はてなキーワード: 文学史とは
日本の文学史で、純文学と大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。
「純文学が“ありのままの真実を書いている”って、検証不能じゃないか。
また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」
に傾き、そして「純文学と大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。
今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実・真実でないとダメ」と言っていた人が、
かなりの数いたんだよ。
それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。
なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?
荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)
漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。
疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)
http://anond.hatelabo.jp/20110903204912
小説には元々「ジュブナイル」という少年少女向けの分野がある。冒険物語を通して、社会常識を身につけさせるのが目的だから、内容はかたかった。「努力をすれば報われる」「大人になるのは良いことだ」といったテーマで、ある程度名前の売れた小説家が書いていた。
そのころ、マンガの世界で読者の年齢層に近い作者たちが現れた。感性が近いから共感を得られる。あっと言う間に人気者になっていった。SF小説の世界にも10代の作家が現れた。軽妙な語り口で、高校生を主人公に小説を書いてみせた。同年代から圧倒的な支持を得た。
その頃から、少年少女向けの小説は、主人公の年齢に近い感性を持った小説家が書くようになったんだ。
それと、日本の文学史は、ずっと「書き言葉から話し言葉に近づこう」としているんだよ。言葉は流動的なもので、どんどん変わっていく。でも書き言葉は文字で残るものだから、変わる前の言葉で残っていく。で、ある程度の差が出来ると「もっと話し言葉に近づけよう」という運動が起こって、普段しゃべっているのと同じ口調になっていくんだ。さすがに地の文で「ちょべりば」とか書いてある本は読んだことないけど。
ライトノベルは文学史の流れに沿って、生まれるべくして生まれたものだ。だから、形が変わることがあっても、廃れていくことはないよ。いつの時代も若者は存在する。だから、若者向けの小説もまた存在し続けるんだ。
20110904追記
kori3110さん、失礼。もっと前の話なんだ。1980年ごろ。ライトノベルという名称がつく前に少年少女向けの小説を書いていた人たちのこと。ライトノベルから一般小説へと守備範囲を広げていったのではなくて、一般小説を書いていた人たちが、少年少女向けの小説も書いていたということ。「ジュニア小説」って名称もあったけど無くなっちゃった。
“「モウタクトウ」と言えば「シセン」と言えば通じると思っている日本人”は相当のアレだと思うが。
(赤ん坊の臍の緒が、母親の臍と繋がっていると思っている人の数くらいはいるかもしれない。)
元増田が言うように、毛沢東=Mao Zedongくらいは知っておいても損はないと思う。逆に知らないと英語の文献読む時に困るだろう。
だからといって、カタカナ表記は微妙ではある。マオツートンという表記は、いまいち間抜けな感じがして好きではない。
そもそも、中国語は、四声、Uウムラウトの発音、ケンゼツ音、有気音・無気音など日本語では表現できないので、モノによっては原音と乖離すること甚だしく、人民と乖離するよりタチが悪い。原音表記したところでウソになってしまう。こういうところはハングルの表音力がうらやましいところだ。
先生。ルーシュンじゃなくて、Lu Xunです。Lu Xun。いえ違います。Lu Xunです。いややっぱり違います。
Luも、Xunもちゃんと言えてません。発音も声調も違います。先生怒らないで下さいよ。
はい。わかりました。先生。もう無理に中国語話すことないです。ロジンっていえば私ちゃんとわかりますから。
発音もさることながら、まず中国についてもっと教えるべきだと思う。お隣さんなのに知らなさすぎだ。お互い様ではあるが。
毛沢東選集4巻全部読めとは言わないが、老三編くらいは読んでも悪くあるまい。
中国の偉大な作家は魯迅だけじゃない。老舎、巴金、丁玲、茅盾、いくらでもいる。中国の懐は深い。中国を知ること其楽無窮!
