はてなキーワード: 孤独とは
世の中に自分より不幸な人がいないと、自分の幸せを実感できないよね。
「(世の中には天涯孤独の人もいるのに)私は家族に囲まれて幸せだ」
「(世の中には飢えて死ぬ人もいるのに)私は腹いっぱいご飯が食べられて幸せだ」
「(世の中には誰からも愛されない人もいるのに)私は彼/彼女に愛されて幸せだ」
「(世の中には神を信じず不幸になって地獄に堕ちる人もいるのに)私は神を信じられて幸せだ」
という感じで、自分より不幸になる人がいることを信じた結果。
「この幸せがずっと続けばいいのに」というのも、「世の中の誰かがずっと私より不幸であればいいのに」ってことだよね。
直接自分と関係ある人じゃなくても、地球の裏側あたりで自分より不幸な人がいるだけで、
「(地球の裏側のあの人達に比べたら)私はなんて幸せなんだろう」って思うし、
生まれた国や家庭で不幸が固定されたら、自分がその人達のように不幸になることはないから、ずっと幸せでいられる。
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
最近、ピロウズ(the pillows)を聴き始めたんだけど、ちょっと言いたいことがある。
ピロウズはカーニバルとかストレンジカメレオンだとか「孤独」を唄うことが多いんだけど、
その「孤独」というのが「あー俺、彼女いるけど孤独だわー」って感じばっかりなんだ。
あのな、そんなもん孤独でもなんでもないんだよ?
Youtubeのコメントで「ストレンジカメレオンは悲しい歌なのに…」的なコメントを見て
一人でも自分を認めてくれる人がいれば、それで十分なのに。
あの歌詞の何が悲しいんだよ。むしろ、うらやましいんだよクソボケが。
ピロウズファンってみんなリア充ばっかなんだろうな、とか思った最近。
ちなみに今まで聴いた中では「サリバンになりたい」が一番好きです。
『友達が予知夢を見た』そんなスレが2ちゃんねるに立てられてから早半年が経ちました。
あの時の凍てつく寒さは嘘のように、梅雨独特のじっとりとした空気で汗ばむ部屋でこの文章を書いております。
当たり前といえば当たり前の話かもしれません、友人(彼女)は預言者でもなければ予知者でも無かったのですから。
しかしながら、一連の原因は自分にもございます。どうか彼女だけを責めないで欲しい……
話は遡ること2011年3月11日、僕と彼女は震災のど真ん中におり、そして身内は誰一人として帰らぬ人となりました。
天涯孤独となった僕と彼女は県外へ脱出し、二人で新たな生活を始めました。
もう何も失う物はない、僕と彼女はこれから先の人生を二人で築き上げていくつもりでした。
しかしながら、震災から数日経ったある夜、夜中に突然、彼女が驚いた顔で僕に言いました。
最初は震災のトラウマがまだ癒えていない、時間がそれを解決してくれるはずだと思ったのですが数ヶ月経ってもそれは治る事はありませんでした。
医師の話によると、あの時の震災のトラウマによって彼女の精神は無意識に3月11日以前に取り残されてしまったとの事でした。
無理もありあません、身内がいなくなってしまった世界は彼女にとって生きる価値の無い世界だったのです。
その結果が予知夢として彼女を苦しめ続けているのだと、初老の医師は僕に言いました。
そんな中、僕はそんな彼女の苦しみを少しでも救ってあげたかった!
今更、そう言ってしまうと言い訳になってしまうかもしれません。
後は皆さんのご存知の通りだと思います。
まとめサイトを通じてどんどんとネット上に拡散し『私も同じ予知夢を見た!』という者さえ現れました。
結果として、皆様に多大なるご心配とご迷惑をかけてしまった事につきましてはお詫び申し上げます。
しかしながら、未だ彼女の予知夢に終わりは無く、彼女が救われるのは皮肉にも
本当に地震が起こってしまい予知夢が的中した時ではないかとさえ最近では感じております。
今回の一連の流れによって皆様にご心配とご迷惑をおかけ致しました。本当に申し訳ございません。
『おや……地震か?』
1.
初めまして、こんにちは。
○○と申します。
お返事お待ちしています。
失礼しました。
2.
38歳会社員です
3.
