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はてなキーワード: 真実とは

2012-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20120216100521

お前の脳内設定を事実と言われても…



ああ、脳内俺設定を全世界に通じる真実かのように言い出した挙句突然罵倒したがる君(←長い)か。

時々出てくるよねお前。

2012-02-11

真実ってなんだろうなあ。やってることよく確認しようね

迷ったとき自分に語りかける




  真実自分の中にある

  だから自分に嘘はつけない

真実の愛を持っているひとをもう少し増やしてほしい。もう少しでいい。増やしてほしい。

それでなんとか調和がとれる。

2012-02-09

[] CC-0

<雪菜だけじゃなく、きっと武也も依緒も気づいてた。

 俺の中で、いつまで経っても、かずさが思い出に昇華されてないって。

忘れることのできない存在になってしまってるって。



それでも武也や依緒…やその他無関係な奴が、俺を励ましたり、雪菜をけしかけたりしてたのは、もう一つの真実には気づいていなかったから。

俺がずっとかずさのことを忘れてないことに、 雪菜が今でも傷つき続けてるって、こと。

 俺と同じくらい、かずさのことを知ってるから。…俺と同じくらい、かずさのことを好きだから

から、俺の中のかずさの存在を見逃すことができないって、こと。

きっと、俺の心に入り込もうとするたびに、中にいるかずさの記憶と目があってしまってたんだ

俺がむりやり抑えこんでも、笑ってみせてもそんなの雪菜にとっては、ガラスに描いた絵のようなもの



まり、それってさ…

俺はもう二度と、一緒に歩いていくことができないって、そういう、ことなのかな?

世界でただ一人、小木曾雪菜とだけは



相手が雪菜でないのなら、俺はきっと、いつかかずさを忘れられる。

どうすればって…そんなの簡単だ。

かずさのことを胸に秘めたまま、忘れないまま、新しい恋を始めてしまえばいい。

だって、その時、俺の横にいるひとは、俺が無理して笑ってるなんて気づいたりしないんだから

俺が時々、過去を思い出しても、そのせいでつらい気持ちになったとしても、きっと何も知らず、笑顔で励ましてくれる。

からそのうち、心が少しずつ彼女で埋められていき、かずさを思い出す痛みが薄れていき、いつか彼女が一番に置き換わる。

「知らないことが幸せなこともある」って、あまり俺の好きじゃない言葉なんだけど、でも、その言葉通りに時間が全てを解決してくれる。

…相手が雪菜じゃなかったら



だけど、雪菜とは、その過渡期が過ごせない。

俺が過去を思い出したら、俺がつらい気持ちになったら、何杯にも跳ね返って、傷ついて傷ついて…

今日みたいに、立ち止まってしまう。先に進む勇気を失ってしまう。

きっとかずさは、もうとっくに俺のことなんか…もしかしたら雪菜のことだって忘れてるかもしれないのに。

なのに俺たちは、勝手過去の三人にこだわり、そして馬鹿みたいに自滅しあう。


相手を好きなだけじゃ、「どうしようもないこともある」

それは、俺の大嫌いな言葉なんだけど。それでも俺たちは、もう一緒にいないほうが… >

 真実神話とどちらかが大切なのではなく、どちらも車の両輪のように大切にしなければならない。

 想像の中で過ごしている人がいたらそれはロマンチストではなくて現実対応できない人である

 逆に現実ばかりに眼がいって理想を追わないのは人間として淋しい。

 小説や詩歌などでも感性だけの作品はつまらないし、知性だけの作品も読めない。

 例えば、童謡で説明すると、野口雨情の「シャボン玉」は感性だけで鑑賞することができる。虹色に光るシャボン玉が空に飛んでいく姿はそれだけで絵になる。ところが、これが子供が亡くなった時の哀しみを思い出しながら描いた作品だということを知れば(つまり知性で考えれば)作品が二重になって見えてくるはずである長野県中野市中山晋平記念館には「雨情が旅先で二歳の娘の病死を知らされ、その悲しみを詩に込めた」と解説してあるという。

 ただ、娘が亡くなったのは詩ができた二年後という説もあるし、歌手高石ともやは「間引きの歌」と考えている。ある人から間引きで死んでいった子どもの歌だ」と聞かされたのがきっかけだ。高石の父親が生まれたのは、間引きが行われたこともある岩手県の山の中。高石も極貧の中で誕生した。父親はとてもかわいがってくれた。が、自分間引きを考えたこともあったのではないか、という(『唱歌童謡ものがたり』岩波書店)。

 感性だけで鑑賞するのも知性だけで解読するのも双方が必要だ。

 理性だけだと他人の痛みが分からない。感性想像力がなければ分からない。ルソーが『エミール』でいうように「ひとり想像力のみが我々をして他人の苦しみを感じさせる」のである

http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/father/shinwa.html

太陽真実はまともに見ることができない

2012-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20120208172948

意味わからん。結局何が言いたいんだ?

