はてなキーワード: 描写とは
この映画は金曜ロードショーで上映されたらしいのだが、子供の世話で見る機会がなかった。でもアマプラで配信しているのは知っていたから昨日の夜にそちらで視聴した。
結論を言えば全然面白くない。たしかに感想を探しても似たりよったりな低評価が散見されるが、そもそもこの監督は叩かれやすいからバイアスがかかっていると推測してある程度は無視していた。だからあらすじやビジュアル、そして個人的に名曲だと思っているOPだけしか知識を入れずに素の状態で鑑賞した。
もちろん良かった点はある。とくに主題歌はアニメ映画としてはきちんと作り込んでいると思われるし、なにより曲単体がとても好きだ。昨今の流行を外してイントロが長いのもいい。
それと、冒頭10分程度に収まっている、主人公が仮想世界にログインするシーンとかは中々わかっているなーと思う。
逆にそれ以外は全く面白くない。
この映画を見る前に曲だけはラジオなどを通して頻繁に聞いていたため、YoutubeMusicなどではかなりリピートしていた。なので本編より曲の方にずっと思い入れがある。
だからこそ、本編があの出来であるのが辛い。自分の好きな曲が主題歌となっている映画がああいうものだったなんて。
似たような例としては、打ち上げ花火がある。ただあれはもはや笑い話にもならないくらい酷くて、曲以外の良い要素がゼロという点で突き抜けているのでまだよい。そばかすの姫は一応は見どころがあるから困る。
とりあえず思ったことを箇条書きにしておこう
端的に言って脚本がひどすぎる。サマーウォーズがOZというシステムをうまく利用しているのに対して、竜そばのそれはTwitterで十分だと思う。Twitterやニコニコで歌ってみた人が思いがけずバズるということを発端にして現実の問題に向き合う、という内容ならばヒットはしないまでもそこそこの良作品になっていたかもしれない。
この映画ではアバターを通すことでその人の本質や才能を引き出す、という設定がある。だけど現実のSNSにおいて自分を偽ることで才能を発揮できる人は数多くいる。主人公が人前で歌うことができてそれが非常に上手かった、という描写は現実のTwitter等でも見る現象であり物珍しくない。そのくせアバターの介在なしにはっきりと歌えるという部分にはリアリティがなさすぎる。
そして竜の存在も酷い。竜はあの世界において自治組織から目をつけられる存在だけど、50億もの人がいる場のおいて単なるPK行為が衆人のもとで白日にさらされることなんて殆どない。例えば遊戯王の世界大会において優勝するほどの実力者だけど顔や素性が一切不明で暴力行為や不正行為の疑いがある、というレベルならまだ理解できる。だけどTwitter規模で暴力や不正をしたところでお尋ね者になったりはしないだろう。
逆にあの程度の暴力行為だけで盛り上がれるというのは、それだけUという仮想現実では娯楽がないということかもしれない。
サマーウォーズほど舞台装置として機能していないし、そこにいることで自己実現をできるほどのものがあるとは思えない。派手な演出でごまかされているけど、あの世界が存在する意義が最後までなかった。
監督は美女と野獣を現代的にアレンジしたいだろうけど、舞台装置が酷すぎるし主人公があまりに搾取され過ぎなので整合性も面白さも何もない、虚無な映画となっている。
昔の日本人は基本的に侍の時代の倫理観から抜けてなくて(農民だろうと町人だろうと沸点低くて頭湧いてるのは同じ)
こんくらい後先考えずに行動するのが普通なんで、違和感なかったんだ当時は
ガラの悪い人間だけでなく、いい人ポジションの銀河鉄道の夜のカムパネルラとかもよく読むと後先考えず川に飛びこむタイプ
脚本書いてる人に、何か自分の能力では対応できない大きな問題が起きたときの解決のためのエスカレーションの実体験が欠落してるように思う
まずは身近な人(家族や知人友人)に相談する、それが無理ならより大きな組織(役所や警察や自衛隊など)に動いてもらう、といった経験がないんじゃないかな
