はてなキーワード: 衝動とは
はてなでウェブ上を巡回していると気づくが、ブクマ数毎に記事・ブコメの質が変わってくる。ただブクマが多ければ記事の質も比例してよいというわけではなく、数に応じて傾向がある。
人気ブクマには上がらず、その情報を探していた人にとっては有用な情報が記事になっている。またはブクマする癖のある人がふらっとブクマしただけ。
その情報を探していた人にとっては「非常に」有用な情報が記事になっている。特定の人ではなく、特定の分野(カテゴリ)に属する人が集まり、コメントも属性の近い人同士で有用な意見が集まる。
この辺りからホッテントリに表示されるようになり、特定の分野に関係の無い人、また同じ分野でも記事の意見に否定的な人が集まってくる。id指定のディベートも起こるようになるが、「あなたはこういう意見、私はこういう意見」という互いに頬をひっぱたき合って互いに納得する、調和が取れた状態で落ち着く。
ブクマが二分している状態または片方の勢力にドヤ顔でケチをつけ、「多数勢力になびかない俺かっこいい」的コメントを残す人(はてな村中級者に多い)が段々出てくる。
※ただ、既に31〜100ブクマで議論が交されたところにいきなり踏み込むと、その議論が起きるまでの経緯なしに目にすることになるので「何こいつら熱くなっちゃってんの」となってしまう心情は理解できる。
このような流れなので、せいぜい250ブクマまでが記事、ブコメ共に楽しめるバランスのいい状態。これ以上ブコメがつく記事については、そのブクマ数に達するまで短期(0〜2日)か中長期(3日〜)かで質が分かれる。
割と常識過ぎてその筋の中上級者には記事にする気すら起きないような内容(Excel で If の空白処理とか)だが、初心者には目からウロコとなるような記事はホッテントリに上がるや否や凄まじい勢いでブクマがつく。こうなると、「やり方が間違っている。正しくは○○だ」という親切心や「こんな適当な記事でブクマ数集めやがって」という嫉妬、「なんでこんなブクマついてるの」という、ブクマするお前が言うなっていう大衆忌避のブコメがダイソン状態で集まってくる。こういう記事は内容だけ軽く頭にとどめておき、ブコメの阿鼻叫喚ぶりをサラっと眺めてページを閉じるのが精神衛生上ちょうどよい。自分も熱くなってしまったら負け。
こちらは、記事の内容がよく推敲されておリ、脊髄反射的によさげな雰囲気だけでブクマされたものではなく、内容を丁寧に読んだはてな村民が丁寧にブクマした結果で時間を掛けてブクマ数が増えているため、内容が自分に合っているのであれば素直に便乗してブクマしておくべき記事である。ブコメも(ブコメ数)/ 100 ぐらいの数で記事に新たな視点を加えるような建設的・効果的な意見が上がっていることも多いので、はてな村民としては「ブクマが多いページをブクマして多数になびいたら負け」という気持ちからブクマをせずに閉じてしまいたくなる衝動にも駆られるがそこは我慢。新しい知識を得るための痛みだと思って恥を捨ててブクマした方がいい。
2011.3.11 の震災以降、情報に敏感な人が増えたのか、昔よりも記事のブクマ数が増えてきたように思う。ユーザ数が増えることは称賛すべきことだけど、(どんなサービスでもそうだが)多くなりすぎるとノイズが増えすぎてコンテンツの質を損なってしまうことが多々ある。
だけど読むべき記事、読まなくていい記事、コメントしなくていい記事など一人ひとりで基準を持って使っていれば、(時代の流れやユーザ数の遷移に伴って基準は修正しなければならないけれど)自分が得たい情報以外に無駄な感情や精神力を使わなくて済むので、はてな村の皆様もぜひはてなリテラシーを高めて過ごして頂きたく。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
オレは多分、甘えてるだけで健常だと思うは。
うっぜえなあ
お前さっき
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
つってたじゃん。
ちゃんと診断受けろっつわれた途端全力で後ずさるソレなんなの?
