はてなキーワード: イデオロギーとは
私みたいに、緊縮財政・行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気やタカ派的挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。
僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代の核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである。
だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。
たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革や財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。
私みたいに、緊縮財政・行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気やタカ派的挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。
佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中の非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧さから目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである。
私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギーと実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギー的ものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。
余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックなイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。
ひとりのAnonymous Cowardより
http://anond.hatelabo.jp/20120123133344
いや、それでうまくいくと本当に思ってるならどうぞご自由に?
あとね、全体的に自分のイデオロギーの押し付けが先行して、まともに文章読めてない。
まず新卒一括採用を維持なんて一言も書いた覚えはないし、「無理なら取らなくていいんだよ」なんて当たり前。
でも現状それができない。なぜ一括採用になってるかというと就活サイトなどを使わないと情報を学生に伝えるチャネルを持ってないからだよな。
そういうのを踏まえて新卒一括採用の必要性をなくすための方策、その過程を書いているんだよ。
先に制度をかえてうまくいくと思ってる人って実際にやれるもんならやってみればいい。
会社の人事が変わるべきって話なら、そもそも新卒一括採用を止めて、各部署が自分の売り上げと相談して、欲しい人材を確保すればよいだけ。
こういう短絡的な机上論を述べる奴って2ちゃんねるでよく見るけど、やってみろよ。具体的な企画書書いて持って来い。
うまくいってる実例もってこい。ちゃんと研究成果を添えてな。
仕組みも知らず、周りの声に流されてろくに考えずに発言する奴は、一括採用がなくなったらますます不利になると理解しような?
まずタイトルについて。
まずこれは議論じゃなくて政治の進め方として何だけれど
「1つしかルートを持ってない人が政治をやる」というのは危険過ぎる。
最善ではなくてもプランB,C,Dを考えるまではして欲しい。
橋下さんはまずそれを考える手間をちゃんとかけたのか、と問いただすと「文句があるなら代替案を出せ」という人がいる。
「より良い改善案」が提示できるって事は、とうぜん現場をきちんと把握してる必要があるだろう。
机上の空論などではなくね。
改善案が理想論なのは全然許せるが、「問題も対案も空論」では話にならない、「問題も対案もきちんと判っています」と言えなければダメだろう。
「現場を知らない」程度で封殺されるなんて、お粗末も良い所だ。
絶大な自信で「私は把握している」と返答できなきゃダメ
代替案は別に最善でなくても良い。今の案の問題点を検討するきっかけになるだけでも価値がある。
「ダイタイアンガー」という人の難点は、ろくに考えてない奴に限って行動が大事とか言い出すこと。
こういう人は、最初は威勢はいいのだが、一度行き詰まると急速に失速する。いろんなルートを考慮していないから。
そして、この時に自らの正当性を維持しようとして強権政治になる危険が高い。これは歴史的に何度も繰り返されてきた。
こういうのは非常に困るんですよ。
「もっと良い案を出せないのに何が教授だ」「代替案出せなかったんだから教授の負けだろ」と言いたい人の気持はわかる。
でもそうじゃないんだよね。少なくとも、そういう返答を真剣に求めているなら、
橋下さんはあのテレビ番組じゃなく別の場を要求すべきだった。いや、どうせわかっててやってるんだろうけど。
最初からその返答をまともに出せないような場を作っておいて、ちゃんとした返答ができないからオレの勝ちってのはインチキなんだよ。
だから結論部分だけパッというと「じゃあもっといい改善案出せよ」「ダイタイアンガー」になっちゃう。
ただ、教授側にも言い分はある。