だから「竜そば」では「さっさと警察に通報しろや!」「周りのいい歳したオトナが何ボケッとしとんねん主人公助けろや!」という突っ込みが入ってしまう
脚本書いた人にとって、警察や年上の大人は何もしてくれない無能な傍観者という固定観念があるように思う
サマーウォーズはそれが逆の意味で作用してるようで、身内に相談さえすれば自衛隊も動いてくれるし総理大臣にだって直接電話して掛け合ってくれる、という描写に現れてるように思う
これは個人の意見だから、ガバガバ認定の全員が同じこと考えてるわけではないよ。人の意見を聞くのは面白いので、異なる意見や見落としている描写があったら教えてほしい。
リコリコの脚本の問題点は「するべき描写が足りていない」「制作人が物語を客観視できていない」ことだと思う。
ストーリーや描写に細かい突っ込みどころはたくさんあったけど、私が主にダメだと感じたのは以下の3つ。
②キャラクターが浅い
リコリコをバディものだと思ったのはイントロダクションの「凹凸コンビ」、キャッチコピーの「ふたりの時間、選びとる未来」と1話から。百合押しはいうまでもないでしょ。
バディもので必要なものは、「この2人じゃなければこの結末はなかったと思える」ことで、百合は定義が難しいけど「女の子同士」で「互いが影響を与え合い、代わりのない存在となる」とかそのあたりが必要だと思う。
バディものだったかということについては、2人で敵と戦うわけでもないし2人で悩んだりするわけでもないし、2人で選び勝ち取った未来でもなくて、最終的に千束のための物語だった。求めてたバディものの描写はOPの共闘部分くらいだったよ。
百合に関しては、なぜかまどマギと比べている人がいたからまどマギを例にカップリングの傾向について書く。まどマギはカップリングがメイン登場人物分あって、まどかとマミさんのカップリングは人気だけど、さやかとマミさんのカップリングはそうでもないんだよね。3話まで3人で行動していたのに差があるのは、マミさんの心を理解して変化させたのはまどかだったからっていうのがあると思う(ほむらのいた世界の関係も含まれると思うけど)。まどかもさやかもマミさんから影響を受けているけど、マミさんはまどかから影響を受けて心情に変化があった描写があるから「エモい」関係になった。
じゃあリコリコではどうだったかというと、たきなは千束から影響を受けたといえるけど、千束はたきなに影響を受けてはいない。千束がたきなに特別に感情を吐露するとか、たきなという人間じゃないと成し得ない関係になってるわけでもない。ついでに言うとたきなも影響を受けてはいるけどそれで成長した描写が薄いから、ただDAが全てだった頃から依存先が変わっただけにしか見えない。
2人がお互いに不可欠な存在だったり深く干渉し合った関係ではない。だから百合か?といわれると、いや百合ではないな…ってなる。「女の子同士がいちゃいちゃしてれば百合なんだよ!」っていう層とはこの辺で相いれないんだろうなぁと思う。
そしてバディでも百合でもないし千束に影響も与えないから、たきなの存在に必然性がない。これは後半だけじゃなくて物語全体で感じたことで、物語におけるたきなの役割って「ドローンを打ち落とせるくらい射撃がうまい」以上のことがない。
たきなの代わりにえりか(1話で人質になった子)が喫茶リコリコへ左遷された物語を考えてみてほしい。それで物語の大筋が変わるか?千束が「あなたに会えて嬉しい」とたきな以外に言わないか?そこが変わらないならたきなの存在に必然性も説得力もなく、制作側がやりたいことをするための存在に感じるよ。
描写が足りない点についてもう一つ考えてほしいんだけど、たきなは「昨年京都から転属した」「フキと同室だった」って1話で言っていて、千束と出会う前に少なくとも数か月はフキ達と行動してたってことになる。1話以前のたきなを想像できるか?あの性格で今まで問題なく過ごせていたほうがおかしいし、1話が初任務くらいじゃないと違和感がある。あの世界でキャラクターが生きてる感じがしないんだよ。
