はてなキーワード: 感覚とは
さっきスーパーで買い物をしてきた。大した買い物もしていないのに4千円を超えた。
この「大した買い物していないのに・・・」の感覚は、ここ2年ほど前から始まっている。
2年ほど前は、「大した買い物もしていないのに、2千円を超えてしまった」だった。それが今は4千円である。あくまで感覚だが。
子供に安い駄菓子(うまい棒など)を買うのを許可したら、その中で高額(といっても120円ほど)のものが混入していて、お菓子だけで500円を超えた。
そんなことで、帰りの車の中で子供を怒ってしまった。自己嫌悪だ。
私は介護職である。ここ2年で給与は微増した。国は、処遇改善などで介護職の給与アップに上っ面ではやっているように見せているが、肝心要の介護報酬を底上げするつもりはないので、ベースラインでの上昇は見込めない。
同僚は事業所の経営陣が搾取していると思っているが、介護報酬と利用者の実費での支払いを計算すれば、入りがだいたいわかる。
あの程度の売り上げでは搾取しようにもしようがない。
概算してみたが、私の事業所の給与は妥当か、ちょっとマシなくらいだ。
むしろ経営陣はお金の面でも人間関係の面でもよくマネジメントしている方だと思う。ハッキリ言って彼らは、才能を無駄遣いしている。介護の分野でなければ経済的にも地位的にももっと上に行けただろう。分野の選択に失敗したのだ。戦術レベルで優秀であっても戦略が間違っていれば逆転はとてつもなく難しいことが彼らを見ていてリアルに理解できた。
5年前に中古で一軒家を購入した。今思えばまだよかった時期だったがローンはたんまり残っている。
家に帰ったら、工場の派遣のチラシがポスティングされていた。パソナが噛んでいるのに、こっちのほうがよっぽど条件がいい。
大したものを買っていないのに4千円も使ったし、こんなことで怒ってしまうし、それが自己嫌悪になるし、円安だし、金利は上がるし、政治には期待できないし。
せめて、給与が物価の高騰と同じ程度で上がっていって欲しい。2年前ぐらいの物価と給与の水準であれば不満はあったけど、ここまでは苦しくなかった、ここまでのイライラも不安もなかった。
もう、介護職は辞めようかな。
最初に断っておくと、これは個人的なリアリティラインと制作側の演出のリアリティラインが合ってない、結果として「嫌なら見るな」でしかない話。ちょっと期待してた分のガッカリした気持ちを吐き出したいだけだ。
ガールズバンドクライは、何らかの問題を抱えた少女たちが出会いバンド活動を通じて自己実現していく系の作品だろうと思って視聴し始めた。まあそこは実際どうだかはおいといて
といったことからも、バンドにまつわる描写にはとくに本腰入れてリアリティ出そうとしてるんだと思った。音楽周り中心に周辺事情はちゃんと描くからこそ、ぶっ飛んだキャラ設定などのフィクションならではの部分に対して嘘くささを忘れられてドラマ性が高まる、そういうもんだと思ってる。
が、実際には1〜2話では逆の、とくにバンド関連の嘘が、演出だとしてもひどい印象だった。
なんかこの辺、要らん嘘って感じで、ストーリー展開のための嘘にしか思えず、演出だとしても筋が悪いように感じられて、視聴のノイズでしかなかった。
1話で仁菜のギターの扱いが酷いのは単にど素人だから別にいい。仕方ない。「他人の」「楽器」ってだけで大事に扱う常識的な感覚、を持ち合わせていないキャラで構わない。あと1話は、仁菜の住む予定の部屋の隣、そんなアパートに小さな子いる家族で住む?みたいのも気になったがあり得なくはない。2話での、壊れたシーリングライトをスイッチもブレーカーも落とさず着けるシーンは危ないのでやめて欲しいが、そこが無知なのは仕方ないというか全然有り得る。ちょっとした家電の知識すらない大人も現実にいる。そういうのよりスマホリテラシーの偏りの方が不自然に思える。ストーリー都合過ぎる感じがとてもした。
3、4話ではノイズになる嘘が減ってきた。3話の歩いてない鳩の首リズムも嘘だが、ストーリー展開が絡まないギャグ演出みたいなもんなのでそこは許せる。
冒頭にも書いたけど結局は個人のリアリティラインと作品のリアリティラインがズレてるだけの話。気にならない人には気にならない。
こういうこと書くとダブルスタンダードっぽいが、例えばバンド活動を主軸に扱った作品でも、以下のようなものはフィクションとして気にならない。
少なくともガールズバンドクライという作品で描きたいであろうテーマからすれば、上記に挙げたようなところはフィクションで構わないと思える。まあチートというか。例えば「バンドって金かかるし貧乏生活になるよね、そこをどうあがいて脱していくかを描きたい」ってんなら話は別だけど。なんか「いないパートの楽器の音が鳴る」のはチートじゃなくて、シンプルに嘘なんだよね。
花田作品は結構、ストーリー都合の「付かない方が世界観の品質維持できてよかったろうにという嘘」が多い印象はある。でも全部が全部自分に合わないわけじゃなくて、監督やどの辺に監修入ってるかとか、何題材にしてるか(→見る側のリテラシー変わってきてリアリティラインも変わる)などで結構変わる。
オナニーは今までに1万回ぐらいしたと思うが、そのうち9980回が二次元をオカズにしている。
学校の知り合いとか、テレビに出てくる普通の女優とかで妄想をしたことは一度だってない。
自分の性欲を満たすために、頭の中でとはいえプロでもなんでもない他人を性的に消費しようだなんて?
