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2012-01-03

タカシです(´;ω;`)

http://anond.hatelabo.jp/20120103131444

http://anond.hatelabo.jp/20120103132230

調子に乗って書いたのに、マジレスしてもらえてうれしいです。

しかも、博士課程+学振+育英会/JASSOの話題まで触れてもらえたのでうれしいです。



イヤミ抜きで、

音大・芸大に行って、高い楽器衣装を用意して、師弟制度の中で頑張っても、将来が約束されない芸術家の卵や、

10代・20代師弟制度に揉まれながら、借金を背負いながらも独立してる土木業や飲食業の人や、

不条理な文句に社内からも社外からもた叩かれて逃げ場のない企業人や、

そんな方々に比べて、

いろいろ借金を背負っているとはいえ、広義のサラリーマン職への就職を狙えるし、

昔に比べれば、理論立った話ができれば誰かが助けてくれる大学・学界人の方が、

ぶっちゃけ、なんだかんだ言っても気楽だと思います

2011-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20111202215912

あのさ。情報価値は「言った人間が誰か」というところには無いんだよ。

「話された内容に価値があるかどうか」なんだよ?

ほとんどの情報はね。

でも「体験からのみ真理を得られる」みたいな教えだけは、当然ながら、

言ってる人にその教えの実践と実績が求められるよね。

言ってる人が「ボクは童貞です」とか「ボク自身は小説のヒット経験なんかないです」じゃ話にならないw




偉そうって? 元増田小説を書くための勉強なんか、かけらもしたことないの?

元増田にはあるの?

無いのに「小説書ければいいんだ」なんて言ってるの?

死んじゃダメだよ。生きろ。

ええ?

いつから俺が元増田と混同されてんの?

俺はとっくに大学出てるし元増田みたいなナイーブちゃんでもねえし普通に働いてるよw

何より小説なんて書いてねーーーーよ!

だいたいノリも文体も話の立場も俺と元増田じゃ全然ちげーだろw

自称芸術家さんがその程度の観察力も無くて大丈夫?w




私は芝居をやっていたことがあって、300人の観客の前で踊ったことがある。

私の動きを見てお客さんが笑う。私の動作を見て、お客さんがため息をつく。そういう体験がある。

わあすごい!

それがお前の精一杯の、人に誇れる「体験」なんだ!

俺も文化祭でほんと~~~に暇つぶし漫談やってたけど

2年目は評判呼んでお前の踊りよりたくさん入ったよw

そんなショボい思い出今の今まで忘れてたけどwww

2011-11-03

発達障害者は殺処分しろ。

発達障害は怖いなぁ。

発達障害の人って、周り中がシャーロック・ホームズマイクロフトばかりの世界に紛れ込んだトロワトスン君みたいな気分?

「遠回しな表現を理解できません」「否定的な言葉かけに過剰反応します」” こんな人が職場に来たら… 迷惑。迷惑。

発達障害者恐るべし

「誰か、あるいは何かに対して、強い恨みを持っていることはありませんか?」の問いには、「ある」と答えた人は112人。全体の33.9%に上った"  恐るべし。

「俺は発達障害だった」... だって近年は単にちょっと頭が悪い程度の事にまで病名っぽい大仰な名前が付くのか。

福祉大国スウェーデンにおいては、発達障害含む精神病患者は、犯罪を犯す前から全員政府監視下に置かれていると聞く。

教え子に乱暴、「嫌がらないと思った」と元教諭  - MSN産経... "奥田哲也裁判長は、被告広汎性発達障害の傾向があるとする弁護側の犯罪心理鑑定書などを証拠採用した。" 広汎性発達障害者恐るべし

知障は幼女への性犯罪多いそうだしな。予備拘束すべきかもな。発達障害もヤバげじゃね?予備拘束だな。

発達障害精神分裂病予備軍らしい。発達障害者恐るべし。

自称欝の次は自称発達障害か。

広範性発達障害人間というのは刑務所に入れた方が治るのか少年院に入れた方が治るのか、どっちなんだろう。

生前の脳の異常である故、改心の見込みは皆無、我々健常者に出来る事は、力関係に応じて逃げるか追い出すのみ。

町田・高1殺害事件、元同級生の少年に2審も懲役11年 : ... 発達障害は怖いなぁ。

所詮は知障の一種に過ぎぬと。

只の我侭で能無し嫌な奴。

異常者恐るべし。

ところで健常者の事を定型発達者と表記すると、あたかもこれは機能不全ではなく只単にタイプが違うだけの互角並列同格の関係であるかのような誤解を与えかねない。

アスペルガー症候群ハッカー中年での診断が増加 | WIRED... こんなのが我々健常者の間に何食わぬ顔で紛れ込んでいるのか…

おいおいIT業界も他人の気持ちを推し量るの結構重要偏見助長は如何なものか。向いてるのは「芸術家」とかにしといて。ちなみに特定の分野に於いても秀でた能力を持っていない人の方が多いんじゃね?

頭脳労働は向かない奴だったなぁ。思い出すだに腹立たしいあの薄馬鹿は。

ミスタースポック的に視野が貧しい病の人から見た健常者の世界

アスペルガー社会人Blog : 何故こんなことしたの? ← 馬鹿と働かざるを得ない上司は大変だなぁ。常人なら1分の説明で判る事を30分説明させられたり。しかも往々にして判ってなかったり。/いや、原因が何であれ馬鹿馬鹿

広がりを見せる自閉症ソフトウェアテスター育成プログラム... ”現在、同社の収入の60%は寄付によるもので、売り上げは40%に過ぎない” ← やっぱ使いものにならない模様。

お父さんの[そらまめ式]自閉症療育: 今般のトラブルについて... ← 自閉症は怖いなぁ。絶対に関わりあいにならないようにしないと。

常時ゼッケンつけるのはどうだろう。黄色地に黒で「単鬱」「統失」「自閉」とか。私なら見かけたら道を譲る等の配慮をする。10m離れて

2011-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20111030092912

楽しそうに仕事をしている男や仕事を生きがいにしてるような男、それなりに地位があったり高給取りの男は主夫なんてやってくれなさそうだから

仕事に疲れてる感じの男、仕事やりがいを感じてない男、あとは非正規雇用とか派遣社員アルバイト低賃金の男あたりに狙いを定めればいいんじゃないかね。

Twitter仕事愚痴や将来の不安をよくつぶやいてる男とかさ。

(そんな男に魅力があると感じるかどうかは微妙だが)



あとは、夢追い人を養うかわりに家事をやってもらうとか?

(家にいて欲しいなら小説家芸術家漫画家などのインドア系夢追い人に限られるが)

そういう人達がいるコミュニティに参加して、出会ってみれば。

このタイプの男は魅力があるかもしれない。夢が見られるから

2011-10-23

近年結婚したてで幸せを感じ、日常的に思っていた「あー死にたいな−」という思いがかなり無くなってきて、ああこれが幸せなのかと思う一方で、今までの家庭環境がどれだけ悲惨ものだったのかをだんだん理解してきた。

こんなに世界って明度彩度が高いものだったっけ?というか、そういう意味人生に光が差してきた感じなのだけど、一方、自分過去がどれだけ無残なことになっていたのかということが、人生差し込んできた希望の光によって在り在りと分かるようでなんかあれ。

妹曰く「おまえの心はボロボロ過ぎるから少し休め」という事なので、今まで自分に何度となく投げかけてきた「色々人生なんてこんなものだしみんな大変なのだし」という言葉では特に心というものは救われないらしいのだと、そういうことらしい。