2chは知らないけど、ネット真実だったら価値のある情報にあふれてるんじゃないの?

もし「東電は100%減資になる」が真実なら、空売りすればきっと儲かるし、

”実際に”自分趣味の合う人が書いたライフハック記事なら参考にすると面白いだろう。

楽しめるかどうかだけが重要ものもあるけど、そういうのはたいてい明らかなファンタジーフィクションで、

グレーゾーンだけどフィクションとしては面白いねっていうタイプは、少数に見えるんだけど。

ルールだの勝ち負けだの意味不明。どこで何を搾取されるの?

承認欲求だの他人に価値のあることだのも、なんのことやら。

あ、ひょっとして、アフィリエイトやりたいならどんどん嘘を書けって言いたいの?

そりゃ勝手にすればいいけど、ネットほとんどアフィリとかやってるって前提なの?

もうすこし抽象度をさげて、わかるように例をだしてもらえるとうれしい。

[]何が書かれてるか、よりどう読むか、が大事だと思うんだ

http://kanisokuhou.doorblog.jp/archives/51174787.html

読む前にちゃんと自分スタンスを決めろ。スタンスが決まらんうちは一切読むな。





そろそろたらこの呪いから解放されようや

2ちゃんはずっーーーと、たらこの呪い「嘘を嘘と見抜けない奴は・・」の呪縛にかかってきた。

「嘘を嘘と見抜ける俺」をアイデンティティとすることを強いられてきた。

あの言葉があったから、嘘からどうかのグレーゾーンの話が常に盛り上がってきた。

だがもうあの時とは時代が違う。

もう、コストをかけて「嘘を嘘と見抜ける俺」の称号を勝ち取っても、そこに価値はない。

真実かどうかが重要になるのは、真実だったとしたら価値のある情報だけだ。

今の2ちゃんで話題になっているもので、真実だったら価値のあるものなんて、ない。

真実であろうが、嘘であろうが、等しくゴミのような価値しかない話ばかりだ。

そのようなものにたいして、真実かどうかを論じることほど無駄なことはない。



今は面白いかどうか、自分が楽しめるかどうか それだけが問題 真実価値などない

現在重要なのは面白いかどうか、自分が楽しめるかどうか、だけだ。

残念なことに2ちゃんまとめサイトがポピュラーになってからは、とっくにそうなっているのだ。

書く側としても、シェアされたもの勝ち、PVを稼いだもの勝ちの時代になっている。

「嘘か本当か」の軸で騒いでる奴は、真実にこそ価値があると思ってる奴は、

その基準でいまだに2ちゃんにむきあってるやつらは、もう古い。

そういうやつらは、新しいルールの中で、ルールを把握しているやつらに踊らされ、搾取されるだけなのだ

真実かどうかを見極めて勝ったつもりでも、実際はそれより大きな枠で見ると、勝負にすらなってない。




承認欲求を満たしたいなら、他人にとって価値があることを見極めようや

すでに価値がほぼ消滅していることに多大なコストをかけて、

必死自分価値をアピールしても周りは認めてくれたりはしない。得られる承認わずかだ。

そこで頑張れば頑張るほど赤字が出る。こんなに頑張ってるのに誰も自分を認めてくれないと魔女化するのがオチ

でも、それは自分が悪いのだ。自分の頭が悪すぎるのだ。

何も戦略を持ってない、他人のことを見ていない、自分のことしか考えてない。

そんなんで満足行く結果が得られると思ってるなら人を舐めすぎだ。

さやかのような頭の悪さが許されるのは中学生までだと心得なければいけない。さやか可愛いから正義だけどな。

2ちゃんスレの話が嘘か本当かを見抜こうとしている奴は全員阿呆だ。

そんなことしてる暇があったら、どういうところに価値があるのかを見極めたほうがいい。