○○さん、はじめまして。
以下が、当方のプロフです。
【HN】○○
【性別/年齢】♂/33
【生息地】関東
僕も少し前に猫カフェに行きまして、まったりと和んできましたよー(*´∀`*)
マンションなので飼える環境じゃないので、猫と触れ合う機会って
なかなかないだけにとても良かったです!
もし良かったら、お返事お待ちしてますね!
4.
掲示板見ました!年下ですがピンときたのでよかったらメールしませんか?
東京住み21歳 ○○
です!!
5.
29の男です
6.
メールしようぜー(*・ω・)ノ
7.
8.
【年齢】:○○
【体格】:165cm、61kg
【住所】:都内
【病状】:回避性人格障害
【出身地】:岐阜
【自己紹介】
9.
都内住みの27歳です。
抱き合ったり、いちゃいちゃしたいです。
お返事お待ちしています。
10.
こちら東京の31です。
11.
【HN】○○
【年齢】○○
【性別】男
【生息地】茨城
【身分】社会人
【病状】鬱、睡眠障害
【血液型】O
依存出来る人が欲しいので良かったらお返事下さい!!
お互いの出来るペースでメール出来たら嬉しいです。
12.
こんばんは。
どこまで力になれるか分からないけど。
退屈凌ぎくらいにはなると思いますよ。
そしてオシャレは悪だと断じたがり、オシャレをする人間に対して「商業主義に踊らされた馬鹿」「そんな暇があったら資格の一つでも取れ」「見た目ばかりに気を取られるのは中身に自信が無いからだ」と言いたい放題。
彼らに言いたい。ダサいお前やダサいお前の友達はそんなに自己研鑽に勤しんでいるのか?「ダサい奴ほどオシャレをする時間を削ることができるから有能で教養に溢れた人格者である」なんていう傾向があるのか?
俺は違うと断言したい。もちろん才能に恵まれ、研究や芸術などの世界に没頭した挙句、結果的に服や髪型がめちゃめちゃになっている人間は居る。だがそんな例は圧倒的少数だ。5%も居ない。
95%以上のださい男は、オシャレをしないことで浮いた時間をただ「浪費」している。アニメだかエロ動画だかを観てダラダラしている。長時間、無意味なネットサーフィンをしている。「暇を潰しているだけ」だ。
「オシャレをする奴は馬鹿」と主張しているださい男ども、聞け。お前は「俺はださいが、誇れる美点がある!ファッションセンスなどというくだらないものより遥かに優れたものを持っている!」と言えるのか?
「体型、髪型、服装を整えること」を丸ごと投げ捨てて生きてきた分、代わりの何かを得たのか?
正直、お前らの言い分は「オシャレな高学歴高収入男」や「オシャレなスポーツマン」、「オシャレで性格のいい人気者」が多数存在しているという現実を知っている身には、負け惜しみにしか聞こえないんだよ。
そもそも「オシャレはくだらない」って、一度オシャレな人間になってみてから「くだらねえな」と思って選択的に捨てた奴しか言えない台詞じゃないか?
「東大なんてくだんねー!」って言ってる低学歴、みっともないだろ?東大を「つまらない」と言って中退したホリエモンの言葉なら説得力があるけどな。
サラリーマンを「社畜」と馬鹿にするニート。「スタイルが良いからって何が偉いんだ!」とわめくデブ。「スポーツに意味なんてない!」と言い張る運動音痴。「若さに価値なんてないわよ!」と言うババア。
みっともねーだろ。鏡の中のお前だよ!
