一群のフェイワイルドのモンスターとNPCたちが活躍します。今回のセージ・アドバイスでは、これらの新たな選択肢におけるルールの進歩について説明します。まずはデータ・ブロック、次に新種族についてです。
過去約1年ほどのあいだ、D&Dのデータ・ブロック記法を洗練させてきました。使いやすく、またDMがコントロールするクリーチャーをゲーム内でより効果的に動かせるようにするためです。以下の各項では我々が既に行なった主な変更を解説します。これらの変更は以下の書籍に見ることができます。すなわち『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』『フィズバンズ・トレジャリィ・オヴ・ドラゴンズ』『ストリクスヘイヴン:ア・カリキュラム・オヴ・ケイオス』そしてモルデンカイネンのお送りする『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』です。
「図版(原文参照)」
(例として、ブリーワグ・ナイトのデータ・ブロックとイラスト)
クリーチャー種別は、常に頭文字を大文字で表記するようになりました。これは、ルールテキスト中で特定の種別に属する特定のモンスターの話をしているのか(例:a Giant と書いてあれば巨人種別のクリーチャーを指す)、それとも通常の意味でその言葉を使っているのか(「彼女はバードたちのコミュニティにおける巨人であった」という際には giant を使う)を識別しやすくするためです。
我々はまた、どのモンスターが「人型生物」種別を有するのかを厳密にしました。人型生物は、今では倫理と文化の幅において人間に似通った種族だけに限定されます。今後、以前の書籍をアップデートする際には一部の人型種族をほかの種別に変更する予定です。『モンスターズ・オヴ・マルチバース』が発売されれば、以前は人型に分類されていたものが怪物、フェイ、そのほかの種別になっていることがお分かりいただけるでしょう。
『キャンドルキープ・ミステリーズ』『ヴァン・リヒテンズ・ガイド・トゥ・レイヴンロフト』では、属性がデータ・ブロックに入っていません。この2冊では、将来的に属性をどのように扱うかを決めるための時間を稼ぐ一時的措置として、データ・ブロックから属性を抜いてみたのです。検討の結果、『ワイルド・ビヨンド・ウィッチライト』では属性がデータ・ブロックに復帰しました。以降の書籍でも同様です。
一時的に入れなかったのはなぜでしょうか? しばらくの間、コミュティ内部では属性の役割について混乱が見られました。プレイヤーズ・ハンドブックのルールではプレイヤーは自分のキャラクターの属性を選びます。モンスター・マニュアルのルールでは、DMがモンスターの属性を決めます。どの属性を選んだかに関わらず、クリーチャーの属性はそのクリーチャーが持つ倫理の概観を説明するものです。属性によって行動が決まるわけではありません。属性は本質的にはロールプレイを補助するものです。
上記の2冊は「プレイヤーとDMが最終的な属性に関しては決定権を持つ」ことを明確にしていますが、この2冊によって疑惑も生じます。プレイヤーズ・ハンドブックはD&D多元宇宙の様々な人々(folk)の属性についての示唆を掲載しています。モンスター・マニュアル掲載のデータ・ブロックには属性が含まれているものの、それが示唆に過ぎないという但し書きはないのです。
この疑惑を払拭しつつ、ロールプレイの道具として属性を役立てることができるように、以下の変更をおこないました。
・固有名のある個人すなわちミスター・ウィッチやミスター・ライトは属性を明記されます。
・種別が人型生物のクリーチャーは一般に「どの属性でもありうる」と記載されます。DMに、こうした人々の倫理観には極めて広い幅があることを思い出してもらうためです。
・強い倫理的傾向を持つ魔法的な種族(エンジェル、デーモン、デビル、アンデッドなど)に関しては、属性表記の前に「典型的には」の語が付きます。たとえばデーモンのデータ・ブロックには「典型的には混沌にして悪」と表記されます。D&Dのデーモンの典型的な属性は混沌して悪だからです。このひとこと――典型的――は、DMに対して属性は物語を語るための提案であって、絶対的な存在ではないことを思い出させます。聖なるものが堕落することもあり、邪悪なるものが昇天することもあります。特定の組織――献身的な騎士団や悪魔崇拝のカルト――に属する者も時として「典型的には」と表現されます。
・野獣の大半、それに粘体などのクリーチャーは倫理観を分類することができないため、これまで通り属性を持ちませんので、「無属性」という表記になります。