病気じゃないなら診察してもらってはっきりさせるべきだし
もしほんとに病気だった場合を考えても診察してもらうべきだろ。
まとめると
お前は病気の振り(少なくとも自分で振りだと思ってる)をするけど
白黒つけるのは猛烈に嫌がる(「病気じゃない」と診断されるのが予想付いてるから)。
どっちが事実に近いとしてもさっさと白黒つけるのに越した事は無い。
良い医者をいくつか回れ。
面倒くさがらずに、衝動にまかせず、冷静にやるべきことをやるだけだろうなとも思ってる。
今お前が一番面倒くさがって逃げようとしてるのは、
オレは多分、甘えてるだけで健常だと思うは。
診断があろうが、なかろうが、やる事は一緒。
面倒くさがらずに、衝動にまかせず、冷静にやるべきことをやるだけだろうなとも思ってる。
クソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。
一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。
が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。
だいたい綾瀬演じる市は
極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて
ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。
こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。
(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。
静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。
あまりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、
視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。
他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。
眠くなるのとも違う新感覚。
悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、
この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で
万鬼党は狂気と破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。
経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり
唯一の寄生先である宿場で無意味な殺戮を始めるようなアッパッパーだから
話の溜めもクソも何も無い。
悪い親分のところに市が上がりこんで行って
下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。
ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。
日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで。
(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが
全てが意味不明な『ICHI』ワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。
この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)
・八州周りが宿場にやってくると街道の民衆が総出で土下座。大名か。
・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。
よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。
「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら
血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」と恐喝。
無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、
田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。
脚本書いてる奴〇ね。
綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。
盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、
2「その上で自分なりの市の癖を作る」
だとして、
1すらやる気が全く無い。
歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。
一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが
内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。
平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。
市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。
というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか?
なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。
(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。
また、斬り合いだったら斬り合いで、
息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。
クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。
こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。
ダイジェストでレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ)
酷すぎる。
下手とかじゃなくてもはや意味不明。
監督は剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。
動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが
『ICHI』ではそういう酷さが悪化している。
その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので
もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。
手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し
どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。
時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし
(スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、
市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。
何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)
市が能動性皆無なので
「稽古中の事故で母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という
万鬼の顔面コンプレックスに匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で
万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。
毎度渾身の力で刀を抜こうとするが
いや、「真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。
この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。
一応筋を最後まで書くと
それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、
でもなんか心が動いて戻ってきて
宿場は救われた!終わり。
だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に