たきなについてもう1つ問題点があって、結局1話で機銃を撃ったことに言及してない。千束は「人を助けた」って言ってるけど、たきなが命令無視して動くほど合理的だと感じた理由への言及がない。これはたきなの成長を描くなら必須だよ。
千束を除いたたきな独自の関係性って本編の中ではえりかしかないから、11話のえりかとの和解は重要な意味があるはずで、たきなの行動が本当にえりかを救いたかったものならばそこで撃った理由を話すべきだった。例えばたきなからえりかへ「怖い思いさせてごめん」「あの時はわからなかったけど(成長した)今ならわかる。私はあなたを助けたかった」とかそういう展開が必要だった。嫌味を言うだけで終わったから、あの行動の理由なんて考えておらず、たきなの成長を描く気がなかったんだなって思ったよ。
このアニメ、モノローグが1話冒頭しかないから各々の心情を知るには主に会話になる。で、考えをベラベラ喋る割にはキャラクターの行動原理が見えてこないから、こいつら何がしたいの?感がでてくる。
人を殺したくない←なぜ:人に救ってもらった命だから
っていうのは理解できる。でも「自分が」殺したくないにしてはたきなやフキに殺さないように言うし、直接的にも間接的にも殺したくないにしては1話の機銃乱射に歓声あげて、自分がもう少し早く到着していれば回避できたとかそういう葛藤もない。不殺の理由を「気分がよくないから」って答えているけどその「気分」の根拠もないから結局何がしたいの?その中途半端な設定いる?と思ってしまう。
敵についても動機が見えてこないから浅くて小物感があるし、それと戦っている主人公達とこの物語がチープに見える。
吉松だと
千束に殺しをさせたい←なぜ:才能を世界に届けたいから←なぜ:?
真島だと
っていう感じで行動に対する動機が見えてこない。このキャラクターはなぜそうしたいのかという部分が足りていない。過去編やって全部描写しろとは言わないよ。でもワンカット・一言くらい「なんかあったんやろなぁ」と感じさせるものがないのは、そもそも理解させる気がない。
例えば真島は世界のテロ組織転々としてるって設定があるんだから、過去戦争でバランスにこだわるきっかけがあったとか、一瞬でも過去の描写があれば勝手に考察してもらえるのにもったいないなぁって思った。
12話で特に顕著だった一般人の描写について、ストーリー全般で明らかに足りていない。ストーリーに一般人が全く関わってこないならいいけど、一般人をギミックにするなら序盤から省いてはいけない要素だった。モノローグで「平和です!」って言われてもどのレベルかわからない。作中でも暴力団はいる描写はあったし、10年前にテロが起きてる時点で平和ってなんだよって思うよ。
というかこのアニメの設定上、殺し屋とかと戦うんだから相対的に治安が悪く見える。だから一般人の平和ボケと平和な作中世界は過剰なくらいやらないとつり合いが取れない。それを省いた上での12話だからそれは批判されるよ。
設定上できないんだったらいいけど、喫茶店という一般人が立ち入る場所があって、かつ4話ではテレビで脱線事故に対する反応もしているのに、平和ボケしている描写を入れられなかったは通用しない。それで理解してくれは制作側の明らかな怠慢だよ。
1話でも街中の戦闘と誘拐未遂があったんだから、人が死なない事件の後処理や一般人ひいては被害者の事件に対する認識を描けていれば世界観も掘り下げられてよかったのになぁと思った。
総合的に言うと、やりたいことはわかるけどそれに必要な描写もないしキャラクターの掘り下げもできていないせいで何がしたいのかわからないアニメだった。脚本が複数いるみたいだから舵取りをするべきなのは監督だし、監督のストーリーに対する客観視が足りなかったのか、そもそのそんな詳細な設定は考えられてないのか、そこに割く時間がなかったのか。
やりたいことについては付いてきてくれる人はいるからこれから頑張ってほしいよ。もったいなかったなぁ。
