はてなキーワード: 証明とは
1万人以上のフォロワーを誇るアルファツイッタラーのあさこってぃ(@asakotty)と、
および、10万以上のフォロワーを誇るネカマツイドルのしゅうまいまい(@shuumaimaimai)が、
名言botの画像とつぶやき方を丸パクリした悪質のスパムアカウント(@meigen_together)に
自身のアフィリエイトリンクを付けてつぶやいていました。全て同一人物です。
※現在は@meigen_togetherが削除されました。
twitterで簡単に金儲けできる方法見つけたwww
1 :ローカルルール・名前欄変更議論中@自治スレ:2012/01/20(金) 01:01:56.70 ID:fjWtEHcf0
名言botを丸パクリしてアフィリエイト貼るだけwwwwww
俺天才wwwwww
http://twitter.com/together_meigen (本家)
http://twitter.com/meigen_together (パクリ)
http://2chspa.com/thread/news4vip/1326988916
ちなみにアフィリエイトIDを含んだAmazonリンクを踏むと、
これはあまりに悪質な手口なのでどうか辞めてもらいたいです。
しゅうまいまいとあさこってぃのアカウントの持ち主は悪質スパムを運営していたのです。
金を稼ぐにはバカを騙すのが楽だと思っていたけれど、バカって相手にするだけで疲れるから、ある意味正当な報酬なのかもしれない
asakotty/あさこってぃ 2012-02-02 20:30:13 http://favotter.net/status.php?id=165034282551738370
と、このアカウントの持ち主は日頃から「バカを騙して儲ける」という発言をしていましたが、
それがこのスパムアカウントだったとはやはりセンスがあると思いました。
ソースの記事はこちら。
「バカを騙して儲ける方法 もしくはアフィリエイトIDがつないだ絆」
http://anond.hatelabo.jp/20120207184515
ちなみにスパムアカウントであるツイッター名言(@meigen_together)は、
以前は発言主すら明記していませんでした。
(http://twittaku.info/view.php?id=151353656913035265)
(http://twittaku.info/view.php?id=151322383364530176)
彼がどうやってこのスパムアカウントの知名度を上げたかというと、
人気になってきたらリムーブを開始するという徹底ぶり。
もしくは私の探偵の能力が凄いのか。どっちでもいいですが事実は事実。
皆さんもスパムアカウントを運用するときはアフィリエイトIDの使い回しにご注意を!
さいごに。彼のつぶやきは本当に面白いですので、是非フォローしてみて下さい。
あと本家の名言botもこれ(http://d.hatena.ne.jp/kamatarokugatu/20120208/1328698701)を読むと分かりやすいのですが、
産業構造が昔と大きく違っている中で、「道徳を涵養していけば、道徳に忠実にやってくれる人が多くなる」
と思うのは見当違いです。とくに若者はそんなことは考えていませんから、処方箋をいくら出しても、
強制でもする以外、そうはならないでしょう。強制すれば、また違う害が出てくることは明らかですから、強制もできません。
「こういうのがいいんだ」とわかっていても、そうはできないし、そのとおりにはならないのが現在の大きな問題なのです。
やる人がいないし、耳を貸す人もいません。もしいてもそれは少数だけで、根本的な解決にはならないでしょう。
長く人生を生き、戦前・戦中・戦後と一定の視点で人間というものを見ていると、どうも人間というのは、なかなか向上しない、
立派になりにくい宿命を背負った存在ではないかと思うことがあります。戦争のような大きな悪の中では、
個人個人は倫理的で善良になり、平和の中では個人個人が凶悪になっていくという矛盾があります。
かえって人間としては時代を経るにつれて低下していくような気がしないでもありません。戦争中から比べると、
現在はご飯を満足に食べられ、家柄や男女にかかわらず行きたい大学に行け、やりたい仕事に就ける夢のような時代になったはずです。
しかし、欲望がすべて満たされたら満たされたで、人間はまた悩み始めているのかもしれません。
あれほど未来性を持ったマルクスのような人でさえ、人類がこのような時代に直面するとは予期していませんでした。
世界の現状や個々人の考え方や生き方がこうまで問題の多いものになるとは思っていなかったと思います。
いまの状態は、社会主義国だと言っている国も、資本主義国だと言っている国も
そう変わりばえのあるようなことをしているわけではありません。ひと昔前に声高に論争しあった思想や政治システムといったものよりも、
人間性や人間の本質のようなものが生み出すものや、人間性そのものが問われる時代になっているのではないでしょうか。
そういうことを考えていくと、現代は人類がかつて体験したことのないまったく新しい状態まできているということになります。
もしかすると、これから先、歴史の繰り返し以上に人類はだめになる危険性もあります。
残念ながら誰の考えをたどっていっても、こうまでは考えていなかったろうと思います。これから先のことは、
自分たちで新しく考えていくより仕方ありません。
よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代に対処する方法はないように思います。
これは、科学的に社会のことを考えてきた人も想像していなかったろうと思います。そこが現在の一番の問題かもしれません。
一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。
いいか悪いかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてきません。考え方の微細な筋道をたどっていかないと、
解決の糸口を見失ってしまうでしょう。
何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは
吉本隆明「真贋」より
「三人でいるときは、ずっと三人のままだよ…
二人でも、一人でもないよ。必ず三人だよ。
…そういうことじゃ、だめかな?」
「…あたしや北原にまで、毎年ずっと、
そんなままごとを続けろっていうのか?
