はてなキーワード: 永遠にとは
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天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
(中略)
私は知った。
人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。
神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。
神がこのことをされたのだ。
人は神を恐れなければならない。
(中略)
私は見た。
人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。
だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。
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男が男としての本能とやらに忠実なのは、本質的にはそれが最も幸福だからだよ
もちろん、成長し知的で生産的で社会的な活動を行う事も幸福だろうけど
それに身を任せる事以外に何一つ良い事がないからこそ
そうするだけだ
今日は父方の祖父の命日です。
喪の作業が
全く進んでいないのだなぁと
痛感しました。
当時を回想してみて
改めて思った。
まだ、否認の段階、なのだと
☆
どうでもいいことは抜け落ちるけど
大事な特定のことははっきりと覚えている。
いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように
日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように
設計されているのかもしれない。
9年前の2月7日、
そこそこ気にしていた朝を覚えているし
GLAYが「いつか」を歌っていた。
いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、
Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに
3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。
その帰り道、
いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという
約束をしていた。
そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと
楽しく興じていた。
不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを
覚えている。
今になって思えば、脆弱な心を保つための
躁的防衛だったのだと理解できるが
☆
もともとの高血圧だったこともあるだろうが
倒れてしまったとの事だった。
律儀で真面目な人だった。
そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。
他人を疲れさせるだけ。
なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから。
真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?
それでも、じいちゃんの真面目さは
圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。
多分に美化をしている可能性もあるが…。
☆
ただ、当日のことは克明に覚えているのだが
それからのこと、たとえば
どうしても思い出すことが出来ない。
いや、覚えているんだけど、
すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは
覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは
全く覚えていない、
それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点で世界を捕らえていないことに
気づく。
「自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの
自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。
これも離人とか解離とかっていう一種の
心的防衛なのだと、今になると思う。
そう考えると
当然のことなのかもしれない。
だって、意識は自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから。
☆
どれだけ
「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな
ご高説をたれられても、やっぱり人間は
愛してるって伝えないんですよね。
どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても
全く他人の痛みからは学べないわけです。
だとすると、できることはたったひとつ、
思いっきり後悔を背負って生きていくこと。
他人が身をもって示してくれた痛みに
耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。
もしも人間が
他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、
こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に
津々浦々で発生するわけがない。
人間は
今を大切にすることなど出来ない。
失うまでは絶対に気づくことは出来ない。
その鞭と無能さの償いとして
後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。
とりかえしのつかぬ世界
二度と返らぬ宇宙
永遠に流れ去りゆく夢
冬の夜の酒場で
酒を酌み交わした友人達
何一つない闇の夜空を飛ぶ飛行機
永遠に過ぎ去りゆく夢
とりかえしのつかぬ
二度ととりかえしのつかぬ夢
浦添の夏の闇の中に
咲き狂う菜の花
闇の中に浮かぶサトウキビ畑
そして時を忘れた愛欲の時
すずめ達がさえずり飛びかう夜明
幼き日に住んだ家から
夕方の空に立つイチョウの大樹
すずめ達がさえずり飛びかう夕方
二度と返らぬ日々
蚊取り線香の匂う小さな部屋
日に日に暑さを増す夏の夜ふけ
二度と返らぬ人間達の日々
懐かしい人間達の日々
過去も
現在も
未来も
いとしさに気も遠くなる人間達の夢
気の遠くなった私は
限りなく広がる虚空に溶け込む
かつてしたたか酒に酔った私は
上石神井の静かな夜道を歩いていた
今、したたか酒に酔った私は
二度ととりかえすすべもない夢を
夢見つづけている
この今も又
二度ととりかえしのつかぬ夢であれば
今、したたか酒に酔った私は
夢を見続ける
香山リカさんを「無能」と切り捨ててしまうことへの違和感 - 琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120201#p1
香山リカが「なんか怖いのー!」などのボンヤリしたことしか言えないアホ丸出しの醜態だったことを認めたうえで
なお香山の肩を持つっていうこれはもう
リベラル陣営がこんなことでいいんだろうか。
こいつとこの記事に肯定的なコメント書いた奴等は
「なんとなく橋下さんならやってくれそう」っていうボンヤリ有権者を批判する資格も永遠に失ったから
そこんとこはよーく覚えといてね。
よくある話の言い換えだけど、持論。
100.1にしようと思ってる。
複利計算で、1年やり続けると、えらいことになってる。
単純計算は誰かがやってくれるとして、ま、いうても
でも0.1を得ようとして頑張ったら突然確変で1とか10とか
得られちゃう時もある。
そんな風にやって5年はたったかな。
たぶん、5年前時点での100から考えれば
軽く1000はいってる気がする。
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私から見ると、私が直接関わってる人たち、テレビでみる人たちは現状維持が大好きだ。
既得権益の確保だの、今で満足だの考えでそうしているんだろう。
みんな、変化は好きじゃないんだろうか?
