はてなキーワード: ラカンとは
『街場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。
今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。
こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場から出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日盗んでいたのです。いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになります。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。
だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、誰にでも届くから。
情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報社会における情報強者だと僕は思います。つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。
サンデル教授ってインチキでしょ?って言ったのはウチダの個人的な感想でありまして、理由は二つ。ひとつは、「正しい決断をしなければならない」という状況設定そのものが間違っている可能性を吟味していないこと。「正しい決断をしなければえらいことになる」という状況に立ち至る前に、「そんな決断をしなくてもいい方向」に向かう分岐点がいくつもあったはずなのに、それを見落とした自分の知性の不調についてはなぜか主題化されていない。これはアメリカ的知性の特徴なんだと僕は思っています。事が起きたあとの「対症マニュアル」の整備には熱心だけれど、そもそも「事を起こさない」ための「予防的配慮」については驚くほど関心が低い。そういう国民性格の内側から出てきた「ナショナルな弁証法」だということについて、あまり自覚がないみたいだったので・・・というのがひとつ。もうひとつの理由はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」に出てくる伝道者たちに相貌が似ていたから。サンデルファンのみなさん、ごめんね。
えーと。
(http://www.drk7.jp/MT/archives/001769.html のマネ / http://anond.hatelabo.jp/20110515004216 の続き / 昔も同ネタで書いてた → http://anond.hatelabo.jp/20101218150419 / 書きおわってから http://anond.hatelabo.jp/20110515220351 に気がついた。この記事よりはるかによみやすいのでおススメ)
評価者の属性によっておおきく変りそうなので一応こちらも受けて立とう。
iPod Touchとhtc EVO wimaxを使ってみた差を独断と偏見で語ってみたいと思います。
まず結論から。
比ぶべくもなく圧倒的な差で"僕的には" androidの勝ちです。ただし、iOSユーザにはその意味は多分わからないでしょう。誰にでもおススメできる道具じゃありませんし、そこまでケータイに求めないのであればiPhoneでもガラケーでも好きなもの使えばいいと思います。
androidをかなりはやい時期から使ってたこともあり、iPhoneユーザから「androidいいですか? / androidはコレありますか?」 と人に聞かれることも多いのですが、「androidいいけど、iPhoneでいいならiPhoneのほうが良いよ」あるいは「androidにiPhoneと使いかた違うから、同じように使おうとしてもそんなソフトないかもよ」と答えます。今後の機種変についてはiOS以外なら試していきたいですが、しばらくはandroidを使うことになると思います。
一方、別の技術も知っておくという意味で、オモチャとしてiPod Touchを買ってみました。まぁ、ムービープレイヤーとしてはまぁまぁ良いので、機内のお友にしばらく使うことでしょう。
とはいえ、自分の母親みたいなど素人には「ガラケー使っとけ」と言うでしょう。iTunes用母艦のメンテも、androidのメンテもしたくないよ。
さて以下詳細。
スクロール速度についてはiPod Touchのほうが良い場合が多いです。ただ、htc EVOも言うほど劣っているわけではないです。むしろ、iPod Touch(iOS)でデフォルトのアニメーションで「目がごまかされてる」部分が気になります。アプリの切り替えやインテントによる連携なども含めて、androidのほうが「最短距離を進む」快適さがあります。てか、スクロールなんて引っ掛からなきゃいいでしょ。(xperiaが引っ掛かるのは多分メモリが足りないんじゃないかな)
アプリ込みで考えると、iOSは不安定なものがおおい。これはTouchだからかもしれないが、フォアグラウンドのアプリが突然不安定になっていきなりホームに戻される。これはいただけない。androidの場合はちゃんとエラーダイアログが出て、必要に応じてその内容を作者にフィードバックする仕組みがあるため、ちゃんとしたアプリの安定度は日々あがっている。GCがかかると時々重くなることもあるが、EVOでは気になるほどでもない。