まず相手がどこまで論理的な土台があるかを把握・合意した上でないと、どう意見を出していいのかわからない。
まどろっこしいと思うかもしれないけれど、アカデミズムってのはそういうやり方で成り立ってるんだ。
橋下徹さんみたいに、自分の意見を主張して受け取り方は相手に任せるってやり方じゃないんだよ。
それを橋下徹さんみたいに、話すそばから自分と関係ない土台で話をする。話をきくという態度が全くない、では
意見をだそうにも出しようがないんだよね。
池上彰さんみたいにわかりやすく話せる人もいるじゃないかと思うかもしれないけれど、
あの人は、自分の意見を言わないよね。彼は自分の主張を持たず、誰かがいった過去の話をわかりやすく整理するだけだからああやってスマートに話せる。
でも学者から意見を求めるなら、もっと時間をかけて聞かないと駄目だ。
ワイドショーの20分程度の枠で、しかも橋下徹さんが10分以上も喋って、と企画の時点で失敗している。
政治の世界、テレビの世界ってのはそういうやり方は通用しないぞっていう言い分はわからないでもないんだけれど、
じゃあ、彼は「アカデミズムのやり方には対応する能力も時間も無いので無視します。私以外のものに勉強させます」という態度を取るのが誠実だと思う。
今みたいに、相手が意見を述べる前提すら受け入れずに、言いたいことだけ言って、論破しましたってパフォーマンスはプロレスより悪質。
仮にも学者を呼びつけておいて、あの態度というのは、反知性主義の極みというしかないかな、と。(あーでもそれがますます指示に結びつくのかなー)
橋下徹さんが本当の意味で相手を論破したいなら、フジテレビBSのプライムニュースやUSTREAMの時間無制限方式でやるしかない。
とりあず爆笑問題の各教授に話を聞きに行く、みたいな番組のようにひと通り相手の思考プロセスを追った上で、そのプロセスに反論スべきだ。
自分の土俵で勝っても論破したとは言わない・・・のだけれどね。まぁ言ってもしょうがない。
とりあえず今回の放送でよくわかったのは、橋下徹さんは人の話を全く聞くつもりは全くなく、
反対派は力づくで、あるいは今回のようにイカサマをやってでも潰すという姿勢の持ち主だということ。非常に恐ろしい。
いや、まぁそれもささいなことだ。政治家ってのはもともと教養がない人種だからね。実学しか認めない人たちだからそこは期待しない。
それより私が心配しているのは、別に巷の学者の声なんかいちいち相手しなくてもいいけど、
とにかく最低でも一人は、ちゃんと理論を踏まえて、じっくり考えて意見を彼にアドバイス出来る人がいるのか、ということ。
「いかに相手の教授がヘボであるか」をいくら主張しても、橋下さん自身のアイデアが良くなるわけじゃない。
「学者の意見」や「代替案」を封じ込めて、代替案がないことをもって自分を正当化しても、橋下さんの考えが間違ってたら結局上手くいかないんだ。
上手くいかないものを、独裁という形で無理やりうまく行かせようとすると、最悪の結果しか生まない。
橋下さん自身が考えなくてもいい、むしろ彼は強く偏ったイデオロギーの持ち主だから自分の頭で全部考えようとしないほうがいい。
方向性を決めて、いいアイデアを求めて、それを判断すればいい。
ただ、今のところ、彼の実績を見ていると、
コスト削減に躍起になってるだけ、実学以外を軽視し、目立ちやすいところにはどんどん手をつけるが全体を見通す目がない、という印象を持つ。
これは橋下さんが自分で考えちゃってるってことなんじゃないかな、と。
別に彼がクソ教授だと思う人の相手はしなくていい。でも、嫌いな相手をあきらかにするのと同じくらい、彼が正しいと思っているものを
ロシアは現地人に対しては過酷であったが、はるかに立場が弱いはずの日本人とは友人として接した。ロシア人には人種的な差別意識というものはあまりない。あるのは強烈な利害関係意識であるようだ。いったん利害関係が成立した相手に対しては節操がなくなるのだが、利害関係を持たない相手には、損得抜きに友人として人懐っこく心をひらいてくる。西欧人はこうは行かない。利害関係が生じた相手とは表面的にはことさら仲良く見せようとする。そのかわり腹の底の差別意識はもう損得抜きにどうにもならぬほど強烈なものがある。どっちがよいかという事ではないのだろう。明治以降の日本のような付け焼刃のイデオロギーとはわけが違う。もっと根深い人間性の違いであろう。
(風雲児たち 9)
ですが、それだけではないと思います。今回の圧勝のもう一つの要因は「余りにもお粗末な敵失」でしょう。民主+自民の既成政党の動きは、例えばアメリカでティーパーティーに対抗している民主党(米)とは比較にならないほどの低レベルでした。
まず、橋下新市長が「どうして日の丸・君が代にこだわったのか?」という戦術を全く理解していないという「大バカ、大間抜け」ぶりにあります。あれは非常にシンプルな戦術なのです。維新の人たちは、別に戦前の日本に戻したいわけでも「たちあがれ」的な形で高齢者のカルチャーに寄り添いたいのでもありません。
そうではなくて「日の丸・君が代」で攻めれば「敵はきっとイデオロギーから反発して感情的になる」だろうというのが彼等の「狙い」なのです。そうして「庶民の生活レベルの話や、大阪全域の経済再建」などの実務的な、具体的な政策論を説く代わりに、イデオロギー的な橋下批判に彼らが専念すれば「シメシメ」という作戦です。
イデオロギー的にカッカすることで、「反独裁」とか「反ファッショ」などという絶叫しかできない場所に追い詰められ、それが正義だと我を忘れた「反橋下」陣営を見ていると、中間層は選挙戦の展開を見ながら、これでは自分たちの民生向上にも閉塞感打破にも「全く役に立たない」という風に見てしまったわけです。