フラッシュバック的に大沢たかおの笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが
盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。
そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じますが
前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。
根本的な間違いとして、
更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。
なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、
腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。
これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。
主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)
中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的な性格で
こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。
おわり。
The burnout cycle (Jono Bacon, Nov 2010) (PDF) の一部より。
燃え尽きの最初の段階としてよく見られるのは、自分の価値を証明したいという欲求です。
その根幹には、自分の仕事が軽んじられているという不安感があります。
燃え尽き症候群の患者は、自分の価値を証明するため、より多く働こうとします。
長時間働くことは燃え尽き症候群の初期段階に見られる兆候です。
自分がいかにたくさんの結果を出しているかを証明しようとして、
頑張って長く働くこうとします。
夜遅くまで働きつづけることも珍しくなく、
オープンソースソフトウェアの活動の場合はさらにそれが顕著です。
たくさん働けば自分の価値をもっと分かってもらえるという信念のもと、
午前2時や3時まで働いたりもします。
この段階になると、眠ること、食べること、友達と遊ぶことなどは単なる「娯楽」であり、
自分の価値を証明しようという欲求があまりにも強い状況であり、
より多く働くことが最優先事項になります。
誰かに誘われても、断ることに抵抗を感じません。
また、働きつづけることに抵抗を感じなくなります。
深夜や早朝に働くことは珍しくなく、
この段階では、異変に気づいた身近な友人や家族から、大丈夫かと尋ねられるようになります。
ただやることが溜まっているだけだと言って、彼らの気遣いを聞き入れません。
この段階では、仕事へのこだわりが強くなることにより、
それまでの価値観において大切にしていた、友人や趣味といったものを脇にのけるようになります。
仕事でよい結果を出すことが、成功をはかる唯一の指標になります。
人付き合いや家族と時間を過ごすことが、もはややりがいのある大切なことではなくなります。
むしろそうしたものは、やりがいある仕事へのさまたげになる、と考えるようになります。
もっと働かなければならないから、と言い訳するのに抵抗を感じなくなります。
いつ尋ねてもダメだと言うので、友人から誘われることもなくなっていきます。
この段階では、不信感、狭量さ、攻撃性が顔を出してきます。
同僚がバカでとるに足りないことばかり言うように見え、
どんどん生じてくる問題の原因として、
時間が足りない、同僚が無能だ、仕事の分配が不公平だ、と文句をつけるようになります。
睡眠不足により疲れがたまり、ジャンクフードとカフェインのせいでかなり不健康な状態になっています。
自分を情けなく思うと同時に、まわりは自分のつらい状況を理解してくれない、と感じます。
他人に向かってわめいたり手をあげたりするようになり、
口喧嘩をしかけることが増え、謝罪することに抵抗を感じるようになります。
生きることがつらいと感じるようになります。
他人との接触や人付き合いを最低限に抑え、
燃え尽きが進行していくという感覚をやわらげることが重要になってきます。
酒を飲むこと、あるいは薬に頼ってストレスを解消しようとします。
何に頼るかはそれぞれですが、通常よりも深くそれにのめり込みはじめ、危険な兆候が出はじめます。
友人、家族、同僚からみて明らかにおかしな奇行をするようになります。
本来のその人でなくなったということが、近しい人の目にはっきりと分かります。
身体的に疲れ果て、頭痛、肌荒れ、意欲の低下など健康上の問題が生じます。
対人関係にプレッシャーを感じ、とくに深夜、鬱が強くなります。
自分の人生が、機械的で感情のない歯車の連続のように感じられます。
自分の価値を誇示したいという願いも弱くなり、諦めてもいいかと思うようになります。
より頻繁に酒、薬、過食、異常性欲、その他の奇行、破壊衝動などに逃げ込むようになります。
鬱がさらに進行します。
この段階では、失望感、喪失感、消耗感を感じ、将来を楽観視する理由をほとんど見出せなくなります。
イコールではないよ。
だから”性欲”と”征服欲や暴力衝動”を区別して後者を否定してるんだろう
男の場合両者はほぼイコールだろ。
逆に言うと、そういった『”性欲”と”征服欲や暴力衝動”はイコールだろ』というフェミのステレオタイプな男性像のアナウンスが
26歳の男が110歳の老女をレイプするギネス記録級事件が発生
http://news.2chblog.jp/archives/51662340.html
79:名無しさん@涙目です。(家):2011/12/19(月) 21:43:36.34 ID:msKl1+mW0
昔何かの本でババアレイパーのコメント読んだが、そいつによると、目的が気持ちがいいとかじゃなくて
「110年分の思い出を台無しにしてやりたい」という思いが、26歳男を勃起させた。
110歳の身体には生殖能力など無いのに。全く持って不合理なのに。
「お前を台無しにしてやる」という思いが不合理な性的反応を生んだ。
老女レイプは今まで築き上げてきたものを台無しにする行為だが、幼女レイプは未来を台無しにする行為だ。
初潮前の幼女には性的能力が無く欲情するには不合理な相手だが、
デヴィ夫人のブログを読んで本気で気持ち悪くなった。ああいった意見を持った人間がいること自体はともかく、それに対して「よく言った!」「日本人の誇りだ!」みたいなコメントがついてるのを見るとぞっとする。痴漢冤罪は被害者立場を利用した女性からの迫害だから女が悪い!痴漢は性欲を催させるような格好をしているような女が悪い!という免責をしてミソジニー丸出ししてる浅い思考が透けて見えて本当に気持ち悪い。おまけにそれをそのまま強姦に適用しているあたり、女にとって名誉ある男に犯されるのはどういった形であれ幸福であり、それを盾にああいった騒ぎを起こすなんてとんでもない、というような視線まで感じられる。ひっでぇ。それで、朝からそんなものを見かけたせいでテンション下がりまくりな状態で俺は考えたわけである。セックスとは何ぞや。性欲とは何ぞや。もちろん実際に経験がない人間なわけだから限界はあるだろうけれど、それを考えることは無意味じゃないだろうってことで。
そもそも俺が今まで性について触れてきたのって、大体はエロゲや官能小説、エロマンガ、AVというものが殆どで、学校の性教育は全然薄かった。せいぜいが性病の感染に気をつけてくださいねーくらいで、それ以外の部分については一切なし。だから自然とそういうメディアで興奮するようになっていたわけだけど、やっぱりどうしてもそれはオナニーでしかない。セックスではない。セックスっていうのは二人の関係の中で起こる行為だからだ。単なる性欲の発散以上の意味合いを持っていて欲しい、と思う。しかし男にとってそれが難しいのは、どうしても性欲というスイッチがあることだ。それなりに単純なこのスイッチは割と簡単に入るし、条件次第ではそれのことしか考えられなくなる。股間でものを考えてしまう状態というのがどうしてもそこにあるわけだ。ただ、そういった本能のまま、衝動のままの性欲を人間を相手にぶつけるってのは、俺はどうしても肯定できない。だって相手は人間なのだ。自分と同じように考えたり感じたりする人間相手にありのままの性欲をぶつけるってことがどうしても耐えられない。性欲は乱暴な面もあるし、おまけに男はチンコ突っ込んで射精してあーきもちよかった、で済ませられてしまう。それってセックスじゃねえじゃん、と思うわけだ。生身の人間の膣を使ったオナニーでしかない。人間はオナホールじゃないんだぞ。もちろん、そういった性欲の存在は否定しないし、発散する手段はあっていい。そのためにポルノメディアはあるんだと思う。オナニーに際してそれを用いることには俺は賛成だ。確かに「悔しい、でも感じちゃう(ビクン」なメソッドには興奮する。するよ。ちんぽギンギンだよ。でもそれを、もし生身の相手のにんげんにやって、おまけに相手が嫌がってたら、それ、やめるべきでしょ?