確かにアプリ自体の作り込みはiOSの方が高い。しかし、iOSは「ちょっとしたこと」でも有料アプリな上に、「ちょっとしたこと」が全然使用感の向上に寄与しない。androidの場合、ちょっとしたアプリもインテントのおかげでさまざまな活用法が可能になるので、ボランティアレベルのプログラムでも戦力になる。
例えばiOSユーザの話を聞くと「○○ってアプリは神! Evernote/read it later/ナンチャラカンチャラと連携できる!」みたいな間抜けなことを言っているんだが、Androidはそもそも連携できないアプリがカス以下扱い(昔のustreamアプリとかね)。具体的には、twitterアプリでshort URLを展開する機能がついてて便利! とか言われても、「でもそれ開いてサファリで開いてさらにニコ動アプリ起動して」とか阿呆臭くてしょうがない。どのアプリからでもURLを開こうとするとちゃんと展開→確認の上、最適なアプリで直接開く、というところまで意識的なアプリ切り替えなしで行けるし、見終ったら戻ることも簡単。
あと、有料アプリのお試しができるようになったのが地味に便利。期限が15分になっちゃってちょっと切ない…。お試しができないApp storeで何度か外れアプリを買って以来、iOSで有料アプリは買ってない。
EVOの画面でかすぎ! 手が届かない。通勤中はtouchで我慢することもあります。あと、pdfを読む用にtouchは便利。
とはいえ、スライド読む用と論文読む用で別アプリになってしまい、管理が面倒なのが減点 -- dropboxから送り込むコースとmendeleyから送り込むコースとがあって、さらにわけわからん。あーこれは「画面」の問題じゃないや。
これはEVOは最悪。まぁ、ひどい時にはwimax, 3G(通話用), wifi(テザリング用)と3つも無線機動かすのであきらめてる。ipod touchの持ちの良さは機内のお伴には最適。
touchのカメラはおまけなので評価せず。とはいえ、skype for androidがフロントカメラ使えないので、skypeでvideo chatするときはiPod Touchを使います。てか、iPhoneユーザの「カメラ」ってデジタル処理(instagramとか)ばっかりで気持ちわるい。ちゃんとしたカメラで撮った写真以外を「作品として」人にみせびらかすために「一見オサレ()風に加工」とか、ちょっとねぇ。
あまり気にするほどの耳は持ってない。本体スピーカーは、本体質量がデカい分かもしれないがEVOの圧勝。
wimaxを使いはじめたら元には戻れません。softbank? 使ったことないので評価は控えますが、あの社長は嫌いです。本業おろそかにして目眩しばかりやってるタイプでしょ?
元blogで言及されなかったandroidの特徴が3点あって、「ハードウェアボタン」「連携性」「端末の自由度」。ハードウェアボタンは、「とりあえずここ押す」というボタンなのでとても大事。特にandroidで大事なボタンはbackボタン。つまり、スタック上にさまざまなアプリから取り出してきたactivityがシームレスに重なってて、終わったらそこに戻れる、という環境と、それに適したアプリ/使い方を見つけられないと、androidは不便なだけだと思う{{多くのiOSユーザがこれがわからずに、単体アプリで何でもやりたがるのが不思議である。Emacsか?}}。連携性も同じで、インテントによるアプリを結合した使い方って、確かにちょっと使いこなしが必要な点。ただ、手に馴染むと快適さが半端ない。「端末の自由度」についてはいわずもがな。まだまだ不十分だけど、「ワンセグが欲しい」「おサイフケータイ」「防水じゃなきゃヤダ」という要求に応えられるのはandroidであって、iPhoneではない。
iOSは単体では何もできず、何するにしてもiTunes{{それも「特定のPCの」iTunes! 糞! デスクトップに同期させてると出先のノートで何もできやしない!}}が必要になるのに対して、androidは単独で/クラウドと結合することで成立する環境になっている。まさに Apple と Google の思想の差がそのまま反映されているのは当たり前。iPod Touchはあくまで「Mac/PCのオマケ」な端末であるのに対して、androidは僕の中で「仕事の道具」という位置付け。それぐらいの違いを感じる。
僕は基本的にコンシューマ系OS(Macも、Windowsも)大嫌いな偏った人間ですが、この手の端末は金太郎飴みたいに同じような道具になるのではなく、手になじんだ一人ひとりにスペシャルな道具であるべきだと思ってる派{{カウボーイは、馬は捨てても鞍は捨てずに持っていく by HHK}}。そんなわけで結論に戻って、僕的にはandroidの圧勝なわけでした。ただし、他の人には、「androidは手になじんでくる感じがおもしろいけど、困ってないんなら別にガラケーでいいし、パソコンに慣れてるならiPhoneでいいんじゃない?」 と言ってます。こんないい道具、他人と共有してなるものか(笑)
今の状況が嫌なら、取り敢えず目標は新しい生活位でいいのでは?