こうなると完全に橋下氏の「思うツボ」です。一旦自分たちがモメンタムを獲得してしまえば、反対派が「反独裁」を叫ぶということは「漠然と橋下支持を固めた中間層」に対して「お前たちはバカだ」と見下しているということになり、「叫べば叫ぶほど票が逃げていく」無限の循環に陥るからです。まんまと罠にはまったわけで、以降は全く勝負にならなかったのです。弁解の余地はありません。
橋下が本当にそんな戦略をとっていたかはさておき、敵失の分析は妥当な所だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20111124032014
自分とは逆の目線から、これでもかとばかりに書かれているので反応してみる。
元増田が書いているのは要するに、この男には価値を感じない、ということだ。
しかし、相手の男は、少なくともお見合いの場に出てきているのだから
まあそこそこの職場に勤めているんじゃなかろうか。
少なくとも同僚や、あるいは学生時代の友人とと上手くやっていくだけの最低限の
コミュ力や、継続的に仕事や学業で、それなりにでも努力できる資質があるってこと
じゃないかと予想できる。
で、これだけのことが全部、童貞=恋愛経験がない=恋愛に資するリソースが無い
ということだけで無視され、全体としては「きもい」と拒否感を感じられ、軽侮され
怠慢だとか評価されてしまうわけだ。
結婚を考える場でありながら、継続的に収入を得られることやそのために努力した
ことはまるで評価せず、男性的な魅力が乏しく過去に経験が無いだけで「きもい」だ。
実際、自分も似たような経験があるのだが、正直馬鹿馬鹿しいという他ない。
それほど男性的魅力が欲しければ、まっとうな見合いの場になど出てこないで
結婚を考えるような状況で、収入の高さや、その収入を得るためにどれほど努力したか
ってのは、かなり高いポイントになるはず。
それを、婚活している女性は、男性的魅力の少なさを理由にして大幅に割り引いて
若さが無くなり魅力も少ない自分と釣り合わせようとするんだよね。
この元増田の、相手を過剰にDisるオーバーな表現なんてまさにそうだ。
こんな奴等ばかりなんだもの、結婚なんてとても考えられないわ。
自分の遺伝子を残そうとしないのは生物的におかしいというのは、生物学的に全くの間違い。
社会性を持つ動物は、直接的に自分の遺伝子を残そうとしなくても、自分に近似した遺伝子
つまり兄妹親戚の遺伝子が 残ることをサポートすることで、遺伝子の継承という目標を達成
している。
一人一人が全て己の遺伝子を残さなければならないというのは、生物学ではなく、キリスト教や
特に日本人という近似性が高いものが1億もいる遺伝子プールの中では、ちょっとやそっとの
欠損は容易に補填される。
本当はTwitterでreplyすりゃいいんだけど、仲間内利用アカウントのみで、NaokiTakahashi氏と隣接するようなアカウントを持ってないので。
増田に書いとけば、そのうち氏のエゴサーチに引っかかりそうなのでココに書く。
ぶっちゃけ、日本(ということは全世界)の「シナリオライター」で現行の「オタク・二次元文化」に専門的に詳しく「ラディカル・フェミニズム」や「ジェンダー論」「セクシャルマイノリティ論」にも高度に詳しいのはこの人だと思う。
つまりNaokiTakahashi氏に一度でいいから「セクマイもの」のエロゲシナリオを書いて欲しいんですよ!!
ラディフェミやジェンダー論やセクマイ論がこっそり絡んでるような「セクマイもの」のエロゲ。
まあ商業ライターだし、これは売れないだろうなあ・・・採算取れないだろうなあ・・・とは思うんだけど。無理強いですね。まあネットに書くだけならタダなので。…市場需要を発信したく思いまして。
ヘテロ・ゲイ・バイ、性自認男、女、中性、色々あるけど、セクマイの中でもマイノリティな存在があるわけです。
肉体は男で、性自認的には男は余り好かない、MtFは違う、本当は中性的なのがよかったけど、でも現実には男だから男に適合しないといけない、ゲイにもなれずバイとも言い難い、じゃあヘテロかと言うと当然違う、恋愛が理解できなくて無性愛に近いけど性欲はわりと強い…
自分みたいなどこの枠にも嵌りづらいタイプで草食系だと、LGBTコミュニティの多数派にも適合しづらいし…
Twitterやはてなのおやさしくて良識的なインテリは勘違いしてそうだけど、ガチのセクマイの中でもマイノリティだと「二次元文化」とやけに相性がいいんです。なぜなら、現実の肉体・社会と精神面がズレ過ぎで、紙の上に描かれた想像のポルノが一番「自分の性」に適合してる気がしてくるから。日本の二次元ポルノは世界一多様なので。オタクは女性差別的って言ってる人は、メジャーなヘテロ用のポルノしか見てないと思う。でもメジャーな大通りがあるからこそ、マイナーなセクマイポルノも生存できるんだし。色々とズレるけど即売会だとふぁーすととか(でもケモノクラスタのセクマイ率高いよね)。ヘテロが嫌いだからって規制されたらセクマイも死ぬから困る。
「セクマイ」といったって、みんながみんな「セクマイ論者」で、あるいは「フェミニズムやジェンダー論」大好きだったりするわけじゃあないし。
セクマイ論者はあくまで「イデオロギー的に結託したセクマイの集合」。だと思う。
もちろん、彼らが結託して社会的に闘ってくれてるおかげで、自分みたいな弱小一般人のLGBTが制度的に楽できていられるのはわかるんだけども。
フェミニズムの語る「男は暴力性や支配欲がある」が大嫌いです。自分にはそんなものはない。
