はてなキーワード: バタイユとは
別に論文を書くというわけでは全くないのだけど、プライバシー(自分の領域)とセクシュアリティ(性・性欲・性癖)の関係を描いた学術書って何かないですか。
表現の自由に関して、セクシュアリティでどうやって表現の自由を破ることができるかいろいろ考えていたんだけど、柳美里の『石に泳ぐ魚』裁判でプライバシーが表現の自由を破れることを思い出して、「あっ、しばしばいわれることだけど、セクシュアリティがプライバシーに含まれるとかだったら、セクシュアリティによって表現の自由を破ることも可能じゃね?」と今考えているところなのです。
ということで、「セクシュアリティがプライバシーに含まれる」ということを何か説明している学者や学術書を求めています。
何かバタイユとかレヴィナスとかフェミニズムとかがそういうの扱ってそうだけど、何かいいのないでしょうか。
ググっても上野千鶴子の説とその批判が出てきたり、ホモセクシュアリティの話が出てきたりして、クエリの投げ方がよくないんだろうな。
クソワロタ。
アポリネールが、ジッドが、ナボコフが、ロブ・グリエが、バタイユが
「健全」で「ためになる」んだ。あんなの有害図書以外のなにものでもないと思うんだけど。今も尚説得力あるんだ。
なるほどなるほど、スタンダールの恋愛論を真顔で読んじゃうんだ。
歴史的選別を経てないものは芸術じゃないんだ、つまり現代「芸術」は存在しない、と。
ピンチョンやデリーロもダメか。っていうか、その理屈だと「太宰」は「健全でためになる芸術家」か。
教養なさすぎじゃない?「健全でためになる芸術」ってほとんどないと思うけど。
武者小路実篤の熱烈なファンとかそういう珍しい人なの?芸術なんてほとんどがクソの役にもたたない
不健全不健康不道徳なものですよ。ドストエフスキーが「健全でためになる」んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
上のエントリは,「EOEが公開された頃は今ほどインターネットが普及しておらず,情報が欲しい人や感想を言いたい人はNIFTY-Serveなどのパソコン通信で細々と交流していた」という話。この話を読んで「そういえば当時パソコン通信上でさかんに議論されてた『ラストシーンの解釈』をまとめたものがあったはず」と思ってディスクをサルベージしてみた。分量が多いので二回に分けて投下してみる。
当時から「観ると語りたくなる映画」だったんだなあとか,昔も今もみんな同じようなことしてるなあとか,いろいろ懐かしい。
首を絞められながらシンジの頬に手を添えたアスカ。 このまま終わったら、アスカはただの聖人になってしまいます。(^^; アスカだって、問題のあるリアルな人間なのです。(アニメの中だけど。) それ描く為に製作者は、イメージ的には顔を「殺してやる」の時のまんまにして、 アスカ側からのシンジとの不一致を出すための行為として、「気持ち悪い」の悪口 を言わせたのでは無いでしょうか。 ここで「バカシンジ」だったら悪口に聞こえないし。
またこれは観客に向かって庵野監督が言ってるのかなとも思いました。 庵野氏はかつてEVAファンに失望しているようなことを言ってましたし、 アニメから現実に戻れということも言ってたと思います。それが実写で 観客をうつしたり、「現実は夢の終わり」などと言っていることに表れている ように思います。ラストのセリフが駄目押しかなと・・・。
シンジが“男のくせに泣いている”ことに対する非難
あるいは、監督自身の制作後感を語っているようにも思いました。 大きな期待をかけられ、やりたいことは膨らみ、当初の完成予定は遅れ、 賞賛と非難が入り交じる中、ファンの期待を(たぶん)裏切らない形で作品を 完結させた・・・。それは「疲れた」を通り越して「気持ち悪い」こと だったのかもしれない。
「きもちわるい」アスカにとっては、感覚的なものじゃなく、生理的にただ気持ち 悪かっただけかもしんないしんですよね。
シンジや綾波はあれでいいかもしれないけど、彼女の性格から して、今までの数々の屈辱を背負ってこれからまだ生きていく ってことは「気持ち悪い」そのものじゃないかなぁ…。
えっと、アスカがシンジに「加持さんはもういないんだよー(うろおぼえ)」と 言われてあ然とした後で風呂のシーンになって、湯船の水面を見つめながら 「ミサトやばかシンジの使ったお湯なんかに誰が入るもんか… ミサトやばかシンジの使った洗濯機なんか誰が使うもんか… ミサトやばかシンジの……・・・」 で、 『気持ち悪い』 で、「ミサトもいや!シンジもいや!ファーストはもっといや!!…」と 爆発したように思います、あぁ、うろおぼえなんすけど、すいません。 あと、ここのシーンって「DEATH編」の中でもテレビにはない 新作のとこだったような気もしてます、あぁ、 なんせうろおぼえなんで許して下さい、あぁ。 んで、そういうとこに、この『気持ち悪い』というセリフが使われていたことに、 そのなんだあれです、あたくし的には興味あるです。 最後のセリフのフックとして使ってるのかしら、とかとか。
つまり、あれだけ首を絞められても死ねない、という アスカの、自分自身に対する言葉かな、と思っています。 「生命の実」も取り込んだ、って事なのかな?