もう一般的な大学進学等のレールを外れたしまったんなら、選択肢としては頑張って他の人と同じに戻るか、新しい道を探すしか無い。
新しい道を探すなら、まず世の中がどんなところか見て回るべきだ。日本国内は今不景気と高齢化でどこ見ても明るいものはないから、オーストラリアやベトナムなんかの景気がいいところがオススメ。特にベトナムや中国はこれから経済成長が続くから、あの辺りの言葉が出来ると仕事には便利だと思うよ。毒にも薬にもならない大学出るくらいなら、あの辺で暫く働いて、語学力を磨いたほうが、余程面白い人間になれる。
働きたいなら、多少住み込みでの下積みが必要な技能職がおすすめ。若い内に自己研鑽をしなくて良い環境に置かれると、やること無いから気分が鬱々する。
目標については、あまり悩んでも仕方ないと思う。目標というのは、深く考えれば、結局は自分の本能的な欲求を満たすための手段にしか過ぎない。例えば:
1)性的な欲求(誰かに可愛がって欲しい、可愛がりたい、必ずしも性関係を含むわけではない)
2)群れの中での地位向上(尊敬して欲しいとか、必要として欲しいとか、お金を稼いで人をこき使いたいとか)
3)自分を理解し正当に評価して欲しい(自分の喜びや苦しみを共有して欲しい、上辺だけの言葉は嫌だ)
4)何か作りたい(創造的欲求)
5)+ALPHA
大体の人は、(2)が十代二十代の行動の主な動機(両親や友人にスゴイと認められたい)。因みに日本人が両親や友人に理解してもらっていないと感じる場合(3)が多い様に感じられる(自分の知性や感受性が周囲の人間の理解の範疇をを超越してしまうと、誰にも理解してもらっていないと感じ、辛く思う)。
残念ながら今の世の中、確実に(欲求が満たされる)幸せになれる職業は無いから、目標は持つのは難しい。適当に自分が出来たら凄いとか、良いと感じる事を取り敢えずの目標にして、少しづつ自分を幸せにする方法を見つけていくしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
大一病でいきなりラカン読んでもよっぽどの
人じゃないと挫折するから、君のリストにも出てくる本を読んで頭の中、露払いしてもらうのはいいけど、
その思想を獲得した御本人のロジックや思考過程と対話できるから原著読むのは辛いけどそれはそれはエキサイティングだけどな。
飲み会で威張れるために本読んだってしょうがないじゃん。
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
どうやらワタシは最近のRPGのような「裏シナリオ〜裏エンディング」と切っては切れないようで、
それは表向きはとっくに終わっているが、裏では次に何か起こる直前まで引きずっており、しかもそれは本人しか解らない事だ。
思い起こせば学生時代。大学は無事卒業したが、実は卒業していなかった。
研究書の最終稿が上がらなくてね、居残ったんだ。終わったのは入社式の3日前だった。(ちっとも自慢出来ない・汗)
教授も半ば呆れ顔。しかし、どうしようもない言い訳をするならば、こんなユニークな研究など初めから結論など見えなかった上、
ようやく出した結論すら二転三転だ。解析方法をどんだけ変えた?そもそもサンプル数が莫大過ぎるのだ。
その結果ですら「ヒット率70%」とはね。人間様の精度は3割有れば良いと野球好きのオッサンが言いそうだけど、
機械的な精度を求めたら9割打てなきゃダメ。これだからサイボーグを作るのは難しい。ゆらぎの問題が有る。
まぁ、呆れたついでに。呆れるように。人は何故こうまでして誰も読む保証なんて無い手紙を落としまくるのだろう。
それも差出人も宛先人も不明になった。それはおよそ「手紙」とすら呼べない代物だというのに。
今更ながら、「エヴァ」の話でもしよう。今でも語り継がれるであろう、TV版の最終2話な。
「アニメは強シンクロだ。そこに映る物で総てを説明する。」と言ったが、最終2話では完全にそれは無視された。
それどころか、説明では無く、あちらから問うのである「君の思っている僕は、僕とは違うんだよ。」と。これは拷問の作法である。
ラカンで言う「大文字の他者」その不確定さと不安定さ。「悲しい」とはそういうものだろう。
だがシンジが最後の最後で開き直り、祝福を受けるのは何故だろう。
何故ジャック・ラカンはその暴力的な論理を振りかざしつつも、「手紙は宛先に必ず届く」と断言したのだろう。
だが残念な事に、これは神の慈悲では無い。誰の慈悲でも無い。単なるロジックだ。
「大文字」「小文字」などと言えば何とでも成るが、俗流解釈においてもフロイト〜ラカン精神分析は未だ強大である。
「シェーマL」をパクったモデルを何度見させられたか解らないが、
「鏡像に依り、対象が歪められる」などと小難しく言わなくても、
「体調に依って物の見え方が違い、一定しない」という事は良くある...。
と言うか、体調はダイレクトには関係しない。自己愛の事である。
「盲目的に過大評価する/過小評価する」などは有って当たり前なので、
この度合いが極端過ぎるのが許せない方は正直「批評」なんて物を見ない方が良い。
「“生まれて初めて惚れた女”があまりに眩し過ぎ、堪え難い享楽で自らがダメになると思い全力で逃げた」
そんなワタシが言っているので間違い無い。
だから天使ジュリエット・グレコは今日も綺麗なままだ。
〜T.H.
相手が相手がっていうけどさ、じゃあお前自身もキャラ化されて見られてるって可能性考えたことあんのか?
それでも別にいいのか、嫌なのか。
キャラ化しないと人がわからないっていうのはさ、最初から人のすべてを把握できる、もしくはしなきゃっていう、ある種の思い上がりがお前にあるんだと思うよ。
で、キャラ化とかそういう自分自身が抱くイメージを慰撫できるようなものとしてアイドルとかアニメってものが存在するわけだ。
ファンタジーとしてな。そこでは勝手なイメージを持つことが許されてるし、勝手に脳内補正することも許されてる。
だから、今回のフライデーでお前がショックを受けたのは、まぁそりゃそうかもと思う。
だけど、それでキャラ化しないと人づきあいができないっていうのは話が飛びすぎだろ?
