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ポップカルチャー評論家宇野常寛「ARBはいかにもな90年代Jロック(キリ」オレ「ARBは80年代なんだが」宇野「ぐぬぬ」http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/237067
この人達勘違いしてるよ。宇野氏はポストモダニスト。歴史実証主義への深刻な懐疑が
思想形成の根底にある。
何故彼がこんな挑発的な主張をしたかといったら、歴史実証主義が現代ではもう「無力」だからだよね。
ポストモダン・フェミニストの上野千鶴子は、従軍慰安婦・南京大虐殺論争に加わった時、
なんとウヨク修正主義者を実証的に批判する吉見義明らを批判した。
上野曰く「南京大虐殺はなかった」と主張するウヨクも、あったとするサヨクも、実証主義を使って
そんな土俵でウヨク批判に実証主義者は無力すぎる。それを第三者が見たら、
「ウヨクもサヨクも同様に確からしくない」という印象を持つでしょう。
重要なのは、過去を生きた人の身になって想像しようとする気持ちと、物言わぬ「痕跡」の声に
戦後生まれのアジア人が、日本軍に殺害された被害者の声を想像して代理できるように、
宇野氏も70~90年代当時を生きた日本人として「ARB」を受容し、語ることができる。
ARBを聴いて「いかにもな90年代Jロック」「いかにもな「虚構の時代(by大澤真幸)」のロック」と感じた
彼の感想は、1個の体験的事実であって、この印象を他人が抹消することはできない。
物知り顔で「あの時代の空気は~」って説教垂れる老人は、自分の感じた空気感が正しいと
独断している事がタチが悪い。偏った体験とセンスを持つ1人でしかなくなんの根拠もないのに。
個別の事実よりも、全体として過去がどのような感じであったかを再構築する想像力が重要でしょう。
相対主義の世界で、ロックやアニメといった個々のコミュニティを正当化せずに、
色んなコミュニティを見て周り、その上でニュートラルであろうとする誠実な意思が必要でしょう。
閉じたコミュニティからの偏見剥き出しの批判に意味はないでしょう。
正しさは正しくあろうとした人物を、未来の人々が正しく判断するでしょう。
横だけど、ある創作作品の「予定された読者」とは誰か? という問題は、普遍的で、かつ「答がない」ことに一定の共通理解のあるテーマ。
「一般読者」というと、予備知識のない素人の集団がその大半だが、そういう「素人に受けたい」と思って創作するクリエイターは確かに少ないかもしれない。「とにかく売れるのが偉い」と豪語する人もいるので、「素人向け」を狙う創作者が皆無というわけでもない。一方、「通」とか「評論家」のために創作するわけでもない。大多数の創作者は、ある種の「ファン」とか、頭の中で自分と何かを「共有できる人」とか向けに創作している、と想定しておおむね間違いはないと思う。ただし、一旦作品が世に出た以上、その「読まれ方」について作家の意図が最優先されるというものでもない。売れないクリエイターが世相を皮肉るつもりで作った軽薄な作品が、かえって軽薄な世相にマッチしてバカ売れ…その年を代表するような作品に…ということもある。この場合、何が「正しい」とも「間違っている」とも言えない。
また、評論家のために創作して「いけない」とも限らない。たとえば半可通なセミプロ作家が、共通理解を半可通に向けて創作することはよくあることだし、デビュー以前に同人誌という形でそういうことをやるのを責めるというほどのこともない。ただ、全部ひっくるめても、「楽屋落ち」というのは一般に「詰まらない」ことの代名詞ではある。
だから、その意味で個人的には「ブラックジャック創作秘話」が評価されるのも、「バクマン」が評価されるのも、2011漫画界の貧しい風景だなあ、と思って見てはいる。
