はてなキーワード: イスラームとは
以下はショッピングカートに入れておいたけど買わずに削除することにした作品一覧。(☆はAmazonじゃなく書店で買った本)
◆社会
第三の波 (中公文庫 M 178-3)
富の未来 上巻
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
いま〈アジア〉をどう語るか
☆困ってるひと
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
チーム・ファシリテーション 最強の組織をつくる12のステップ -
チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ) - 堀 公俊
白熱教室の対話術
ご機嫌な職場
ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ロジカル・ディスカッション
☆ディシジョン・メイキング―賢慮と納得の意思決定術
☆話し方入門 新装版
◆マネジメント論
なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓
◆人事・モチベーション論
「見せかけの勤勉」の正体
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか? (アスキー新書)
「働きたくない」というあなたへ
日本人事 NIPPON JINJI~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~
会社は変われる! ドコモ1000日の挑戦
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
「発達の最近接領域」の理論―教授・学習過程における子どもの発達
心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉
☆わたし、公僕でがんばってました。
◆自分の演出
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) -
対話のレッスン
演技と演出 (講談社現代新書)
見城徹 編集者魂の戦士―別冊課外授業ようこそ先輩
「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス; 単行本
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
◆その他
幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論
残念な人の仕事の中身 ~世界中の調査からわかった「組織で評価されない人」の共通点
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール
新・絶望に効く薬
千の顔をもつ英雄〈上〉
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
☆料理の四面体 (中公文庫)
結ぼれ - R.D. レイン
あるヨギの自叙伝
◆読み物
☆ダイナミックフィギュア〈上〉
☆ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)
MOTHER(マザー)―The Original Story (新潮文庫)
☆空の都の神々は (ハヤカワ文庫FT)
ゼウスガーデン衰亡史
生贄のジレンマ
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
塩壷の匙 (新潮文庫)
☆姫椿 (文春文庫)
☆お家さん〈上〉 (新潮文庫)
ストレンジ・プラス 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
聖なる血 (扶桑社ミステリー) - トマス・F. モンテルオーニ
スノウブラインド - 倉野 憲比古
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION
ソドムの百二十日
悲惨物語
ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。
ttp://bipblog.com/archives/1006525.html
「navrasa(9つの情緒)」という文学的価値観に基づいてるんだよ。
だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、
ーーー
カースト制度については
カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、
英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。
「カースト」が無くなれば、また新しい言葉や概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。
今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。
あと日本の世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。
限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、
そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。
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ガンジーさんに関する評価は、日本とインドでは正反対と言っていい。
独立後から主流な評価は、
「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、
パキスタンの分離独立を許し国家の安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」
という扱い。
ネルー:
五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、
ヒンディー語なり英語なり統一共通語をゴリ押ししなかった言語政策での失敗、
駄目な点は色々あるけど独立後インドでは最も評価されてる政治家。
個人的に一番の功績はインドの文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。
獄中で書いた「インドの発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。
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違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、
「いかにも外国人がインドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。
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サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。
インド人もみんなあれを褒めてる。
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日本のインド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。
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遠藤周作 深い河について
インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、
登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品
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パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、
でも近代史上インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立。
朝鮮半島は政治イデオロギーで国家が分断されたけど、印パは宗教。
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その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら
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「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュはインドに再編入して
貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。
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それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。
自分は純粋に技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。
「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力は
世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。
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蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。
1980年代にハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、
パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。
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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。
で、家族の健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。
それを指輪やネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。
宝石屋店内に星占いのソフトがインスコされたPCが置いてあったりする。
ーーーーーー
インド人からみた日本の宗教は日本は土着のアニミズムと仏教の習合。
儒教は科挙制度が無かったから儒教と権力が結びつかずに、知識人の一教養の枠を出なかった。
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『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を
全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。
犯罪、虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、
罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』
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時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立=パキスタンの分離独立、
それと数千万人単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国や大戦云々どころでは無かったこと。
日本人が韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。
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一貫してオンリーワンさせてもらってます。
日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆
インドの望みは当時も今も一貫して、米国&西欧の側でもない、共産主義でもない、
それに一番近いのが日本だった。
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日本はリーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーはシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。
しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡。
トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?