攻撃性が変に内側に向かってるし、性的には被虐欲強いとか言うアレ。でも実際に暴力は振られたくないですね。ただ「そういった作品」を読むのは好み。
はてなやツイッターとかでオタコンテンツを「ヘテロの暴力性丸出し」とか言ってる人も嫌い。
「人間の性」は、とくに「性表現」は、社会的に統制していいものじゃあないと思う。
作品が暴力性をまとっていたとしても、読んだ人間がどう受け取るか、人の数だけ多様なので。
ラディ・フェミの語る誰得論を知ったせいで、変に自分の性が拗れたんだけどー、まあ要はインプットが自己責任だしな。
つまり何が言いたいかというと、一般社会の男の枠組みの中で育ってはじめから拗れてる上に、実はヘテロ男ではないことに思春期に気付いちゃって、ゲイかと思ってたら違って、あれ性自認も男じゃなくね?って気付いちゃって、その上更にラディ・フェミの男に対する暴力性を内面化しちゃって、攻撃性や支配欲は内向きに拗れてて、もう色々とセクシャリティがメビウスの輪状態なんですよ自分。
どーすりゃいいわけ?これ。ほんと。でもこれ、陵辱系エロゲの素材としてウケると思う、主に自分に(←これが言いたかった)
それに、はてなとかTwitterで「どや顔でフェミニズム語ってる男」「女性の守護者ぶってる男」「セクマイに理解ありますな人」って脂ぎった肉食系中高年男性が多すぎだと思う。バブル世代あたりの。
なんか認識がすごい古いし、セクマイ理解のためにBLを嗜んで、したり顔してそう。
ああいう人達は自分が男尊女卑だからこそ、他人の中に「女性に対する暴力性・支配欲」が見えちゃってるんじゃないかと常々思ってます。
敵の論を学んで論戦とかしてた高橋先生なら「ラディフェミ」「ジェンダー論」「セクマイ論」を絡めた、主人公がセクマイの(できれば性自認は男でも女でもないほうがいいなー、ホモルートにもヘテロルートにも男の娘ルートにもいけるし)ドロドロの陵辱系エロゲーを書いてくれそうなんだけど・・・純愛でもいいです。どっちも好きだし。
まあこれって商業的じゃないよね。
中国共産党のトップがリバタリアン扱いってなかなか面白いジョークだよな。
リバタリアニズム(英: libertarianism)は、自由主義思想の中でも個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治的イデオロギーである。リバタリアニズムは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える。日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、本来の思想から語意が変遷している「リベラリズム」と区別する意味で、単に「自由主義」と訳されることはあまりなく、完全自由主義、自由至上主義、自由意志主義、古典的自由主義など多数の邦訳が存在する。しばしば新自由主義、市場原理主義と同義で使用されることもある。またリバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。
この人は問題分析のウチ、
1問題指摘と
2関連の文学素養を
一つのつながった文章と考えるからおかしいのであって、要素要素はレベルが高い。
解決策部分は全く期待しないほうがいい。
http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php
ふざけんな。
内田樹の中にあるゴーイング・コンサーンの前提はなんとかならんのか
弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。
ここは素晴らしい。
「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
平等だけを主張することは不可能だし、自立のみ、団結のみというのも不可能であることを上手に説明されている。
これはネット出現以前のコミュニティの大原則である。この原則を違えるとモンペとかバカ民主党みたいなことになる。
ネットが出現しても人が人であるかぎりそう変わるものではないだろう。とても大事な事である。
ただし
それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。
は論外。上のことがわかっていて、なぜイデオロギーの問題だけで解決できるように語るのか。
本当に、この人のこういうところは本当に、困ったところだ。困ったちゃんである。
この人の指摘がいつもずれてるのはなんでかなーと思ってたんだけど
この人は結局のところいつまで経っても社会が存続すると思ってるんだよな
贈与の考え方ってのは大前提として、社会が安定したまま続く状態がある。
余剰は必要としないが、関係性が維持されていることは絶対に必要な条件だ。
後に自分の何かを残したい、引き継ぎたいって思う対象がいなければその発想は生じない。
むしろさっさと全てが壊れてなくなってしまえって思ってる時に贈与の発想なんてクソみたいなもんだ。
「希望は戦争」とまで言わなくても「何ものこさずにひっそりと消えたい」とか「何一つ引き継がないことで今の世を否定する」ことにしか希望がないひともいるんだ。
もっとはっきり言おうか。
若者の問題を論じる場合、先に親の世代が病んでることを論じるのを避けるほどアンフェアなことはない。
それは遺伝性の病気に対して、子供がその病気にかかっていたら、子供に責任があるように語るほど間抜けなことだ。
自分が生きることで精一杯で、自分が生きるために子供を殺す親がたくさんいることについてはどう考えているんだ?