互いにキャラ化しあってうまく回ってるように見える人付き合いとか恋愛もあるにはあるけど、それってあんまり健全じゃないぜ。
ラカンってやつは、「(まだ)わからない」という態度こそが最も人間的で、対人的コミュニケーションの可能性だって言ってる。
「なんだかよくわからないもの」に出会ったとき、「俺の前にいま、なんだかよくわからないものがある」と思えること。
そう解釈して、「わからないもの」を「わからないまま」にしておけることが「人間的コミュニケーションだ」っていうわけだ。
まぁ、そう考えられずに「わからないもの」を「既知のもの」に押し込める奴も時々いるけどなw それじゃ動物と同じだ。
だから、キャラ化してアイドルとか二次元を楽しむのは多いに結構だ。そのために存在するエンターテインメントだからな。
だけど、人づきあいはそうじゃない。いつまでたったって相手の心なんてわからない。
「ほんとの相手の心」なんて存在しないし理解することなんてできない。共感はできるかもしれないが。「ほんとの自分」なんてものも存在しないだろ。
それでも、「わからないもの」を「わからないなぁ」って思いながら人間は生きていけるもんだよ。
初めてSEさんにお目にかかった。
来たのは30過ぎでぱっつんな黒のリクルートスーツを着た女性と
60に手が届きそうな目つきの悪いハゲたおっさん。
「XXXでSEをやっておりますAと申します」
おお、システムなんたらかんたら、と書いてある。
おっさんは名刺くれずに名乗った。
後から会話を聞いていたらどうも下請けらしい。
今日の予定は新しいシステムの細かい運用の確認の打ち合わせと、
とりあえずの仮システムが入ったPCに後から届いたプリンタの設置。
俺「プリンタはここにありますので、お願いします」
SE「はい?」
俺「え?」
俺「え?」
面食らってたら、おっさんとSEさんが話し出した。
おっさん「プリンタ設置すんの?聞いてないよ。これ、こっちが入れてるの?」
SE「はい。うちから納品したものです」
おっさん「ふーん。ドライバとか揃ってるの?」
SE「え?なんですか?それ」
おっさんが不機嫌そうに設置しはじめた。
うちの会社貧乏だから、俺ん家にあるような普通のインクジェットなんだけどな~
とか思いながら、聞かれていた今のシステムの話に移った。
俺「…じゃあ…あと、今のシステムのXXの件ですが、実際に見てもらっていいですか?」
SE「はい。お願いします」
俺「これなんですけど、システムで処理できないから、EXCELでやってるんですよ」
SE「はい。EXCELですね。なるほど(一生懸命メモしてた)」
俺「え?」
SE「え?」
俺「あの…システムの確認のメールをもらったAさん…ですよね?」
SE「はい。私がAです。」
俺「EXCELのマクロでどんな処理してるか、って事でしたよね?」
SE「はい。そうです。」
結局おっさんがプリンタ設置するの待って再開。
ほとんどおっさんと話した。
おっさんはEXCELのマクロなんて精度が酷いからちゃんとしたプログラムで作らなきゃナンタラカンタラと言ってた。(そのマクロ俺が作ったんだよ!悪かったな!)
その後、SEさんにおっさんがマクロとは何か、って話をしてた…
はてなとか増田に「SEはプログラム組めなくてもできる」とか書いてあったが
俺には結局SEがなんなのか分からなかった…
SEって、何ができるんだ?
