はてなキーワード: 幽霊とは
平坂読はわりと西尾維新なので、表面的には癒し系でも中身はめちゃ殺伐としてるよ。
「俺妹」が読めるなら「はがない」も十分に楽しめると思う。特に最新刊。
「空パン」読んだあとは「丘ルトロジック」を。
アサウラの「バニラ」が良かったなら木ノ歌詠(瑞智士記)の「幽霊列車とこんぺい糖」を読むべき。
秋山瑞人はたぶん読んでるだろうけど、読んでなかったら「イリヤ」を。
あとは中村恵里加とか。
ああ、浅井ラボを忘れてた。
「スキあらば病む」というか「スキがあれば壊れる」というか、薄氷を踏むように日常を過ごすやつがぐーなのです。
ついでに主人公の狂気が伝染したり悪意を呼び寄せたりするとなおよし。CARNIVALのパーフェクトエンディングとか大好きです。
どうあがいても絶望、みたいな作品が読みたい。もっと絶望したい。いや自分はしたくないから絶望してるひとを眺めたい。
死を直接的に道具につかわずに(究極的にはつながっているけど)絶望を描ける作品はないだろうか。ラノベでなくてもいいのでプリーズ。
とりあえず「はがない」はあわなさそうなのでやめました。
主人公がまとも&臆病で周りだけが残念な話については、はてなとかtogetterで間に合ってます。
というかこの類型でハルヒを超える作品があると思わんし。(ここ釣りポイントネ)
http://anond.hatelabo.jp/20111119082328
これは感想というか、はがないがこういうふう作品だったら読むという妄想。せっかくの設定が癒し系になってるのはもったいない。
もうこの作品が俺的に面白くなるためには、もうちょっと人数増やしてバトルロワイヤルするしか無いと思っている。
俺の妹がこんなに可愛いわけがないは、作品の展開はともかく、私の妄想に適した設定なので面白い。殺しあえー。
今は空色パンデミックとギフテッドを読んでる。
パンデミックは設定読んで期待してる。まだいろいろ足りないけど、病状が悪化していくという設定があるため期待が高まる。俺的にはゆっくりとまーちゃんを創り上げて行って欲しいんだけれど、絶対俺の期待は裏切られるんだろうな。あれ、絶望してるのは俺?
ココロコネクトはピンチではあるけど、抜け道がありそうな(結末がポジティブで終わりそうな)感満載で乗り切れない。
ラノベじゃないけど桂明日香作品(神話ポンチとか)はもうちょっと盛り上がれば私好みなんやけんど尺たりねー。
略称が俺ガイルなのかはまちなのかはっきりしない奴は、ちょっと主人公が残念さに自覚的すぎるのが微妙だけど、まぁあり。
(^ω^)は私にとって不要な要素が多すぎるという難点に目をつぶれば、とても私好み。良い感じで絶望感が漂っています。まぁ規模が大きすぎて読み手に直接ズシンと来ないけど、雰囲気は大好き。私のスキな要素だけ抽出したエッセンシャル版が欲しい。
怪物王女は展開が全然進まないから読むの中断したけどいまどうなってんの-。
読むのが足りない。やっぱり古橋さんの作品に頼るしかないんかしらという状況。古橋作品さえなければそもそもラノベにはまったりしなかったのにくそう。
そう言えば、ベン・トーの作者さまは、ベン・トーの前にはなかなか面白いの書いてるじゃないですか。私の好みにかなり近いです。
森田季節様にも期待してるけどいまんところちょっと違う。なんなんだろうなぁ。
応答。オススメありがとうございます。
さやのうたはすごい期待したけどなんかダメだった。というか最初から詰み終わっていて、そのあとは蛇足って感じしかしない。私は絶望に至る過程がみたいのであって、絶望の向こうはどうでもいい。絶望は確認するものではなく、その侵食と抗い、最終的に負けるまでの間に何かを考えさせてくれるものだと思ってる。純愛とかどうでもいい。というかめちゃくちゃあれのどこが純愛か分からん、むしろ不純だと思う。
中村恵里加は大好物。ただ、ダブブリは後半がイマイチ好きじゃない前半は大好き。ソウルアンダーテイカーのほうがすきかも。
イリヤは絶望というよりは無力感みたいな感じでちょっと肩透かしだったかも。男舐められすぎじゃね?
