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はてなキーワード: 宝くじとは

2012-02-01

今日、0.1だけがんばろう

よくある話の言い換えだけど、持論。

昨日を100だとして、昨日より今日は0.1だけがんばって

100.1にしようと思ってる。

複利計算で、1年やり続けると、えらいことになってる。

単純計算は誰かがやってくれるとして、ま、いうても

毎日0.1得られるわけでもなく、マイナスの日もある。

でも0.1を得ようとして頑張ったら突然確変で1とか10とか

得られちゃう時もある。

そんな風にやって5年はたったかな。

たぶん、5年前時点での100から考えれば

軽く1000はいってる気がする。


ーーーーーーーーーーーーーーー

から見ると、私が直接関わってる人たち、テレビでみる人たちは現状維持が大好きだ。

既得権益の確保だの、今で満足だの考えでそうしているんだろう。

みんな、変化は好きじゃないんだろうか?

改革は好きじゃないんだろうか?

下市長を叩くメディア

小泉改革郵政民営化

「結局、数年経ってふりかえると郵政は何も変わっていない」と。

星新一ショートショートでよくあるオチだが、

「すごい幸運を手に入れる何かを行ったのに、なにも起きなかった。

本来だったらものすごい不幸が起きてることが起きてないことが

幸運なのだ。」的なネタから


改革して、変化してなかったら現状にない悪化をしていた未来があったかもしれない。

変化したからこその現状維持かもしれない。って考えたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

現状維持の人たちは、変化を受け入れた結果の最悪の状況、

リスクビビっている。

そりゃ、誰だって未来はわからないのだから、最悪の結果を

招くこともあるだろう。

そうやって、誰かの提案を自身の保身、ビビリで提案案件自体を

批判し否定し、本件とは関係ない過去の失敗などを持ちだしたり、

重箱の隅をつついてご破算を狙う。

現状維持派は、よく言って今日0.0になるように頑張っている。

昨日より悪くならないように、というネガティブシンキングで。

その毎日では永遠に最初の100を超えない。

外的要因(例えば宝くじ当選)を除けば。

それは宝くじに期待するという0.00001がんばっているといえるが。


今日、0.1だけがんばろう

そんなにがんばらなくていい。

めっちゃがんばって次の日めっちゃ落ちたら意味が無い。

昨日より安定して0.1だけ頑張る。

言い換えると現状維持を認めない気持ち。


ってやってたら、数年後振り返ってみたら

あれれれれ。って思える。

今思ってるから

だれか、日本の一人にでも、今の気持ちを伝えたかたから。


P.S.今日の俺の0.1

から、ここに書きこみたいって思ってた。

初めて日記書いた。それで+0.1。


bygones kaztc

2012-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20120126225618

結婚したいけどできないたくさんの女の子存在をお前はどう思うのか。

は?これ意味がわかんね。

悪いけどもうちょっと噛み砕いて説明してもらってもいいかな?

なぜ自分の知っている範囲内にしか世界はないと思ってしまうのか?

元増田の話?宝くじレベル奇跡考慮して常に発言しろってことか?

2012-01-09

生きるって、働くって、辛いね。。。。。。

ほんとにね。

宝くじ当たんないかな、一生引きこもってやる!!!!!!

2011-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20111229144640

宝くじの当たる確率

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1142230.html

個人的にはセックスしたいなら身近にいるかわいい女の子にメシでもおごるほうが確率高いように思う

2011-12-27

[]今週の図書館ピックアップVol1

“現代家族”の誕生幻想家族論の死 - 岩村 暢子

近代家族のゆくえ―家族愛情パラドックス - 山田 昌弘

キネ旬総研エンタメ叢書 アニメプロデューサー仕事

火の神話学―ロウソから核の火まで - 大塚 信一

候文明史 - 田家 康

宝くじ文化史: ギャンブルが変えた世界史 - ゲイリー ヒックス

蛙鳴(あめい) - 莫 言;

メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス) - アンソニー ドーア

平安文学でわかる恋の法則 (ちくまプリマー新書) - 高木 和子



今まで図書館おすすめ特に小説系は外したことが殆ど無いので今週も期待。

2011-12-25

「欲望という名の税金

今日本屋で見かけたんだけれど、このオビ秀逸だった。

まりに秀逸過ぎて本のタイトル覚えてないんですが、だれかこのオビがついてる本のタイトル分かる人いたら教えて下さい。

しか新書だったはずです。今日行ったらもうなくなってた。



宝くじソーシャルゲー、税金

とれるところから金取りたい人たち。

取り締まれるところは取り締まって自分存在感を確認したい人たち。

それに流される消費者たち、みたいなそんな感じの煽りがあったと思います

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223004807

友人にもそういうのが大勢いるから「結婚してよかったなんて思ってる奴、宝くじみたいなもんだろ」と思っていた。

増田はきっと親と仲の良い人や夫婦仲の良い既婚者とはなんとなく基本的な感覚が合わなくて、結局友人として付き合いが続かなくなる事が多いんじゃないかな。

「友人はそういうのが大勢いる」ってのは意識的にしろ無意識的にしろ、自分が選別した結果なのでは。



でも多分、多くの人はこんな感じで自分と考えや感覚が似た人を選別して付き合ってるんだろうね。

なるべく自分の居心地が良くなるように。

2011-12-19

宝くじは若いうちに当たるべき。中年になってから当たっても人生まり変わらない。

 ふと思ったこと。

 仮に6億円のロトに「20代」に当選した場合

 多分今の職業に就かず、無職で好きなことをして過ごしていただろう。

 あるいは、「趣味と実益を兼ねた」別の仕事に就いていたかも。

 で、結婚も、金の力に任せていたかも。(つまり今の妻と違う女性結婚?)