と考えた時に、笑うどころか、日本のシステムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。
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昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、
[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、
肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、
例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、
一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、
その為の努力を惜しまない。
つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン
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宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解
この3つ。
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イギリスがインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。
その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセスに違法な点は無く、英国支配によってインドの資産が失われたことを
立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ。
同様に、インド帝国として英国の戦争に付き合わされインドの資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、
これもまた賠償を請求できないというのがひとつ。
つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味
理由2つ目。インドは英国から独立するために、英国の保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと
国際社会に約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは
悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。
勿論インドも道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、
恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
遅くなってごめん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011030744=http://anond.hatelabo.jp/20091011033130です
http://anond.hatelabo.jp/20091011140528
気持ち悪い偽善、というのはわかるけれど、この考え方はそもそも他の生命の犠牲なしには生きていけないという事実に対して感じてしまった罪悪感を軽減させるためのものでしょう。
もとの罪悪感がないところで服用されると副作用がでちゃう薬のようなものだと思う。
菜食主義者とかに対して、侮蔑を振りまくような人達を想定していた。
個人的に罪悪感を感じてそれを低減させるためにそういう考え方をとっていて、他人を攻撃しない人のことは考えてなかった。
言われてみるとそういう人にはいちいち嫌悪感を感じないかも。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203011
横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?
だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。
向こうの連中って誰?色々な意見を一まとめにして矛盾とか言ってもしょうがないよ。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
こっちはちゃんと私の意見への批判だね。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。
いや自分は西洋人ではないんだけど、西洋風の発想と言われてもな。
東洋ってどこの東洋?まず前近代の日本は違う。伝統仏教的にも動物と植物は区別されてて、そのために(動物を殺さない植物だけ使った)精進料理なんてものができたわけだし、前近代の日本では仏教的な発想のせいで肉食は抑制されていたよ。
中国についてはちょっと調べてみないとわからない。インドについては伝統仏教的な考え方のルーツで、基本的に慈悲の対象として想定されるのは動物で、植物は例外的。イスラームも動物愛護的な発想がある(審判の日に、人間に殺された動物が自分の殺害の不当性等を、神の前で訴えると言うハディース)が、植物の権利って話は聞かない。
何がおぞましいのかよくわからない。西洋的だから?
罪を自覚すると言いながら、動物の苦痛を低減させることさえ厭う、自称「罪の意識」の方がおぞましい。一種の自慰行為だよね。
他人を見下すための「罪の意識」って何の役に立つの?
だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。
でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
西洋と東洋の対立って話自体があなたの妄想だし、現実的にお互いに口を挟まないなんて事は不可能。
ヒンドゥーが聖なる動物について「牛を食うな」はともかく、ムスリムがただの宗教的禁忌に過ぎない「豚を食うな」を押し付けてくるなんてわけがないじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011163548
ベジタリアンがアウトともセーフとも言ってないよ。ベジタリアンにはその反論は無効だと言ってるだけで。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203305
個人的にはベジタリアン叩きの方ばっかりよく見るんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20091011204130
自分を含むたいていの人にとって、DNAかどうかってあまり関係ないと思う。
人間と区別できない社会や精神を持った宇宙人と遭遇したとして、その宇宙人が遺伝を担う物質にDNAが使われてなかったとしても、その宇宙人を犬やネコより人間扱いするだろうさ。
http://anond.hatelabo.jp/20091011205224
うまく話が通じてないと思った(「女性器切除」)
「女性器切除」
http://anond.hatelabo.jp/20090923003429
に端を発する
「ちょっと待って、「女性器切除」の話題!」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090923/1253674546
ブックマークのコメントを流し読みしてみたが、やや話が通じてないような気がして非常にもやもやした。
この問題に明るくない人間には読みにくいよ。
という指摘があったが確かにそうなのかもしれん。(font-daさんのエントリが悪いわけでは全くない。)
