はてなキーワード: 宗教とは
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120213/1329141809
非常に興味深い記事。
まぁ「洗脳」とか「ウェット」とか「気持ち悪い」ってコメントがたくさんつくだろうなーと思ったら
というわけで、この人はコメント欄も含めて記事作りにこだわりがあるんだなーと好感をもった。
きっと非表示のコメントがたくさんあることだろう。
もちろんブログはコメント欄まで含めて作者のものなので、このこだわりを否定するつもりはない。
こうした話を聞いて宗教的、と感じた人は多いと思う。それは間違いではない。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA4F_ha/a4fhc200.html
「ユダヤ商法」や「ビートルズのビジネス戦略」といった本で語られている話によると、
彼らは宗教と商売を区別しない。むしろ積極的に宗教的な知恵をマネジメントにも接客にも活用する。
創業者の著書「スターバックス成功物語」にはあまり宗教の影響は語られていないが、
そこで提起されている「サード・プレイス」という考え方は、
自身の幼少時における体験が大いに影響しているのではないかと考えられる。
ユダヤ商法については、ダンキン・ドーナツや、シェル石油の逸話はアメリカでは非常にポピュラーらしいが、今回の記事のように、従業員も、客すらも、共同体や家族の一員としてみなして大事に扱うことに特徴がある。
年功序列のような儒教チックな要素は全くなく、能力や成果を重視する。
同期で入ったものをペアとして、二人三脚で協力し、競い合わせることで成長を促す。
その上で下のものの成績が振るわないときは、部下ではなく目上の者の責任となる。
だから、上の人間は必死で下の人間を教育する。部下の悩みや行き詰まりを把握して助けるのは当然。
・・・などなど、そういう教えがタルムードにあるらしいが詳しくは知らない。
ウェットで、人のつながりを重視するマネジメントスタイルになりがちであるそうだ。
とはいっても、神の教えやら、空想的な権威に服従を求めたりはしない、らしい。
私はユダヤ商法を否定しない。むしろ、積極的に日本人も見習うべき点があると思う。
ただ、もちろん、日本人には日本人のやり方があるだろうから、うまく変化させて取り入れるべきだろう。
特に今の若い人はウェットな関係を嫌う傾向があるように感じる。おそらく、親や教師などの駄目な大人を見過ぎたせいだろう。無神経で、年上というだけで偉そうにして、それでいて能力的にも人格的にもクソみたいなやつから、一方的に介入を受け続けて、ウェットな関係に嫌気が指しているのだと思う。
気持はすごくよく分かるのだが、だからといって、無条件で目上の人間との関わりや、共同体的な関係を否定し、個人主義に走るのもよくない。うまくいくやり方、自分にあったやり方を考えて、いろいろと工夫してみる必要があると思う。
(無難な締めくくりになるが、自分でも結論が出てないのでこのくらいで勘弁を)
「作る側」「管理する側」に寄り過ぎた思想であり、
「消費者側」「従業員側」の目線がかけすぎている。時代の変化に対応できず、機能不全になりつつある日本教を無理に維持しようとするものである。
こういうのは、積極的に拒否していけばいい。
違うところはないだろうか。自分たちの仕事に生かせる要素はないだろうか、
そんな風に少し考えてみると、面白いかもしれない。
大学院では研究というものを学んできたわけですが、それにより、ニュースで良く出る「○○を新発見した研究が発表され、論文誌に載った」といった話の裏がちょっと見えるようになりました。理系の話です。
大学の研究者は基本的に税金で研究費と給料をもらっているわけですが、実績を出す必要があります。実績というのは簡単には雑誌に掲載された論文数、学会での発表数などです。自分の立場を守ったり生活していくために、色々手を尽くすわけです。
論文を載せる雑誌には、有名なところだとサイエンスやネイチャーがありますが、そのほかにも数え切れないほどの雑誌があります。論文を雑誌に投稿するときには査定があり、査定者からここを直せだとかここ間違ってるんじゃないとか言われて、修正をかけたりして、受理されると掲載されます。雑誌によってその査定の程度は違いますし、信頼できる研究しか載せないお堅い雑誌やら、インパクトのある面白そうな論文ならOKという雑誌もあります。したがって、雑誌に掲載されたからといって、それらが全て正しいことを言っているわけではありません。雑誌のレベルが高いほど信頼性が高まる程度の認識が適切だと思います。