考える頭がないなら、せめて後悔しないための覚悟くらいは持て

愛とは決して後悔しないこと」。人生の真理だと思う。

基本的に、文章読むときに、読む対象に愛がないやつは絶対に後悔する。

まずは相手が何者であってもそのまんま受け入れることだ。

その覚悟がないなら、最初から疑ったり、貶してやろうと思って読むくらいなら、読まないことだ。

覚悟決めたら、嘘だろうがホントだろうが、とりあえずそっくりそのまま受け取ってしまえ。

その上で、愛し方は人それぞれだ。自由にすればいい。

徹底的に罵倒するのもいい。徹底的に細部まで批判するのも構わない。

愛してるからこそ肯定しなけりゃいけないなんてルールはない。自分が後悔しないなら、好きなようにすればいい。


余計なこだわりさえ捨てれば、つきあいかたは自分の自由だ。

読む前から、後悔することが約束されているような読み方だけはするな。

世の中には、もっと楽しいこともある。自分が愛せる対象を探したほうがいい。

惰性で辛いことを続ける必要はない。




以上、 ID:VRSQfKye0から

http://anond.hatelabo.jp/20120208111352

事実真実ですれ違っているというが、そもそもの命題の設定の仕方が間違っているとしか思えん。



例題の「ワシントンの斧」に関して言うならば、

命題を「ワシントンの斧という寓話は真実であるか否か」とするなら、

アメリカに桜が上陸したのは1909年12月。ただし、この時は害虫被害が懸念されてすべて焼却されており、現在DCとかニューヨークで見られる桜は1912年3月に運ばれたものワシントン幼少時(1730~40年代)には桜の木は当然無い。
これを根拠に否定する輩もいるのだが、英文では"English cherry tree"となっている物があるのでおそらく、桜桃だと思われ、これなら17世紀にはイギリスからアメリカに持ち込まれている。
ワシントンの家は黒人奴隷プランテーション経営していたので、桃桜があっても格段不思議ではない。
また、海外挿絵等では背景が農場に見えるものも多く日本翻訳した時点で相当意訳されてしまっており日本語訳を元に審議を見定めるのは難しい

となるわけで、これは事実の積み重ねだから認識の違いは起こらないと思われる。



また、「これが子供の思想形成にどのように影響していくか?」という命題に関しても、

寓話を読み聞かせるのは容易いが、子供は大人の行動から物を学ぶのであり、実際の大人が寓話に反した行為を行っている場合には悪い影響を与えるだろう。
事実アメリカにおいても、"George Washington's axe"は、先祖代々伝わる由緒ある斧だが、刃は錆びたので交換し、柄は古くなったので交換した。
というジョークとなり、「あれこれ取り替えて元が残ってない様子」を示す慣用句として使われてしまっている。
また、「正直に物事を話した方が良い」という事を説明するための寓話は他にも多くあり、「ワシントンの斧」は内容の短さ、状況の簡潔さから反論性が高いため、他の寓話を選択した方が効果はあるように思える。

と、相手に状況を確認してもらって進めれば、一方的な擦れ違いは起きないだろう。



命題をきちんと設定して会話するのであれば、命題からずれても対応できるし、ずれが大きくなったら命題を変えればいい。

単に、お前さんが自分命題に固執しているか、相手の提示した命題が把握できてないかじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20120208135011

元のやり取り

元増田さん

ワシントン桜の木を折った云々の話が事実かどうかよりも、

 その話が伝えようとしていること(真実)のほうが重要じゃないか?」

Aさん(とする)