そうして一生自分の持っていないものを「あれはくだらないものだ」と文句つけながら生きていけよ。
楽しそうなリア充グループを見たら「どうせあいつらは馬鹿に違いない」、彼女持ちを見たら「オナホールで充分だし」、同い年の既婚者を見たら「ATMかわいそうだね」、同い年に子供が出来たら「ガキうぜえ」、
そうして一生、人の生き方や娯楽を否定したいだけ否定して暇つぶししながら年老いていけよ負け犬。実体の無いプライドだけ守りながら孤独に死んで行けよクズ。
自分はこんなにタブを開いているが読んでいるのだろうか、全て読む必要があるのだろうか、したいことはなんだったんだろうか。
はてブやツイッターを見ながらタブでどんどん開いていき、読むのがめんどくさくなったらブクマをはる。なんのための情報集めだったんだろうか。
有益な情報がたくさん見つけられて、興奮する瞬間もある。
『有益な情報』、特に『ライフハック』と呼ばれるものは”方法論”で、”こうすればうまくいく”とか”これはよんどくべき、やっておくべき”だとか。
そんなこんなで、情報を集めたあと、実際に自分の行動を選択する瞬間がやってくる。
現実に活かす時だ。この時を待っていた。
有益な情報の中から『選択』をする。全てをやる時間はないし、それぞれの情報には齟齬が生じる。そこで取捨選択が必要になってくる。
このときに無意識なうちに心がけてしまうのが、『一番公平で』、『一番万人に通用しそうな』、正しく一番『合理的な』方法や情報はどれであるか。
ここで変なのが、はなっから『自分』が存在しないということである。合理的というのはいかに自分を消すかということであり、万人に通用するような一般則をみいだすかである。自分という文脈を完全に無視している。ある意味自分を否定することから始まる。
もう一つおかしなことがある。選んでいる自分自身は『合理的』・『無私的』かもしれないが、その情報は論理の飛躍があるかもしれないし、誰かの主観が凝り固まったものかもしれない。
ここで言いたいのが、論理の飛躍や、主観の凝り固まりが情報の質を著しく損なうものであるかといえばそうでもない。
むしろ、強烈に面白いと思われる物、人、情報は往々にしてなんらかの論理の飛躍、論理では説明できないなにかを内包している。
面白いというのは価値である。絶対である。面白さ=品質である。
しかし、面白い情報を集めることに意味があるのだろうか。それらを厳選して、凝縮して、合理的に、無私的に。
集めている段階から自分を殺しているのだから、自分の血にも肉にもならないし、なったとしても魅力的ではない。つまり面白くない。
情報の質はそれぞれ高いかもしれないが、それが脈絡なく量となって降りかかって来る頃には無価値となる。
結局人が求めているのは成長と共感である。自分自身の成長を感じる、か、自分自身と照らし合わせる、の2択である。
その情報が嘘かホントか、合理的か非合理的か、が問題になる情報は少ないし、そもそもインターネットという媒体にはそぐわない。
嘘でもいい。自分にフィードバックがあれば。自分にフィードバックを求めるためには、インターネットの中に自分を置かなければならない。虚構の固まりの中に。
発しなければ、返ってこない。今受け取っているものはその他大勢に発せられた無価値なものである。孤独を催させ、自分を否定するだけのものである。
ライフログとしてのインターネット。情報を体験に変えるものと信じて。
いつも何気なく、インターネットを見ていたブラウザ、Internet Explorer。Safari。どれもただブラウズ=閲覧という意味を越えている。
もともとそうなのかもしれない。自分自身が入っていかなければならないのかもしれない。インターネット探検家として。
インターネット探検家。私自身、いつもそうありたいと思っています。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ありがとうございました。
努力は過信を生まない。これは、自分の大学受験時のことだが、最初の教科が思ったより問題が難しくもう駄目かと思った。しかし、この一年頑張ったという思いが、「最後までできるだけやろう」と思わせた。努力こそが本当の自信につながっていくのだろうと思う。
・努力は必ずしも報われない。
努力すれば成功するとは限らないが、成功する者はみんな努力をしている。努力が報われるかどうかがわからない中で、努力し続けるということは非常に難しいことである。
・努力は他人には見えない
自分が努力しているということは自分を相当見てくれている人以外はたいてい気づかない。ふつうの人間はその人の今までの肩書きを見るのが普通である。努力することはけっこう孤独な作業である。そして、努力したかどうかというのは自分自身にしかわからない。
・努力にもやり方がある
努力の方向性を間違えると「木に縁りて魚を求む」といった状況になりかねない。極端に言うと生物の成績を上げるのに歴史の勉強をしても意味がない。
・努力と結果
努力は結果を得られるためのプロセスに過ぎないが、努力すること自体は非常に価値のあることである。