確かに25年間悩みに悩み抜いたあげく、「この問題が解決するのは母親が死んだときしかないのだな」という結論にたどり着き、「今後一生罪悪感で夢見が悪くなるだろうけど、それでも早めに母親には亡くなって欲しい」という結論にたどり着き、いわゆるメンヘラ的な母親人生まで責任を負えると思い続けて来た結果がこれだよ!みたいな、なんというか分からないけど配偶者がこの話を聞くととても泣いてしまう。本当に申し訳ない。一方で僕はもう「母親が亡くなるしか解決手段がない」と結論づけてしまった時点で、月並み表現だが涙みたいなものは枯れ果ててしまったので泣けない。もちろん泣く資格もないし。

それに比べれば父親もだいぶマシだなと思っていたのだけど、配偶者に言わせるとどうやら父親もやっぱりまともではないらしく、それは「デリカシーがない」の一言では片付けられない領域にまでなっているらしい。そういう意味では、配偶者は両親に感謝した方がいいと思いましたしそう伝えましたし、僕は僕で配偶者の両親みたいな親の元に生まれたかたかもしれないかもしれないけど、そればっかりはもう、あまりに今更すぎることで、別に僕は今の自分があまり嫌いではないし、自分を好きだといってくれる配偶者もいることだしねと。ただ母親には「おまえを産んだことで芸術家になれたかもしれなかった私の人生台無しになったんだ」と言われ続けたけれども。それでも産んでもらったことには感謝できるようにはなった。

生きつづければ生まれたことに感謝ができる日も来るのだなと思う。今まで日々日々死にたいなと思いながらも、未だ自分の命みたいなものを投げ出せず、生き抜けていることに感謝をしようかと思う。

ただ、自分母親メンヘラ問題、というかなり大きめな問題については、25年間かけて結局投げ出した人間が、今更何を言うかという話ではあるが。

そういう意味で、「母が自殺した」http://anond.hatelabo.jp/20111004053417 はとても人ごととは思えなかった。

これは、そういうなんというか、自分の観察記録であり、誰かの人生の参考例になればと思い増田に落とします。

2011-10-21

現実というのは、ややこしいものなんじゃないだろうか?

現実とはややこしいものなのではないだろうか?

事実小説より奇なりというが、この言葉小説の方が奇で当たり前なのに、現実が奇な場合がある時に、使われる言葉だと思う。小説の方が奇とは誰が決めたんだろう?そんな決め付け、現実を売り込みやすく調理しているメディアの方々の思い込みではなかろうか?

決め付けが世の中に横行しているのは、そういうマスゴミ姿勢にも責任の一端はあるのではないだろうか?

マスゴミからしたら、逆だ、多くの人に受ける為にやっているだけだ!というのかもしれないが。

内容は悪くないとしても、本のタイトルでも○○○○マンに明日はない、とか○○○○の危険性を指摘するのはいいけど、それは言い過ぎなんじゃないか?と思うようなのをよく付けたがるようだ。(○○にしたのは、そんなような意図で付けられたタイトルだったがはっきりした言葉うろ覚えだったから)



地震が起きてから2~3ヶ月の比較的早い時期だったかに、元アナウンサーの女の人が、親切な情報とそうでない情報とについて、書いていた。

自分も関わってきてわからないでもないが、というニュアンスもあったような気もするが、ついつい煽ってしまマスコミの体質と、自分が親切だと思った情報というのは、自分が身内や身近な人に伝えたいと思う情報だ、というような事だった。煽りに煽ればどこまでも煽れるようなショッキングな内容ばかりバレて、不祥事に次ぐ不祥事で、どうしようも無い出来事ばかり続いて、みんな不安なのに、不安に乗じたかのような情報や特集が組まれたり、いや伝えないといけない事だという意見もあるだろうし、中には伝えないといけない情報やそう思って伝えたものもあったのかもしれないけど、何だか入り乱れていて、悲惨被災地の様子をずっと流していたのを見た被災地の人が、ああいうのより安否確認情報をやってほしいとネットで書いていたりもしたのも見た。

さらに最近ではマスコミではなく不安に付け込む商魂逞しい人も居たりするのか、今日新しくツイッタで私をフォローしてた人のプロフを見たら、HPが載せてあり、水素が体に良いとか水素水がどうたらと・・・、というのと放射能にも効く!とか載せてて、いくら疑似科学っぽくても、見ただけで似非だ!ニセだ!と叩くのもどうかと思ったので、何も言わなかったが、複雑な気持ちになった。

ソースの提示を求めたり、どういう作用でそうなるのかどこかで証明されてるのか、学会論文は提出されてるのかなどの質問はしても良いのかもしれない。


ちょうど疑似科学の事に触れてしまったが、疑似科学似非科学というものについても、それらを一つ一つ精査して、どこがどういうふうにおかしいのか、科学的でないのか、言及していくのは結構骨が折れる作業だと思う。

科学的でない証明科学はやる必要はないから、何と言って良いのか、正確にはわからないけど

普通は、棲み分けできていて、害が無いものであれば、いわしの頭も何とやらみたいに、わざわざ権威や本物の科学者出張ってくる必要も無いのだが、たまに物凄い事が起きていて、何でそんな事になったのか全く理解できないけど、詐欺師的な人に教育機関が引っ掛けられて、冗談のようなビデオ学校で流されていたりする現象もあったりして、さすがに専門家が批判をしていたが、それも色々物議を醸し出していたようだった。

その事は疑似科学という捉え方で良いと自分は思うが、その事だけじゃなくて色んな疑似科学に対して、疑似科学を叩く人たちについての疑問を述べる人や、専門家の中でも頭ごなしに叩くのは如何なものか、という意見もあった。

この辺もパラドックスで、科学的というならきちんと説明すべきだが、そもそも科学科学的でないものを、科学的でないと証明しなくてはいけない義理は無いのだw 義理と言うか義務と言うか。 そうなんだけど、一般の人の事を本当に思って科学的な考え方を浸透させたいと思っている知に対する深い愛情を持つ人ならそうするかもしれないけど、それは別にしなくても良いことなので、特に権威主義的な人たちは、わざわざしないだろうなと思う。権威愛する人たちはしないだろうと言った方がいいのかなw

科学に、非科学的なもの科学だと言う疑似科学を、科学的に非科学だと証明しなくてはいけない義務は無いが、ネットでよくある疑似科学を取り上げている時の取り上げ方が、科学的ではないものもあると思う。これらの人たちが口にするのが、「科学には疑似科学科学的に擬似だと証明しなくてはいけない義務は無い」なんだと思う。しかし、それを見た人への影響を考えると、なぜ科学ではないのかをわかるように説明した方が、良いのではないだろうか?と思わない事も無いが、まあ表現は自由なので何とも言えないとも思う。

疑似科学一つとっても、ここまで入り乱れている。

疑似科学じゃなく、弁護士でも精神病院でも、何でも圧倒的な力の差ができてしまう状態で人と人とが接すると、色々と問題が起こるようで、それについて、また言及する事を仕事にしている人たちが、出張ってきたりして、ますます儲けて自分大学教授になったりしているという例もあるが、こういう事についても、一面的な捉え方や批判や非難だけでは、どうしようも無い問題もたくさんあると思う。

ジャーナリストたちは、如何にして批判をうまく書く事ができるのか?という事に心を砕くのか、昔から一面的な捉え方が好きなようで、善悪の図式を作ってしまう。

しかし、地獄への道は善意で敷き詰められている

という言葉もあるように、善意からと言って、必ずしも良い結果が出るとは限らないし、何か問題があるのは悪意があるからとも限らない。

から、余計怖いと思う。

でも、昔からわかりやすいと思うからなのか、その方が売れると思うからなのか、水戸黄門悪代官やないんやから~!!と言いたくなるようなキャラ設定がお好きなようで、イメージ戦略にも余念がない。