局所的に見たら、その過程ではすでに戦線が崩壊している。どうやっても持ちこたえられない。
その状態で、なお若者に戦線を死守しろという指揮官があなただ。
それは無能ではないかも知れないが、残酷であるという自覚はあるのだろうか?
私には後方でふんぞり返って最前線を見ていない無能な指揮官にすら見える。
彼にはどうせ答えられないだろう。
そんなに連帯が大事で素晴らしい物なら、なぜ連帯がうまくいってた彼ら団塊世代はいまこんなにも老害を晒しているのか。
彼らが連帯して世の流れに反発しているという視点をなぜ持てないのか。
なぜ「大人」のやってるというだけでそれが幼稚な反抗という評価を免れることが許されるのか。
なぜ「若者」のやってるということだけで未熟であったり不足という評価をつけることを当然としているのか。
そういうことに彼の論法では全く答えられない。
そしてなにより、連帯はプラス要素もあるが、マイナス要素も多分にある。むしろ停滞期には負の面が強く出る。
それも多分彼はわかっていて、とぼけているのだ。なんともずる賢いことだ。
この人が解決策を論じるために書いているなら、まず話を若者からすたーとするのも良かろう。
しかしこの人は問題しか論じないのだ。解決策はいつもイデオロギー的な理想論に終止するのみだ。
ソレにもかかわらず、この人は若者の話しか取り上げないのだ。自分が含まれる大人たち、老人たちについては触れようとしない。
そこに大いなる欺瞞がある。そしてこの人はそれに対して自覚的だ。自覚的であるから文章のテクニックを用いて読者をけむにまく。
問題を責任者のない不可避の現象として表現し、問題について責任者の存在を隠匿した後で、解決の部分だけ責任を若者に割り振ろうとする。
社会の存続に必要な「少子化」に絞ってもご覧のとおりだ。怒りを通り越してうんざりしてさらに一周して怒りを覚える。
本当に頭のよい人というのは、自分の立場をまもるためにここまでやるのか、と唖然とする。
http://blog.tatsuru.com/2006/11/11_1038.php
http://blog.tatsuru.com/2007/02/01_1103.php
http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php
この人はとにかく卑怯だと思う。さすがマルクスの信奉者といったところだが、私はこういう小賢しさが大嫌いだ。
一度でいいから、マスコミと若者とアメリカの陰謀以外に責任を割り振るのをやめて「私はコレについて責任を持つ」と書けよ。
もっとも、処世術としては、自分が何について責任を負うかについては自分より偉い人にのみ語るのが正しいことだ。
大衆や目下の者に対してそれを語り、そのとおり実行しても彼らは自分に報いてくれるわけではないからだ。
自分の責任は、自分とソレより上の者の間で共有し、下のものには結果のみを示すのは何も間違いではない。
ハックルさんみたいにところかまわず自分の使命を吹いて回るのはキチ○イである。
しかし、自らの周囲との関係を重視して、大通りに出て狂人あるいは政治家として振る舞うことを避けるのであれば、他人に対して責任を強制する資格はない。 この人は無認可で街頭演説する政治家みたいでたちが悪い。
結局のところ、贈与云々を言ってる人が、誰よりも計算高く、出し惜しみをしているというところがオチなのだ。
若者が求めているのは年寄りの説教ではない。年寄りが何らか社会の問題にコミットする姿勢を見せることである。
今は価値が分からなくても将来は、とか、この贈与の価値がわからないのはバカだなどと言い出すならばハックルさんと同レベルである。
ちなみに、冒頭のタイトルと反するようだけれど、私は内田樹の著書のファンだ。著書は大好き。
さらに繰り返すがこの記事において「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
デリダの赦しの話、Routledgeから出ているOn Cosmopolitanism and Forgivenessは薄いす分かりやすいのだけど、和訳はないのかしらと探したら本にはまとまってないらしい。おそらく現代思想2000年11月号に所収?
http://kunieda.sfc.keio.ac.jp/2010/10/jacques-derrida-le-siecle-et-le-pardon-1999.html
で、この現代思想をさがしていたら、イラン人難民問題の話にたどりつく。同性愛者として難民を希望して日本へやってきたイラン人S氏の苦難。
日本の入管には人の心がないのか?