[余談]
・上記で何度か触れてるけど、このアニメは1話が一番問題だと思う。始まりはもっと丁寧に描いてほしいなって思った。
・この13話かけた世界に意味があったのはミカくらいだろうね。
ミカは過去と向き合いそのけりをつけた。他の人は何も成し遂げていないし解決もしていない。
・百合でまどマギを例に出してたけど、オリジナルアニメ、バディもの、整備された歪な世界、それに異を唱えるラスボス という点ではPSYCHO-PASSがこの作品の比較としては適切じゃないかな。PSYCHO-PASSは主人公の友達の一般人目線があったし、ちゃんとバディものだった。まだ観たことがない人にはどっちもぜひ観てほしい。
・魅力的な世界といまいち理解できない登場人物、作者の考えた設定を見る側に伝えられていない、本筋と関係ない描写に時間を割くっていう点でリコリコは打ち切り漫画みたいだなって思った。途中の失速に対してある程度落としどころ見つけたね~みたいなのも含めて。
・アニメや映画でどういう話だったかって短く要約できるものは優れた脚本だといえるけど、リコリコに関して思いついた人がいれば教えてほしい。自分はできなかったので。
どのように叩かれているかを書くよりも、増田がどこが好きか書いてくれよ。
以下は俺が考えているそれぞれの叩かれている理由。(あくまで叩かれてる理由であって俺が嫌いというわけではない)
人気が無い理由は他の敵に比べて主張がわかりづらい、DIOありき、能力が強すぎてバトルがわくわくしないあたり。
現実に起こっていること(最新作でいうと虐待)をテーマとして扱うわりに対応がファンタジーすぎで監督の認識がおかしいと思われてる。
叩いてる側が勝手に読み取ったわけではなく監督本人がインタビューで堂々と扱うテーマについて言っているので擁護しづらい。
作品の出来ではなく過去にジオン大好きな視聴者がうざすぎたので反動で叩かれている。
暁相手に殉職というがその際の戦いがあまりにもシカマルの成長のための描写でアスマ含めシカマル以外のメンバーの頭が悪くなったように感じられたため。
作者が悪いと思う。
火影の血縁なのにただの上忍だというおいしいポジションなので「大人は劣等感とどう向き合っているのか」みたいな描写を期待していたので残念。
俺は好きだけどもっと大技あってもよかっただろとは思う。
過去作のプリキュアを登場させた代わりに本作の登場人物の描写が減ったせいで説得力が減った。
声優の演技を聞いたり書いていく内に敵側のガエリオの描写を増やしていった脚本家と、各種インタビューで反感を買う発言を多々した監督が悪い。
最終話放映直後は賛否両論だったのに監督の発言が増えるにしたがい評価してた人も言葉を濁し始めた。
MSの人気はある。
脚本が遅いせいで作画が間に合わず戦闘シーンの使い回しが多すぎたのに加え、後半はできるだけ不殺を貫いた結果宇宙空間に放置されたパイロットの問題など独善だと叩かれた。
ただこの段階では地球連合とザフト双方のトップの主張の方がヤバいため、賛否両論だった。
DESTINYには前作と違いザフトのトップの主張がそこまで頭がおかしいものではない、キラ達のゴールが見えない、アスランが所属変えすぎなどで叩かれた。
大筋が変わってないがオリジナルのセリフが多い漫画版2種の評価が高いので、制作が遅れていなければもっと評価されていたと思う。
俺は好きだけどシンがせっかく葛藤を見せはじめてから描写が減ったのが残念。
1期から視聴者から好感度の高いセルゲイへの嫌味を言う2期からの登場人物なので、単純に好感度の差。
ただ対話できた沙慈とルイスの対比として父親と対話できなかった例として描かれた人物なので製作陣の期待通りだと思う。
何も言わなかった父親の方も悪い。
ニュータイプや各種設定のオカルト要素が強すぎて叩かれている。
カミーユ最後のオーラを常時放っているようなものなので既存のガンダムファンと相性が悪かった。