アスカの「キモチわるい」は、シリアスすぎる雰囲気になるのがイヤさの、テレ かくし半分だと思います(^^)。
ラストのアスカの台詞ですが、案外、怪我のショック症状で本当に気持ちが 悪かったんじゃないかなぐらいに思っています。アスカがまともな性格なら ともかく、シンジと同じくらい壊れているアスカにいわれても、オタクのオ タク批判のようなもので、まともに受け取る必要はないと思っていますから
これから二人が“アダムとイブ”として生きていかなければならないことに対する 嫌悪感
この映画が凄いところは、(中略)その後の砂浜のシーンでシンジが、 結局アスカに投げつけられる言葉「気持ち悪い。」が、 がんばったからと言ってそんなにほいほいうまく行くものじゃない、 現実は甘くない、という点を突きつけていた点にあるとおもいます。
最後のシーンについて僕は、シンジに叩き付けられた現実の世界 ではないかと思います。 倒れているアスカの光を失った目、シンジの頬に触れた手とちぐ はぐな「気持ち悪い」という言葉。アスカがシンジに対し「気持ち 悪い」って言うのは結構普通だけど、ちょっとおかしいなと思いま した。以前にキス騒動で似たようなことがあったけど、今回は首を 絞められてる最中だし........。 ここで僕は自分と他人の境界がわからないLCLの世界(原始 地球の海に酷似した世界。海に象徴される)から、他人との境界が はっきりし互いに気持ちを理解し合うのができない世界(海に対し陸、 すなわち二人がいた浜)に戻ったら、アスカはあの戦闘で気がふれて しまっていたのではないかと思いました。(心を失ってしまった?) シンジは共に歩いて行こうと思っていた女性が以前の姿を失っていて、 人形の様になっていた。彼女のことを考えいっそのこと殺そうと考える シンジ。しかしできない。 アスカが包帯をしているのを見ると、あれはあの出来事の直後では ないですよね。(戦闘以前、戦闘中は頭に包帯をしてなかった。) となると、あれは後日、もしくは後に起こってくることの提示だと 思うんですがどうでしょうか。 もしこうなると、アスカは最も嫌っていた心のない人形に自分が なってしまったというかなり皮肉な結果になってしまいますが.......。 まごころを君に..... シンジのアスカへ対するものだったのだろうか。
結局ある意味でテレビと同じ。 つまり、自分じゃ最後を書けない、だからそれなりのを書いて 皆さんそれなりに満足(または不満) というところですかね。
22話で精神的に侵食されたアスカは、25話で今度は肉体的に侵食 されてしまったわけですね。 こう考えると、なんとなくラストシーンのアスカの言葉も納得がいく。 「気持ち悪い」というのは、世に存在する「男」に対する嫌悪感が発せさせ た、ごく自然な言葉だったのでしょう。
あれは(監督の考えている)アニメファンに対する痛烈な嘲りだと感じました。 世界の全てを破壊し飲み込んだ初号機とシンジには、同時にその世界に 対する全能の力も与えられました。世界をどうするかは、全てシンジに まかされました。全てを虚無へと帰すことも、虚構の世界を構築して再び そこへ逃げ込むことも、つらい現実の世界へと歩き出していくことも、 すべて、彼が心を決めるだけで可能となるのです。 そして同時にそれは、観客一人一人に突きつけられた選択でもありました。 これはシンジの選択であるだけでなく、あなたたち自身の選択でもあるのだと。 画面に現れた、実写シーンや春の映画の観客たち、パソ通上での繰り返される 監督の悪口などは、そのメッセージじゃないかと思いました。 当然、答えは観客の数だけあります。 その中の一つの可能性をえがいてみせたのが、#26のBパートだったん じゃないでしょうか。あれは「それでもエヴァに依存しようとする人々」を 象徴しているのではないかと。 あれはある意味、多くのファンが予想し望んでいた結末でした。 世界が変化し、その中に二人だけ生き残ったアダムとイブ。 しかも、ご丁寧にもアスカにはレイの象徴である包帯と眼帯まで まいてあります。 しかし、そこにあるのは、おぞましいレイの死体。血の色の海。 シンジの殺意。アスカの蔑みの表情。と、監督は甘い幻想を徹底的に 打ち砕いていきます。 そして、とどめにアスカがあの台詞をいうのです。
他者が存在する世界に戻ってきたシンジは、自分の選択に絶対の自信が持てなかっ たんでしょう。 あそこでアスカの首を絞めきれたら、シンジは自分の世界も終わらせていたと思う。 でも、できなかった。甘い希望にすがりついたんだよね。で、自分の弱さに泣く。オ イオイ泣く。 なにかわけのわかんないことで泣かれたら、きもちわるいよね。絶対、きもちわる い。 あそこでシンジを無条件に受け入れるアスカだったら、他者として成立しないと思 う。