うつ病の薬と言うと、依存性があって嵌らせられる。医者製薬会社は薬売りの悪代官!!! すごい人になると、うつ病の薬と自殺率の増加を結びつけてネットニュースの記事にしていて、データの読み方について、はてぶで突っ込まれていた。それを見たのは他のネットニュース記者の人のツイッタだった。。。 その人に連絡したり相談する気も無くなった。。。

うつ病の薬については、本当に依存性はあると思うし、のまずに済んだらなるべくのまない方がいいと思うけど、正確な医学的知識を持つ医者が処方して、本人の状態をみて用法用量を守って出している場合もあるので、一概には言えない難しい問題だと思う。

自分としては、なるべくのみたくないので、今回の事で精神的にまいって神経内科に行った時も、漢方薬うつ病の薬と同じ働きをするものを、処方してもらったりしていたが。。。

うつ病の薬については、依存性や危険性もあるが、統合失調症の陽性症状には、薬はかなり効果的だし、服用は必要なような事が、統合失調症の陽性症状について語っている掲示板からも、読み取れるし、統合失調症については薬を受け入れて病気認識を持ってくれるかどうかが重要なようなので、薬は必要だと思った。

それで、ずっと前に、精神病院精神科医を批判している人のブログをやっている人に、メールでやり取りしかけた時に、その事も併せてブログに載せた方が良いのではないかサイトの性質上不安定な人も見るだろうから、薬=危ない!と刷り込まれてしまったら良くない場合もあるのではないか?と送ったら

返事が来なくなった。。。


ということもありました。。。。。


これだって事実小説より奇なりな事も、多々あり、入り乱れた世界が構築されていると思う。


弁護士に関しても、私がツイッタで、「弁護士憎けりゃ袈裟まで憎い」という造語揶揄したような状態に陥っている人もいると思う。

でも、これも、どういう立場の人が言うかによっても違うと思う。

弁護士自らは、これを言う人たちに対して、揶揄したり鹹かったりは慎むべきではないかと思う。

むしろ謙虚に受け止め、これらの人たちの心のケアも含め取り組むべきではないかと思う。

しかし、さらに、入り乱れていて皮肉意味で興味深いと思ったのは、これらの弁護士憎けりゃ袈裟まで憎いという幻の袈裟まで見てしまうような人たちが、力を入れている企画で、ラディフェミ叩きがあるのだが、ラディフェミ被害はあるにしても、ラディフェミに走る人たちの追い詰められた状況もあるのではないかと思うので、単純に叩いていいのかどうか難しい部分もある事なのに叩いている。

自分達の弁護士憎けりゃ袈裟まで憎い状態の状態が進んだのが、一部の事実捏造ですると言われているラディフェミだとは思わないのだろうか?

男性でもこういうふうに言う人もいる。

http://twitter.com/denzirousann/status/125613385307013120

フェミニンな(特にラディフェミ)人達の抑圧性って彼女らが批判するマチズモをそのままひっくり返しただけに見えることも多いけど、そうなってしまうのにはそれなりの理由があって、だからと言って彼女達の思想主張をそのまま受け入れることは出来ないけど、アレな人扱いしてるだけじゃだめぽ

でも、私はこう思った。知らない人なので返信ではなく、自分自分用覚えとして、つぶやいといただけだが

http://twitter.com/Tasmanian_good/status/126317550513553

もっともなご意見。でも、元男性で過激な発言「父親はタネとカネを出したにしぎない」をしDVでっちあげてるという疑いだか被害の声も挙がってる性同一性障害弁護士のような人場合は?^^;そんな倒錯的な昔の漫画みたいな人もいるw

(しぎない は すぎない の間違いですすみません。)


そう、本当にそんな嘘のようなストップ何とか君!みたいな人もいるのだ。この弁護士の事を弁護士批判の一つとして行ってる人もいるが、こういう弁護士がいて迷惑した人もいた、というのは構わないと思うが、だから弁護士は~・・・という方向に持って行くには、極例すぎると思った。 


このストップ○○○クン弁護士と名づけたくなってしまうほどの倒錯した弁護士さんは、不思議なんだけど、性同一性障害を言いつつ、恋愛対象は男性ではない状態なのだろうか?

あそこまで嫌っていては恋愛対象になどできないと思うのだが (そういう人達を男女どちらについても、今は毛嫌いする人たちとして、名称もできているそうだが、それなのだろうか?)

男のままで、「タネとカネ」という言い方をしていたら、どうなっただろうと想像してみたが、やっぱり変だと思う。責任を放棄して建設的な方向で物事に取り組む事をやめた姿勢とも、捉えられるから芸術家とかアーチストと言われる人たちの感性に近いのかもしれないが、社会的責任ある仕事に就くにはどうなのかな?と思わざるを得ないかんじ。。。

女になってしまった事に関しても、自分女性性を持って生まれて、それによってラディカルなフェミニズムに走らなくてはいけないほどの社会的抑圧やトラウマがあったのではないので、女性性を持った者が受ける待遇--男性ほど社会的に優遇されてない事、経済的に自立しにくい事などの、社会的不公正や、そのくせ別なところでは、甘甘にしてあって、そのせいで更に経済力を手に入れにくくなっている事などの、社会的文化構造的な歪み--を受けたわけではないのに、弁護士に幻の袈裟を見てしまう人たちのように、男憎けりゃ袈裟まで状態になっているかのごとき極論を振りかざし、人を煽動しているが、その責任の一端は元男であるのならば、自分にも還って来る事なのに、女に性転換したから、自分だけは免罪符を手に入れ、煽っている立場に行っているのは、矛盾を通り越していて、倒錯と言って良いと思う。

自分男性性を持つ者として社会的には、優遇された立場に居たはずである。なんで、そんな人がラディフェミなのか?意味がわからない。

いやぁ、本当に、小説と違って、現実の世の中は入り乱れてますね。。。

2011-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20110907062309

基本的にネットユーザーコンテンツを消費するだけ。暇つぶしに、『今』面白いもの刹那的快感をえられるものしかほっしてないとおもう。

Pixivアカウントお気に入りなんてのは、せいぜい、そうした暇つぶしのナニカをみつける道しるべからブックマーク程度の感覚しかとらえてないと思う。

注目される芸能人とか、芸術家とか、研究者とかは、まずもってコンテクストがはっきりしている。

それこそ「あの有名な〜」だけでもいいし、明示されていなくても、受容者が十分に『それが誰であるか』共通して認識できればいい。

単刀直入にいってしまえば、『あなたが誰であるか』を明快に表すコンテクストを実現する戦略を持たなくては、まぁ、あなたという人間として注目をあびることはできないと思う。

2011-08-13

なぜ現代アートには糾弾が相次ぎ、美味しんぼコラは受け入れられるのか

何これクソワロタwwwwwwwwwwwww

これね。

現代アートはあれだけぶったたかれて、原作改変パロ系コラージュ作品が受け入れられる理屈全然からいから誰か教えて。

原作へのリスペクトはなく、アフィブログ転載された時点で両者は「金稼ぎに使われた悪意のコラージュ」という点で極めて同一の存在になっているはず。

 *

http://anond.hatelabo.jp/20110813025538は要するに「現代アート美術作品として格式ある評価を得ることが気に食わない」ということか。

クラス女子ジャンクな曲が「国民アイドルソングと呼ばれることが許せない」っていうアンチAKBに近い考え方で合ってるだろうか。

「俺が評価したくないものが、他人に美術作品として(あるいは国民アイドルソングとして)評価されてるのが許せない」っていうのは浅ましくて穢れた考え方だなーとしか思わないなぁ。

 *

http://anond.hatelabo.jp/20110813025958の考え方だと明らかにミクやこなたが素材になっていると、パロディ元が分かる現代アートならば許せるってこと?