それぞれ全く別の論点であって

当然「どっちが重要」などと軽重をつけられることではない。



比べられるのは同論点上のタスクだけ

Aさんの言ってることは当たり前だよね。

同じ論点上なら「こっちが重要」って言える。

違う論点だったら「こっちが重要」は有り得ない。

別々の論点のどっちを重要と思うか、なんて個々人の立場主観から



同論点上軽重比較の例

例えば「町内のハトの糞害をどう解決するか?」っていう論点上なら

ハトを実力排除する」と「エサやってる人間シメる」と、

どっちの方策重要か?っていう思索は成り立つ。

効率や糞害発生経路を精査していけば多分答は出るし。



別論点上軽重比較の例

でも「ハトの糞害をどう解決するか?」と「一番好きな鍋料理は何?」という別論点同士や

ハトを実力排除する」と「キムチ鍋」という別論点上のタスク同士は、

これは比べられない。

どっちが重要とかそういう話や順位付けは成り立たないよね。



まとめ

…っていうのが元増田さんとAさんのやりとりで、

元増田さんも「そうだね、これは例が悪かった」と返答して円満に解決してる。

失礼だけどあなたは上記の2人のやり取りが内包する論理を一切理解できなくて

ただ「物事の優先順位をつけるべきだ!」みたいな

掘り下げの浅いところで話をしてる。

http://anond.hatelabo.jp/20120208111352

俺は事実よりも真実を優先して人とすれ違うことが多い

 

だってワシントン桜の木を折った云々の話が事実かどうかよりも、

その話が伝えようとしていること(真実)のほうが重要じゃない?

・その話の寓話としての価値

・実際のところワシントンはそういうことをしたのかというトリビアルな議論




それぞれ全く別の論点であって

当然「どっちが重要」などと軽重をつけられることではない。




あなたが人とすれ違ってるのは単にそういう

論理的で話を分別できない脳の性能のせいじゃないかな。

早乙女太一が青臭いコメントしてるけど

まだ二十歳かー

いいな

たぶん女には捨てられちゃうんだろうけど

太一かわいいよ

僕たちは全て打ち明け

真実で向き合い

お互いに深く傷つけあい

深く愛してます


彼女しか知らない僕を愛してもらい、僕にしか知らない彼女を愛してる


心配してくれた人へ。|早乙女太一オフィシャルブログPowered by Ameba

2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120204145110

うん、バカの言うことは無視して、真実に迫るTwitter世界を楽しむよ!

しかしだ、ソーシャルメディアは見る場所によって全く違うものにみえることを知ってれば、もうすこし世界が広がったかもしれないのに、togetter(笑)とはね。

あとradwimpsって気になってきいてみたけど、けっこういいねありがとう

2012-02-04

さようならツイッター

ああ、君らは一様に面白くない。本当に、つまらない。ロクに酒も飲めず、リアルで他人を魅了する技能も持たず、普段キーボードを前にして語る勢いも、他人の目を見ればたちどころに失われる。服装も髪型メイクもイケてなければ、クラブで踊り狂うこともない。そのくせ一丁前に音楽を語り、恋愛を語り、社会を語る。時に開き直り自虐に酔う。(ふぁぼでも欲しいのだろうか?)そして殴り合いの喧嘩もせず、無鉄砲セックスに学ぶこともない。いつも鼻声でひそひそ話し、机上の理論を重んじ、実(じつ)を批評せずクソ下らない批評二次批評し、バーチャル世界安息を求め、それを「生」だと勘違いする。ついでにRADWIMPSが好きだ。はっきり言おう。君らはキショい。

トゥギャッターなどを見ていると、ごく稀に例外はいるが、普通、そんな奴に面白いツイートができるわけがない。そしてマトモなツイートができない代わり、安易な散文詩モドキか下らないネタか「メタ批評」だか、何だか知らないが、分かりきった、まるで喜怒哀楽や生活や人生に関係のないテクストを書く。世界を揺り動かすことなんて簡単なのに、それすら考えず、やろうとしない。ただひたすら小さなコミュニティでくだらないリツイート連鎖同意を要求し、鬱をぶちまけ、インターネットで身に付けた(アホか)小さな小さな自信を拡大させて生きている。ねえ、ここには何もないよ。ツイッターなんて、唯のツールだ。

僕は金輪際オフに出ることはないし、<スカイプ>なるもので見知らぬ人と話すこともない。時間無駄だ。そしてこれは個人的な決別宣言であり、恐れ多くも「真理を突くようなもの」とは無縁のものだ。君らはこんなバカの言うことに何ら惑わされることなく、君らの創り上げた世界安心して楽しんでいればいい。本当に楽しんでくれ。おそらく、それが真実だ。