 しかし、40代の今当選しても、

 多分今の仕事を「放り出す」ことは、社会的に出来ない。

 第一、子供の手前、「無職」にはなりづらい。

 当然、今の妻を捨てて別の女性・・・という訳にはいかない。

 今6億円貰っても、せいぜい家を買い換えて、老後の蓄えに回す程度。

 経済的・精神的な安定安心は得られると思うが、根本的に「人生は変わらない」。

 20代で宝くじに当たるのと、40代で当たるのでは、全然人生への影響度が違う、と思う。

 どっちが人生的に良いのか、は何とも言えないが・・・

 

2011-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20111212101535

バイト

バイトでの実績が認められ社員登用

可愛い新入女子社員結婚

宝くじが当たって億万長者

2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204020131

現実には手に入らない美女、現実にはイケメンといちゃいちゃしているであろう美女が

気持ち悪いオッサンにメタメタにされて屈辱にまみれるフィクションを見ることで、童貞鬱憤が解消されるのだよ。

ファンタジーだよ。

宝くじ6億当たって堅実に運用して10代先の子孫まで働かずに暮らせる大富豪になりました、という話よりは

宝くじ6億当たって浪費してしまい周囲の人間にも騙されて毟り取られて人間不信になって借金孤独けが残りました、という話のほうが

なんとなく胸がスっとするじゃろ?

2011-12-02

ロト6で1億あたってから

27歳、中小企業サラリーマン

およそ1年前、ロト6で1等が当たった。

キャリーオーバーがあると最高4億円が当たるロト6。僕の当選金は1億数千万円だったけど、番号確認した瞬間心臓バクバクになったのを覚えてる。

 

ロト6は43個の数字から自分の好きな数字を6個選ぶ。(数字の選択を機械にまかせることもできる)

僕は5年前くらいから毎週同じ数字を選び買い続けてた。誕生日など自分に関連のある数字を6つ選んで。

 

手取り20万台のサラリーマンにとって、突如手にした大金の扱い方なんてわからない。

ネット情報収集して色々と学んだ。

結婚する予定の彼女と両親以外には当選したことを誰にも話していない。

両親には『百万円以上のたからくじが当たった』と話した。もし金銭で何かあったら言ってくれと伝えてある。

彼女はいくら当たったかまで伝えた。『せっかくだし何か欲しいものある?』と一応聞いたが、『欲しいものはいっぱいあるけど、私が(高額なプレゼントの)お返しがしにくくなるから、そういうのはやめよう。いままで通りで。』と言われた。

 

銀行に決済専用口座を用意して3000万円くらいずつわけた。

1000万円保護までのペイオフは知っていたが、決済専用口座(無利子の代わりに全額保護)の存在は知らなかった。

定期預金にしたってどうせ利子なんて微々たるもんだし。

 

生活は変わらない。変えてない。

いままで手をつけた当選金は100万円のみ。震災寄付として少しだけ。

当選金は投資にも回してない。投資信託だけは何年か前から毎月積み立ててやってたけど、これも当選前と当選後では変わらない。

 

大金を手にしたことが無いので怖いのもあって(ネットで調べてたら、宝くじ当選から失敗した方々の体験談等を多数目にした)、当選直後に自分の中で1つだけルールを作った。

『一ヶ月間だけ当選金を1円たりとも使わない』

一ヶ月、悶々と我慢したら「とりあえず今はこのままの生活でいいや」という結論に達した。

 

もちろん物欲はある。

今まで『もし宝くじ当たったら何買おう』とかワクワク考えてたこともあったし、当選直後は貪欲にも『ほしい物リスト』とか作ってみたりした。

でも一ヶ月経ったら冷静になれてた。

 

仕事は辞めてない。サービス残業させられるし、有給も満足にとれない。

しかしながら、1億円があたってから心に余裕が生まれたらしい。

仕事辞めて社会と接点を断ったら、きっと僕はダメ人間になりそうだし。

 

使わないお金でも、心の平穏はお金で買えるようだ。

自慢したくてこの日記を書いたわけじゃないけど、知り合いにはトラブルのもととなるお金の話はできないのでここに書いてみたわけです

読んでいただきありがとうございました。

2011-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20111111205605

もしもそれが事実であり、政府首脳に官僚までがすべてそのような認識であったのなら、それは宝くじの一等に十連続で当たるくらいありえないことであり、そのようなありえないことがどうして現実に起こっているのか、その理由を究明しないと、TPPどころではない問題になると思うのだが、なぜ単純に野田に呆れるだけで思考停止しているのか不思議だ。

2011-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20111107194325

勝ち組(より人間らしい生活が送れる人)の条件



家系資産

学歴大企業公務員

起業成功

宝くじ当てる

玉の輿



結局、勝ち組ポジションの奪い合い



さーて、どれももってない俺はどうやって

女の喜ぶ顔、子供のケタケタ笑いを手に入れるかな

2011-11-05

[][] 堀江「本気になれば競馬で生活できます

「君がオヤジになる前に」

福本伸行「そんな時代なんですねー。でも昔と変わらず、馬券好きな人はまじめに働いてなさそう(笑)