相手のこと…恋人のことすら何も考えてない、
「確かに、わたしの身勝手だけど。
わたし一人が思い描いてる、夢だけど。
でも仕方ないよ…
(中略)
「そこまでいうならさ…証明してみせて
永遠の友情を。」
◆冬馬かずさ
<冬馬…俺…初めて会った時から、
ずっとお前のことが好きだったよ。>
・お前って、嘘をついたり、わざと焦らしたりして、
相手の出方を待つような奴じゃないよな?
・仕方ないだろ。
・あたしと全然違う二人が、
やっぱり…………害なんか、ないよ
・恩なんて、あたしはそんなもの売った覚えはない。
恩だなんて…感じて欲しくない。
・とにかく今はさ…思い出したいんだ。
こんなあたしでも、きっと昔は、
・…約束はできないよ、雪菜。
・今の男はあたしを正反対にしたようなやつだし。
・そうなんだよ…
なのに今のあたしは何やってんだろ?
・ホント、雪菜にはかなわない。
雪菜には、一生勝てそうにないよ。
・な、北原。
色々と…ありがとうな
・その言葉…忘れないよ
◆小木曾雪菜
<俺たちは、自他ともに認める、
・他人にどう言われたっていい。
人に言われたくらいで揺らぐような恋はしてないから。
でもさ…
冬馬さんとだけは、価値観を共有してるって信じてる
無駄だよ。
・冬馬さんは他人とは違うでしょ…
・かずさが男の子だったらよかったのになあっ
そしたら…そしたらね…っ
きっとわたし、かずさも春希くんも好きになっちゃって
やっぱり酷い女の子になってたって思う
・心配なんだよ春希くん。
誰よりもかずさのことが。…わたしよりもさ。
・うん、すごく嬉しい。
わたしのためじゃないけど、わたしたちのためだから。
・春希くんは、かずさに全然恩を返しきれてないって、
そう、思ってるんだよ。
(中略)
春希くんは、かずさのこと、神様みたいに思ってる。
・ずっと、こうしていたいね…
・ね、どうしよう?
わたし、春希くんと付き合い始めて、
どんどん悪いコになってきてるよ…?
…春希くんのためなら、もっと踏み外せるって、
そんなこと、おもっちゃってるよ?