いずれにせよこういう話は創作界隈ならどこにでもある話なので、元増田が言ってることが分からないとすると、個人的には、分からない方がちょっと勉強不足なのではないかと思う。
「あの企業の入社試験に、あのひとが答えたなら」から一部改変して引用。
1:聞き手が「こういうことをやっているのか、面白そうだからあって話を聞いてみよう」と思わせられる要素を中に入れておく
2:小論文は全部、評論ではなく自己PRのためにやっている。学生は評論家ではない。抽象的な問題には、「私にとっての○○」という枠を意識することで、オリジナルな答えを導ける。
3:学生の文章は一文一文が長くなりがちで、読み返さないとわからないことが多い。ワンセンテンスを短くしてテンポよく受け取れるように。
4:抽象的で小難しい言葉は使わない。あなた自身と周りの人みんながわかるような言葉を使う。
5:「会いたいな」という発想か、「ここが聞きたいな」と思わせる体験を入れておく(小論文内で語りきろうとしない)。そうすると、面接の時に、自分の売りとなるキラーコンテンツを引っ張り出してもらえる。
6:企業は字で人柄を見る。「手書きだからこそ出来るPR方法がたくさんある」ことを意識しておく。(手書き履歴書の問題などで、条件反射的に企業バッシングなどをしてしまう思考停止気味の人は注意)
7:自己PRの三原則は「ならではの話」「だからの話」「立体的な話」。これらを意識的に盛り込むこと。9割の学生はこれすら出来てない。
(「ならでは」=自分自身が持っている話。絶対に自分しか経験していないようなこと。
「だから」 =こんなことをやってきたから今のこれにつながっている、という話。ビフォーアフターを伝える。
ただし、ありきたりなバイト体験などは「ならでは」を満たしてない。これだけを意識するのはNG.
「立体的に」=具体的に見えるような話。聞き手が共感できるレベルまで話を浮かび上がらせること)
8:主張は言葉ではなくて内容でするもの。「私には忍耐力があります」と伝えたい場合、言葉でそのまま書くのはバカ。
その忍耐力を事実で示して、「あ、こいつ忍耐力あるな」と聞き手に思わせる。
9:問題を通じて、独自性と自己紹介の両方を表現する。独自性を少し入れて、オリジナリティもアピールして、
最後にまとめとして自己紹介を重ねるという形が基本。最初に自己紹介をしても何も伝わらない。
10:自分の強み弱みは、一歩引いた広い視点で考える。自分のひとりよがりではダメで、
聞き手が興味をもつような内容に。
・・・なんというか、味気ないなー。
この本に載ってる「実例」はすごいものばかりなんだけれど、
達人の技を箇条書きにしてまとめるとこんなに味気がなくてつまらないものになるのか、と驚く。
可能なら、こういう箇条書きとかまとめの本を読むんじゃなくて、達人の技を直接見るのが良いと思う。
誰かオススメ知らんかね。
文学が文壇から降りてポップ化しただのしないだの的な内容のちょっと前の評論を昨日たまたま読んでいて、それからずっと気になっている。
場がWebとなるとある意味ポップ化とかいうレベルじゃない感じなところあるよね?
そういうの拾ってる人っているの? ニコニコ動画文化論とかになっちゃうの?
いや、アスキーアートとかWebコミックのが読みたいんだけど。
もっと絞って言うと例えば『クラクラモクラン』とか『胎界主』みたいなのの位置付けが知りたいんだけど。
っていうかアレか、形式がWebってだけでコンテンツ自体はさして新形式でもないのでーみたいな感じなのか。胎界主とかは。
内容についての言及は結構見る。面白いよね。続きが超気になる。
続きと同じくらいあの物語の位置付けが気になる。いや完結してないから今位置付けてもどうしようもないだろうけど。
文学はさあ、アレじゃん。なんか俺の知らないとこで青春文学とかミステリ小説とか恋愛小説とかの定義がいろいろ出来たり消えたりしてるんじゃん?