帰ってきたシンジは、体を再構成したアスカを弐号機のエントリープラグか ら引っ張り出し手当てをしたが、彼女は植物人間状態のままであった。 シンジは、毎日みんなの十字架を作りながらアスカが意識を取り戻すのを 待っていた。 いっこうに意識の戻らないアスカを横に、途方に暮れるシンジは、ふと水面 を見ると綾波の姿が、衝動的にアスカの首を締めるが、彼女の手が彼の頬に触 れた。彼は、意識を取り戻した喜びと彼女を殺そうとした自分に涙した。 意識を取り戻したアスカは、生理的な不快感と、自分を見殺しにしたシンジ が目の前にいることに対し「気持ち悪い」といった。 物語としてはこんな感じかなと思います。
多数の人間を犠牲にすることによって現実を取り戻した。 自分の為した罪を背負い生きることを選んだ。 飛び立つことは美しく、気持ちのいいこと。 醜いかもしれないが「気持ち悪い」かもしれないが、 本当の快楽とは、地に足を付け 他人の首を締め続けることによってしか得られないのか?
この言葉はもっと前向きに捉えて良いのでは?
アスカと言えば「唯我独尊」な状態だったわけですが、彼女がシンジを見て
「気持ち悪い」と言うのは、それは彼女が本気で他人を受け入れようとし始め
たからこそだと思います。
他人を自分の心の領域に踏み込ませることは勇気のいることでしょうし、気持
ちの悪いことでしょうが、それを彼女が始めたからこそ、「気持ち悪い」とい
う言葉も出てきたのでしょう。
ある意味で彼女はシンジ以上にATフィールドの強い人間であったかもしれな
い、その彼女が(サードインパクトによって強制的に取り払われるのではなく
て)自らの意志で心の壁を開放しようとしていることが重要なことのように思
えます。
シンジはアスカを求め続け アスカはシンジを拒み続けた。 最後にシンジはアスカを殺そうとした。 なぜだ? でも出来なかった。殺せなかった そして、やはり最後までアスカはシンジを拒んだ。 それが現実なのだ。
けど、首絞められて、そいつがいきなり泣き出したら 「気持ち悪い」 というか、そういう似た様なことを思うだろうね、やっぱり。
私はこのI need youのテーマをアンビバレンツと理解した。 人間の行動は大半がこのアンビバレンツの要素をおおかれすくなかれ含んでいる。 合いと憎しみ,冷たさと優しさ,強さと弱さ。恐怖と怒り。悲しみと喜び,希望 と絶望,これらはみな表裏一体で切り離す事は出来ない。 シンジとアスカの行動と言葉はこのアンビバレンツを象徴しているのではなかろう か。私にはそう思えた。 シンジの嗚咽はこのアンビバレンツの悲しみを,そしてアスカの言葉はこのアン ビバレッンツに対する嫌悪をそれぞれ象徴していたのではないだろうか。 アンビバレンツに苦しみながらシンジもアスカも生きてゆくのだ。
さて、シンジが他人との共存を選んで現実の世界に帰ってきてアスカと砂浜 に寝てる訳ですが、ミサトの墓標があった事からいくらか時間の経過があった 様です。 アスカが怪我をして包帯を巻いているのはアスカはATフィールドを失わなか ったからLCLにならなかった様です。(レイの迎えが来てない)プラグスー ツを着ている事からも説明出来ると思います。きっとあんな状態でも弐号機が 守ってくれたんでしょう。(ここは希望的観測) そして戻ってきたシンジが弐号機のエントリープラグを探し出しアスカを助 け出します。包帯等はきっとエントリープラグに備え付けてあるはずです。 そして砂浜、、、。 しかしアスカは自我崩壊状態。「生きる意志」を無くしてます。半ば絶望気 味のシンジ。 そこにレイが現れ、そして消える。シンジは何かを悟りそして 危険な賭に出ます。ここからが僕の新解釈なんですが、、、 アスカの「生きる意志」を試すために彼女の首に手をかけます。そしてシン ジの願いは叶い、アスカはシンジの頬にふれ、シンジに「生きる意志」を示し ます。 喜びに泣き崩れるシンジ。そして最後のセリフ。アスカが元に戻った事を表 してると考えたいです。
なんか、ラストの泣き虫シンジとアスカのセリフにマイナスなショックを受けている ファンが多いようですが、ボクにはそれが良く理解できない。どう見てもラストのシ ンジはうれし(はずかし)泣きだと思うし、アスカのセリフも前向きなモノだったと 解釈しました。