努力できるかどうかさえその人が置かれた環境に左右されうる。努力ができるというだけでけっこう恵まれている方である。
2ch、ニコ動、ふたば、各種まとめサイトのコメント欄。ここで
「ハイハイ、ステマステマ 」 「ステマだな 」 と書き込んでいるのはですね
コレです。本人はステマとかどうでもいいと思ってるし、企業や広告サイトを糾弾する意図はありません。
自称善良な利用者がイライラしてる様子を感じるのが気持ちよくてしょうがないのです。彼らは
第一、ステマって既存のジャーゴンに当てはめると 「社員乙 」じゃないですか。今時社員乙とか言ってたら失笑モノですよ
ステマという呪文を吐く事で、オタクがマイナー傑作の話をしようとしたら横槍入れて冷めさせて、ヘイトを稼いで喜んでいるのです。嫌がらせ厨達は
そんなステマ=ジツにそれっぽい解説を考えてる人達はアホですよ。彼等は大多数をイラつかせて良識ある人達の円滑なコミュニケーションの足を引っ張る事でしか楽しめないのですから。
兄がリアルでもネットでもそんな感じです。本人は貧乏で語れる話題も熱中してる事柄もなく、ひたすらにコミュ障です。
ただ、いやがらせだけは楽しいようです。頭はいいのでマトモな議論をしようとせす、同じ事を何度も聞きます。わかっていて何度も質問して相手の精神を折り、真剣に話そうという気概を折りに来ます。
だから、ステマという単語を使う人は、そういう邪魔をする以外に楽しみが無い人だと思ってください。彼等は手を替え品を替え邪魔をしに来ます。彼等の弱点はお金を払わないと味わえない実物に関する知識が無い事です。ネットで拾える無料の情報が彼等の全てです。実際に体験しなければわからない、ディープな話題に彼等は太刀打ちできません。
皆さんも、ネットの嫌がらせ野郎達に負けないでください。彼等は他人と楽しめない自分と嫌がらせをする行為を正当化して日夜嫌がらせを続けます。説得は無理です。自分には他のやり方は無いと開き直っているからです。
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蛇足な追記
120ブクマもありがとうございます。すげく嬉しいです。ブクマのトラバもついったーのも全部読みました。
とりあえず、このエントリに対して「ステマ騒ぎが起きていると困る企業の連中の火消しだな」とか本気で考えてる人がいたらその様子を一回想像してください。
広報主任「課長!ステルスマーケティングがバレました!このままでは我々の宣伝のやり方がみんなに知られて仕事がやりづらくなってしまいます!」
課長「よし、では主任くん。業務時間を使って色んな匿名サイトにステマという煽りを使う人達に対するカウンターを仕掛けるんだ!」
主任「わかりました!」
・・・みたいな会社があるとでも思ってるんでしょうか。すげえな
とりあえずステマという短文煽りに戻るのですが、言葉と言うか単語には様々なパラメータが存在していると思います。
例えば、「ステマ」という単語には「訳知り顔」「見下だす位置」「噛み付く姿勢」が見られます。
で、それが的外れなベクトルを向いている時や自分達が噛み付かれていると感じた時、イラッとする人が出ます。
ステマという単語を吐く人は、そうやってイラっとした感情を匿名の場で吐き出されて空気が悪くなる事や、今まで普通にやりとりを楽しんでいた人が自分が現れた事で話題を継続する情熱が冷めていくのを楽しみにしています。
おそらく、ステマという言葉が死語化するか次のイライラワードが産まれるまではこれが続くでしょう。ゴウランガ!
前述の通りステマという言葉を吐く人は話題が完全に盛り上がりきった後では無力です。ディープな話題、実際にお金を払って楽しんだ人同士の和気藹々とした暖まった空気に入り込む事はできません。
だから、そうやって場の空気が暖まる前に、暖まらないように冷ますのです。
まだ世に出ていないものなら冷ますのは簡単だし、あまり売れていないものを有志がオススメしているような流れはステマ連呼君にとっては格好の暴れ場所でしょう。
決して、彼らのステマ発言に耳を貸してはいけません。何故なら、彼らは長文の中にステマという言葉を挟んで具体的に何かを主張したりはしません。
ただ「ステマ乙」という4文字をポストして、その後はひたすら場の空気が盛り上がらないように混ぜっ返します。同じ質問を繰り返し、話が先に進まないようにします。
「足を引っ張る事だけは一流な人」というのが、彼ら短い言葉で煽る人達です。自身に何も主張したい事やのめり込める物が無いのです。
ムキになって否定しても、帰ってくる言葉は「何か言ってるw」です。
ただ、そういう人達も「企業の広報担当がインターネットでステマをしてるんだ!社員の書き込みなんかに騙されないぞ!」と本気で主張している人よりはマシだと思います。
自分でも矛盾しているとは思うのですが、常に「釣りだろ?」「釣り乙」「騙されないぞ!」という姿勢でネットを見るより、とりあえず書き込まれている事は全部真実なんだろうなーって思いながらネットやった方が楽しいと、俺は思います。
皆様も良いインターネッツを。Wasshoi!