「幽霊列車とこんぺい糖」と「丘ルトロジック」頂きます。扇智史と浅井ラボはチェックします。
十文字青は薔薇のマリアが全然肌に合わなかったけどそれ以外にオススメある?
はがない、さすがに読まずに語るのも限界あるみたいなので、あえて最新刊だけ読んで感想書きます。間の保管よろしく。
まとめ。
えーと今のところ。はがない7⇒幽霊列車⇒丘ルト⇒塔の町⇒いつも、心に剣をのじゅんで読んでいく予定。割り込みオススメ募集。
実は月10冊ペースくらいでしか読めない&積んどくあるので感想遅れそうですがご了承ください。
幽霊がいる いない の話ではなくて
というハナシ。
で、当然「実際放射線・放射性物質ともに検出されてるんだからあるんだろう」
という返事が帰ってくるんでついでに
放射性物質の拡散具合や濃度・半減期を考えれば、避なければならないもの・場所はおおまかに分かるはずである。
問題は、知識が足りないので判断がつかず、恐れすぎるあまりに過剰に放射性物質・放射線に反応して大騒ぎする。
その大騒ぎをなだめたり付き合うのに疲れる というハナシ。
さて、一つ質問。3/12以前に 放射性物質 放射線 放射能 電磁波 波長 α線 ベータ線 ガンマ線 半減期 同位体 原子量 中性子 核分裂 臨界 臨界量
このうちの一つでもきちんと説明できないのに原子力発電に反対していたのなら
信号が赤で止まれ の意味すら知らず交通安全の話をするのと同じぐらいの無知である。
チェルノブイリで甲状腺ガンが多発したのは、ヨウ素の放射性同位体を大量に摂取したからだ。
「セシウムの放射性同位体」が「食物を通して摂取」されて、「どのような危険があるのか」有意なデータは無いからな?
じゃ、セシウムはどこに取り込まれるんだ?
普通にしてりゃ、クソとして出てくよ。
事故直後のヨウ素にしたって、日本人は海草を多量に食べるから、治療のため甲状腺に放射性同位体を蓄積させようとしても大変なんだ。
そもそもが、大気圏内核実験やってる頃の放射性物質の量は、いまとは「比べ物にならない」が、いまの老人はみなガンで苦しんでいるかね?
仮にガンになったとして、それをタバコでもアスベストでもなく、「ピカのせいじゃぁーーー」って言ってる団体いるか?
アホらしい。
怪談とか見るの嫌いだしね。
「幽霊なんて居るわけねーだろw」でいいだろそんなの。
(長すぎて続きが表示されなくなっていたので分けました。)
「死ねば?」
「何故ですか」
「だって生きていても楽しくないんでしょ?」
「大抵はそうですね」
「だったらなんで死なないの?」
「それはさっき言いましたよね」
「…人間生きるか死ぬかどっちかじゃない?早く死にたいんだよね?」
「どちらかと言えば」
「死ぬのは嫌なの?死にたいの?どっちなの?」
「じゃあなんで死なないの?どっちなの?わけわかんない」
「あの、一ついいですか?」
「なに?」
「あたりまえじゃん。死ぬか生きるかしか無いじゃん?他にあるの?」
「死ぬの反対は生きるじゃないですよ」
「じゃあなんなの?」
「生まれるです。」
「生まれる…」
「…死ぬ事の反対は生きるじゃないの?」
「そうです。"死ぬ"の反対は"生まれる"です。そもそも死ぬというのは出来事です。生きるというのは状態です。」
「え、なにそれ?」
「うん、学校で習ったよ」
「動詞の種類に、動作動詞と状態動詞というのがあったのを覚えていますか?」
「んーなんとなく」
「あれに近いです。つまり、死ぬというのは動作動詞です。生きるというのは正確には"生きている"という状態動詞です。」
「ほんとに?それあってる?」
「知りません。でも言わんとしてる事はわかりますか?」
「わかる。生まれるも、動作だしね。」
「そうです。死ぬと生きるという二つは対になるはずがないのです。生きるの反対は強いて言えば、死んでいる、でしょうか。」
「…それで何が言いたいの?」
「何が言いたいか」
「うん」
「私が言いたいのは、早く生を終えたい事と、今生きている事は両立するという事です。」
「え?両立?」
「おかしくありません」
「なんで?生きてるのに死にたいんでしょ?」
「そうですね」
「矛盾してるじゃん!」
「どこがですか?」
「どこがって、全部!」
「まず、生きているということ、の反対は、先ほど言ったように死んでいるということ」
「え?うん、そうだね」
「生きているのに死んでいる」
「なにそれ?」
「矛盾…っていうかわけわかんない」
「それが矛盾です。生きている事と対になっている死んでいるという状態が重なっている。これはどちらなのかわからない。矛盾しています。」
「そうだね、どっちなの?」
「だから矛盾しているのです。今言ってるのは生ける屍とか死んだように生きてるとかそういう話ではないですよ」
「それはわかってる!」
「では、死んだのに生まれた」
「死産?」
「いえ、出産のことではありません。言い直しましょう。死ぬ人が生を受ける」
「どういう意味?」
「ある人が、死ぬと同時に生を受けるってことです」
「生まれ変わるってこと?」
「転生の話ではありません」
「じゃあなに?どういう意味?」
「矛盾しているという事です。死んだのか生まれたのかどっちなのか」
「どっちなの?」
「ていうか普通間違える?」
「そういう話ではありません。」
「じゃあどういう話?」
「生きている人が死ぬ」
「うん」
「これは矛盾してませんよね」
「当たり前の事だよね。生きてないと死ねないし」
「そうです。」
「何が言いたいの?」
「わかんないって!」
「生を終えたいという思うのは、生きていないと出来ません」
「うん、それはそうだね」
「ですから、生きているという状態と、早く生を終えたいという気持ちは矛盾しないのです」
「私が死なない理由は先ほど言いましたよね?」
「うん、聞いた。親がどうとか」