多分君は許す気ないと思うからそんな理由で怒ってるんじゃないと思うよ。

 *

id:qadapの考え方だと現代アート美味しんぼコラの改変の手法それ自体は問題なくて、芸術家露出に対する嫌悪感がある、ということなのか。

手法自体を叩いている人が多いか的外れだと思うし、なぜ芸術家が嫌われるのかまでの説明がないと理解できないな。

 *

id:tyokorata理屈というのは例えば社会的に見ればいじめ行為も、コントであればお笑いとして許容される、というような理屈か。

現代アート美味しんぼコラは共に社会的には犯罪であるけれど、元ネタが誰もが理解できるもので、笑いが取れているから許されていると。

許すかどうかを決めるのは「大衆」かな。もし大衆マンガ同人誌踏み付けで笑えるなら、踏みつけアートも許していいということ?仮定の話をしてもしょうがいか

*

id:temtexアート権威なの?やるべきこともやらないなら叩く、ってのは既にそれなりの実績を持った人間がいうならかっこいいけど素人が言ってもなぁ。

ただオリジナリティへの回帰の流れは来ると思うけど、もはやアナログ絵画CGには勝てず、CG芸術らしさを宿すことができるかどうかが課題だろうね。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813100051は大して叩かれてないからそう思うわけで。みんなアフィブログ見て、おかげで彼らは推定月収100万近く稼いでるわけで。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813110155が今のところ一番納得できた意見

美味しんぼはそこまで好きじゃないけどああいうコラはまず嫌悪感がくる。でもそういう人間が少数なら絶賛され、多数なら糾弾されると。

とするとそれは物の価値論理倫理ではなく、声の大きさが評価を決める、衆愚社会そのものだとも思うんだけどね。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813141721、おぉこわいこわい。ミスってたよ。

本当に多数から叩かれたものは誰も見なくなって廃れる。アフィブログはうるさい少数派が叩いている一方で、物言わない多数派がアクセス源になっているから成立していると思うけど。

「多数派もきっと叩きながらアフィブログを見ているんだ」と考えているならそれは見解の相違だね。ゲハブログの一部を除けば現代アートほどアフィブログ嫌悪されている印象はないんだよ。

*

id:leveleid:ululunの考え方は「ふたば(や2chアフィブログ)はオレ達」で、アート界隈の人間は「オレ達じゃない」という文化の壁から、利用されたという敵意が生まれたという考え方で納得できる。

「オレ達」という曖昧ながら強固な連帯意識文化意識がどこから生まれて何を拠り所にしているんだろう。そしてなにのためにあるんだろう。

*

現代アートに「オレ達」がブチぎれたように、美味しんぼ原作者は一連のコラ群にブチ切れてるかもしれない。(あまりネットが好きな作者じゃなかったから快く思っていないだろう)

またアフィブログは金稼ぎのために話題のネタを集めているだけかもしれないし、「オレ達」という保証はどこにもないわけで。

から現代アートは「オレ達じゃない」から怒るが、美味しんぼコラをアフィブログに載せるのは「オレ達」だから許せるってのは、何を根拠にそう考えているのか理解できなくて、すごく違和感がある。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813145112。しっかりしたレスポンスを頂いてしまうと申し訳なく思えてくる。ありがとうございます

財産」に対する所有意識の根拠、が一番謎なのかもしれない。上手く説明する方法はないのかもしれない。

*

id:vidの、現代アートは「オレのもの」が可視化されているために敵意が生まれ、コラは「誰のものでもない」ように見えるために受け入れられるというのは一理ある。

でもそれは傍観者主観しかなくて、製作者にしてみれば匿名人間に弄り回されていたら、「オレのもの」が勝手に「誰かのもの」にされたと考えて敵意が生まれるんじゃないかな?

コピーライトの有無は「オレのもの」にされたという事実自体は変えないと思う。

けれど一定ネット不文律を守れば、「誰のものでもない」と錯覚されて、大多数の空気に許容される、ということか。

*

「オレのものだと主張する」「金稼ぎに利用する」を両方満たすとネットの多数派の怒りが爆発する、というのは現象から逆算するとかなり正解に近いようで、決定的な何かが欠けているという感じ。

*

いくつかまとめて。

id:himajin774 心理的に直接金銭のやり取りがあるか、というのが重要なのはわかる。

ではアフィブログが金稼ぎの為に無断転載を繰り返して運営している、と踏まえた上でコラを見たら評価が変わるか?というと恐らく変わらないと思うので、そこは本質ではないと思う。

他のポイント総合して、怒りを感じる閾値を超えた、ということは考えられるけど。

id:md2tak も同様で作成者と販売者が別だったら、水濡れアートや踏み付けアートを許せたか?というとそんなことはないと思うので、そこは本質ではないと思う。

金稼ぎまでしていなければ、水濡れアートや踏み付けアートを展示するだけだったら、怒りは爆発しなかったのかもしれない、という可能性はあるかも。

id:lefu はあえて書いていないけど、コラ画像作成の場となっているふたば広告収入を得ているという視点が抜けている。「アフィブログ」の方が設定としてわかりやすいから省いただけで、最初から金稼ぎの道具になっていると思う。

広告収入」が金稼ぎの手段として認知されているのは、アフィブログに対してよい感情が抱かれていないことから自明だと思うけど、もちろん「直接商品を販売していないからOK」という人も一定数いるんだろう。

id:guldeen のような指摘のために、両者の労力がほぼ変わらないコラージュで、また原作へのリスペクトが感じられない題材を選んでみたんだけど、それでも両者に違いを感じる、ということだろうか。

*

本題と関係ない部分。

id:nagaichiカオスラウンジカオスラと呼ぶやつは擁護か身内、カスラジ、カスウジと呼ばないやつは敵だ」みたいな面倒臭い考え方の人がいるから敢えてボカしたけど、結局認定ラッシュ食らったか意味がなかった。

カオスラウンジネットの総意として敵であり、叩かない人間は擁護工作だから黙らせろ」と考えてしまう人は、いちいち突っかかってこなくていいからお互いに不干渉でいましょう。

2011-08-07

カオスランジのこと いろいろ疑問

大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本現代思想コンテンポラリーアート業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。


カオスラウンジ宣言、これはなに?

無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。

ただネットというのは結局現象ですよね。ファインアート意味的に作品にはならない。

ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?

いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。

で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????

素朴に疑問。


ネットアートの分断を克服する?

前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットアートを分断を克服するって?分断していたの?

このへんがよくわからない。

ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作過程という意味では全然分断していない。

彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。

加えてもしここでいうところのアート近代的な(ファインアート伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート技術創造そのものとしたら、ギャラリーネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????

これはどうしたいんだ??


アーキテクチャ

カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?

システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?

浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?

なにがしたいの?