いまになって思い出すのは、高校合格が決まった日の夜の車中での出来事だ。私は自分が高校に合格したことで脱力して、いわゆる燃え尽きた状態になっていたのだと思う。だから私は、できることなら誰とも話さずに、自分の自分への勝利を味わっていたかったのだと思う。当然、父は私を褒めちぎった。父は私に「お前は俺を越えたな」と言った(父は近所の高校の普通科出身で、私は同じ高校の理数科に合格したのだ)。しかし、そういうわけなので、私は満足な反応を返すことができなかったのである。きっと父の目には、私が全然喜んでいないと映ったに違いない。それとも、私が父を無視しているようにも映ったに違いない。いや、じっさい、私は父を無視していたのかもしれない。非は私にあった。父は車中で激高し、その日はそれきり、たがいに口をきかなかった。
父は私と二人きりでいる時間があまりにも長かったために、きっと私を自分の一部にしてしまったのだと思う。だから私が父の意のままに動かなかったとき、父はどうすればよいのか分からず困惑し、怒るのではないだろうか。私は手足ではないのだと憤ったこともあったが、今ではそれもしかたのないことだったのだと納得している。けっきょく、父には私しかいなかったのだ。私だけは、つねに父の味方になっていなければならなかったのだ。それも受動的にではなく、能動的に。父と私との関係を損なってしまった非の多くは私にある。
私は父を理解しようと努めてこなかった。そのことが、父と私との関係を決定的に損なってしまった。しかし私と父とのあいだには、いかんともできない照れ臭さが漂っていて、それが私を素直にさせなかった。いまでもそうだ。父は素直ではない私に対して、自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑と、そして自分が無視されているのではないか、尊敬されていないのではないかという疑心によって、私とのあいだに良好な関係が結べなくなってしまったのだろう。
私は私で、父と二人きりで過ごした時間があまりにも長かったために、この照れ臭さを越えて父とのコミュニケーションを図ることが、あまりにも重荷となってしまっている。ようするに、私たちは親子は、あまりに近すぎたのだ。そのためにうまくいかなくなってしまったのだ。
聞く話によると、父と祖父との間にも、少なからぬ軋轢があったという。私たちとは逆で、父と祖父との関係は、あまりに遠すぎた親子であったらしい。ふたりの間には、物心ついたときから、一切の会話がなかったという。
両方の家庭に共通しているのは、夫婦の不在である。思うに、人間どうしが関係をつくるとき、自分と相手、たったふたりだけではうまく行かないのだ。なぜなら、ふたりきりの世界には距離感がないからだ。だから他者がどうしても必要なのだ。親子の場合は母、夫婦の場合は子が、それぞれ必要となるのである。
ふたりだけの世界というのは危険で、あまりに長くそれがつづくと、一方が一方を自分の一部にしてしまう。親子でもそう、恋人でもそうだ。他者なくして距離感は生まれない。人間関係の神髄は、もしかすると距離感なのかもしれない。
自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑。父はきっと、私がまさしく父の一部であった時代、私の少年時代に縋っているのだろう。なにしろ、私が自立して家を離れれば、父は正真正銘の独りぼっちだ。父が友達と話しているところを、私は見たことがない。父はこの先、途方もない孤独のなかに取り残されてしまう。私は父を救うことができるのだろうか。
私が父について考えるとき、思い出さずにはいられない人物がひとりいる。岡崎智也だ。そうだ、岡崎智也は、はたして彼の父を救えたのだろうか。彼の父、岡崎直幸は、はたしてあれで救われたのだろうか。私には、岡崎智也が他人のようにはどうしても思えないのだ。そう、こんな子供じみた共感・幻想に、私は23歳になった今でも、いいように振り回されているのだ。なんて滑稽なんだろう。
私は実家ですごすことに疲れてしまった。私は私でいることに疲れてしまった。できることなら、私は私という人間が初めから生まれてこなかったことにしてしまいたい。でも死にたいとは思わない。私は絶対に死にたくはないのだ。たとえ藁に縋ってでも、私は一日でも長く生きていたいと願っている。しかし、でも、やっぱり、私はすっかり消えてしまいたい。私がいたという痕跡を残さず、綺麗さっぱりなかったことにできたら、どんなによかっただろう。
以下はショッピングカートに入れておいたけど買わずに削除することにした作品一覧。(☆はAmazonじゃなく書店で買った本)