堀江貴文いいんじゃないですか。基本的に競馬赤字は出ませんから

福本「ほうほう」

堀江「本気になれば競馬で生活できます。ただ厳密に言うと、競馬の払戻金は一時所得に当たるので、20パーセントぐらいの税金がかかるんですしか総合課税だから、買ったレースにだけ税金をとられるわけじゃなく、負けた分もしっかりとられます

福本「それはひどいね!」

堀江「公営ギャンブルの徴税システムえげつないですよ。宝くじとかパチンコも結局は国が丸ごと儲かるシステムになっている」

福本「馬券パソコンで買っていると、万馬券を出した人とか絶対にわかっちゃうものね。課税は逃れられない」

堀江税金のことを真面目に考えたら、競馬はあんまり割に合わないです馬券を当て続けて馬主になった人もいますけど、まあその程度ですよ。それなら事業を起こして、たくさん稼いだほうが断然得でしょう」

2011-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20111030233742

宝くじなんて当たらないから買わないし、すでに相手に付き合ってる人がいたら片思いも諦められるし、家にDQN親戚が転がり込んできて不快な思いしてもなにもしないのだろうか。それと同じことなんだけど。

フランクパブロフ著「茶色の朝」とか読んで変わったクチです

2011-10-20

4億3200万円稼いだ天才作家がとるべき7のアクション  

自動否定製造機のはてな民が何を言おうと、『もしドラ』を270万部本を売って、4億3200万円稼いだハックルさんこと岩崎夏海先生は超絶空前絶後の勝ち組です

 でも、この世の中には、4億円を稼いでも満たされないものがあります。それが承認欲求です

否定されるためにブログを書く人

 本当ならば、売れないアイドルパトロンにでもなって、岩崎さんの怒張したドラッカーハックルハックルしていればいいのです

 けれども、彼ははてダに書き続ける。はてなに何を書いても否定されるのは目に見えています。そんなところでブログを書くのは、3歳児に関節駆動式のガンプラを渡すようなものです。いずれ自尊心はひちゃめちゃのばらばらになってしまうでしょう。

 

僕も死にたいと思っていました

 以下の7のアクションをやってみましょう。僕も死にたくなった時がありますが、この17アクションをこなしたことで、宝くじがあたり、今では誰にも気付かれずに身長が20センチアップ、金玉袋が3倍の大きさになり、前田敦子を2で割ったような容姿の美しい恋人まで出来たのです!やってみる価値はあります


空前絶後に効果のある7条


1. 女を抱け!それも飛び切りのだ!

 この世にある93%の悩みは「いい女を抱く」or「ぶんなぐる」で解決するものです。北方先生だってそういっています承認欲求だとか、髪が薄いとか、イノベーションだとか、そういうものは、高級ソープにいってとびきりの女を抱けば消えて失せるものです

2. ちくわを尻にむんずとはさんで「ハックルハックル!」

 悩みのほとんどは取るに足らないものです人生意味なんてなく、意義だってありません。なのに、「こうあるべき」という理想像にとりつかれるから、悩むのです。そんな高尚な悩みを解決するには、とびきり低俗なことをするべきです。鏡の前で全裸となり、上等なちくわを尻にむんずとはさみあげ、目をひんむきながら、両の腕を天に振り上げ、「ハックルハックル!」と叫びましょう。ほとんどの悩みは意味のないものだとわかります

3. ネットをやめろ!今すぐにだ

 はてダ自分の思いを投稿するのは、上等なほうれん草を肥溜めにつけこむようなもの自尊心は否定ブコメにぐにゃぐにゃにされます。さらに、ハックルさんのブコメ欄は「どれだけ面白ハックルDisるか」という壮大な大喜利コーナーになっています。おちょくり、否定、罵倒がぐららがあとぐららがあと押し寄せます。解決する方法?簡単です。今すぐパソコンを窓から投げ捨てること。

 回復したら、Amebaでもはじめてください。


4. 自分の凄いことを書き綴れ!

 悪い点ばかりに気が向く人はいものです。たとえどれだけの成功者でも薄毛は克服できません。悪い点ばかりに目を向ければ、どれだけうまくいっていてもネガティブな気持ちになります

 だから、良い点、今日良かったことを毎日ノートに書き綴りましょう。毎日です。「4億稼げた」「本が売れた」・・・良かったことを書き綴るのは心理学実験カウンセリング以上の効果があることがわかっています。 あなたは誰がどう客観的に見ても凄い。それを自分で認めましょう。

5 理解者を見つけること

 自分を理解してくれる友人、恋人よりも価値のある財産なんてこの世にありません。僕も一時はひどい状態でしたが、富岡さん(amazon 1980円)を購入し、毎日しかけるようになってから大分状態が改善しました。

6 走れ!走れ!走れ!