追記
元増田です。
異動とか、中途とか、そういう内部事情は分からないけど、
他でもそういうSEがいる、って事は
知らなくても、SEにはなれる、って事なんだな。
勉強になった。
小1の時。おじいちゃんが死んだ。
なぜ死んだのかは知らない。正直興味もない。
だっておじいちゃんの記憶は何にもない。
優しかったのか怖かったのかすら覚えてない。
小2の時。お父さんが死んだ。享年42才(くらい)。
B型肝炎。数十万人に一人の割合で発症するらしい。
助かる可能性はとても低かった。
お父さんの記憶はちょっとだけある。
まだ父が元気だったころ。
夜、布団に入ってからなかなか寝付かない私のところへ来て、目の上に手を載せて「もう寝ろ」と言われた。
蛍光灯の反射で暗くて顔はよく見えない。
大きな手だったのを覚えてる。
発症してから。
一時帰宅していた時祖母宅にて。
布団の上でぐったり顔を覆ったまま動かない父。
大人たちは皆忙しそうに険しい顔をしていた。
その一時帰宅の後、お父さんは遠く離れた都会の大きな病院に入院した。
お母さんは看護のためお父さんについていった。
なので私たち姉弟3人は父方の祖母のところにしばらく預けられていたらしい(覚えてない)。
ある日、私たちはお見舞いに行った。
病室に向う廊下で母に「爪を噛むのをやめなさい」と言われた。
当時のひどい癖だった。(今でもストレスがたまると噛んでしまう…)
ベッドの上で上体を起こしていた父はガリガリにやせ細っていて、体が異常に黄色かった。
そして「○○子か…」と言った。弱々しくかすれた、老人のような声だった。
自分がなんと答えたかは覚えていない。
今思うと、もう助からないから最後に会わせた的なお見舞いだった気がする。
それでも当時の私には父が死ぬとは予想できなかった。
ただただ、父の変貌ぶりにショックを受けていた。
父が死んだ時。これはけっこう覚えてる。
私は学校にいた。休み時間だったと思う。教室にいた私を先生が廊下から呼んだ。
「この前お見舞いに行った時、お父さんは元気だった?」
「…? いや、わからないです…」
「いいかい、すぐに帰りなさい」
「???? はい…」
当時私は父が死ぬとは全く想像してなかったので、その時は何を言われているのかわからなかったが、
とりあえず帰ることにした。
祖母宅までの徒歩10分を歩く途中でハッと気づいた。
「たぶん、お父さんが死んだのだ」と。
誰に聞いたわけでもなかったけど、妙な確信があった。
祖母宅には小1の弟がすでに帰っていた。
もう1人の一番下の弟はまだ2歳だった。
親戚の大人たちが集まり始め、騒々しい雰囲気になっている。
子供である私たちはほっとかれていた。
唯一ひいおばあちゃんが「○○(父)は死によったぞ、わかるか」みたいなことを言ってきた。
「死」というものがどういうことなのか、私は理解していた。
黙ってうつむきじっとしていたら、泣いてしまいそうだった。
私は弟にいった。
「外行こう」
弟は「うん」と返事をした。
手をつないであてもなく歩いていた。
6歳と7歳。
私たちは幼なすぎた。
「お父さん、死んだんだよ」私が言う。
涙が溢れてきた。弟も泣いていた。
もう何か言おうとしても涙しか出なかった。
ワンワン泣きながら、手をつないで歩くのは止めなかった。
そこで記憶は途切れる…。
小3の時、父方のおばあちゃんが死んだ。
優しくて好きだったので悲しかった。
小4の時、母方のばあちゃんが死んだ。
母が泣き崩れていたが、私はあまり会ったこともなかったので
いつも通りボーッとしていた。
とにかく小学校の時は葬式やら法事やらばかりでほとんど想い出がないし思い出せない。
母は資格もない、商売の才もない、ついでに免許もない何の変哲もない高卒だった。
私は母が実際何をしていたのかあまり知らない。
母は言わないし、私も聞かなかった。だがとにかく、忙しそうにしていた。
その頃の私はとにかくぼへーーーっとした覇気の無い子供だった。
暗くおとなしい子だった。
とにかく読書が好きで、ヒマさえあれば本を読んでいた。
人と居ても本を読み、家にいても本を読み…本さえあればそれで良かった。
外で遊ぶのは大っきらいで運動神経は驚くほどなかった。
お金がなかったので何度も何度も同じ本を読んだ。
本を読む以外の事はすべてにおいてめんどくさかった。
なので"おかあさんは大変だから家事をしよう"とかは一切思わなかった。
ただ、"おかあさんは大変だから金と自分の事で迷惑をかけてはいけない"という気持ちだけは強かったが。
ある意味では何もせず、本をむさぼり読み、自由気ままな暮らしっぷりだった。
こういう子はたいていいじめられ体質だ。
とは言っても特に激しいいじめはなかったし数少ない友達もいたが、基本的には家にいた。
ある夏の日、母についに「あんた友達いないの?頭おかしいんじゃないの?」と言われた。
私「○○ちゃんと遊んだりしてるよ」
母「あぁ、あの子とあんまり仲良くしない事。あの子のお母さんはナンタラカンタラで評判が…」
私「…」
私は少しずつ違う友達を優先するようにした。