◆社会
第三の波 (中公文庫 M 178-3)
富の未来 上巻
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
いま〈アジア〉をどう語るか
☆困ってるひと
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
チーム・ファシリテーション 最強の組織をつくる12のステップ -
チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ) - 堀 公俊
白熱教室の対話術
ご機嫌な職場
ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ロジカル・ディスカッション
☆ディシジョン・メイキング―賢慮と納得の意思決定術
☆話し方入門 新装版
◆マネジメント論
なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓
◆人事・モチベーション論
「見せかけの勤勉」の正体
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか? (アスキー新書)
「働きたくない」というあなたへ
日本人事 NIPPON JINJI~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~
会社は変われる! ドコモ1000日の挑戦
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
「発達の最近接領域」の理論―教授・学習過程における子どもの発達
心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉
☆わたし、公僕でがんばってました。
◆自分の演出
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) -
対話のレッスン
演技と演出 (講談社現代新書)
見城徹 編集者魂の戦士―別冊課外授業ようこそ先輩
「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス; 単行本
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
◆その他
幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論
残念な人の仕事の中身 ~世界中の調査からわかった「組織で評価されない人」の共通点
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール
新・絶望に効く薬
千の顔をもつ英雄〈上〉
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
☆料理の四面体 (中公文庫)
結ぼれ - R.D. レイン
あるヨギの自叙伝
◆読み物
☆ダイナミックフィギュア〈上〉
☆ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)
MOTHER(マザー)―The Original Story (新潮文庫)
☆空の都の神々は (ハヤカワ文庫FT)
ゼウスガーデン衰亡史
生贄のジレンマ
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
塩壷の匙 (新潮文庫)
☆姫椿 (文春文庫)
☆お家さん〈上〉 (新潮文庫)
ストレンジ・プラス 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
聖なる血 (扶桑社ミステリー) - トマス・F. モンテルオーニ
スノウブラインド - 倉野 憲比古
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION
ソドムの百二十日
悲惨物語
塾と家との往復。
テレビ番組を録画したものを色々と見るのに忙しいから、時間はすぐに過ぎていく。
中学校でバカみたいに騒いでいる可愛コぶりっコしている奴等の事なんて、正直バカにしてる。
皆でぎゃあぎゃあ騒いでいて、バカみたい。
休み時間はスマホを触ってたら、時間が足りない位に直ぐに終わっちゃうし。
私の事を暗くて、不気味だとか言ってるあんな奴等なんて見返してやる。