あと、恋愛は性欲をデコレーションしただけのことだ、なんて言葉に浸って恋愛の不可能性を指摘した気になっているような奴はどうにかしたほうがいいと思う。恋愛に性欲は不可欠だけど、それをどう運用していくかってことが大事であって、セックスのないプラトニックな恋愛=清純=理想、セックスのある恋愛=生々しい=現実、みたいな稚拙な二項対立に持ってくのだけは童貞として避けていきたい。セックスのあるプラトニックな関係だってあっていいし、セックスのない生々しい関係だってあっていいじゃないですか(そこんとこどうなんですか恋愛経験者の皆さん)。
大事なのは、セックスっていうのは二人のものだってこと。だから普段は仲が良いのに彼氏から乱暴なセックスされてつらいだとか、別れるのが怖くてしたくもないセックスばっかりさせられた、みたいな話を聞くたびに俺はもうやるせなくなってくる。なにやってんだよと。せっかく相手に触れていい、そういうことをしていいっていう関係を築けてるのに、どうしてそこでそうやってしまうんだよ、と。別にうらやましいんじゃなくて(まあ嫉妬だといわれたらそうなってしまうんだろうけど)、なんというか、悔しい。ある程度人と関わっていくことができるような人間にとって、恋愛やセックスって、傷つくことも嫌なこともたくさんあるけど、それと同じ、それ以上に嬉しいことや喜ばしいことがあっていいはずじゃないか。なんでそこで傷つけるだけで終わらせてしまうのかがわからない。なんでだよ。
もちろん性に対しておおっぴらにしろってわけじゃないけど、でも、たとえばセックスが終わった後に、お互いに自由に感想を交わせるような習慣があっていいんじゃないか。女性の側も男性の側も、痛かっただとか、もうちょっと優しくして欲しいだとか、そこを触られたのは気持ちよかっただとか、そういうことをやって、二人でセックスを作り上げていくべきだろ。そうじゃなきゃセックスじゃねぇって。形だけの同意とってんじゃねえよ。悔しくても感じてるって勝手に信じるなよ。本当にセックスできるのか考えろよ、性欲を上手に乗りこなせよ。ポルノメディアみたいなセックスのことを考えるなら、そうでないセックスのことを考えてもいいじゃないか。男が女にセックスしてやる、チンポ突っ込んでよがらせてやるよ、みたいなセックスじゃなくて、清濁併せ呑んで二人だけのセックスを試行錯誤して作り上げていけよ。そうであってくれよ。
だから、こういうレイプだとか性犯罪に関して、セックスを通じて性暴力という形で人が人を傷つけてしまった、不快な思いをさせたってのはだめだ。しかも今回は立場とかの問題も絡んでる。それなのにデヴィ夫人のブログとかそこにつくコメントみたいな意見が支持されるのはやるせない。鈍感にもほどがある。俺はそう思う。
……そう思うんだけど、なんつーか、あくまで童貞の理想論であることも認める。ので、セックスしたことある人、嫌だったセックスをさせられたことのある人、俺みたいな意見って、どうなんでしょう。以上。
その言葉との出会いが私にとってのインターネットという希望だ。そう信じてネットの文を読む。ネットに限らず、だけれど。
これは私の文章の読み方の話だ。
http://anond.hatelabo.jp/20111119203554
を書いたあとで、
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
を読んだ。
普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。
世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。
何故インターネットという希望の聖域の大切な動機という最も偉大なる感情の衝動を、
就職活動という大人達が作り上げた陳腐な社会の枠組みのブラックボックスにアウトソーシングしてしまうのか、僕には全く理解が出来ない。
素晴らしい世界を、どうしてアラビア人などという現実世界のくだらなさを持って語ろうとするのだ。
無限の永遠世界の衝動を、就職活動などという確かで小さな現実世界の理由付けで説明しようとしてしまうのだ。
そうじゃなかったはずだ。そんなんじゃなかったはずだ。僕らが夢見て懸命に生きたインターネットはそんなものじゃなかったはずだ。
ここらへんについては、言葉の技術(この人のほうが私より断然ウマイ)や対象は違うけれど、私が書いてることとかぶってると自分では思ってる。ここいらの部分については、私にとって、同意やら共感することはあっても心が動かされることはなかった。
これは持論なのだけれど、悩みというのは、あるものごとに絡みつかれ、あるいは取り込まれ、そこから抜け出せない状態を指すのだと思う。そして、文章でもなんでも、表に出すことができることは、どのような形であれ、自分がそこから距離を取ることができたものである。
はてブの人のように、そもそのその問題に興味がないから軽く考えて思考停止した状態でなんの感情もこもっていないコメントを書ける人もいる。(「三行でまとめろ」みたいなことを言ってる人は、幸せな人だと思う。その幸せに気づかないところに少し嫉妬を感じる)