砂浜でアスカは無表情で寝ている訳ですがあれは再び精神崩壊にあった状態 だと思います。やはり弐号機のなかでの復活はサントラのタイトルにもある「 偽りの、再生」です。弐号機(母親)を失ったので元の状態に戻ったのと、エ ヴァシリーズによる陵辱によるところも大きいでしょう。 そんなアスカをシンジは見つけます。シンジを受け入れないアスカ。 ここにシンジの成長があります。ここでアスカに「目を覚ましてよ」とか「僕 を一人にしないで」とか声をかけたら303号病室の時と一緒です。成長の跡 が感じられ無かったでしょう。彼は首を絞めるという行為でアスカ自身に存在 の是非を問いました。 しかし、何故首を絞めたのか? 首を絞めるという行為はアスカにとって特 別な意味があります。母親との事のトラウマであり、それが頭にあった為にシ ンジとの抗論の時、彼に首を絞められたとき抵抗できませんでした。(そう見 えた) 首を絞められた事に抵抗する行為は母親のトラウマを乗り越えた事も表しま す。シンジがここまで考えたとは思えないのでこっちは結果論ですが。 シンジがアスカの首を絞めた真意は確信には到りませんが、結果としてシン ジの成長と同時にアスカの生きるという意志表示、トラウマの克服、などアス カの補完も表したシーンに思えます。あらためて考えるとこのシーンはすごく 前向きなシーンです。
アスカが「気持ち悪い」と言ったときの目は、心底嫌いなものを見る ときの目に見えるんですがどう思いますか。
だがそれは、おぞましい虚偽に統合=補完されない真実へ至るユイ一の可能性 でもある。互いをさらにバラバラにしようと「噛み合う」者同士の断面が、なぜ か一致し「噛み合う」という皮肉な意図せざる結果こそが、コミニュケーション の「奇跡的」な本質なのである。(だからG.バタイユのような思想家はそのよう なコミュニケーションを「聖なる」ものと形容する。) これは「コミュニケーション=癒し」、あるいは「他者を傷つけるな(あるい は、他人を傷つけない限り何をしてもよい)」という価値観に対する、やはり根 底的な批判である。――「希望」に向けてシンジは言う。「それでもいいんだ」 ラストシーン「I need you.」はその明確な寓意である。 ――補完という「夢 は現実の中に」意図せざる形である。互いをさらにバラバラに引き裂こうとして いる二人(アスカを絞殺しようとするシンジとシンジを「気持ち悪い」と拒絶す るアスカ)の間には明確なコミュニケーションが成り立っていた。 それは、「自分の横にいる人と普通につき合う」ことができている者なら、も っと上手にしているのとまったく同じことだ。われわれが自他を分断するべく振 るうに決まっている暴力を、相手(あるいは自分)が死なない程度に、和らげて振 るうこと。逆に言えば、もうすでに暴力が和らげられてしまっているからこそ、 われわれは今ここで生きているとも言える。 われわれは日常の中では分断の暴力を、「人の気持ちを些細に傷つける」ような 隠微な形で振るい、致命傷への短絡が「結果的に」「意図に反して」回避されてい たりもする。些末な暴力の遍在状態の中で、われわれはなぜか、「まだ生きてる」 のである。
監督「君たち…、気持ちいいの?」 監督「おれは見てて、気持ち悪いと思うゾ。」 終劇
「気持ち悪い?つわりじゃないの? ちゃんと病院行って検査してもらった方がいいよ。 サードインパクト・ベビー誕生!」 ・・・・・・・なーんてね。
結局エヴァ劇場版って、エヴァという永遠に終わりそうもない物語を、 完璧に終わらせることだけが目的だったような気がします。その意味で ラストの気持ち悪いというのもエヴァを完璧に終わらせる為の台詞とし ては最高の決め台詞だったかもしれません。
あれは劇中の「気持ちいいの?」に呼応するものだと思います。 そうでないと「気持ちいいの?」という言葉の出現が唐突すぎると思います。
なぜアスカの首を絞めなければならないかはわからなかったが最後一緒にいたの がアスカで最後の台詞があの台詞だったのも現実の厳しさをあらわしていて非常 にリアリティがあって良かった。あれが綾波でもミサトさんでも母さんでもシン ジを受け入れてしまうだろうから、あの台詞にはならなかっただろうし、やっぱ り最後はアスカしかなかったんだろうな
あれほど激しく、直接ぶつかりあった2人って、あの話の中にいるかな。 そんな風に思います。 これからが、大変なんだよ、と。 あらためてひとに触れるわけで、それが初めてなんだから、 「…気持ち悪い…」というのは、仕方ないんじゃないかな、と。 まずはそれでいい、それからどうするかなんだっていうこと、かな。 シンジの髪に、頬に触れたアスカの手が、痛々しいけど、やさしかった。
ヒゲメガネが,ふられたみやむーに嫌がらせしてるだけ。