だが、世の中ではそういった「知り合いやアイドルをオカズにしてオナニーをする」だとかがむしろ普通のこととして扱われているらしい。
ビックリだ。
信じられない。
なんでそんなに性欲が旺盛で、倫理観が欠如しているんだ?
ちょっとセックスしたいからってだけの理由で浮気するとか、酒を浴びるほど飲ませてホテルに連れ込むとか、そういったことを現実でやってる連中がしょっちゅうニュースに出てくるのも怖すぎる。
単にちょっと気持ちよくなりただけの理由でなんで自分や他人の人生を犠牲にできる?
理解不能過ぎる。
つうかそもそも世の中で一般的な遊びのセックスがアナルセックスじゃなくて膣内射精だってことがまず理解できねえ。
妊娠のリスクを考えるなら出産したくないときはアナルですべきじゃねえのか?
怖すぎてこの年になっても未だに童貞だ。
だって怖いだろ?
ほら、あなたみたいに常識的な感覚を持ってる人のほうが多数派なんだって。
おかしくはないよ
ただ、単純な話、人が二人いると、意見の違いや感覚の違いが避けて通れない
「付き合って、嫌になったらすぐ分かれて~」の人でない限り、カップルさんはこの衝突をうまくかわして、まとめて、立ち向かうということをやっている
人と上手くやれない人は、これが出来ない人がとても多い
なので、見当違いなのかもしれないが、最近凄くレース後を経験してるので書き留めておきたい
ふぅっと一息ついて、ゴーグル外す瞬間、
もちろんAVにもよるし、果てたタイミングが微妙だとそこまでのやり遂げ感覚ないが
ピットやらそこかしこからクルーが駆け寄ってくるのまで幻視できそう(ゴーグル外してるから見えたらヤバいが)
今の段階でそれな、わかるという意見はまったくもって要らない、独占しときたい のだけど
半年後とかにちらほら言い出すやつ増えるかもなので先行者利益とっとく
円安でもゴーグル欲しい人が気軽に買えるぐらいに流行って下がらんかねぇ(はじめはスマホセットする1500円ぐらいの自作も可能な段ボールのやつ使っててそれでも十分ちゃ十分だったが)
念のために老爺心から
手ジコりだとF1優勝感に至りにくいので、なんらかの方法で腰振るだけ(最悪手は添えてもよい)の環境は作ってくれ
あとなんか四輪
おかんになんかしなくちゃという焦りがある
焦りというか、恩返しなり顔向けできる生き方をしなきゃいけないみたいな感覚。
「私は報われなくても、あんたらが良いように報われたらいいから」「おかんが稼いだ徳はあんたらに引き継がれるから」とか言うようになってきた。
ずっとピリピリしてたのが落ち着いてそうなるのも分かる感じがする。
今俺は30直前でおかんが50半ば。
自分の父親の家系は元地主?のモラハラ系で外食店で子供が店員に迷惑かけても放置しているようなとこだった。
おかんのみ稼げる資格持ちであった事と、曲がったことが大嫌いをそのまま行く性格の嫁であった事から
父親の家系のいざこざから離して、一般的な子供として育ててくれていた。
だんだんとこれまで言わなかったネガティブというか愚痴みたいなことを言い始めた。
遺産問題は、おやじは何もせんから、おかんが弁護士に依頼して裁判まで行って、結果ある期限までは住めるようになった。
この時におかんが俺に言った「おやじと離婚して近所に古民家買って一緒に住むか?」って言って、自分は「それでいいよ」っていうたけど
結局ぽろっと言ってもうただけで、それ以降なかったことになり
自分と兄弟が就職して息子たちが巣立ってから、おかんの金でローン組んで新築を建てておやじと一緒に住んでいる。
度々上記のような愚痴を言うようになってやばいかなって感じがしてきた。
これまでピリピリして仕事に家庭に親戚にってやってたのが爆発して落ちついたんやけど、
以前までのピリピリしつつも結論のみ簡潔に言うて怖い感じやったのが
おかんから冗談言うようになってきたり、同じ話を繰り返していたりするようになってきた。
おれここまでおかんにやってもらったんやからちゃんとやらなきゃ感がある。
どうしたらいいんや?