クリーチャーの中にはタグが付いているものもあります――エルフ、ゴブリン類、タイタンなど。これらのタグは、データ・ブロックのほかの部分では表現されない重要な細部を表現するものです。我々は、ルールが参照する新しいタグをいくつか導入し始めました[訳注:これまで、タグにはルール的な効果はなかった]。これらのタグによって、クリーチャーはゲームシステム上でより鮮やかに活躍することができます。たとえば、一部のクリーチャーは「クレリック」「ドルイド」「ウィザード」といった呪文発動可能なクラスのタグを持ちます。また『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』では、こうしたタグをもつクリーチャーはマジック・アイテムとの同調においてそのクラスの一員として扱われるというルールが収録されます。
データ・ブロックの数字の多くは習熟ボーナスを含んだ(計算済の)ものです。このことから、今ではクリーチャーの習熟ボーナスがデータ・ブロック内に記載されます。場所はクリーチャーの脅威度の右隣です。
クリーチャーがボーナス・アクションを使用可能な場合、今ではデータ・ブロック内の「ボーナス・アクション」の項に記載されます。この項は「アクション」の次に記載され、もしモンスターに「リアクション」の項があれば、「アクション」と「リアクション」の間に「ボーナス・アクション」の項が入ります。
新しく項目としたのは、DMがクリーチャーを動かす際にボーナス・アクションを簡単に探せるようにするためです。これまではデータ・ブロックの上端ちかく、クリーチャーの特性の中にあって見つけにくかったのです。
2014年以来、呪文発動可能なクリーチャーは「呪文発動能力」または「生得呪文発動能力」の特性(あるいはその両方)を持っていました。2021年から、我々はこの2つを「呪文発動」アクションに統合しました。このアクションはデータ・ブロック内の「アクション」の項に記載されます。加えて、いくつかの重要な性質を持ちます。
呪文発動アクションは呪文スロットを使用しません。クリーチャーはアクションに記載された呪文を一日に特定の回数だけ使用できます。
呪文発動アクションに記載される呪文は発動に1アクションが必要な呪文だけです。呪文の発動にボーナスアクションやリアクションが必要な場合、あるいは1分やそれ以上の時間がかかる場合には、データ・ブロックの他の場所に記載されます。これによってボーナス・アクションやリアクションを使用する呪文――たとえばミスティ・ステップ呪文やシールド呪文――が呪文リストに埋もれてしまうことがなくなります。
我々は、データ・ブロック内に記載する呪文の選択にはこれまでより注意して、非戦闘的な使用法に焦点をあてています。魔法を使うモンスターが持つ最強の火力は、今では呪文に頼るのではなく、特別な魔法的アクションによって表現されるのが普通になりました。
『ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』の新たなキャラクター用種族、フェアリーとヘレンゴンはいずれもアンアースド・アルカナで登場し、同書でその最終的な形を見ることができます。両種族が持ついくつかの特徴は同書限定というわけではなく、今後登場予定の書籍に収録される種族にも適用される予定です。以下でその特徴を見てみましょう。
[訳注:フェアリーは羽のある小妖精。ヘレンゴンはウサギ人間。アンアースド・アルカナは公式WEBサイトで紹介されるテストバージョンのルール]
かつては、キャラクター種族の種別は暗黙のうちに「人型種族」であるものとされていました。新種族においては、キャラクターのクリーチャー種別が明示されています。たとえば、フェアリーのクリーチャー種別は「フェイ」です。
クリーチャー種別それ自体にはルールがありませんが、ゲーム中のルールの一部は特定の種別のクリーチャーに異なる影響を与えます。たとえば、キュアー・ウーンズ呪文は人造あるいはアンデッドには効果を発揮しません。
新たなキャラクター種族は、プレイヤーズ・ハンドブック所収の種族が持っていた「能力値上昇」の特徴を持ちません。そのかわりに特殊なキャラクター作成ルールに従います。これによって、「キャラクターの好きな能力値をひとつを2点、好きな能力値もうひとつを1点上昇させる」もしくは「異なる3つの能力値を1てんづつ上昇させる」ことができます。「能力値上昇」がないので、種族とクラスを互いに独立して選択しやすくなり、各卓で見られるキャラクターがより多様なものになるでしょう。[訳注:種族による能力値の縛りがなくなるので、例えばハーフリングがほかのクラスよりローグを選択しやすいといった状況がなくなるわけです]