で、アスカの最後の言葉が「ありがとう。」でもなく、 「バカシンジ」でもなく、 ましてや、「あんたなんかに殺されてやるもんか」でもなかった。 「気持ち悪い」。誰に言った言葉?自分に?シンジに?それとも観ている 俺にか? 最後までアスカとシンジはわかりあえなかったんだね。 そして、唐突におわる物語。何だったんだ?気持ち悪いよ、ほんとに。 「現実を見ろ。」言いたかったことはこれか。 やっぱり大きなお世話だと思うよ。映画ぐらい現実をわすれていい気分で いたかったよ。その証拠に明日は休日出勤だ。とほほ。
最後のセリフ「気持ち悪い」は「けして〔アダム&イブ〕は、みんなが 思っている程に仲むつまじいモノではない」と言う意味かと(^^;)
「とってもきもちいいこと」。身体の、心の境界線がなくなること、とけあう こと…から、もどることをえらんだ、そして生きることを選んだシンジ。 「…気持ち悪い…」は、アスカのシンジへの嫌悪の言葉、としてではなく、シ ンジが、「とってもきもちいい」世界から、とけあう世界からもどってきたのだ、 ということをしめす、そこが、「生きる世界」なんだということをしめす、サイ ンのセリフではないでしょうか。
他人に触れる。それはわからない存在、「気持ち悪い」。でも、アスカのあの 手は、シンジを拒んではいないから。 進んでいけると思う。もっといっぱいお互いをさわっていくとおもう。ずっと 「気持ち悪い」かもしれないけれど。それでも手をのばしつづけることをやめな いだろう。生きていくから、シンジはアスカを殺さなかったのだから。
拒絶も離別で辛い思いをしても人として生きたかった。 だから、人として戻ってきた、アスカを連れて。 人として生きるのに、1番いっしょにいてほしかった(1番好きだった) のが、アスカだったのでしょう。 しかし、アスカの魂は戻ってこなかった。 人としていっしょに生きることすら拒絶された。 だから、シンジはアスカの首を絞めた。 だけど、アスカは戻ってきてくれてた。 最後の「気持ち悪い」というセリフも 「心の壁を作ってくれた = 人として生きてくれた」 という意味があったと考えます。
あの、ラストのアスカの台詞が「よかった」と言えるのは、 そこにどんな意味が込められているからなのでしょう。 僕は、何という救いのないエンディングだ・・・と思ってしまった。 教えてくださーい。
ただ、ラスト。アスカの首を絞めようとしたシンジの頬をアスカがなでる。アスカ が生きていることが判りシンジは涙を流す。何故かは判らない。独りでない、という ことかもしれない。最後の「気持ち悪い」の一言が「アスカがアスカである」ことを 物語っているのことに救われた気はする。
私はシンジはアスカの中に入ろうとしたのだと思います。 しかしアスカのATフィールドはそれを拒む。されどアスカはシンジの頬を 撫でることで、わずかながらの意志表示を示す。それにシンジは涙するも、 アスカはそれに対して一言。「気持ち悪い」と。
アスカが、シンジを罵倒し、拒絶し、否定する、その言動の端々から、アスカ のシンジに対する強烈なまでの「想い(愛・・・はやめとこ(^^;)」がにじみ出 ているような気がして、なんだかジーンと来るのです(←ヤバイかも(笑))。 そう思えば、物議を醸しだしているあのラストにも、一筋の光明が射し込んで見 えるから不思議なものですね~(←確実にヤバイかも(T-T))。
なんだか、見終わった後で妙にさめている自分を感じてます。 アスカの最後のシーン、最後の言葉、それがそのまま感想のひと、 結構いたりして……
あれが二人の愛情表現だったらすっごく恐い・・・。アスカは「一緒に死んで ちょうだい」ってことで母親に首を絞められた事があるみたいだから、自分を愛 してくれる者が首絞めてくれるのは気持ち良いことなのかとか、思ったりもして。 まさに命懸けのSMだな。 って、ことは初号機が3号機(バルディエル)の首絞めたのも愛情表現(シンジ ×トウジ)な訳で、首が落ちたカヲルなんかはもう、最高に愛されてたのかな。 で、ラストでアスカの首を絞めるシンジが鳴咽し、アスカが「気持ち悪い」の は、そういう歪んだ愛情表現を憂いての事なのかなぁと。
ラストの「気持ち悪い」は、私の場合は 「アンタなんかに触られて汚らわしくて気持ち悪い」と「首締められて気持ち 悪い」程度しか思い付きませんでした。
深手を負った状態で気絶していたのに首まで締められたら当然、気持ち悪くなる
アスカの最後のセリフは、自分自身に対してなのかと思うの ですが...アスカが嫌いなシンジの頬を優しくなでている行為(矛盾し た行為)がそう思わせたのですが...