「では、理想としてはなるべく早く生を終えたいというのも覚えてますか?」
「覚えてるよ。早くないけどね。」
「私は今、生きてますよね?」
「目の前にいるのが幽霊じゃなければね?」
「わかってるし」
「ではもう一度聞きます。私がなるべく早く生を終えたいけれど、今生きているということは矛盾しますか?」
「…んっと、君の場合は、親が生きている間は生きたいんだよね?親が死んだ後死にたいんだよね?だから今生きているのは生きたいから生きてるんじゃないの?」
「生きたい、ですか?」
「違います」
「え、なんで?死にたいなら死ぬでしょ?親が死ぬまでは生きたいから生きてる。間違ってなくない?」
「間違っています」
「どこが!」
「はあ?」
「生きようと思って生きているわけではありません。」
「じゃあ死ねばいいじゃん!」
「死のうとも思いません」
「わけわかんない!じゃあなんで生きてるの?」
「生まれたから?」
「生まれたから生きてるって、なにそれ?」
「生まれたって死ぬひとはいるでしょ?」
「います」
「それは自然じゃないってこと?」
「どっちだよ!生まれたから生きているのが自然で、死ぬのも自然って」
「どちらも自然です。ですから、その場合の死は、事故死であったり病死であったり自然死であったりします」
「全然わかんない」
「私は今生きてますよね?」
「さっき聞いたし言った!!」
「そう、それが自然です。今私が生きている事というのは、この世に生を受けて、それを維持している。自然の状態です。そこに私の意思はありません。」
「でもご飯食べたり寝たりするよね?」
「します」
「それは生きたいからじゃないの?」
「違います」
「じゃあなんで?」
「あたりまえじゃん!」
「生きたいからではありません」
「だーかーらー、お腹がすいてご飯を食べるってことは生きたいって事にならない?」
「なりません」
「なんで?」
「食べるよもちろん」
「生きたいですか?」
「私は生きたいよ?」
「では、食事をとる時に生きたいって思いますか?」
「…思わないけど」
「生きるために食事をとると毎回考えて食べてますか?」
「…食べてない」
「では、生きるために食事をとりますか?」
「そりゃそうだよ」
「考えてもいないのに?」
「考えなくてもご飯食べる事は生きるためなの!」
「本当ですか?」
「当たり前じゃん」
「え?」
「生きるためには食事をとる事が必要だと、後から教えられただけではないのですか?」
「そりゃー教わったよ?でも教わらなくても生きるためにご飯は食べるよ」
「本当ですか?」
「お腹がすく」
「そう、生きるためとか知ってなくてもお腹はすくでしょ?じゃあご飯食べるよ」
「そうだよ、お腹がすくからご飯は食べる。それが生きるためになる」
「生きるためかどうか教わっていなくても、お腹がすくからご飯を食べる」
「そうそう」
「そうだよ?」
「…ごめん、わけわかんない」
「例えば、ですよ。例えば、あなたは生きるためには食事が必要だという事を知らないとする」
「うん。知ってるけどね」
「例えです。」
「たとえね、たとえ」
「そう、例えです。例えば、あなたは生命維持のための食事の必要性を知らない。しかしながら、腹は空く。当然、食事をとりますよね?」
「うん」
「では、あなたが食事をとった事は、生きるためではないですよね?」
「でもあなたは生きるために食事が必要だという事を知りませんよ?」
「知らないけど、知らなくても生きるためになってるよ」
「生きるためになっている。」
「うん」
「私自身?」
「そうです。あなた自身は、生きるために、と思って食事をとりましたか?」
「ええっと、私はその時点では知らないんだよね?じゃあ思ってはいない。でも実際はそう。」
「そうですよね。食事をとる事は生きるためになっている。でもあなたにその意思はない」
「そう、なるね。」
「話を戻していいですか?」
「ごめん、何の話だったっけ?」
「違います」
「じゃあなんなの?」
「また自然…」
「言い換えましょうか?では、私が今生きているのは、私が生きたいという意思を持ち続けてようやく維持している状態ではなく、私が何も考えないところで勝手に生きてしまっているのです。」
「でもご飯食べないと生きていけないよ?ご飯食べないの?」
「食べます」
「じゃあ生きたいからご飯食べるんでしょ?勝手に生きてるなら勝手に食べるの?」
「生きたいから食べたいんでしょ?」
「腹が減るってことは生きたいって事じゃん?」
「そうかも知れません」
「でしょ?」
「でも、死にたくても腹は減ります」
「じゃあ食べなきゃいいじゃん」
「その時が来れば食べません」
「今は生きたいってこと?」
「違います」
「だってご飯たべるんでしょ?」
「私が食事をとるのは、生きるためではありません。腹が減るから食事をとるのです。先ほどの例え話覚えてますか?生きるという意思を持って食事をとるのではなく、腹が空いたから食事をとるだけなのです」
「そんなの屁理屈だよ!だってご飯食べることが生きるためになるって知ってるじゃん?」
「知ってます」
「じゃあ生きるためになってるじゃん。死にたいなら生きるためになる事を避けるじゃん」
「私は今は死ぬ事は怖いので避けています」
「じゃあ生きるために食べるんでしょ?」
「違います」
「いいですか」
「なに!」
「私の住んでいる日本では、そして私の今の環境では、幸か不幸か、食事に困る事はありません。」
「そうかも知れません」
「そうだよ多分」
「そう、食事に困る事は無いのです。そして、また幸か不幸か、私は病に冒されてもいません」
「そうなの?」
「はい」
「そうは見えないけど…」
「そうなんです。つまり、今現在私は、死の局面には晒されておりません」
「知ってる。私もそうだし」
「そうですよね。」
「うん」
「そう、そういった状況において、生命を維持する事は、果たして困難でしょうか?」