<俺は、誰に対しても嘘はつかない。
誰に対しても、誠実でいる。
さっき、そう誓ったばかりだ>
<今まで通り、なんにも変わらない。
俺たち…三人のままだって>
俺さえ吹っ切れば、
みんな笑って、この時間が続いていくんだ>
http://anond.hatelabo.jp/20120203232802
別の人が回答してるけれど、私が元増田ね。私は人に国語力うんぬんとかまではいわないよ。
まず最初に。
勝間さんの論調は、あなたが言ってるような「結婚するために結婚」じゃあないよ。
彼女はむしろそれには否定的だと思う。実際に離婚3回もしてそれを堂々と世に言うくらいだからね。
結婚の価値を世間よりは低く見ているけれど、結婚をすることで得られる価値も認めている。
恋愛や結婚にはその程度の価値しかない「が」、逆に言えば一定の価値はあるからやらないと損はするということのようです。
じゃあなんで勝間さんは、結婚に対して「たいした価値はない」みたいな言い方をするかというと、
まず勝間さんが想定している「一般的な価値観」があって、それに対してちょっと待て、って言いたいようです。
勝間さんが考えるには、一般的には、恋愛というのはオンリーワンとか貴重なものとされ、
そこには思い入れやベッタリ感情がのった取り組みがすばらしいものとされてる、と。
そこに夢をいだいて、そこが人生のゴールであるかのように錯覚して、思う存分はしゃげみたいな
煽り系のバカ雑誌に踊らされてんじゃねーよボケってことが言いたいのかもしれないですね。
だから、そんなたいしたもんじゃねーよ。結婚なんか、所詮・・・・程度の価値しかないってのと言う。
結婚にムダに価値を置きすぎて頑張るから、結婚した後も捨てるのがもったいなくてしがみつくんだよ、と。
結婚を続けること自体に価値を置くから、駄目なら離婚って武器をもって交渉できない、カイゼンしようとしない。
そういう馬鹿な夫婦は見ているとイライラするから死ね、というかなり独立志向が強い考え方のようです。
まぁそうでなくても、勝間さんは最初から、常に何らかの仮想敵を立てて、
自分はそれに立ち向かう勇者だぞ賢者だぞってスタンスで本を書き続けてるから、そういう前知識はあったほうがいいかもね。
(自分自身を勇者にしようとするスタンスが流行らなくなってるのに方向性変えないあたり、たぶん元々の気質なんだと思う)
ただね・・・ここまで文脈を考えなくても、
「思い入れするほどの価値がない」=「機械的に処理してしまうべき」ってそれほどおかしな論理ではないと思うけれどどうかな?
もちろん、大した価値がないなら、機械的でもなんでもやるんじゃなくてやめてしまえば?っていう論理も否定はしないが
勝間さんに限って言えば、そこまで完全に価値は否定してないみたいですね。
むしろ、人脈力の証明やただでセックスできることにそれなりに価値をオイてるってことで。
納得していただけましたか?
その気になれば伴侶が見つけられる、という人脈や、人探しの能力の証明と
セックスがただで出来るようになると言う価値があるから結婚しろと書いてるんだろ。
読解力大丈夫か?
分からないのは君の結婚に関する価値観じゃなくて、勝間和代のそれだよ?
と言いながら
言っている。
"その程度の価値しかない"なら何故わざわざ"システマチックに恋人やら結婚相手探しを"するの?と。
件の本を読めと言われればそれまでなのですが。
恋愛とか結婚にどの程度の価値付けをしているかのところは興味深い内容だった。
その気になれば伴侶が見つけられる、という人脈や、人探しの能力の証明と
あとはセックスがただで出来るようになる、その程度の価値しかない、と。
だから、システマチックに恋人やら結婚相手探しをして、さっさと結婚してしまえ、と。
で、ダメだったら、さっさとやめて、もっと良い条件で探せばいい、その程度のものだと。
結婚なんかに絶対的な価値をおいて、あーだこーだ理想化してるやつは馬鹿だ真面目の罠だと。
同感どいうわけではないが、ひとつの考え方として素晴らしいと思った。
その考えと行動が一致しているというのがさらにポイント高い。
(自分の行動の結果を正当化しようとしてこういう本を書いたという見方が正しいのだろうけれどそこはツッコまない)
実際、今日昼のテレビで「ヒルナンデス」という番組をやっているのを観てて思ったんだが、
ぶっちゃけ、最近のテレビって、庶民に新しい何かを提供するって機能を完全に放棄して、
今まで恋人とか家庭の価値だった部分にずかずか踏み込んできて、掠め取ろうとしてるよね。
なんで昼から他人のキャッキャウフフ見なきゃいけないんだと思うけれど、
あれって多分擬似的にでも内側に入り込んだ感覚をモテルなら相当楽しいんだろうな。
視聴者からすれば、テレビのキャッキャウフフと、目の前の異性やら家族やらとの付き合いで
どっちが楽しいかを選択できる状態になってきてる。
ぶっちゃけ、普通の人間が、金にも話術にも優れたテレビの人間と勝負して勝てますか、と。