教えてくれ
子どものいる家庭を批判してる人がいるらしくて、子持ちとの分断だ、と言われてる。
分断ってゾーニングだよね。
子持ちの人への不満を他人の子供に対して何の権利もないのに、子供に対する義務だけは押し付けられてるって感覚が根底にあるんだと思う。
実際、最近の風潮として社会全体での子育てに参加する義務はあると言われるけど、それの義務の裏付けとなる権利は一切ないんよ。
当たり前だけど他人の子供に対する権利なんて存在しないからな。
将来の年金がーとか言われるけど、実際氷河期世代以降の年代は年金支給年齢は上がるだろうし支給額も減るだろう。
そもそも子供が働いて税金や社会保障費を払えるようになるのに最低でも20年はかかる訳で、氷河期世代に80くらいまで現役で働いてもらわないと社会が回らなくなるのは自明なんよ。
ぶっちゃけ子供を作らなかった高齢者は年金支給額を減らすとか、年金支給そのものを停止するみたいな話も当然でてくるだろう。
今、子育て世帯への優遇に協力したとしても、将来それが報われる可能性はかなり低いと思うんよ。
30年後くらいの若い世代の老人へのヘイトは、今の比じゃなくなるだろうし。
そりゃあ他人の子供を世話したり、子持ちの人の分の仕事を請け負ったりするのは報いを求めてやることではないのかもしれないよ?
でもやっぱり社会の雰囲気で義務だけ課して、その義務に対して権利の裏付けが一切ないままのはおかしいと思うんだよな。
子どもたちが大きくなったときに「君達が健やかに成長する為に俺は1%の義務を果たしたよ」と、胸を張って言える権利はあってもいいと思うんだよな。
それでなにか得することはなかったとしても、若い世代の為になにもしなかった人呼ばわりはされずに済むってのは結構大きいと思う。
子供の頃から、世の中の「闇」というものに対して、異様に怖い感覚がある。
「闇」と言うと感覚的だが、「悪」の定義を少し広げたようなものだ。馬鹿にする、見下す、茶化す、ネタにする程度のものや、冷たい、メシウマ、突き放すなどの冷酷さ、そういった負の感情や行動に対する強い恐怖心がある。
そういったものは、ざっくり「闇」という名前で括っている。簡単に言えば「正義とルールとマナーが守られていて、暖かみのある人間や場所」しか安心できず、それ以外の存在に対する極度の恐怖心である。
そしてこの「闇」への恐怖心は、田舎の廃墟であったり、あるいはボロアパート、あるいは場末のスナック、あるいは薄暗いビデオショップなどの、私の中のある種の「貧しさ」のイメージと、密接に繋がっている。あとはバッドエンド系の青年向け漫画なども、そういった「闇」を感じさせられる。
子供の頃はこの「闇」が消え去った、誰も不幸にならない、完成された世界を作り出したいと願っていた。だがその闇は年月を追えば追うほど、私の生活の周りに這い上がってくる。振り解けば解こうとするほど、闇は私の近くに差し迫ってくるように感じる。
「闇」というのは、おそらくは「貧困」「孤立」に対する恐怖心の、私の中の原初的なイメージの事だ。私の家庭は一言で言えば「貧困家庭ではないが機能不全家庭」であり、故にそうした貧困への恐怖は、実際の貧困家庭出身の人間以上に、「見えない」からこその恐怖心が肥大化している。
常々、歳を重ねるとトイレで大をするたび肛門のセンサーが衰えたなって思う事があったのね。何かというと、自分が大を輩出した時に予想したサイズより明らかに大きなサイズのものが出てて、自分の肛門の感覚と実物のサイズの乖離が広がってると感じることが増えてきたのね。
そんで、こないだ道の駅で久しぶりに和式を使ったらさ、メチャクチャ肛門の感覚と出てきたもののサイズ感が一致してたのね。その原因を考えたんのね。
普段さ、洋式を使う事がほとんどなんだけど、奴らはその形状上、肛門からトイレの穴までの経路に、ちょっと傾斜がついてんのよね。だから重力に従いつつも出た物は滑らかにゆっくりと滑り下りていくし、そしてここが重要だけど、底の穴の奥にも先端を少しずつ折れながら沈んでいくから最終的に目視確認した時に目に触れる長さが短くて、奥に入って見えない部分の量が少ないのね。だから肛門の感覚ではかなりの大物なのに出てきたものは少ない(短い)と感じてしまう。
それに比べて和式はそもそも肛門と便器の距離が近いからすぐに出たものが折れてしまい、それが肛門に出た物の硬度粘度をダイレクトに伝えてかつ、重さも感じさせるのね。そして何より便器から便器の穴までのルートが水平なので水を流さない限りは出たものがすべて可視化された状態で視界に提供されるわけよ?