語録を使っている=叩いていると思ってるかもしれないが、単純に楽しまれてるだけだと思う。
マジで叩かれている。
他のキャラが自分の理想のために何かを犠牲にしていることをが大半なので、特に何も犠牲にしてないように見えて(カレンの兄との友情が描写されなかった)どころか記憶喪失のヴィレッタを匿う、戦闘で指示が遅い、ゼロを裏切るなど視聴者のイライラポイントを確実に貯めていったため。
新作アプリで事前登録特典が扇だとわかった際の批判もすごかった。(生放送でFLOWが「扇もいいところありますので使ってみて」みたいなフォローをしていた)
最初からうざいキャラとして描かれた玉城はギリギリまでゼロを信じていたためかそこまで叩かれてない。
俺も嫌いじゃないが好きかと言われると困るキャラ。
原作では仙台に行かなかったがいつか行くために努力する主人公を周囲が見守るが、アニメでは仙台に行って諦めて帰ってきた上にこれからも都会に出ていかないだろう想像をさせる終わり方で叩かれた。
彼と編集は悪意が無いから余計に叩かれているが、監督自身がモデルなのでそう意図されたキャラであるといえる。(ガルパンの制作経緯を見ると本当にああいう発言してそう)
悪意が無い分対応する側のコストが高いので、もっと余裕のある職場なら増田のいうようにポジティブに受け取られてたかもしれない。
後半に出てくる制作は挫折した上で八つ当たりでやっていたため同情の声もそこそこあった。
stay nightの描写とこの作品との描写に齟齬があるのにも関わらず、アニメとして先に広まってしまったためこちらの描写が正史だと思われるのを恐れたファンが叩いていた。
俺も単体だと好きだけどこれを前提にFateを語られるとイラッとしてしまうかもしれない。
自分の主張優先でマスターの考えを無視をしてお互い様だったのに、マスターの方が理解が無いみたいな雰囲気を出していた上恨み言がダサすぎたので叩かれた。
人間臭い英霊がいてもいいと思うので俺は好き(恨み言はダサいと思う気持ちと両立する)
名前を大きく宣伝で使っていたため出来が良かろうと悪かろうと反響は大きい。
増田のいうとおり脚本家があんなに叩かれたの他に見た事無いのは確かだが、そもそもあんなに宣伝に脚本家の名前をアピールしたのもみたことがない。
ガンダム以外にも、任天堂のメトロイドシリーズの主人公サムスのフィギュアの試作品でも炎上してた。その後原型師が変更されデザインもゲーム準拠になった。
カトキハジメと違い、造形がどうこうじゃなく関わりたくないと思われている。
・雑誌に載せた作例を参考にした方に、参考にしたことを書いておけと直接ではなくTwitterでRTした上で言った
・セブンイレブンで購入したあんまんを入れ忘れられた際に頭にきて電話したことをTwitterに書いた(クソ店員発言)
・猫3匹をキャリー入れてTwitterに画像をあげた際に心配したフォロワーに暴言を吐いた
ゲームのシナリオを切り詰めてアニメにしたのではなく最初からアニメなので脚本の粗が余計に叩かれる。(原作のファンがいない)
アプリのヘブバンは20代以下にも受けてるようなので、KEYの泣きゲーが時代遅れなわけではなく麻枝の脚本とアニメという形式があっていない。
アニメの話数は増やせないことを理解してないのかと思うが、麻枝よりも麻枝に企画を持ちかけるアニメ会社が悪い。
本編の前にアニメ化したことと、本編のような前線ではなく実験部隊の話なのでどうしても戦闘が少ないことがあわせて叩かれてた。
原作小説が途中で止まってて先の展開が不明なことなどもあり、アニメ制作陣の責任にするにはかわいそうだと思う。(アニメ放送1年後に発売されたゲームではクリスカルートのみ。唯依ルートが描かれる小説版は2013年で刊行が止まっている)
このクオリティで本編がアニメ化されたらこの比じゃない叩かれ具合になると思っていたが、原作は原作で完結しているためかそこまで叩かれていない。
俺も唯依が好きなので生放送のたびに新情報が無いか確認している。