そして、さようならツイッター

政治・思想関係の人に、非リアが多い理由

友人に馬鹿な奴がおりまして、「男の非モテネトウヨ予備軍、女の非モテプロ市民予備軍」などと申しておりました。

下らないことを言うんじゃないよ、などと笑ってしまいましたが、はたと気づきました。

思想・政治にのめりこむ若者の格好、服、髪型眼鏡、靴、化粧などを見ますと、確かにリア充らしいものがいない。

はてさて、どうしたものかと、無い頭を絞った考えを、今回発表させてもらいたいと思います


①非リアは、他人との絶対的な接触時間が少ない。

②a:自分価値観が揺らいだり、ひっくり返される機会が少ない

b:世界自分の頭の中で閉じているので、世の中に様々な立場利害関係存在する

 ということを実感する機会が少ない

③「絶対的な正義」なるもの存在すると信じるようになる。

④素晴らしい(と自分で思えた)考え方は、自分以外の全人類にとって素晴らしいという

 確信がある

⑤本格的な「活動」を始める


ずいぶん薄っぺらい議論でございます

根本的な誤解がある」、「既出だ」などの御批判もあるやもしれません。

しかしながら、一抹の真実はあるのではなどと、一人自画自賛する昼下がりでございます

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203131953

もし料理の下手な日本人の家庭にホームステイした外国人がいたとして、

日本料理はクソマズイって言いふらしてたら、それが真実だと納得出来るか?

マジレスすると、

そうやって自分の印象が何に由来するのか述べてるなら問題ないな。

日本ホストファミリー料理が死ぬほどまずくてさ。日本料理はクソマズイよ。」

これなら嘘はどこにもないし、

聞いた方は聞いた方でその情報を適正に処理できる。(「たまたまその家が料理下手だった可能性もあるんじゃない?」とか。)

その外国人反日だとか嫌日だとは思わないな。




悪意を持って嘘話を作って日本を貶めようとするなら

それはその外国人日本への差別的な意図があるってことだけどね。

(「日本はどこの飯屋に入っても絞め殺した犬が出て来るんだよ!」とか)

http://anond.hatelabo.jp/20120203123402

そりゃなるだろう。

もし料理の下手な日本人の家庭にホームステイした外国人がいたとして、

日本料理はクソマズイって言いふらしてたら、それが真実だと納得出来るか?

1を見て10を知った気になるな!って憤るのが普通だろう。

差別偏見ではない意見にしたければ統計的に10を調べる必要があるだろうな。

琉球大学木村政昭名誉教授地震予測

木村政昭氏の地震予測一部の人が知って偉く驚いてるようだけど、なんか過剰評価にしか見えないので。

まともに素人向けに検証したサイトないの?

TwitLonger — When you talk too much for Twitter

ざっとネットで調べても、どうも木村政昭氏の地震の目理論というのがよくわからないんだけど。ちゃんと見るものを見ればわかると思うんですけど今はパス

精度を調べると、多少見たところ「少なくとも一般の利用者にとっては現時点でそんなには高精度じゃない」というのが私の結論。

せめて 科学的・論理的な姿勢で原発の廃止を求める原発懐疑派のブログ  ネット反原発派の極北・「@tokaiama 東海アマ管理人」氏の地震予知は真実かデマか? 並みにチェックしたかったんだけど(これでも本来不十分だけど少なくとも東海アマ予測がでたらめであることだけははっきり分かる)、そこまではできなかった。

ざっと見たところ、東海アマレベルよりは比較にならないほど当てになる可能性は否定できなかったが、上記ブログにあるような「木村先生阪神淡路大震災以降、ほとんどの地震予測成功されていて、」っていうのは「え、ホントかいな?」というのが私の見解

まず、見てみよう。

彼の公式サイトのうち、2011/3/11もっとも直前2011/02/18の日本列島地震予測図だ。

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2007年には一度予測していたはずの、三陸沖の予測が書かれていない。

日本付近の地震予測図(M≧6.5)

木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)にも、やっぱり三陸沖はない。

そして、2011/3/9、後から「前震」であったとわかった地震直後

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これの目があったと突然言っている。

2011/3/11が終わってのち、

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目があったと言っている。しかし、それまでの上記引用すべての図と違うように見えるのだが。

2011/3/9の前震の予兆と2011/3/11予兆を取り違えることはあってもおかしくはないかもしれない。また、この比較だけをもって、地震の目理論の中身をデータ比較して検討しなければ「地震の目」理論そのもの妥当性(多少なりとも役に立つかもしれない、という可能性も含めて)を否定することはまったくできない。が、現時点で「木村政昭氏は2011/3/11三陸地震を的確に予想していた」と言われると、まったく予測してなかったこと断言できる情報には欠けるが、的確な予想が出来ていたというのは無理ではなかろうか。実は予想してたんだけれども政治的理由等で隠していたとか言われたらちょっとまぁ私には手に負えないが。