 医学実験により、毎日ジョギングうつ病薬と同じような効果があるとわかっていますしかも、副作用もなく、走り続ける限り効果は持続します。毎日走れば、こんな増田でひねくれた糞文章をひりだしている匿名野郎なんてどうでもよくなるものです

 

7最高の復讐幸福に生きること

 これが最後アクションです復讐のために人生を生きるべきではありません。どれだけ憎んでも、あなたドヤ顔で「お前さぁ、そんなんじゃ成功できないよ」と言ったできるビジネスパース(笑)ダメージを与えることはできません。でも、自分馬鹿にした相手にひりつくような一撃を与える方法があります。それは幸福に生きること、自分が頑張って成果を出し、成功すること、これ以上に自分を卑下した人間を叩きのめす方法はありません。だれがどう言おうと270万部は270万部なのですから

 もうハックルさんは持っているんですから、せいぜい幸福に生きていただけないでしょうか。


あなたブログのひねくれたファンより。

2011-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20110830135050

結婚育児に関わらず、多くの日本人って物事の悪い面しか見ないよな。

良い面がどうか(本来は差し引きトータルでどのくらい良いかで判断するべきだろう)には全く興味が無いかのように完全無視して、

悪いところだけは最悪のケースを想定して勝手ビビってる。

とか言うと「確実に良いことがある保障なんて無い」とか言い出す奴がいるけど、それを言ったら悪いことだって確実に起こるわけじゃない。

でも悪いことについては100%確実に最悪のケースが起こるというシナリオを何も考えずに受け入れる。



動かない理由が欲しいだけなんだろうか?

(不確実性という本来の意味での)リスクが大嫌いな国民性か?

その割にそこそこまともなリーマンとかでも宝くじとか買ってるよな。

どういうメンタリティなのかがいまいち理解できない。

2011-08-21

公共性に期待するとかマジキチ

面白いつぶやきがRTされてきたので。

https://twitter.com/#!/InsideCHIKIRIN/status/105175909060984832

テレビ局としては「公共性のある電波なんだから、流すコンテンツの選択には一定の基準が必要」という理屈だけは受け入れられないだろーなー。

そんな理屈を受け入れたら「深夜にアニメを流す必然性を問う!」とか全方向の団体から文句がきてたまらんでしょう

膝を叩いて同意

でもさ、その割に公共性って言葉によってテレビより選択の幅が広い出版物には規制が入ったりするんだよね。

公共性ってなんだろうね。




公共性って空気のことなの?

それとも、声のでかいおばちゃんの頭の中ってことなの?

あるいは、そういうおばちゃんや老害のおじいちゃんの支持をもとにしてる○原さんの頭の中ってことなの?

すごいあやふやなもんだと思うんだなこれが。少なくとも、公平とか、論理的なものとはかけ離れたものに思えるんだよね。

で、その公共性って、明文でこういうもんだって規定されてるものでもないし、ちょっとしたことですぐ変わってしまう。

そんなふわふわしたもの武器にして戦おうとするのも変だし、まして守りには全く使えないと思う。

諸刃の剣って言うよりは、もう80%くらいの確率自分だけ損する宝くじみたいなもんじゃいかと。

くそんなものに頼ろうと思うなぁ。バクチにすらならない。




こんなもん、攻めてる時には一切守りのことを考慮しないバカしか使わないと思うけどな。

どうせ、ほんとうの意味では自分に関係ないと思ってるんだろうな。高みの見物したいだけなら黙ってりゃいいのに。

で、こういうバカが真面目な顔していじめ批判とかやってたりするから笑える。猿と一緒。

2011-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20110816220206

こんにちは絶望格差を書いたマスダです

思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います


[上から目線ではないか]

観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分ブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います当事者たちから感情的な反発が来て、社会的リンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります


[地主のことが書かれていない]

H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しか郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです


[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]

現在高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。


[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]

これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステム上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官まりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです


[金持ちを引きずり落とす必要がある]

金持ち貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピン現在の姿を比べれば一目瞭然ですメリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者メリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力報酬」を与え、原住民努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります


[アボリジニの盗まれた世代を肯定してしまうのではないか]

そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待助長しているのではないでしょうか。

家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義ダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。

じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思いますしかし問題があるものをないということは出来ません。


[原住民別に不満に思っていない]

不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分子供努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います

原住民友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館貧困ビジネスをしていたんだなと思います


[原住民にも向学心はある]

逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です

2011-07-26

自己啓発にハマる人間は、笑えるぐらい搾取しやすい

自己啓発に、はまる人というのがいる。



基本的にネガティブ思考な人間あるいは、精神的に弱い人に多く存在する。

例えポジティブ思考であっても、「幸せになりたいがどうしたら良いかからない」と考える人だろう。

また、ネット上では多少強気な発言をするにも関わらず、リアルでは長いものに巻かれろ的な弱い発言が多かったりする。

から、実際に会うとそのキャラクターのギャップに驚くだろう。



ただ、実際問題のところ「善人」が多いのだと思う。



いずれにせよ、そういう人は「自分の言動に対して、もの凄く自信がない」。

から、何かと流されやすくて騙されやすい。道しるべをしてくれる人に対して妄信するのだ。



目次

  1. 自信がない人は仲間を探す
  2. 販促信者がしてくれる
  3. 儲かる仕組み作り
  4. 感動なんて技術で作れる
  5. 信者から教祖側に回る人間
  6. 自己啓発というネーミング力
  7. 最後