ふと興味を持って、そこにわずかな感情移入をこめたり、調べてみて情報を追加する人もいる。
一方で、その問題に巻き込まれ、散々傷ついたり悩んだりした上で、なんらかの出口を見つけた人もいる。
とりあえず、私は上のような問題については、たどたどしいながらも言葉にすることができる。ある程度客観視出来る。読者から見て、客観視できてないと思われる所があると感じたなら、まぁそこはまだなんか執着があるんだろうが、それでも大枠としては抜け出せていると思う。
私にとって、文章に書ける問題っていうのは、私の中でもうあきらめが付くか克服されていることである。
もうここいらの問題から私は逃げることはできる。無理に否定しなくても、自分を抑圧しなくても、生きていくことが出来る。
だから、私にとっては、この部分は、まぁいい。
自分が距離をとれる問題について言葉のやり取りだけを繰り返すなら、インターネットはいらない。
私が他人の文章を読む時、私が探しているのは、自分の心のなかにあって、でも気付くことさえできない言葉だ。
生きてはいけるけれど、どうにもこうにも心苦しい。その理由や、自分の位置を、他人の言葉で確認したいと思ってる。
美しいものを美しいと言う。それが出来ないのが人の悲しみである。
素敵なものを素敵と言う。それを口に出せないのが人の苦しみである。
「美しいね」と言いたいのだ。「素敵だね」と告げたいのだ。
僕らがインターネットをするのはザッカーバーグの為ではなく、インターネットの為でもなく、ましてや自分自身の為でもない。愛の為だ。
少し泣いた。この部分に何を思ったかは書かないしまだ書けないけれど、こういうものとの出会いがインターネットに感じる私の希望だ。
他の人には、この文章が、ただのルサンチマン、で処理できるものなのかもしれない。ただの勘違いと読んで笑うかもしれない。
それでも構わない。というか、本来、そういうものなのだ。みんなが同じように理解して納得できるものだけが価値じゃない。
昔は自分の望んでいることや、自分が正しいと思うことを主張するのが、他人にとってはただの我侭でありルサンチとして一笑に付されるものであることに絶望したりしたこともあった。そうやって、自分が何かを望むこと自体が間違いであったり、自分自身が間違った存在であると思った。そう思って何も望まず、無気力になったこともあったけど、今は自分と外の世界は別のものだと思っているから気にしない。
自分だけが大切と感じるものがあってもいいし、そういうものを見つけることこそ幸せなのだと思ってる。人は自分だけの、自分のための勘違いをするために生きている。
その上で、朋有り、それはインターネットから来たる。自分にとって大切な事を、他にも感じている人がいるかもしれないと思うのは嬉しいことだ。自分のなかの小さな真実でも、勘違いでも、それでも人とつながりうると感じる。それが私の希望だ。
「○○に行きたい」とか「○○で××したい」などの願望は旅行の動機にはならない。
どちらかというと「旅に出なくちゃ!」とか「○○へ行かなきゃ!」という衝動のせいである。
その国が私を待ってはいるわけがないのだけれど、へんな使命感で胸がざわめいて、そわそわする。限りなく恋のときめきに似ている。つまり旅行は自分の恋を成就させに行くようなもので、そして恋は一人でするものだから、いつも一人で行く。もちろん寂しいし、誰かと添いたくなるけど、旅行が終わると一人で行ってよかったと思う。この旅行は私のものだ、という満足感がある。誰かと分かち合うこともなく、まるっと自分の記憶にのみ残る。
文字にするとなんだか支離滅裂だし「若いなぁ」とか「痛いなぁ」といわれそうな感情だけれど、こればっかりはどうにもならない。
ネットで知り合った男性に、旦那の浮気について相談していたら、
興味深い話が聞けたので、原文を読みやすく修正したものを紹介してみます。
ちなみに旦那にこれを実践して1年が経ちますが、怪しい行動は全くなくなり、
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30代の安定的な収入がある健康的で普通に社交的な男なら8割が風俗を経験している。
1割は、誰にどう誘われようが絶対に風俗には行かない男だ。
残り1割は非常に女性にモテて、素人女性を取っ替え引っ替えできるので、
あえて風俗に行く必要がない男だ。
つまり、普通の女性が普通に好ましいと考える男のほとんどは、風俗経験がある。
つまり過去の風俗経験については諦めるか、幸運にかけるしかない。
しかし、自分が付き合っている彼氏に風俗に行かれたり、浮気されたりする事を
ブサイクな女性でも素敵な彼氏をゲットして、浮気もされず幸せな結婚をしている人も多い。
そんな状態をどのように作るのかを、男の本音を分析しつつ解説してみたい。
人間の本音は「気持よく生活したい」ということだけど、
男は性衝動が非常に強い人が多く、日常的に「やりたい」と感じてしまう。