そういうの、ないの? 何か。誰か。
お前の説明読んでるだけでもつまんなさがぷんぷんするけど
だいたい「もしドラ腐しで1時間」ってだけでしつこすぎてうんざりするわ
あったかいのはお前のおつむだよ
いくらもしドラが「無条件で馬鹿にしていいもの」扱いになってるつったって
自分でカケラも見ていない物について評論家がねちっこく馬鹿にしてる様子を
1時間もニタニタと見てられるってほんとうに気持ち悪いウスノロ脳みそだな
前から思ってたけど
町山クラスタってのは本当に
「あんまりセンスが無いけど尖ったセンスに憧れてる」みたいな奴等の集いだよな
「さすが町山さん!」って掛け声かけるタイミングを計ってるだけのザコの群れ
日垣いじりだってなんだよ
日垣がぶっこわれてるのなんか町山親分がいじりだすよりずっとまえに好事家は気付いてしっとりと味わってたよ
親分にへばりついた周回遅れ集団がラッパプープー吹きながら拾いあげて
グチャグチャグチャグチャいじりながら「さすが町山さん!」とかやってる
頭おかしくなってる奴と口喧嘩して次々に矛盾を指摘して打ち負かして、それが何の手柄なのかわからん
みんなが決して直には触れずに楽しんでたものを後から来てベタベタ触って手柄顔のヤボテンさん達
ほんとにやることなすこと垢抜けない田舎もんみたいな集団だよ
つまり広義の「サブカル」っていうのか、そのあたりの連中が本当に寒い
アニメオタク以下のセンスしかないのに「センスのいい人間」に憧れて
その中で特に映画クラスタはみんなちょっと町山親分を意識して無頼風の毒舌キャラを決めながら
やることなすこと面白くない
ブログ書いてるなら書く記事書く記事つまんねえ
親分の知遇を得てるわけでもないくせに
みんなで「町山さん」て呼ぶのがまたキモい
昨日見たテレビの話しながら「紳助さんがさ…」なんていう奴いねーだろ
プロレスオタクが一部のくたばったレスラーを語るときさん付けで呼ぶ(「馬場さん」)のと同種のキモさ
っていうか人種がどっか共通してるだろ
そういうセンス悪い同士の似たような仲間でつるんで
しじゅう町山親分の”活躍”をわがことのように得意顔で論じながら
でも実際は頭も口も回んないから
親分が弱いのを選んでは大げさにぶちのめす会場に集まって
「さすが町山さん!」てそればっかり
いつまで町山親分のケツの匂いを嗅ぎ飽きないんだあの無頼芸風の羊の群れは
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111125#p1
ぼくたちはつい○○○という社会現象と、「人々が離婚をしたがらなくなった」という一人ひとりの考え方や気持ちの変化に置き換えてしまうんだ。そして、そういうふうに問いを置き換えてしまっていることに気がついていない
ぼくは社会現象について、一人ひとりの心に原因があると考える直感的な理解を「心でっかち」な考え方と呼んでいます。いろんな社会現象を理解するために、とりあえずすべてを心の問題として置き換えるところから出発して、なぜそんな心の問題が生まれたんだろうと考えるやり方です。
多くの場合、「心でっかち」は、それほど目立たないかたちで私たちの常識の中に入り込んで、私たちが現実を見る目を微妙に曇らせてしまう。その結果、私たちは社会を正しく捉えることができなくなり、見当違いのやり方で社会問題の解決をはかるようになってしまいます。「頭でっかち」の典型は現場を知らない学者先生ですが、「心でっかち」の典型は、誰にでも受け入れられるようなもっともらしい「説教」を垂れ流している一部の評論家の人たちですね。とくに、現代社会の問題をすべて「心の問題」で説明できると考えている人たちです。
そして、これまで「心の問題」だと思い込まれていたことの多くが、統計的なイメージ操作や、「先入観を植え付けられることにより、みんなが雪崩をうって、その傾向を強めていくこと」によってつくられているのだ
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20111124/1322071507
なにが「俺たちの」インターネットを破壊したのかっていったら、そりゃ人数ですわね。ふつうの人たちが増えたっていう。「俺たちの」インターネットっていびつ極まりないもので、異形の人たちが奏でるあたまおかしい音楽を、それを求める人たちが必死で追いかけてたような、そんな時代があったわけです。真性さんマジキチ扱いされてるよ。なに言ってるかわかんないらしい。絶望的な社会不適格者が社会とのあいだで起こす軋轢のぎぃぎぃという音。それが聞こえない人たちがいっぱいいるらしいよ。びっくりだね。インターネットは変わった。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/11/post-474d.html
知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどっかのトンデモ経済学者の奴隷だ。虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文殴り書き学者からその狂信的な発想を得ている。
いろいろと繋がってるなー。
見ました。
振り子のようにそうとうつをりかえす。
誰でもそうだ。
それはあるかもしれない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、日常生活なら未婚ならなんとか、社会生活(職場)ではごまかせないんだな。
病気とは気づかれることはまずない。だからって言ってはいけない。差別の怖さだ。
自殺者が3万人超えた、職場のメンタルヘルスについて今はやってるから、
【ちょっと過呼吸なんです】ってごまかせばいいんだよ。ほんとはもっと重いのか?実は軽いのか?