自信がない人は仲間を探す

もの凄く自信がないと、どうなるか?というと、誰か頼れる人を探す。

でも、そういう人は大抵コミュニケーション力が乏しくなかなか言いたいことも言えないので、リアルではなかなか探せない。



から自己啓発書多読したり、善人を演じているみたいな自己啓発ブログを読んで信者になったりする。

この時点で、ただの娯楽レベルで楽しむなら問題はないだろう。

ただ、それから一歩進むと、自己啓発系のセミナーに行ったりして一種の妄信状態になる。

最初は、1000円ぐらいかもしれない。だが、次第に3万、5万、10万と上がっていく。

貯金を崩し、本来なら他に使うべきだったお金を費やす。これは、もはや娯楽レベルを越えているだろう。



そして、そこで仲間を作る。ただそこでも、特出した行動はせず「〇〇〇って凄いね、学べたね」と言い合う、慣れ合う、

だが本質のところでは何も変わらない。当然、あくまで自分と同じような立ち位置レベルの人ばかりのぬるま湯からだ。

心地よい代わりに、刺激がない。



実際、リアルで凄い人は、そんな場所には絶対にいないからだ。

から結局のところ、自信をつけることには到らず、しばらくしたら次の寄生先を探す。



自己啓発教のFacebookコメントとかを読んでみよう。気持ち悪いぐらい、お互いを褒めあっている。

むしろ、褒めるしか能がないのかと思うこともしばしばだ。それも褒め方が一様だ。

「これいいですね」「この考えはなかったです」みたいな。

いや、お前本当に考えて読んでいるのか?他に言うことはないのか?と感じる。

だが、それを求めているのだろうし、悪くはない。



それが実生活で役に立つか、というのは、参加者にとっては本質ではない。

要は、妄信した上での仲間が欲しいのだ。ファンの集いと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

こうして、セミナー主が「右を向けと言えば、右を向き」

「左を向けと言えば、左を向く」従順教徒が出来上がっていく。仮に誰かがその主催側を叩く発言をしたら、

積極的に擁護するだろう。そう、度が過ぎると、時として信じるという力は攻撃性を生む。

そして、それが正しいと思い込む。だから、周りへの勧誘をし始めたりする。


販促信者がしてくれる

そして、セミナー主は、恐らく参加者に向かってこう言うだろう。



「学んだことは、アウトプットすることが大切です

今回、学んだことは必ずブログ記事にしましょう」など。これで上手く販促活動まで出来る。



一度妄信してきた人間を操るのは、こんなに簡単だ。




儲かる仕組み作り

から精神的に弱い人から搾取する方法としては、まずは憧られることが重要だ。

年収職業、あるいは人間性。特に人間性というのは、「演じやすい」。



例えば、ブログTwitter完璧キャラクターを演じることも可能だろう。



その後、少しずつ同じようなことを手を替え品を替え、刷り込んで信者を作り、

例えば、自己啓発の分野で書籍の発行にまで持って行く。

そしてその本が売れたら雑誌ネットへの露出が増え、それを契機にセミナーや有料のメルマガなどを開設し、

儲かる仕組みを作り上げていく。



感動なんて技術で作れる

からセミナー主が大切にしているのは「発言そのもの」というよりは、空気だ。

ここには仲間がいます、安心ですよという空気を作り出す能力に優れている。



実際、発言内容だけとったら、スカスカな内容だろう。



だが、それをあたかも凄いかのように演出で作り出していく。これは、映画などに近いだろう。

「感動させること」は、「笑いを取ること」よりも技術的に簡単であるからだ。

から、演出力が凄い。参加している人は、1つのエンターテイメントのように感じるだろう。

そのため、あたか価値があるかのように錯覚しやすい。

実際のところ、その辺の本を読んだことと、本質的には変わらないんだけれど。



信者から教祖側に回る人間

ちなみに、笑える話だが、信者の中にはそこから自分なりの自己啓発を生み出し稼ごうとする人間もいる。

まり自分成功するには他の自己啓発教を引き入れれば良いと考え、自らが教祖に名乗り出るのだ。



から自己啓発教の中でも教祖への道を歩き始めた人間ブログを見ると、

メルマガ作りました成功情報満載です!」とか「勉強会を開催しています!」とかの言葉が次第に増えてくる。



搾取されていた側から搾取する側に回ろうと考えているのだ。



自己啓発というネーミング力

あと、自己啓発という名称が良かったよね。

たかスキルアップするかのような、幻想を抱かせる言葉だもん。



不安煽りその解決策を提示する、というビジネス

世に仕組みとして多く存在しているだろう。



例えば、健康食品がそうだ。加齢すれば、それなりに人間体が悪くなるのは当然。

でも、そこに付け込んで「これを飲めば」と提示する。

あらかじめ誰もが抱く不安を利用するという意味で、すごく効率が良い。

また名称に「健康」を入れたのが大成功だろう。



これが「老人食品」だったら、どうだろう?

健康食品」という名称にすることで、最初は老人をターゲットにしていたはずの健康食品は、

次第に若年層にまで浸透し始めた。この仕掛けを作った考えた人って、つくづく凄い。



そして、実際、健康食品を購入する層というのは、それっぽいキャッチコピーで騙されているだろう。

実際にどの成分がどのような働きをして、どのように役立つかまで考えている人はそういないはず。

何となく体に良さそう・・と考える人からいくらでも搾取できるわけである



稼ぐ側から見ると、笑いが止まらないのは事実だ。



パチンコ宝くじも近いかもしれない。確率に関して考えることの出来ない人間搾取されているだろう。

宝くじとは、夢を買うことだ」みたいに、言い出したのは誰なんだろうね。上手いことを言う。



最後

妄信状態というのは、一種の麻薬中毒だ。



例えば、2,3週間、意図的にその事柄から離れてみよう。

その間に、本当にリターンがあるのかを冷静に考えてみよう。

一旦、毒が抜けるのを待って見よう。



もし、その結果必要なのであれば、言うことはない。



お金が欲しい」「成功したい」「健康のままでいたい」と考える人間は、基本的に楽をしたがる。

そして、その楽をしたがる人間というのは、簡単に騙される。



世の中に、そうそう甘い話なんてない。



追記(7/27)