で、本当はもっと過去予測と実績を予測履歴と比較すべきなのだが、ぱっとぐぐっても私には見つからなかったので、

みつかったうちの最も古い前述の「木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)」でみてみよう。

再掲)日本付近の地震予測図(M≧6.5)

このうち、台湾付近(2009±2)のは当たってれば来てるはずなので、とみてみると

NEIC: Earthquake Search Results

…なさそうに見えますが。M5.5以上検索。2009/8/1~本日。当たっていればLAT21付近にあるはずなんですけど(このシステムデータ漏れがあったらわかりませんが)。そんな地震があったというエビデンスがあったら教えてください…。他のは予測期間が終わってないんで判定できませんが。。。

千葉周辺はなんか最近の他の学者が言ってるのと似てないこともない気がしますので、これは当たるのかもしれません(既に311余波で起こってたりします?)

鹿児島南東沖はまだ予測範囲終わってませんが、気象庁 | 震度データベース検索とかで見る限り、鹿児島震度1以上で震源地とマグニチュードが一致するものは見当たりません。

で、2011/8/9版をみると

My Blog

随分変わってますね。

まぁ、3/11で大きく事情が変わったとかいうのが地震の目理論に当てはまるかわかりませんが(311でまったく過去データが使い物にならなくなってたとすると多分私が見た数ページからして地震の目理論はたぶん、当分の間精度ががくおちです)。

過去のは図から抜いてるだけで予測撤回してないって話だと過去のも全部並べて重ねないと予測意味がだいぶ減ってしまいそうですが)

外れが多かろうとも、一定の精度があるのであれば、まぁ備えることに無意味とは必ずしも言えないので、私が見た限り、「東海アマみたいに信じるのがバカ」レベルであるという判断はできませんでしたが、警戒情報として参考にするならともかく、現時点であまり祭り上げるのはどうだろうかと思うわけですが。

また、上記検証では理論の正しさは何も検証してないので、この理論の今後についてもなんら評価してませんので、将来この手法が精度を上げて実用化される可能性を否定するものではありません(とりたてて肯定もしませんけど)。

2012-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20120202155752

日本文学史で、純文学大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。

そっちのほうは大衆文学の側の

純文学が“ありのまま真実を書いている”って、検証不能じゃないか

また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」

に傾き、そして「純文学大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。

今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実真実でないとダメ」と言っていた人が、

かなりの数いたんだよ。

それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。

なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?

荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)

漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。

疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)

一般人はなぜ素直に信じてしまうのか、せめて信疑保留にしないのか?

そのメカニズム考察する方が、よほど面白い

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131083308

その通りですね。

ただ、件の同人作家さんが『キャラクターミッキー)に対する名誉破損の表現が含まれてるとかで、凄く責めて来ている。』とツイートしていることから著作権ではなく著作者人格権を根拠としているのだろうと推測しました。

あと正直なところ、よく言われる「日本におけるミッキーマウス著作権は一部保護期間が終了している可能性」についての真実がよくわからないんですよね。その辺り上手くアレすれば、著作権根拠でもいけるのかもしれません。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

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http://anond.hatelabo.jp/20120127110723

いちおうフォローしておくと

大規模SI,SE会社でも 部署によってはコードリーディングから始める部署もあるから 会社名というより部署名

同じ会社でも ビルオフィスが違うと 設計なんちゃって設計 だったり 設計コード読めるだったりする。

その辺が 大規模会社の 問題点かと思う。 できる部署もできない部署も 同じ会社名でよばれるからね。

それで、いや会社に出したんだから会社として責任取れよってお客さんは思うけど、そんなん別部署だし。

NTT東芝程の大会社ともなれば、部署が違えばもはや別会社

その辺を踏まえて 設計発注しないとお客さんはあぶないとおもう。

そうはいっても、 設計コード読めるレベルの人は高給取り確定で そこらの小さな会社いるかと言われると・・・

というレベルだし、やっぱり大企業に出すしか無いというのもまたけっこう真実だと思う。日本場合

結局、XXさんだから発注したみたいに、人の名前が入らないプロジェクトやばいよ。

で、いいたかったのは、おれらだけでも、なんちゃって設計設計と呼ぶのはやめようぜって話でした。ありがとう

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利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス

・われわれは生存機械--遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚き続けている。私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。私の願いのひとつは、ほかの人たちを何とかして驚かせてみる事である


・「乗り物」(普通個体)とのその中にいてそれを運転する「自己複製子」(実際は遺伝子)の間の区別について、わたしが明確な考えを持ち始めたのは、ようやく1978年になってからだという事情がある。

自然淘汰単位として競合する遺伝子個体の間の見かけ上の論争(故エルンスト・マイアを最後まで悩ませた論争)は解消されている。自然淘汰単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。

遺伝子自己複製子という意味での単位であり、個体ビークルという意味での単位である。両方とも重要なのである

・「利己的な遺伝子」のもうひとつのいい代案は「協力的な遺伝子」だったかもしれない。それは矛盾してまったく正反対のように聞こえるが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子の間におけるある種の協力を主張しているのである

このことは遺伝子のあるグループ自分たちの仲間を犠牲にして、あるいはほかのグループ犠牲にして栄えるということを意味するわけでは断じてない。

そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール-ひとつの種内で有性生殖シャッフルの候補となる遺伝子のセット-に含まれるほかの遺伝子が作る背景のもとで、自己利益を追求しているとみなされる。こうしたほかの遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であるのと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残る環境の一部なのである



ローレンツの攻撃、アードリーの社会契約、アイブアイズフェルトの愛と憎しみ、もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。彼らは進化において重要なのは個体ないし遺伝子利益ではなくて、種ないし集団の利益だという誤った仮定をおこなっている。


・ダーウィニズム理論の現代的説明の驚くべき結果のひとつは、生存の見込みに対するささいな作用進化に多大な力を及ぼしうることである。これはこうした作用が影響を及ぼすのに使える時間たっぷりあるからである


・おそらく群淘汰説が非常に受けたのは、ひとつにはそれが、われわれの大部分が持ってる倫理的思想や政治的思想と調和しているからであろう。

進化を眺める最良の方法は最も低いレベルに起こる淘汰の点から見ることだ、というわたしの信念について述べなければならない。

・複数の誤りが進化に必要不可欠だという説と、自然淘汰が忠実な複製に有利に働くという説は果たして両立するものだろうか?われわれは自分進化産物であるがために、進化漠然と「よいものであると考えがちだが、実際に進化したいと「望み」ものはないというのが、その答えである進化とは、自己複製子(そして今日では遺伝子)がその防止にあらゆる努力を傾けているにもかかわらず、いやおうなしに起こってしまう類のものなのである

化学的手段を講じるか、あるいは身の回りたんぱく質物理的な壁をもうけるかして、身を守る術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである



・海中を気ままに漂う彼らを探しても無駄である。彼らは当の昔にあの騎士のような自由を放棄してしまった。今や彼らは、外界から遮断された巨大なぶざまなロボットの中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡を取りリモートコントロールによって外界を操っている。彼らはあなたの中にもわたしの中にもいる。彼らはわれわれを体と心を生み出した。


遺伝子が決定論として批判されるような強い意味でのその創造論制御したりしないことは、誰にも理解できることだ。われわれは避妊手段を用いるたびに何の努力もなしに(そう、かなり簡単に)、それらを否認しているのである

2012-01-25

オタクファッション定義について

オタクファッションの定番と言えば安物シャツ、チェックシャツ、安物靴、安物ジーンズ

http://livedoor.blogimg.jp/omoteuracom/imgs/9/2/925b4a48.jpg

でも、下の写真を見てほしい

下の写真に出てくるのは安物ジーンズ、安物シャツばかりだ

http://livedoor.blogimg.jp/omoteuracom/imgs/4/9/49e8e661.jpg

そして、これらの写真はチェックシャツシャツの組み合わせだ

http://high-hat.net/?pid=25670865

http://shop.menz-style.com/site_data/cabinet/item/85-214006c-3.jpg

この組み合わせは1番目の写真の右下の人物もしている

オタク=チェックシャツ、安物靴というのは真実なのだろうか

どこからどう見ても疑問に感じざる負えない

- 転職ならen
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