自分では・・・・・おろか、10年通った 超一流大学の博士号の精神科医ですら見抜けないなにか・・・・
前の医者で薬漬けにされてしまった後遺症かどうかわからない・・・・。
前の医者はひどかった。何かにつけて薬だった・・・・。私にも原因はある。その薬で一時的に楽になるからだ。
だから、もっと増やせ!!!!!!!と要望する。前の医者はホイホイ増やす。。。。
私はうまくいくしかし、ロレツがもう回らない。そして、おかしいと職場に気づかれたのだ。。。。。。。
私は何年自宅で2ちゃんや自己啓発、倫理的裏サイトを見ただろうか・・・・・・
行をたくさんあけるとやばいって某ネット評論家みたいな人が言った。何行あけたとかは教育評論家がプロフの統計でもしらべよや・・・・・・・・・・・・・・・
私はネット評論家の上もいってる。あなたたちが経験したことがない世界を見た。
そして、あなたが見ることであろうこともない世界も見た。ボンボン学者様には絶対わからんのだよ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ただ、私はそれをわかりやすく一般の人に伝えることができないのだ。それができたなら学者になれるんだよね。
超一流大の学者が10分話して珍しいケースであるとはいうんだけれど、私の知能の高さ???????????????
学者でお医者をだましてただ楽になる薬を手に入れようとは思わない。
テクノ・ハウス・トランス・エレクトロ・エレクトロニカ・アンビエント・ビッグビート・ポストロックと電子音楽も、今となってはジャズやロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義が結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。
ちなみに書いている人は元テクノ少年のテクノ中年のシロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。
電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルやパンクやオルタナティブを包括するのがロック、フリージャズやスウィングジャズやハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカもアンビエントもトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである。
よくある批判(?)として「中田ヤスタカはテクノじゃない」「小室哲哉はテクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリの番組で、ユーロビートは日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスやデリック・メイ、ケビン・サンダースの創設した「デトロイトテクノ」からの派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義は意味が無いと思う。
デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージック。リズムマシンとシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーなメロディやピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカ。テクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。
上記に上げたようにホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダースがデトロイトで創設したジャンル。トランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人・ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイトの黒人が始めた音楽である。
ハウスとテクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。
音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの。久石譲のsummerとか坂本龍一の戦場のメリークリスマスなんかがそう。
これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェやサロン、美術館でかかっているような音楽。或いはクラブでチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ、細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。
ハウスやデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンル。ハウス+テクノ+ファンクという形で成立。ポップでキャッチーなメロディで賑やかな感じ。
たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノやアンビエントからの派生ジャンル。キャッチーなメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。
ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドやプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。
ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽。トランス・ハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。
テクノ歌謡、シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージック。キャッチーなメロディラインとヴォーカル。1980年代の小中学生や流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMO、クラフトワーク。Perfume。現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球やケン・イシイ、デリック・メイなんかは影響を公言している。
これこそ未だによく分からんジャンル。ポストロックのポストはポストモダンのポストと考えると分かりやすい。
こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。
踊れる ↑ ドラムンベース | トランス ユーロビート デトロイトテクノ ハウス | エレクトロ ドリルンベース | |ビッグビート 難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易 | エレクトロニカ | テクノポップ アンビエント| | | | テクノ歌謡 ポストロック ↓ 踊れない
あとこのジャンルのミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。
というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。
余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーのイメージのほうが日本では大きいような気がする。
ハウス:オシャレ
トランス:チャラい
こんな感じ。
id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメで評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。
id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか?