ブックマークコメントをながめていて、私は古典であるサイードの「オリエンタリズム」を読めばいいのに、とまず感じた。岡真理の著作は読んだ事はないが、引用されている部分は「オリエンタリズム」で議論されていた事にルーツがあり、あれを読めばまず基礎の認識ができると思ったから。「イスラーム」と出てきて面食らってる人もいるようだし、想像以上に多くの人にその辺の前提が共有されてないと思った。(「前提が共有されてない」などという生易しい状況ではない恐ろしい人も若干いるようだが……)
だがこのエントリですら長くて読めないと言ってる人たちには無理な話だし、どうしたものか。
私に才能があれば「やるおで学ぶ『オリエンタリズム』」を作ればいいのだろうが……
先進国(旧帝国主義国)でありなおかつ非白人(が多い)の日本人はこのような問題を考えるのに面白い立場にいると思うのだが……
http://www19.atwiki.jp/torco/pages/1.html
/トルコと言えば親日。その事実はもはや過去のものとなってしまったのかもしれない。
というのもトルコ国父の銅像が、二年ほど前から新潟県柏崎市で野ざらしになってしまっているからだ。
/トルコにおいて、この国父の影響力は今でも絶大である。
ムスリムが大半であるはずのトルコが、イスラーム法で統治されていないその理由。
それが、ケマル・アタテュルクだ。ケマル・パシャといった方がなじみ深いあろうか。
トルコ情勢はいつも不安定だ。イスラームと現代民主国家の間でいつも揺れている。
その二つを強烈に抑えているのが、国父への敬愛なのだ。
シンパシーは言いすぎかもだが、まあ手本にはしてただろう
/それにアタテュルクって名前自体にテュルク(トルコ)って入ってるしね
/この銅像は友好の証として送られたそーです
/この一連の流れにはひっかかる所はある。
(それは”日本人的なるもの”だったり”建前”だったり)
そういうところはあるが、銅像は救うべきだということだけは言えると思う。
学ぶ手順というのは人それぞれだと思いますが、学問というのは車輪の再発明のために悩む時間を省いてくれる高速道路ですから、その成果を利用するのは一つの王道だと思います。
簡潔に事件や人物、文物について知りたいのであれば、適当な百科事典なり、『日本史小辞典』や『世界史小辞典』などの小項目事典で十分でしょう。
しかし、研究史や論文まで調べるのは門外漢には敷居が高いものです。そこで、研究上の主要なテーマについては、初学者向けに入門書というものがあります。
ここでは、専門の事典や細かな研究案内を網羅する能力も時間もないので、最初にあたりをつけるためによく見るものをまとめてみました。なるべく少しは解説があったり、ソースが書いてあるものを挙げました。詳細な文献情報についてはリンク先を見てください。
個人で所有するには物入りでも、都道府県下有数の都市の図書館や大学図書館にはあると思います(絶版のものもありますが、ない場合はリクエストして入れてもらってよいレベルだと思います)。
それぞれの専門を専攻している人にとっては初歩の更に手前といったレベルのリストでしょうから、やや恥ずかしいので増田に書いてみました。詳しい方に補足して頂けるとうれしいです。
*文献リスト
・全般
『国史大辞典』(吉川弘文館)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/kokusidaijiten.htm
『アフリカを知る事典』『オセアニアを知る事典』等の『知る事典』シリーズ(平凡社) 巻末に文献目録があります
『歴史学事典』(弘文堂)
http://www.koubundou.co.jp/books/furoku/21031sub_series.htm
・日本史
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10396-4
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10389-1
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10256-9
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10515-0
『日本史文献事典』(弘文堂)
http://www.koubundou.co.jp/books/pages/25058.html
http://www.yoshikawa-k.co.jp/bunken.htm
・西洋史
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-022016-3.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0517-2.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0542-3.html
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-003202-5.html
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-001030-6.html
http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=4-7948-0679-5
・東洋史
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0527-X.html
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/5/0110700.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0594-4.html
・雑誌
『史学雑誌』毎年五月号の「回顧と展望」(取り上げられていない論文もありますが、重要なものは大方拾われていると思います。史学を学べる大学の図書館なら所蔵しているでしょう)
・参考
日本近代史研究のABC(日本史近代を楽しむ野島研究室のページ内)
http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/lets.study.index.html
東京外国語大学南欧史研究室のページ(「歴史学読書案内」、「リンク集」、「卒業論文を書くために」)
http://www.tufs.ac.jp/st/club/historia/index.htm
なんか悲しいなあ、という口ぶりから察するに、「原理主義者」という言葉がムスリムを貶めている、と感じたのかな。こちらにはそういう意図はないよ。
「原理主義」そのものには本来ネガティブな意味合いはないし、穏健なイスラム原理主義者も当然に存在すると思っていたので(イスラーム主義とかもっと偏見の少ない言葉を使う方がベターだったかしら)そういう批判はちょっと意表を突かれた。確かに原理主義者という言葉は、親イスラーム的な研究者は使いたがらない、という話は聴いたことがあるから、その点は確かに自分の手落ちだと思う。
「正しき非モテの教義に回帰せよ」「非モテの安寧とコミュニティを侵し、非モテを未開人として扱い、恋愛資本主義的な価値観で征服を試みようとするモテに、抵抗しなければならない」というような感じでまとめられそうな態度って、西欧によるムスリム国家の抑圧からの解放を訴える原理主義者の姿勢とダブって見えるなあ、という直感的で安直な態度で持ち出したことは事実だし、十分な検証・比較をした表現ではないのは非難されても仕方がないとこだなあ。まことに申し訳ないんだぜ。
あ、折角だから、増田がもっと詳しい人だったら、イスラームの現状について啓蒙していただければこれ幸い。俺も在学中にイスラム法の先生に教わった程度だから、そちらの方面に凄く教養があるわけではないんで。非モテトークからイスラームトークに発展する、そういう増田があってもいいじゃない・・・(遠い目)
本題からはまっっったくずれていて申し訳ないのだが
なぜイスラーム?