○○ちゃんはありえないくらい優しくていい子だ。(今では優しい旦那さんと結婚して2児の母。今でも大好き)
幼いころから優しく包容力のあるお母さんキャラという感じだった。
いつも「私、●子大好き!」と笑顔で言ってくれた。
私も当然○○ちゃんが大好きだった。
でも、母が言うことは絶対だったので、少しずつ離れていった。
母の言うことに疑問など持ち得なかった。
そして思春期。
いない父の代わりに1つ下の弟のことが無性に気持ち悪くなり、無視ばっかりしていた。
存在するだけでむちゃくちゃ腹が立った。
今思うと弟は「ねぇちゃん遊ぼうよぅ」といつもどおりだったのだが、私だけが近寄るなオーラを出していた。
こればっかりは今思い出しても胸が痛む。
その頃、我が家は少し険悪な雰囲気になっていた。
私は反抗期なりに何とかせねば、という思いが多少あった。
とりあえず、皿を洗ってみた。
ろくにやったことがないので、割ったり泡が残ったりひどいもんだった。
母に「余計なことをしてくれた」と罵倒されたので、もうやらないことにした。
次に、何かの本で読んだ知識であろう「家族で交換日記をする」事を提案した。
それを聞いた母は「おまえは家族をメチャクチャにする気か!!」と鬼の形相で罵倒してきた。
私は意見を言うのもやめた。
友達と服を買いに行けば「ナマイキだ。何考えてるんだ」と言われた。
部屋が散らかっていれば「おまえは頭が変だ」と散々溜息を吐かれた。
そういう風に言われても、別に母のことは好きでも嫌いでもなかった。
すでに私は何も感じていなかった。
一度罵倒タイムが始まるととにかく長いので、心を閉じて無にした。
ただひたすら終わるのをじっと待った。
母に言葉で逆らうことは無かったが、すぐに母をイラつかせる自分がダメなヤツだとも全く思っていなかった。
とにかく、黙っていればそのうち怒鳴り疲れてくれるのでそれを待っていただけだ。
本好きが高じて成績はよかった。答えがあるものは楽だった。
高校の進路相談で都会の進学校を進められたが、金がないので断った。
母は「行きたいなら行ってもいいんだよ」と言ったが、行くわけがないだろ、と思いながら黙っていた。
この頃から学校の先生や友達から「あんたは何を考えているかわからない」と現在も言われるようになる。
中学の時、相変わらず仲良くしてくれていた○○ちゃんが入院したことがあった。
住まいから離れたご実家の病院に入ることになり、そのことを母に告げると、
「妊娠でもしたんじゃないの?あの子は素行が悪いから」(嘲笑)と言った。
さすがに腹が立ったが、黙っていた。
私は○○の母にそれをチクった。
「うちのオカンが妊娠じゃないの?なんて言うんすよーw愚かな母でサーセンwww」的な軽いノリで。
それからすぐに悲しい顔になり「お母さんは愚かなの?」と言った。
どうやら、○○の母は自分の娘がクソビッチ呼ばわりされたことにムカついたらしく、
(その場では何も言わなかった)私の母にクレームの電話を入れたようだった。
私は初めて父の死以外のことで母の前で泣いた。
泣きながら母の問いには首を振った。とんでもないことをしたぞ、と思った。
その頃の母は夜の外出(ママ友達と遊び)が激しくなってきたので
「でも家にもっといてほしい」ということだけをなんとか言った。
家にいる時間は多少増えたが、わたしへの風あたりは当然強くなった。
16歳になった頃、もう母に必要な要件以外言うことは何もなかった。
ただ、衣食住を供給してくれるので家にいるだけだった。
険悪でもなく、仲良くもなく、
母はもともとよくはしゃぐ明るい性格なので、それに適当に付き合っているだけの関係だった。
高校に入ってバイトを始めた。家に金を入れようとは微塵も思わなかった。
このころにはもう子供たちの手もかからなくなっていたので、割と毎日ご機嫌だった。
私も学校ではそれなりに明るくなっていた。
とにかく長いものに巻かれろ精神で適当に調子を合わせておけば、ハブられることもなかった。
部活をやったり好きな先輩がいたりと、とにかく普通の地味な高校生だった。
金のことだけは私はシビアだった。
だが自分で稼ごうとも思わなかった。思いつきもしなかった。
ただひたすら、現状を受け入れガマンしているのが、母との関係の上で自分なりの最善の策だった。
進路の時期、高校出たら働くと言ったら、鬼の形相で「大学は絶対に行け。ただし浪人・私立は行かせられない」と言った。
私は勉強だけは相変わらず得意だったので、けっきょく都心の国公立に入ることになった。
母の元から離れたかった。家が嫌いでも好きでもなかったが、とにかく息苦しかった。
まぁ結局母も私も自分のことしか考えていなかったのだ。
母は口では信用しているから好きにやらせているといいながら、本心では自分が解放されたかったのだと思う。
高2の時、先輩に連れられてバイトを休んでいじめに悩んで不登校になっていた後輩の家に行った。
その子は暗くて太めでメガネで、とにかくいじめられる要素満載だった。
でも私は別に好きでも嫌いでもなく、学校に来るきっかけになればいいなくらいの気持ちで遊びに行ったのだ。