というより、AKBに限らず、こんだけ視聴者に媚びまくってくれるテレビがあることを考えたら、
それと比較して、恋人とか家庭とかを苦労して持っても、割に見合わないよね。
恋愛とか家庭の価値ってもういろんなところにアウトソースサれまくってるし、
余計な幻想抱かなければ、実質的な価値って勝間和代が言ってる内容くらいしかないんじゃないかな。
個人的に結婚したい相手はいるのだが、正直、「得るもの」を期待してやるもんじゃねーな、と。
どっちかというと、単に相手が好きだからいっしょにいたいとかそういう話であって、
公開番号:特許公開2007-259699
要約:
【課題】ダークマターは-273℃の空間で自転している電気のラブと陽子のラブではないだろうか。太陽には、どうして惑星の合計質量の700倍もの水素とヘリュウムが存在するのか。宇宙背景放射の光子の軌道エネルギーはいくらか。
【解決手段】太陽の原始星のジェット噴射である光子が、その場の温度を高くし、ダークマターである自転する電子のラブと陽子のラブは公転し水素に成った。この水素が太陽の原始星に集まり、太陽ができたと考える。太陽の原始星が噴出する光子はどこまで飛ぶかを考える。そこに、小惑星が存在する事によってダークマターは電子のラブと陽子のラブであることが証明される。宇宙背景輻射の公転軌道エネルギーは、ビッグバンの光子が137億光年の距離を飛行するあいだに弱まったと考える。
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-138.html
まず、自分の意見が正しいか正しくないか(合理性)だけしか考えてないですね。自分の意見はこんなに正しいんだーってことを強弁するだけ。
さらにいえば、正しさだけにこだわるのは、「正しいかどうかは人の立場や物の見方によって変わる」ということが全く理解できてないってことでもある
要するに、自分にとっての正しさを、延々と立場の違う他人に受け入れろ、という議論を展開するわけです。
この人はもう手遅れとして、これを悪いケースとして、幼稚な意見の述べ方から脱出する方法を考えましょう。
仕事をする時、物事を動かすときに最も必要になるのは何か。2つあります。
もう一つはものごとについてのメリット・デメリットを両方考えてみる事です。
相手のことを考えてみるといってもこういうのは違います。
「この会社だけでなく、色々な企業を見てくださいね」と優しく就活生に語りかける癖に、実際には「手書きのエントリーシートだと時間がとられて、他の企業の説明会に参加しにくくなる?いやいや、本当にうちの会社に入りたいなら手書きででもエントリーシート書けるでしょ?さっさと書け」というようなメッセージを就活生にぶつけている。これでよく「社会人」を名乗っているなと常々思っている。自分の会社に応募してきた学生すら苦しめてるくせに「社会のために頑張って働いてます!」というような善人面はしないでいただきたい。
これは自分の考えを押し付けているだけです。真剣に考えて見た結果がこれならまぁ、そういう思考をする人がお似合いの舞台で頑張ってください。
こういう思考をもてる人間であればほんの少しかんがえただけでわかることですが、
企業側には手書きの履歴書には合理性があります。 デメリットもありますがそれ以上に効率が良い部分が大きい。
そして、学生側でも「レベルが低い学生であればあるほど」効率性が悪いどころか大きなメリットがあります。
そういった点とデメリットを比較して、デメリットが大きい人達を探していきます。
・考えなしにバカスカエントリーして一日2つも3つも対応しなければならない企業がある人
・履歴そのものが自分を雄弁に語ってくれため、デジタル情報で一切構わない人
・ドラッカーのように字が致命的に汚く、どれだけ努力しても直せない人
・毎日mixiやtwitterや社会人批判のブログに時間を費やし就職活動に割く時間が足りない馬鹿学生
くらいでしょう。この人達をいかに核にして、そこから浮動票をうまく巻き込んで物事を変えていくか考えないといけないわけです。
togetterで時々この話題になった時、多くの人を巻き込んでいるのは「履歴そのものが自分を雄弁に語ってくれため、デジタル情報で一切構わない人」のタイプの人ですね。
彼らがそう言ってるから自分もなんとなく手描きは大変だし反対だ、位の学生が多いですが、扇動されているにも気づかないとかお馬鹿さんですね!
業界全体として、「手書きの履歴書が悪い」などという乱暴な理論は到底当てはまりません。
少なくとも、合理性や理屈の名において、この件を変えようと思っているのであれば、それは阿呆だと言えます。
できるだけ議論の対象を具体的に絞る、そしてできるだけ数で語る。
実際にアンケートをとって、どの程度の人がそれを望んでいるのか確認する。
まずは選択適用から推進して、手書き履歴書を望む人が少ないため採用に不都合が出ることを証明できればいいのです。
あと、本当に心の底から思うんですが、履歴書ってそんな大した話ですかね?