。
どの能力値を伸ばすかを選ぶのに迷う場合は、自分のクラスの「簡易作成法」の項を参照することをお勧めします。たとえば、バードの簡易作成法ではキャラクターの【魅力】と【敏捷力】を伸ばすことを勧めています。
新しいキャラクター種族には年齢に関する記載がありません。そのかわり、キャラクターの寿命については以下の文章で説明しています。「典型的には、D&D多元宇宙におけるプレイヤー・キャラクターの寿命は、冒険の途上で暴力的な死を迎えない限り約一世紀ほどである。ドワーフやエルフなど一部の種族は数世紀に渡って生きる可能性がある。」
以前は、キャラクター種族を説明する文章にはプレイヤー・キャラクターの属性についての提案が含まれていました。今後の新種族にはこうした属性についての提案は含まれていません。キャラクターの属性を決めるのは完全にプレイヤーに任されているからです。
サイズ SIZE
ヘレンゴンなどの一部の新種族はキャラクター作成時にプレイヤーが小型か中型かを選ぶことができます。これは、その種族は体格の個人差が特に大きいことを反映しています。この選択肢は今後ほかの種族でも見られることになるでしょう。
そしてまた、種族ごとに身長と体重を提案するのではなく、以下の文章で説明しています。「プレイヤーキャラクターは、種族にかかわらず、我々の世界の人間と同じ程度の身長・体重の範囲に収まる。自分のキャラクターの身長・体重をランダムに決定したい場合には、プレイヤーズ・ハンドブックの身長・体重ランダム決定表を参照し、あなたがイメージするキャラクターに一番ぴったり合う体格をあらわす列を選択すること。」
新しいキャラクター種族には純粋に文化的な特徴を欠いているので、言語に関する記載はありません。そのかわり、新しい種族は共通語と、それ以外にプレイヤーとDMが適切と考える言語をひとつ知っています。
[訳注:ラビット・ホップ/兎跳び は、新種族であるヘレンゴンの種族特殊能力]
ヘレンゴンがラビット・ホップを使うとき、この特徴による跳躍は移動距離を消費しますか?
いいえ。ラビット・ホップの特徴はボーナス・アクションでヘレンゴンをジャンプさせます。この跳躍は通常の移動距離を全く消費しません。この理由は、大休憩と大休憩の間に使える回数が限られているからです。ラビット・ホップのルール文言と、プレイヤーズ・ Permalink | 記事への反応(1) | 20:39
#ユメグラ救済 の運動が出てきたときには、正直斜めに見てた。それは本当にキャストを思ってのことなのか? キャストがそれを望んでいると言っていたのか? 単にオタクのフラストレーションのはけ口が欲しかっただけじゃないのか、批判の対象が欲しいだけじゃないのか、くらいのことも少しは思ってた。
だからそのとき、運営を擁護するようなつぶやきもした。運営には本当に感謝してたし、キャストもそれを望んでいるだろうと思って。
でもリナ・リアさんのツイートに始まり、いくつかのキャストのツイートを確認してからは、「俺はなんて空々しかったんだろう」と思うようになった。
明るく受け止めよう、最後まで頑張ろうとしている人たちの中で、どうしてもそうできないキャストさんも居たじゃないか。そういう人に気づかずに、何も考えず「運営に感謝しよう」なんて言ってる俺はなんて空々しかったんだろう。
何が「悪役にしないで」だ。少なくとも彼女にとっては「悪役」だったじゃないか。現実は複雑で、いろんな経験と感情を抱えた人がいて混沌としているのが「普通」なんだ。大きい主語の言葉なんて何一つ言えない、明るいことも暗いことも言えない、これが俺たちのいる世界の普通なんだ。
だから、俺はもう何も言えない。俺は変わらず運営に感謝しているし、ユメグラが大好きだけど、少なくとも大っぴらに目に付くところでは「運営ありがとう」とも言わないと思う。
過剰な配慮だと思う。心苦しい、申し訳ないとも思う。他のオタクが強い言葉で運営を批判しているのを見れば、心を痛めるし怒りも湧く。でも俺はその人がどんな経験をしたのか、キャストとどんな会話をしたのか知らないのだ。
イベントも、最大限にゲストに配慮されたガイドラインも、丁寧な問い合わせの返事も、もちろんモデルもアプリも運営が作ってくれたものだ。みんなそれを分かっていて、でもそれでも今日の運営のやり方は受け入れられないという人がいるのは自然なことじゃないか。俺は運営が好きだから、同じように運営に感謝しているツイートを見たら嬉しくなる。でも俺自身は何も言わない。(好きなら好きだと)言うのが正しいと分かっているけれど。誰かの肩身を狭くしているかもしれないと感じることに耐えられないから。