http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/gendaisisou.html
例のおっさんが「イランに同性愛者はいません」とかほざいたとおり彼の国における弾圧は容易に分かるもの。
で、
恥ずかしいことに結局このSさん日本から難民指定を受けることなく、別の第三国で難民指定を受けることになって出国だという。
http://www.sukotan.com/shayda/shayda_50.html
これが極東アジアを代表する民主国家か?先のベージに書かれた支援者の素直な表現に同意する。
3.私たちはしかし、その勝利を、十分な喜びとともに祝うことはできない。むし ろ、私たちは悲しみをすら感じている。それは、彼がすでにもうこの土地にはいない こと、私たちが彼と同じ土地において生き続けていくことができないことに由来す る。この勝利は、私たちと彼との間に国境という分断線を引くことを前提にかちとら れた。今、この土地に彼はおらず、私たちは、彼を拒絶する政府を持つこの土地で生 き続けなければならない。この勝利は、喜びではなく、喪失感とともにある勝利であ る。
4.この喪失感が意味することはすなわち、私たちの=この土地に生き続ける者とし ての私たちの闘いは、終わっていないということである。私たちと彼との間に引かれ ているのは、彼を難民として受け入れる政府を持つ土地と、彼を拒絶する政府を持つ 土地との分断線である。この分断線を消していくこと、「十分に理由のある迫害の恐 怖」に直面した者たちを難民として受け入れる、当たり前の政府を、自らの土地に持 つことが、私たちの課題として残された。
決して答えへと到達しえない赦しの概念を論じ考えたデリダの、人としての、あたたかさ、にこの国の政府が学ぶことを望む。
(アパルトヘイトを乗り越え、共に生きようと模索する南アフリカの国民を支援したデリダの議論に僕は敬服する。)
また市井にある私が、社会的弱者(という立場にさせられている、追い込まれている人々)のサポートをなんなりと出来る範囲で実現できれば。
【蛇足】
街宣車をデモによこした右翼の方々はイデオロギーを離れ、こうしたアクチュアルな社会問題へ動くことができるだろうか?
【参考】
本当にやったとしたら、切られることを分かってやったんだろうし、動機はイデオロギーでしょう。
togetter嫌いなのでこっちでまとめ
Aさんの発言
原発は単なる巨大建築ではない。特定の思想を体現している以上、それはひとつのカテドラル(大聖堂)と見做さなければならない。とすれば、それを解体するためには、テクニカルな課題を処理する以前に、まずイデオロギー上の戦争に勝利する必要がある。と、これはやはり泥仕合になるわけですね。
脱原発の運動が時にカルト化の傾向をはらんでいるように見えるのは、彼らの敵である原発がどうにもこうにも宗教的な存在だからなのでしょうね。
クルマの馬力だったりCPUのクロック周波数だったりジェット戦闘機の推力だったり、そういう単線的なスペックが大好きな男の子たちにとって、原発の圧倒的なスペックは、やっぱり魅力なのだろうと思う。多少(じゃないわけだが)のリスクがあるにしても。っていうか、あればこそかもしれない。
オレだってクアッドコアのCPUをあきらめていまさら80286ぐらいに戻れって言われたら、やっぱり抵抗するだろうし、原発の中の人たちがあきらめたくない気持はわかります。くやしいよね
F1から撤退して来年からツール・ド・フランスなんて言われても技術者は呆然ですよw
魚類飼育者の中には、とにかくデカい魚が好きな一派がいて、彼らは経済力させ許せばマグロぐらいは飼いたいと思っています。でも、原子力は、あれは鯨です。テクノロジー上の中二病患者でないと、あんなものを水槽に閉じ込めようとは考えないと思います。
に対してBさん
Aさん
Bさん
では自爆テロを崇める人の心証も語れば?
Aさん
原発を崇めることが素晴らしいと言っているのではありません。
Bさん
どれだけの人が苦しんでいるか考えてみたことありますか。想像してみたことありますか。自分がその立場になったらと考えてみたことありますか?
Aさん
Bさん
だから心証について語れば?
Aさん
Bさん
Aさん
Bさん
Aさん
Bさん
すみませんでしたもう何も言いません
Aさん
了解しました
Bさん最後に連投
・本当に無視したければすればいい。出来てないところが弱さでしょ
・ツイッターではこうしたやり方でひとりの人間を追い詰めることもできます。相手の状況など考えませんから
・つぶやきにちょっとした疑問を抱いただけでしたけどね、それがよくなかったならもう何も言いません。
無視したら無視したで文句を言ったり勝利宣言をして、無視しなかったら「傷つけられた」というこまっちゃん。は確実にいる。
こういう誤読する人に対して、「俺が読み方を教えてやる」って言い出しちゃう人の感情もわからんことはないなぁ。
その上で、相手が困ったチャンなのかまともな人なのかを見極めて、問題にならない人には強気に出ることでブコメを稼ぐ例の人の計算高さは見習いたい。
だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ
まったく意味がないよな。
個人的な経験則は無効だぞ。
まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、
僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明します
あなたもご存知の通り、
風俗がオナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした
いまだに決着していないといってもよいその議論は
とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー的確信に
世界中の科学者、研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、
暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです
著者はサイモン・プライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という
この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、
当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした
そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類の生命誕生における
遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした
それはDNAの2重螺旋構造をセントラル・ドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした
この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文に
たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要な示唆が挿入され
それをあくまで直感的に解釈するプライマーの言葉が短くしるされていました
それが以下、
私はこの等式記号がただちにオナニーの快感を否定するものではないことを承知するが
さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること
でした。
ここに風俗とオナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです。
あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。
しかし、このほんの小さな一陣の風の前に
一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした
意味はわからないかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから
最終的に風俗がオナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで
行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います
ごめん終わらせちゃっていい?