研究者は実績を積むために、内輪で雑誌を1冊出したり、自分の手が届く程度の雑誌に一杯投稿したり、研究費を取りやすい研究テーマ(いまだと温暖化とか太陽電池とか)に絡めたりして、どうにかして稼ごうとします。なので、特にレベルが高いと言われる雑誌以外では、恣意的な議論や不適切な条件設定であることも多いです。
新しい研究成果が発表された、というのは、その研究者がそれを主張しているだけであり、認められたということではありません。雑誌に掲載された、というのも同じです。
そのような、他人の主張が正しいか否かを判断するのは自分自身であり、そのためにはその分野についてしっかりと勉強する必要があります。勉強をせずに感覚だけで判断を下すことはできません。一々勉強していられるかと思うかもしれませんが、多くの学問は繋がっていることもあり、勉強を積み重ねていくと、今まで知らなかったことを学ぶのが容易になってきます。
世の中、センセーショナルなものはお金になります。自分に判断する力がないと、お金を稼ぎたい人の手のひらで踊らされることになります。あるいは、洗脳的な言葉や宗教等にハマってしまうことにも繋がります。
広く勉強することとある分野を深く勉強することで、情報を鵜呑みにせずに自分で判断できるようになり、そうなる必要がある、ということが大学院で実感として学べました。
信頼は「お互い様」だから、まずはとにかく相手を信頼してみることだと思う。
信頼には信頼が帰ってくるから。
逆に言えば、相手を信頼する気持ちがなければ信頼は得られないから。
だから、「この人なら好きになれそうかな」って人を見つけたら、その人を信頼してみる。そして、その人を知ろうとしてみる。
そうすれば次第に相手もこちらを信頼してくれるようになるし、そもそもそれが円滑な人間関係の秘訣だと思うですね。
けど、完全に信用できる(ように見える)人って言うのも凄く怖いと思うけど。そんな人怪しい宗教の教祖様的な人しかいないような。
あなたみたいな人は共依存や何かに陥りやすいから、そこらへんも注意ですね。
世の中に自分より不幸な人がいないと、自分の幸せを実感できないよね。
「(世の中には天涯孤独の人もいるのに)私は家族に囲まれて幸せだ」
「(世の中には飢えて死ぬ人もいるのに)私は腹いっぱいご飯が食べられて幸せだ」
「(世の中には誰からも愛されない人もいるのに)私は彼/彼女に愛されて幸せだ」
「(世の中には神を信じず不幸になって地獄に堕ちる人もいるのに)私は神を信じられて幸せだ」
という感じで、自分より不幸になる人がいることを信じた結果。
「この幸せがずっと続けばいいのに」というのも、「世の中の誰かがずっと私より不幸であればいいのに」ってことだよね。
直接自分と関係ある人じゃなくても、地球の裏側あたりで自分より不幸な人がいるだけで、
「(地球の裏側のあの人達に比べたら)私はなんて幸せなんだろう」って思うし、
生まれた国や家庭で不幸が固定されたら、自分がその人達のように不幸になることはないから、ずっと幸せでいられる。
http://anond.hatelabo.jp/20120201161059
朝4時起き→奉仕と朝5時おき→集会とかいろいろオプションがあるらしいよ。
というか、みんなにあわせて無理にでも参加しようとする。それがまた嫌な所。
早起きがいいにしても無理したら意味ないだろうに、ここの人たちはそういうの考えない。
あ、ちなみになんで詳しいかというと、うちの母親がこれに入って家でだいぶ揉めたから。
これに入会してから母親が早起きは絶対的に良いと根拠もなく信じちゃって、
夜遅くまで働いていることが多い父は体調を崩し、それでも無理強いしそうになったのでだいぶ喧嘩になった。
活動が悪くないにしても、その活動に一度依存し始めると周りの人に迷惑をかけ始める。
そういう問題については「それは家庭の問題ですから」という態度で、ケアがあまい。
もちろん家庭の問題なんだけれど、実際あんたらのところに入って問題起きた結果にその態度かということで、
無理やりやめさせて、それでまた家族の関係が悪くなったりと、色々と関係をズタズタになった。
さびしいとか暇を持て余している主婦が、子供の受験期とか家庭の悩み事を抱えてるとどうやって嗅ぎつけるのか、タイミングよく勧誘が来る。
んで、そういう人は、宗教じゃ救われないというか、救われようとして過剰にのめり込んじゃうだけで悪化する。
私はこれで宗教が嫌いになったね。あまりにも強引すぎるでしょう?