今日、ホント凄かった。ちょっとしたエンタメだった。私の腹の中にこれだけの物量が眠っていたなんて……この和式トイレの貧弱な水流で流れきるかな……って思った(便秘でもなく水分も程よくあったため、なんとか流れた)。
いやあ、あれを楽しむためだけに和式に入ってもいい。和式に入るために体重を落としてもいいと思った(そう、この痛む膝のためにも)。
学生の感覚だと面白くて長持ちするゲームはいいのかもだけどさあ。
やっぱ社会人的には長くとも30時間ぐらいでそのゲームのエキスを吸い尽くしたいんだよね。
値段が1000円で1時間ぐらいで終わるワンアイデアゲーとかもいいよね。
ゲーム業界って学生やニートや低所得層もターゲットにしてるせいか「ボリュームがスゴイ!」「ずっと遊べる!」みたいなのが持て囃される部分があるじゃん?
でもそれって面白さを測る指標に遣っちゃ駄目だよなあと思うわけ。
長くプレイ出来てずっと楽しいゲームはあるんだろうけど、それでもやっぱボリュームに比例して中弛みはやっぱ大きくなるじゃん?
ベゼスターゲー(エルダースクロールやフォールアウト)とか特にそうじゃん。
めっちゃ面白い瞬間もあるけど、そこそこ楽しいからダラダラ続けてるけど何かこれダルいわ~~~みたいな時間も結構長いっていうか。
オススメされたゲームが短時間で終わるっていうのも、学生時代だったら「オススメされたからやったら10時間で終わった!フルプライスなのに!?お小遣いが貯まるまで勉強でもしてろってこと???」みたいになってたかもだけど、今はもう社会人だからさ。
社会人が社会人にゲームおすすめしてる時に「ボリュームが凄いんだぜ?」は貧乏臭すぎね―か?
子供が産まれて小遣い減って飲み会のことも考えたらケチケチしたいとかはあるのかも知れんがよ、それでもやっぱオススメ理由からプレイ時間は抜くべきだと思うわけよ。
端的に言うとさ、俺は「長く遊べる、ボリュームが凄いを理由に含めてのオススメ」が大嫌いなのよ。
全20巻の大人気シリーズ!とか言われてもドン引きしかないわけ。
そのうち半分ぐらいは一度火がついた人気からの惰性で、読者の多くはオチが気になるから我慢して読んでるだけじゃねーのかって思ってならないわけよ。
マジさ、ダラダラ引き伸ばしてるのを「たくさん楽しめる!」みたいに評価するならそうしてるってハッキリ言ってくれよ。
何をどう間違ったのか、超大手のITコンサルタント会社に入ってしまいました。
今までは事業会社でマネージャーをやってました。ITツールはそれなりに使っていて、Salesforceも使ってました。
しかし、これまで開発の経験はなく、自分でPythonとPHPを少し勉強したぐらい。基本情報技術者試験も受験したけど落ちました。
ITコンサルタント会社でマネージャーとして稼働していますが、はっきり言って何も分かりません。
ITコンサルタントのマネージャーというのはどういったスキルを持っている人なのでしょうか?
例えば 新規にプロジェクトを導入したいとなった場合見積もりを出さなければなりませんが全くアタリもつけられません。
システム開発の場合どのようなことを知っていれば 見積もりが作れるのでしょうか?
ITプロジェクトの場合どういったシステムを導入するか、という話になると思います。
特にSaaSであれば、どの製品を使うのか?という話になると思いますが、ITコンサルタントのマネージャーというのはどんな製品であろうと、あるていど見積のアタリをつけられるのですか?