最初お祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。

誰か説明してほしい…。モヤモヤ

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110805173217

いやーほんとはねー

言葉は通じてるんだよ。

オタクにもそれがわかるからこそ怒りを買うわけで。




現代アートって元からオタク業界より脆弱もので、

オタク的なものに対してコンプレックス持ってるんだよ。

だってオタク的なものの方が多くの人に受け入れられてるし

ビジネスもいくらでもあるし。




昔、絵画芸術が担ってたものって今はオタク業界が担ってるからね。これはマジだよ。

から現代って、芸術家なんてものは浮かばれない世の中なのよ。

「だから商業ベースの上で月ごとのお給料もらうデザイナーになりなさい」

って美大生なんかは何度も言われてる筈なのにそれでも芸術家を選ぶ以上、

自己責任だけどね。





彼等はー、

自分だけで耳目を集めるようなパワーもイメージも持たない。

からオタク界のものをちょろまかしたい。

そう思ってるって言うだけなら別にカオスラウンジだけじゃないんだよ。

カオスラウンジたまたまうまくいって、調子こいてやりすぎてただけで、ああいうのがあいつらだけなわけじゃない。




でもコンプレックスが捩れた変なプライドがあるから

「我々はお前らより上層である

 我々のやってることに不満や嫌悪を抱くならそれはお前らが高尚な芸術を理解できていないからであり

 お前らが我々を理解できるレベルになれば解決する。」

みたいな態度しか取れない。




オタクと同じ言葉でしゃべって普通に疎通しちゃったら

「何でお前人の描いた絵持ってくの、自分で描けよ」

「いや俺あんま絵上手くないし、全部自力で描いた絵が注目されなかったんだよ」

なんて会話をしないといけなくなる。

からオタクと同じ言葉を喋れても、アート語だけを喋るわけ。

言葉通じるのがばれるほうがよっぽど命取りだから




通じてしまったら

オタクから盗んだものオタク界のルールに従って返さなきゃいけないし

「たいした絵がかけない〇沢君」として、オタク階層に(それも中間より下のほうに)組み込まれて終わりになってしまう。

それじゃ嫌なんだよ、

芸術家やろうなんていう自己顕示欲旺盛な人は。

2011-07-29

Pixiv, カオスラウンジ芸術マーケット日本芸術教育

今私は、鬱状態仕事を休んでいる。フリーランスアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。

2ch のまとめサイトで、件のPixiv騒動をしった。

カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。

面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真photoshop10分ほどやっつけでコラした絵をPixiv投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ

http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg

で、私の意見

これ、日本芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。

まずマーケット

これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるからお金にしなくちゃいけない。

で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。

そのために役にたつの権威(power)。カオスラウンジ村上隆美術手帖がそのicon。

私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。

村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?

本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験意味は?

美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクスト脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本マーケット権威もっちゃったんだから

僕は90年代青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。

日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。

もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。

自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?

日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…

僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分フィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。

yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分意見が先にくるんだよ。

例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。

日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。

全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。

この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。

藤城嘘ブログ6月25日の記事。

http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625

端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。

同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。

でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?

例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。

やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。

ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。

で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ

ネットオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。

一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。

今回の件をきっかけに、私は初めてふたば掲示板をみた。

みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。

世の中の多くの人たちが、文化については保守的日本をみたら、なんで演歌歌謡曲が未だに紅白重要立ち位置を持っているかということ。

これ大事だよ。普通だもん、それが。

そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通芸術家でないの?

少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。

あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。

炎上たから?ビジネスパートナーが予定していた商品をキャンセルたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?

本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。

この謝罪、カッコワルイよ。

たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。

(個人的に村上嫌いだけど、プロとして何となく分かる。)

で、彼らがここまでやってこれたのが、日本芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。

私自身の、私立芸大在学のとき経験をモトに。

「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine art伝統の不在が起因なんだろうけど。

自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?

タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?

若いアーティストから仕方ないんだろうけど…

酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。

2011-07-13

花をきれいだと思わない子どもたち

http://anond.hatelabo.jp/20110711193536

を読んで森博嗣のこれをおもいだした。

絵を描くことが好きで、自分一人で絵を描いて、誰にも見せない、ということが子供ときからよくあった。人に見せないのは、その絵が上手に描けたかどうかは、自分で判断ができたからだ。逆に、大人に見せても、ちゃんとした評価をしてくれない、という思いが強かった。小学校の低学年のときには、既にそうだった。たまに、ここが良い、ここが悪いとずばり的を射る指摘をしてくれる大人がいて、「あ、凄いな」とこちらが大人を評価する、という立場なのだ。思い上がった子供である

しかし、ちゃんと見てくれる大人は、例外なく自分でも絵を描ける人だった。プロ絵描きのような人も多かった。小学校担任は、国語も算数も教えてくれる先生で、でも絵を見てくれる先生ではない、ということは理解できた。どこにでもあるような、こじんまりまとまった、全然まらない絵を褒めるのだ。無難な配色で、楽しそうにしている人たちを描いた絵だけが褒められる。明らかに大人が描いてほしい絵であって、子供しか描けない絵ではない。それは作文でも同じだったし、音楽でも同じだった、と思う。たとえば、小学生がむちゃくちゃなパンクを歌っても、褒めてもらえないのである

大人は、空が綺麗だ、森林が美しい、花が可愛い、といった既成の平凡な価値観子供に押しつける。子供たちは、大人に認められたい、親に褒められたい、良い子になりたい、という一心で、持っていた個性感性を捨てていく。

動物を見たら怖いと感じる。臭いと思う。それが自然である。「ほら、可愛いね」という大人のなにげない一言、その押しつけの繰り返しが、芸術家を少数にしているのではないか

