はてなキーワード: エヴァとは
大阪駅の一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。
ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。
誤解がないよう、本の内容の前にwikipediaを引用しておく。
設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明の時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。
現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗をベースとした教義を説いている印象を受けた。
他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。
言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?
今までの宗教は、仏教しかりイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、
それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、
そういったものを、より広い視野から、至高存在「エル・カンターレ」によって調和・調停させる。
これによって未来の最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上の目的。
要するにセカイ系。
ただし、普通のラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。
また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。
そのために補足が行われている。
・その一は「一人で戦わない」こと
「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。
・そのニは「武力を持って戦わない」こと。
平和を目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング?・・・うーん。
・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。
世界宗教によって世界を統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。
あくまで日本に理想の宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。
なぜ日本にモデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地だから、だそうです。
こうやって中途半端に自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。
何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまうタイプの人ははまっちゃうんだろうな。
成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから、信仰によって他者を排斥するということはあまりない。
唯一のルールは教祖である大川隆法を信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。
(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教や論理的に厳密な人間を極端に嫌う)
「幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない
あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである。
それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。
要するに目的が正しいならなんでもありってこと。
大事なのは「信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、
その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。
社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。
彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。
セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界の幸福量を減らす存在」である。
非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。
幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。
人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する
あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。
ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです。
世間一般では「幸福の科学=大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが
あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。
現代の日本や世界情勢の分析について、中途半端に現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。
http://anond.hatelabo.jp/20111013192738
そもそもという話しなら、私は何のためにアニメ観るのかもわかってないわけね。
そういう時に、私にとって一番わかり易いのは物語性なのね。
映像の快楽っていうなら、ハリウッド映画とか宮崎アニメくらいじゃないとわからない。
私のようなアニメ音痴でも、アリエッティはすごいと思った。もののけ姫には感動した。
エヴァは観たことないけど、YoutubeとかでPV見る限りすごい感じはする。断片を見てるだけでも震える。
でもまどかについてはそこまでは感じなかった。
そういう意味で、少なくとも私にとってまどかの映像は、多分説明不要の凄さではないと思う。
こってるのはわかるよ。なんとなくすげえとは思うよ。
私はそこで「すごいすごい。で?」って思うわけよ。
「こってる=すごい」なの?なにがどうこだわってるから、それがわかることによって凄さがわかる、とかじゃなくて?
Twitterで聞いた人間は11話見ればわかるって言うから見たけど、映画ではもっとすごいの見てるからそれほどすごいと思わんかった。
多分何かしらのこだわりとか意味づけみたいなのがあって、それがわかるとすげえって思うんだろうけれど、
そこんところはやっぱり何かしら説明が必要な部分じゃないんですかね?と言いたいの。
みんなすごいすごいって言ってるけど、本当にすごいと思ってるの?
何がそんなにすごいの?何と比較して?
私には分からないなぁ。
とにかくさ、わからんって言ってる時に「わからん奴はクズ」とか「Dontthinkfeel」みたいなことばっかり言われると、
アニメの周りのやつだけじゃなくてそのアニメそのものも嫌いになっちゃうので、
わからんなんてもったいないとか、可哀想だと思うなら、面倒でもちゃんと説明してくだないかな。
中途半端に絡んでくる人間ってなんなの?自尊心満たしたいだけなの?
それともこっちが喧嘩腰なのが悪いの?
こちらだって最初から批判的だったわけじゃなくて、最初は恥じらいながら純粋に教えて欲しいって思って尋ねてたんだけどな。
twitterで質問してもまともに回答してもらえたことなかったよ。
ちげぇよ。
当時責任者としてとか、なんでそこにたどり着くんだよ。
シモンは信じてたんだよ、改変前は、人類は愚かじゃないってな。
改変後は信じてないんだろ。
信じてるから「ああ」って答えてるんだろ。
当然だと言い切ることもできなければ、祈ってくれって言っちまってる。
強い言葉で断言しない=信じてない ?
祈る=信じてない ?