「んー、ちゃんとご飯食べて、寝て、運動していれば大丈夫なんじゃない?」
「そうですよね。」
「そう思うけど?」
「では、私の環境において、食事と睡眠と運動は阻害されるでしょうか?」
「されるの?貧乏なの?」
「されません。」
「そうだよね」
「では、私がただ生きるだけというのは難しいと思いますか」
「ただ生きるだけ?わりと簡単なんじゃない?」
「わりと簡単です」
「そうでしょ」
「では、私がただ生きるためだけに、生きてやる!!という強い意思は必要だと思いますか?」
「ただ生きるだけなら、なんとなく生きていけるんじゃない?」
「生きていけます」
「そうだよね?」
「つまり、私は生きたいという意思を働かせて生きているわけではなく、腹が減れば食事をとり、眠くなれば睡眠をとり、体を動かしたければ運動をし、ただなんとなく自然に生きているのです。」
「なんか、怠けてるね…」
「そうかもしれません」
「…」
「私は今ただなんとなく生きています。そして、なるべく早く生を終える事を望んでいます。ただし、それ以上に私が死んで親や妹が悲しむ事を恐れています。それらは順序はあったとしても、矛盾はありません。」
箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。
入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌はとある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです。
そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。
激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの重大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。
加えて理不尽極まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです。
例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです。
また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。
兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚と聴覚は文字通り死んでしまっているのです。
極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚が麻痺していきました。
何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです。非情極まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずにはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命、存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです。
私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰からの意図からも独立した、純粋極まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです。
どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。
こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。
私はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから、絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです。
箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまったかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです。
正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というものは存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです。
もしかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。
私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです。
加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。
私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。
私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです。
叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから。
全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。
自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!
あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです。
生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。
いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道な殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害な一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです。
結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです。時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです。
私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧なぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまうからです。
そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安で不安でたまらないことなのです。
きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己の同一性を勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。
その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです。一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。
またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。
私はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです。
ほとんどの人に幽霊は見えないわけですが、ごくたまに、見えちゃう人がいるんです。
見ちゃった人は、「幽霊は絶対にいる!」「あの場所には崇りがある!近付いちゃいけない!」
なんて、声高に叫んで周りに注意を促すわけですが、周りの人に幽霊は見えないので、
見ちゃった本人にとっては、「幽霊を見た」という事実があるので、
「暗かったから、柳の木が揺れてるところを幽霊と見間違えたんじゃない?」
なんて諭しても、幽霊の存在を否定されてしまうと、自分自身の否定にもなりかねないので、聞く耳をもちません。
「あれは柳の木だから。おまえらの見間違いだから」 By フジテレビ
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/company/news/110902.html
いるなら連れてこいよ。
ひ孫にランドセル買ってあげたのに、背負ってるの見る事もなく3月に亡くなったじいちゃん。
姪っ子は、同じく祖父ちゃんが買った電子ピアノでいっぱい練習して、ちゃんと発表会やったよ。
間違えなかったよ。
植木鉢の奴枯らせてごめんな。
いつも桃売りに来るおばちゃんも来てるよ。
夏用のパジャマ捨てるよ?
いっしょに買いにいった靴は捨てられん。
金魚はまだ元気やよ。
じいちゃんが建てた家、ちょっと床が心配になってる。
遺産でなんとかするけど、遺産の処理やりたくない気持ち分かるやろ?
じいちゃん。
蕎麦が大好きで、でもこの時期はいつも冷やし中華にトマトのっけて食べてたじいちゃん。
本当にいないの?
去年の春までばあちゃんがいた病院行ったら、もしかしたら二人ともいるんじゃないの?
いつもジュース飲んでたじいちゃん。
じいちゃんが水を含んだスポンジを口に当てると嬉しそうに吸ってたばあちゃん。
二人とも本当にいないの?
さみしいよ。
一人でご飯作ってもおいしくない。
酒屋に勧められた酒もだめだ。
サザエのシーズン来てるよ。
やっぱりじいちゃんとばあちゃんあって俺だったんだよ。
それから母代りに見てくれたばあちゃん、
ほんとに俺があかん事した時以外は全然怒らなかったじいちゃん。
十数年支え続けて、もうどうしようもない所まで自宅で看病したじいちゃん。
それを受け入れたばあちゃん。
今、俺は全然だめだよ。
ばあちゃんが亡くなって、ちょっとして仕事辞めた事知ってるやろ?
でもじいちゃんが亡くなってから、もう何のやる気も出ない。
彼女も作ろうとしてみたけど、
どうしても結婚しようって気にならん。。。
聞きたい事、報告したい事、いっぱいあるよ。
じいちゃん、ばあちゃん。
本当にいないの?