英語でマオザドーン!(英語圏の人はけっこうそういう風に発音する)と言われて、毛沢東のことだと分かるのは出発点としては大事であろう。
しかし、中国人が、Mao Zedongと発音するのを聞いて、天安門にかかっている肖像画だとか、百元札とか、一切の反動派は張り子の虎だとか、女性は天の半分を支えるとか、戦争は血を流す政治だとか、あの書法とか、あの「雪」という詩とか、東方紅のメロディーとか、タバコのヤニで真っ黒な歯とか、胸の皮膚に直接刺して止めるバッチとか、さまざまな記憶が一気に思い出されるような日本人がもっと増えてほしいと思う。
こんなのは中国語を勉強すれば済む話であるが、日本で義務教育化するのは大人の事情もあってすぐには難しかろう。
たった一つの冴えたやり方は、英語の教科書に、中国の現代史・文学史を掲載することではなかろうか。
Mao Zedongが、Hongjunを率いて、Long March やりました的な話にして。べチューンとか、スノー、スメドレーあたりを絡ませると面白かろう。ちょっとさかのぼってパールバックあたりを出してもいいかもしれない。北京は、Beijingということが分かるだろうし、アヘン戦争あたりから始めて、ついでに動詞のshanghaiの意味とか教えとくと教育上なお良かろう。歴史教科書でこういうことを教えようとするから、余計な奴らが口出ししてくる全部駄目にしてしまって、我が国にバカ者を大量生産してしまう。いきなり都市を攻めようとしてはならない。農村から都市を包囲すべし。味方を保存し敵を消滅すべし。遊撃戦を展開すべし。畢竟、英語の教科書でコソッとやればよい。
結論から言えば、かなりの確率で「話題にすらならない」よ。
そしてあいつは使いにくいってことで仕事を干される。漫画なんかと違って発表の媒体がほとんどないからね。そこで終わり。
だって、このクラスタに居る人間は吹けば飛ぶ奴が過半数だもの。
大抵の人が出版社にとって「別にいなければいなくてOK」な存在だけに、はてなより遥かに発言しにくい。
だから同業者の集まる飲み屋でグダグダ言って終わる。狭い世界だしね。
石原批判したいって人は多いのに結局誰も発言できない狭い村のお話。特に若手は発言権ゼロだからね。
文芸誌って歴史的に色んな作家やらなんやらが論戦する場所だったわけですよ。大体文学史って常に大喧嘩してるでしょ。
そんな活気すらないのが現状だからね、こりゃもう筆折って死ぬべきかもわからんね。
16歳で初めて東京へ遊学、初め漢学を次に哲学を志して遂に大学予備門に入学、東京帝国大学では国文科に入り、二ヵ年の修行で病気のために退学した。居士は大学で修める学科が居士の志す所と没交渉のものが多いからというのを退学の一理由としているけれども、勿論病気ということもその退学原因の重大なものであった。
退学が病気に因る如く、居士の事業また病気によるものが多い。その俳句研究を始めたのは喀血後明治21、2年頃からである。 「俳句を研究せねば、足利以来の日本文学とその思想は到底鮮明することは出来ない」 とは、その頃居士が他に語る口癖であったが、斯く考えることもまた病身ということが手伝って力あるものである。そうして24歳より俳句の復興革新に志し僅々5年29歳の頃には略ぼその大業を成就するに近くなったのである。
次に30歳頃から和歌の革新を思い立ち、「紀貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ歌集に有之候」という当時としては歌壇の反逆児としか思えない畏る可く宣戦の言葉を放って健闘すること3年有余、その34歳の頃には既に速くも歌壇一千年の永き惰眠を覚醒し、写生趣味による真実味と自然味とを和歌に注入して以て殿上文学たる和歌を地下の書生学徒の手に移したのであった。
次で文章の革新をも思い立ち、写生趣味を加えた言文一致の文を発表し、真実を自然のままに叙写するのでなければ、到底永遠の生命ある文章を得べからざることを称道し、所謂写生文なる一派の文を興すに至ったのが、明治32年頃からその晩年たる35年頃までの活動により成就せられたのであった。漱石の猫が生まれたのもまた実に子規居士の造った揺籃に於てしたのである。
かような明治文学史上に最大の意義ある事業を為す傍ら、明治24年頃から、俳句の分類だの、俳家全集などの編著にも精力を注がれた。
20歳喀血し、30歳脊髄を冒されて、腰は全く立たず、カリエスは開口して漏膿し、痛苦を伴った。30歳の頃以後は年百年中37度ないし39度くらいの体温を干満した。生まれて虚弱、13歳より5、6年僅かに小康を得、そうして盛年常に病魔に冒されて以て一生を終わった。居士は畢竟病を以て終始したものである。そうして享年僅かに36歳、明治35年9月19日示寂せられたのである。
寒川鼠骨「子規居士小伝」より
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
「第二次」が名称としてマイナーというのはその通りなので別に異論はないけど、作家としては超メジャーなので言及しておくよ。
昔の小説家の「第3の新人」も第2が見当たらなくね? なんかはあるんだろうけどさ。第2に相当するもんが。ただマイナーっつうか。
俗に第一次のあと、第二次と言われた人々は、小説の手法などを一気に革新し戦後小説の世界を開いたと言われています。
「世界のミシマ」こと三島由紀夫、「ノーベル賞候補」だった安部公房、「全身小説家」こと井上光晴。
他に「出発は遂に訪れず」で有名な元震洋特攻隊隊長、島尾敏雄。「広場の孤独」の堀田善衛など、知らなきゃモグリっつー人々です。