日本がどれほど困難な状況かが描かれずむしろ平和そうなので、レジスタンスの主人公たちが異常に見えて叩かれている。
一昨日の夜、タイトルに書いた映画を見てきて、色々と気持ちが整理出来たので、備忘録としてこれを残す事にした。
先に結論から書いておくと、私はこの映画をシナリオ以外の部分は文句なしで好きであるものの、シナリオもとい映画のメインヒロインであるウタの存在に大いに疑問を抱いた。
そしてこのウタの存在と映画の売れ方、更に自分の本命作品であるドラゴンボールとの関連性を見てタイトルの結論に達した。また、ワンピファン(ライトもヘビーも、特にfilm:REDが好きな方)にとってあまり良い印象を持たれないであろう内容を書いている事を明記しておく。それを念頭に置いて読むか読まないかの判断をお願いしたい。
以下詳細に書き記す。
といっても実は私は原作をしっかり読んだことが無く、昔にゾロが仲間になった付近までを読んで自分には合わないなと思い、読むのを辞めている。内容もほとんど覚えていない。それ以外では2chのまとめなどのネット記事、ネタ動画やコラ画像などの賛否別れるであろう二次創作でうっすら知っているぐらい。簡単に言えばにわかである。
そんなワンピにわかの私がfilm:REDを見ようと思ったきっかけは単に周りで流行っていたからだ。ネットでもリアルの人間関係でも耳にしていて好評を聞いていた。そして、それに加えて実は試写会から公開当初にかけて、原作のワンピースファンから著しく評判が悪かったのも風の噂で聞いていた。そんな評判で何故こんなに売れたのか?と不思議に思ったのだ。原作ありきのアニメ映画というのは、第一に原作やアニメのファンの為に作り、それに加えて新規層の確保が主な目的だと思っているので、原作ファンに不評なのによくヒットしたもんだと純粋な疑問と好奇心が沸いたからである。
また、話は変わるが私はドラゴンボールという作品の大ファンだ。ワンピ同様有名タイトルなので、知っている方も多いだろうから詳細は割愛するが、このDBとワンピは実は関連性が非常に高い。
・連載期間は違うものの同じ雑誌に掲載されているバトル漫画で大人気作品
・原作者同士で仲が良く漫画で大々的にコラボや対談なども複数回行っている。
・アニメ制作会社(東映)、アニメを放映している放送局(フジテレビ)、グッズやゲームなどの販売会社(バンダイナムコ)がモロに被っており、アニメ製作陣や販促に似通った節がある。アニメやゲームでもパロ含めてコラボを行っているほど深い縁がある。
このようにかなり深い関係にあり、DB界隈にそれなりに深く長くいれば、確実にワンピの話題は耳に入り、恐らく逆も然りだと思われる。良くも悪くも比較されて並べて語られることも多いので、ファンが一部対立していたり、どっちも好きな人、片方嫌い片方好きな人がいるなど、色々とカオスである。かく言う私は良くも悪くもワンピは興味が無く、嫌いでも好きでもないと言った感じだ。しかし、ドラゴンボールはめちゃくちゃ大好きな為に近年のDB映画の高クオリティ作画に圧倒されていたこともあって、同じ東映作品で作画陣が本気を出して作ったfilm:REDの作画や構成に興味を持った。恥ずかしながら、あわよくばワンピで使った最新技術を今後のDB作品でも使ってくれないかなーなんていう下心があったのも付け加えておく。とにかく東映の映像技術の視察名目があった。
で、映画を見た感想に移ると映像面、音響面ではかなり満足する結果を得られた。CGや高クオリティの作画を駆使したライブシーンと戦闘シーン、ベテランの声優やDBZの効果音をふんだんに使っており、迫力も満載だった。DBで一軍の作画陣である高橋優也さんの名前をEDクレジットで見た時は本当に興奮した。
ウタ役の名塚佳織さんもadoさんも賛否両論あるものの自分はそこは受け入れられた。これは恐らく原作のファンではないからというのが大きい。鑑賞目的の一つである技術視察という面で言えば大収穫だったので、これだけで1800円払う価値があったと言える。あと、分かっていたとはいえ声優陣がDBともろ被りなのが、中々に笑いを誘った。