良いことをした、とまでは思わなくても、悪い気持ちではなかった。
家に帰ると母が鬼の形相だった。
どうやらたまたま私のバイト先に行ったようだ。運が悪すぎて笑えた。
「バイト休んで何やってたの」
「友達の家にいってた」
「!!!!!!!!!!!!!!(激昂タイム)
母に説明する気はさらさらなかった。
要約すると、母は自分が恥ずかしい思いをしたこととわたしを信頼していたのに裏切られた、やっぱりあんたは最悪だ、ということを言っていた。
私はまた心を無にして時間が流れるのを待っていた。
そのころにはもう私は自分の意見や好きなこと、嫌いなことを人に言うという行為を失念していた。
ただモヤモヤしたものだけが心の中に渦巻いていたが、表面上はとにかく無気力だった。
大学で私は生まれて初めての何とも言えない開放感を味わった。
ネチネチ言う人は誰もいない、すべてが自分の自由である。
入学金と学費は家庭環境から免除、生活費と学生寮費は奨学金とバイトでまかなった。
最高の気分だった。
私は一気にヤリマンになった。
(見知らぬ人は怖くてデキないヘタレでした)
みんな優しくて明るかった。
私はうれしくて家事をしたり、尽くしまくった。
だがそのうち面倒くさくなったり浮気をされたりで悲しい思いをすることも多かった。
でも、なんだか生きてる感じがした。
女としておしゃれをしたりメイクをしたり、何をしてもネチネチ言ってくる人はいない。
従わなければいけない人がいないというのはこんなに楽しいものかと思った。
この頃から他人と自分の家庭の違いに気付き始めた。
続き
実況肝試しをしよう! 廃モーテル編 1/3
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ゲームの実況は珍しくなくなりましたが、これは珍しいのではないでしょうか。
選ぶ場所は、心霊スポットもありますが、それとは関係の無い単なる廃墟も含まれてます。
これまでに7箇所チャレンジしている作者さん一行。
応援しております。
ちなみに私の地元は福井県ですが、ここで心霊スポットと言えば、東尋坊と雄島。
絶景百選に入っているほど美しい眺めを持つ場所でもあります。
遊覧船ではU字型の崖に近づいて下から眺めることができるそうですが、その景色がそれはそれは素晴らしいんだとか。
昼間に何度か行ったことがありますが、普通にキレイな場所でした。
ただ足場が悪いので転倒にはご注意を。
よく噂される電話ボックスですが、あれは実在します。自殺を食い止めるための措置です。
で、その東尋坊から海を眺めると、ぽっかり浮かぶ緑の島があるんですが、それが雄島。
何キロか離れているので、車で移動するんですが、
雄島入り口には駐車スペースがほとんどなくて、時間帯によっては停めるのに一苦労です。
陸と雄島を結ぶ橋は200メートルほどの長さで、手すりには赤い色が塗られています。
東尋坊で身投げされた遺体がその赤い橋をくぐって雄島に辿り着くと言われているのは潮の流れによるものだそうな。
木の板をトテトテと音を鳴らしながら島へ渡ると、鳥居と石碑があります。
正面の階段を上ると、右と左に分かれ道が……
で、そこでよく、逆回りするとナンタラカンタラ、という噂があるわけですが、
経路の説明は一切無いので、どっちが順回りでどっちが逆回りなのか分かりゃしません。
雄島には、雄島神社、という神社があり、その建物は左の道を行ってすぐのところにあるので、
そこでお参りをしてから島を歩くのが礼に適う、
という意味で左から回るのが順回りだと主張する人もいるようです。
でも最初に行ったとき、そんな話は知らなかったので右の道を取りました。
獣道なんで息が切れるったら…
で、ちょうど半分くらい回れたところで、向こうから参拝客が。
一本道ですれちがうってことは、明らかにどちらかが逆回りですね。もう笑うしかない。
親子連れの団体で小さいお子さんがはしゃぎまわって鬱陶しい…もとい、微笑ましい光景。
結局その経路で回りきりましたが、雄島から戻っても何もトラブルに巻き込まれなかったし、
2度目に行ったときは左の道を取りましたが、やはり何も起こりませんでした。
順回り、逆回りの話は根拠の無い嘘なんでしょうね。
あ、ちなみに、神社にはちゃんとお参りしてますよ。せっかくだし交通安全祈願でも、と思って。
まあそんなわけで、東尋坊と雄島。普通に行く分には普通にいいところですよ。
それよりお土産とかを売ってる店の人たちの無愛想ぶりの方がよほど怖い。
ウズベキスタンもキルギスもふたたびモスクワの家来の道を選んだが。。。
2009年二月現在、ガスの国際価格は1000立方メートルにつき400ドル強。
ウクライナに圧力をかけたロシアは十八日間にわたってパイプラインを止めガス供与を中断したが、1月18日に360ドルで合意した。
ガスは生産価格が謎なので、流通の情報の一部から推定すると、おそらく1000立方メートルにつき300ドルだろう。
1月23日、メドべージェフ大統領はタシュケントに飛んで、カリモフ・ウズベキスタン大統領と会談している。