相当重要な人々であって、日本文学史を語るには欠かせない。名称ももっとメジャーになると良いなあ。まあ周囲が勝手に名付けただけで徒党を組んだワケじゃないし、そもそも名称なくても全然構わない存在感がある人らだからいらないと言えばいらないんだけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20081020231740
>シェイクスピア、ヘッセ、トルストイ、ヘミングウェイ、ホメロス ドストエフスキー
この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。
神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。
たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。
でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。
それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女や外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。
本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学の先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカのビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験的作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。
それから、読んだことの見栄や既得権意識が邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえてを学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線でコメントされたことがある。
似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロの批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。
結局読書は自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターンの作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベルと携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。
殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。
もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。
とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?
ただ人生のいいとこつーのは、それはそれで修正効くとこかな。人間の脳の可塑性は半端じゃないから。
だって年取ってから眼鏡かけてもしばらくすればフレームを認識処理から完全に消しちゃうんだぜ。
極論言えば『世界が倒立して見える眼鏡』かけても一週間もしたら正常に見えるようにしちゃうんだぜ。
それでエラーとか出ないんだぜ。
脳神経のシステム管理者って超優秀。超ヤバい。
ずっと公務員で小役人のまま一生を終えるかに見えて、50を過ぎてから突然書き始めた絵で歴史に名を残した人がいる。
逆に50歳過ぎるまでずっと生活のための絵描きをしてて、50過ぎてから始めた俳句で文学史に名を残した人も、
50歳まで商売人として仕事してて、引退してから地図作製を学びそれから日本中を足で歩いて詳細な地図を作った人もいる。
何かをはじめるのに遅すぎるということはない。
遅すぎるように思えるとしたら、それは遅かったことを言い訳に何かをあきらめようとしているときだけだ。
今から100年前に一人のびんぼーサラリーマンが、やっぱり「特に理由もないけど、今日は妻に花を買って帰ろうかな」と思ったらしい。なぜかうだつがあがらない自分の身の上を嘆いて、ふと心寂しくなったからだったそうな。
最も彼はめちゃめちゃ貧乏な上に浪費家だったので、本当に妻に花を買って帰ったかどうかもよく分かっていない。また仮に買って帰ったとして、妻がそれを見てどうリアクションしたかも分かってない。そもそもその家に花瓶があったかどうかもよく分かってない……狭い二階の二間の間借り生活だったので。実際に花を買って帰ってたら多分妻に怒られたことだろう。花よりも今日の米代が無いような月給前借り前借りの生活だったのだから。
それに比べれば、怒られる心配なく花を買って帰れる我々は彼よりはいくらか幸せだ。そんなわけで、やっぱりたまには花を買って帰ったりするのが良い。経験上、余程のことがない限り大体歓迎される、…と思う。ただしアレルギーや呼吸器系に難のある家族のいる場合は、ちょっと注意した方が良い。
ちなみにその男、名前を石川一という。結局何者にもなれずうだつのあがらないまま数年後に結核で死んだ彼が、生前ペンネームを「啄木」として出版した歌集で文学史に名前を残そうとは、彼自身生前予想していたかどうか。http://anond.hatelabo.jp/20070417112839