歴史や教義に深く関わった隠喩なのかなと思ったがどうもピンと来ない
なんか悲しいなあ
あんまり気にしなくて大丈夫。
(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公はジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。
手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw
フランス人はレビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、
以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。
(旧約聖書)>
Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬を連想させるものがあってアウト。
いやいや、そもそも聖書の記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。
(旧約聖書)>
Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。
(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。
(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。
まあ確かに魂の継承や輪廻という概念はキリスト教からみれば「異端」だけど
(少なくともプロテスタント、カトリック、ロシア正教、ギリシャ正教はそうだろう)、
reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?
そもそも輪廻は仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想。
(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?
イブが食したのが「リンゴ」であるという記述は聖書のどこにも書いてないw
確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、
創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
蛇の言ったことの方が事実だったんだから。
神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!
これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。
神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、
うん、こじつけ。
スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。
キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。
ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。
(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人の女の子にジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、
(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。
日本人が韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw
これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。
「名前を無視されること、名前を尊重されないこと」を侮辱と感じただけジャマイカ?
きみは正しきイスラームの教えに戻れ、という感じだなー。非モテ原理主義者・非モテ求道者とでも呼べばいいのか(揶揄・悪意ではない。為念)。
まあ、深刻に悩みを抱えている立場の人間がいるところに、軽いノリで「あっ、俺も俺もー、超悩んでるんだよねー」とか言い出す奴が来るとすげーむかつくというのはよく分かる。
たださ、そういう感情を真正面からぶつけてってもあんましいいことないんじゃないの。それこそ、非モテはモテへの嫉妬・ルサンチマン丸出しの未成熟な人間、みたいな社会的イメージを作りかねない(そういうイメージが非モテの正しい評価とは思わないんだけど、過剰に攻撃的な態度は多くの人にそう受け取らせてしまう)。そういうイメージがパブリックに広まったら、非モテが社会に生きる苦しみを一層増やしてしまうことになると思うんだけど。
それとも「とにかくこういうヘラヘラした奴が俺達の悩みを理解したつもりで説教してくるのが許せねえ」という感情が、損得勘定を上回るということなんかい。だとすれば、さすがにそれ以上どうこう言うことは難しくなるんだけどさ。奴らが許せない、という気持ちは分かるけど、そこはある程度感情を抑えて客観的な指摘に留めるほうが非モテの現状の苦しみを和らげるには賢いやり方なんじゃないかしら。一時の激情でモテをdisっても、その数倍の数でフルボッコされるだけなんだぜ・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080115023950
>「責任」もあるが問題を克服する「能力」もちゃんと備わっている、「能力」があるからこそ、それに応じた「責任」を負うのだ、ということを指摘する。
>つまり、エントリに勇気付けられた人は(エントリを見るまでは勇気がなかった人であり)、そこに自分の底力、潜在能力があることを発見したのである。「自分はまだまだ頑張れる」のだと。自分に自分の人生をコントロールする能力あるからこそ「人のせい」にはしないのだ。
>逆に考えてみよう。自分のおかれている立場が自分以外の「何かのせい」だとすると、それをコントロールする能力はないし、そのことに本人が責任を負う必要は無い。誘拐犯に拉致され監禁された人間が、脱出できない自分が悪い、とか「もっと注意して歩いていれば」などと考える必要がないのと同じことである
さて困っている。
責任って、なんだろう、という話だ。
キリスト教でもイスラームでも、こういうことを言う。つまり責任を果たせるように神はあなたの運命を定めているという話だ。
原因を作ったのが自分だとして、その結果はすべて自分の責任なのか?たとえばそれが自分の人生をずっとずっと支配し続けているとしても?