「掘り下げると馬鹿の理解範囲から外れる」の間違いじゃないのか。
あと繰り返しになるけどシモンの人物像は一貫しており変わってない。
TV版の最後なんて、めっちゃ王道の熱血ロボット物だったじゃないかよw
終盤の描写は若干シリアス交じりになって、風呂敷畳んでるんだから、そりゃ大人になっていく必要はあったが、最後の決戦で全部吹き飛んでたろ。
ものすごくノイズ感のある「主人公の老い」「一線を引く」「後に続くを信ず」がしつこく盛り込まれて、
最終決戦にも影を落とし、決戦後の最終回では隠者EDまで描かれたのに、
>「最後の決戦で全部吹き飛んでたろ」
かあ。
「よくわかんなかったけどなんだったんだあれ」みたいに記憶しておく回路すらないんだな、脳に。
実行責任者として「当然だ!」という意気込みで応えるのもいいんだけど。
ちげぇよ。
当時責任者としてとか、なんでそこにたどり着くんだよ。
シモンは信じてたんだよ、改変前は、人類は愚かじゃないってな。
改変後は信じてないんだろ。
当然だと言い切ることもできなければ、祈ってくれって言っちまってる。
エヴァとかでもそうなんだが、大概が劇場版で大衆を意識しなくなった結果、自己満足の人物像に落ち着くよな。
TV版の最後なんて、めっちゃ王道の熱血ロボット物だったじゃないかよw
終盤の描写は若干シリアス交じりになって、風呂敷畳んでるんだから、そりゃ大人になっていく必要はあったが、最後の決戦で全部吹き飛んでたろ。
見て無いのどっちだよ。
身近に居る女の子がこんな感じなんですけど、オタク男性にモテるのなんのって!!まさにアイドル状態。
で、この子に似た感じの子、はてなでも見たなぁと思って思い出したのがid:Mamipekoさん。
正直に言うとFirefoxネイルアートとパンストの記事しか読んだことがないのですが、
「そうそうこの感じ!」となったのがまみぺこさんしかいなかったので、「まみぺこ系女子」と言ってみようかと思います。
「まみぺこ系女子」は絶対にネットストーカーにあった経験を持っています。それも複数人から同時並行的に!
「同じことに興味を持ってる女の子」ということでオタク男性に好感や親しみを持たれるようですが、
オタク男性は引っ込み思案なので、ネット上で監視することしかしないのです。
そして、並の女性では「げーっ、キモ!」となるような監視レベルでも、彼女たちは謎の寛容さを発揮します。
そして彼女たちが最終的に付き合うのは、「見た目一般人・中身オタク」の男性。
恋愛スキルや常識のレベルは一般人で、趣味や興味の対象がオタク文化だけだった、という層の男性です。
考えてみれば彼女たち自身も「見た目一般人・中身オタク」なので、似たような男性と合うのは当たり前ですよね。
でもそこで失恋する男性の数がかなり多いのが「まみぺこ系女子」の特徴だと思います。
普通の女性は超美人でもない限り、複数人に同時にストーカーされることは無いと思うんですが、
会ったことも無いオタク男性や、相当な数の「消極的な好意」が寄せられてたはず。
片思いされた数がモテた数とするなら、まみぺこ系女子は現代の最モテ女子なのではないでしょうか。
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ぎゃ!本人光臨!ごめんなさい!
オタクであれば大なり小なり日本史の戦国時代や幕末にはまったことがあり、
言わばオタの基礎教養としてその辺の知識はある程度備わっているもんだと信じて疑わなかったんだが、
先日、その辺の知識がほぼ皆無と言う同属さんに出会い衝撃を受けた。
幕末は坂本龍馬がいろいろやって江戸幕府をやっつけたってレベル。
オタをやってる以上その辺の知識がないと困ることもあるだろうに、
なんでそこまで触れずに来られたのか気になって聞いてみると、
「別にそんな常識でもないこと、知らなくて当然じゃないか」と怒られてしまった。
それでいてその人のはまっている作品は銀魂と戦国BASARAだというのだから訳がわからない。
確かに知らなくても生きていける類の知識ではあるけど、
どうも釈然としない。
追記
何件かツッコミを頂いて、自分が釈然としない部分が分かった気がする。
文中では戦国や幕末を例に挙げたけど、具体的にそのジャンルがどうこうではなくて、
自分が好きな作品の関連知識を仕入れようとしないことへの驚きだったんだと思う。
例えばエヴァの本放送当時、多くのオタが旧約聖書なんかの知識を仕入れようとしていた。
関連知識に興味を持たないってスタンスが自分の中ではかなり不可解だったんだ。
好きな作品の関連知識を自発的に仕入れるか否かが世代差なのかはさておき(今回の同族の方は同年代、アラサーだったけど)、
作品単体で満足できる人もいるんだという事を認識して、
そんな私が昔ネットで印象に残ったサイトにオカノ通信というwebサイトがあった。まぁ今もあるけど。
ネットで・リアルで(コミケで知り合った人など)自分より上の世代から聞かされた話として、やはり『宮崎勤事件は大きな転機だった』と言われる。その過程で、都市伝説なのか事実なのか知らないが「TV局がコミケに取材に来て、『ここに数万人の宮崎勤がいます』と言った」という話も聞いた。