id:kanoseさんに、ブログ記事のブックマークコメント

「ふと思ったけどブクマ集めた記事を他の人が自分が書いたと言っても、

元記事にURLを追記する以外、証明する方法ってないよなあ」と、言われたので一応。


http://manaitano.com/2011/07/26/self-development/



id:cg_121さん

「脳」から「頭」に表現を変えました。指摘ありがとうございます

(※しかし、ここで私の勘違いが発生していた!)



id:candy296さん

「頭」から「能」に表現を変えました。指摘ありがとうございます

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-07-04

メモ

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1302237580/536

536 名前本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2011/06/07(火) 16:44:07.61 ID:i7TooiWL0

6月下旬~7月初旬?

まり有名ではない野党男性議員(おじさん)が自殺扱いで死亡

この前後総理辞職か内閣総辞職があるけど大連立や解散はしない

7月中旬

東京西部で死者が出る暴動(よくあるデモみたいな穏やかなものじゃなく暴動)発生

7月後半?

災害地震?)で千葉から難民が多数出るけど移動先で事件を起こす

関西方面でバラバラ殺人事件が発生。頭部だけ駅や繁華街等の人気のあるところで発見

犯人はすぐ逮捕され監禁強姦殺人供述するも頭部以外は見つからない

男性アイドル自殺飛び降りみたいな派手な死に方)して↑の殺人事件と並び報道番組を独占

その影で与党男性議員(おじいさん)で割と重要ポストに就いてた人が突然死

7月後半~8月初旬?

海外から持ち込まれた食中毒国内で猛威を奮う。但しあまり報道されず

大手の乳業会社or製菓会社不正表示問題を起こす。こちらは報道各社から袋叩きに遭う

福島からの避難民東京電力に対して抗議し、過激とされて逮捕される

9月初旬?

原発作業員の中から被曝由来の死者が出る(最初は他の死因で発表される)

災害地震?)で東京足立区辺りまで浸水。千葉沿岸部は全域壊滅

この直後に天皇皇后陛下を除いた皇族西日本関西ではない)に移動

9月初旬~中旬

東電社員狩りみたいな運動が始まって、逮捕者がちらほら出てくる

この運動東電社員は肉体的被害を負う事はない。東電も潰れない事が確定か?

お笑い芸人から出世した有名司会者が突然死

地震海外は割愛。今年度中に完全失業率12%超え

最近よく見る同じ内容の白昼夢をなんとなく書いてみた。暇な妊婦の独り言

予知予言経験も無いし、宝くじ外れてばかりの凡人なのでここにひっそり吐き出し

2011-07-02

引き寄せの法則がうまく働かない理由

前回、「引き寄せの法則リアルタイムで実践する」というエントリーを書いたものです

引き寄せに失敗してからの行動

まず、ネット上を徘徊し、引き寄せの法則に関する色々な情報を調べ

前回の失敗の原因を探る事をしました。

途中でひとつ気づいた事があります

どんなに素晴らしい理論メソッドであっても、「願望を引き寄せる事が出来ません。どうしたらよいでしょう」

という問い合わせが必ず発案者(?)の元に寄せられているのです

その度に発案者の方達は親切丁寧に根本的な問題を指摘し

質問した人達気づきを与えているようでした。

引き寄せの法則の原点に戻る

色々な情報に触れていると、だんだん情報が錯綜・混乱し

何がなんだか分からなくなってきました。

結局どれか一番いい方法なんだ!!

僕は何で願望実現に失敗したんだ!!

と、自分に入ってくる情報量反比例して、解決策との距離が離れて生きました。

そこで、引き寄せの法則の原点に戻りました。

我々に起こる現象は、全て我々の思考を宇宙現実化したものである

これに例外はない。

なるほど!!

失敗の原因は「逆ナンなどされるはずがない」という思考があったからだ!!!

何となくだけど、サッカーを例にして考えるとこんな感じかなぁ。

まず、「逆ナンされたい!」って考えた瞬間に僕はフリーキックの位置からボールを蹴る。
ゴールは「可愛い子が逆ナンしてくる」と書かれたネット一つだけ。
この思考が宇宙に向かって発信されると同時にボールがゴールに向かって跳んでいく。
このまま何もディフェンス等されなければ絶対ゴールに入る。
でも、「逆ナンなどされるはずがない」って考えると、「逆ナンされない」というゴールが新しく出来、
ディフェンダーが飛び出してきてボールに当たり、方向がそっちに変わっていく。
さらに「可愛い子にすれ違うくらいならあるかも」と考えると、同じようにゴールが新設され
またもディフェンダーが飛び出してくる。
結局「逆ナン」される。というゴール以外のゴールに入る。