後ろから肩たたいて欲しい。
おい、〇〇~って声かけて欲しい。
俺も、の~、じいちゃんって言いたい。
うら、この問題分かるわ~って自慢したい。
幽霊がいるとか言う奴は全員市ね。
いるんなら俺のじいちゃんとばあちゃんとお母さん出してこいや。
生前の想いがーって言うやつは、8代呪われろ。
31歳で7歳と5歳の子供を残して亡くなった母。
祖母を送ったけど、姪っ子の入学式も甥っ子のアレルギー克服も見ずに逝った祖父。
しょーもない恨み抱いて死んだカスよりよっぽどうちの家族の方が気持ち深いわ。
じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、
会いたいよ。
じいちゃん、頼むわ。。。
「部屋が女の溜まり場になっている」(http://www.geocities.co.jp/ocult_utopia/)
幽霊が見えるという若い男が、2chのオカルト板の住人に唆されて、
部屋にいる若い女の幽霊とコミュニケーションを取ってからの顛末をまとめたものである。
>>1の若い男が律儀なヤツで、いちいちオカ板に報告するものだから、
一連のエピソードがストーリーとして読みやすくまとめられている。
>>1の語りが本当かどうかは別にして、なかなかよくできた話で、
幽霊的な怖さは殆どなく、ホロリとする結末でまとめられている。
オカ板住人は当時相当な盛り上がりだったようで、
>>1を励ますために、なんとオカ板住人の少なくとも数十人が、
自室で、全裸で、「びっくりするほどユートピア!」と絶叫しながら、
自分のケツを両手でタタいて踊り狂っていたというのだ。
で、何が言いたいかと言うと、このエピソードのクライマックスを迎えた日付である。
この日は、オレが以前、10年ちょっと勤めていた一部上場企業を退職した日である。
オレが最終出勤日として胸を張って会社に出かけた日、
日本の別の場所のどこかでは、そのようなことが起こっていたとは、感慨深い。
>>1によれば、当日>>1に起こったことは実に感動的なできごとだったようだが、
たとえそうであっても、その前夜に「びっくりするほどユートピア!」と全裸で叫んで踊っていたヤツが、
全国に数十人はいたであろうことはほぼ確実だ。オレにとって特別だった日に。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110606/1307356650
ちょっと違うと思う。
反復して被虐体験したり、逆に加害者側の体験をして加害者の気持ちをしることは
自らの恐怖を克服するためにある種必要な道のりである。
なぜなら被害を受けたときの自分の心情や加害者の心理を理解することが出来ない限り、
その恐怖を克服することが不可能だからだ。
被害体験は幽霊のようなものであり、その正体を掴まなければ夜も眠れない。
そのことについておちついて思考することを許さないほど常時脳のリソースを占める問題だ。
だから、序列やらなんやらと理性的な説明は外の人間から見た後付けであって本人のものではない。
考える事自体が不可能なのだ。おかしいことをおかしいとおもうことさえできないほど心身を削り取られるのがいじめだ。
被害者が被害体験を抱えたまま加害者にならずに問題を克服しようと思ったら、まず考えさせることが必要だ。
人に言わせりゃアート一家ってことになるだろうが
私は本当にアーティスト様って奴が嫌いだ。
だいたい世の中の非美術の人が良くないのだけど
とにかく作家と言うものに対して好意的な誤解や情状酌量の用意を持ちすぎている。
「芸術家気質」とさえ言えば、非常識や奇矯な振る舞いが許されるようになっている。
度を越して非社会的、生活態度が堕落的、約束を守れない、言うことが幼稚、
…のような欠点が、むしろ何か創作的な才能の証明として美点のように取り扱われてしまう。
いいですか。
すべてのクリエイターっぽい職業人や学生で、幼稚な人や変な人がいたら、
単に世間並みの経験や責任から逃げ続けたせいでそうなってるだけです。
だいたい「アマデウス」みたいなものが”アーティスト”像として一等に出てくるの状況が良くない。
アーティストに馴染みがない人にとってはああいうのがロールモデルになりますよねどうしても。
でも、”破綻した人格と飛びぬけた才能が先天的かつ不可分なセットになってる天才”なんていうのは
極端で面白いからこそ映画やマンガのキャラとして出てくるのであって
「さすが芸術家だな」じゃなくて、単に「いい加減な人生送ってきたんだな」と思えば合ってるんです。
また、もちろん、
その手の「アーティスト」の変なイメージには美術系の人間自身も冒されています。