もしBTCを、ゴールドの持っている機能をそのままに流通量だけを増大させた拡張ゴールドとして使うことができるようになれば、
金本位制の欠点を克服した、より強固な金本位制へと移行することはできるかもしれない。
もちろん、どの国も造幣とは別にゴールドを保有しているから、過程の差はあれど結果を見れば同じことだ。
しかしインターネットが国境を超越したように、ブロックチェーンが国境を越えることがあるとするならば、
デジタルゴールドは世界通貨となり、各国通貨は辺境の国々がばらばらに作っただけの地域通貨になる。
無秩序こそを理想とし、誰もが自分の欲望のために動くのは当たり前だと主張する。
インターネットの登場人物だと「迷惑系Vtuber」、フィクションのキャラなら「ジョーカー(バットマン)」
自分の利益追求のためならあらゆるものを犠牲にすることを厭わず、道徳や理念について口で語ることはあっても内心では全く興味がない。
インターネットの登場人物だと「竹中平蔵」、フィクションのキャラなら「遠藤(カイジ)」
ルールとは自分が利益を得るために存在するものであり、自分に都合のよいルールを世の中に受け入れさせることに執着する。
インターネットの登場人物だと「安倍晋三」、フィクションのキャラなら「兵藤和尊(カイジ)」
個人主義の信奉者であり、自分が利益を得ることのみを価値基準とし、それを自分で縛ってしまう道徳精神を嘲笑う。
インターネットの登場人物だと「ホリエモン」、フィクションのキャラなら「ジャイアン(平常時の姿)」
自己の都合・公益・社会通念などをないまぜにして天秤に載せ、その場その場で何となく傾いた方向に転ぶ玉虫色の人種。
インターネットの登場人物だと「ヤフコメ」、フィクションのキャラ、フィクションのキャラなら「マーベル市民(マーベル)」
ルールの範囲内で他者に直接危害を加えないようにしつつも自分に都合がよいという両天秤をかけていく。
インターネットの登場人物だと「漫画村は許せないけど、XVIDEOSで元々グレーなエロ動画の割れを見るのはセーフだと主張する人達」
社会の息苦しさから人々が開放されることを理想とし、その理想のために行動することこそが公益だと考える。
インターネットの登場人物だと「コロナは風邪派(ネタや収益のために広める側ではなくピュアに信じている側)」
公益を優先した結果であるならば既存のルールに抵触することがあってもセーフだが、やはり基本的にはルールを守りたい人。
インターネットの登場人物だと「ITオンチの連中が意味不明なルール増やすのマジ許せんと憤りながらグレーゾーンをウロウロする界隈」
絶 対 正 義 の御旗のもとに愚かなる民衆を啓蒙して回るために自己の人生を注ぐ献身的なる賢者たち。
うーむ……増田はどれなんだ~
悪役だけど正義っぽいとかあるけど
そういうキャラの属性の説明を一番うまく出来てるのはAD&Dのルールだと思うし。
善(グッド)
悪(イービル)
というのにざっくりと分かれる。
というもものだった。
善はルーク・スカイウォーカー、
悪はダース・ベイダー、
みたいな感じだ。
でも、それだと説明不足だと感じたのかAD&Dでその3つにプラスしてさらに3つの属性を付加した。
秩序(ロー)
同じくスターウォーズだと銀河皇帝とか悪だが混沌(カオス)ではなくて
秩序(ロー)よりの人だ。
だって元老院から推戴される形、正式な手順で銀河皇帝になったり、
この組み合わせをキャラに組み合わせていくと
なぜ悪なのに正しいことを言っているように感じるのか?
善で混沌とか言えるかもしれない。
(いや、ほんと無理やりだけど)
うむ、2.1アプデまでに崩壊3rdのメインを読破しておきたい、千人律者の序盤までは行った
あれは考察勢が以前から言っていた、この世界が地殻の裏側に作られた世界であり、地下国家であった例の国や地脈などは混沌(=崩壊?)に汚染された地上の世界であることを後押しする描写であると受け取れる
そう考えるとゲーム内のキーワードである、偽の星空、星と深淵を目指せ、などとも一致する
崩壊の世界観と照らし合わせると、テイワットは崩壊から逃れるためのシェルターであり、同時にシェルター外の崩壊エネルギーを引き出し利用する諸システムが存在しているという、ファンタジーの顔をしたクソ重SFであるという線が濃厚である
もちろんあの禍々しい反転世界が雷電将軍によって作り出された仙境のようなものであり世界との繋がりはないとする見方も自然であるため深読みしすぎだと一笑に付すこともできる
だが仙境とはそもそも何だという疑問が残るし、これを崩壊用語でいう世界の泡だとするのなら、テイワット自体が量子の海に存在している虚数の枝葉の一部ということになるし、なんなら天賦や聖遺物秘境の最後に生えている報酬貰える木(地脈の木?)のデザインももろにそれである