私の通っている塾には、ちょっと格好良いバイトの院生がいるのだけど、
最初は数学で解らないところを訊いたら、親身になって丁寧に教えてくれたので、
ちょっと格好良いなと思っていたし、友達がいない私はそれが嬉しくてオッケーした。
塾の準備室で、誰も居ない時に告白されたのだけど、オッケーの返事をしたら、
いきなり抱きしめられて、キスされた。
日々孤独の淋しさから解放されるのなら、別にいい、それで構わない、本当は気持ち悪くて嫌だけど、
大人の男の人と付き合う事は何か嫌な事を我慢しなきゃいけないと思い、されるがままにキスされた。
ここ最近はそれがエスカレートして、私の上着を捲くり上げられて、乳首を舐められる。
彼は大学の研究が上手くいかなかったり、人間関係で行き詰まると
私の乳首を舐めたくなるらしい。
はっきり言って、変態だと思う。
本当に気持ち悪い。
だけど、彼との関係を切ったら、私はまた孤独だ。
準備室に行ったら、また嫌な事をされると知りつつも、
仮にすごくいい奥さんをもらったとしても、若いうちは独身男の方が楽だと思うよ。
子供を遊びに連れて行ったり、妻に感謝の声かけをするなど、家の雰囲気を良い状態で維持するには精神的な負担がそこそこかかる。
独身者が歳を取って病気がちになり孤独に戦っているころ、若い頃に苦労した妻帯者はあたたかい家族と共に暮らしている。
子供に注いだ愛情も、妻へのねぎらいも、身体がおとろえた時には必ずかえってくる。
「規則正しい生活、バランスのいい食い物」と「きったない部屋でコンビニ弁当喰ってる」の差が身体にあらわれてくるのも、若いうちではなく歳を取ってから。
およそ、不幸を伝え得ぬというほどの不幸はない。彼は貧しかったから不幸であった。野心に挫折したから、あるいは女に裏切られたから不幸であった。このような不幸には理由がある。つまり告白すれば他人が耳を傾けてくれるのである。だが理由のない不幸(略)をどうやって伝えられるか。しかもそれが日夜生理的に耐え難いほどに身と心を責めさいなむとすればどうしたらよいか。このようにいえば、人はおそらくそれは狂人の不幸、むしろ単なる狂気にすぎないというであろう。だが、私はそのような不幸の実在を信ずる。信じなければ、夏目漱石の作品にあらわれた仮構の秩序は理解できない、という理由によってである。
……また、吃音の苦しみは、“特殊な事情”であって、そのため他人と分かちあうこともできず、ただ自分ひとりで耐えるほかないものだ。つまり、〈吃音〉とは本質的に他者とのあいだで“交換価値”をもたぬ不毛な苦しみである。これは当時の金鶴泳にとっての吃音であり、現今の吃音者が必ずしもそうであるわけではないだろうけれど。僕に印象深かったのは、「凍える口」のなかの、自分がかくも苦しんでいる理由が吃音だと聞けば人は笑うかもしれない、そのことがいっそう苦しみを耐え難くする、といった言い回しだ。主人公は、いっそ他人に語るに値するだけの事情があればとかえって思う。
健三は孤独であるが、彼は無意味に孤独なのだ。この点で彼の孤独は、友人を裏切り、親族にあざむかれた、という確実な原因を有する「先生」の孤独より一層悲惨であるといわねばならぬ。
仮構は一切の社会性――つまり他人と共有しうる可能性――を奪われている彼の不幸を、社会的なものにしようとする努力、つまり理解されたいという願望から生じる。願望はもちろん自らを狂人と認めて不幸の実在を撤回することの拒否から生ずるのである。……他人に伝えにくい気持ちを伝えようとするときの、あのもどかしさを思えばよい。……このようなとき、人は一瞬沈黙して言葉をさがす。だが、言葉がどれも片々と軽くて、何の役にも立たぬと知ると、今度は一転して何かのたとえ話をはじめる。たとえ話は原始的な仮構で、その故にてあたり次第の言葉を並べるよりも本来の伝え難い気持ちを正確に暗示するのである。
しかし、そういう時に、たとえ話ひとつ編み出す才覚だか神経だかがなければどうすればいいのか。
タコいんだろタコ。8本足の奴。あれって刺身にすると美味いよな?
でもよ、ああ見えて意外と繊細なんだってあいつら。見えないよな?
どんくらい繊細かって言うとな、
気の合わないタコと一緒に水槽に入れると気が狂って自分の足食べるんだってwwwwwww
繊細すぎるだろwwww他人との関わり合い完全否定だよwwwwwwwwwww
8本もあるから1本くらい味見したっていいよねとかやかましいわwwww
でもな、そう考えるとタコっていっつも1匹で生活してるよな。
一人が好きなのかなー、って思って1匹だけ水槽に入れて飼った人が居たんだって。
タコもこれで安心だねー、とか思うだろ?