天才だなお前
ちょっと待ってくれ。
>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。
おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。
捏造することもできない。
僕はそれを証明しようとしてるだけだし
それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ
それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと
風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で
モデル化することで余剰次元の素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし
あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化の力学的性質だけで
検出できない微小なプロセスは物理的な効果も無視されるのがふつうだ。
君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う
射精のメカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる
観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか。
間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構と階層性問題の内部対称性が示せない。
超対称性を取り入れた標準モデルの拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナーの
双方から仮想の寄与があるとき、超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正が
実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。
読んでて頭が割れそうだ。
なんで「我々は、神の領域にまで踏み込んではならない」んですか?
「時としてナチズムにも似たイデオロギーを生み出す可能性がある」からですか?
遺伝子操作によって優劣が認識されると、劣が差別されるから、可哀想だから、ですか?
そんな理由ですか?
神の領域って言いたいだけですか?
千人存在すれば、千通りの考え方があり、誰とて同じ存在は居ないと言えよう。
だが、心というものは先ず同じではない。
同様の遺伝子を持つ存在に人生を同様の経路で辿らせれば同一人物になるかもしれない。
一方、人格形成は生まれ持った要因によってのみ決まる。
どちらも突き詰めれば、脳内の分泌物と電気信号によるものでしかない。
だが、我々人間の社会に於いては、それ自体に一つの価値を見出してきた。
その為、数値化したり、分かりやすいデータにコンパイルし直す必要がある。
5因子モデルがその一例であろう。
NEO-PI-RやFFPQといったモデルがあるが、ここではFFPQについて語ろう。
性格を5つの次元に分類し、それによってその人間を判定する基準である。
これにより、複雑な事象を我々に近くしやすい次元にまで下げる事が出来る。
客観的に人間を見る一つの指標とはなるが、あくまでも客観的にである。
5つの次元以外の要因が絡み合えば、他の次元に何らかの影響があるのかもしれない。
自己を偽ることでそれらを全て好意的な結果に置き換えることも可能である。
だが、別の見方をしてみれば、生まれつきの人格を遺伝子レベルで変えてしまえば、
全てを良い結果として出せるのではないか。
もしそれがまかり通る世の中になれば、世界は大きな転換点を迎えるだろう。
この世に生を受けた瞬間に格差が生じるのだ。
時としてナチズムにも似たイデオロギーを生み出す可能性がある。
我々は、神の領域にまで踏み込んではならない。
・推進、反対という立場から議論を始めると、イデオロギー対立になり不毛である。
もっと言えば、「推進」「反対」の二分法自体が無意味であり、どちらかに旗幟を鮮明にできること自体が「ナイーブ」だと思うわけです。例えば、太陽電池大手のシャープが「原発なければやってられん」と言っていたりする。脱原発なら自然エネルギー大規模開発は必須なので(化石燃料無尽蔵&温暖化CO2非原因説はどれだけ甘く見積もっても、例えばもんじゅの安全性と技術的将来性より心許ないのは明らかなので論外)、こうしたこと一つ取っても即時脱原発は正しい正しくない以前に「不可能」であることは明らかです。
なので、具体例を挙げれば、上でリンクしたブクマでシャープ叩きしてるはてな民とか、あるいはこういう意味での穏健な脱原発派を「御用学者」呼ばわりしている連中は「ナイーブ系」であり「電波」であり相手にするに値しない、ということですね。
これは半分違います。私の場合「ナイーブ系」の宣伝が虚偽だと見破れるだけの知識があったのだから騙されたのは自己責任です。元増田でああいう風に書いたのは単なる皮肉です。ただ、私ほど予備知識がない人が騙されたならそれはナイーブ系の罪だと思います。
・政府、東電は、事故当初の混乱状態の中、(多少の遅れはあったものの)、一貫して可能な限り正確な情報を流し続けたが、「ナイーブ系反原発派」は、「メルトダウン隠蔽説」に象徴されるように、政府、東電の発表を捻じ曲げ、事実を隠蔽しているという印象操作を行った。
「可能な限り」とまでは言いません。「不手際」は数々あったと思います。たとえば3/12の最初の水素爆発の当時「情報は確認できていないが線量値から見て格納容器や圧力容器に致命的な損傷があったとは考えにくく、建屋の水素爆発の可能性が高い」なんてことは1時間以内に発表できたはずです。