早起きなんか、出来るやつというか、向いてる奴とかやりたいやつがやればいいじゃん。
意外と知らない人がいるので書いておくと
「朝起会」ってのがあります。「実践倫理宏正会」って団体の入り口みたいな感じね。
全国に1300カ所以上に拠点があり、会員数も50万人くらいだという話です。
深入りしなければそんなに悪い団体ではないです。
というより、田舎にいけばわかりますが、ゆるい宗教をベースにした共同体というのは基本です。
宗教と全く無縁なのは、三大都市圏とあと福岡くらいだと思います。
田舎というのは下手をすると家庭や親族内で閉鎖的なしきたりを作ってしまうため、
むしろ、こういう宗教が、親族以外の付き合いを担保することで、なんとか人々をガラパゴス化するのを留めてきたという経緯もあります。
最近むしろ、田舎町でこの宗教の存在感が急速に薄れていることで
20代から30代で親になる人達の道徳観が急速に低下していると問題になってるくらい。
ちょっと迷惑な会員がいるけれど、それは団体そのものが悪いってわけじゃないしね。
「朝起きは何となくいいものなんだ」「ビジネス書でもさんざん進めてるし」と、
知らぬ間にこの朝起き会やら、あと幸福の科学の関連団体に入っちゃってることが私の身の回りで立て続けに起こりました。
彼らは彼らで、特に団体の活動にのめり込んだり、とかいうことはないみたいなのですが、
なんとなく断りづらくて会報を毎月とったり、身内の人に会報を配るみたいなことはやってるようです。
早朝のボランティアなども、自分の意思に反して、付き合いで参加するようなことが多く、あまり楽しくないとも言ってました。
どうも、みんな朝起き関係の活動がきっかけのようなんですね。
繰り返しになりますが、私は別に朝起き会とか実践倫理宏正会が悪いというつもりはありません。
ただ、知らないでなんとなく入っちゃったら、お互いにとって不孝なことになるので、知らない人は気をつけてねって言いたいだけ
わからない。
僕は何にも切羽詰まっていないので自殺するつもりはない。
年間に自殺する人が3万人いて、20代、30代の死因の1位が自殺っていうのを聞いて
由々しきことだなあと思った。
自殺しちゃダメって教わったことないけれど、ダメなんだろうとなんとなく思っている。
自分に関して言えば、親が生きてるうちは自分で死ぬなんて考えちゃいけないと思っている。
裏を返せば、親がいなければ自殺していいって思っているということなのだけれど。
「生きてるのつまんなかったり、つらいことがあるなら死ぬのもありじゃん!」
っていうのにもなんでかわからないけど抵抗がある。
「命はそもそも自分のものじゃない、神様のものだろが!勝手に死ぬとか許されると思ってんの?あっ!?」
って感じらしい。
全く救いになってねえ。
そもそも宗教だから、信仰するもしないも自由だからそれで自殺しないって思える人がいるならOKなんだけど。
みんながわかる自殺しちゃいけない理由ってあるのかな?
一生の問題
君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?
問題は常に付きまとう。
問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。
小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。
住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で
「○○君が通学路破りをしていました。」
なんて問題にされる。
確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。
勿論、中学は中学で自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。
常に問題はつきまとう。
高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。
係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。
我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?
結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。
いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。
問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。
しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?
否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。
そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御しコントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?
自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。
しかしいくら自分で設定した問題とはいえ過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正に補正を重ねられた道であるからだ。
だからそう、君も一つでいい
この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか?