企業に不満を持つにせよ、もっと大事なところに疑問を持ったりしないの?
頭の良い人が、企業の問題を本質的に掴んで、そこに人を巻き込むためのわかりやすい切り口として履歴書問題を取り上げるってのはわかる。
でも、特にそういうことを考えてない人が、ドヤ顔で履歴書問題について論じているのを見ると、怒りと言うか憐れみすら感じるんですが。
ごめん、偉そうなことを書いたけれど、俺の説明ダメダメだわ。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120126
言いたいことは全く同じなんだが、説明のわかりやすさのレベルがぜんぜん違う。
抽象化しつつ、プロセスとSHは詳細化しろって、言うやすし行うは難し。
私は抽象化はできるけれど、それと並行してプロセスとSHを分解するってのができなんだ。
このくらいの説明がすっと書けるようになりたい。
あんま読んでないけど。
要するに、相当早い段階で最大被害額の1/10(今回なら5億とかだな)くらい身銭切って対策打たないとダメなんだよね。
意思決定者:
「リスクゼロっていう保障がないと絶対現状を変えたくないもん!」
「現状を続けた場合のリスク?だったら現状を続けた場合に絶対に(←リスクゼロ(笑))損失が出るって証明してよ!」
「証明できないの?だったら現状続けた方がいいよねw変えた方が絶対に(←リスクゼロ(笑))得するって証明もできないみたいだし。」
という現象がほぼ確実に発生して、下の人間は絶望して辞めるか心を病むか思考停止して社畜になることを選ぶかのどれかになる。
そして組織は馬鹿と社畜の集合体となり、何となく全体の空気っぽいもので決まった感じがする「現状」をただ追随するだけの集団となる。
大爆発して実際に損失が発生すれば「絶対に損する」ことが分かったことになるから、そこで初めて現状を変えるという意思決定ができるようになるw
外見を気にするつもりなら四の五の言わずにコンタクトにするべき。
それぐらいの努力もしたくないならそもそも何度も何度も人に相談する資格が無い。
おしゃれをしようとか人に見てもらう為に写真を撮ろうっていうのに
いつ見ても無表情なのが気持ち悪い。
発達障害かなんかでなければ成人なりの表情ぐらい作ろう。
それとは別に
例えば笑顔で「はてなで相談中」という日付入りの紙持った写真を撮ってアップするとか。
元増田の頭部の造形だけど
顔の毛が薄くて頬骨や顎は腫れ上がった感じ、表情の無い極細の一重…
ってこれは全体的に朝鮮半島の顔つきだと思う。
ていうかなんでお前らは貼ってるのが本人だと信じ込んでるわけ?
まずはその証明を求めた方がいいと思うが、悪意で無関係な人が晒されてる恐れもある以上
12月下旬に請求した、ソフトバンクから送られてくるはずの書類が
2週間過ぎても送られてこなくて、157に問い合わせたら、登録住所が誤っていて返送されてきたとのこと。住所変更は電話でしたし、確認もしたのに。登録者の誤りとしか思えない。
住所を訂正し、再配送をお願いした。これは約10日はかかるとのこと。(前回も聞いてる)
さて、10日経ってもまだ届かない。
もう一度157に問い合わせする。
この件については責任者に代わってもらう事となり、2日かかり電話がかかってきたのが昨日。
責任者は「発送手続きは今月11日ちゃんと行われているから、郵便局に尋ねろと」のこと。
いや、だから10日過ぎてるよ、郵便局に責任転嫁しちゃったよ。
そもそも11日に発送されてるなら、郵便物が10日もかかるわけない。その辺りきくと
「発送業務はこちらで行っていないから、郵便物として投函された事を証明する手立てはない」
どうも別の部署で準備を行いそれで10日前後かかるらしい。なるほどね。
そしてその書類は早急に必要なもの。もうこれ以上待てない。請求してから1ヶ月以上は待ってる。
責任者はもう一度発送準備を行うのが解決法だというが、それだとまた10日待たなければいけない。
早急に欲しい旨を伝えても、これ以外の方法はないといい、「申し訳ありません」と平謝り。
「私も会社員ですから、会社の規則に背く訳にはいかない」頭にくる。
いやいやいや。いやいやいや。そんな事言われても。そらあんたの都合だろ。
トラブルを柔軟に解決するのがあんたのいうところの「責任者」だろ。
マニュアルに無い事はできないの?責任者なのに?名ばかりの責任者????