うまく言えないけれど,とても嬉しかった。あのラストでシンジもアスカ も,そしておそらく庵野監督も「こっちの世界」(ってどこ?(^^;))に還っ てきたと思いました。それが無性に嬉しかった。
最後のアスカのセリフで、シンジとアスカは人間として認めあえるんじゃない かな?という気になりました。少なくともこれまでとは一つ違ったステージに 進めたのでは?と思います。すごく暗ーい感じで終わったけど、大団円ではあ ると思います。
もっと救いのある,後味のいいエンディングを作ろうと思えば作れたと思い ます。それでもああいう終わり方を選んだところに,わたしは庵野監督なり の「誠実さ」と「正直さ」を感じました。わたしの「よかった」はそういう意 味です。(でも「好き」にはなれません(笑))
ラストで描かれた少しの「前進」、その程度の変化ならば、 ちょっと心の持ち方を変えるだけで十分な気がするのです。 あんな経験をした後で、普通なら生きていてくれてよかったって、レイが 生きてた時のように泣いてるところだと思うのですが、どうしてほんとに 首を絞めたんでしょうね。 僕は、ニーチェが言ったように、この世はただ繰り返す、楽しいことも苦しいことも 含めて。でもそれを勇気を持って受け入れることが、人間の生きる道なんだっていう ことを言いたかったのかなって思いました。
手短にいこう。俺は長編小説が読めない。
事情とはなにか。
第一に、俺は読むのが遅い。時間がない。小説は、長いというだけでハイソだ。俺はハイソじゃない。
第二に、俺は飽きやすい。「飽き」は意志の弱い人間に挫折を受け入れされるのに十分な言い訳になる。永久に。
第三に、無理をして読む動機がない。『白鯨』や『失われた時を求めて』以外にも魅力的な他の選択肢はある。
たとえば、以下にあげる50の選択肢が。あなたにとってはどうだろうか。
■海外編
「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン★
「9マイルは遠すぎる」 ハリイ・ケメルマン★
「ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー
「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ
「長いお別れ」 レイモンド・チャンドラー
「地図にない町」 フィリップ・K・ディック★
「ポップ1280」 ジム・トンプスン
「99999」 デイヴィッド ベニオフ★
「眼球譚」 ジョルジュ バタイユ
「虎よ、虎よ」 アルフレッド・ベスター
「無常の月」 ラリイ・ニーヴン★
■国内編
「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野 晶午
「最悪」 奥田 英朗
「バイバイ、エンジェル」 笠井 潔
「姑獲鳥の夏」 京極 夏彦
「ハサミ男」 殊能 将之
「大いなる助走」 筒井康隆
「生首に聞いてみろ」 法月 綸太郎
「百億の昼と千億の夜」 光瀬 龍
「すべてがFになる」 森 博嗣
「瓶詰地獄」 夢野 久作
謝っておかなければならない。
好きな小説を上から50数えたら、こんなに★があったわけだ。
そういう奴もいる。
あんたは俺を哀れだと思うか。
死んでる作家・評論家・哲学者等……の中で、ぜひまた地獄や天国から蘇って何か書いて欲しい人たちへのリクエスト。書いてたらキリないので限定5人で。みなさんもあったらぜひ。
※ここの部分は「ラディゲは、コクトーに招かれた夕食の席で出た牡蠣にあたり、それが死の遠因になった」のような記述を見たことがあったのを元に書いたのですが、今探してみたところそのように書いてある文献は見つからず情報の出典は不明です。僕の記憶違いかもしれません。もし混乱を招いたとしたら失礼いたしました。ラディゲの直接の死因は腸チフスだったはずです。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
ですねー。元増田の
「自分はマニアックで許容量もチンコも大きくて正常なんだぜ!」
という必死の叫びが見えてくるとゆーか、
「SM、スカトロで性的快感を覚えるなんてキチガイ異常者の猟奇的快楽殺人犯予備軍に違いないんだぜ!」
と言いたいだけとゆーか。性の領域化。
そもそも「○○が無理」という性的嗜好の開陳は意味がない。昔のオーストリア人の説を引くまでもなく、およそこの世の全てのモノゴトが性的対象になりうるんだし。氏賀Y太とバタイユ読んでから来い!議論はそれからだ! みたいな。なので「おれはコレとコレとコレができます」にしときましょう。その方が高校生の性冒険自慢に誤読されないですみます。
http://www.shakaihakun.com/data/vol067/main01.html
村崎▲いやあ、唐沢さん、ここんとこスゴイね。モロ皮肉で言うけど、例の盗作疑惑騒動で、一部のネット界隈じゃ完璧に“極悪人”ロードまっしぐらじゃない(爆笑)。惚れ惚れしちゃうな??。もういっそ次回からこの連載もタイトルも「ドロボーくんがゆく!」に変えちゃおうぜ、オレも現役のゴミ泥棒だし。
唐沢●最初から釣るねえ(笑)。 経緯はウチのHP(http://www.tobunken.com/)に掲載したからそこを参照してほしいんだけど、ホントウ、じらして申し訳ないがこちらもまだ条件の最後に残ってる改訂版発行が残っているんで、まだ話せないこと多々、なのよ。まあ、全部終った段階で経緯は全部発表するつもりではいるけどね。
村崎▲ネットでの一部の炎上ぶりに反して実際はどういう状況になってるかは、オレも全部聞いているんで言いたくて言いたくて仕方ねえんだけど、また前回みたいにカットされるのも会話の無駄なんでやめとくよ。それにしても、ここまで来たら唐沢さんも実刑喰らって投獄された方が、いろんな意味でスキルアップにもなって、“真摯な反省”もできるからいーんじゃねえの?