書きながら、可愛い子に出会って、話しかけられたけど逆ナンされた。みたいに2つ以上の現象が起きたら

ゴールはどこに入ってんだ?って気づいてしまったが、最終的に言いたい事とは違うので続行した。

とりあえず、宇宙は我々の思考を必ず現実化し、例外はないのだから

願望を持った瞬間にはそれが叶えられる方向に事が進む。

でもそれを否定する考えを持った瞬間に、それも実現されるから

当初の願望は絶対に実現されなくなり、否定的な思考が現実化となって現れる。

って事なんじゃないかと。

「願望が実現されません」という人がいつまでも実現出来ない理由

さっきの自分の考えからすると、「願望が実現されません」と相談している人は

まだ宇宙が実現途中なのにも関わらず「実現されていない」と決めつけていることにより

否定的な思考を宇宙現実化しているのかもしれない。

自分の失敗の理由は完全にそこだったんだと思う。

じゃあどうすればいいのか

先の例のように、思考した瞬間にゴールに向かって玉が跳んで行ってるとすれば

一回だけ願望を思考して、あとは否定的な思考をせずに放っておけばよいのでは。

よくネット上でも見かける「願望を手放す」というのはこうゆう事なのかもしれない。

でも、多分初めのうちはどうしても否定的な考えが浮かんでしまうと思うので

ちょっとありえそうな願望から初めてみるか、ちょっと大きいと思ってるものでも

絶対現実化する!!と信じきって、万が一否定的な感情が浮かんだらリセットしなおせばよいのではないか


リアルタイム実践pert

という訳で、前回の失敗を活かして、まだ買ってから削っていない状態の宝くじ

絶対に1等が当たる!!と信じ切って、この願望をちょっと忘れかけたころに削って

また報告したいと思います

では・・・

2011-07-01

引き寄せの法則リアルタイムで実践する

お金が欲しい。風俗行きたい。イケメンになりたい。

スポーツ万能になりたい。海外旅行行きたい。

頭よくなりたい。筋肉ムキムキになりたい。

人には実に色々な願望がありますが、ほとんどが実現されないのが現実ではないでしょうか。

ちなみにお察しの通り、上に書いたものはすべて私の今の願望です

こういった願望を抱くという事は、現状はすべて逆であるということです

そう、つまり私は正真正銘の【ダメ人間】なのです

でもどうしても願望を実現し、現状を変えたいという強い思いだけはあります

そして強い思いだけもって特に何も変わらない、悶々とした日々をすごしてきました。

が、昨日我が家本棚に「引き寄せの法則」「ザ・キー」という2冊の本を見つけました。

これは母が何年か前に買った本で、今まで特に気にしていなかったのです

昨日なぜか急にこの本が目に入ったのです

母に聞いたところ、「結局宗教っぽくてあんま面白くなかったよ」といわれました。

しかしとても気になってしまい昨晩と今朝で一気に2冊読んでみました。

感想

確かに宗教っぽい。でもこれ全部マジだったら俺も変われるかもw


この日記を書いた理由

実践の方法

とりあえず「引き寄せの法則」よりも「ザ・キー」の方が自分にはわかり易かったので

こっちに書いてあったメソッドとかを一通りやりながら願望を実現してみる。



ザ・キーに書いてあったこと
  1. 願望を実現出来ないのは、自分の思い込みを「クリア」出来ていないから。
  2. クリアにする方法を知る前に、神様になったつもりで、自分がなりたい姿を書いてみる。
    1. 本当に神のつもりになれた?絶対無理とか考えなくていいから、もっと書け。
  3. 願望実現の前に、現状に感謝しよう。
  4. 幸せを問いただす
  5. 自分の中の思い込みを変える。
  6. 愛してると言う。
  7. 望む事をシナリオで書く。

本当はもっと書いてありましたが、自分の中で印象に残った部分だけ抜粋しました。

では、順に実行していきます

1・願望実現のコツはクリアすること
まず、引き寄せの法則とは、僕らが何か思考すると、それを宇宙が受け取って
あとは勝手現実にそれを物質化して叶えてくれる。
ボールを真上に投げたら、重力によってまた自分のとこまで戻ってくるのと同じように
例外なく自分の思考はすべて現実ものとなっている。という法則のことです。
これがなかなか実現出来ないのは、例えば「超絶美人なお姉さんとHな事したい!」と思考したときに
「でも俺ブサイクだし、そんなお姉さんにすかれるわけがない。」とか「第一出会いがねーし!」みたいな
思い込みによってこの願望は実現を阻まれているそうです。
だから、この思い込みをクリアにすれば願い事はすべてかなうです!
というのが一番最初に書かれてました。
2・神になったつもりで自分が何になりたいか。どう変えたいかを書いてみました。
まず1億円くらい手にする。
免許を取って車とバイクを買う。
顔が向井理みたいにイケメンになる。
体がジェイソンステイタムのようにマッチョになる。
スポーツ万能になり、フットサルテニスボーリングゴルフダーツなどの
大会で全て優勝する。
1ヶ月で10カ国以上を旅する。移動の飛行機は全てファーストクラス。
頭がよくなり、業界世界的に有名な人間になる。
かわいい子にモテるようになり、セフレが5,6人くらい出来る。
風俗に週2で通う。
2-1・不可能な事はないので、遠慮せず書く。
結構遠慮しませんでしたが、1億円は「さすがに10億は行きすぎだろ」
とか考えてたので、1000億くらい手にする。に変更。
あと、スポーツ大会は「外人には勝てないよね」って思って国内を想定してたので
世界大会で優勝に変更。
旅行の部分は「10カ国とか時間的にキツいかな?」とか考えてたので
1ヶ月で30カ国に変更。
3・まずは今に感謝する。