オカノ通信の人はその辺の経験談を回想している。
「89年8月」に起きた宮崎事件を契機に、現在オタクとされている人たちと“場”は、社会の中で致命的に追いやられていったからに他なりません。
80年代に一度「アニメが好きだ」とかそういうことがオープンになりつつあったにもかかわらず、それらは潰され、再び人前でカミングアウトすることが難しい趣味になってしまった。
それくらいあの事件の中で繰り広げられたマスコミの、「魔女狩り」としか例えようがない報道や論旨の展開は大きな影響を残してしまった。
そういう中で90年代中盤には『エヴァブーム』が起こり、再び今度は別の意味で僕らが注目された。
けど、やっぱり外の人たちにしてみれば、なんであんなブームが起こって、どういう人たちがそれを喜んでいるのかがよくわからない。
(一方僕らはパソコン通信時代の中で、新たな独自のコミュニティと繋がりを持ちはじめていたわけですが、これはまた話がズレていくので割愛します。そもそもパソ通時代のコミュニティについては他にいくらでももっと詳しく書かれておられる方がいますし。)
そういった(今なんかとは比べ物にならないくらい酷い)蔑みと偏見。同時に湧いて出た注目というアンビバレンツで微妙な状況下で、「オタクという場の中にいるオタク自身が、外の人に“オタク”を説明したメディア」ってのは『オタク学入門』が世界初だった。
「あの本はオタクを過大に評価している」って批判も読んだことあるけど、当たり前です。
そういう時代背景の中で「後ろめたい趣味であることを前提にそれを肯定する」なら、「徹底的に過剰評価した理論武装と、プレゼンテーション。そしてプロパガンダ的な要素」は必要だった。
私自身はそこまでオタク=犯罪者予備軍的扱いはされたことがなかったけど、『男で恋愛物・少女マンガ好き=男として格下』という偏見くらいには遭ったことがある。そういう空気が、2chが出来て、ニコニコ動画が出来て、海外でもオタクが認知されるようになって、どんどん変わっていったようには思う。それこそ、ローソンが人気アニメとコラボするなんて10年前じゃ考えられなかった。長者番付の作家部門に神坂一が顔を出し、読み上げたアナウンサーが『この人誰?』と言っていたような、そんな時代だった。
ガンダム・マクロスからの流れでやってる人と、セーラームーンやエヴァンゲリオンで入ってきたひとには確実に意識のギャップがあるし、それはおそらく宮崎事件のせい。ハルヒ・らきすた世代とはやはりギャップを感じることがあるけど、そっちはたぶんネットの普及のせいだと思う(つかこの世代のコミュニケーションに於いて2chの影響は確実にある)
でもさ、今みたいに、深夜にしかアニメがやって無くたってどうせ地上波TV自体がオワコンとなりつつあるわけだし、けいおんで誰萌えかという話を堂々としたって確実に昔ほどは変な目で見られない。そういう時代って、70年代・80年代にオタクだった世代がまさに望んだ世界だったんじゃないかと思う。
だ、騙された…タイトルに騙された‥
http://anond.hatelabo.jp/20110522135053
先月、「まどかおもしれーエヴァ以降でまともに見れたアニメは久しぶりだわ(意訳」と増田でのたまい(http://anond.hatelabo.jp/20110422235719)、
さらにはてブの数に酔った勢いでテキトーな事を書いて顰蹙をかいつつも「いやいやアニメも面白いのあるYO!」という意見をもらった俺は、
早速「なんかおもすれーアニメ今やってないかな…」とはてブのアニメカテゴリとおもしろカテゴリから探しまくった。
こんなある意味で不毛なことをやっていた俺が元増田のエントリ名をはてブで見たとき、まさに歓喜した。
なぜなら「元増田が底辺煽りしつつ古今の名作を挙げ、『俺様の嗜好スゲー論』が展開、はてぶでは『うぜえ死ね』『お前の趣味はわからない。俺なら○○だ』的なレスで伸びる」そんな内容のエントリだと予想したからだ。
「よっしゃ、面白いアニメの情報が何か仕入れられるかもしれない」-おれの中ではほんとにこんな気持ちでいっぱいだった。いわゆるwktkってやつだ。
ところがどっこい。URLを開くとただのブヒヲタ否定論だけがそこにあり、俺の求めていた素敵嗜好お披露目会場などではなかった。
かくも無情とはまさにこのこと。俺はブヒ系以外の「スゲー」なアニメの情報が欲しくてはてぶ経由でここを開いたんだよ時間を返せよorz
てかそもそも我が国が誇る世界最古の小説からして変態要素てんこ盛りなんだからブヒが多くなるのは諦めれ。
まぁ萌え系はもうちょい男のライバルと女を巡ってガチバトルしたり成り上がり要素を盛り込んでも良いとは思うけど。
その意味で最後でドンジョバンニしちゃったnice boatは若干ヨカタ。最後だけといえばそれまでだけどね。
ところで話は変わるが今年(ってか去年の末からか)はアニメの当たり年のように思えるんだが、実際のところ今年のアニメってどうなの?