花火の品質にバラつきが大きく、突然燃え上がったり不発だったりするものも多かったらしい。他にも、落下傘型はときおり火がついた状態でおりてきたり、水上を勢いよく走らせる花火やら、今の時代より緩い花火事情を話していた。
現代の品質管理からするとありえないかもしれないが、そういう時代の花火はそれなりの面白さがあったんだとおもう。自分の子供時代も落下傘型はあったから、伊集院の時代からやや下って花火の規制が厳しくなる狭間を経験したんだと思う。
古い時代が良かったとは言い切れないが、そういう規制がかかる前や出始めた黎明期の混沌とした時期だからこそ楽しいと思える要素は大量にあったと思う
意識していたわけではないが、仕事が忙しいので競技は全く見れなかった。
スマホの通知で各種ニュースサイトの速報が流れてきて「へーメダル獲ったんだ。多いのか少ないのかわからんな。ふーん」程度の感想しか無かった。
ただ私は一応エンタメ系クリエイターの端くれだったので、開会式と閉会式だけはちゃんと見ようと思ってリアルタイムの予定を空けていた。
リオの演出には本当に心震えていたし、色々最後までゴタゴタがあったがそれでもどこかで
「なんだかんだ兆円規模の大会にふさわしい演出があるんだろう?」とどこかで期待をしていた。
なんなら恥をしのんでMIKIKO案でもパクってくるんだろ?さぁどんな禁じ手をやってくるんだ?とソワソワしていた。
どうであれどこかで楽しみに待っていた。
虚無だった。
虚無だけがそこに広がっていた。
しかもリオのときはオブジェクトと連動した光の演出だった気がするのに、会場をただスクリーンに見立てた映像演出。
漫画の吹き出しプラカードを手に虚空に向かって手を振る選手団の入場。特に関連性のないゲームBGM。
度々キャスターの口から出る「多様性」の言葉。何が多様性???
リオの煌めきは何だったんだ? ん、いや待て待て、ここから本番が始まるんだろう?
なんて思っている間にピクトグラムの余興。24時間テレビとかで見そうな演出ですね。
ドローンで描かれる地球。あーなんかドローンをスクリーンにするのって中国のイベント映像良く見るなぁ。
そして長嶋茂雄の痛々しい聖火リレーの姿。いや車椅子とかにしたげてよ、見てるほうが辛いよ。
開会式、終わり。
ところどころ順序が違う気がするけどまぁもう見返す気も起こらないのでご愛嬌。
終始私の頭では「なんだ?今私は何を見せられているんだ?」というはてなマークの嵐だった。
そっとFireStickのリモコンを手に取り、アマプラで配信中の東京卍リベンジャーズを見た。面白かった。
それから大会期間中は、冒頭に触れたとおりで、五輪が始まったこともあまり意識に無いまま日々を過ごした。
私の中で五輪ははじまっていなかった。
はてなでの連日のコメ欄でのバッシングなどを見て、あー今日も非難されてるわーと思った程度だった。
それでも私は諦めなかった。
私は五輪はどうでも良かったが、閉会式はエンタメ系クリエイターの端くれとして楽しみにしていた。
虚無だった。
虚無だけがそこに広がっていた。
キャスターが言葉として今やっている演出の補足を入れるんだが、それがいちいち薄ら寒い。
語らないと伝わらない演出意図が意味不明なパフォーマンスの数々。
演者たちが各々パフォーマンスを最大限やり遂げているというのは伝わってくるんだけど
なんの一貫性も感じられず、共感性羞恥みたいなものを感じてしまってただただ辛い映像が流れた。
後で何かの記事で、これは混沌を題材としたと言っていたが、カオスとは演出されて成り立つものであって
一応クリエイターの端くれの私からしたらこれは演出を拒否したただの無法地帯にしか見えなかった。
演者に全てを丸投げし、現場はどうにかいい舞台を作ろうともがいている、そんな苦しい空気を勝手ながら感じ取ってしまった。
突如差し込まれる日本美しいデスネな映像も前後の脈絡が無く、空虚なもの。
パリのPVは結構賛美されてたけど、私は特に刺さらなかった。リオがあまりに良すぎたので。
そして、終わってみれば、私にとっては開会式以上の虚無が眼前に広がっていた。
虚無を終えたところで、何かが始まって終わった感じが無い。
だから私にとって五輪は実感のないままただ過ぎ去っていったもの、だった。
私は日本で五輪やるんだから自分の中でどこかでお祭り気分みたいなテンションの振れが起こると思ってたんだ。
でも本当に、何も私の中に起こらなかったんだ。
クリエイターの端くれとして、こんなに心が動かない自分に驚いてしまったんだ。
みんなはどうだった? 五輪終わったなーって感じある?(パラがまだあるっていうのは置いといて)