2回目請求時に届けば、住所誤りについての責任追及などしなかった。
今回も迅速に対応してくれればこんなに腹が立つ思いはしなかった。
責任者なら10日かかる発送の作業を1日に縮める手続きぐらい行えるだろ。
そんなに難しい事いってる?会社の規則?言い訳じゃないの。これは例外なんじゃないの?
請求してから1ヶ月も待ってるのよ??必要なのよ??
おいおいおいおいおい。そんな暇あるなら明日あんたが書類作成して郵便局言って発送しろよ!
ていうかそれを判断できる部署があるなら最初から言えよ!時間無駄にしたわ!
途中でボツ。 もうちょっと具体的事例とかわかりやすさとか考慮シないといけない。私自身勉強が足りない。
橋下さんは学者の意見を実効性がないとか現場を知らぬ机上論といって批判するが、学者が機能できないのはあなたのせいです
森岡孝二が6年前に出版した『働きすぎの時代』にたいして、「働きすぎの要因の考察については「よくわかる」が、働きすぎ防止の指針については「実効性に欠ける」という」批判があったという。本書にたいしても、同じような批判があるかもしれない。しかし、それを大学の研究者に言うのは酷である。「実効性に欠ける」のは、そもそも就職協定を守らない、企業のコンプライアンスの根本が問われるようなことを考慮に入れなければならない現状があるからだ。多少なりとも「守ってくれる」なら、研究者としてももっと違った対応の仕方がある。
このチェックを受けることを拒否し、はなっからルールのことなんて考えずに好き勝手に振る舞う政治家に学者ができることなどない。
もしそれに置いて役に立つ学者がいるのだとしたら、それは学者という肩書きだけ持ってるが、学者としての仕事をしていない人である。
ルールを守らないモヒカンにどもが「ルールの話なんかいいから野球やろうぜ!」と言われたら、審判は仕事などできないのだ。
御用学者を好む人間には、まともな学者など何の貢献もできないし、原則としてゃ領分を越えてルール無視に加担すべきではない。外側でみんながルールに気づくのを待つしかない。
そもそも繰り返される現場重視のフレーズが、典型的に日本人ビジネスマンの勘違いにうまく便乗していていやらしい。
「現場力」やら「現場第一主義」という言葉に対する根強い誤解は何とかしなければいけない。
日本の、この手の勉強に熱心でないサラリーマンは、文字ヅラだけ観て、あるいは自分たちに有利だからと積極的に誤読をする。
現場主義って言葉の意味を聞いたらどういうふうに解釈するか100人にアンケートをとってみたら
「トップは現場を知らない。そんな奴のいうことを聞かなくてもいい」「現場の意見こそが絶対」「現場を知ってる奴vが偉い」などと都合の良い解釈をするのだろう。
これは非常によろしくないことだと思う。
この手の「現場は偉い」思想の誤解は2点ある。
問題と顧客をうまく取り扱うために、間接的に現場で働く人間が大事にされることはあるが、現場の人間が大切にされることは目的ではない。
現場の人間がこれを勘違いして、自己の主観で好き勝手にして、結果として問題と顧客の扱いを誤るなら、その人は現場を知ってる「だけ」であり無能である。
あくまで、現場において問題と顧客をよく理解し、彼らのために何ができるかを提示できる人が現場力のある人である。
極論すれば、現場に一度も顔を運んだことがなくても、これが出来る人がいるなあ、その人が最も現場を知っている人である。
橋下さんの今までの発言を見ていると、全然現場力がある人には見えない。(ただし「それ以上に」大阪の教育委員会などは現場力が低いこともあわせて指摘しておく)
目糞が鼻糞を笑っている状態なのに、私は現場を知っていると言われても正直ひくわ。
トップが考えるべきことと現場の人間が考えるべきことは、単にレベルが違うというものではなく、考え方の性質そのものが違う。
「現場がこうだからトップの政策はこうなりました」というものではない。
「あなたは現場を知らないから頓珍漢な政策批判をする」という主張は論理的に成立しない。
とにかく、現場に正義も、絶対的な権利もないのに、あれだけ自信たっぷりに喋ってれば
なぜかマスコミは「こっちが勝ち組だ」と誤解して尻馬に乗り、マスコミの報道は片面的だからすでに勝敗が決したかのように報道されてしまうと。
学者の意見について実効性がないと批判するのはある種日本のお家芸であるが、これはアメリカだったらただの無能の証明である。