この結果、ウズベキスタンのガスは全部がロシアに輸出されている。「全部」である。
地政学的に海への出口もなく、カザフスタンと露西亜に挟まれた格好のウズベキスタンとしては他に手がない。とはいえ全てをロシア任せ、つまりロシアの完全な価格統制下にはいったという事態を意味するのだ。
08年の購買価格は160ドル、09年の価格は305ドルで合意、ウズベキスタンの価格はトルクメニスタンのガスを独占しているロシアの思惑よりちょっと高い程度と専門家は見る。
三年前の06年1月1日にもロシアは突如、ウクライナへのガス供給を中断し、値上げ交渉の武器とした。
09年1月にもおなじ暴挙を演じ、18日間、ロシアはガス供給を止めてウクライナを締め上げたことは述べたが、ウクライナから先へ伸びるパイプラインが供給するEU諸国分が激減し、EU諸国が悲鳴をあげた。「プーチンはガス供給の中断を政治的な武器として脅した」と。
▲プーチンの人気に大きな影
欧米の経済危機が深化する中で、ロシアの思惑だったガス価格値上げはうまく機能せず、どちらかといえば中途半端に、今回の恐喝騒ぎは中断した。
「まったく商売の下手な実りなき闘争」という批判がロシア国内にも沸き起こる。
ロシア経済は好況から暗転、目も当てられない惨状となっている。
第一に「ペトロ・エコノミー」と別名されるロシア経済で、GDPの大部分をしめる石油とガスの収入が激減したため財政赤字がGDPの5%に達した。
第二に09年に支払いを迎える対外債務合計は1600億ドル。外貨準備は4000億ドルと言っても08年には、このうちの1300億ドルが海外へ流失し、さらに09年1月第二週だけでも外貨準備から303億ドルが減っている。
第三に経済見通しの暗さ。
09年のロシアGDP成長率は2・4%に落ちるだろう。反面、消費者物価は13%値上がり予測だ。
為替レートは一ドル=24ルーブルが、36に落下。50%もの通貨下落となれば輸入物資の価格が暴騰するだろう。
そこへもってきて中国と露西亜の間を結ぶ石油パイプラインの建設が世界大不況と原油価格暴落の影響をもろにうけて暗礁に乗り上げたようだ。
東シベリアの資源を延々とパイプラインを敷設して、最初は分岐ポイントから中国の大慶を運ぶという計画。その次にパイプラインをさらに延々と敷設しナホトカまで運んで日本向けとするという世紀のプロジェクトが挫折する危機を迎えたのだ。
▲当初見積もりの十倍以上
ESPO(東シベリア・太平洋・石油パイプライン)プロジェクトだが、当初の見積もりより十二倍のコストがかかるらしい。事業主体「トランスネフツ」社のニコライ・トカレフ会長によれば総予算122億ドル(当初見積もりは10億ドルだった)。
第一期工事のスコボロディロから中国の大慶区間は3億ドル。タラカン↑タイシット間1100キロの工事は、すでに83%が完成した。
しかし83%完成という数字はパイプライン敷設だけ、ポンプ拠点は65%しか完成しておらず、難工事区間に至っては27%しか工事が終わっていない。
この区間が完成すれば年間3000万トンが中国向けに輸出される手はずだった。
第二期工事区間はタイシット~フコボロディロで2009年末の完成を目指す。これが出来ると年間8000万トン。
ところが専門筋の見通しによれば2020年までにせいぜい年間5000万トン、その裡の2500万トンがESPOに供給され、残りはロシア側へ運ばれるという。
あまつさえ東シベリアに眠るとされる無尽蔵の資源は、当初予測を大幅に下回り、このプロジェクトはコストに見合わないと露骨に反対するロシア側の学者も出てきた(欧米メジャーが逃げたのは、これが理由だった)。
さらにややこしいのは中国側の事業主体「ペトロチャイナ」社とロシア側事業主体「トランスネフツ」との最終的詰めが成立せず、最終価格、信用枠とくに利子の支払い、中国側の建設主契約を誰にするかなどの問題で、依然として話し合いはもつれ、紛糾を続けている。雲行きはじつに怪しくなっているのだ。
なんか、わたし、ある種の男性を寄せ付けるんです。
「お、お、俺知ってる…フロイトがさ…/ラカンの言うところの…」
しかももう終わった話だからごっつお気軽に土足で踏み込んでくる。
もちつけ、もまいら…。
冷静になれ、私だって本ぐらい読むわ!
家族関係や性的なことを調べるのに近代心理学の影響にある作家の本を読めば
そりゃあフロイト的な体験語りがいっちょ上りでしょうよ。
当事者は、自分自身の言葉で語れない…フェミニズムの基本じゃないか。
それだけだったら別に構わないのですが
そういうお方に限ってのぞくもう一つの感情。
「君はあたまがいいから僕の言ってることわかると思うけど…」
リーチ!そら来た、やれ来た、ゲゲゲのゲ!
「君の不幸にして野蛮な状況から僕が教え導いて救出してあげる。」
キターーーーー(゜∀゜)ーーーーーー!
一発ツモ!
先進国の男性名物・オリエンタリズム(byサイード)ですね、わかります。
て思ったけど、
「上から目線オトコうぜ」ってのに
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。