っていうのも、先月も書いたとおり自分はアニメ用の物差しが少ない。
何せ宮崎駿を除けばエヴァとまどかしかアニメ物差しを持ってない。あ、あと千年女優か。
そんな俺からすると、
この流れが既に大当たりであることを象徴している気がしてならないんだが。少なくともハルヒの頃はこんな感じじゃなかった気がする。
ひとつの枠の中で1シーズンに当たりが毎回1個あるのって何気に凄い。
どんな枠だって本当に面白い新作は年1個か2個くらいが関の山なのに、ここのところアニメは毎シーズン面白いの出してきてね?
唯一ミステリ小説だけは毎年コンスタントに面白い新作がそれなりの数出てくるけど、あれは海外勢というチートがそれを後押ししてる面もあるし。
個人的にはミュージカルのNext to Normalが思い出されてあの花は楽しい楽しい。
しかしNext to Normalクラスの面白さにはなり得ないかなとも思ってしまう。
ここから家族愛について説得力のある内容で発展していったり実は鶴子あたりが最初からめんまのこと見えてるとかそんなネタが来ない限りは無理だろうなぁ。
果たしてあの花はアニメの物差しになりえる内容に発展できるかねぇ…
ぼっちが自己正当化したら、他人を呪うようになったらもう終わりだよね、というおはなし。
まどかは魔法少女を魔女化することを阻止する流れを作った。これで概念的にはすべての人間が救われたはず?いやそんなことはない。正確にはまどかは魔女の存在を否定し尽くしたのだ。魔女だけは許されることなく殺されるわけだ。
となると、ぼっちがこじれて「人間であることも」「魔法少女であることも」放棄して、「魔女であること」のみにアイデンティティを見出す人にとってはあれ死刑宣告と一緒だった、実は。 お前らだけはこの世に存在する価値がないって言われたわけ。 その自覚がない、自分のことを魔法少女だって思ってたkの人は救われ、Aの人は救われなかった。でもAの人は「魔女だって生きていたっていいじゃない」とは胸をはる度胸まではなく、頓珍漢なところでわめき散らしながら、言いたかったのは「まどかにその矢を撃たせるな~!」ってことだけ。 もちろんまどかの反応は「いいや、限界だ。撃つね!」。ざまぁ!他人をあざけわらうことしかできなくなった魔女どもざまぁ・・・あれ、俺も消えて行く?俺も魔女だったのか、畜生・・・。
そういうわけで、個人的にまどかマギカは俺にとってエヴァを越える欝アニメでした。まだ人類補完計画の方が良かった・・・。
トラバで「さやかはアホの子だから駄目って言いたいんだろ」って的はずれな指摘があったけどとんでもない。わたしはさやかは魔法少女にはなれなかったけど、人間であることにとどまれたことに感動したよ。魔女になっちゃったけど人間として死ねるくらいには人間としての自分にアイデンティテイを残してた。それはさやかが良い意味でアホだったから。「あたしってほんと、バカ」はつらい現実に向き合うときには呪いになるけど、魂の救済においては救いになる。十字架のひともそう言ってた。 人を呪うのは良くないこと。それでも、それがアホから来るなら救いがある。ただし、自己正当化の為に他人をのろうものにはまどかの救いは与えられない。
これがまどか教の限界。そして、それで全然構わないと思う。俺は魔女だけどすくって欲しい、魔女が肯定される世界を望むとか言ってる奴は