それはトンデモない事でいい、トレーニングで一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。
大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。
とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。
生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。
僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。
“知る”楽しみ 何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である
“想う”楽しみ 何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像、創造する事も快感だ。
“伝える”楽しみ そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある
“忘れる”楽しみ かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい。
なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが
一生、問題は続く
そして、楽ではないのは問題があるからではなく
問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。
かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる
“先が見えてしまう”
というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分の人生を早送りしたくなる。
もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから。
そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。
結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。
いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・
ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?
時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない
あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら
時間が見えてくるかもしれないww
そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!
だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。
遅い時も早い時も、その時の自分の時間の感じ方を楽しんでみようよ
そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない
@awaikumo
テレビ見てたら右翼・左翼が相変わらず間違った定義で使われていてゲンナリ。右翼or左翼って、正しくは保守or革新のことであって、ソーシャルorリベラルのことじゃない(から左右どちらでもありえる)。保守は名前の通り、古くから続くものを重視する価値観で、既存のものを積極的により良く変えようとするのが革新。社会的な連帯を重視するのがソーシャル、個人の自由を重視するのがリベラル。
更にややこしいことに、この4象限は政治的なものと経済的なもので分かれている。「保守」の立ち位置は各国の歴史によって異なるが、日本の場合、政治的には天皇制支持・親米反共・アンチ人権重視、経済的にはアンチ自由競争 がそれぞれ「保守」。数年前に流行したポリティカルコンパスがクソだったのは、「保守」の立ち位置が歴史に依存することを分かってなかったことと、保守or革新とソーシャルorリベラルをごっちゃにしてたこと。
ということで橋下大阪市長は、政治的にはソーシャル保守、経済的にはリベラル革新(左翼)。タイトルで左翼と書いたのはそういうこと(半分釣り)。日本のいわゆる「左翼」は、政治的にはリベラル革新、経済的にはソーシャル保守で、橋下さんとは見事に正反対。というか時間系列的に、橋下さんがアンチ左翼といったほうが正確か。小泉元首相は、政治的にはリベラル保守、経済的にはリベラル革新かな。
日本の政治のどうしようもなさの主原因は、橋下さんにしても「左翼」側にしても、というか今の日本の政治家の8割方が、政治的と経済的でソーシャル・リベラルが異なってることじゃないかと思ってる。アメリカがまだ健全なのは、ソーシャル・リベラルが重複率がヨーロッパよりは結構低いけど日本よりはずっと高いこと。クルーグマンは両方でソーシャルだし、フリードマンは両方でリベラル、オバマは中道からややソーシャル寄り、マンキューは中道からリベラルより。
※アメリカでも共和党本流(保守派)は政治的ソーシャル・経済的リベラルで、ロムニー以外の候補がマジキチばっかりなのがそのため
ソーシャルとリベラルって、方法論的に根幹で矛盾するから、本気でやろうとするとどちらかに統一せざるを得ないはずなんだよね。もしくは宗教化して矛盾したままゴリ押しするか。アンチ"経済的ソーシャル"な私が小泉元首相は支持しても橋下大阪市長を支持しないのは、橋下さんの本質はソーシャルにある気がするから。小泉元首相は一応中道右派ってことになってるけど、どう見てもアンチソーシャルだからね。
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
http://verieoffice.web.fc2.com/MOSHI_DORA_chart.pdf
ドラッカーの引用部分だけつなげてみたら意外といい本のように思えてきた。
実際、序盤の意味不明な定義と納得できないイノベーションの部分を除いて、150ページあたりまでは面白い本だと思います。
後半はもうどうしようもないけど。ドラッカーからの引用が急になくなり、作者が自分で文章を書き始めるあたりから
急に宗教みたいな話になってきて、話の展開も色々とおかしくなってきます。そっから先は読む必要なし。
それでも、物語と一緒にドラッカーの引用部分に接していく、という部分はかなりいいと思うんだ。
あとは物語に引きずられずに、物語中で接したドラッカーの引用部分を復習すると良いかと。
一度言葉に接することができた後は、物語部分はゴミと思っておけば良いです。 使い方さえ間違え無ければいい本です。
あと2点ほど捕捉。
1つめ。ドラッカー自身が野球チームのマネジメントに語ってる本があります。「未来への決断」ね。
そこではもしドラのような小手先の変化をイノベーションと呼ぶみたいなヘボい話ではなく
野球部としての定義を問うた結果、根本的な組織変革を成し遂げ、大きな成果をあげた事例が載ってる。
現実は小説よりなんとやらである。引用するには長いので自分で読んでください。
でも、もしドラはあくまで一つの物語を通してドラッカーの理論を紹介することが目的だから、
もしドラが野球部の物語としてはヘボいといっても、そこは問題ではないと考える。
2つめ。ドラッカーはマネジメントにおいて、常にエグゼクティブの話をしてるのであって、マネジャーの話はしてない。
主人公がマネジャーという言葉からマネジメントを連想してドラッカーの本にいきあたったというエピソードはおもしろいのだが
それならなおさら、ドラッカーはマネジャーについて語ってなどいない、ということを早い段階で強調すべきだったと思う。
言葉について言うならば、私は「マネジャー」という言葉をあまり使いたくない。自ずと「部下」を思い起こさせるからだ。
わたしとしては「エグゼクティブ」という言葉を多く使ってもらいたい。
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http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/48216/all
by 匿名さん 2009-07-07 18:42:00
子犬の鳴き声よりも太鼓叩いている住人いますよね?時間関係なく…
by 匿名さん 2009-07-07 21:02:00
太鼓?何階ですか?