さて、本題である批判部分だが、第一にも第二にもシナリオ構成とウタにある。これが非常に疑問というか一部(多くの?)原作ファンから不評なのが納得する内容だった。1番言いたいのはウタはかなり悪どい事をしているにも関わらず他キャラ、特に観客及びルフィ一派から許されすぎだと感じた。過去に悲しい出来事があったのも引き返せないのも分かるし、逃げたくなる気持ちも分かる。キノコの副作用で暴走したのもわかるが、それでも世界の7割を巻き込んだ集団心中未遂はやりすぎだし、簡単に許されるものでは無いと思う。一番辛いのはウタじゃなく、ウタの歌を純粋に楽しんでいたのに不幸な事故に巻き込まれた罪なき観客達及びルフィ一派だと感じる。せめて、もう少し観客に叩かれる描写を強化するかルフィ、シャンクス、ゴードンなどがキノコで暴走する前のウタ(具体的に真実を知った1年前)を多少なりとも咎める描写を入れてくれれば溜飲が下がったのだが、自分が見た記憶ではそれは無かった。擁護派の方が特典冊子を読めばウタの事を理解出来るというので、2回ぐらいちゃんと読んだが残念ながら上記の感想になった。とにかく自分の倫理観的には受け入れ難い人物だった。全部トットムジカが悪くて、ウタは全く悪くないは流石に無理があったと思う。ただし、最後亡くなった事を考えると本当に全く悪くないとは思ってないだろう。多分
そして、どうやらこういう風に思ったのは私だけでは無いらしい。同じく受け入れられなかった人々が試写会から現在に至るまで苦言を呈している。それらの評価を読んでみると大いに同調出来るものが多い。ワンピにわかの私ですら、このような評価を下してしまうぐらいなので、原作ファンでこの映画が好きじゃない方にとっては耐え難い苦痛だろう。「原作者が関わっているとはいえ、後付けぽっと出の映画オリキャラがチート能力を使って無双しまくり」「オリキャラを立てる為に既存キャラの設定が壊されて時系列等に矛盾が生じる」などが行われた(らしい)ので、たまったもんじゃないのは大いに賛同出来る。同じような事をDBでやられたらめちゃくちゃブチギレる自信があるぐらいには理解出来ているつもりだ。一応本編とはパラレルという補足はされてるらしいが、それでも嫌な物を見てしまった事実からは逃れられないのも理解出来る。せめてこれが映画という大々的な作品での発表ではなく、ゲームのオリジナルストーリーなど明確に本編と違うおまけの物として扱われていれば、まだ受け入れられたのかなと感じた。それじゃあ、adoの宣伝にならないから絶対やらないだろうけど。
しかし、残念ながら映画は大ヒットしてしまい、これがワンピースの代表作であり、この作品を絶賛する層と受け入れられない層とで決定的な溝が出来てしまった。どこもかしこも新規層によるRED及びウタの話題で持ち切りになっていたら、反REDの古参勢からの悲鳴という名の批判はREDファンに突き刺さり、盛大な論争へと発展していることだろう。というかしている。最初の方でも書いたが、私は原作ありきのアニメ映画の正しいあり方というのは第一に原作やアニメファンに向けて作り、第二に新規層の開拓にあると思う。今回の映画は前者をやや蔑ろにし、後者に重きに置きつつ、adoの宣伝に使ったという印象が強い。なので、興行成績的に言えば大成功だが、反REDの原作ファンからすれば全く嬉しくない成功であろう。なんせ、これで売れるってのがわかってしまったので、またやらかす可能性が出てきてしまう。
私もDBに関してはガッツリ原作推しなので、もし万が一このような事態になったらと考えたら身震いがした。そして同じアニメ製作会社故にこのような方式でDBも映画が作られた可能性がある。よって某ネットミーム風に言えば「逆だったかもしれねェ…」ってやつになってた可能性さえある。もし仮に作られたとして流石にREDほどヒットするとまでは全く思わないが、成功しようが失敗しようがそんな映画が自分の好きな作品に残るのは絶対に嫌なので、嫌な言い方になるが作られた時点で負けである。少なくとも私はめっちゃ嫌だ。