「あんな女とSEXできたら、どんなに気持ち良いだろう」
と男は自動的に日常的にひっきりなしに考えてしまう生き物なのだ。
そんな中、好みの女性からまんざらでも無い反応が返ってきたら、
本能に逆らうのは容易ではない。
仕事や勉強を死ぬ気で頑張るのも全て美女とのSEXの為だと本音を話す男は多い。
美女とのSEXはそうでない女性とのSEXの数百倍は気持ち良く感じてしまう。
(もちろん、美女と付き合うと自慢できるから、という理由もあるが、
という事だけど、これは非常に簡単だ。
それまでの数百倍の快楽を男に与える事が可能になる。
こんなに簡単で効果の高い事を実践できていない女性がとても多い。
要求するのは恥ずかして出来ない。
だから仕方なく男は、気持良くなる為に高い金を出して風俗に行ったり、
もちろん美女がテクニックを磨いたら、それに勝つのは難しいが、
床上手な女性は非常に少ないので、男は美女を見ても
「美女+テクニック」とは考えない。
非常に有効だという事が理解できたと思う。
二十数年間まったくの恋愛童貞で涙目だった自分にも、何がどうなったのか摩訶不思議なもので、彼女ができて1ヶ月ちょい。
無から有になって日々いろんな気付きがあるわけだけど、なーんにもフラグが立たずアベックやそれに関係する記念日をディスっていた恋愛童貞の頃の方が精神的に安定していたのでは、と最近思う。
近くにいるのに会えないことが多いため会いたい衝動に強くかられて精神不安(西野なんとかさんの気持ちが少し理解できた)、かといってメールを送るとウザがられてないか心配になり精神不安、「相手は自分をどう思ってるんだろう…飽きてはいないだろうか…」と無意味に考えて精神不安、相手の言動に敏感になって精神不(ry
もう全く恋愛How toがわからない状況をつくった恋愛童貞期間や、感情表現が下手でネガティブな非リアタイプだけどとても一途な自分の性格といった要素がそうさせるのだろう。好きすぎてそうなる矛盾。あわよくばイチャイチャしたい、でも実は相手も「初めて」ということで、お互いそういう行動に歩み寄れないというジレンマもある。
↓のうち5つが当てはまれば境界性人格障害(ボーダー)なんだってさ。
1.現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力(注:5.の自殺行為または自傷行為は含めないこと )
→あるある
相手の望むもの推測し、望むものを提供する努力は惜しまないかも。
チャラ男じが好きな相手にはチャラく。おとなしい感じが好きな人にはおとなしく。
まぁ、あとは見捨てられるのが怖くて、無茶な仕事も受けてしまいます。
2.理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
→1.の通り自己像なんて無いな。
4.自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)
6.顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)
→これはある。
何をやってもむなしい。
8.不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
→怒りはないなぁ。何があっても虚脱感しかない。
9.一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状
→慢性的な見捨てられ妄想があります。・・・一過性ではないな。
周り(友人・同僚・恋人)を振り回してる自覚はある。
今思えば長く続いた恋人はお互いメンヘラで正に共依存の関係だった。
お互いがお互いにもたれかかってたんだよね。
付きえば付き合うほど摩耗して、だけど自分の視界には目の前の相手しかいなくて。
仕事で時間が合わなくなったら相手は当てつけのような浮気をくりかえして結局離縁した。
それを無条件に受け入れてくれる人・環境を探してるのも実感してる。
何か相手に迷惑をかけてしまうと、それがどれだけ些細な事でも
相手にとって俺への評価が0点になると思い込んでしまう。
だから、周りからしたら感情の起伏が激しい人に見えるんだと思う。
わかってるつもりなんだけど、不安感は抑えられないんだよね。
いろいろとエンタメが好きでわりと見てたり情報を追ってたんだけど
こころの中は苦しく、叫びたくなるようなわけのわからん衝動も多かった。
それから数年ほど忙しくしててエンタメから離れて、流行のシーンもわからなくなると
かえってこころの中は平穏に。
仕事が忙しすぎて主観カメラの毎日。自分を殺したい衝動に駆られる。死ぬくらいなら職場から奇声を上げて走り去るけど。死ぬより簡単。
仕事のやり方、なんてものは色々あるにしても、皆が目指しているのは「いい仕事」なんだと思いたい。このうすぼんやりした「いい仕事」を定義して、具体化して、それに沿って行動する。そんなもんだと思う。