各製品のことを知らなければ、開発の難易度もわからないし、どのくらいの期間が必要か、もわからないと思うのですが、どうやって乗り切っているのでしょうか?
それとも、ITコンサルタントのマネージャーというのは、ある程度ジャンルを限定した経験を、テスターなどから積み上げている人達のことなのでしょうか?
正直苦しくて仕方なく、ずっとモヤの中をさまよいながら仕事をしているような感覚です。
要件定義は当然わからない、開発は進捗がどうなってるか、くらいは確認できるのでなんとか出来る。でもその工数が妥当かどうかもさっぱりです。
一体なにを学べば、PoC、要件定義、開発見積、というのが出来るようになるのでしょうか?
こういう話しをすると、まずお前が何したいか?とかそんな話になるのですが、正直やりたいことが何か?というのも無いです。
ITコンサルタントのマネージャーとしてちゃんと稼働出来るようになりたいです。
例えば、GCPやAWSの資格取得を目指したらある程度わかるようになるのでしょうか?
インフラ系? フロントエンド? バックエンド? いまいち違いもわかりません。
なにかの言語を学べばわかるようになるのでしょうか?
一体、私は何を学べばITコンサルタントのマネージャーとして一人前になれるのでしょう?
っていう事例があってちょっと自分の感覚おかしいのか自信なくなりかけ
簡単に言うと政治の中枢にいるくせに国家をテロリストに売り渡した売国奴みたいなやつ
メインストーリーやった限りじゃ完全に地雷で擁護の余地ゼロなのになぜか今も人気がある
わけわからんね本当
歳をとると頑固になると言うが、まさに母にその傾向が顕著に現れてきた。
元々自分の感覚に自信があるのか、勧めに従わないと不機嫌になる人だった。兄妹は母はこういう人だと諦めていたが、自分は我慢できなくて度々ぶつかっていた。それでも進学で親許を離れ、年に2~3回しか会わない関係になると喧嘩もなくなり、穏やかな関係を築けていると思っていた。だけどそれは単に接触時間が短かっただけだと年明けに行った母との旅行で思い知った。
旅行中の母は様々な要望を言う。実現性は考えていないが、実現しないと不機嫌になるのでその場で必死に調査する。なんとか応えつつ最終日を迎えたが、そこで母は「今日着ていく服を持ってきた」と服を渡してきた。もちろん私は自分で用意していた服があったので「ありがとう。今日は別の服があるから、持って帰って別の機会に着るね」と断ったのだが、母はたちまち不機嫌になった。「せっかく買ってきたのに」「着ないなら返して」と続く文句に最初は頑張って流していたがつい「どうしてそんなに頑固なの…」と零してしまい、それが母の逆鱗に触れてしまった。「はぁ!?」「どっちが頑固なの!」「ただ着るだけなのになぜやらないの!」と怒鳴る声にとうとう我慢できなくなり、「うるさい!!」と怒鳴り返してしまった。
私が怒ったことに母は驚いたようで今度は「どうしてそんなに不機嫌になるの」「そんなふうにされたらお母さんは悲しい」「こんなことをされるともう二度と服を買ってこれない」とさめざめする。もう収拾がつかないと思い最終的には母の持ってきた服に着替えたが(母の機嫌は治った)昔よりパワーアップした頑固さにもう何かを一緒にするのは無理かもしれない…ととても疲れた。
なぜ今これを思い返しているかというとゴールデンウィークにも母との旅行を計画してしまっているからだ。孝行しようと2つも旅行計画を立ち上げるんじゃなかった。旅行の楽しみより母からもたらされるあれこれを想像してすでに疲れている。毒親ではないと思うのだが、自分とはとにかく相性が悪いのだと思う。ストレス少なめに帰って来れることを願う。
帰ってきましたので答えますが、それじゃ俺の言ってる「表現の微妙な差を殺してる」例にはならないねえ。
何故かと言うと、「的を射る」と「的を得る」は使い分けるものじゃなくて、どっちか自分の感覚に合う方を使うようなものだから。
俺が言ってるのは、「永遠」と「延々」のように、本来意味が違って使う場面も違う言葉を「響きが似ているから」って雑に同じように使うことを問題にしてるという話。
もっと有り体にいうと、辞書項目が別になる言葉を混同するのが誤用による語彙の死。
同じ辞書項目の別の表記に過ぎないものの内に正解があるかどうかは、それ自体意味のない議論ではないけど別の話。
前者の例を挙げられるなら挙げなおして良いよ、俺も別に辞書項目全部わかってて喋ってるわけじゃないから、新しく問題意識を持てるならそれは歓迎。