こうして、タイトルの結論へと帰結していく。ぶっちゃけ、この記事は対岸の火事に飛び込んで火達磨になった事のレポでしか無い。しかし、これを読んでRED及びウタ推しもアンチもワンピが好きな人DBが好きな人、どっちも好きor興味無しetc…どんな層であっても何かしら感じ取れる部分があったなら、それで良い。是非コメントを残していただけたら有難い。なるべく削ったつもりだが、とんでもない長文になってしまった事をお詫び申し上げる。
また、記事を書いたあと時間が経って書いたものを読み直したり、色々と考えを深めていたら他にもウタに関して追記したい事があったので、補足
ウタが現実の世界で海軍に民間人が攻撃された際にやめてー!と言って必死で手当していたけど、あれを見て恐らく大部分の方はウタは優しい子なんだなーとか好印象を抱いたと思う。
しかし、私はいやいや、なんか必死こいてるけど元はと言えばそっちが勝手に巻き込んだせいだからな。海軍だってそういう選択を取るつもりは無かったのに、あんたのせいだからな。とシラケた感情になった思い出。
とにかくこの子は良い子で悪くないんですよ感を強調されてうんざり…
あと最終的に死んでしまったのが気に食わない。
死んだ事が禊のつもりで逃げるいうテーマに沿ったものなんだろうが、寧ろ生きて自分が犯した罪を償って欲しかった。
まあそれじゃあラストに繋がらないからそうする理由はなかったんだろうな。はぁ…
最後にウタの心情補完をもっとみっちりやってくれたら、まだ私でも同情出来たかもしれない。
ウタと似たような動機や境遇で心中を測ったキャラを複数名知っており、普通に好きなキャラもいるぐらいだが、どれも原作者の心情描写が光る作品だったので、小説や漫画などでそこら辺を補完してくれたら話が変わったかもしれない。
そしてそれらの作品は基本的に映画のような短編ではなく漫画やゲームなどのそれなりシナリオがみっちり描ける媒体だからこそ、深堀出来たのだ。
批判レビューの中で映画でやるべきじゃなかった、ワンピでやるべきじゃなかったとあるが、正しくその通り。
いや、設定がそうなってるのは知ってる。
"伝説級ではないにしても普通に強いアスマを瞬殺する恐ろしく強い暁"を描くタイミングなのに作者が作劇下手すぎてアスマをただのアホにしたせいで「なんだあのアホ」が評価になったと言ってる。
あの作者下手なのに頭脳戦描きたがるからマジであり得んくらいのクソ無能ムーブして死ぬ羽目になってその後の葬式描写とか鼻白んだじゃん
そういうの含めて元増は"叩かれてる"と思ってるようだが。
あと、描写の技法として、主人公は目に映るたくさんのもののうち苗畠や楓に関心を持つタイプであるとか、木を見てこれは楓であると判別できる程度の知的能力や知識の方向性を持つ人物である、ということをそれとなく示すテクニックがよく使われる、というのを知っておくと小説の味わい方が深まる。
これ俺もまったく同じで、全部文字の情報としてそのまま頭の中に入ってくる。
友達の話聞いてる時にいちいち頭の中にデティール思い浮かべたりしないように、
友達はこの真逆で、全部描写が頭の中に勝手に構築されるので小説が読みづらい。
例えば「私はその部屋でまんじりともせずにただ椅子に座っていた。」みたいな文章があったら、
部屋の広さや机や椅子の形が自動で頭の中に出てくるので、その後の描写で椅子の形や部屋の調度品とかに言及されると、
いちいち頭の中にある部屋を修正しなくちゃいけないので面倒だから小説は好きじゃない、って言ってて、
それはそれでええんやで。たとえば漱石は初めに確定的な記述を行うタイプだけど、人物描写も風景描写もあいまいなまま話が進んでいって、関係から曖昧さが消えていく様な描写もあるやろ?
小説読まない人間に想像力のたりないバカが多いのは、曖昧なものを曖昧なまま読んで脳を訓練されてないからないんじゃないかと思う。