元増田は無関心の話をしていて、森博嗣価値観押し付けの話をしているので、別に意味はないです。思い出しただけ。

ただ、「評価する側」のついて最初にきちんと言及しているところが、この文章のすごいなぁと思うところ。

子供が花について何も思わないと言うが、何か思った時に、逆に聞かれたときに、その時に私はどうすればいいのだろう。

因みに私は花は嫌いですグロテスクで。

かいけるなら、ネギがいい。長くて白くて美しいあの細いネギ

http://anond.hatelabo.jp/20110713000724

もびっくりするほど適当芸術家肌なのに経理やってるよ

簿記の考え方とかは勉強すりゃ面白いんだが

一片のミスも無くパチリと納めなきゃいけないっていうこの仕事の特徴的な部分がどう考えても合ってない

合ってないなりにましにはなってきたけど

まあ家で馬鹿な絵や漫画描いて遊んだ投稿したりしてるからバランス取れてていいかもしれない

2011-07-06

今回の震災で親戚を亡くした。

はいっても遠い親戚。

そのことに関して涙を流すようなことは結局無かった。

それでも何も無くなった土地を見たときは足が震えた。


あれからずっと胸の中でつっかえてることがあって、でも上手く口にできないことがある。

それはもうあれ以来ずっと増田でもどこでも散々言われてることなんだけど、この今の日本に漂う空を切る感じ。

みんな復興頑張ろうって言ってる。頑張れって言ってる。

当事者じゃない第三者もみんな口を揃えて頑張ろう頑張れって言ってて、その為に何ができるのか考えてる。

偽善でも愛でも義務でもいいんだけど、そうやって日本を一つにまとめようとするムーブメントを起こそうとしてる。

広告会社TVネットも、それぞれの価値観で風化させないように頑張ってくれてる。

ホントに素晴らしいことだと思うのだけれど、でもそこには何か血が通ってない感じがする。

なぜかどうしても心をうたれない。


私が今回の震災で一番心を打たれたメッセージCMでもキャッチコピーでもデモでもツイートでもない。

あの時、何も無くなった大地に転がった、辛うじて原型を留めているような車のボンネットに真っ赤なスプレーで書かれたメッセージ

「あけない夜はない」

こんなクサくて、ありふれてて、使い回された言葉を見たときに脳天からつま先までしびれて、その後しばらく呆然としてた。

気が付いたら私は泣いていた。


私はあれからずっと、ヒーローを待っている。

それは、どこかの社長でも、政治家の誰かでもなく、芸能人でもない。

ムーブメントは必ず、きっと必ずそのきっかけの中心から起こるはずなんだ。

どんなに周りが大きな風を送っても、中心が凪いでいれば、それは人の心を動かすような大きなムーブメントにはならないのではないかと思う。

あの地震の震源地に一番近い場所で、私はヒーローが産まれるのを待っている。

もう一度、今度はその声で、ものすごい震度日本中の心を震えさせるのを待っている。

芸術家でもいい、バンドでもいい、漫画家でもスポーツ選手でもいい。

私はそういう人が声をあげるのを待っている。


下世話な話だが、そこからは新しいビジネスが生まれたりもするのだろう。

しかしたらもう構想はあるのかもしれない。

被災地が生んだ天才ピアニスト」みたいなことがきっと起こるだろう。

こぞってメディアはとりあげるのだろう。

○○を経験した△△なんてありがちな手法だ。

すでに被災したお笑いコンビを周りがそうやって持ち上げようとしてるのを見かけたりもする。

それでも私はかまわない。

私はあの日、あの場所で見た、あのメッセージのように、その生の声が聞きたい。

そこに生きてる人間の力を感じたい。


いや、それ以外は見たくないのだろう。

私に関して言うなら、きっとそうだ。

それは自分もその血の通わない声と一緒だと思われてしまいそうだからだと思う。

そういうつまらないことを恐れているつまらない人間だ。

自分で考えて動くよりも、自分誰かのために何ができるか考えるよりも、ヒーローに喝采を送るほうがよっぽど楽だからだ。

私もウルトラマン拍手を送る小市民でいたいのだ。

戦闘機を飛ばして意味もない弾をばらまく存在になりたくないだけなんだ。


から広告代理店CM制作会社はつまんないキャッチコピーCM作るヒマがあったら

もっともっと現場の声を伝えてください。

それが、そういうことがあなたたちの仕事でしょう?

AKBプロデュースする暇があったら、もっとプロデュースする対象があるでしょう?

本物のヒーローを私に見せてください。

貴方たちが机の上でコーヒー飲みながら肩肘ついて搾り出したキャッチコピーなんてなんにも響かないんです

2011-06-27

何してもモテない人たち

2011-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20110619095540

コンセプチュアル・アート()だのレディメイド()だのファインアート()だのポップアート()だのコラージュ()だのパッチワーク()だの糞くだらないことしかできない世界芸術家は総じて死ぬべき。

そしてクズを擁護するお前も死ぬべきであり、世界芸術大学解体されなければならない。

カオスラウンジ界隈雑感

http://togetter.com/li/151267

Togetter - 「カオスラウンジ騒動に対する、東浩紀村上隆の対話。」

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/151267はてブ


この梅ラボ関連の話題は、東浩紀の言うように、かなりめんどくさい。でも、思ったことをまとめていこうと思う。

n次創作著作権

なんというか、周期関数かとツッコミを入れたくなるぐらい同じ話題が繰り返されているような気がしますが、こういう創作に関しては、原則として「やっていけないものはない」という前提があります

極端な例示をするなら、「無差別殺人をしてその血をテンペラ画のように塗りたくって、最後にその包丁を突きつけなければ作品が完成しない」として、じゃあ人を殺してはいけないかケチャップじゃいけませんか、というとそうじゃない。

人を殺した代償として裁かれるのであって、人を殺していけないわけではない。

まり量刑と藝術を天秤に掛けて、藝術の方に重きがあるなら殺しても仕方がないでしょう、殺された人には気の毒ですが。やっぱり刑は嫌だな、となれば別な作品を探すしかないでしょう。

まり、何次創作を作るにせよ、著作権なんて屁じゃねーよ!っていう無敵の人にとっては「著作権違反だ!」も「愛がない!」も説得力ゼロなわけです。まあ私自身も、ああいう手法を以て「誠意がない」とか言う批判は正直アホだと思ってます

繰り返しますが、著作権は明らかに違反していますよ。あとは訴えられるかどうかです。そして、その訴えられたかどうか、刑に処されたかどうかというのは、作品評価の是々非々とは一切無縁だということです

むしろこの騒動自体は、騒げば騒ぐだけ大成功ということになりますし、私はもう成功したとみなしていますふたばがどうだ4chがどうだというキメこな起源の文脈はあまり本質ではありません。


引き合いにだすなら

たとえば、まあこういうところで引き合いに出されるだろうものとしてマルセル・デュシャンの「泉」があるでしょう。男性用小便器に署名だけして出品したあれです

今同様のことをするなら、それに小水でも引っ掛けて署名の代わりとし出品するでしょうか、もうされたかな?

作品に関して端的な説明とデュシャンの人となりはここが短くて分かりやすいかと思いますのでどうぞ(http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakaoku(06-7-31))←括弧付き年月日までURL

そしてもう一人、アンディ・ウォーホルも取り上げるべきでしょう。Togetterまとめの中では、鶉アイコンが今作とウォーホルとを態度の違いで「同列には語れない」などとアホ臭いことを語っておりますが全身全霊をもってスルーしてあげてください。(ウォーホルの言う「表だけを見てください」というのは、裏がないことを意味しない。逆もしかり)


今回の騒動は明らかにこういった系譜の延長上にあります。ゆえに、「もう面白くない」というのはまっとうな言い分であると私も思いますデュシャン以降、何が独創性たりうるのかという問題を突きつけられた芸術家達は、常にデュシャン意識せざるをえないのです。あの藝大アカデミズムから反動ガチ保守村上隆さえも。

最近の騒動界隈に対する雑感

このキメこな騒動(そもそもキメこなが使われてるのは一部なんですが)以前にも、近い話題としてChim↑Pomのいわゆる岡本太郎絵画に添えつけた「原発アート」の話題がありました。

これも同じく私は成功したとしている(というか基本こういうやり方もある、という人が界隈では多いのですが、社会との関わりもあって留保的な回答にせざるを得ない)のですが、権威を借りただけだどうだといろいろな反響がありました。

しかしながら、こうもたてつづけに同じような反応を見ていると、何かを感ぜずにはいられません。

藝術と法律というのは別レイヤーで処理されるべきものであり、例えば貨幣偽造にしても千円札裁判のようなものは、法律で裁かれるのはともかく、「裁かれたのだからこれは藝術ではない」と看做している人が一定数存在するような気がしてならないのです(すなわち、同じレイヤーとして法律>藝術という階層がある)

そして著作権違反だという申告をする人々らは、おそらくその人が裁判にかけられるということそれよりも、「こんな表現が藝術として認められるわけがいから、法律で裁いて非芸術にしろ」という動きのようにも見えるのです

それ自体はひとつリアクションなので、どうということはないのですが、様式美にハマっているような気がしないでもないです

(まとめ中で村上隆が「赤瀬川原平との呼応矮小化だ」とこきおろしますが、彼は矮小化意味をわかっていないのではないでしょうか?あるいは、本質であるところを意図的にずらして矮小化捏造しているのだろうか?もっとも、彼の態度は藝術と非藝術は明確な区切りがあると考える立場だと察するので、何か藝術階層から退けられる言葉があれば何でも良かったのかもしれませんが)


まあ僕の意見としては、こうして日本にも藝術が浸透していくのは大変喜ばしいことであり、みなさんどんどん騒いでください、というぐらいの感想です

2011-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20110607003930

君が接してきたデザイナーって「デザイナー芸術家」みたいな勘違いした人間だったっていうそれだけの話で

記事見てるとあなたは「SEO業者」とか「スパム業者」みたいな気がして、むしろ相性がいいんじゃないの?