んでも、やっぱり、会社勤めだと上からの具体的な指示が多くて、でもそのうちにずいぶんと抽象的になっていって、その理由と意味がわかっていく。
このわかる時間に個人差があるのだろう。
「楽」と「楽しい」はずいぶん違う。「楽な仕事」と「楽しい仕事」とは全然違う。
「仕事ができる」という言葉はずいぶん曖昧で、人それぞれに定義が違う。でも、そういう人たちはみな、カメラの位置がずいぶん高い。自分の経験からそう思う。目指すべき位置と彼我までの距離、その間の問題点を認識する精度が違う。それはカメラの位置がなせる業だろう。
でもいつか近い将来衝動的に死にます。最近は2週間おきぐらいにかならず死にたくなります。
今すごくブラックな会社に勤めてるわけでもなければ、普通の家庭で育っていたと思っているので
死にたいと思う気持ちが不思議に思う人がいるかもしれないですけど、やっぱり死にたいものは死にたいです。
今まで生きてきて何がダメだったのかよく考えるんだけど、実はあんまり考えていないように感じています。
だって、馬鹿だから考えても話がまとまらないし、結局そう感じても何も勉強せず生きたから。
最終的な自殺の理由とかは、自分が馬鹿な事に耐えられなかったからだったと思います。
・会社の人へ
でも、多分ほんとは私がいていい場所じゃなかったんだと思います。
・数少ないリアルの付き合いがあった友人へ
最近はあんまり会ったりしなかったね。私が積極的じゃなくて面白い人間でもなかったもんね。
・ネットの友人へ
Twitterとかfacebookとかで下らないおしゃべりをしてくれてありがとう。
多分私が死んだことに気がつかないでしょうね。
・家族へ
みんなは元気でね。
目立つ為に、タイトルに本文書いて見ました。
上ので29回答下のは1つづつ。しかも煽りや応援してます、頑張ってだけ
私が真面目に質問しても
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1266455342 親に対する罪悪感が取れません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166316296 親に精神病院に入院させられるかもしれません。親は何をするかわからない人です。
こうやって書いてる人に
ultra_super_magical_hiropyonさん
精神病院に入院するのは・・・・・あなた方夫婦ですよ!!大体養護教諭のくせにそんな事言わないですよね!?それわかってます??わかってませんよね!!元々の原因は旦那でしょ!!何の罪もない息子さんに暴力ふるって!!自分勝手なのは・・・・・あなた方!!少しは理解なさったらいかが??最近の若者は怒らせると・・・・・怖いですからね!!知り合いが「2ちゃんねる」に参加しているので、あなた方のした行為をすべて話して晒してもらいますから・・・・・あしからず!!
「親に精神病院に入院させられるかもしれません。親は何をするかわからない人です。」で質問してみても無回答。違う人から回答付いてかろうじて質問は消えなかったがそれだけ。
yahooに励まされる方法 http://anond.hatelabo.jp/20110921133629
うちの親はこんな筋道立てた考え方できなくなってると思うし、何かのためというより、吐き出し口の無くなった破壊衝動みたいなものに、突き動かされているような気がします。その時その時の衝動でバラバラに動いています。この回答でもまだ親と言う宗教から抜け出せない人が居て、子供がわかって欲しかったと書いてるのには呆れます。子供と言うだけでどんな異常者にも愛情を求めるとでも思っているのでしょうかねえ。
ネット上で知り合った人で、いましたけど、こんなマトモな家だと、高い確率で親が向こう三軒両隣とかに、精神病院に入れていた不肖の娘を貰ってくれてどうもありがとうという感謝の心をこめて、どうかよろしくお願いします。とか言って回って行きそうだと思いました。
やっぱりそうでした。
今回のアパート半壊業者への協力を見ていると、あたっていたと思いました。
詳細は変えているところもあります。8年じゃなくもっともっとです。もう親は退職してます。早期退職して精神病院で働いてますというメモをずっと前来た時に残して行きました。
http://twitter.com/Tasmanian_good/status/125494228167045120
うちの親は区役所の人にも笑われたくらいの奇行を数ヶ月前にも、していったのに、数年前には精神病院で職員として働き、その前は養護教諭として不登校の生徒さんを精神病院に入れてたそうですから。。。。 今でも何されるかわからなくて怖いです。
http://twitter.com/Tasmanian_good/status/125494701267750913
キチガイが職員として精神病院で働いていたwなんて笑える話だけど、関係者としては笑えない。。。 そうでなくても正気と狂気が逆転してる世界ですから。。。
たぶん円光歴もかれこれ10年くらい?