唐沢●っていうか、もはや一部では唐沢俊一は明日にでも牢屋に入れられてしかるべき人物ってことになってるんだな。あれには笑った。
村崎▲実際、この件に関しては諸悪の根源が唐沢さんにあるんだから、しょうがないよね??♪ まあ、安心してよ、世界中の誰が何と言おうと、オレだけは唐沢さんの無実を全く信じてないから(きっぱり)。
村崎▲ギャグじゃなくてフツーに本心なんだけど(笑)、まあ前回カットされたんだから、別にいま言ったっていいっしょ。それにしちゃ、あれだけ極悪人扱いされてるわりには、唐沢さんの身辺に何の変化もないのはどういうことよ?
唐沢●テレビやラジオや講演の仕事がフツーに来るのには自分でも驚いたね。マネージャーがうっかり依頼に“いいんですか?”と聞いてやがるの(笑)。自分とこのボスの潔白を信じてないんじゃねえか(笑)。
読んで吐きそうなくらい気分悪くなった。読んだ人の気分を悪くさせるのが鬼畜ってやつなんだろうけど、この文章は一見さんが読むことも視野に入れてるその計算高さが何より気持ち悪い。文章だけ読むとホント漫棚の人が悪人になっててすごい。何も知らない人がこれを読んだら、漫棚の人は頭のおかしい人で、唐沢氏にイチャモンつけていったところを唐沢&自称鬼畜にネタにされてこてんぱんにされたという認識しか残さない。しかもそう思わせる文章を書くことを漫棚の人は(自分ではそんなこと一切思ってないんだろうが)認めちゃってるし。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_604f.html
漫棚の中の人の意思に反してようがなんだろうがこれは「唐沢氏のアクションに対して私は一切無力である」ということを公表したことと同じことだよなあ。さらに声のデカイ方の言い分が通る世の中、無理が通れば道理が引っ込む世の中で、過去ログもろくに読まれないブログにおいてこう書くことの意味はほとんど無いと思う。少なくともあれだけネットで荒れてた時も唐沢氏には順調に仕事が来ていたようで、なおかつネットでの炎上をこんな風に揶揄してるし。
村崎▲やっぱネット世論って、現実社会の世論と正比例してるわけじゃないのかね? こないだの参院選だってネット界隈じゃ維新政党・新風が大人気で、比例区では新風に入れる意志を表明した書き込みがあちこちにあったそうだけど、結局、ロクに票を集められなかったよな。あれは鬼畜的に躍進を期待してただけに非常に残念だったよ。
唐沢●ネット調査では議席数一位は自民党で、民主党は三位くらいだったっていうよね。それがフタを開けたら、“民主圧勝、自民惨敗”。
村崎▲だから、掲示板で大荒れになっているように見えて、実は同じ人間が何回もハンドルを変えて書き込んでいただけ、なんてパターンばっかりだったりするのかもな。まあ、だからといって、唐沢さんがネット住人の勘違いの被害を受けてるだけの潔癖な善人だなんていう気はオレもさらさらないし、これで腹くくって極悪人の仲間入りになったってことなら、それはそれで鬼畜的には納得できるし、もう付ける薬はねえわな。これで実刑くらってしばらく監獄生活が続くようなら、この連載はオレが一人二役で続けるから安心してよ、っていうくらいだな。
唐沢●何を安心するんだか(笑)。
村崎▲まあしかし、オレとしてはオウム事件の時の中沢新一の例があるから、たかだか一個のポカで、その人間の業績や全存在を全否定しないと気がすまないっていう人物評価の仕方には賛同しかねるよ。あの時、オレは中沢の熱心な愛読者だっただけに、オウム事件の時の中沢の対応にムチャクチャ腹が立って、マジで道歩いてて中沢に出会ったら奥歯が折れるまで全力でブン殴る気でいたんだ。それから数年はイヤミで自分の肩書きにも「中沢新一先生とオウムの関係を一刻も早く忘れる会”会長」とか書いてたくらいなんだけど、そういうオレでも、中沢の著書は別で、その後10年の中沢の学者としての仕事は称賛してもいいかなってくらい評価できるんだわ。「人間性はちゃらんぽらんで最低でも、書くものは別」っていうか、最近は「クソ真面目な学者にはとても発想できないモノの見方」ってのもあって、それはそれで貴重なもので、今となっては中沢の腐った人間性さえも「人類には必要なモノなのかも」とか認めたくなるくらいで(笑)。だから何かを全否定か全肯定しかできない二極的な発想って結果的に損だと思うのよ。唐沢さんが結果的な無断掲載みたいなことをしたのはダメだと思うし、それについてはオレもボロクソ言うけど、それは唐沢さんの部分であって全体じゃないと思ってるからこそ言えるわけで、完全にダメだと思ったら批判なんかしねえよ。今でもたまに思い出すけど、バタイユの「部分の総和が全体ではない」という言葉には、いろいろと教えられる事が多いわな。