id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。
なるほど。思えば確かに、現代社会で自発の「れる」って、単なる自発というよりは、主体を消すために使われているのだな。典型的なのが2chでよく使われる「思われ」って奴。
あれは、「そう『思う』けど、それはオレが勝手に思ってるんじゃなくて、自然とそう思わずにはいられないような状況があるから、つまり誰だってそう思うものだよね、ね」という共感の依頼・押し売りのために用いられてるんだよね。「思う」と書くと「テメーがそう思ってるだけだ」と返されるから「思われ」と書く。そうすると
・自然にそう思っちゃったんだから、反論されてもどーしよーもないしなー
・それぐらい自然に思っちゃうほど、オレが言ってることは客観的に正しいんだよねー
と、主張&反論封じを同時に行えるわけ。
実に便利な、言い換えればヒキョーな言い回しとして、場の「空気」をコントロールするために用いられているようなのが、今日の「自発」の最大の用例で、そう考えると、ニュースや評論家の「悔やま『れ』ます」にイラっとくる増田がいるのも分かる気がする。
問題認識は分った。でも、じゃあどうすればいいの?
とっても良いことを言っているのに、
「その良いことを実現するのはぼくらの役目だ!」で終わってたら、なんか残念ってか無意味ってか。
何か建設的な感じがする分、実際の具体性の乏しさが目立つ気がする。
ガス抜きをするのであれば、むしろこれは愚痴ですとか泣き言ですって言ってくれたほうがすっきりするし、
そういう苦しさの吐露っていうのもとても大切なことだと思う。
だけれど、このエントリの気にかかるところは、どうすればいいのかという点がすごく薄いってことなんだよね。
日々の心がけを変えるだけでも、何もしないよりはマシだっていうのはあるのかとは思うけれど。
うん、はっきりぶっちゃけちゃえば、なんかこの人、実際に行動するような雰囲気が見当たらないの。
むしろ、思いっきり現場にいるくせに、自分が何か変えてやろうという気持ちを持とうとしてない。
どこか、俺には無理だって思っている節さえ見当たる。
問題意識は、これ以上ないってくらい持っているみたいだけれど。
もしかしたらあれかな、俺の屍を超えていけ、とか思ってるのかな。
閉塞感にヤられちゃっているのは十分わかるけれど、
少なくとももう少し、自分にできることを少しでも試みてみようとかしないのかな。
上司に少し人事のことについて相談してみるとか、同僚と改善策を話しあってみるとか。
…問題意識は持っているけど何もしてくれない人ってものすごい苦しみを他人に与えるよ。
善意を持っている分、余計に。
はてな上の活動で有名になった連中の年収が低い訳を知りたいですか?
知りたくない人はもうこの記事を読む必要はありません。他のタブに移動してください。
さて本題に。
つまり彼ら優秀なはてな村民の年収が低いのは仕事がそんなに出来ないからなのです。
なぜこれほどまでにはてなで有名になった人達にも関わらずお仕事ができないのか。
その辺を噛み砕いてお教え致しましょう。
彼ら優秀なエリートはてな村民がなぜここまで目立つのかわかりますか?
ただそれだけな話
普通の優秀な人間は他に活躍の場があるのでネットでの活動時間をさほど割かない
エリートはてな民は他に活躍の場が無いのでネットでの活動時間を割きまくる
彼らは「暇」で「他に活躍の場が無い」ことから生じる「ネットでの圧倒的な活動時間の量」を武器にネットで目立っているわけです。
ビジネスや芸術や政治など、ホンマもんの厳しい世界では相当にシビアな世間の目に晒されます。
もし10の事業を起こして8の事業を何とか成功させたとします。
しかし、もし残りの2つの事業で失敗したらどうなると思います?