著者の友人はこんなことを言ったそうです

多くのひとはその瞬間を生きていない。

常に、つぎの契約、つぎの車、つぎの家、つぎの昇給について考えていて、

パワーの基点、つまり、真の奇跡がいまここにあるということに気づいていない。

「ザ・キー」P75より

確かに、僕も今足りないものばかりだから、これが満たされたら幸せになれると思ってました。
でも、つぎばかり求めてると、つぎが来た時にはまた「つぎのつぎ」を求めるようになり
結局いつまでたっても幸せになれないのだそうです。なるほど。
で、ここでは自分が今感謝できることをひたすら書いていきます特に大きな病気もなく健康に暮らせている。
家族もみな健康である毎日行く場所がある。
毎日おいしいご飯が食べれている。
適度に遊べている。
面白い人達毎日会える。
たくさん寝れてる。
帰る家がある。しかも駅から近くて綺麗で広い。
車も原付もほぼ好きな時に寝れる。

書き出してみるとかなり恵まれてると思ったw
4・不幸せを問いただすメソッドと5の思い込みを変えるメソッド自分にはしっくり来なかったので飛ばしました。

6・愛してるという。

「愛してる」って言う。というか心で唱えるだけでも問題を解決することを

妨げているものを除去することが出来るらしい。

これからはよく唱えるようにしよう。

7・シナリオを書く。

自分が望むことをシナリオのように、既に起こったこととして書くと

その通りになるらしい。

私は、はてな匿名ダイアリーを書いていました。そこには自分が願望実現を
リアルタイムで実践していく様子を記していました。
一度書き終えてからたまたま通りすがった宝くじ屋でスクラッチタイプのくじを2枚購入。
その際には先ほどの教えに従って、売り場のおばちゃんに「愛してます」といいました。(心のなかで)
しばらく歩いていると、後ろから急に「おにーさん!」と肩を叩かれ、驚きながら振り返るとめちゃくちゃ可愛いギャルが・・・
きっと美人局に違いないと思った僕は「すいません」と言い残し足早にその場を去ろうとしました。
しかギャルは「今何してるのー??どうせ暇なんでしょー!カラオケでも行こうよっ☆」と満面の笑みで誘ってきます。
「か・・・可愛い・・」それでもまだ美人局の可能性を完全には否定できないと思った僕は「ごめんないさい。用事があるので」と
ギャルの誘いを断ってしまいました。これが引き寄せの法則の力だとしてもさすがにいきなりは怖いと思ったので自分的には
正しい判断だと思います。結局メアドだけ交換してギャルは去っていきました。
生まれて初めての逆ナンテンションがあがった僕はまたもや目に入って来た宝くじ屋で今度は5枚
スクラッチタイプのクジを購入しました。

近くにあった漫画喫茶に入り、買った7枚のスクラッチクジを一つ一つ丁寧に削っていきます。
この時、なぜか高額当選が当たり前かのような気分に浸っていました。
そして4枚目のクジを削ったときに見事1等当選!!!
当たり前とは思っていたものの、思わず叫びそうになるのを必死に押さえ、喜びをかみしめます。
残りの3枚を削ってみると、ほかにも3等と200円の当選が各1枚ずつまぎれていました。
自分の身に起こったシナリオ通りの事態に足を震わせながら換金へと向かいました。
換金後はもちろん先ほどのギャルに連絡し、早速遊びに行っちゃいました。




さて、とりあえず今から、気持ちい気分で最後に書いたシナリオの場面を想像

愛してるとつぶやきながら宝くじを買いに行ってきます

引き寄せの法則の効果をリアルタイムで実践したいと思います

※購入後につづきを書きます



  • 7/1 18:25編集 -----------------

待っていた人などいないと思いますが、皆様お待たせいたしました!

結果報告!!

ナン:されず・・・でも可愛いギャルとたくさんすれ違いました。

スクラッチ:購入しましたが、今の気持ちだと何か当たらないような気がするので

なぜ引き寄せられなかったのかを反省したいと思います


失敗の原因は・・?

正確にはわかりませんが、少し調べた結果エゴが原因なんじゃないか

という仮説にいたりました。

では、逆ナンされるのを期待しながら歩いてたとき自分の思考を振り返ってみます

可愛いギャルからナンパされるかな~」
「いくら引き寄せの法則とは言えど、ありえないかなぁ」
「ありえないとかって感情を抱いた時点で無理かな」
「いや、ありえなくない!でも逆ナンされたときの気持ちい感情を味わえって書いてあったな」
「そもそも逆ナンされたことないか感情とかワカンなくね?」
「とりあえずワクワクしてみよう!!」
「ワクワク・・・これでいいのかなぁ・・」

と、いう具合に自分の中のエゴが
「逆ナンなんてありえない!引き寄せの法則などあったとしても
お前のやり方は間違っている!」
って言ってる気がして、自信を喪失してたようにも思います

エゴを消すにはどうすれば

実際には願望を実現するのは自分の今いる世界とは別の領域で

エゴには実現する能力すらないのだそうです

そこで、エゴにはそんな能力すらないのだから、否定的な気持ちになるのを

理解してあげつつ、さよならと言って消し去ればよいらしい。

ちなみに、調べてたら「100%バカになる方法」というのを見つけた。

http://www.rubysilver.net/loa/theme/theme002.html

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