改革は好きじゃないんだろうか?
「結局、数年経ってふりかえると郵政は何も変わっていない」と。
「すごい幸運を手に入れる何かを行ったのに、なにも起きなかった。
本来だったらものすごい不幸が起きてることが起きてないことが
改革して、変化してなかったら現状にない悪化をしていた未来があったかもしれない。
変化したからこその現状維持かもしれない。って考えたい。
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現状維持の人たちは、変化を受け入れた結果の最悪の状況、
招くこともあるだろう。
批判し否定し、本件とは関係ない過去の失敗などを持ちだしたり、
重箱の隅をつついてご破算を狙う。
現状維持派は、よく言って今日0.0になるように頑張っている。
それは宝くじに期待するという0.00001がんばっているといえるが。
そんなにがんばらなくていい。
昨日より安定して0.1だけ頑張る。
言い換えると現状維持を認めない気持ち。
ってやってたら、数年後振り返ってみたら
あれれれれ。って思える。
今思ってるから。
前から、ここに書きこみたいって思ってた。
初めて日記書いた。それで+0.1。
bygones kaztc
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
1.やたらプライドが高い。
2.やたら理想が高い。
3.女を見る基準が外見しかない。
女のことがよくわからないしわかろうともしないため、外見でしか判断できない。
さらに理想も高いからアイドルみたいな子しか目に入らなかったりする。
プライドが高いからか、自分から動いてメルアドを聞いたり、話しかけることすらしない。
向こうから話しかけて、メルアドを聞いてくれて、セックスに誘ってくれるのを待っている。
この世にそんな女は存在しない。
例えばこういう記事を見て自分が当てはまっていると気づいても、決してそれを変えようとはしない。
今現在のところ、東海地震は、今年2011年3月11日の東日本大震災ほどの大災害には、成らないそうですが。
予言は、人の不幸を祈った悪魔の信者には、伝えたくありません。
キリストの復活も、仏教の来世も、信じ無いで、永遠に生きましょう。
マグマ溶岩の拡大が地球温暖化と信じ、温暖化で地球に人間が誰も住め無く成った後の、宇宙移民の時代も宇宙船のエンジンの原料である水素の元の水を大事に過ごし、地球が太陽の様な灼熱のガスの惑星と成った後も、安全に過ごしましょう。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
混沌に名前を付けて"あちら"と"こちら"を分けるのが文明の方向性だ
しかしそれには終わりがない
「然し、真理といふものは実在しない。
即ち真理は、常にたゞ探されるものです。
探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です」 坂口安吾 余はベンメイすより
極限まで分化が進んだ世界は、未分化の世界と区別できないだろう
細かく分けられた世界の構成要素とその連関を全て把握できないのであれば
さて、主題に戻ろう
潔癖性とは、未分化に耐えられない状態だろう
ここでいう潔癖性とは一般的な意味でなく、自らが持つ理論や信条・信念を最も大切にするという傾向だ
例えば、婚前交渉は無くなるべきだという信念を持つ者は、それに反対するすべてを否定することで、自らの信念を大切にするだろう
このような潔癖性においては、自らの信念に反対するものは消されるべきものだろう
人間の主観で分かつものは、分かつ基準そのものに正確性を欠き、必ず矛盾をはらんだ中立・混在を作る
つまり、ある定義をした時にその定義で定義しきれない部分が生じるのだ
「αを持つものをAとし、βを持つものをBとする」として、αとβの両方をもつ、もしくはどちらも持たない存在が生じる
しかし、それには終わりがない
そして、その「終わりがない」という事に絶望しやすいのが潔癖性だ
横だけど。
自分で分かってるじゃん。単に増田と彼女とでは最優先にする事が食い違っているだけ。
増田が考えている事も『「相手が自分に譲歩して」であって「自分が相手に譲歩して」ではない。』し、
それは増田が彼女に依存しているからそういう発想になるんだよ。
仮に
「彼女が俺に譲歩しないのは俺に依存しているからだ」と真っ先に考えるようなら
増田の言う「自立した女(=増田と全く同じ意見を持つ女)」なんて永遠に見つからないかと。
むしろ真逆の、増田にべったり依存していて増田が黒と言ったら白でも黒みたいな女だったら
増田の言う事する事望む事に全て合わせるかもね。