どれだけの人が、はじまって5分の映画で、涙するだろうか。
泣きすぎて頭が痛いし、呼吸困難な状態で、
まともに文章を書けない状態だが、どうしても綴りたい。
仕事を早く切り上げ、雨の中、足早に家路に向かう。
コンビニ弁当を食べながら、金曜ロードショーのラピュタをみている。
金曜日だというのに、予定がないのは嫌だなと思ったりもした。
でも、ラピュタをみはじめて、すぐにそんな思いが消し飛んだ。
この思いになれることが、
2年前と今は違う。
社会復帰して、それなりに認められ、それなりのお金を手にした。
だが、孤独感は、なにも変わっていない。
いつでもみられるラピュタ。
季節を感じながら、食べる食物のように、
時をかんじるようにラピュタを観る。
多くの人が、同じ映画をみて、違うことを感じる。
これが、テレビなんだ。
孤独はつらいけど、
これほど、せつない気持ちになれるのも、
私は、テレビ放送が終わらぬ限り、
ラピュタを観て、涙するんだろう、と思う。
時代は、変わっていき、
どうなるのかは、わからないけど。
こんな作品が作れること、
作品をみて、感じられること、
やっぱり、人間ってすばらしい、と思う。
だから、みんな、つらいけど、生きていこう。
私もつらいけど、これからさきも、生きていこうと思う。
ラピュタをみるたび、多くのことを感じたいと思う。
そして、いつか多くの人を感動させられるものを、私も作ってみたい。
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少し昔のことを思い出してしまった。
この思いを自分ひとりで閉じ込めておくことができなくなったので、
少し綴らせていただきます。
当時、私は知能が弱い方でした。
障害と認定されるレベルではないので、
そう綴ることは失礼になってしまうかもしれませんが、
詳細を書くと個人が特定されてしまう恐れがあるので、
避けさせていただきます。
イジメだけではなく、冷たい視線や同情、哀れみも受けてきました。
障害のせいかわかりませんが、私は心の成長が遅いようでした。
善悪の区別がつかなく、よく母を困らせていました。
そういったことが私にはまったく理解できず、
楽しいこと、いたずらばかりして
クラスで決める会が開かれました。
思い出に残る曲をみんなで歌いたいと
言って盛り上がっていました。
合唱曲を天空の城ラピュタのエンディング曲「君をのせて」にしたいと
当時の私は、天空の城ラピュタすら知らず
その女子を跳ね返していました。
男女合唱ができるようにしたみたいでした。
こういった歌謡曲は卒業するときにカラオケにでもいって歌えばいいんだ、
私としては、何事もなかったのと同じで
当時の記憶がどこまで正確かわかりませんが、
そのようなことがあったと思います。
この曲いいな、そういえばこの曲、合唱の課題にしようとしてた曲か、
あのとき歌えたら素敵だったろうな、と思いました。
時が経ち、私は大きく成長しました。
心も人並みに豊かになりました。
私の心には深く刻まれており、大変、価値のある思い出になっています。
私も、もう少し心が豊で
と後悔してせつなくなります。
私の心は成長したのだと思いました。
次のラピュタでは、私はどうなっているのでしょうか。
終わり。
私の近況も少し綴らせてください。
心は成長しましたが、障害の方は変わっていません。
年とともに悪化しました。
いくつかの病院にも行きましたが、治りそうもありません。
治る代物ではないので、返答に困ります。
そのおかげで、ある程度、人気者になれました。
でも、ある日それがとてつもなく嫌になってしまい、
他人とコミュニケーションを絶つようになりました。
今は誰とも接しない日々が続いています。
障害を乗り越えて何かを生みだしたいなと
泣き言ばかりで・・・。
「こういう最期がいい」という願望は誰しも描けるが、「こういう最期になる可能性が高い」という推察はあまりされない。
たとえば、私のようなフリーターは、思い描く死のとおりになることはないだろう。それよりも、フッと自殺してしまうとか、ホームレスになって死せるとか、惨めな死を迎えるだろうと、考えてしまう。
そして、願望というのはリソース、主に資産が豊穣な環境で実現するものだと思い知る。
医師と看護師、息子娘、孫ひ孫に看取られ、呆けず、はっきりした自我を持った最期は、レアケースなのだ。あるものは自動車で電信柱に突っ込み植物状態となって家族の同意から死ぬ。あるものは介護に疲れて殺される。理想は遠く、誰もが絶望する。
社会保障もろくに納付できない私のような人間は、はたしてどのように死んでいくのか。わからない。そもそも孤独に死ぬのか?案外結婚はしてしまうかもしれない。そうすると彼女に看取られるのか?親は生きているのか?思いつめても仕方がないが。