以前にも掲示板でドラム叩く人がいるって書き込みがありましたが。それとは別なんですかね。
そうです?そんな感じの音!多分高層階の人
太鼓かどうか分かりませんが、リズムよく音というか「ズンズン」って感じで聞こえる時があります。結構夜中ですよね。
家は上の階の人がまだ引越しして来ていないときに聞こえましたから大分広範囲に響いているのだと思います。
高層階です。
現在午前1時半?
祭りの太鼓なのかかなり迷惑なずんずんと響く音をならしているのはどこだ?
いい加減にしろ???
でていけ?
夜に太鼓なのかなんなのかしらないけど、うるせぇんだよ!
太鼓の音って南棟ですか?東棟ですか?
by 住民 2009-09-15 16:08:52
多分東棟じゃないですかねぇ?かなり時間無制限でやってますよね?前から気になってたんですけど。でも響くとなると南棟なんですかねぇ?
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/72652/all
by 住人 2010-05-15 01:51:39
太鼓かドラムかドンドンなってるのうるさいって前いってましたよねぇ!わかりましたよー
14階に南千住の有名な寺の住職さん、笑っていいともに出てたおかまっぽい住職知りません?
どうしますかねぇ?
お坊さんの太鼓、どうにかならないですかねぇ?自分の寺でやれよ!
太鼓?なんですかね。かなり響きますね。はっきり言って迷惑です。
この際、部屋番号を明らかにして抗議することが必要なのではないでしょうか。
御仏に使える身で、挨拶が出来ないとは…
あぁ。おねえの坊さん挨拶しないよね。
by マンション住民さん 2011-06-26 15:38:34
坊主に毛頭w
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.shoenzan.com/index.html
この場所にあるマンションの一室に「水無昭善阿闍梨」の「祥炎山不動院東京道場」があります。
http://earthjp.net/mercury/1102270020.html
久慈市での評判
(うちのお母さんも、水○さんが、ブランド品いっぱい買いまくってるの見て、チャンネル変えてました。 )
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/2258/1302627562/l50
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-e5ed.html
http://anond.hatelabo.jp/20120107124653
まぁ1話と最終話だけ見たんだけど、最終話はみんな気持ち悪いくらいの絶賛の声しかなかったので残り見なくてよかったかもしれない。
なんかみんなが神ゲー神ゲー言うからそんなによかったかなー、みんなほんとにプレイしたのかなー、みたいなことを考えながら観てた
もちろんみんなが楽しんでるところに水を刺すようなコメントを書くほどアホではないが。正直ドン引きだったよ
1話ではめちゃくちゃ荒れとるね。逆に最後まで行くとものすごい一体感が醸成されて宗教みたいな空間になってる。
まあじぶんでやらずに最後までだるい実況を一生懸命見てるんだから、
ゲームを楽しみたいと言うよりは、みんなで何かよくわからんものを共有して恍惚に浸りたいんだろうな。
ソーシャルゲーム以外でもこいつらに金払わせる方法っていくらでもあるんじゃないのかな。