唐沢●その辺も、「批判=自分に対する全否定」としか受け取れないネット脳の弊害なんだろうね。まあ、こちら側の誠意は尽くしたつもりなんで、あとは状況に任せるしかない。前回カットしたところも、いずれ何らかの形で公開するつもりなので、もう少しお待ちくださいということで。
村崎▲そもそもこの連載読んでりゃ、唐沢さんもオレも超がつくくらいの極悪人だってことはわかりそうなもんだし、むしろゴミ泥棒や下着泥棒の前科を偉そうに公表して威張ってるオレの方が鬼畜としてはレベルが上で悪質なんだ! ってことは強く主張しておこう。
多分漫棚通信の中の人は唐沢氏関係の文章を一切読む気が無いんだろうから、どうせ上に書いた「社会派くん」の更新も読んでないんだろうけど、これだけ読むと漫棚通信の人の全面敗北にしか見えん。今の所誰も「社会派くん」の記事をブクマしてないけど、単行本化して後の世に残る“事実”が上記の唐沢&自称鬼畜の言い分だけで通されるって事に物凄い不快感とどうしようもない無力感を覚えるのは俺だけかね。俺だけですかそうですか。そもそもこうなった原因を作ったのは漫棚の中の人が下手打ったせいだっていうのも事実だし、今更しょうがないんだろうけどさ。あれだけ盛り上がったニュースサイトも今回は一切取り上げてないし。逮捕されて箔が付くのは雑誌の編集長くらいだって言うけど、漫棚の中の人との論争も結局唐沢氏の箔になってよかったねということでよろしいでしょうか。
ただ、自称鬼畜は鬼畜のくせに自分のお友達とはきちんと仲良くするんだということがわかったのはやや収穫。楽屋裏で馴れ合ってるだけの会話をしておきながら鬼畜ですかそうですか。へー。「たかだか一個のポカで、その人間の業績や全存在を全否定しないと気がすまないっていう人物評価の仕方には賛同しかねるよ」って、問題は「人格の全否定」じゃなくて唐沢氏の対応が酷かったからだろうが!!
http://anond.hatelabo.jp/20070808114757より
そんな世界観で生きていると、性的に枯れた年齢になったとき何もやる気が起きなくて困るよ。
それに、子育てや部下育ての背景に性欲は感じないな。
同意。
そういえば、元々増田と似たような台詞で「人間の全ての行動の背景にあるのは死への恐怖だよ」と主張するヤツが昔いたな。きっとバタイユ読んだあとだったんだろうが、「全ての行動の背景に何か一元的な根本原因がある」という自らのその考え方自体を疑うことができていない時点で思考の練度が余りにも足りないんだよね。
「世界を支配してるのは実は○○じゃね?」って陰謀論を好むヤツと同じレベル。
様々に複合的な原因が、人間の把握を遙かに超えたような微妙な連関、ほとんど運命としか呼びようのない高度さ複雑さで絡み合っている状況や、その複雑さを少しでも解き明かすために超絶な思考や仮説を組み上げるために日々努力してる超人たちの仕事なんて想像もつかないんだろうなそういう人には。彼らと『なんでも一元化論者』との違いは、たとえばジョージ・ソロスやピーター・リンチと、「ギャンブルはつまるところツキやね」と言いながらそのへんで宝くじ買ってるおっさんくらいの違いはある。
というわけで「全ての行動の背景には○○…」という言説はその人の頭の思考練度の低さしか示しはしないと思うので恥ずかしいですよ? 少なくともあなたがそういう台詞を吐くとき周囲は心の中でそんな風に思ってるかもしれませんよ? という程度のことは、元々増田やそれに近いことを言いそうな人は、知っておいた方がいいと思う。まあこんな風に言ってもわからないかもしれないけど。