実を言うとあのときも土曜日だったこともあり、私は買い物を兼ねてターミナル駅に移動しました。もしチェルノブイリ状態になっていたという発表があれば即座に新幹線に飛び乗って実家で土日は様子を見るということを考えたためです。結局、夕方に「建屋の水素爆発だった」という発表があったのでそのまま帰宅しましたが。
福島第一の当時の状態は電話線を誤って切断してしまうというほどグダグダだったと聞いていたので現場を過剰に責める気はありませんが、東京だけである程度できる判断材料はあったと思うのです。故意に隠蔽していたとは思いませんが、もう少し知恵を使う余地はあったと思います。まあ、それもこれも結局はすべて、典型的な事故であったにもかかわらず事前の訓練がなされていなかったことに尽きるわけですが。
・「原発安全神話」というのも、原発推進派がこれまで「絶対安全」とは言ってこなかったことから、反原発派が作りだした印象操作による幻想であることが明白である。
これはそう思います。あともう一つ、「安全神話」に対する懐疑は今まで十分に伝えられていたということで、そもそも「国民が推進派に洗脳されていた」ということ自体が「真理省」的な歴史の書き換えだということです。新聞やテレビで「安全神話崩壊」って今まで何度聞いたかわかりません。
・原発の「安全」性についていえば、主要な安全の基準である「死者の数」からしても自動車よりも安全性が高いのは明白である。
それは事故が起きた後もかわらない。ただし今回、事故が起きた以上、問題がなかったとは言えない。
主要な問題点は、原発が持つテクノロジーの側面というよりむしろ、有能な「理系」技術者が警告をしてきたにもかかわらず、無能な「文系」の運用、監督者たちの妨害により必要な安全策が取られなかったことであるであると考えられる。
「高いのは明白」とまでは言いません。「そういう判断にだって一理はある」ということです。そして、この判断基準に異を唱える人がいるのも理解できますが、だったら「命が一番大切」なんてお為ごかしを言うなよ、ということです。
あと「理系」「文系」の二分法ははっきり言ってどうでもいいです。ブクマとかで「理系」とかにクリリン発動されて売り言葉に買い言葉だっただけなので。ただ、今回の事故は「技術」ではなく「政治」「経営」が原因で起こったのに「原子力技術は人間には扱えない」と、まるで「技術」の方に責任を転嫁していることに違和感があるだけです。
・福島第一原発から放出された放射能および食品への汚染による影響は、少なくとも首都圏に住まう人にとっては、科学的に影響が確認されている年間100mSv以内の被曝におさまるので、実質的リスクは無いか、無視してよいレベルであるから、ことさら騒ぎたてる必要はない。
いや、もう少し慎重です。首都圏の人については「自然放射線の地域差レベルだから無視してよい」ですね。これが10mSvのオーダー、つまり福島県の避難区域外の中で一番深刻な場所程度になると、無用な外出は避けようか、フィルムバッジを持ち歩いて自分の被曝線量を測ってみようか、ぐらいのことは考えると思います。「原発付近の住民への被害を最小限にとどめることができている」はそうだと思いますが。
まあ、率直な実感として、私も当初は1桁ぐらい余分に警戒してましたし、普通の人はさらにもう1桁ぐらい過敏になるんだろうな、って「気持ち」はわかります。
えー、かなり議論も煮詰まってまいりましたので、ここいらで、まとめに入りたいと思います。
・元増田は、「ナイーブ系反原発派」を批判する。例証しやすいようにかれらの主張の「理念型」を示し、批判を加える。
・推進、反対という立場から議論を始めると、イデオロギー対立になり不毛である。
議論を実りあるものとするため、元増田はあえて自らの「陣営」を明確にしないこととする。
ひとつひとつの事実関係から出発し、議論すべきであり、その結果として推進、反対という結論になるならば構わない。
・元増田は、事故当初、一時西日本に避難したが、その必要性は全くなかったし、当時でもそれは十分判断出来た筈である。
・元増田が避難した理由は、「ナイーブ系反原発派」の過剰な宣伝に騙されたからである。
不正確な情報とプロパガンダで、国民全体をミスリードしている「ナイーブ系反原発派」の罪は重い。
・政府、東電は、事故当初の混乱状態の中、(多少の遅れはあったものの)、一貫して可能な限り正確な情報を流し続けたが、「ナイーブ系反原発派」は、「メルトダウン隠蔽説」に象徴されるように、政府、東電の発表を捻じ曲げ、事実を隠蔽しているという印象操作を行った。
・「原発安全神話」というのも、原発推進派がこれまで「絶対安全」とは言ってこなかったことから、反原発派が作りだした印象操作による幻想であることが明白である。
・原発の「安全」性についていえば、主要な安全の基準である「死者の数」からしても自動車よりも安全性が高いのは明白である。
それは事故が起きた後もかわらない。ただし今回、事故が起きた以上、問題がなかったとは言えない。
主要な問題点は、原発が持つテクノロジーの側面というよりむしろ、有能な「理系」技術者が警告をしてきたにもかかわらず、無能な「文系」の運用、監督者たちの妨害により必要な安全策が取られなかったことであるであると考えられる。
・「ナイーブ系反原発派」は事実を捻じ曲げた悪質なプロパガンダを行っているが、非常に分かりやすく、一般受けがよいので、優位に立っている。逆に推進派側が、事実をもとにどれだけ言葉を尽くしても「信頼」を獲得するのは困難であり、不利な状況に立たされている。
・福島第一原発から放出された放射能および食品への汚染による影響は、少なくとも首都圏に住まう人にとっては、科学的に影響が確認されている年間100mSv以内の被曝におさまるので、実質的リスクは無いか、無視してよいレベルであるから、ことさら騒ぎたてる必要はない。