どうもこの問題に納得がいかないでいる。自分ひとりの問題なのだけど、その一つで前にいけない。問題なんてそんなものなんだろうけれど、納得いかない。
はっきり言えば「ふざけんな」だったりする。
公共の問題だから私的な感情は持ち込むべきでもないんだろうけれど、やっぱり「ふざけんな」なんである。
多分、こう考えれば自分自身が幸せになれる。だからいろんな宗教が自業自得という考えを持っているし、自分の問題だということはわかっている。でもやっぱ「ふざけんな」だったりするわけだ。それは、加害者としての私でもあり、被害者としての私でもある。
さて、責任というのは、何なのであろうか。
匿名だから少しは安心して書ける、何とも言いがたい思い出がある。
某有名下着会社の入社選考にはグループディスカッションが組み込まれていた。白髪交じりの紳士的な男性試験官は私達に問うた。「堅いお題と柔らかいお題があるけれど、どちらがいい?」私としては堅い方でお願いしたかったのだが、場の空気が柔らかい方を選んだ。そのお題は「結婚観について」であった。柔らかいというよりは、すでにお題とはいえないお題である。目的が示されていない。
試験官の指示にしたがって、まずは3分ほどで自分の意見をまとめ、次に6人が1分ずつ発表することになった。私が「結婚観について」と言われてすぐに思いついたのは、結婚というシステムが本当に正しいのか、という疑問であり、そしてまた改善の余地のないものなのか、という問いであった。私は、欧米――特に北欧で、結婚というシステムを通さずに家庭を築く文化が広がっているのを知っていたし、それを好ましく思っていたからだ。また、イスラームへの深い関心から、現状のような一夫一妻制のみが結婚のありようではないとも感じていた。そして、結婚の有無にかかわらず、様々な形でのパートナーシップが、法的に同様の保障を受けられれば好ましいと思ったのだ。結婚観からはややはみ出すが、夫婦別姓や創姓といった問題もあるではないか。
しかしながら、次々と発表するメンバーが答えたのは、皆が揃って「どのようにすればお互いが幸せな結婚が送れるか、そして離婚することなく、まっとうに子供を育てられるか」に関することだった。
「子供が出来てもずっと働いていたい」と主張する強かな女子。男子も、「産休などを使って奥さんが働きたいなら働かせてあげたいと思う」と答える。たしかにこの場ではそういうしかないだろう。「寿退社」も「専業主婦」も、とてもじゃないが言い出せる雰囲気ではない。「離婚が問題になっている。子どもにさびしい思いをさせないよう、趣味や目標を共有する人と結婚したい」「そうだね、そうすれば失敗しないはず」。その場に離婚家庭の子がいたら、どういう気分になるのだろう。
このように期待通りの答えをしてもその限界が見え見えであるのだから、私の一段ズレた答えは全て宙に浮いて意味をなさなかった。――その時まで意識したことがなかったのだが、私は高校、いやもっと前の中学やそれ以前から、結婚に対して人並みの憧れを持つということをしなかったし、キャリアウーマンというよりは働いて稼ぐ自立した人間そのものに憧れ、そして一人で生きていけるようなプランを築いていたのだった。しかも、家事全般がことごとく苦手であるから結婚するなら主夫、とまではいかなくてもある程度の分担能力を持った人が望ましい。自分で子供を産むなんておぞましくて出来ないから養子を貰いたい、とまでなったら、さすがの私もその場で言うのを常識的な判断で却下したほどだ。しかし、これが私の願いなのである。
ふと、私が男性であったなら、私の願いは比較的簡単に実現できることに気がついて気が滅入った。要は、得意なことだけやって苦手な家事はしたくない。自分で子供を産みたくない。これだけのことなのだが。
どちらにしても、結婚観をお題にすることそのものに、私は深い失望と自分のある種の不能を痛感させられてしまった。今でもそのことが思い返される。適度に女性の社会進出を汲んだ保守的な意見をのみ言いえる場で、私は見事にふるいにかけられたわけである。が、私としても女性下着メーカーに男性がこぞって受験しにくるのがどうも理解できなかったので、当然の結果といえば当然の結果なのだが。