下手したら首をくくらないといけない。これは例えじゃなく中小企業で個人保証かけてるところなら本当に首を吊らないといけない。
5つの作品を成功させても、1つ大失敗かませば大いに名誉が失墜する。
彼らは圧倒的な物量作戦から生み出されたネット活動履歴のうち、それなりにまともな事を言っているのは僅かに過ぎません。
しかし個人のネット上の活動をそこまでシビアに見る習慣が無い為に、彼らの名誉は失墜しないだけなのです。
サッカーや野球やゴルフなど影響力の大きいスポーツで存在感を示すのは相当な才能が必要とされます。
それに対してゲートボールみたいに競争など存在しないスポーツで存在感を示すのは楽です。
つまり競争が激しくなればなるほど、上に行くのは大変なのです。当たり前の話ですね。
この広くて複雑化した世界では大変重要でかつ論じる人口が多いジャンルが数多存在します。
そういった分野で活動されるジャーナリストや作家、評論家は仕事の質が年収に直結するのは容易に想像できます。
それに対して優秀なはてな村民が常日頃論じている内容を見てみましょう。
・無断リンク禁止論
・観測範囲
ようするに彼らが日々頑張って頑張って人よりも遥かに努力と時間を費やして論じている内容は、中学生でも興味を持たない下らないレベルだってことなんです。政治やビジネスや経済や芸術など、普遍的で価値があり多くの人に影響を与えるようなジャンルは当然評論家の数も多く質も高い為に、えてして競争が激しい訳です。優秀なはてな村民は、そういうところでは全く目立てないばかりに、超ニッチで全く世界に影響を与えない下らなく低レベルなジャンルで活動しているわけです。
だから一応目立つ。このくだらない世界に参戦する人がいないから、一応馬鹿なりに目立つ。
でも彼らがひとたび競争の激しい世界に足を踏み入れたらどうなるかもうお分かりですね。
けちょんけちょんです。全く誰にも相手にされない。当然仕事なんて人並みにしかできないし、収入も上がらない。
優秀なはてな村民が実社会で活躍できない理由を説明しましたが皆さん納得されましたか?
もし納得できない人は優秀な はてな村民になりうる可能性を秘めているので頑張ってください。
そしてこの記事は実は若くて未来のある学生さん向けに書いたものです。
はてなやtwitterなんかで目立っても何にもならないですよ。なんの実益も得られない。競争が無いに等しいからです。
安易な方向に人生を向かわせてはいけません。もっと厳しいジャンルで目立ちましょう。そうしないと40になった時にぼろいマンションの一室で激しく後悔することになります。
厳しい道のりを経て、他人との競争を経て、挫折を繰り返して、どうか高い山に登ってください。
優秀なはてな村民のように、誰からも認知されていない無名の山に毎日登って悦に浸るさびしい人生を送らないように。
それでは失礼します。
参考)
反応感謝。おかげで論の穴や新しい観点が見えてきて面白い。この問題をより突き詰めたら「現代オタク論」とでも呼べる議論ができるんじゃないか。
ってか疲れてきたから真面目口調やめていいよね? あと眠くなってきたから寝る前に四点だけ言わせてくれ。
起きたら練り直して反論するかもしれない。しないかもしれない。
カオスラウンジには覚悟が足りない。他者の作品を切り刻んだり水をかけたり踏みつけたりといった具合に破壊しようとする時点で、相当数の作者から少なからぬ反発を受けるであろうことは容易に想像できる。それでも、彼らがその信念に基づき、他者と和睦的対話を取ることなく、その作品を勝手に使うのであれば、作者からの批判に甘んじて受け入れなければならない。それができないのであれば、彼らの(括弧書きの)「アート」活動は児戯にも劣るただの慰みであり、他者=社会からの逃げに等しい。
そして、カオスラウンジの創作物には、言わば「オーラ」がない。たとえ他者の作品を勝手に使おうとも、彼らの創作物が強烈なオーラ、すなわち批評性・メッセージ性・インパクトなどの人の心を動かす力を備えていれば、それは勝手に使われた作品の作者にも受け入れられる可能性がある。しかし、カオスラウンジを賞賛する声は批評家や評論家などから上がるのみで、勝手に使われた作品の作者からは賞賛の言葉は全く聞こえてこない。これは、カオスラウンジの作品がその作者たちに受け入れられなかった、すなわちオーラがなかったことの証左に他ならない。
カオスラウンジが真に取るべきだった態度は「他人の作品は勝手に使うよ。作者からの批判だって? お前ら全員、俺のアートを見てからモノ言いやがれ!(ドヤァ」であった。同時に、その態度に見合うだけの作品を提示するべきであった。現実にはそのような作品はひとつも提示されず、自らは「望まれない存在」だとして活動拠点のひとつであるpixivを退会した。彼らが今回の騒動で初めて自らを「望まれない存在」と自覚したのであれば、勝手に使われた作品の作者に対する想像力に欠けていると言わざるを得ないし、既にその自覚があったのであれば、作者からの批判を甘受することができない、逃げの言葉であると言わざるを得ない。