今まではそんなに頻繁にやっていたわけではないが、相手に支払った額やホテル代、出会い系サイトの利用料含めればざっと100万はくだらないのではないか。
その金があったらもっと有意義なことに使えただろう。
でも、性欲が高まってるときは冷静な判断できない。
「支出が収入を超えてるわけじゃないし」「貯金が○○円切るまではパーッと使っちゃおう」みたいな思考に囚われてしまう。
ちなみに風俗には数えるほどしか行ったことがない。価格と時間制限のバランスがちょっと割高に感じるのが主な理由だ。
最初は会うだけでかなり緊張してた。美人局の可能性も考え恐怖もあった。会えたら普通に飯食ったりするだけで、飲食代・カラオケ代+ちょっとしたお小遣い代だけ払ってた。
性的なのも、最初は5000円~1万くらいで、おっぱいやお尻触らせてもらったり、手や口でしてもらったりというソフトな注文ばかりだった。いわゆるプチ。本番に対しては何か恐れを抱いていた。そもそもの女性経験がほとんどなかったし、稼ぎも少なかったことも理由だ。
それでも最初はかなり背徳感があった。しかし、それだけに興奮度も高かった。プチの場所がカラオケやネカフェだったこともスリルを加速した。
初めて円光で本番したのは誰が相手だっただろうか?思い出せない。ジェームス三木みたいに日記つけとくんだったな。しかし、本番やったときに一線越えたな、という感じはあった。
この頃から(たぶん2005、6年ごろ?)、売り手の方でもどうせ円光するなら単価が高い方がいいからか、プチ希望はぐっと減って本番のみ希望者が圧倒的になったようだ。本気で金が必要な人も増えたせいか、売り手の年齢層が上がった気もする。サイト運営者の工夫もあるのか業者や冷やかしはほとんどいなくなった。純粋に相手の条件とこちらの条件が合うかどうかだけがポイントになったようだ。
相手の容姿は、意外と美人の方がプロフに写メを出してたり、リクエストしたら送ってくれる傾向があるような気がする。見られたい願望があるタイプもいるんだろう。あと金欠で切羽詰りすぎてる人もわりと写メくれる。しかし、一般的に警戒して写メを出さないのが多数派か。だから当たり外れは現地に行って初めてわかる。あまりにも好みとかけ離れてたら(ありていにいえばブス)ブッチすることもあったが、そうでなければ据え膳食わぬは何とやらで…。確率的にはかなりの美人にあたることもある(メイクした上での話しだが)。おおむね好みと言えるのは会った中の2割くらいか。
JK16、JC14と本番したことがあり、JC15とプチしたことがある。それまではやりたく仕方なかったJK・JCだが、ある時、円光で逮捕の記事を読んでから急に怖くなり、警察に逮捕される可能性を考えると眠れないこともあった。朝、自宅のインターフォンが鳴らされた時は心臓が縮みあがる思いだった。家族・職場に逮捕が知られたら…と思うと自殺も考えたこともある。おかげさまで(?)無事時効を迎えました。しかし、そもそも出会い系サイトではJK・JCなんてまずいないような気がする。一部報道ではグリーやモバゲーに流れてるらしいが、それは男が声かけてるんじゃなくて、JK・JCの方から募集してるんだろうか?何にしても俺はもう追いかけたりしない。
生や中出しもやったことがある。中出しOKの子はもちろんピルを飲んでるんだが、生外の子はわからない。外に出せば大丈夫だと思ってるのだろうか。そして、当の自分は性病が怖くなってやった3ヶ月後に保健所にHIV・STD検査に行くのであった。今のところはセーフ。いい加減学習しろよと自分でも思うが、やはり性欲の衝動に勝てないのだ。
ちなみに今日は生でアナルに入れてみた。相手も了承済みの上でお互い初アナルだったが、少し痛がったのでピストンはしなかった。そして来年1月にはまた保健所に行くんだろうな、俺。
これまでは数ヶ月に一度の性欲の高まりに応じて、サイトで相手を探すという感じだったのだが、今年に入ってからはペースが上がってきた。月に二度、三度という時もある。貯金が目に見えて減って行ってる。
ひょっとすればセックス依存症か何かの病気なのかもしれない。いくらなんでも性衝動に太刀打ちできなさすぎる。円光以外にも様々な悪さをしているし。このまま人生が破滅するまで続くのだろうか。
同級生の持ってる時計の高さに引いた
時計の金額を見ていると婚期逃すよ、と2ちゃんで揶揄されてたけど
同姓の俺が見てもそうなのかなあ
それに比べ俺は給料も増えず、彼女も大学卒業後0、家は無く、車のローンで四苦八苦
ほんのちょっとの差がここまで差がつくかー
どんだけ薄給でも都会にしがみついていたらチャンスが広がっていたのかな?
それはあなたの意思と努力と能力の無いせいだよと言われたら何も言えない
でもそんな強くないよ
今はそんな事する余裕全く無いや
日々の仕事に追われ、日々のストレスに苛まれ、日々ただ過ごすだけ。
年に一度、毎回同期と会うけど、その度にボロボロにされる
昔はそんな俺を弄ってくれて、お前努力家だし、すぐにこっちのステータスに来れる来れる!、とか言ってくれたけど
最近はもう腫れ物に触るかの扱い
大体、会話のレベルについていけない
俺はそんな大層な仕事がある職場でないから、自分を道化にしてなんとか笑いを取っている
いいやつらだし、この縁はずっと続けたいと思っているけど