2011-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20110526194145

すべてのクリエイターっぽい職業人や学生で、幼稚な人や変な人がいたら、

それは特殊な才能の副作用でそうなっているのではなく、

単に世間並みの経験責任から逃げ続けたせいでそうなってるだけです

煽りすぎwww

クリエイターっぽいだとか、才能がどうのだとか関係なく、

人口の中には数%の割合で日常生活に支障をきたしてしま発達障害者がいるのだから増田の論調は煽りすぎだと思うよ。

まぁ芸術家アーティストのことを特別扱いしないほうがいいっていうその言いたいことは分かるんだけどね。

アーティスト様」を甘やかさなくていいです

母も姉も私も美術系の仕事

人に言わせりゃアート一家ってことになるだろうが

私は本当にアーティスト様って奴が嫌いだ。




だいたい世の中の非美術の人が良くないのだけど

とにかく作家と言うものに対して好意的な誤解や情状酌量の用意を持ちすぎている。

芸術家気質」とさえ言えば、非常識や奇矯な振る舞いが許されるようになっている。

度を越して非社会的、生活態度が堕落的、約束を守れない、言うことが幼稚、

…のような欠点が、むしろ何か創作的な才能の証明として美点のように取り扱われてしまう。




いいですか。

すべてのクリエイターっぽい職業人や学生で、幼稚な人や変な人がいたら、

それは特殊な才能の副作用でそうなっているのではなく、

単に世間並みの経験責任から逃げ続けたせいでそうなってるだけです




だいたい「アマデウス」みたいなものが”アーティスト”像として一等に出てくるの状況が良くない。

アーティストに馴染みがない人にとってはああいうのがロールモデルになりますよねどうしても。

でも、”破綻した人格と飛びぬけた才能が先天的かつ不可分なセットになってる天才”なんていうのは

極端で面白いからこそ映画マンガキャラとして出てくるのであって

美大や芸大出ただけの人間にそんなのは居ません。

美大出ごとき人間非常識の振る舞いを繰り返してたら

「さすが芸術家だな」じゃなくて、単に「いい加減な人生送ってきたんだな」と思えば合ってるんです




また、もちろん、

その手の「アーティスト」の変なイメージには美術系の人間自身も冒されています。

私の場合受験のために美術予備校に通うようになってから大量に遭遇して驚いたのですが、

みーんな、「逸脱者」の振る舞いをし始めるんです予備校生時点で。




それがまた明らかに”作った”逸脱で、全員同じ感じの逸脱。

ちょっと離れて見てると一人一人の区別がつかないようなそっくりのノリです

これじゃあ単に、軍隊に入ったら軍人っぽくなるのと同じ現象でしかない。

みんなでそういうレディメイドの逸脱に袖を通しておいて、自分個性的でーすって顔をしてる。

物言いも自信満々な感じになります。これもお揃いの自信満々。

自信満々がアーティストっぽいかです

「私の絵がわからないで落とすような学校にはこっちからお断り!」とか言います。

美大でもその空気は続きます(でも若干緩和します。)




関係ないんですよー、そんな表面上のポーズ製作するものの出来なんて。

どういう態度でも下手な人は下手です

まああんまり下手だとそういう逸脱者ごっこに参加しないものですが、

予備校で上位のほうだったりするともう勘違いが酷いことになります

同学年の上位クラスで逸脱ごっこの気風に染まってないのは私含めて3人しか居なかったですから





「私はアーティストですので」「これは芸術ですから」という免罪符一本で、

社会常識を踏み倒したり、世間に変な迷惑をかけたり、法律をぶち抜いたりしていいのは

アマデウスさんのようなモノホン天才、1時代に1人いるかいないかというレベル天才だけです

これは割合的に言ったら身長230cmの人みたいなもので、

この人に会ったり理解したりできるのは220cmぐらいの人間だけで、

普通に暮らしてれば多分一生すれ違うこともありません。

から現実的には「そんな人間は居ない」と思っていただいて結構です

更に、230cmかつ、世間の誰にでも230cmだと気づいてもらえる人、となると

もう霊界幽霊に近い。




みなさんが普通に暮らす娑婆世界

アート」だ「アーティスト」だと言いながらなんだか意味不明なことやってる人や集団、

そういうのが人様に迷惑をかけていたり、法律に触れたりしていれば、

何の躊躇も容赦もせずに非難したりしょっ引いたりしてかまいません。確率的に言って。




そいつらは「アーティスト」ではなく「アーティスト様」です

単なる「美大なんか出たばっかりに自分に甘くて常識のないだらしない奴になってしまった人間以下人間ですから

「いい年になっても自分天才じゃなかった事実に向き合えない臆病な嘘つき」ですから

モノみたいに蹴っ飛ばして排除していいんですよ。




自分には芸術からいからなあ~」「ひょっとして価値あるのかなー」なんて優しい逡巡は必要ありません。

まっとうに生きてまっとうに働いてる一般人あなたは、そんなのよりずっと偉いんですから

どうか上下関係を間違えないでください。

2011-04-13

「騙された」とか歌って喜んでる斉藤和義信者はこれ読めよマジで

戦争責任者の問題

伊丹万作


 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚しいである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだがたまに外出するとき普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現はないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化無気力、無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人の尊厳冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである

 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義であるしかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。

 戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分自分家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。

 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述ほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したである

現在自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

 しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏手紙示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているかである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである

 なお、私としていまつの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである

 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初ボタンをかけちがえたら最後ボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後したいという決意を、やつと持つことができたのである

 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差ししたことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしましたしかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものでありますしたがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめことなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります

 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなです。また、療養の目的からも遠いことなです

 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)


(『映画春秋昭和二十一年八月号)

2011-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20110328144806

コンプレックス世界を変えてきたと思うけどな。

強者が産まれついての強者だったかというと、そうでもないと思うが。

世襲してるギリシャ皇帝やどっかの大統領は別としても、少なくとも世の中に革命家として名を残した人間のいったいどれくらいが

最初から元増田の言う両方を持っていたんだろうね。

革命家だけじゃない、発明家経営者芸術家音楽家、、、、

淘汰されるのを待つだけの羊で終わるか、羊を率いる羊飼いとなるか、狼となるか、自分次第じゃない?

2011-03-04

先に生まれた人間が偉いわけじゃない

2chに書こうと思ったがなんとなくこっちへ。


芸術が繰り返してきたのは「パクリパクられながら少しずつ新しいアイディアを取り入れ」ることであって、

別に「敬意を払う」必要は必ずしもあるわけではない。

大昔の時代には音楽も劇も似たようなアイディアしかなくてそこらじゅうに似ている曲が溢れてた。

それを少しずつ変えたり、他の民族発見したアイディアを真似したり(ルネサンス印象派日本ブームなど)してここまできた。

そもそもアイディア自体がそんな高尚なものではなくて、誰かが先に思いついたのを「偉大だ」と言っているだけ。

これは言い換えれば「先に生まれた奴がエライ」とほぼ同義であり、

未来に生まれる人間ほど愚かだということになるんだけどそんなことを了承する人間は誰もいない。

過去の時代の人間未来の俺たちを嗤うことなどありえない(彼らは既に死んでる)



パクったアイディアで作ったものをさも自分で作ったかのようにふるまったとしても、それは「先に生まれた奴がエライわけじゃない」んだから当然であり、

著作権法自分最初かどうか分からない(もしくは最初でないと明確に分かっている)アイディアを無理やりオリジナルに仕立てあげる醜悪極まりないもので、

芸術家収入を得るためにというが、芸術で金を稼げる人間なんてほとんどいないだろうから副業程度でやるべきだと思う。

あと、芸術品自体は自由にダウンロードさせて寄付を募ったほうがいい。それで金が集まらないならその程度ということで、ネットが発達した現在ではCDの売り上げを見るよりよっぽど明らかな数字のはず。

もちろんまだネットでは流通させられない芸術品(壺とかフィギュアとか)はあるにはあるが、それらがネットダウンロードできる日もそう遠くはないだろう(主に3Dプリンターとかの技術の発達で)

2011-03-01

中華ヒップホップ音楽

日本中国ヒップホップなどを聴くことはあまりないので、何曲かまとめました

中華ヒップホップ音楽【作業用BGM】 ‐ ニコニコ動画(原宿)

以下曲目。



01. 大丈夫 - YouTube

日華 a.k.a. NYCCA (日本)

V.O.W. -Victory Over War- (2007)

広東語日本語英語普通語を操る日華の曲(でもこの曲では広東語ラップしてない)。



02. 台灣之子 - YouTube

麻吉 a.k.a. MACHI (台湾)