私の場合は受験のために美術予備校に通うようになってから大量に遭遇して驚いたのですが、
みーんな、「逸脱者」の振る舞いをし始めるんです。予備校生の時点で。
ちょっと離れて見てると一人一人の区別がつかないようなそっくりのノリです。
これじゃあ単に、軍隊に入ったら軍人っぽくなるのと同じ現象でしかない。
みんなでそういうレディメイドの逸脱に袖を通しておいて、自分は個性的でーすって顔をしてる。
「私の絵がわからないで落とすような学校にはこっちからお断り!」とか言います。
関係ないんですよー、そんな表面上のポーズと製作するものの出来なんて。
どういう態度でも下手な人は下手です。
まああんまり下手だとそういう逸脱者ごっこに参加しないものですが、
予備校で上位のほうだったりするともう勘違いが酷いことになります。
同学年の上位クラスで逸脱ごっこの気風に染まってないのは私含めて3人しか居なかったですから。
「私はアーティストですので」「これは芸術ですから」という免罪符一本で、
社会の常識を踏み倒したり、世間に変な迷惑をかけたり、法律をぶち抜いたりしていいのは
アマデウスさんのようなモノホンの天才、1時代に1人いるかいないかというレベルの天才だけです。
これは割合的に言ったら身長230cmの人みたいなもので、
この人に会ったり理解したりできるのは220cmぐらいの人間だけで、
だから、現実的には「そんな人間は居ない」と思っていただいて結構です。
更に、230cmかつ、世間の誰にでも230cmだと気づいてもらえる人、となると
「アート」だ「アーティスト」だと言いながらなんだか意味不明なことやってる人や集団、
そういうのが人様に迷惑をかけていたり、法律に触れたりしていれば、
何の躊躇も容赦もせずに非難したりしょっ引いたりしてかまいません。確率的に言って。
単なる「美大なんか出たばっかりに自分に甘くて常識のないだらしない奴になってしまった人間以下人間」ですから。
「いい年になっても自分が天才じゃなかった事実に向き合えない臆病な嘘つき」ですから。
モノみたいに蹴っ飛ばして排除していいんですよ。
「自分には芸術わからないからなあ~」「ひょっとして価値あるのかなー」なんて優しい逡巡は必要ありません。
まっとうに生きてまっとうに働いてる一般人のあなたは、そんなのよりずっと偉いんですから。
どうか上下関係を間違えないでください。
原発全部止めてやっていけるならいい。国民感情を落ち着かせるためには有効な手段だ。でも急に全部止めたらそれこそ電気足りないのは間違いない。少なくても正式にはそういう計算になっているはずだ。そうでなければ原発を建てられないからね。
この「原発は必要」という結論を日本国が持っているという認識をみんな忘れている気がしてならない。
1.「代替する手段がある!」説に対しての反論。
みんながあれやこれや指摘しアイデア出しているが、未実践の机上の検証にそこまで信頼性は無い。それって原発が安全と言っていたのと変わらないでしょ。
2.「命より経済を優先するのか」説に対しての反論。
命最優先なら即国内脱出して難民になればいいよ。外国政府から正当性が評価され、原発亡命への道ができたら大したものだ。俺も小さい息子と共に東京で暮らしていて、亡命できるならしたいくらい。誰か道を開いてくれ。
もう原発事故は起きたんだってば。外国からは見放され済みだからその心配なら自意識過剰。
そして次に事故る確率って、震災前と変わらないんじゃないの? それならもう国民は了承済み(もちろん判断ミスだった。しかし判断ミスを理由に契約を無効にできるかい?)で進んできたことだし、事故確率が変わるというデータがあるならそれを元に安全対策すればいい。
天災は人知を超えている点もわかってる。だからこそ、それを人間の判断基準にはできないんじゃないか? 人間が知りうることで人間が判断するべきで、なんとなく怖いからそれとなく安全っぽいことをする、それは泥棒を見てから縄を結うどころか、幽霊に見られてるような気がするから自己流でお札を作るようなもんだ。
【現実と向き合おう】
現実として、日本人が東京で暮らすことは妥当とされている。避難勧告出てないからね。
それが将来にわたって妥当であり続ける保障は無いし、実はガン多発しますなんて結果が後からわかることも十分ありえると思う。それでも、現状は東京で暮らすしかない。
そして古い原発を動かし続けるくらいなら、新しいのに代えたほうが安全だ。
納得できないかい?
ああ、俺もそうだよ。
変更するなら運営側がプロジェクトをきちんと建てる必要がある。単純に廃止を唱えただけで運営側のための提案じゃないことを、運営が「はい貴方様は正しいです!」と受け入れてくれるだろうか?