黃立成 & 麻吉 (2003)

台湾ヒップホップの草分け、L.A. Boyzの黃立成によって結成された麻吉。台湾語ラップ



03. Hit the Rhyme - YouTube (Live ver.)

蛋堡 a.k.a Soft Lipa (台南)

收敛水 (2009)

2010年には日本JABBERLOOPアルバム「月光」(YT)を出した。同じく'10年の台湾ヒップホップダンスドキュメンタリー「街舞狂潮」主題歌(YT)も手がけてる。



04. Bring you da sky - YouTube

L.C.T (内モンゴル自治区フフホト)

龍咆 (Dragon Roar) Vol.8 (2009)

トラックは「Resurrection」Common(YT)と同ネタで、「Dolphin Dance」Ahmad Jamal (YT)から。ミックステープ「龍咆」シリーズ無料DLできる。



05. 風生水起 feat. 麥玲玲 師傅 - YouTube

農夫 a.k.a. FAMA (香港)

風生水起 (2008)

'96年DMC世界2位のDJ Tommy(YT)に見出された、6WingとC君の二人組。フューチャリングの麥玲玲は香港一有名な風水師で、本当に曲中でラップしてる。



06. 雙截棍 - YouTube

周杰倫 a.k.a. Jay Chou (台湾)

范特西 Fantasy (2001)

この10年くらい中華圏で最も人気のミュージシャンジェイ・チョウの初期の曲。雙截棍はヌンチャクの意。



07. Used to love her - YouTube

参劈 a.k.a. Tri Poets (台湾)

押韻的開始 (2008)

アルバムに収録されてる「巨蟒」(YT)は「大蛇は長くてカッコイイぜ」という歌。



08. 傻X II feat. 杨帆 - YouTube

呆宝静 a.k.a. Double.J (福州/広州)

女権運動2009 (2009)

呆宝静は広州グループ天王星 Uranus」所属。このアルバム中国女性ラッパーコンピで、無料DLできる(China Woman's Rights 2009 Mixtape)。



09. Dream Girl (Version C Kwan) - YouTube

農夫 a.k.a. FAMA (香港)

O'Fama (2010)

陳冠希(エディソン・チャン)プロデュースアルバム「O'Fama」収録。歌詞に「Facebook delete所有異性...」とでてくるのが香港っぽい。



10. 北京土著 - YouTube

張伯宏 (北京)

复生弥撒 (2007)

'88年生まれ、いわゆる80後(一人っ子政策以後の80年代に生まれた世代)の張伯宏、18歳の時の作品。



11. Learn Chinese - YouTube

Jin a.k.a. 歐陽靖 (アメリカ/香港)

The Rest Is History (2004)

アメリカ生まれの中国人ラッパーアルバムABC」(American Born Chinese)は、2010年アジア系で史上初の全米1位を取ったFar East Movement(YT)が全曲プロデュース



12. 在梅邊 - YouTube

王力宏 a.k.a. Wang Leehom (アメリカ/台湾)

蓋世英雄 Heroes Of Earth (2006)

日本人っぽく「おうりき・ひろし」とも読める。前作「心中日月 Shangri-Laから西洋中華音楽をミックスするChinked Outスタイルで、京劇などを取り入れている。



13. 在北京 - YouTube

隠藏 a.k.a. Yin Ts'ang (北京)

為人民服務 Serve The People (2003)

中国人+カナダ華僑+アメリカ人*2の4人組、隠藏の一曲。メンバーの老郑XIVとSbazzoはソロでも色々と活躍している。



14. 激光中 - YouTube

廿四味 a.k.a. 24Herbs (香港)

2009

Roman Tam(羅文)のヒット曲「激光中」(YT)のリミックス。「廿四味YaSeiMei」は24種類の漢方が入っているお茶(廿=20)。



15. 含家玲 (Live ver.) - YouTube

LMF a.k.a. Lazy Mutha Fucka (香港)

大懶堂 (2000)

香港ヒップホップ・シーンを築いた伝説グループLMFの問題作。含家玲は広東語のかなりキツイ罵倒語



16. 韓流來襲 - YouTube (Live ver.)

Mc HotDog a.k.a. 熱狗 (台北)

テレビには韓国セルアウトばっかりじゃねえかという曲。サビはFuck You的な放送禁止フレーズ



17. 中国話 - YouTube

S.H.E (台湾)

Play (2007)

台湾の人気女性アイドルグループの曲だが、「世界中国語を学んでいる」みたい歌詞媚中(大陸に媚びてる)と一部から批判を浴びた。



18. 恭喜發財 - YouTube

顏社 a.k.a. KAO! INC. (台湾)

2007

蛋堡 Soft Lipaの所属するレーベル謹賀新年曲。「恭喜發財」は「おめでとう、今年も儲かりますように」という中国っぽい新年の決まり文句。



19. 咖哩辣椒 - YouTube

潘瑋柏 a.k.a. Wilber Pan (台湾/アメリカ)

我的麥克風 Pass Me The Mic (2003)

弦子との不得不愛(YT)がヒットして、NHK中国語講座主題歌になったりした人。



20. 廣東菜 - YouTube

講者,MC仁 (広州/香港)

2009

講者は広州グループMC仁はLMFのメンバー。サビで「ホウメイ」といっているのは広東語の「好味」。



21. 北京晚报 - YouTube

阴三儿 a.k.a. In3 (北京)

未知芸術家 (2008)

カメレオンの如く舌を「er」と巻く北京弁の感じがよく分かる。



22. 霞飞路87号 - YouTube

黑棒 a.k.a. Hi-Bomb (上海)

嘻哈第一棒 (2004)

上海語ラップMVがイカしてる。



23. 我是重慶崽儿 - YouTube

潤土 (重慶)

瘋狂的石頭 Crazy Stone O.S.T. (2006)

映画「瘋狂的石頭」エンディング曲。内容は「Snatch」のパクリたいなもんですが、北京上海はな地方都市の雰囲気や、現代中国の笑いが詰まってて最高です

2011-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20110201113555

頭悪いんじゃ無いのか。

死後、赤の他人しかスコアを計れないのに、死亡時点のスコアを競うってのが、自己満足でなくて何なんだよw

さっきから君は他の馬鹿と比べても真剣意味がわからないんだが

じゃあ妄想ゲームじゃなくて君の実人生で考えてみよう。

君が何かの研究者だったとする。芸術家でもいいけど。




君は一生懸命論文なり作品なりをアウトプットして、まあ何十年かして死ぬ。

生きてる間に君自身が「いい人生だ」と思う、これが"自己の満足"だ。

仕事でうだつが上がろうが上がるまいが自分が満足してりゃ人生は勝ちだよな。

一方、赤の他人が君の業績を測って評価する。

研究がどれだけ革新的で学問進歩させたか、作品がアートシーンにどれほど影響を与えたか

これが客観的な君の"スコア"だ。

死後に赤の他人に頂く評価こそが客観的スコアであり

君が生きている間に自分の脳で認知する満足感が自己満足だ。




君は根っこから日本語の使い方間違ってない?



こんなもの、カンフル剤的な建て直しは幾らでもやれるだろうよ。

それこそ、独裁者犠牲を強いて「その場だけ取り繕う」のはな

で、それで満足なんだろ?

後のことは知らないんだろ?

独裁の政策は「後から取り返しがつかないものから優先してある。

さっきもそう書いたけどな。

した老人も本国送還した外国人保険制度の血を見る改革も

独裁者を打倒して縛り首にしてももう元には戻らない。




独裁者を吊るした綺麗な手の日本政体後継者

独裁者悪名と共に主要病巣が取り除かれた日本を引き継ぐ。

独裁者は死後も墓にクソを掛けられるだろうが

日本を立て直すことには成功して死んだわけだ。

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